第六十七話【再臨】
「マリコルヌの奴、あれだけ念を押してきたくせに自分はまだ来てないじゃないか」
ふぁ、と欠伸を漏らしてギーシュは火の塔に背もたれる。
夜空には双月が昇り、今宵も満足に学院を照らしていた。
全く、こんな時間に何のようなんだ、とギーシュは内心やや悪態をつきながら友人を待っていた。
友人を待っていた筈だった。
「え……ギーシュ、さま……?」
だから、その驚愕するような女性の声を聞いた時、彼は驚いた。
いや、理解した、というべきか。
「ケティ……? どうしてここに……いや、マリコルヌめ、そういうことか……」
ギーシュは突然現れたケティに面食らい、しかしすぐに事の成り行きに納得する。
(マリコルヌ、頼むから僕の足の寿命を縮めないでくれ!!)
ギーシュは足をさすりながらここには居ない友人に怒りをぶつけた。
夜はまだ長い。
***
叫んで突進したモンモランシーは、体中から殺気を迸らせて杖を振り、無数の水球を作ってマリコルヌへと叩き込む。
一方マリコルヌはずっしりと構えたままエアカッターで全てを切り刻み、相殺してみせた。
「マリコルヌ、貴方はやってはいけないことをやったわ!!」
「君が何と言おうと、僕は……僕の為にここを死守する!! そうすることが僕の使命なんだ、そうなるべきなんだ!! そうならなきゃダメなんだ!!」
自分に言い聞かせ、それが正しいとばかりにマリコルヌはモンモランシーを睨みすえる。
殺気を込め何度か魔法を放ったモンモランシーだが、“当たれば”致命傷クラスの攻撃を、マリコルヌは見事に受け流していた。
魔法では埒があきそうに無い。
だがこのままではケティとギーシュが進展してしまいかねない!!
「このデブ!! せっかく(心の中でケティとの仲を)応援してあげたのに!!」
「モンモランシィィィィィィ!! 君は今言ってはいけないことを言った、言ってはいけないことを言ったぞ!! 僕はデブじゃない!!」
「うるさい!! デブじゃなけりゃなんなのよ!! さっさとそこをどかないとアンタから先に足を引っこ抜くわよ!!」
この時、火の塔にいるギーシュは何故か悪寒を感じた……かどうかは定かではない。
「僕はデブじゃない!! 僕は体が少し大きい人だ!! 僕はデブじゃないんだぁぁぁぁぁ!!」
マリコルヌが一瞬、自分を見失ったかのように顔を抑えて首を振る。
チャンス!! とモンモランシーは奥へ行こうとしたが、すぐに正気になったマリコルヌに通せんぼされる。
「しつこいのよアンタ!!」
モンモランシーの細い脚からの蹴りがふくよかで弾力のある腹に命中する。
「ぐぅ……!! だが通さん!!」
漢マリコルヌは苦痛に顔を歪めながらもこの場を引かない。
二人の激闘は続く。
***
「むぅ」
「どうしたの、サイト」
ルイズは難しい顔をするサイトを彼の胸の中で上目遣いに見やる。
それにくらっと来るサイトだが、ここは理性をフル稼働させてそれに耐える。
「いや、外が随分騒がしいなって思って」
「もしかしてさっきからそれを気にして中々私の背中に手を回してくれないの?」
「え?あ、いや……俺そんなこと毎日してるっけ?」
「うん、正確にはサイトが眠った後だけど……」
「おおう……俺って抱き枕使った事無いけどそんな寝相だったのか……」
初めて知る自分の寝相に少し渋い顔をするサイト。
だが、それには少し誤りがあった。
本人の与り知らぬところ、つまり彼が眠った後、ルイズは毎晩のようにサイトが自身を抱きしめるように腕を回させた。
最初はほとんど眠っているサイトに力は入っていなかったが、それも回を重ねるごとに本人すら与り知らぬ所で体が覚えてきたのか、そうすることが自然になり、とうとう眠ったら自分から腕をルイズの背に回すようになってきた。
最近は少し力も込められるようになり、ルイズとしては毎晩一緒に寝て来た甲斐を感じていたのだ。
サイトより抱きしめられて眠る……こんな幸せがあるだろうか!!
だと言うのに、今日は外がうるさくて未だサイトに遠慮が見られる。
オマケにそのサイトが外がうるさくて眠れないと困っているのだ。
ルイズの、外の喧騒に対する不満ボルテージが上がった。
***
「このっこのっこのっ!! 何よ? ちょっとは反撃するとか無いわけ!?」
もう魔法では埒があかないと悟ったモンモランシーは、先ほど上手く蹴りが効いたことから、女子にあるまじき? 思考回路、拳に物を言わせることにした。
するとマリコルヌは当初と違いやられるがままになった。
「馬鹿にするなよモンモランシー!! 僕は女性の体を触れど攻撃はしない!!」
格好良いようで痴漢発言にも似たマリコルヌの言葉に、モンモランシーは容赦なく足蹴りで答える。
「うるさい!! だったら、さっさと、ここを、通しなさい!!」
「ぐえっ!? だめだっ!! げふっ!? ここは……通さなごほっ!?」
マリコルヌはボコボコにされながらも彼女の行く手を阻む。
彼にも譲れない一線があるのだ。
「う~しつこい!! 腕の一本や二本折るわよ!! このこのこのこのこのこのこの!!」
「あだっ!? げぇっ!? あんっ♪ ぐふぇ!? がふっ!? おあっ!? うぅん♪ いでっ!?」
もはや優位性はモンモランシーにあり、マリコルヌはただ踏まれるだけとなった。
それでも彼は、呻き声と時々何故か嬉しそうな声を上げながら彼女が奥へ行くのを阻止すべく彼女の足を掴む。
「はーなーせぇー!!」
「いーやーだぁー!!」
もはや子供喧嘩に成り下がった二人の激闘はまだ続く。
***
「眠れん……」
サイトは溜息を吐く。
うるさくてまったく眠気が来ない。
「大丈夫サイト?」
「ああ、ただ眠れないだけだから……しかし外は一体何やってんだ?」
サイトは外の喧騒が気になって眠れないらしい。
そのせいで、いつもは緊張等からか意識と体がずっとルイズに向いているサイトも、今日は全くルイズを意識していなかった。
ルイズは一緒に居てくれるだけで十分嬉しいのだが、彼が毎晩ドキドキと緊張しながら自分を胸の中に居させてくれる環境が気に入ってもいるルイズとしては、別要因でそれが為されないのは不満だった。
最近では、サイトが少々我慢できなくなったのか、スケベ根性……もとい“誤って”寝ている時にルイズの体の一部を触れるまでになってきたというのに。
飽くまで、サイトが寝ている“ように見える時限定”での話ではあるが。
無論、その時サイトが起きているかどうかはサイト以外に知る術は無い。
ルイズとしては今夜は何処を触られるか、地味に楽しみしていたのに、それもまたお預け状態である。
またルイズの、外の喧騒に対する不満ボルテージが上がる。
***
モンモランシーは足を掴まれながらも無理矢理に前に進もうとする。
「くぬぅぅぅ、お、重い……」
「フ、フハハハハハッ!! デブとか馬鹿にしたツケがここで回って来たのさ!! 君は僕をデブ呼ばわりするべきじゃなかった、そう、呼ぶべきじゃなかったんだ!!」
「うるさい」
空気が凍る。
いい加減、モンモランシーにも限界というものが来たらしい。
いっそ、ここに真っ赤なチューリップを咲かせるのもやぶさかではない程に、彼女の心の波紋は一度収まっていく。
ヒュッと風を切る音ともにマリコルヌのぷにぷにした腹にモンモランシーは杖を突きつけ……グッと押し込んで脂肪の中に杖をめり込ませる。
「零距離射撃、これは流石にかわせないでしょう? “これが最後”よマリコルヌ。離しなさい」
腹をつつかれるように杖を突きつけられているマリコルヌは、そんな感情をも消したモンモランシーの顔を見て、しかし、
「その時は、僕も容赦しない」
急に、腹の底から搾り出したような、低い声でモンモランシーに答えた。
モンモランシーの足に抱きつくようにして彼女を足止めしているその様は見るも滑稽な姿だが、彼の瞳だけは、恐ろしいくらいに真剣だった。
だが、今のモンモランシーはそれに怯えてやるほど、心に余裕は無い。
「そう、なら、これでサヨナラね、マリコルヌ」
彼女が杖に力を込め、魔法を発動しようとし、
「あ……」
マリコルヌの情けない声が上がった。
彼の視線の先、それは……モンモランシーのスカートの中だった。
彼はモンモランシーの細く白い足を抱くようにして彼女を抑えている。
そのモンモランシーが無理な体勢を取れば、中が見えるは必定だった。
「!? どこ見てるのよっ!?」
モンモランシーは魔法を発動させる事も忘れ、即座に彼を蹴り飛ばす。
ぶっとばされたマリコルヌは、軽快に転がりながら彼女の行く手を阻むようにすぐに立ち上がった。
「ううっ♪ い、いや誤解するなよモンモランシー!! 僕は君のパンツなどに興味は無い!!」
「黙れ変態マゾヒニスト!!」
「だから誤解するな!! 僕は変態じゃない!! 誰が君のパンツなんかに興味を持つものか!! 僕が興味あるのはケティのパンツだけだ!!」
何故かマゾの部分の否定はせず、持論を堂々と晒け出すマリコルヌ。
今彼は完全な漢になった。
しかし、そんなに騒がしくしていれば当然、
「何をやっているんだ君たちは……?」
「マ、マリコルヌ様、私をいつもそんな目で……?」
近くの火の塔の二人が来るのは必定だった。
ギーシュは呆れて額に手を当て、ケティはマリコルヌを汚物でも見るかのような目で見ている。
「ギーシュ!! 私、私汚されちゃった!!」
「いや、ただ下着を見られただけだろう。もっとも、その栄誉を僕より先に果たしたマリコルヌには今夜のことも含めてイロイロ言いたいことがあるが」
「え? ギーシュって見たかったの?」
「い、いや、紳士の僕としてそれは……その……しかしだね……」
「マリコルヌ様の変態!!」
「い、いやこれは違うんだケティ!! 僕は変態じゃない!!」
「変態!! ド変態!! マゾ!! いつも私をそんな目で見ていたんですか!? 私が貴方を踏むところを想像していたんですか!?」
「ち、違う!! 僕は変態じゃない!! 誤解だよケティ!!」
「なんでマゾの部分は否定しないんですかーーー!?」
人が増えたことで、さらに、騒がしさが増していく。
──────────ズンッ!!
ふと、ギーシュはその喧騒の中、聞き知った足音を聞いた。
──────────ズンッ!!
ふと、マリコルヌはその喧騒の中、経験したことのある悪寒を感じた。
黒い、真っ黒い、先程マリコルヌやモンモラシーが発していたソレとは比べものにならないほどの禍々しいオーラが、立ち上る。
ギーシュはそれに気付いた。
マリコルヌはそれに気付いた。
二人は同時に手を合わせ天に祈るようにして許しを請うた。
彼らの防衛本能がアレには逆らうなと、経験がアレには逆らうなと、何があっても逆らってはダメだと必死に教える。
「うるさいのよアンタら、サイトが眠れないって言ってるの、おわかり?」
男性陣には覚えのある、女性陣には認識の薄い、桃色の悪魔が、今再びここに降臨した。