777リクエスト記念番外編【ルイズの花嫁修業】
その日、急用でどうしても少しの間ルイズはサイトから離れなくてはいけなくなってしまった。
サイトはこの機会にそれじゃ一人で散歩してくる、とついて来て欲しそうなルイズに気付かずその辺をぶらつくことにした。
そうしていると学院の廊下で、
「やぁサイト、一人とは珍しいね」
光り輝く金の髪に、やや胸を開いた白いシャツ。
彼唯一の友人とも言える華と気品が感じられる少年、ギーシュ・ド・グラモンに話しかけられた。
「ああギーシュ、何だよ、俺だっていつもルイズと一緒なわけじゃないぞ」
「そうかな?僕の知る限りほぼ一緒だけど」
「まぁ一緒の時間が長いことは認めるけどさ」
ルイズはその時、速攻で用事を終わらせ、丁度サイトの傍に戻ってくる所だった。
サイトにまた“変な虫”が付いていると思い歩を進めたのだが、次の言葉、
「ふうん、僕から見ると何だか永年連れ添ったパートナーのようにも見えるけどね」
を聞いて咄嗟に影……廊下の曲がり角に身を隠した。
ギーシュ、偶には良いことを言うじゃない……とルイズは内心ほくそ笑む。
すぐにでもその“長年連れ添ったパートナー”に見える体勢に戻っても良かったのだが、折角だし、ここはサイトの反応が気がかりだったので影から様子を見ることにした。
ああ、ほんの十五分ぶりだけど今のサイトもなんて素晴らしいんだろうと頬をとろけさせながら。
十五分というのは短いと思う人もいるかもしれないが、ただ十五分過ぎるのを待っているだけだと、やたらと遅く感じる。
体感速度が人によっても状況によっても違い、ルイズはサイトが居るのと居ないとで、それが大幅に変わる。
今回、ほんの十五分彼の元を離れただけで、ルイズは一日彼と会っていないかのような錯覚さえ憶えているのだから、体感速度は侮れない。
故に、彼女が一度サイトを失ってから彼に会えるまでの年数は、体感時間にしてどれほどのものだったかは計り知れぬ物だったと言えよう。
サイトはギーシュの言葉に照れ、慌てる。
「そ、そこまでじゃねぇよ!!お前だって俺とルイズが会ってからの期間は知っているだろ!?」
「おや?何をそんなに顔を赤くしてるんだい?実際の時間なんて関係ないさ。サイトの女性の好みはルイズなんだろう?」
影で話を聞いていたルイズはもうニヤケが止まらない。
ギーシュ、グッジョブ!!とルイズにしては珍しくギーシュに内心賛辞を送っていたのだが……、
「好み……?俺の好みか……そうだな、やっぱり日本美人、かな?」
ピシッ!!っとルイズの体が水の魔法をかけられたように凍り付く。
“ニホンビジン”って何!?
ルイズは見たことも聞いたことも無い強大な敵に震えた。
サイトが“それ”を好きだと言うのならば、自分は身命をかけてそれにならなければならない。
「サイト、その“ニホンビジン”って主にどんな感じなんだい?女性のことを表すんだろ?少し僕も興味が湧いてきたよ」
ギーシュは女性のこととなると、少し普段よりも好奇心旺盛になる。
紳士らしい彼唯一の欠点とも言えるが、完璧な人間など居ないし、そうであるほうが年頃の少年らしい。
ルイズは思わず腰を低くして臨戦態勢に入った。
耳をヒクヒクとひくつかせ、ただの一言一句たりとも聞き逃さないようにサイトに集中する。
「どんな感じって言ってもなぁ、優しくて、綺麗で、料理が上手くて……うん、炊事洗濯がバッチリな人ってとこかな」
結構な偏見だが、上手く説明出来ないサイトは、思いつく限りの言葉で答えた。
「そうなのかい、それって貴族にはあまりいそうに無いね、料理はともかく、洗濯なんてほぼ自分じゃしないし」
「まぁ俺は将来、美味しいみそ汁が作れる人と一緒になりたかいなぁ、洗濯は自分でも出来るし」
「“ミソシル”?また知らない単語が出てきたよ、それは料理かい?」
「ああ、俺の世界の……日本を代表するスープさ」
サイト達の無邪気で楽しそうな会話は続く。
だが、ルイズは心中穏やかではいられなかった。
(ニホン……?サイトはチキュウから来たんでしょう?私はサイトに本当のことを教えてもらっていないの?)
ルイズは不安で胸が一杯になる。
ニホンという言葉に全く聞き覚えが無いわけではないが、彼女はその時は動転し正しい意味に結びつけなかった。
自分の知らない、自分の記憶とも食い違う事を言うサイトは、もしかしたら本当は自分が嫌いで嫌いでしょうがないのではないか。
また、自分を置いて何処かに行ってしまうのではないか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
サイトと居たい。
サイトと共にすごしたい。
可能な限りサイトと一緒でありたい。
幸いまだサイトが離れていく素振りは見えないが、それも時間の問題かもしれないと思ったら身震いがした。
サイトが居なくなるなんてもう耐えられない。
だが“ニホンビジン”になればサイトに好かれる。
好かれる。
好かれる。
好かれる!!
かくして、ルイズは厨房を貸し切り料理に興じるのであった。
部屋でのサイトの下着は既に洗濯済みである。
それはもう丁寧に端正込めて手洗いで洗った。
途中何度もサイトの匂いをくんかくんかした。
洗っている時間よりくんかくんかしている時間の方が長いほどくんかくんかした。
洗濯をして段々と石けんの匂いで彼の匂いが消えていくのは悲しいが、この石けんの匂いは自分がいつも使っているものである。
サイトは以前この匂いを“ルイズの匂いっていい匂いだな”と評してくれたことがあるので、彼が自分の匂いに染まっているのだと思えばそれもそんなには気にならなかった。
洗濯を自称完璧にこなしたルイズは、次は炊事だと思い目の前の食材を睨み付ける。
料理は……ある程度出来る。
だが、残念なことにルイズは“ミソシル”なるスープのレシピを知らなかった。
料理長のマルトーに問い詰めても怯えられながらわからないと言われる。
恐らくサイトの土地固有のものなのだろう。
だが、だからといって“ミソシル”を作れなければサイトに嫌われてしまう。
既にルイズはこの“ニホンビジンになる”という超重大ミッションの失敗=サイトに嫌われるという図式ができあがっていた。
……やるしかない。
それっぽいスープを作って、「アレンジしたの」と誤魔化し、サイトに気に入って貰うしかない。
そうだ、似ていて美味しければ気に入って貰えるはず。
気に入って貰えなかったら……その時は終わりだ。
そうなったらこの命に意味など無い。
だからその時は……とルイズは包丁を強く握りしめる。
鈍色に光る包丁に、ルイズの虚無を宿した瞳を持つ顔が映っていた。
***
「ただいまー」
サイトはルイズの部屋に戻ってきた。
珍しくこの時間までルイズと別行動だった。
なんだか身軽ではあったが少々物足りないとうか、寂しくもあった。
だから、サイトにしては珍しく、ずっと見ているルイズの顔を見たいと思いを込めて扉をくぐった……のだが。
「おかえりなさいませ」
制服の上に白いエプロンという服装を身に宿したルイズが、何処で憶えたのか三つ指ついてサイトを跪きながら出迎えた。
「は!?」
思わず固まる。
一体何事なのだこれは?
サイトは混乱し、どうしたもんかとあわあわする。
しかしルイズも“ニホンビジン”になるため必死だった。
「サイトの下着はちゃんと綺麗に洗っておいたわ」
ルイズはすぐさま、まず炊事洗濯のうち、洗濯の腕を披露することにした。
出迎えから淑やかさは見せたし、次々とサイトの好みを見せていかなければならない。
サイトは「洗濯……?」と不思議そうにルイズが向ける方を見、固まった。
そこにあるのは青と緑のシマシマ柄……いわゆるストライプの……トランンクスだった。
「……これ、ルイズが洗ったの?」
「ええ」
「……洗濯機、なんて無いから手洗いで?」
「“センタクキ”?よくわからないけど、ええ、私がサイトの為に端正込めて手洗いしたわ」
「………………」
サイトは引きつった笑みでトランクスを見つめる。
汚されちゃった、俺汚されちゃったよ、と内心思うが、トランクスはバッチリ綺麗になっている。
「それでねサイト、今日は私がサイトの為にその、料理を作ったの。食べてくれる?」
「え……?」
なんだかもう立ち直れそうに無い……なんでこんなことを……?などと思っているサイトの鼻に、お腹を鳴らせる程の匂いが入ってきた。
ルイズが銀の半球の蓋を取り、小さなテーブルにささやかながら食事が用意されている。
「おお!?いい匂い!!美味そうだ!!」
先程受けた精神的ダメージも忘れ、サイトは顔を朗らかに崩して子供のように喜びはしゃぐ。
「はいサイト」
椅子を引き、彼の食事を甲斐甲斐しく先導し優しさをアピールする。
サイトは今日は何かの記念日か?などと訝しんだが、あまりに美味しそうなテーブルからの匂いにそれもどうでもよくなり、早く食べたいと胃が急かす。
「どうぞ召し上がれ」
許可を得たサイトはわーい♪と子供みたいに食事に手を付け始めた。
大きめのハンバーグ、それに付いているオレンジの人参のようで少し違う野菜、柔らかいパン。
サイトは美味い美味いとそれらを頬張り、スープにも口を付けた。
「……ん!?」
飲んで驚く。
このスープ……、
「あ、あのねサイト、そ、それはそのアレンジ作品なんだけどミ、“ミソシ「美味いなこれ!!何のスープなんだ?」ル”……え?」
サイトの輝くような笑顔にルイズは胸をトクンと弾ませながらも、背中には冷たい汗が流れる。
「えっと、わからない……?」
「ああ、凄い美味いぞ!!全然知らない味だけど」
「……っ!!」
ルイズの手が止まる。
終わった。
嫌われた。
ルイズの中で絶望が駆けめぐる。
サイトがそれを“ミソシル”と思わないなら、それは“ミソシル”ではないのだ。
そもそも、スープ系料理というのがわかっているだけで、名前だけからその料理を作るなどプロでも難しい。
だが、ルイズは唯一の希望から滑り落ちた気分だった。
「う、うぅ……うわぁぁぁん!!き゛ら゛わ゛な゛い゛て゛サ゛イ゛ト゛ォ゛!!」
サイトに飛びつき泣きわめく。
この温もりを離したくない、離れたくない、失いたくない!!
「ちょっ!?ええ?おいルイズ!?」
サイトは突然のルイズの豹変に驚き、ルイズを受け止める事しかできない。
ルイズは“ミソシル”を作れなかった。
それではサイトに好かれない=嫌われるのだ。
「き゛ら゛わ゛な゛い゛て゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」
「大丈夫だって、嫌わないって、落ち着けよ!?」
意味不明なサイトは必死にルイズを宥める。
その後サイトはなんとかルイズの誤解を解いた。
日本とは地球にある国の一つで、故郷なこと。
ルイズを嫌う理由は無い事。
最後に、これだけ美味い料理が作れるなら良いお嫁さんになれると言い、ルイズを完膚無きまでに喜ばせた。
ルイズは嬉しさのあまりにサイトをベッドへと押し倒し、無理矢理に唇を押し当てる。
舌を口内に滑り込ませ、サイトの舌を飴を舐めるかのようにしつこく口内で転がした。
何せ半日はサイトと離れていたのだ。
その上サイトからのプロポーズにも似たような言葉をもらっては、彼女は我慢できなかった。
その日、結局サイトは残りの食事が出来ず、代わりにルイズの舌を存分に味わうハメになった。
と、いうところでルイズは目が覚めた。
目の前には自分が用意した銀蓋によって隠れている食事。
丁度正面の扉が開き、サイトが帰って来た。
さっきまでのは夢だったのか、何処から何処までが夢だったのか。
ただ、綺麗になったトランクスが、部屋の光源であるランプによって煌々と照らされていた。