第五十五話【擦違】
「よく来てくれたの」
学院長室にて、長い白髭をもしゃもしゃさせている老魔法使い、オスマン学院長がルイズをねぎらう。
翌日の朝、天気は超生憎と快晴だった。
それを知ったルイズは天気を……空を心底恨んだ。
365日雷雨でも良いと思った彼女にとって、もはや晴れなど嬉しくもなんとも無い。
「それでじゃな、今日わざわざ来てもらったのは外でも無い、王宮から……」
全く、晴れているのはミスタ・コルベールの頭皮だけにして欲しいものだと思う。
サイトとの幸せ一杯生活を邪魔する天気など、他の誰が望もうが知ったことでは無い。
そもそも、こうやってサイトと離ればなれにされている事自体納得がいかない。
「……して、君に……というわけなんじゃ……ミス・ヴァリエール?」
無反応のルイズにオスマンは顔をしかめながら改めて声をかける。
「おーいミス・ヴァリエール? 聞いておるかいの?」
「聞いていますわオールド・オスマン。姫様のご結婚にあたり、式の詔を詠みあげる巫女に姫様が私をご指名されたのでしょう?」
ルイズが話を聞いている事に若干の驚きを感じたオスマンだが、話を聞いていたのならそれはそれで良いとして話を続ける。
もっとも、ルイズは目の前の髭爺の話など実はまったく聞いていなかったのだが。
ルイズは過去……時間軸で言えば未来? の記憶から、そうだろうとアタリを付けたに過ぎない。
だいたい、朝早く呼ばれたせいで今朝はサイトのうなじを舐めることも、サイトの吐息を十分に吸い込む事も、サイトの匂いを十分に嗅ぐこともできなかったのだ。
彼女はそのことが大いに不満で、話をまともに聞く気など無かった。
朝は無防備な彼からたっぷりねっぷりサイト分を吸収するのが彼女の日課なのだから。
そもそも、王宮からの大事な話だからと、使い魔同伴すら許されないのは間違っている、いろいろ間違っている、世の中間違っている。
「うむ、この王宮の秘宝中の秘宝の『始祖の祈祷書』を……と言っても中は白紙じゃがのぅ、本当にこれが本物なんじゃろうか?」
ハルケギニア古今東西、始祖の祈祷書だと呼ばれる物は実は数多く存在する。
だが、その真贋を見極める術は始祖が失われて六千年経つ今、どこにもありはしない。
ブリミル教の教祖だなんだと崇められているもはや唯一神のような存在、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリの遺した物だとされるそれは、当然の如く法外な値が付く。
いや、値をつけること自体あってはならないのだが、いつの世も世界も、金に目がくらむ者はいる。
そうなれば、偽物が出回るのはむしろ自然の摂理でもあった。
中には異常な信仰心からそれを持ちたいとして作ったものもいるだろうが。
「っとと、つい話が脱線してしまいおった、歳を取ると話が長くなっていかんのぅ」
「……ほんとよ、さっさと終わらせてサイトのとこに行きたいのに……この髭爺」
ボソッとルイズは呟くが、幸か不幸か二人の間には数m程の距離があったために聞こえていないようだった。
オスマンは気にしたふうもなく話を進める。
「さて、君はこれから肌身離さずこれを持ち歩き、詔を考えねばならん。まぁいくつか考えたものを王宮が精査するじゃろうし、最悪向こうも簡単なひな形は用意してくれるじゃろう。あまり気負わずに自分で思う言葉を考えなさい」
ルイズは始祖の祈祷書を手渡される。
これでもう用事は済んだと、すぐに礼をして学院長室を出て行く。
全く、最近の髭男は皆ロリコンなのかと疑いながら。
そうして、一人残ったオスマンはルイズが駆けて行くのを感じながら、
「髭爺……か、ホッホッホッ、よもや面と向かってワシにそう言える子がまだいるとはのぉ」
面白そうに笑っていた。
ルイズの言った言葉はちゃっかり聞こえている、食えぬ白髭爺だった。
***
サイトはルイズと部屋で別れた後、一人で馬小屋へ歩いていた。
結局言うのが遅くなったが、ギーシュは嫌な顔一つせず了承してくれた。
そう、今日サイトはギーシュと一緒にトリスタニアに向かうつもりだった。
付き合ってくれるギーシュに内心で感謝しつつ、サイトは珍しく一人で目的地へ向かう。
ルイズがOKと言ってくれて本当に良かった。
ギーシュとは馬小屋で待ち合わせている。
ここのところずっとべったりで一人の時間もなかったから、丁度良いといえば丁度良い。
サイトがそう思っていると、
「あ、あの!!」
一人の少女に声をかけられた。
「え? 俺?」
「はい、ミス・ヴァリエールの使い魔さんですよね?」
「う゛ぁりえーる? ああ、ルイズのことか。そうだよ」
サイトの目の前には、ブラウンの長い髪にバスケット片手の少女がいた。
あれ? 何所かで会った気がする、などとサイトは思いながら、
「俺に何か用?」
声をかけてきた少女に尋ねる。
「はい、実は以前からお聞きしたいことがあって……」
サイトに話しかけた少女、ケティは顔を赤らめ、くねくねと体を揺らし始める。
長い間恵まれなかったチャンスにようやく巡り合えたのだ。
(こ、これはまさか……!!)
しかしサイトは、その姿を見て、“まさか”の出来事を幻視した。
この子、俺に気があるとか!?
どこかで見たことがある気がするけどずっと俺を想いつづけていたとか!?
サイトの妄想が無限大に広がっていき……萎んだ。
彼女の気持ちは正直嬉しいが、答えるわけにはいかないのだ。
何故なら……。
「あの実は……」
「君の言いたい事はわかってる。でもごめん、気になってる奴が他にいるんだ……」
サイトは女の子に恥をかかせるものでは無いと思い、彼女が皆まで言う前に答えた。
「えっ!? 私の聞きたいことがわかって……? いえ、それよりも他の方が……?」
ケティはサイトが聞きたい事を看破した事に驚き、しかし言われた言葉を正確に脳が理解し始め少し顔を歪ませた。
(そうだよな、悲しいよな……でもごめん、俺、最近は……あいつのことばっかり考えてるから)
もし、先ほどからのサイトの台詞と頭の中を、学院長室にいる少女が聞くことができたなら、天にも召されていただろう。
ハルケギアに永遠の春が来ると言っても過言では無いかもしれない。
それを聞き、知る術が皆無なので、それは飽くまで“できたなら”という仮定の話でしか無いが。
「えっと、ごめん!! 俺、ギーシュとトリスタニアに行く用事があるから、それじゃ!! 本当にごめん!!」
サイトはその場を駆け出す。
不幸中の幸いは、サイトにとって彼女が名前も覚えていない程度の顔見知りでしか無かったことだ。
そうでなければ気まずくて動けなかったに違い無い。
彼女が、そんなに知らない人物だったが故に、彼は即座に逃げ出したのだ。
もっとも、彼は大きな勘違いをしていたのだが。
さらにその勘違いがケティの勘違い……ではなく誤解……でも無い、意味は違えど事実は同じな事をケティに認識させる。
「そうです、か……ギーシュさまはやっぱり他の方を……」
ケティは、サイトに言われた言葉を反芻していた。
さっさと逃げ出したことといい、もう自分に脈は無いのだろうと思う。
その予想はしていないわけではなかったが、彼女は不思議な感情のうねりを身の内に宿した。
彼の為にいろいろ試行錯誤してお菓子を作ったりしてきたのだ。
その努力が無駄になるとわかったら、もっと悲しいと思っていたのだが。
結論から言えば、思うほど悲しくは無かった。
だが悲しくなくも無かった。
失恋の傷心、それもあるが、彼女の心を占める悲しみは……もうお菓子作りをする必要が無くなったことだった。
彼の……ギーシュの為に頑張ってきたのだから、彼女は脈が無くなった以上、もうその必要は無くなったと言って良い。
もっとも、ギーシュの本命(恐らくあのミス・モンモランシーだろうとアタリつけた)から無理矢理奪う気があるのなら話は別だが、現状ケティにそこまでの意思は無い。
もうお菓子を作る必要が無いということは、練習したお菓子を味見してもらう必要も無いということである。
それが、何故か彼女にとっては悲しく、またその悲しみの意味も上手く理解できない。
そんな時、
「おや? ケティじゃないか」
都合が良いのか悪いのか、
「あ、マリコルヌ様……」
いつも味見をしてもらっているマリコルヌが通りかかった。
ここは天下……というには大げさだが比較的大きい渡り廊下である。
誰とすれ違っても可笑しくは無い。
「どうしたんだい? 沈んでいたようだけどお菓子作りでも失敗したのかい? 大丈夫、君ならきっと上手く作れるさ、味見とアドバイスぐらいしか出来ないけれど僕は全力で応援してるから、頑張ってくれよ」
マリコルヌは笑顔でそういうとケティの横を通り過ぎていった。
その後ろ姿を見て、ケティはハッとする。
まだ、マリコルヌ様はギーシュ様の気持ちを知らない。
ならそのまま、ギーシュ様の為、ということでお菓子を作って味見をしていただくことは出来るのでは無いだろうか。
そうだ、私が“まだギーシュ様が好きな女”でいることを“演じれば”彼はきっとこの距離を保ち、きっと今まで通りでいられるはずだ。
自分とマルコルヌ様の接点はギーシュ様だけ。
だからそうすれば、少なくとも今の距離が離れる心配は無くなる。
そうだ、それがいい。
ケティはマリコルヌのやや横に広がった背中を見ながらそう思う。
これは名案だと、これでいいのだと彼女は思いつつも、何故か、彼女の心はサイトに『気になってる奴が他にいる』と言われた時より、深く深く痛むのだった。
***
早足でルイズは歩き、今朝別れたサイトがいるであろう自室へ急ぐ。
朝は突然の呼び出しでまともにサイトと会話すらしていない。
その分を取り戻さなければこの小さな胸の哀しみは収まらない。
「ただいまサイト!!」
勢いよく扉を開け、いるであろう最愛の使い魔にとびきりの笑顔で挨拶するルイズだが、返事は無い。
「……あれ?」
部屋を見渡してもそこには人っ子一人いない。
部屋にはたいして隠れるスペースなど無いし、そもそもサイトが隠れる理由が無い。
もしなんらかの理由でムラムラして自分の下着が入ったクローゼット等に潜り込んだなら、素直にそう言ってくれればこちらには甘んじて迎撃、もとい受け入れる態勢は常に整っているのだ。
だが物音一つしないこの部屋では、その可能性も無い。
途端、ルイズの中で何かがガラガラと崩れていく音がした。
笑顔が揺らぐ。
声が震える。
景色が……滲んでいく。
……サイトがいない、ここには、サイトがいない……!!
ルイズは呆然と立ち尽くし……すぐに踵を返した。
不安で彼女の、胸が張り裂けそうになる。
これは……草の根掻き分けてでも、サイトを探さねばならない!!