第七十三話【対桃】
「それで……? どうしてこうなっているのだ? 私の小さなルイズ、怒らないから父にちゃんと説明しなさい」
ヴァリエール公爵、もといルイズのパパは額に青筋を立て、プルプルと震える手でカップを持ちながら、ギリギリ平静を保っているように見えなくも無い立ち振る舞いでルイズに尋ねた。
場所は寝室から所変わってテラス。
UCHIKUBI!! UCHIKUBI!! と叫びながら暴れそうになった公爵を良妻(?)賢母(?)なカリーヌが嗜め、ここまで連れてきたのだ。
ちなみにサイトは使用人に連れて行かれた。
公爵がそのように手配したのだ。
興奮冷めやらぬ状態で、その者とルイズが一緒のままの会話などとても出来そうになかった。
その為公爵は使用人を呼びつけ、ルイズに背を向けながら、
『彼は我が娘の使い魔だそうだ、できるだけ“丁重に”扱い、連れて行け』
そう言い、その使用人にしか見えぬように左手を自身の首まで持ってくると、親指だけを伸ばして残りの四本の指は握り、地面を差すように親指を下に向けるとスーッと首の前を横に切った。
使用人はそれを見て、頭を下げ、かしこまりましたと挨拶をしてそれはもう“丁重に”寝ぼけ眼なサイトを連れ出した。
途端、サイトと引き離されそうになったルイズは不満そうだったが、父が「大丈夫、“丁重にもてなすよう”言いつけた、お前は私に状況を説明しなさい。説明が終わればすぐ会える」と言って来た為、渋々それを受け入れた。
ルイズもまた、自身の親にイキナリ不条理を叩きつける程非常識では無かったらしい。
それでも早くサイトの傍に居たいルイズはすぐに質問に答え出て行こうとする。
「どうもこうもありませんわお父様、サイトは私の使い魔にして最愛の人です、あと私はサイトのであってお父様のじゃありません。以上説明終わり。もうサイトの所に行っても良いですか?」
「駄目だルイズ、待ちなさい」
公爵は頬を引きつらせながら目頭を押さえる。
(落ち着け、落ち着くのだ自分……!!)
公爵は言葉の内容を吟味しながらその意図を理解し、再び膨れ上がる怒りを必死に抑えていた。
対してルイズは面白く無さそうに膨れる。
朝のサイトとの一時を邪魔されたのだ。
彼女の不機嫌度は相当なもので、親族でなかったら間違いなく爆殺していたに違いない。
「あの男は使い魔、それも平民なのだろう? ええと……あの男はなんという名だったかな、私の小さなルイズ」
「サイトですわ、サイト・ヒラガ。それと私はお父様のじゃありません。これでもうサイトの所へ行っても良いですか?」
「だから待ちなさいと言っているだろう。久しぶりに会ったのにこのトラブルだ。まずはゆっくり話をだな」
公爵は必死にルイズを宥めながら話を続ける。
いや、続けようとした。
「……!? ……お父様」
「ん? 何だルイズ」
「申し訳ありませんがお話しはここまでです。私はサイトの所へ行きます」
何かを感じたらしいルイズが、
「ダメだ、話が終わるまではそれはならん」
「いいえ行きます。サイトに危険が迫っている……お父様? まさかとは思いますけどお父様の仕業じゃないですよね? 丁重にもてなすよう言いつけたのですよね? 場合によっては私は今後、二度とお父様を“お父様”とお呼びしませんよ?」
「ぬ、ぬわぁんだとぉう!?」
公爵は慌てた。
娘に父と呼ばれない。
何の拷問だそれは!?
たとえハルケギニア大陸に大隆起のような天変地異が起きようとそれだけは納得できない!!
「ちょっと待てルイズ!! それは、それはだけはどうか!!」
「私はサイトの所へ急ぎます」
嫌な予感がするルイズは父に目もくれずにテラスを駆けだした。
***
「何すんだよ!!」
サイトは憤っていた。
寝ぼけ眼で部屋を連れて行かれ、扉が閉じた途端まず腹に一発拳を受けた。
それで完全に覚醒したのだが、腕は即座に後ろ手で縛られ、知らない部屋に連行される始末。
もっとも、サイトはこの広い屋敷のほとんどを知らないので何処へ行っても知らない部屋なのだが。
「旦那様よりお前を“丁重に”扱うよう言われている」
使用人は汚い物を見るような目でサイトを睨み、吐き捨てた。
「これの何処が丁重だよ!? ふざけんな!!」
「黙れ平民!! お嬢様をたぶらかしおって!!」
身動きの出来ないサイトの襟首を掴み、使用人はサイトに凄む。
部屋には既に手配してあったのか、他にも数人の男が居た。
「何だその目は!? 生意気な!!」
サイトの態度……怯まず媚の無い目が気に入らないのか、使用人は革靴を履いた足で腹を蹴り飛ばす。
「かはっ!?」
サイトが大口を開けて苦痛に顔を歪める。
「旦那様は非常にお嬢様達を大事にされている。それを、何処の馬の骨ともしれんお前のような奴がぬけぬけとお嬢様に近づくとは……」
他の使用人がサイトの髪の毛を掴んで持ち上げ、聞いてるのか?とサイトの頬をペチペチと叩く。
「……け……な」
「あ?」
気付けば、サイトが何かを言っている。
「ふ……けんな」
「なんだよ?」
使用人はサイトの髪を掴んだままグラグラと揺らして、挑発する。
「ふざけんなって言ってるんだよ!! 大事にしてる!? だったらなんであんな相手と婚約させてんだ!!」
がぶり!! とサイトは男の手に噛みつく。
「っ!! このガキ!!」
使用人は平民に噛みつかれた事に怒り、大振りでサイトを殴ろうとして手を振り上げ───ガシッ───その手を誰かに掴まれた。
誰だ? と思い振り返ると、そこには─────────
ゆらゆらと揺れる、長い桃色の髪。
怒りに身を震わせる悪魔……ルイズの姿があった。
ルイズは信じられないものをみるかのような顔でサイトを見る。
ルイズによる“サイトアイ”はサイトのお腹の傷まで看破した。
「これはどういうこと?」
ルイズは音が聞こえない足取りで使用人の前に立った。
「あ、その……これは……」
使用人は気まずそうな顔をし、しかし言葉には出さない。
ルイズは苛立ったように眉をピクリと動かし、
「言えないの? ならいいわ……でも、サイトを殴ったのは貴方よね?」
正確には蹴ったのだが、流石にそこまで正確にはルイズはわからない。
使用人がビクリとした。
瞬間、風を切る音がする。
「ぐぼあっ!?」
ルイズの華奢な細い腕がその使用人の腹に深くめり込む。
使用人は崩れ落ち、膝立ちになって地に手を付いた。
とても、少女の繰り出したとは思えない重い一撃だった。
だが、ルイズはそれで使用人には興味を失ったとはかりに視線を外し、急いでサイトの縄を解く。
そこに、ようやく公爵がかけつけた。
ルイズは父……いや、公爵を睨む。
その目は、もう二度と父と呼ばないと暗に告げていた。
「ルイズ!! 待ちなさい!! いや待ってくれ!! 落ち着いて話を……まずはその平民から離れ……」
離れて、そう言おうとしたのを感じて、ルイズはサイトの腕にしがみついてつーんと顔を背けた。
やっている事は子供じみた反抗に見えなくも無いが、公爵にとってその効果はばつぐんだった。
「はああああああ!?」
鼻息を荒くし、最近高くなってきていた血圧をさらに上げて顔を真っ赤にする。
「おのれ貴様!! 我が娘から離れろ!!」
くっついているのはルイズだったが、公爵の目にはサイトがルイズを抱き寄せ自分に悪辣な笑みを向けているように見える。
被害妄想率100%だった。
しかし、サイトも聞き逃せない言葉があった。
「娘……? ってことはルイズのお父さんか……!!」
「一応家系図上は血の繋がった、ね」
ルイズが補足するが、一応という言葉に公爵は内心深く傷つき、それすらも言わせているのはあの平民だと思い始めた。
「貴様!! 我が娘をたぶらかすとはいい度胸だ!! 打ち首……いやUCHIKUBIにしてくれる!!」
杖を公爵は向ける。
だがサイトも怯まずデルフリンガーを構えて、昨日と同じ質問をした。
「俺は貴方に聞きたいことがあったんだ」
「フン、何だ?」
公爵とて理解ある? 人である。
話をされてはまずその話に耳を傾けるは必定だった。
それに対してサイトは遠慮なく質問を投げかける。
「何でルイズをあんなワルドなんかと婚約させたのか」
意識を失う前のルイズ母の言葉をサイトは覚えている。
決めたのは自分ではなく夫だと。
「フン、そんなことか。平民ではわからんだろうがな、貴族は名誉や名前を重んじるのだ、それが高いほど貴族にとっては誉れとなる。誉れこそ上位貴族の証!! それを娘に望むのは当然のことだ」
「なん、だって!?」
言われた通りサイトにはわからないし納得できない。
“そんなこと”の為に勝手な? 婚約をとりつけていたのか、と。
「奴は子爵と爵位は低かったがウチと結ばれればそれだけで位は大きくなるだろう。加えて“魔法衛士隊の上位になるという約束”も果たしている。まぁ……隊長にまでなるとは驚いたが。今回、こんな事になってしまったのは確かに残念だが、私とて一人の父親であり、貴族の父親だ、奴が国を裏切ったりなどせねば娘は貴族としては幸せな位置につける予定だったのだ、そうなるよう娘の幸せを願って何が悪い!?」
サイトは怒る。
違う、それは違うと。
そんなの幸せじゃないと。
だが、サイトの知らない貴族社会でそれは当然であり、むしろ喜ばれる類のものであった。
そういった“角度”から鑑みれば、確かに公爵は娘の為を思っていた。
無論、サイトは納得するつもりは無いが。
「ふざんけんな!! 誉れや誇りがあれば相手はどんなのだって良いのかよ!? あいつはルイズを殺そうとしたんだ!!」
「良いわけなかろう愚か者が!!」
「だったらなん……え? なんだって?」
予想外の答えにサイトは首を傾げる。
「ワルドめがルイズを殺そうとしたというのは初耳だ。だがどちらにしても私は結婚させてもルイズを奴の好きにさせる気など毛頭無かったわ!! ハッ!? 同棲? 二人きり? 子作り? 私の可愛いルイズにそんなこと誰がさせるかブワァーカ!! 覚えておけ小僧!! この世には名前だけの結婚など腐るほどあるのだ!! ハッハッハッ!!」
公爵以外知らなかった(カリーヌですら知らなかった)驚くべき真実。
公爵は結婚させても二人の好きにさせる気は毛頭無かったらしい。
実際名前だけの政略結婚などハルケギニアではありふれているが、子作りまで管理しようとはなんという親馬鹿か。
というか普通、名前だけの結婚でも跡継ぎの関係で子供は必要になる。
しかし公爵はあまりにテンションが上がってしまったのか自身の親馬鹿加減や穴のある理論には気付いておらず、ルイズの「だから私はサイトのです」という言葉も聞き流して有頂天に笑っていた。
サイトも呆れていた。
この人は本当にルイズを思っているのかそうでないのかわからなくなってきた。
だが、その一瞬の隙を突いた公爵が、
「それでは知りたかったことも知ったところで……死ねい!! UCHIKUBIじゃあ!!」
サイトに火球を放った……がそれはデルフに打ち消される。
「何ィ!?」
驚愕に目を見開く公爵。
平民が魔法を無効化できるなど思っていなかったらしい。
魔法を向けられたサイトは公爵を睨むが、それより怒っている人物が居た。
「サイトに魔法を向けるなんて、もう許さない!!」
ルイズである。
ルイズの目は既に公爵を父として見ていなかった。
もはや排除の対象としてしか見ていないその目は、公爵を絶望に叩き落すには十分だったがしかし、
「ほぅ……ルイズ? まさか貴方、自分の父に向かって反抗するつもりですか?」
そこに、ルイズと同じ桃色の髪を長く伸ばしたヴァリエール家の真の支配者、“烈風”がそんなことは許さないと立ちはだかった。
今ここに、桃色の悪魔が、双対を為して相打とうとしていた。