第八十一話【稽古】
例えるなら、そこは戦場だった。
「オーホッホッホッ!! まさかこの世にこんな技術があったなんて!! 異世界だかルイズの使い魔の世界だか知らないけど興味深いわ!!」
「ちょ!? ミス・エレオノール!! そこは私もまだ弄らないよう残しておいている場所ですぞ!! それを先に弄るなど!!」
「いいじゃありませんか、だって気になるんですから。なんなら一緒に見ますか? 一緒に見ましょうそうしましょう、ってことで」
「あ、ああ、ああああーーーーーっ!? そ、その大きなネジは私が開ける予定だったのですぞ!! 大型のレンチを慣れない練金によってピッタリサイズを作るのには苦労したのです!! ミス・エレオノール!! 私の楽しみを取らないで下さい!!」
「ああ、気になる気になるわ!! ここがこうなって、ん? この材質は何かしらね……ふむふむ、あら? ミスタ、これはどういう仕組みになっているのでしょうね?」
「ちょっと人の話を……む? ムムム……!! こ、これはまさかっ!? まさかこれがあるとは……ブツブツ」
「ちょっと!? 一人で納得しないで説明をしていただけません!?」
「とするとやはりサイト君の世界とやらはこちらよりも利便性を求めた技術が発展しているという話も……いや、そも魔法という概念が無いような話をしていたからそれ故の進化……発展の仕方……ふぅむ……興味深いですぞぉぉぉぉぉぉ!!」
「一人で納得しないでって言っているでしょう!! 教えて下さいな!! いや教えてってば!! あ~もう聞いているの“ジャン”!?」
タバサの目の前には火の担当教諭コルベールと、長い金髪に整った顔つき、ややシャープな眼鏡をかけて男物のツナギを着ている女性の姿があった。
「………………」
何だろうかこれは。
見知らぬ……いや、“あの晩”にコルベールに取り押さえられた女性が目を輝かせながら恐らくはコルベールのものであろうツナギを纏って“鉄の竜”に乗っかっているのといい、コルベールがそんな女性の行動を咎めながらも自分の知らぬ事を知ってはしゃぐ子供のように叫ぶ様といい。
本当、何なのだろうかこれは。
思わず閉口してしまったのも無理は無いと思う。
今、名前も知らぬ女性は自分の目的の教諭の首元を掴んでガックンガックン揺さぶっている。
傍から見ていると面白いが、何度も「聞いてるの!? 教えなさいよジャン!!」と声をかけてもあれだけ激しく揺さぶられれば普通声を発することは難しい。
というかあれは服の襟元を掴みすぎて喉を絞めているのではなかろうか。
みるみるコルベールの顔が青くなっていくが、女性は興奮しているのかそれには気付かない。
どうしよう、止めようか? と思ったが、その必要は無かった。
「!!」
コルベールは一瞬女性の腕を掴んだかと思うと、どうやったのか、素早く動き拘束を解いて怒ったように捲し立てた。
「ミス・エレオノール!! 私を絞め殺す気ですか!? それにその、私を“名前”で呼ぶのはあまり好きじゃないと言っておりませんでしたかな?」
「ええそうですけど。この名前は忌々しくも“私の妹を裏切った男”と同じファーストネームですからね。でも名前に罪があるわけでもありませんし、出来れば使いたくない、という程度のものですわよ。それに名前で呼ばないと大抵ミスタは自分の世界に没頭してて気付かないんですもの。そうそう、無論絞め殺す気はありませんわよ? チェルノボーグ行きなんていう不名誉なこと、公爵家の娘としてできませんから。あ、でも“間違って”そうなったら“これ”の解体と研究は私の独占に……?」
「ちょっと!? よからぬ事を考えていませんかな!? 私を事故で亡き者にしようとか!?」
「まさか。先生ほどの人材、失うのはハルケギニアにとって大きな損失ですわ。でもまぁ、総じて“事故”というのはいつどうして起きるのかわからないものですわよね?」
鼻の頭にやや黒い煤を付けて不敵に嗤う女性、エレオノールを見て、コルベールはやれやれと肩をすくませ小さく息を吐いた。
彼とて短い間だが彼女と接して彼女がどういう人間かはおおよそわかっている。
自身のプライドは高く、興味事には引くということを知らない剛胆さ。
だが、決して悪事に手を染めるような人間では無く、むしろ思いやりの深い女性であることに。
……言葉は結構厳しいが。
恐らく、今の流れも、
「すみませんな、気をつけてはいるのですが、どうにも研究のこととなると集中し過ぎるきらいが私にはあるのです。確かに“この体勢”では転びかねない。オマケに“教え子”まで来ているとなっては職務にも殉じなければ」
「あら? ようやく気付かれたのですか? 気付いてしまわれたのですか? 気付かず転倒して殉職……良くて寝たきりにでもなれば“これ”を私の独占に出来たのに」
ややお茶目を演じてエレオノールは口を開くが、コルベールにはそれが照れ隠しの毒舌なのだと思った。
……というかそう思うことにした。
……そうであって欲しい。
……そうであったっていいじゃない。
段々自信なさげになっていくコルベールだが、“レビテーション”も使わずに不安定な足場でゼロ戦の横っ腹に抱きつくようにしていては本当に転倒しかねない。
加えて、“担当生徒”が来ているのだ。
早々に一端地に足を着けなくてはならない。
「ってああぁ!? ミス!! そこは私がやるとあれほど言った筈ですぞ!!」
「あらコルベール先生? まだいらっしゃったのですか? 貴方には今、ご自分の生徒のお相手をするという職務があるでしょう? こんなところで文字通り油を売っている暇は無いと思いますわよ? あ、でもその腰の油は置いていって下さいな」
「くうっ!? なんと卑怯な!!」
「オーホッホッホッ!!」
「そう言う貴方こそ王立魔法研究所の職務はどうされたのですかな!? ここ数日ずっと学院、それも私の研究室に滞在して……そろそろ私もソファーより自分のベッドが恋しいのですがな」
「わ、私は……ゆ、有給休暇中ですのよ!!」
「苦しい言い訳ですな、私は知っているのですぞ? 貴方はここに来てから伝書鳥の一羽も利用していないことを。これでも学院の教鞭を執る身。そのくらいの事は問い合わせればすぐにわかるのです」
「くぅ!! 権力を傘に着るなど卑怯な!! 貴方それでも男ですか!!」
「これは貴方を心配して言ってもいるのですぞ!!」
一端収まりかけた口論が相手の言葉尻を奪い合って再び再燃する。
タバサの事は二人とも気付いているようだったが、今二人の意識に恐らく少女の姿はあるまい。
本当、なんだろうこれ。
タバサはしばし呆然とするより無かった……が、その目は一瞬動きが変わったコルベールの動きを追っていた。
***
「いやぁ、すみませんな、お見苦しい所を見せてしまいました」
コルベールが恥ずかしそうにタバサの方へと歩み寄る。
エレオノールはコルベールの紹介状を持って学院窓口へと向かった。
コルベールなりの思いやりと彼女を“ゼロ戦”から離れさせる苦肉の策である。
エレオノールほどの人物が職場、それも王立の魔法研究所を無断で休み続けるのは些か問題がある。
王立ともなればただの無断欠勤では済まない場合だってありうる。
貴族は貴族なりのルールがあるのだ。
そうしてコルベールはエレオノールにせめて報告か何かをするよう促し、その間にタバサの話を聞くことにした。
「それでどうされたのですかな? 私の所まで来るとは珍しいと思うのですが、何か質問でも?」
タバサはじっとコルベールの光る頭……ではなく瞳をやや目を細めて見つめた。
決して眩しいわけでも軽蔑の眼差しを向けているわけでもない。
ただ、その目から相手の読み取れるだけの事を読み取ろうとした。
……が、どうやらそれは無駄らしい。
相手は自分に何もかもを悟らせない。
……もっとも、そうであればこそ、ここに来た甲斐もあるというものなのだが。
「……私に、稽古を付けて欲しい」
先程、別の形で実現しようとして言葉にすら出来なかった事を、タバサ告げる。
「稽古、ですか? それはまた……」
コルベールは一度口を閉じた。
何故、とは聞かず、それからたっぷり一分ほど沈黙してから……コルベールは口を開いた。
「……君はすでにトライアングルメイジだ。それだけで周りの生徒達より抜きんでてはいるがもっと上に行きたいという向上心もあるだろうし、“別の”理由もあるでしょう。その理由はわかりませんが、君の稽古を望む理由は向上心よりもその理由にあるとみました」
「………………」
タバサは答えなかったが、小さく頷いた。
「あえて理由は聞きません。言えるなら最初から言っているでしょうからね。でもだからこそ、私は君の願いを断らなければならない」
「……何故?」
やや意外そうに、タバサはコルベールを睨む。
この先生の性格からして、頼まれ事は断れないと思っていたのだが。
「君が私の何を“見”、何を“知った”のかはわからない。でも君の言う稽古とは学術ではなく……戦闘でしょう?」
コクリと再びタバサは頷く。
「……戦いは、他人に振るう力は悲劇しか生み出さないのですよ」
何処か懺悔するようなコルベールの言葉に、タバサは何か感じる物があったが、彼女にもはいそうですかと引き下がれる程の余裕は心的にも時間的にも無かった。
「……私は、強くならなければならない」
「……先程言いましたが理由は聞きません。その代わり、戦い方などという学院の修了課程に無い物を個人的に教授する気もありません。良いですかミス・タバサ、強い力は悲劇を呼びます。ましてや貴方はトライアングル。周りから見ればもう十分過ぎる力を持っているのです」
コルベールは授業の時のように、教育者の顔でタバサを諭す。
だがタバサは頑として首を縦には振らなかった。
それでは……困るのだ。
それに、この先生は一つ勘違いをしている。
「……私が学びたいのは魔法では無く、その体術」
「……ふむ」
コルベールはやや悩むそぶりを見せた。
自分に稽古をと言うからには魔法のことかと思ったが、体術と来るとは予想外だ。
「……“魔法”を使わず意表を突く、もしくは杖の無い時の白兵戦としての強さを得たい」
理由としてはコルベール望む物ではないが、魔法で無いのならば、自ら戒めた“禁”にも抵触しないように思える。
そもコルベールはタバサの推測通り、そうそう教え子からの頼みを無碍に出来るほど冷徹になれない人間だった。
加えて、魔法学院の教諭は生徒に頼まれれば個人レッスンをすることはそう珍しいことではない。
例としてヴィリエがギトーに師事してもいる。
だからだろうか。
普段の感情を制御した顔ではなく、やや緊張した面持ちでコルベールを見つめるタバサに、コルベールは……折れた。
「……わかりました。手ほどきくらいならしてあげましょう。ただし!! 無闇に多用しないこと、力を誇示し人道から外れた道……とりわけ人を“殺める”ような行為に利用しないことを約束して下さい」
コルベールが真っ直ぐな目でタバサを見つめる。
それはじっと澄んだ瞳で、先程とは逆にタバサの全てを見透かすような視線だった。
そんな時、
「ちょっとミスタ・コルベール!! 私の鼻に煤が付いてるなら付いてるって、そう教えて下さったって良いじゃありません!?」
大きな声で怒りを露わにしながらエレオノールが戻ってきた。
その声を聞いたコルベールはタバサからエレオノールに視線を逸らし、やれやれと肩を竦めながらもクスリと笑う。
そのままコルベールはエレオノールと会話を始めるが、タバサはその場からやや離れてそのまま何も口を開かなかった。
ただ、コルベールに約束事を提示された時から、彼女にしては珍しく瞳が揺らいでいた。