第六十五話【夏恋】
「はいサイト」
「お、サンキュ」
ルイズは手持ちのクックベリーパイをサイトに渡す。
双月昇る深夜。
ようやくある程度快復したルイズはサイトたっての頼みでよく月の見える場所……学院を取り囲むようにある五つの巨塔の一つ、火の塔の屋上に来ていた。
サイトはルイズの介護をしながら、ルイズが治ったら二人で月見をしたいと言い出していたのだ。
無論ルイズに断わる理由は無く、むしろサイトから外出のお誘いを受けたことに喜び、一層快復に努めた。
そんな介護生活を経て、一応の快復を見たルイズは、サイトの頼みである月見敢行の為、火の塔へ来ていたのだ。
何も無いのも寂しいので、ルイズが用意したクックベリーパイを肴に二人は双月を見上げる。
「しっかし、ルイズが良くなって良かったよ。どれだけ時間がかかるかと不安になった」
サイトが月を見上げながら介護生活を思い出し苦笑する。
「ごめんなさい、そんなつもりは無かったんだけど」
「今度からはもっと食べないとダメだぞ」
「うん、でもサイトがいるとそれだけでお腹一杯になれるのよね、どうしたものかしら?」
ルイズは本気で困ったように首を捻る。
何と言うか、ルイズの発言はいちいち恥ずかしい。
真っ直ぐストレートで、その真剣さから重みがある。
だが、その『サイト』と呼ぶ名前だけには、どこか自分じゃない人間が混ざっているような気がした。
だからサイトは、ここに来た目的を果たす。
「ルイズ、俺があげた首飾り持って来てるか?」
「え? 太陽の形の? いつも肌身離さず持ってるわ」
ルイズは胸の中に手を入れて、月夜にその鈍色の太陽を取り出した。
サイトも同じく首から三日月を下げている。
「これがどうかしたの?」
ルイズは本当にそれを大事にしていた。
もう二度と失うことの無いように。
「なぁ、この世界の月はなんで光ってるんだ?」
サイトはそれには答えず、ただ月を見てルイズに尋ねる。
「え? 何でって……何でかしらね。考えたことも無かったわ。そういうもの、としか思ってなかった」
ルイズは困ったように首を傾げる。
サイトが知りたがってることなら全身全霊で答えたかったが、座学を得意とする彼女でも、月に関するそんな知識は無かった。
サイトは困ったルイズを見てクスリと笑い、
「いいんだ、俺の世界と同じかどうか知りたかっただけだから。同じだろうと別だろうと、ルイズがその意味を知らないならそれはそれでいい」
「?? どういうこと?」
「俺の世界では、本来月は自分からは光らないんだ」
「え? そうなの?」
ルイズは驚いた。
「もしかしてサイトの世界では月は夜に出るものじゃないの?」
ルイズの中に様々な可能性が巡る。
「? ああ、いやそうじゃない。夜に浮かぶよ。いや、正確には昼間も見えることはあるけど、月って言ったらやっぱ夜のイメージだ」
ルイズは益々わからない。
サイトは何を言いたいのだろう?
「混乱させて悪いな。俺の世界ではさ、月ってのは太陽の光を反射するものなんだよ。だから月が光って見えるのは、太陽の光を反射してるからなんだ。この世界でもそうかはわかんないけど」
「へぇ……そうなの」
サイトの世界はいろんなことを研究しているのね、と少し興味深い話を聞けたルイズは感心し、
「……だからさ、その、お前に太陽を贈ったんだ」
サイトが頬を掻きながら視線を逸らして小さく呟いた言葉に、ハッとした。
「太陽がいないと、月は輝けないんだ。その、だから、俺も……だぁぁぁぁ!! 恥ずかしくて言えねぇぇぇ!!」
サイトは顔を真っ赤に染めて背を向けてしまう。
だが、ルイズはサイトが言いたい事が良くわかった。
この、もらったプレゼントにそんな意味が込められているなんて。
ルイズは胸が感動で溢れかえりそうだった。
もうこれだけで数日食事は摂らなくてもお腹一杯だと言えるほど、彼女は満たされていた。
背中からサイトに抱きついて一言、ルイズはお礼を言う。
「ありがと」
サイトはポリポリと頬を掻いて「ああ」とぶっきらぼうに答えて振り返る。
ルイズの“太陽”が月光を浴びて綺麗な“銀”に輝き、それを反射するかのようにサイトの三日月も美しく光を放つ。
金属がただ光を反射しあっているだけなのだが、二つ揃ってから見ると、とてもそれは美しく見える。
サイトは自分が言った惚れさせてやる、という言葉を嘘の無いように実践しようと、彼なりの努力を考え、本気で向かい合っていた。
だが、彼はその決意故に、この後、悲劇を招く事になる。
***
サイトとルイズは時間にしてそう長く塔には居なかった。
だが、ここは学院である以上、誰にも見られないという保障は一切無い。
無論この二人、とりわけルイズは見られたところで何とも思わないが、
「何か凄いアツアツに見えます……」
他の人間の目からは、そう見える。
特に彼氏彼女のいない一人者には目に毒だった。
二人は普通に歩いているだけだろうが、ルイズがサイトに傾倒してくっついているせいで、嫌でもそのアツアツさを見せ付けられているような、そんな気分になる。
「自分で召喚した平民の使い魔となんて、物好き、なのでしょうか?」
夜闇に映える茶色いマントにスカート。
二人を見てやや面白く無さそうに呟いたのは一年生の少女だった。
「……そういえばあの二人って何をしてたのでしょうね?」
少女は火の塔に近寄り、ふむ、と一つ頷く上に登ってみることした。
こんなに遅くにここに来たのだ。
きっと何かをヤっていたに違いない。
彼女とて多感なお年頃。
他人のとはいえ、色恋の事はイロイロと気になるのだ。
何か痕跡でもあればと思い、火の塔に登ろうとし、少しばかり横着することにした。
もともとトイレに起きて来た身で眠い。
だから中からは行かずに外の梯子を使おう、と。
塔には外壁に梯子が付いていて、外からも頂上に行ける様になっていた。
だが、普段ならしないそんなことを、眠いが為にしてしまったことを、彼女はすぐに後悔する。
「え? あれ? うわわ!?」
眠気眼のせいか半分程度登ったところで、彼女は体勢を崩し、落ちてしまう。
「きゃあ!?」
魔法を早く!!と思うが、焦りのあまり空中で杖も手放してしまう。
地面まではもうすぐ。
すぐに痛い思いをする、と思って強く目を閉じた、その瞬間!!
フワリ。
体が浮いた。
これは、レビテーションだ。
「大丈夫?」
一人の少年が走り寄って来る。
「あ、あうあうあう……」
少女は恐くてたまらなかったのだろう。
間に合って良かった、と少年はホッと胸を撫で下ろす。
見れば彼女は下級生のようだし、上級生として、不安を取り除いてあげなければ。
「僕はギムリ。二年だよ。君は?」
彼女の手を優しく取って、地面に足を付けさせる。
足が地面に付いたことで少女は安心したのか、うるうると目に涙を溜め、
「ブ、ブリジッタと申します……うわぁぁぁん!!」
ギムリに抱きつきわんわんと泣いた。
ギムリはどうしたものかと迷い、しかし結局は女性に抱きつかれているという役得な状況に満足し、彼女の為すがままとしていた。
後日、彼らはこれが原因で付き合う事になる。
***
「ということがあってね」
「へぇ……そうなの」
ブラウンのロングヘアーをぶら下げて、同じくブラウンのマントを付けているケティは同級の友人、ブリジッタからそんな顛末……もとい惚気を聞かされた。
そこから噂が広まったのか、夜中に火の塔の近くで出会った男女は恋人になれるという噂が広まった。
最初は半信半疑だったものの、偶然とは恐いもので、本当にそれからも幾人かのカップルが誕生した。
ただ、飽くまで二人きりでなくてはならないようで、数人で行った組は失敗するという噂も流れた。
「ケティも試してみたら?確か二年生に気になる人がいるんでしょう?」
そう言われケティは考え込む。
この場合、自分は誰を誘うのだろうか。
ギーシュか………………マリコルヌか。
いや、ここでギーシュ以外の選択肢が出ること事態おかしい。
こ、これは別にマリコルヌ様にギーシュ様以上の感情を抱いてるわけでは……!!
自分の中で自分に言い訳をする。
彼女は、どうせ迷信のようなものだし、行くならマリコルヌでも良いのではないか、そう考えてしまってもいたのだ。
今度会ったら、話して見ようかな。
ケティは二年の男子が迎えに来たらしいブリジッタと別れると、少し羨ましそうにしながら足をマリコルヌの部屋へと向けた。
***
「なぁギーシュ、頼むよ、ケティの為に少し時間を作ってくれないか」
「また君はそんなことを言って……僕はもうそのつもりは無いと言っているだろう?」
マリコルヌはあれからも度々ギーシュにケティと何かしらしてくれないか、と頼みに来ていた。
彼は、それが自分の使命だと思っていた。
ギーシュは、彼のその健気さを悪くは思っていないが、どこか歪にも感じた。
ただ人はそれぞれであるし、自分が今置かれている状況も歪と言えなくも無いので非難するような真似はしなかった。
「そこをなんとか」
「だから言ってるだろう?僕はモンモランシーとそういった関係になろうと決めた、と。だからその、すまないがそういう話はもう僕に持ってこないでくれないか……特に公衆の面前ではね」
ギーシュは震えながら辺りを見回してホッとし、自分の足をさする。
「足に怪我でもしてるのかい?」
「あ、ああこれかい? いや、最近足が付いてるか不安になる時があってね、ハハハ……」
ギーシュは渇いた笑いを浮かべる。
未だにモンモランシーの言葉が忘れられないのだ。
ただ、それでも彼は彼女に愛しい気持ちを持ち続けていたし、自分があれほど馬車で彼女に発情してしまったのは、きっと香水のせいだけではなかっただろうと思っている。
「それじゃあねマリコルヌ。君は人のことより、自分の事をまず見直しなよ」
彼にちょっとだけ助言を残し、ギーシュは颯爽と歩いていく。
これからモンモランシーの部屋に向かうつもりだったのだ。
主に足の保身の為に。
その背中を見つめながら、マリコルヌは内心舌打ちする。
まだ、モンモランシーと一線は越えていないようだが、時間は残り少ないと見た。
その前になんとかケティとくっつけないと。
マリコルヌはそう焦りだす。
そんな時、
「あ、マリコルヌ様!!」
丁度タイミングを見計らったかのようにケティがその場を訪れた。
ギーシュが行った後で良かったと思う。
「やぁケティ、どうしたんだい?」
ケティは最初俯き、少しモジモジとしながらも意を決したように口を開いた。
「はい、あ、あの、ですね。実は私、深夜の火の塔に行こうかと思うんです」
「深夜の火の塔……? ああ、そういうことか」
マリコルヌも噂は聞いていた。
「それでその、良ければごいっし「そうか、その手があったか!!」ょに……はい?」
マリコルヌは何か閃いたという面持ちで不思議そうにしているケティを見る。
「わかったよケティ、そうだね、その手があったよ。ようし、僕がなんとかセッティングしてみる」
「へ……あの?」
ケティはなんだかマリコルヌが誤解しているような気がしたが、マリコルヌは話を聞かずに歩き出してしまっていた。
(そうだ、この噂を利用すれば二人を……!!)
マリコルヌの脳内で綿密な作戦が練り上げられていく。
これが上手く行けば、噂が本当ならば、二人は晴れて結ばれるだろう。
「いや、結ばせてみせる、結ばれなければダメなんだ。彼女はギーシュと幸せになるべきなんだ……!!」
力強く前を見据えるマリコルヌ。
彼の瞳から、輝きが失われていた。