第五十八話【葛藤】
太陽の木漏れ日が窓から降り注ぐ一室のベッド。
そこに、金砂の髪を持つ少年が横たえられていた。
昨日魔法学院に運ばれてきたギーシュ・ド・グラモン、その人である。
ここは学院の彼の部屋であった。
痛みは偶然会ったモンモランシーの献身的な介護と彼女の魔法のおかげで大分引いた……が、腰だけは酷いらしく、未だ彼は一人では満足に歩けなかった。
「はぁ……普通、こういう怪我ってすぐに治るものなんじゃないのかい?」
誰に言うでもなく、ギーシュは一人ごちる。
この年で腰が痛くて満足に一人で歩けないなど、ハッキリ言って恥ずかしい。
「通常ならこういう怪我なんて無視されるものの筈なのに……」
ギャグで出来たような怪我なのだから次の瞬間には完治、でも良いんじゃないないか、とも思う。
だが、残念ながら彼の怪我は無視されないクオリティだった。
そもそも、ギャグみたいな出来事で出来た怪我だとしても、それが無かったことになどならないのである。
それが無かった事になるのは、飽くまで“夢幻”か“彼らの読む漫画や小説の話の中でだけ”だった。
ギーシュは小さく愚痴りながら溜息を吐く。
このままでは満足に学院を歩くことも出来ない。
情けないが立ち上がろうとすると腰が酷く痛んで砕け、へたり込んでしまうのだ。
「一体、ルイズはどれだけの攻撃を僕にお見舞いしたんだ……それ以前に僕が何をしたって言うんだ……」
ギーシュは額に腕を当てて思い悩む。
と、
コンコン。
戸がノックされた。
「はい」
返事をすると、部屋に入ってきたのは案の定、モンモランシーだった。
「ギーシュ、調子はどう? 今朝は動けなさそうだから厨房へ行って食事を貰ってきたわ」
「ありがとうモンモランシー、僕はなんて幸せ者なんだ、君みたいに可愛い子にここまで介護されて……自分が情けないよ」
「気にしないでギーシュ、昨日聞いた限りじゃ全部“ルイズのせい”なんでしょう?」
そう答えながら、モンモランシーは昨日のことを思い出す。
***
「どうしたの? ギーシュ」
モンモランシーは不思議そうに首を傾げながら頬を少し赤く染めた。
ここにモンモランシーが居たのは偶然だった。
朝からギーシュが出かけてしまったらしいことを知った彼女は、久しぶりに本業……もといお小遣い稼ぎの香水の精製を部屋で行い、一段落したところで気分転換に学院内をウロウロしていただけなのだ。
「す、すまないモンモランシー……女性の君にこんな事を頼むのは不躾だとは思うが僕に肩を貸してくれないか」
ギーシュはゆっくり離れようとして腰に力が入らず再びモンモランシーの体を頼るように抱きつく。
「きゃっ!?」
軽くなったと思ったら急に体重を乗せられ、その重さに耐えきれずモンモランシーは倒れる。
ギーシュの下敷きになりながら。
瞬間、上の双眸と下の双眸がバッチリと交差した。
距離が……近い。
「わぁっ!? す、すまないモンモランシー!!」
我に返ったギーシュはすぐさま横に転がって彼女から離れるが、その動きはみっともない。
ドキドキとした心情もあるのだろうが、何より腰が立たない事にはまともな動きなど出来ないのだ。
モンモランシーも胸の裡をドキドキさせながらゆっくり起きあがってギーシュを見つめる。
「きゅ、急にどうしたの?」
「い、いやわざとじゃないんだ、誓ってわざとじゃない。今日サイトとトリスタニアに行っていたら突然現れたルイズに思い切り吹き飛ばされてね、イタタ……」
「なん、ですって……!!」
ギーシュの言葉を聞いた途端、モンモランシーの瞳から、輝きが消えた。
***
その後、モンモランシーは我に返ったようにギーシュを見、慌てて彼を介抱しながら部屋まで運び、ずっと介護していたのだ。
「また顔を出すわね」
モンモランシーはギーシュが食事を食べ終わるのを見届けると、トレイを持って立ち上がった。
「すまない、いや、ありがとうモンモランシー」
ギーシュの言葉に微笑みを返し、モンモランシーは退室する。
と、廊下の向こうから、見知った顔が歩いてきた。
長い桃色の髪の少女と艶がある黒髪の少年。
ザワリ、と彼女の空気が変わった。
「おはよう、ルイズ」
「あらモンモランシー、居たの。おはよう」
ルイズは、サイトの腕に抱きつきながら歩き、全神経はサイトに集中していた為、目の前に来て初めてモンモランシーの存在に気付いた。
「……貴方、昨日ギーシュに怪我を負わせたそうね。彼、今も一人じゃまともに歩けないのよ」
モンモランシーの言葉に、ルイズは「だから?」というどうでも良さそうな顔をするが、一人、サイトだけは大きく動揺した。
「え? そんなに酷いのかギーシュ? 悪いルイズ、俺ちょっとギーシュ見てくる」
するりとルイズの腕を離し、サイトはギーシュの部屋の中へと消える。
「あ……!!」
廊下に残される少女二人。
睨み合うかのように見つめ合っている二人はしばし口を開かない。
空気が重い。
そんな中、先に口を開いたのはまたもモンモランシーだった。
「ルイズ、言っておくことがあるわ」
「……何かしら?」
張りつめたような空気は臨界点に到達し、
「良くやってくれたわ!!」
弾けた。
「別に、私はギーシュがサイトに近づけなくしただけよ」
「今ギーシュは私が居なければ一人で歩くことが出来ない。子供のようにギーシュは私に頼り切っているのよ、ああ、可愛かったわ♪」
頬を赤らめ、夢でも見ていたかのようにモンモランシーはほころぶ。
彼女は、ギーシュの怪我を悦んでいた。
彼は今、生活の大部分を彼女に頼らざるを得ない。
ギーシュに頼られているという実感。
それが彼女を満足させる。
一種、充実にも似たこの感情を彼女が持ったことで、彼女はまた一つ変わるのだが、それがわかるのはまだ少し先のことだった。
「それより、せっかく二人を引き離してるんだから、そろそろサイトを連れて行きたいんだけど」
ルイズの言葉にハッとしたモンモランシーは、
「そうね、さっさと連れて行って頂戴」
ギーシュの部屋の扉を開けた。
***
「モンモランシー」
「なあに?」
時刻はお昼過ぎ。
あれから数日が経っていた。
モンモランシーは大半の時間をここで本を読むかギーシュを見ているかで過ごしていた。
当のギーシュはベッドで寝たきりである。
痛みはもう無いのだが、何故か腰に力が入らず、未だ一人では満足に歩行できない。
「僕の腰ってあとどれくらいで治るのかな?」
「え?」
ギーシュはモンモランシーに感謝しているのと同時、罪悪感が込み上げていた。
自分のせいで彼女の時間を拘束してしまっている。
それはとても申し訳ないことだ。
時は金なりというが、時間はお金を持ってしても買えることの出来ないものだ。
それを彼女に使わせているかと思うと、情けないやら申し訳ないやらで、ギーシュの罪悪感は募るばかりだった。
対して、モンモランシーはギクリとした。
彼の腰、それを治す方法は……無いことは無い。
ただすぐには出来ない……というより“材料”が足りないのでこれ幸いとほったらかしていた。
モンモランシーは医者では無いが、水メイジだけあって若干の医学を囓っていた。
モンモランシーの診断では、ギーシュは恐らく、脊椎を傷つけている。
脊髄でなかったのは不幸中の幸いだが、完治するには長い年月がかかるだろう。
最悪、放っておくだけの自己治癒力のみでは完治とはいかないかもしれない。
“その薬”を使わなければ。
生きていたからと、馬鹿にしてはいけない。
それほどの、怨念のこもった攻撃でもあったのだ。
そしてさらにそれは、長い年月ギーシュは誰か……今の場合モンモランシーに頼らなくてはならない事になる。
モンモランシーとしてはむしろそれは望むところだった。
彼に頼られ、依存される。
それを、彼女はここ数日満喫していた……のだが。
「僕は、早く怪我を治したい。何か方法は無いかな、モンモランシー……僕には、“君だけが頼り”なんだ」
「っ!!」
ギーシュの言葉に頬を真っ赤にする。
“君だけが頼り”
“君だけが”
モンモランシーの中に反芻されるギーシュの言葉は彼女の脳細胞を満遍なく刺激していく。
頼られれば応えたい。
でも、応えればこの夢のような時間は終わりを告げてしまうかもしれない。
彼女の中で、相反する二つの感情に板挟みにされ、彼女は思い悩む。
このままずっとギーシュに頼られ、彼の世話をしてあげたい。
「頼むよ、“僕の愛しのモンモランシー”、何か知っているなら教えておくれ」
“僕の愛しのモンモランシー”
“僕の愛しの”
“愛しのモンモランシー”
“僕のモンモランシー”
ギーシュの言葉がモンモランシーの脳内に埋め尽くされ、彼女の脳内のドーパミンが異常分泌される。
既に彼女には、ギーシュの一言一言が甘い囁きのようにしか聞こえていなかった。
脳髄までとろけそうになるその声に、彼女は意識的には無意識的にか、応えていた。
「あるにはあるわ」
「本当かい!?」
ハッと我に返り、しまったと思った時には既に遅く。
「どうすればいいんだい!?」
キラキラと、期待するかのような、無垢で信じ切っている少年のような顔でギーシュはモンモランシーを見つめる。
モンモランシーは、う、と少し狼狽えながら、やがて少々諦めたように、
「“精霊の涙”があれば多分……」
正直に応えていた。
「精霊の涙?」
「ラグドリアン湖に住む水の精霊の体の一部よ、水の秘薬を作ったりする時にも使うの。私の一族は昔からその精霊と契約を交わすしきたりがあって……」
「ということは君なら精霊に会って“精霊の涙”ももらえるんだね!? ああ、ありがとう愛しのモンモランシー!!」
「う!? い、愛し……? で、でも「ああ、助かった。これで動けるようになるんだ。本当に僕はモンモランシーが居てくれて良かった」……っ!! ………………はぁ……」
モンモランシーは溜息を吐くと諦めたように頷いた。
「明日、一緒に行きましょう。でも精霊は気難しいからもらえないかもしれない。それだけは覚えておいて」
「大丈夫さ、君なら出来るよ。僕はモンモランシーを信じてる」
真っ直ぐな瞳で見つめられたモンモランシーはドキリとして、慌てて顔を逸らす。
「ま、まぁピクニック気分で行くのも良いでしょ」
それは照れ隠しのつもりだったのだが、
「ピクニック? 成る程そうだね、それならサイトも誘おう!!」
ギーシュの突然の発言にモンモランシーは硬まった。