第七十九話【約束】
サイトは混乱していた。
ここはハルケギニアである。
断じて地球ではない。
では何故ルイズが地球の……いや日本の“せぇらぁ服”を着ているのだろうか?
トリスタニアから戻ってはや数日。
三着も買ったセーラー服は着回されながらずっとルイズの衣服とされていた。
昨日などは寝る時もセーラー服のままだったのだからサイトとしては戸惑うばかりである。
セーラー服を着こなすルイズは年相応に可愛く、また、何処か別世界の女の子という印象から一転、親しみ深い印象を受けた。
日本男子高校生平賀才人十七才。
女子高生や女子中学生の制服には些かの憧れがあった。
彼は決して女学生専用服には詳しくない。
それでも有名所、『ToHE●RT』や『ら●すた』といった女子高生が出てくる二次元的な女学生服から、現実に着ている女学生服まで、男としての興味はあった。
無論セーラーにこだわるつもりはなく、ブレザーでもOK、とはサイトの内心の言葉である。
この間の魅惑の妖精亭前でも思ったことだが、サイトは“見えそうで見えない”という状況に予想以上に脳髄を刺激されることを悟った。
ルイズの純真無垢な目でヒラリとスカートを動かされると、その艶めかしい足の付け根につい目が行ってしまう。
見えるわけでは無いのに、期待してしまう男の性である。
「ねぇ、今何考えてたの?」
ルイズがぐいっと顔を近づけてくる。
フローラルな香りが鼻腔をくすぐり、サイトに急激に“女”を意識させるが、そのサイトが考えていたことをまさか素直に話せるわけもない。
「あ、えーと……」
サイトは視線を彷徨わせてどうしたものかと考える。
だが、それを見たルイズは何を思ったのかやや青ざめ、
「もしかして背中が痛いの!?」
心配そうにサイトに縋り寄って優しくしなやかな手でサイトのパーカー越しに背を撫で始める。
「え? あ、いやそれは大丈夫だって」
サイトは慌てて離れた。
どうにも“あの日”からこっち、ルイズが近くにいると縦に切り裂かれたシャツのルイズをイメージしてしまって宜しくない。
あれは想像以上にサイトの脳裏に焼き付き、胸が早鐘を打つ原因となっている。
もっとも、ルイズからしてみればいつもより多く見てもらえる代わりに触れられる時間は減っているのが現在の不満点であるのだが。
サイトはそんなやや不満そうで不安そうなルイズに苦笑しながら「なんでもない」と手を振った。
どうにもルイズは“寂しがりや”な一面があるとサイトは感じる。
自分がいなくなったらどうなるんだろう?と一瞬考えた時、ルイズは問答無用でサイトに抱きついた。
恐らく、何か感じる物があったのだろう。
サイトが何を考えているのか、何となく感じてしまって恐くなったのだ。
「イヤ!! 絶対イヤ!! サイトが“また”居なくなるなんて!!」
首をぶんぶんと振ってしがみつくルイズに、この時ばかりは邪なことは考えずにサイトは頭を撫でた。
だが、ルイズの“また”と言う発言に、サイトはやや複雑な心境になる。
“また”ということは、やはりルイズには自分と前のサイトを同一視している節があって、尚かつ、“前のサイト”を失うことを極端に恐れているように感じるからだ。
それは自分じゃない自分である。
時折見せる彼女のそういった発言や対応が、未だサイトに彼女が一番好きなのは“前の平賀才人”であると思わせ、一線を越えられない……告白の返事を聞けない原因だった。
***
「……ねぇ、じゃあさっきは何を考えてたの?」
ようやく落ち着いたのか、ルイズは首を振るのを止め、でもサイトの首に抱きつくのは止めずに気になっていた質問を繰り返した。
「だからなんでもないって」
落ち着いたかと思ったらこれである。
世の中には答えられる質問とそうでない質問があるとルイズには教えを説くべきだろうか。
ルイズが落ち着くと、サイトも落ち着いてきたのか、急に首に回されている腕の感触や体の暖かみがエロティックに感じてきてしまった。
(うわぁ……完全にあの魅惑の妖精亭前での事は失敗したよ、だって縦に割けるなんて反則じゃないか……ってそういえば結局魅惑の妖精亭の中の様子は知れなかったな、ちょっと残念かも)
気絶していたサイトは、目覚めた時には“何故か”ルイズしか傍にいなかった。
特にそれを不思議には思わなかったのだが、
「……サイト、ちょっとデルフ貸して?」
ルイズがやや顔を俯け、昏い感情で壁に立てかけてある剣を指差す。
少しデルフが震えているように見えた。
(あれ? 何かヤバイ?)
ルイズは時々こういう顔をしてはデルフの貸し出しを要求する。
最初は気にしていなかったのだが、どうにも戻ってきたデルフの様子がおかしい事に最近気付いた。
何故かはわからないが、ルイズはサイトが何か“ルイズ以外の事を考えるか口走った時”にこうなることが多かった。
恐ろしくは女の勘と言う奴か。
何を考えていたの? と聞く辺り全てではなくとも、幾分ルイズはサイトの考えていることがわかるのかも知れない。
そうなると、ルイズとしては度々デルフと“会話”の必要性が出てくるのだ。
以前の約束から、またサイトが見ているという観点から、OSHIOKIはそう無い。
だが、現状デルフは怯えていた。
(なんかデルフが震えているように見えるんだよなぁ)
いつも相棒、と慣れ親しんでくれる相手に、サイトとしては何か力になってやりたい気持ちもあった。
相棒と呼ばれるからにはサイトも相手を相棒と思っている。
(愛剣の為にもここは……?)
そう思った時、ルイズの目がクワっと見開かれた。
何かを感じ取ったらしい。
ルイズは問答無用でデルフに掴みかかった。
その目には、“嫉妬”という炎を燃やして。
『お、落ち着け娘っ子!! 相棒!? お前さん何をしやがったんだ!?』
「な、何もしてねぇよ!!」
一人と一振りの剣はお互いに責任転嫁を始めるが、それすらルイズにとっては羨ま……嫉妬の対象となる。
何せサイトとデルフ二人だけで世界を作られているようなものなのだ。
……そのようなこと、許容できる筈もない。
ルイズがデルフを持ち上げる。
『イデデデ!? む、娘っ子!? ちょ!? ちょちょちょ!? 折れる折れる折れる!? 砕けちまうって!?』
折れろ、むしろ砕けろ、という内心はおくびにも出さずにルイズは嗤う。
「あら? “ただ持っただけ”なのに何を言ってるのかしらこの剣は。“六千年”もの時を生きた伝説の剣がただ持った程度で壊れるわけないじゃない? おかしな事を言うわねデルフ?」
『六千年……? ってギャーーッ!? 落ち着け娘っ子!! わかった、何か知らんけどわかった!! 俺様が悪かったから!! あ、相棒も見てないで止めてくれよ!! いつまで娘っ子に見とれてるんでぇ!!』
「へっ!? は、はぁ!? お、俺は別に見とれてなんか……!!」
突然のデルフの思ってもみない発言にサイトは慌てる。
そんなつもりは無い。
ただなんとなくデルフとルイズの間に入っていけなかっただけだ。
だが、それをそのまま声を荒げて否定しても、何だか嘘っぽく見える。
加えていつの間にか真っ直ぐにこちらを見つめるルイズの視線がきつい、というか刺さる。
ルイズはデルフを放り投げ『イデッ!!』期待に満ちた目でサイトに縋り寄った。
こうなるとお手上げである。
悪いことをしているわけでも嫌いでも無い相手に、離れろとも見るなとも言えず、そのままそれを了承と取ったルイズは密着する。
とにかくルイズはサイトの傍に居ることを望むのだ。
その距離は近ければ近いほど良い。
恐らく、デルフはそれがわかっていて、相棒を“売った”のである。
(謀ったな、謀ったなデルフ……!!)
(悪いな相棒……これも惚れた女がいる男の性だと思って諦めてくれ)
視線だけで意思疎通を謀る相棒同士は、怨みがましい目と、大人しくそこに無いかのような錯覚さえ起こさせるボロ剣の悪気ある無視によって決着した。
決着せざるを得なかった。
ルイズがサイトの視線の先のデルフに気付いたからである。
ルイズはデルフリンガーを自分の居ない時の護衛として……自分以外の物で唯一サイトの傍に居ても良い物として扱っているが、それも飽くまで“やむなく”である。
自分よりも多くの時間を共有し、サイトとの絆を深めるなど言語道断である。
先程からのデルフとサイトのやり取りを見てやや危機感を感じたルイズは、少しこの二人の距離を開けるべきかと思い始めた。
「サイト、ちょっと外に出ましょう?」
そうなれば善は急げである。
さっさと外に出て木漏れ日でゆっくり二人きりで過ごすのも悪くない。
今思えば二人きりだと思ってもデルフが一緒だった事は非常に多い。
ルイズがデルフからサイトを引き離すようにぐいぐいとドアへ引っぱって行き始めたその時、
コンコン。
来訪者を告げるノックが聞こえた。
一体誰だ? とサイトは首を傾げるが、ルイズには少し嫌な予感がした。
こういう時の嫌な予感は当たるものである。
ルイズは学院に帰ってきて学院窓口に帰ってきた旨を伝えた際、職員から姉が学院に来て、実家にもう一度顔を出しよく話し合うようにと言う伝言を受け取っていた。
無論、ぶっちぎりで無視している。
父が心配しているともあったが、その父……いや“あの人”がした事はとうていルイズに看過できることではない。
万一またサイトに危害を与えるつもりなら、実の父にも敵対することさえ覚悟済みである。
だが姉もあれでいてなかなか面倒見が良く、中々にしつこいことは姉妹なれば当然理解していた。
昔は恐怖の対象である気が強かったが、“時を経た”今ではそれもただ虐めているだけではないということが理解出来る。
もっとも、帰省の際に馬車内でサイトを“汚い平民”“そんな男”と評した事をそうそう許す気は無いが。
さて、相手が姉であった場合どう対処しようかと思考をルイズが張り巡らせ始めた時、サイトは何も考えずに戸を開けてしまった。
「あ……!!」
声を出すがもう遅い。
最悪、姉との正面衝突も覚悟してルイズは身構えたが、はたして戸の向こうに居たのはルイズにとって意外な人物だった。
「……帰ってきたなら要連絡」
そこに居たのは、普段からの無表情ではあるが、やや怒り気味なのがその張りつめた空気でわかる同級生、碧い髪をした小柄な少女、タバサだった。
ルイズはやや脱力した。
全面的にこちらの思いこみとはいえ、必要以上に身構えてしまった自分が馬鹿らしい。
「なんだタバサか」
「……いきなり「なんだ」は失礼」
身の丈以上の大きな杖をルイズに向けて、タバサはやや睨むように視線をぶつける。
「はいはい、で? 何のようかしら? 私達出かけるつもりなの、用なら手短にしてね。長くなるならそこに転がってるボロ剣……デルフリンガーに言っておいて」
気が抜けたのか、ルイズはややぞんざいな態度でタバサに応じる。
タバサはそんなルイズの態度にやや怒りを感じながら刺々しい口調で口を開いた。
「……約束」
「約束?」
はて? とルイズは首を傾げる。
何かあったかしら、と。
「……タルブ村近郊で貴方は私に貴方の使い魔の元に連れて行ってと頼んできた。代わりに私の頼みを一つ聞く約束」
「あ、ああ……!!」
ルイズは思い出した。
サイトの元に行きたいあまり、なりふり構わずそれを可能なタバサに頼んで連れて行ってもらったのだ。
「そうだったわね、それで貴方の頼みは何?聞けることなら聞くわ」
あれのおかげでサイトの告白を聞けたようなものだ。
ならば感謝の気持ちとして頼みを聞くのも吝かでは無い……のだが。
「……貴方の使い魔を貸して」
やはり、こういう時の嫌な予感という物は当たるものである。