第六十四話【嬌声】
魔法学院の一室。
そこから、甘い声が響いていた。
「……ルイズ、もうイッてもいいか」
「サイト、もうイッちゃうの? もうちょっと待って」
「こら、お前はあんまり動くな、体が持たないぞ」
「だってサイトがもうイこうとするから」
「んなこと言ったってしょうがないだろ?」
「でも、私はもっと長くこうしてたい」
「いや、その気持ちは嬉しいけどよ」
「? サイト辛い?」
「辛くはないけど、もうずっとこのままだからな。そろそろ……」
「サイトはそんなに早くイキたいの?」
「は、早いか?」
「早いわよ、まだこうして一時間だし」
「いや昨日の夜も十分……」
「昨日は昨日、今日は今日よ」
「だぁぁぁ!! もう我慢できん!! 俺はイクぞルイズ!!」
「えっ!? イっちゃうの!?」
「お前がなんと言おうと俺はイク!!」
「ま、待って!! せめてあと……」
「ダメだ、イク」
「そ、そんなサイト!!」
そう言ったサイトは勢いよく腰を持ち上げ、次の瞬間…………バサリと布団を蹴りあげた。
そのままサイトは天蓋付のベッドから転がり出る。
ルイズがぷぅと頬を膨らませながら残念そうな目をベッドから出てしまったサイトに向けていた。
そんなルイズにサイトは、
「何度も言ってるだろ? いい加減“飯”を取りに“イク”時間だって!!」
彼女を怒ったように諭す。
彼女は酷い睡眠不足の上栄養失調だった。
ゼロ戦から出た時は、満足に一人で歩けずサイトにおぶってもらったくらいに酷かった。
サイトはよくそんな体であんな無茶したなぁとつくづく思う。
ちなみに、ルイズはサイトの背中でこの上ない幸せを噛みしめていたことは言うまでもない。
そんなルイズだったから、無論休養と介護が必要だった。
サイトは自分からその役目を願い出て、彼女に尽くすことにした。
彼女がそうなったのは自分のせいだという自覚もあったのかもしれない。
それに大層喜んだルイズは、介護役のサイトに一つのお願いをした。
『ずっと傍に居てくれる?』
サイトは何を今更、と簡単に彼女の願いに頷いたのだが、彼はこの期に及んでまだ彼女の性格を理解しきっていなかった。
ルイズの言う“ずっと”とは本当に“ずっと”だった。
朝から晩まで一日中ずっと。
介護者であるからにはサイトはルイズに付きっきりではあるが、それでも必要物資……食事や洗濯などその他諸々の為に外出を余儀なくされることがある。
それをルイズは良しとしなかった。
ルイズは酷く衰弱していることから絶対安静に、と言われ寝たきり生活となったが、病気では無いのだし毎晩のサイトとの添い寝の延長を願っていた。
サイトも、自分から介護を願い出た以上、仕方がないか……と思っていたのは最初の一日だけだった。
とにかくルイズはサイトが離れることを恐がった。
同じ部屋内に居るならばまだそんなことは無いが、彼が食事を取ってこようと部屋を出る旨を伝えると、とても不安がるのだ。
一度部屋を出るのを強行しようとしたが、その時はルイズが付いてこようとした。
彼女は出来るだけ今、動かさないようにと医者から言われてるので、それでは本末転倒である。
もっとも、彼女とて二十四時間すべて一緒に居て欲しいというのは無理な話だと自覚しているようで、超寛大な彼女曰く、
「一日23時間59分58秒87は一緒に居てくれればいいから」
という言を残している。
尚、間違ってもそれはもう二十四時間と変わらない、などとは思っていても言ってはいけない。
そうなれば彼女は断腸の思いで我慢することにした残りの1秒12すら、一緒に居て欲しいと言い出すのだから。
今のサイトに出来ることはその1秒12をどれだけ伸ばせるかだった。
ちなみにこの三日での成果で、伸びたのは-0秒03である。
人はそれを伸びたのでは無く縮んだと言う。
サイトはこの時始めてコンマ以下の秒数って大事だと認識した。
ルイズと居るのが嫌なわけではないが、これでは最上級の介護に支障をきたしてしまう。
責任を感じている負い目もあって、ルイズには早く良くなって欲しいのだ。
医者の話では一週間安静にしてよく食べれば問題は無いと言っていた。
幸い今学院は夏期休暇だから休んでいても問題は無いのだが、せっかくの休みなんだからもったいないではないか。
ルイズにもやりたいことはあるだろうし、サイトとてああ“宣言”した以上思うことは皆無では無いのだ。
「お前を早く治すためなんだから、な?」
「うぅ~」
ルイズは嫌そうな顔をする。
自分の体調の完全な復調よりサイトと居たい欲求が強いのだ。
これではあの時の戦争よりも大変だ、とサイトは苦笑した。
先のタルブ村周辺での戦い。
それはアルビオンからの先陣隊の旗艦である大型戦艦、レキシントン号の突然の消失によってトリステインの勝利で幕を閉じた。
旗艦を失ったアルビオン軍はほぼ撤退し、トリステインは幾人かの捕虜の確保にも成功した。
もっとも、アルビオンとて今回出し、失った戦力は全体から見ればそれほど多いものでは無く、まだ十分に戦力を保有しており、文字通り開戦の緒戦に過ぎなかった。
戦局はこれから激化の一途を辿る事は必至であり、また、その為に王宮の軍部はてんやわんやだった。
だが、緒戦で撤退したアルビオンもそれは同じであり、軍の再編成等、次の表だった衝突までは時間がかかるかと思われた。
ただ戦うばかりが戦争では無いのだ。
戦と政治は同時並行なのである。
それ故に、アンリエッタもルイズを休養の為に学院に帰る事を許していたのだ。
またアンリエッタが戦争によって不安になる時が来れば徴兵されるかもしれないが、それもまだ戦局から見て当分の間は無いように思えた。
そんな経緯から、サイトは自分で言い出したのもあって、学院でのルイズの介護に悪戦苦闘中だった。
***
とりあえずの戦いは去った。
戦争は尚も継続……いや始まったばかりだが、束の間の平和……借り物の平穏は戻りつつあった。
それでも、今回の“小競り合い”で目に見える傷や目に見えない傷は数多くあった。
「で? ギーシュ」
「お、落ち着くんだモンモランシー!! 僕はキュルケとは何でもない!! 本当だ!!」
ギーシュは焦っていた。
サイトが戦争に行ってしまって、何とか力になろうと自分も現場に向かい必死に戦った。
初めての戦場は震え上がるものでもあったが、それ以上に使命感に似た何かが自分を突き動かしていた。
その為、すっかりその日に彼女と約束があることを忘れていたのである。
モンモランシーは、ギーシュが戦争に行ったという話を聞いて不安で溜まらなかった。
こんなことならやはり腰は治すべきでは無かったと後悔もした。
いや、でも治さないと困る事態もあったんだけど。
それはこの際置いておこう。
いざ無事に帰ってきたことに安堵し、彼に寄ってみれば、別の女……キュルケの匂いがするではないか。
香水を作るモンモランシーは匂いに非常に敏感だった。
それが彼女にギーシュへと疑いの目を向けさせる。
ギーシュはその目にすくみ上がる。
戦場よりも怖い、と思ってしまった。
ギーシュはラグドリアン湖での事を思い出してしまう。
ギーシュは馬車内のモンモランシーの膝上で目を覚ました。
モンモランシーが妖美に微笑み、つつ、とギーシュの胸板を細い指で撫でる。
するとどうだろう?
ギーシュは自分でもよくわからないムラムラした気持ちになった。
モンモランシーが優しく彼のボタンを外していく。
これは……?
何が起きているのかよくわからない。
考えも上手く纏まらない。
モンモランシーはギーシュの頭を膝上から優しくどかした。
馬車内の座席に水平に仰向けとなったギーシュ。
その彼のお腹に、ふわりと彼女は座った。
「ねぇ、ギーシュ」
誘うように彼女は甘い声で、
「シタイ?」
そう聞いた。
瞬間、彼は何故か我慢できなかった。
そのまま勢いよく彼女を組み伏せようとして……出来なかった。
「うぐっ!?」
悲しいまでに腰が痛くてまともに動けなかったのだ。
その日の帰りにキュルケに、腰が悪いとイロイロ大変よぉなどとも言われる始末で、彼はこの時程自分を情けないと思ったことは無い。
だがそのあまりの痛さでギーシュは我に返る。
どうやら、何かぼんやりと意識を刺激する匂いが馬車に充満しているらしい。
「あ、バレちゃった?」
モンモランシーはイタズラがばれたような可愛らしい笑みを浮かべて残りの少ない香水が入った小瓶を仕舞った。
その後の彼女のセリフは一生忘れないだろう。
「やっぱり腰が悪いとダメなのね、どうしてもそういう環境を作るなら、足の一本無くしてもらうとかの方がいいのかしら?」
「モ、モンモランシー? い、嫌な冗談はやめてくれたまえ」
「冗談……? え? あ、今の口に出てた? あ、そうね、うん。冗談よ冗談」
「………………」
彼はこの日から、毎朝自分の体に足が付いていることを感謝し出したのだとか。
そんな経緯があって、彼はモンモランシーに惹かれつつも怯えるというなんとも忙しく不可思議な毎日を送っていた。
そこにこの疑惑である。
今度こそ足を取られかねないかもという恐怖が、彼に必至に弁明させていた。
尚、彼の疑惑はたまたまそこを通りかかったキュルケがからかったことで一層深まってしまうのだが、それはまた、別の話である。
***
タルブの村は、思ったよりも平和だった。
近場で戦があってどうなるかと思ったが、思いの外被害は無かった。
無論事後のゴタゴタはあるが、想定よりも随分と無害だった。
それを皆一様に喜んでいたが、一人、シエスタはずっとふさぎ込んでいた。
例の連れてきた平民の男の子が帰ってしまった時も相当だったが、今は尚酷い。
そういえば、その平民の男の子と言えば、どうも戦場に来ていたらしい。
嘘だと思われていた曾おじいさんの遺した“竜の羽衣”が本当に空を飛んで現れたのだから間違い無いだろう。
「おや? 今日も行くのかい?」
「ええ」
シエスタは戦いのあった日から毎日かならず決まった時間に森へと出かけていた。
何をしにいっているのかは誰も知らない。
だが彼女はしっかりしているので、大丈夫だろうと大人達は疑問に思わなかった。
シエスタはそのまま森に入る。
「……サイトさん」
幾分歩いた後、彼女は大きな幹に傷の付いた木の下で止まった。
シエスタはあの戦いのあった日もここに来ていた。
そして、見てしまった。
空を飛ぶ、“竜の羽衣”の姿を。
その中にいるサイトを。
……ルイズを。
その二人が、唇を重ね合っているところを。
ミシッ!!
木の幹に新しい傷が増える。
「……サイトさん、ミス・ヴァリエール……」
低い、声が漏れた。
***
「そう、わかったわ、グリフォン隊の報告もそうなのね。ご苦労様」
アンリエッタは報告に来た者を帰し、眉間に皺を寄せる。
あの突然起きた光、レキシントン号を消失させた物の正体について調査して早数日。
日に日に浮かび上がってくる目撃情報と状況証拠。
それは例の見たことのない竜。
ルイズ曰くゼロ戦と言うらしいが、それに乗っていたそのルイズが杖を振っていたという情報が圧倒的多数。
物珍しさからゼロ戦を見ていた者が多かったのが幸いし、時間はほとんどドンピシャだった。
中にはキスしていた、などという戯れ言もあるが、そんなことはさほど重要ではない……ハズだ。
「ルイズ、あの子はもしや……“虚無”なのでは……?」
アンリエッタの持つ始祖に関する資料。
それと捕虜として捉えている運良く生き残ったレキシントン号の艦長の証言、それらが一致することから、彼女は一つの解を得ていた。