第八十二話【拒否】
「何か、だいぶ人……ってか男が減ったな」
夏期休暇が終わった学院には、ほとんど男子生徒は残っていなかった。
皆無と言ってもいい。
サイトにとって唯一と言ってもいい男友達のギーシュも学院にいないとなっては、自然サイトはルイズと居ることが多くなった。
一人で居るのは味気ないし、他の知り合いはたいしていない。
無論皆無では無いが、例えばモンモランシーは知り合い以上友達未満といったところなので、それほど親しいとも言えない。
加えて彼女はギーシュが居なくなってから、何処かを見つめては溜息ばかり吐いて暗いオーラを漂わせているので、近寄りがたい。
だが、それはモンモランシーに限ったことではなく、学院全体がどんよりとした暗いオーラを発していた。
それは現状の、学院中の教師を除く男手の多くが戦争によって王室に徴兵・志願したことに起因する。
知り合い、恋人、気になっていた人、それらの人間が急にいなくなるという現実は、急速に戦争を身近に感じさせ心に不安を宿らせる。
戦争などというものは体験しなければその凄惨さを正しく認識することなどそう出来はしない。
しかし、間接的であっても、人がいなくなることによって戦争の片鱗を身近なものとして感じることはままあるのだ。
故に学院はまるで葬式会場のようにどんよりとしたオーラを纏っていた。
……一部を除いて。
彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはご機嫌だった。
そのご機嫌を表すかのように、彼女の桃色の髪は周りの学院の様子とは正反対にとても生き生きとしていた。
揺れる煌びやかでいて枝毛が見あたらない長い桃色の髪は、今朝も丹念にサイトの素手によって梳かれたものだ。
彼女のご機嫌の理由は至極簡単だった。
サイトに寄り付く虫が揃って学院からいなくなったのだ。
これを喜ばずに何を喜べと言うのだろう。
サイトとしても手持ちぶさたでいるのか、はたまたこの学院の空気に居心地が悪いのか、めったにルイズから離れなくなった。
サイトと一緒に居る時間は格段に増えたと言っていい。
これはある意味でサイトに“交友関係”が少ないのが幸いした結果ともいえる。
サイトにしつこく手を出すあの“キザ金髪”は出兵し、多くの使用人は“あの女”も含めて奉公を解かれた。
男がほぼいない以上学院内の人手は約半分……いやもっと少なくても事足りる。
さらに学院には多くの貴族子女が多いことから、戦時中に狙われる拠点としての可能性もゼロではない。
むしろ有数の大貴族の子女が多々生活してるのだ。
人質にでも取られれば貴族達の結束が緩むのは火を見るより明らかだった。
だが、だからこそ学院の女学生達の多くはこの事態に帰省を強いられなかった。
学院には人に魔法を教えるほどの使い手が多くいる。
飽くまで通常の施設、土地よりは、という枕詞が付くが、それでも多くは実家に戻るよりは戦力的には安心だった。
さらに、この事態を鑑みて貴族の子女の護衛として王室からも兵が貸し与えられる事になっていた。
となれば護る対象は少ない方が護りやすい。
その為に学院の使用人も必要最低限に絞られていたのだ。
学院を落とせば有用な人質を数多く手に入れられるが、それを為すのは相当難しい。
故に手を出す者は少ないだろうという、これは“昔ながらのトリステイン兵法”の一つだった。
そんなことをすれば突然解雇を受けたような平民は苦労するが、相手が貴族故に逆らえないという昔からの図ができあがっていた。
そのような格差社会を良く思わないルイズではあるが、今この時のサイトと居られる瞬間だけは、“そんな概念”は無視した。
サイトと一緒に居られる、今サイトが一緒に居る。
それが大事な事なのだと、“今”が続けばそれで良いとルイズは最近特に強く思うようになっていた。
だがそれは、“何か”に気付かないようにしているようでいて……怯えているようでもあった。
得てして、そういう硝子のような透明な壁は、すぐに砕け散る物である。
学院の授業は半分に減り……日によって時間帯は違うがおおよそ午前中で終了を迎えた。
それは出兵している生徒達が授業課程が大きく遅れないように、という配慮と、絶対に帰ってきてもらってまた一緒に学ぶ、という願いが込められた時間配分だった。
もっともそうやって授業時間が減った女学生達は、余計に嫌なことを考えてしまう時間が増え、学院に漂う暗いオーラは一層濃くなる原因にもなった。
そんな、授業が終わったとある昼下がり。
学院の門にはかねてから言われていた王室からの学院護衛兵が到着した。
「私はこの度この学院の警備補強の為に斡旋された銃士隊の隊長アニエス。至急学院長にお取り次ぎ願いたい。あ、それとこの学院の生徒にラ・ヴァリエール家の三女が居るはずなのだが……彼女にも“女王”直々の書簡を預かっている。呼び出して貰いたい」
一緒に“とんでもない爆弾”を持って。
この瞬間、音もなく誰にも存在を気付かれずに、透明な硝子の壁に罅が入っていた。
***
「ああルイズ・フランソワーズ!! 待ちわびていましたわ!!」
姫……もとい女王からの書簡の内容は至極簡単なものだった。
書簡内容は至ってシンプル、『“鉄の竜”に乗って王宮に来て欲しい』というものだ。
だがルイズはその書簡の裏側……呼び出しをした本当の意味を経験から予想している。
その為ルイズは、不満と恐怖の入り交じった顔でサイトと一緒に女王に即位したアンリエッタに謁見していた。
既に目撃情報等からアンリエッタはあの“鉄の竜”……ゼロ戦にルイズが使い魔と一緒に乗っていた事を掴んでいる。
早馬でも学院からは何時間もかかるトリスタニアだが、ゼロ戦ならばその倍以上の速さで到着が可能だった為、そこまでは知らなかったアンリエッタはその風竜をも圧倒する“速さ”に大層喜びながら二人を歓迎した。
ルイズとしては本当は行きたくなかったのだが、アニエスや学院関係者にも書簡の内容は知らされ、是非も無く向かうよう指示され、あれよあれよという間にゼロ戦に乗せられ気付けば出発していた。
決してサイトとゼロ戦という密室で二人きりなのを想像し、体験して幸せ気分のまま為すがままになっていたワケではない……多分。
ちなみに、二人がゼロ戦に乗った時はたまたまエレオノールは席を外していて、戻ってきたエレオノールが消えた研究対象に憤慨しコルベールと死戦を繰り広げようとしたのは余談である。
「本当はもっと早くこうして会いたかったのだけど。そういえば前にもトリスタニアでニアミスしたようですし」
朗らかな笑顔で迎えるアンリエッタにかつてとは違い陰りの表情は無い。
今も戦時中で、前線では戦闘をも辞さない緊迫状態の戦線がいくつかあるというのに。
いや、以前は“そう”だっただけで、今は違うのかも知れない。
自分がココに呼ばれたのも、もしかしたらかつてとは違うのかも知れない。
そう、ルイズが密かに希望的観測をしたことを誰が責められよう。
だが、所詮希望的観測は、希望的観測でしかない。
「さて、私も残念ながら忙しい身。甚だ残念でなりませんが旧交を温めるのはまたにして今日あなた達ここに来てもらった理由をお話しましょう」
来た、とルイズは内心で冷や冷やする。
ドクンドクンと動悸がやたら大きく聞こえる。
「あなた達に、手伝ってもらいたいことがあるのです」
「お断りします」
場が……空気か硬直した。
ルイズは自身の希望的観測が当然のように外れたと知るや否や間髪入れずに断りの声を上げた。
アンリエッタが最後の一語を言うか言わないかの、聞きようにとっては女王の言葉を最後まで聞かなかった不敬罪として扱われても文句の言えない程のスピードだった。
事実その場に待機していた何人かのアンリエッタの臨時護衛を任された魔法衛士隊の面々はやや眉根を寄せた。
だがアンリエッタは彼らを一睨みして黙らせ、ルイズに不思議そうに話しかける。
「何故……かはお聞かせ下さいますわね? ルイズ・フランソワーズ。私達は“お友達”でしょう?内容も聞かず、理由も言って下さらないのではあんまりですわ」
ここで始めて、やや悲しそうにアンリエッタは顔を歪ませた。
「姫様……いえ陛下、陛下の仰りたい事はわかっています。この戦争に私達の力を使いたいと仰るのでしょう? 私はとうていそれを受け入れることは出来ません」
「それは……確かにお察しの通りですが、では貴方は“やはり”自覚しているのですね?ご自分の系統に」
「っ!!」
失敗だった。
まさか“そこまで”王室が掴んでいるとは思っていなかった。
以前とは違い、これでも王室には秘匿してきたつもりなのだ。
「皆さん、席を外して下さい」
アンリエッタは黙りだしたルイズを見て、人払いをした。
魔法衛士隊はあたかも信用されていないようで、また警備の面からも不満そうではあったが、魔法衛士隊の隊長の一角が寝返るという事態を一度許しているのだから、今は信用を得るべきと判断し、アンリエッタの指示に渋々従った。
その寝返りに一番の被害を被ったと思われるルイズがそこに居たのも、理由に述べられる。
すぐに謁見の間には、ルイズとアンリエッタ、そしてサイトだけになった。
「貴方は“虚無”なのでしょうルイズ・フランソワーズ。どうかその力でトリステインを救って下さりませんか」
虚無と言えば、失われて久しい伝説の系統魔法だった。
普段系統は五系統と言われながらも、実質四系統……火・水・土・風によって成り立っている。
それは長らく五番目の虚無に目覚めるメイジがいなかったからに外ならない。
始祖と崇め奉られているブリミルも、その虚無であったと伝えられているほど、虚無は特別な系統だった。
特別なのは使い手が居ないというだけでなく、その強力さ故にでもあった。
「陛下は虚無を勘違いしておいでです。虚無はそこまでたいした系統ではございません。それに私は“この戦争にだけ”は関わりたくないのです。我がヴァリエールも軍役免除税をお支払いして出兵をお断りしているはずですわ」
「確かにヴァリエール領……ラ・ヴァリエール公爵は軍を出しては下さいませんでした……でもお友達の貴方なら、と私は期待していたのです。ルイズ・フランソワーズ、正直に言いましょう、私は貴方以外信用できる人が居ないのです。どうか私の傍で働いては頂けませんか?」
「……それほど信用をしていただけるのは痛み入りますが、陛下、戦争にだけはどうかご容赦を」
言葉は丁寧な物を選び、謙っているが、ルイズはアンリエッタに対し敵対するのも辞さない覚悟の瞳で見つめていた。
それをアンリエッタも察したのか、一度溜息を吐いてから縋るような目でルイズを見つめる。
「お願いですルイズ・フランソワーズ。貴方と貴方の使い魔さんだけが頼りなのです。本音を言えば私とてお友達の貴方にこんなことを手伝わせたくはありません。しかし、現状がそれを許さないのです。私に出来ることなら何でもしましょう、以前言っていた使い魔さんへのシュヴァリエの叙位も今の私なら可能です」
もしマザリーニが聞けばおやめ下さいと泣いてでも止めるだろう。
かつてもそうだったが、そんなことをすれば反発は強まる。
ただでさえ内情でのアンリエッタの立場は微妙なものなのだ。
もっともアンリエッタは二人の協力を仰げるのであれば、そんな代償安い物だと考えるだろうが。
ルイズの心は少し揺れた。
サイトをシュヴァリエにすれば、彼女達を取り巻く様々なしがらみは一応の決着を付けられる。
だが、万一にもサイトを失ってしまえばそれは意味を成さない。
この戦争には“関わってはいけない”のだ。
そう思ったルイズは揺れた心をゆっくりと静め、
「お断り致します」
再度断りの言葉と共に頭を下げた。