第六十二話【粛正】
「待っていました、ルイズ・フランソワーズ」
王都トリスタニアにあるトリステインが誇る王宮。
その一室に今、連れてこられたルイズとこの国の姫君、アンリエッタは居た。
ルイズは椅子に座らされているものの、依然としてただ虚空を見続け、ぼうっとしている。
しかし、アンリエッタはそんな、変わり果てたような友人の姿に臆することなく、全く変わらぬように接していた。
「貴方にも辛いことがあったのね、よくわかるわルイズ・フランソワーズ。でもそれ故に私達は名実ともに心の置ける者通しとなれる」
アンリエッタは部屋内をスキップするかのように軽い足取りで、行ったり来たりしながらルイズに声をかける。
「私、戦うことを決めたのですルイズ・フランソワーズ。あの方を殺した憎きレコン・キスタ、彼らが作り上げた神聖などという甚だしい前口上付きの現アルビオンと!!」
だがそれまで優しさの篭もる声色だったのが一転、まるで人が変わったかのようにアンリエッタはやや早い罵るような口調になった。
「神聖? 何をもって神聖だなどとのたまっているのでしょうね。私は奴等を許す気はありません。あの方の意志を継いで仇を必ず討ち取ってみせます。そうそう、この間、我が国の中枢に入っていたレコン・キスタの一員の一部が見つかりましてね、私自ら数人の“粛正”を行ったところですの」
なまじ、権力がある故に、彼女はその力の行使を厭わぬ性格となっていた。
最近では、恐怖からか“強くなったアンリエッタ”への派閥が増えつつあるが、その分敵も多い。
だから、信用の置ける仲間は、一人でも多く確保しておきたいのだ。
たとえそれが、昔からの親友で、今は抜け殻のような少女だったとしても。
「貴方にも私の覇道を手伝って欲しいのルイズ・フランソワーズ。諜報班の報告によると近々奴等がこのトリステインに攻め入って来るようなのです。そうなれば私は最前線で指揮を執ろうと思っています。その時、貴方には傍に付いていて欲しいのです」
アンリエッタはルイズを見てニッコリと笑う。
彼女、アンリエッタの瞳はすでに、光を宿していなかった。
尚、この一ヶ月でその見た目から鳥の骨と呼ばれる宰相がより一層痩せこけ、疲労と心労によってタダでさえ老け顔だったその顔が、さらにあと十歳は老けて見えるようになってしまったのは、言うまでもない。
***
「すいません、コルベール先生」
「いえいいんですよ、私の方こそこの竜の羽衣は興味深い点がたくさんありますからな」
サイトは即日学院に戻っていた。
たまたま出会ったコルベールが、良ければこの竜の羽衣……もとい『ゼロ戦』を研究したいとゼロ戦を譲り受けたサイトに願い出た為、サイトはそれを快く許可した。
サイトとて、これがまた飛べるならば、それはとても面白いかも知れないと思うくらいに興味はあったのだ。
サイトの許可を得たコルベールは彼の費用持ちでさっそく学院にこの『ゼロ戦』を運ぶ手筈を整え、研究の為この村をすぐにでも後にすると言い出し、サイトはそれに便乗することにした。
シエスタはもっとゆっくりしていくよう強く勧めてきたが、今、やけにおかしいシエスタの居るこの村もサイトにとっては居づらくなっていた。
だからサイトはこうしてコルベールと共に学院に戻ってきていた。
「しかし、この竜の羽衣……いや“ぜろせん”ですか? その動力源が“がそりん”……でしたかな ?ふぅむ、原油からいろいろ練金して試してみましょうか」
コルベールは早速この『ゼロ戦』の燃料を作ることに夢中になった。
サイトはそんなコルベールを手伝いながら研究所にお世話になることにした。
ルイズの所には……戻れない。
意外にもコルベールは、そんなサイトを咎めなかった。
「使い魔と主人は一心同体と言っても、別個の存在である以上意見の相違や喧嘩などは皆無ではありません。ましてやお互いが同じ種族の人間とあっては衝突するなと言う方が難しいでしょう。存分に考えを纏めていきなさい」
コルベールは生徒を諭すように、優しく微笑む。
サイトには、そんな彼がとても大人に感じ、神々しく見えた。
……決して彼の頭髪が無いせいでは無い。断じて無い。髪が全く無いわけでも無い。
「しかしサイト君、君が居た所はこんな物まで作ってしまうなんて、凄い所なんだね」
コルベールとガソリンを作り出して早四日。
彼は手伝っているサイトに時折話しかける。
それは何かの講義のようであったり、ただの世間話であったりするのだが、今回はどうにも違うようだ。
「魔法など使わなくとも、このような素晴らしい物が作れる。人とはかくも、そうやって生きていく物なのかも知れない」
コルベールは、何かに懺悔するかのような、独白じみた言葉を呟きながら三角フラスコの中の液体を練金によって変えていた。
彼の本来の属性は『火』だが、研究熱心な彼は、土もまたそれなりな腕前を持っていた。
「多様性……それも生活の為にその可能性を広げようとするのは、羨ましい限りだよ。魔法はその使い道から多様性を含んでいるが、大概の人はそれを攻撃的な力の象徴として扱う。嘆かわしいことにね」
サイトはコルベールの講義のようでいて、独白じみたその言葉に深い重みを感じた。
「えっと、昔魔法で何か、あったんですか?」
「……そう、だね。思い出したくない過去だ。だがそれがあったからこそ今の私はここにいて、“それ”に気付くことが出来た」
「??」
やや抽象的な言い方になって来はじめ、サイトには意味の全容を掴みきれない。
コルベールは苦笑し、
「もし、いつか君が自分の世界に帰ることが出来る日が来たなら、可能ならば私も君の世界に連れて行ってほしいものですな……っと、できましたぞ。“試作品”ですが、“がそりん”ができました。試運転してみましょうか」
サイトはしばし首を傾げていたが、最後の言葉に飛び上がり、ゼロ戦へと駆けていく。
コルベールはそんなまだ若い少年の後ろ姿を見て、微笑みを零した。
「コルベール先生ー!! 早く早くー!!」
コルベールは待ちきれずに手を振るサイトを見て苦笑し、レビテーションをかけ、ようやく作り上げた試作品のガソリンの樽をいくつか外へと運び出した。
「何かドキドキしてきた」
「私も年甲斐もなくドキドキしてきましたな」
二人してガソリンを注入し、油臭いですなぁ、懐かしいガソリンスタンドみたいな匂いだなぁと思い思いの事を言い合う。
注入し終えると、サイトはコルベールに言われゼロ戦に乗り込み、とりあえずエンジンの点火を図ることにした。
コルベールが風を起こし、プロペラを回して、サイトはゼロ戦のカウフラップを開いた。
サイトはそのまま操縦席でくるくると丸いモーター代わりのエナーシャをクランク棒で回す。
頃合いを見計らってエナーシャとプロペラの軸を連結させると、上手いことプロペラが回ったままになったのでサイトは発動機のスイッチを入れてエンジンを点火した。
余談だが、コルベールが独学によって小さいエンジンの元になるような構造を開発していたことをサイトはこの四日間で知り、大層驚いた。
ゼロ戦は勢いよくプロペラが回り出し、けたたましい音を立てて起動を完了する。
「「う、動いたーー!!」」
二人は歓喜する。
この四日間の努力が報われた瞬間だった。
と、サイトの目の前のレーダーか何かのカバーが振動によって外れ、中に白い紙が挟まっている事に気付いた。
サイトはそれを取り出してみる。
『これを見る者よ。これを読むことが出来るということは、きっとこのゼロ戦が動いたと言うことだろう。さらにこれを動かせたということはそれが同郷の者であると信じたい』
それは、ゼロ戦の持ち主、シエスタの曾祖父である佐々木さんが遺した手紙のようだった。
『あの文字を読めた者にこれを譲ると遺したが、あの文字やこれを読めた者が同郷である保障はない。出来れば同郷者であることを願うが、そうでなければ嫌というわけでは無い。同じく異界に来てしまった者同士、思うことは多々あることだろうしな』
サイトは、久しぶりの他人が記した日本語だということもあって、それを夢中になって読み始める。
『私は終ぞ帰ることが適わなかった。帰る方法も見つからなかった。それどころかこちらでの幸せを手にしてしまった。だがそのことに後悔はもう無い。だから、これを見ている者に先達として言っておきたいことがある』
そこまで読み進めて、突如そこに乱入者が現れる。
「大変だ!! サイト、アルビオンがタルブ村付近に攻めて来たらしい!!」
ギーシュが血相を変えてサイトが乗るゼロ戦があるこの場まで来た。
無事に? 腰が治ったらしい彼はサイトがここにいることを知っていた。
「戦争、か。嫌だな。そういやこの戦闘機ももともと戦争の為のものだっけ、ってタルブ村ってこないだ行ったシエスタの故郷じゃないか。大丈夫なんだろうか」
エンジン音がうるさくて、サイトの声はあまりギーシュ達には届かない。
「おまけに今回、その戦いの指揮をアンリエッタ姫殿下自ら執るらしんだ!!」
それって実際どうなんだ?とサイトは思う。
戦争や戦術に詳しくは無いが、一国の姫が最前線においそれと行く物なのか、サイトに判断は出来ない。
その時点ではまだ、サイトはいくらこの国が巻き込まれる戦争だろうと、対岸の火事でしか無いように捉えていた。
その、ギーシュの言葉を聞くまでは。
「しかも、しかもだ!! それにルイズが同行してるらしい!!」
(な、なんだって!?)
何でそんな事になっているんだ、とサイトは頭を抱える。
もしかして自分のせいか?
お前が見てるのは俺じゃないなんて言ったからヤケを起こして?
でも、それは事実だ。
だったらここでどうにかルイズを連れ戻しても何の解決にもなりはしない。
サイトは求めるようにコルベールを見た。
今日まで、コルベールはサイトも自分の生徒のように扱い、教え導いてくれた。
彼はサイトの視線を受け止め、小さくもエンジンの音には負けない重い声で、いつものように言ってくれた。
「サイト君、君がどうしたいのか。……それが答えではないのですかな?」
どう、したいのか。
そんなことはわからない。
……わからない?
本当に?
サイトは頭を抱えたまま、ふと目に入った佐々木さんの手紙を見て、泣きそうな面持ちでその続きを読んでみた。
『帰る方法を探すも良し、ここに骨を埋めるもよし、他に何をやるも良し。だが、決して後悔しないよう、何をするかは自分で決めて、自分の手でそれを手に入れろ』
「自分で決めて、自分の手でそれを手に入れろ……」
考えてみれば、この世界に来てずっと自分で何か決めるってことは無かった気がする。
ずっと、ルイズに護られていたから。
佐々木さんの手紙を反芻して、サイトは考える。
今の自分は、何がしたいのか───────傷つけたルイズを護りたい。
何故自分は、そうしたいのか───────彼女が、大切だから。
俺は自分じゃない自分と重ねられたままで良いのか───────良くない。
彼女が見ているのが、自分じゃない自分で良いのか───────良くない!!
───────自分の手でそれを手に入れろ───────
佐々木さんの手紙の内容が胸にストンと落ちる。
コルベール先生の教えてくれた答えが、今の自分にしっくりと来る。
途端、サイトの中で一つの答えが生まれた。
サイトはゼロ戦を動かし始める。
「ちょっくら、行って来る!!」
周りの度肝を抜くように、ゼロ戦は徐々にスピードを上げて動きだし、空へと浮かび上がる。
ある一つの答えを得た彼は、恐れを抱くことなく戦場へと飛翔した!!