第五十七話【桃誅】
サイトとギーシュは突然後ろから掴まれた。
何だと考える間もなく、サイトとギーシュは信じられぬ程の強力によって引き離される。
一体何事だと二人が振り向けば、
「ギィィィィィィシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
そこには鬼……いや悪魔がいた。
長い桃色の髪がクネクネユラユラと波打ち、まるでメデューサを思わせるような動きだった。
だが、二人……否、ギーシュに考える暇を彼の信じる神は与えてくれなかった。
「ふげぇぇぇぇ!?」
細く白い腕、その先の拳がギーシュの顎にクリーンヒットする。
とてつもない踏み込みのせいか、通りの下に敷いてある敷石が……ピキッ!! っと音を立てて割れた。
ギーシュは、あの細い体の何処にそんな力があるのか疑いたくなる程の怪力でもって天高く舞い上げられた。
空に上る太陽が一際輝き、空中のギーシュの背後から彼とサイト、そして襲撃者を照らす。
照らされた襲撃者は……黒い吐息を吐き、綺麗な桃色の髪をたなびかせた美しい少女……ルイズ、その人だった。
ギーシュの影を縫うように降り注ぐ黒い光が、一層異様に彼女を照らす。
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
と、格闘漫画にありがちな、気合いを込めているかのような甲高い声をルイズは上げながら大きく息を吸い込んだ。
空に舞い上がったギーシュはようやく頂点に達したのか、一瞬動きを止め下降をし始めた。
実に四メイルは浮かんだのではないだろうか。
意識があるのかは定かでは無いが、口端から涎が垂れているあたり、彼はそうとうキている。
あと汚い、地味に汚い。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ルイズは落ちてくるギーシュに合わせて気合い一線、どこで覚えたのか崩拳もどきを命中させ、人体的に鳴ってはならないような『グギョッ!!』という鈍い音と共に、
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!? ぐえぇっ!?」
ギーシュを石壁に叩きつけた。
叩きつけられたギーシュは最後にカエルが潰された時のような声を上げて沈黙する。
だが、声が上がったあたり、彼の意識はあったことが窺える。
半日目覚めなかった人もいる中、中々のガッツだった。
と、今はそんなギーシュの現状を冷静に観察している場合では無い。
「ギギ、ギーシュ!?」
サイトは慌ててギーシュにかけよる。
「大丈夫か、おい? 何だってこんな!?」
サイトが心配げにギーシュの手を掴むと、僅かだが彼が握り返してくるのがわかった。
「……ゲホッ……サイト……」
「ギーシュ? もういい喋るな!!」
ギーシュの意識がまだあるらしいことがわかったサイトは、ギーシュに大人しくするよう命じるが、彼は口を閉ざさない。
「サイ、ト……僕は、また生きて学院に、戻れたら……はぁはぁ……ぐっ……将来君と……“魅惑の妖精亭”に……」
「言うなギーシュ!! 何も言うな!! お前のライフはもうゼロだ!! あと生きて帰れたら云々はたいてい死亡フラグだ!!」
サイトは必死にギーシュを宥めるが、
「り、理想郷に……届かないと知っても、それでも追い求めた……それは、間違いなんかじゃ……」
ギーシュは何か格好良いこと言い残そうと必死に口を動かし、
「まだ息があったの、本当にしぶといわね」
桃色悪魔がその瞳の光を“ゼロ”にして杖を振り上げ、
「お、おい!?」
流石にこれ以上は危ないと思ったサイトが慌ててルイズを羽交い締めにする。
「あふぅん!?」
途端、ルイズは力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
***
「なんでこんなことしたんだ」
へたり込んだルイズに、サイトはやや詰問口調で問い質す。
「……だって、サイトが、ギーシュに……サイトの貞操がギーシュなんかに奪われちゃうかと思ったら……」
サイトは口をあんぐりとあける。
ルイズが何を言っているのかじぇんじぇんわからない。
ギーシュが俺の貞操を奪う?何故?どうしてそうなった?
だが、ルイズは深刻な事のように、とうとうボロボロ泣き出した。
「サイトとギーシュが肩を組んでいた……私間に合わなかった……ギーシュに、サイトの初めて取られたぁーーーー!!」
しかも天下の通りでとんでも無い事を言い出した。
人がわらわらと寄ってくる。
ただでさえ人通りが多いこの通り。
サイトには奇異な目が多感に向けられる。
ルイズはとめどない量の涙を零し、敷石をどんどん濡らしていく。
「ま、待て待て待て!! ルイズ、お前は何かすっごい思い違いをしている。きっととんでもない勘違いをしている!!」
サイトが周りの視線も相まって慌ててルイズを宥め始める。
ルイズはヒクヒク泣きながら目を擦り、目元を真っ赤にしながらクスンクスンと泣きやまない。
ええい!! とサイトは半ばやけっぱちにパーカーのポケットに手を入れて“それ”を取り出した。
「ほらこれ!! 俺は今日これを買いに行ってたんだ!!」
ルイズの目の前に差し出されるのは……シルバーの首飾り。
サイトの世界でシルバーアクセサリーとして一つのファッションを持つそれが、どういうわけかここ、ハルケギニアのトリステイン城下町、トリスタニアにもあった。
サイトは、以前来た時にお世話になったおじさんに再び会うためギーシュに仲介を頼み、路商を見せて貰ったところ、そこにそれがあったのだ。
何の変哲もないただのシルバーアクセサリー。
首下には“太陽”のオブジェ……ただ丸いだけの銀板が来るように出来ていた。
「これ、は……?」
ルイズがスンスン言いながらそれを眺めると、
「お前のだよ!! ブレスレット壊れたって泣いてたから、新しいの何か買おうかなって。ああもう!! 折角秘密にして格好良く渡そうと思ったのに台無しだ!!」
サイトがもうヤケだと頭をかきむしる。
「これ……私に?」
「そうだよ!!」
フン!! と半ば怒りながらサイトはそれをルイズに突き出す。
ルイズはそれを恐る恐る受け取った。
差し出した両手に、ポンと乗せられる。
途端にルイズはぱぁっと胸のうちが暖かくなっていくのを実感した。
これはサイトからの贈り物。
私の為の贈り物。
“サイト”から“私の為だけ”に用意された贈り物。
ルイズはそれをそっと頬にあててしばらく擦る。
まだ少し、サイトの温もりがする。
まだ少し、サイトの温もりがする!!
サイトはそんなルイズの姿を見ることなく、自分の胸……シャツの中に手を突っ込んだ。
チャリ、という金属音がしてすぐにサイトの首下にも、似たようなアクセリーが現れる。
「……? サイト、それは?」
「ああこれ、それとお揃いってか……対、なんだ」
「対?」
ルイズは首を傾げながら、“あまり見ない”その形を不思議そうに見つめる。
自分のはまん丸なのに、サイトのは、まるで綺麗に食べたかのように一部が無くなっていた。
彼女は、“三日月”という形を知らない。
それは、丸の半分以上……極端に言えば一回り小さめの丸をその上に少しずらして乗せて、重なっている部分を全て取ってしまったような、そんな形。
「サイト、それは何?」
「知らねぇの? これは月だよ、三日月」
「月? 月は丸いものでしょう?」
ルイズの質問にサイトは驚き、そういえばこの世界に来て満月以外の月を見ただろうか、と考え込んだ。
もしかしたら、ここは地球と根本的に違う、のかもしれない。
「サイト?」
「ああ、なんでもない。とにかくこれは月なんだよ。俺の世界では月が日によって見える形を変えていくんだ。で、結構ポピュラーなのが満月か半月、そして三日月」
「月が見える形が変わる?」
ルイズは少し興味深そうに言葉を反芻し、やがてほころんだ。
つまり、これはサイトの世界での太陽と月、なんだ。
今、この意味を知っているのは私とサイトだけなんだ。
ルイズはそれが嬉しくなって喜色満面になる。
それを見て、何か言いたそうにしていたサイトは、口を閉じた。
本当はこれを渡す時、“対”の意味を話すつもりだった。
自分の世界においての太陽と月の因果関係。
それこそが、これをプレゼントにした理由だったから。
でも、今のルイズの顔を見ていると、なんだかそんなことはどうでも良くなってきた。
結構クサイ台詞をイメージトレーニングしていただけに、些か残念ではあるが、言わずに済んでよかったと思う面もある。
いつの間にか、周りは生暖かい目をしだして、一人、また一人と歩いていく。
通りの人達の止まっていた足が動き出し、再び回りにいつもの雑然さと活気が戻って来た。
サイトとルイズの視線が絡み合う。
途端ルイズは立ち上がってサイトに抱きついた。
もう離さないというばかりの抱擁。
サイトは照れくさそうに赤くなりながら頬をかき……はて?
サイトは急に、何かを忘れているような気がしてきた。
***
「ぼ、僕は……魅惑、ようせ、て……」
少年の声が通りに小さく小さく木霊していた。
***
ギーシュは馬車で学院に送られることになった。
ギーシュはなんと、自分ひとりはまともに歩けないほどのダメージを負っていた。
いや、まともにあるけない程度のダメージですんだ、ともいえる。
歩くたびに骨が変に軋む音がして、本人曰くマジで超重くヤヴァイらしい。
ヤバイではなくヤヴァイらしい。
そんなギーシュを見送ってからふと、サイトはルイズの身軽さに気付いた。
「そういやルイズはどうやってここに来たんだ?」
見たところ、ルイズは買い物に行く時に持つ、金貨の詰まった麻袋を持っていない。
いつもの杖と見たことも無い黒っぽい本を持っているだけだ。
「あ、私は……」
ルイズが説明しようと口を開きかけ、
「俺はギーシュが往復分の馬代払ってくれてたからいいけど、ルイズは馬代あるのか?」
閉じた。
彼女にとってもっとも必要な魔法、それは即座にサイトの傍にいける、というものだった。
普通ならそんなに離れたところには行けないはずの瞬間移動。
だがルイズは、ルイズの“中”に蠢く“負の精神力”は不可能を可能たらしめた。
無論、遠ければ遠いほど、彼女の精神力の消費は莫大だ。
だが飽くまで“莫大”なだけだった。
彼女はサイトの為なら精神力を惜しまない。
それに、これは彼女すら与り知らぬことだが、“伝説の剣”いわく、“普通百年溜めたってそこまでは溜まらない”程の量なのだ。
彼女にとって必要なのは爆発、幻影などといった、身を護り、敵を打ち砕く魔法……などではない。
彼女にとって必要なのは、いかにサイトといられるかにかかっていたのだ。
だから、彼女は今、“魔法を使う必要が無かった”
「勿論お金は持って来てないわ。しょうがないからサイト、一緒に乗りましょう」
「え? いやでも「しょうがないから一緒に乗りましょう」だ、だけど「一緒に乗りましょう」あ、あの「なんならサイトの上に乗っても……」……わかった、一緒に“馬に”乗ろう」
サイトは諦めたようにげんなりと頷く。
前に一緒に馬にのって、サイトは多大な精神力という名の我慢を強いられた事を思い出し、重い溜息を吐く。
心なしかルイズは残念そうだった。
馬の背よりサイトの太ももの上の方がはるかに良いのだから。
***
魔法学院に着いたギーシュはへっぴり腰で自室へと向かっていた。
正直一人では上手く歩けない。
痛い。
ヤヴァイ。
僕が何をしたっていうんだ、と涙目になりながら壁に体重を預けつつ微速前進する、が、すぐに腰あたりにピキッとした痛みを感じて足が砕け、体勢を崩す。
「うわ……あ?」
だが、予想した衝突の痛みは無く、代わりにふわりとした柔らかさと香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
「どうしたの? ギーシュ」
香水のモンモランシー。
彼女によって、ギーシュは転ぶ事を避ける事に成功した。