第六十六話【策謀】
「ねぇ知ってる?」
ルイズが広場のテラスでテーブルに付きながらサイトと二人きりの至福の時間を過ごしていると、同級生のキュルケが通りかかった。
正直、ルイズは邪魔者の出現に苛立ちを隠せないが、サイトが居ない間面倒を見てくれていた時のことはちゃんと憶えている。
まだ常人として些か残っていたらしいルイズの理性が、この場は理不尽に追い返すことはしないでおいてやるという結論に至り、彼女の話を聞くことにした。
「何よキュルケ、私はサイトと二人で居たいの。用があるなら手短にね」
言葉の端々までは彼女の不機嫌さを隠すことが出来なかったが、それでもキュルケがこの場での同席を許されたことはこれまでのルイズを知る者から見たら大変な事である。
明日はアルビオンが突如浮力を失って降ってきてもおかしくないくらい大変なことである。
「あら? 随分な物言いね? 体調が良くなった途端この憎まれ口だもの。全くあなた達の夫婦喧嘩には付き合ってらんないわ」
「夫婦喧嘩!? キュルケ、貴方は見る目があるわ、もっと言いなさい」
「ちょ、貴方ねぇ、皮肉ってものを知らないの!?」
サイトが引きつった笑みで女通しのやり取りを見ている。
ルイズは相変わらずだが、それに普通に対応するキュルケもそれなりに兵だ。
強者ではなく兵だ。
「まぁまぁ、んで知ってるって何のことだ?」
サイトはそんな女性通しの会話を微笑ましそうに見ながら、話を戻した。
このままではルイズがどんな痴態を晒すかわかったものではない。
もっとも、本人がそれを痴態と思っているかどうかは別だが……他人に夫婦と言うことを強制するのはサイトにとって十分恥ずかしかった。
「え? ああ、そうそう、深夜に出会った男女が結ばれるって噂よ、ウ・ワ・サ♪」
キュルケが茶目っ気たっぷりな目で二人を見つめる。
「何だかうさんくさいわね」
対してルイズはあまり興味なさ気だった。
そんなに簡単にサイトの心をゲット出来れば苦労は無かったのだ。
まぁ、今はそれも考える必要の無いものとなった、いわゆる勝ち組に在籍してるが故の思考だが。
キュルケはスイッチが入ったように饒舌に語っていた。
「ウチ学院の火の塔、その付近で深夜に出会った男女は結ばれるって噂が少し前からはやっているのよ!! それもちゃんと男女一組じゃないとダメらしくて、二人以上になると上手くいかないらしいわ!! やっぱり恋の炎というだけあって火は情熱を感じるわ!!」
キュルケは目を爛々と輝かせて噂話を語り続ける。
彼女も恋愛経験はあれど年頃故にそういった話に興味は尽きない。
と、サイトにはキュルケの言った場所に心当たりがあった。
「あれ? 火の塔って前に行かなかったっけ? 俺ら」
「ええ、月見の為に深夜に行ったわ。その噂話は間違いなく本当ね、私とサイトはこの通りだもの」
最初にうさんくさいと言った舌の根も乾かぬうちにルイズは意見をひっくり返す。
自分……もとい自分とサイトに良い方向へと行く話題なら、それは全て肯定となるのだ。
「でも知らなかったなぁ、そんな噂があるなんて。ルイズ知ってたか?」
「いいえ、私も知らなかったわ。知ってたらもっと早くサイトと行ってたもの」
それはそうなのである。
誰も知る由も無いが、何せこの噂の発端はルイズ達なのだ。
「……へぇ」
キュルケは、サイトがルイズと話だしてからあえて黙っていた。
二人が仲直りしたらしいことは聞いていたが、あれほどの惨状を見た後では、それも少し半信半疑だったのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「二人とも本当にヨリを戻したのね、何があったのか大いに気になるところだわ」
何せルイズはあそこまで茫然自失状態だったのだ。
並大抵のことではこれだけ早く明るい自我の快復は望めないと思える程酷かったので、これは素直に気になった。
あの戦争開戦の日のサイトの頑張りようから、彼が何かした結果だという予想はついているのだが、二人の間に何があったのか、“微熱”としてその真偽を知りたくもあったのだ。
ルイズは、キュルケの興味津々な顔を見て、
「サイトがね、俺に惚れさせてやる!! って言ってくれたの」
サイトに言われた言葉を教えながら「キャッ♪」なんて声を上げて頬を染めた。
サイトはテーブルに突っ伏す。
恥ずかしい。
言った事事態は後悔して無いが死ぬほど恥ずかしい。
穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。
話を聞いたキュルケは成る程と頷いた。
彼女はサイトより、ルイズに自分じゃない誰かと重ねられていた、と聞いている。
厳密には違うのだが、キュルケにそれを知る術は無く、また彼女にとってそこはどうでもいい。
彼女が着眼したのは、「俺に惚れさせてやる」というサイトの言葉である。
それは、ツェルプストーがやってきた“略奪愛”に似た、いやそれそのものでは無かろうか。
そう思うと、俄然キュルケの興味はサイトに向いた。
「ふぅん、それって略奪愛ってことよねぇ、じゃあ私が惚れさせるって言ったら惚れてもらえるのかしら?」
────────ピキッ────────
空気が凍った。
「……話は終わりよ“ツェルプストー”何処へなりとも行きなさい」
「あら? 奇遇ね、私も貴方との話は終わった所よ。ねぇ“ダーリン”?」
「何がダーリンよ!! そう言っていいのは私だけなの!!」
「独占欲の強い女は嫌われるわよ“ヴァリエール”、私ならこの豊満なボディで全てを包容してみせるわ」
今までは、この間の恩から珍しく理性が表出していたルイズだが、既に彼女に理性はない。
お互いの呼び名が家名になっていることからも、その心に余裕が無い事が窺える。
今なら本当にアルビオンを降らせることもできそうなほど、ルイズはキュルケに敵意を向け、ウッと彼女が怯んだ所で、
「あれ? あそこにいるのギーシュだ」
気の抜けたようなサイトの声が、場を一旦停止させた。
***
「なぁギーシュ、時間を作ってくれないか」
「またかい? 君もいい加減しつこいね」
ギーシュは少し辟易していた。
一体何が彼をそこまでさせるのか。
恋の為と言えば聞こえは良いが、彼のそれは酷く歪んでいる。
いい加減、自分の事は一時棚上げし彼に言うべきか、と思ったのだが、
「いや、今日は僕の為に空けて欲しいんだ。そうだな、深夜が良い」
「へ?」
意外な言葉に素っ頓狂な声を上げる。
「な? 良いだろ? 僕にも少し思うことがあってちょっと君に付き合ってもらいたいんだが、人目のある昼間じゃ困るんだ。だから深夜……そうだな、火の塔のあの辺りでどうだい?」
「う~ん、そういうことなら、まぁ良いよ、マリコルヌ」
ギーシュとて友達を無碍に扱う人間ではない。
彼が“自分の為”と言って来るなら、付き合おう。
そういう気になった。
「そうか、助かる。絶対に来てくれよ……絶対だからな」
「あ、うん……」
最後、搾り出すように言ったマリコルヌの、その輝きの無い目がギーシュに有無を言わさない迫力があった。
***
一連のやり取りを見ていた三人は、マリコルヌの異質さのおかげか一旦冷静になった。
「“ツェルプストー”、お祈りは済んだのかしら?」
訂正。
冷静になったのは二人だけだった。
これ以上からかってもやぶ蛇でしかないと悟ったキュルケは、
「ちょっと熱くなりすぎたわね、今日の所はもうやめておくわ。じゃあね、ダーリン♪」
サイトに手を振り、残った手で投げキッスをして去っていく。
「ツェェェルプストォォォォォ……お!?」
その行動に怒り心頭になったルイズが杖を掲げるが、焦ったサイトがルイズの杖を奪おうとしてもつれ込み、押し倒す形で転倒しそうになる。
サイトはしまった、と自身の体勢を立て直しつつルイズを思い切り引っ張り、結果彼女はサイトの胸に納まった。
「……あ」
サイトはこれまたしまった、と思うがこれこそ時既に遅し。
ルイズはすりすりとサイトの胸板に頬を寄せていた。
既に先程の怒りはどこぞへと消え失せていた。
***
「あれ? いないわね……」
モンモランシーはギーシュの部屋を尋ねていた。
しかし彼の人の姿は無い。
折角面白そうな話、火の塔の噂を聞いたのだが、これでは試そうにも試せない。
「むぅ、つまらないわね、やっぱこの間足のことをつい口走っちゃったせいで少し警戒されてるのかしら?」
失敗失敗、とモンモランシーは舌を出して自身の頭を軽く小突き反省する。
さて、ギーシュもいないしどうしようかな、とモンモランシーが歩を進めると、
「じゃあケティ、今夜火の塔で」
同じクラスの小太りな少年、マリコルヌが下級生を火の塔に誘っているらしい現場に出くわした。
さっと影に隠れる。
あの娘は確かギーシュに気がある娘だったはず。
モンモランシーは気を利かせてその場には立ち入らず、内心で「いいぞもっとやれ」などと思いながら来た道を戻り始めた。
「この場にギーシュがいたら完璧だったのに……いえ、今からでも遅くないかしら……?」
ウフフ、とスキップでモンモランシーはギーシュの部屋へと戻る。
ギーシュにこのことを話し、これで心置きなく一途になってもらおうというのだ。
なんて完璧な作戦!!
そう思っていたのは勝手にギーシュの部屋に入って彼を待ち、一時間が経つ頃までだった。
彼がなかなか戻ってこない。
これはおかしい。
だがもう少し待てば帰って来るかもしれない。
もう少し待ってみよう。
そう何度も繰り返してるうちに、気付けば時間は深夜だった。
これはいくらなんでもおかしい。
彼は何処へ行ったのだろう?
そうだ、こんな時、“彼”ならばギーシュの事を知っているのではなかろうか。
***
「何? モンモランシー? 私とサイトの至福の時を邪魔するなんていくら貴方でも許せないんだけど?」
ルイズは怒り心頭だった。
これからサイトの甘い匂いを嗅ぎ、優しい腕の中で、約束された幸福の絶頂を味わうところだったのだ。
「貴方はギーシュとずっと居ればいいでしょう?ここに来る必要は無いはずよ」
だからさっさとカエレ、とルイズはモンモランシーに出て行くよう促す。
一刻も早くサイトにダイヴしたいのだ、一秒でも長く彼に包まれていたいのだ。
「そのギーシュが帰ってこないのよ、貴方の使い魔なら何か知ってるかと思って」
ルイズの後ろで話を聞いていたらしいサイトは、ギーシュの名前を聞いて、
「ギーシュ? あれ?ギーシュって昼間あの男に誘われて深夜の火の塔に呼ばれて無かったか?」
「あの男?」
「ああ、マリコルヌのことね、そういえば昼間にそんなのを見たわね」
「ふぅん、マリコルヌが火の塔……なんですって!?」
ギーシュ────マリコルヌ────ケティ────火の塔。
モンモランシーの中で点が線へと繋がっていく。
「ま、まさか……!?」
「どうでも良いけどさっさと行ってくれない?」
ルイズが邪魔よ、とモンモランシーを追い出す。
「さぁサイト、今夜もギュッてして?」
彼女の夜はここから始まるのだから。
一方追い出されたモンモランシーは一つの繋がった解に、焦りを感じながら一路火の塔へと走っていた。
まさか、まさかまさかまさか……!!
そんな思いで火の塔まで近づいて来た時、案の定というべきか、火の塔を目前に彼女の前に立ちはだかるようにして通路を塞ぐ小太りの少年が居た。
「やって、やってくれたわねマリコルヌゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
鬼のような形相で突撃するモンモランシー。
その瞳には既に光は無い。
「来ると思っていたよ、でも!! ここから先は通さないぞ、モンモランシィィィィィィィィ!!」
だが、それに相対する少年、マリコルヌもまた、瞳の輝きを消していた。