第五十四話【雷鳴】
翌日の朝。
天気は生憎の轟音猛々しい雷雨だった。
だが、ルイズにとっては生憎どころか幸福の雷雨となった。
ピカッ!!
ゴロゴロ……ピシャーン!!
「ひっ、サイトぉ」
ベッドの上でこれでもかとルイズはサイトにひっつく。
サイトはそんなルイズにやれやれ、と思いながらも強く抱きしめ返していた。
ルイズはプルプル震え、情け無い声を出す。
「サイトぉ」
「大丈夫だって、な?」
特別サービスだとばかりにサイトは頭を撫でてルイズをより自分に引き寄せる。
サイトの見えない所で……ルイズは口端に笑みを浮かべた。
体は小刻みに震えている。
幸福によって。
それは今朝、まさに偶然の産物から始まった。
***
とてつもない豪雷が鳴り響き、眠っていたルイズは驚いてサイトをいつも以上にギュッと抱きしめてしまった。
それはたまたまの、咄嗟のことだったのだが、起きていたらしいサイトはそのルイズを見て、
「雷恐いのか?」
そう言うと強くルイズを抱きしめた。
ルイズの体が小刻みに震えた。
朝一番、まさか“サイトから”、そう“サイトから”こんな熱い抱擁をもらえるとは思っていなかった。
ルイズは驚きと幸せのあまり、体が震えるほどの歓喜に見舞われる。
しかし、そこでサイトはさらなる勘違いを起こした。
(ルイズが震えてる。どうやらよっぽど雷が苦手なんだな)
「ほら、大丈夫だ」
サイトはますますルイズを強く抱きしめ、安心させようとした。
幼い頃、自分も雷が恐かった時代があった。
その時、サイトは母親にこうやって抱きしめてもらって安心させてもらったことを思い出した。
自分はルイズの母親ではもちろん無いが、恐いのなら安心させてやりたいと思い、昔やってもらったことそのままに、サイトはルイズを抱く腕に力を込めたのだ。
そうしてされればされるほど、ルイズは歓喜の暴風雨に見舞われる。
ああ、もう毎日天気が雷雨になってくれないかしら、と思うほどルイズは幸せ絶頂期だった。
そこでルイズはつい、あまりの幸せさに、甘い声で彼の名前を呼んでしまった。
「サイトぉ」
それが、サイトの保護欲をそそってしまった。
どうやら、サイトは未だルイズが恐い思いをしていると思ったらしい。
護って欲しいと、そう懇願するかのように聞こえたその声は、サイトを大胆にさせるには十分の威力だった。
「よしよし、今日は俺がずっと傍に居てやる」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
ゾクゾクッとした歓喜にルイズは支配され、例えようの無い幸福感で充溢する。
まさに、サイト分飽和状態でもいうべき状態だった。
そのせいか、自分に不都合な言葉、
「……明日は一緒にいられないしな」
サイトが続けて言ったその言葉には耳を傾けていなかった。
***
そうして一時間、普段とは逆に、サイトがルイズを逃がさないとばかりに強く抱きしめる構図が続いていた。
無論、ルイズは逃げるつもりなどクックベリーパイの食べカス程も無い。
自分からもサイトに張り付き、むしろ一生このままで生を終えても人生に一片の悔いも無いと思うほど、彼女の内心は満たされていた。
ニューカッスルの城でも思ったことだが、ルイズはサイト分の不思議に気付いていた。
自分から求めてサイトに近寄り、何かしてもらうのと、サイトが自発的に何かしてくれるのでは、その密度は天と地ほどの差があった。
サイトに近づいていたいとして自分からサイトの腕に抱きついても十分に幸せだが、これがサイトから腕を掴んできていたとしたら、それはもう天にも昇れるほどの幸福になる。
それほどサイトからの行動というのは嬉しかった。
だがそろそろ起きなければいけない時間帯。
朝食を食べなかったにしても、授業には出なければならない。
サイトは迷い、ルイズをベッドから出そうか考えて、意を決してルイズから離れたのと同時、
ピシャーーーーン!!
一際強い光と豪雷音が鳴る。
ルイズを見れば、震える手でサイトのシャツを掴んだまま瞳には涙を浮かべていた。
「う……」
なんというか、可哀想である。
泣くほど恐いのか、とサイトは思い、震えるルイズの手を取って、
「今日は……休むか?」
つい、そう聞いてしまった。
ルイズはぱぁっと明るくなる。
ルイズの涙は本物だった。
ルイズは本気で、急に離れたサイトが恋しくて泣いてしまったのだ。
ルイズにとっては確かに雷はそれなりに恐ろしくはあるが、人並み程度で雷が落ちるたびにビクッと驚く程度しかない。
それよりも恐い事は、もはやこの幸せ絶頂期を失うことだった。
***
豪雨音激しい廊下を、長く細い褐色肌の足で歩く。
キュルケは今まで恋に本気になったことが無いと自負していた。
微熱は燃え上がってもすぐに覚める。
覚めない熱に焦がれながらも、自分は未だその熱に焦がされない。
だから彼女は本気で恋している子達を羨ましく思っていた。
例えばルイズ。
彼女はあの使い魔に本気で惚れている。
最初はからかい半分でサイトに手を出していたが、最近はめっぽう手を出すのをやめていた。
人様の本気を奪うのは主義ではないからだ。
だがそれも、自分を本気にしてくれる存在でなければ、という枕詞がつく。
何度か、他にも付き合っている女性がいる男子、もしくは付き合いそうな相手がいる男子と燃え上がりそうになったことがあった。
その時は相手の勢いもあって自分も相手に傾倒していたが、そういった手合いはすぐに覚めた。
残る物は元々その男子を好いていた女からの呪詛のみである。
キュルケはそれをつらいと思ったことは無いが、もちろん好んでいるワケでもない。
だが、そうして相手の怨みを買い、受け流す精神を養ったおかげで、彼女は随分と精神的に成長したと感じていた。
だからだろうか。
自分の関わらない色恋というのを見る目も、同時に養われていたようだ。
彼女がそれを見たのは偶然だった。
マリコルヌとギーシュの喧嘩。
決闘だなんだとなれば流石に問題があるが、ただの喧嘩である。
特に気にする事も無かったのだが、この二人は特に喧嘩などしそうに無い二人だったので少し気になった。
結論から言えば、喧嘩事態はつまらないものだった。
マリコルヌが女の為に先走って、ギーシュは溜まっていたらしい鬱憤からお互い手を出しただけのこと。
客観的に見れば、キュルケにとってはその程度のもでしかない。
面白かったのはその後、マリコルヌの元に渦中の根源らしい女が来たことだった。
マリコルヌは慌てているし、女の子は何も知らずにマリコルヌへとお菓子を渡している。
ここで、キュルケは自身に備わった嗅覚がヒクヒクと反応したことに気付いた。
「あの子……」
随分とまぁ小綺麗にしている。
まるで、男の子会う為みたいに。
さらには水とハンカチ常備。
普通、水なんて持ち歩くか?
いや、お菓子を食べて貰うのなら持ち歩くのかもしれない。
だとすると、彼女の今の目的はマリコルヌだった事になる。
通常、好きでも無い男の為にそこまでするだろうか。
中にはする者もいるだろうが、キュルケの嗅覚はそれを否と断じていた。
そうなると彼女の好奇心がムクムクと湧いてくる。
その日、これまた偶然会ったケティにカマをかけてみると、彼女自身気付いていなかった物に触れたらしい顔を見られた。
マリコルヌは恐らく本気で彼女に惚れている。
この子が本気でそれに答えるなら、彼女たちはたちまち最高のパートナーへと化けるだろう。
それが……少し羨ましかった。
自分が焦がれる“永遠の灼熱”を手に入れられるのだから。
半分は興味本位、半分はマリコルヌとギーシュの喧嘩を見たために生まれた良心の呵責からの行動だったが、良くも悪くも彼女は結果的に知られない所で二人に深く関わってしまった。
彼女はその事についてこれ以上弁明する気も関わる気も、付き合う気も無い。
何が起ころうと知ったことでは無い。
だが、と思う。
自分がそんな相手と出会えたなら、私はそんな相手を離しはしないだろうなと。
雨音が響く廊下を歩く長い褐色の足を止めずに、キュルケはまだ見ぬ運命の人に思いを馳せ……妙な声を聞いた。
『サイトぉ』
うげ、気持ち悪い、と言い出しそうになるほどそれは甘く切なく、媚びるような声。
それは丁度お家柄の宿敵……というには些か古くさいような気がする相手、ラ・ヴァリエール家の三女の部屋から聞こえてきた。
ピシャーン!! と雷が鳴る度に聞こえるその声は小さいが、確実に見えない誰か……『サイト』に甘えているがわかる。
はたして彼女はそこまで雷が苦手だったろうか?
一年間の記憶を振り返り、彼女の記憶はそうでもなかった筈との結論を出す。
やれやれ、本気の男が出来るとこうも変わる物なのか、と皮肉めいた考えをしてしまい、苦笑を漏らす。
これではまるで負け惜しみか何かのようでは無いか。
冗談では無い。
一瞬、この扉を蹴破ってでも邪魔してやろうかしら?などとも思ったが、それも止めた。
自分は“微熱”を二つ名に持つ、フォン・ツェルプストー家の女なのだ。
そんなみっともない真似は出来ない。
殿方を魅了するなら自分の魅力で。
邪魔するものがいるならそれも自分の実力で排除するのみ。
フ、と小さい笑みを浮かべてキュルケはその場から離れる。
どうにも、あの声を聞いたまま一人で部屋にいる気にはなれない。
慰み者代わりに誰か男を引っかけに……美味く行けば“永遠の灼熱”を得られるかも、などといつも思いながら叶ったことの無い思いを抱きつつ、手頃な男を探す為にキュルケは止まっていた足を動かす。
この時、彼女はその一瞬の思考で命拾いしたのだが、それに気付くことは無い。
歩き出したキュルケは、この最悪な天候で出歩いている者も少ないだろうと思い、講義室へと行ってみる事にした。
講義が終わった後も、いろいろと無駄話等を咲かせて居座る奴は存外多いのだ。
だが、予想に反して講義室からはまったく人の気配を感じなかった。
(ハズレかしら……?)
そう思いながら一応中を覗いて帰ろうと講義室前まで歩いて来た時、
「おや? ミス・ツェルプストー、講義後にこのような所へおいでになるとは、何か質問ですかな?」
この学院では、容姿以外は比較的人気のある教諭、ミスタ・コルベールと出くわした。
キュルケは内心舌打ちする。
彼女は彼が嫌いだった。
同じ火の系統のメイジでありながら、どうにも覇気が感じられない。
情熱と攻撃的な姿こそ火の本質であると幼い頃から教わり、自分もそう思う彼女は、彼のような軟弱に見える火の使い手がいることが許せなかった。
ましてや、そんな人間に教えを請うなど、彼女の貴族としての矜持が許さなかった。
(男を捜していたけど、この人はパス)
「いいえ、何でもありませんことよミスタ・コルベール。講義室には誰もいないのですか?」
「ええ、先程皆帰られましたよ。今日は生憎の天気のせいか、欠席者も多かったですしね」
「そう、それでは失礼致しますわミスタ」
キュルケは言葉上は丁寧に、胸の中には侮蔑の言葉を吐きながらその場を後にする。
彼女は思う。
“永遠の灼熱”をくれる殿方がこの世のどこかにいるとして、彼だけはあり得ないだろうと。
彼のような、火を扱いながら弱々しい態度を取っているものに、このツェルプストーを燃え上がらせることなど出来はしないと。
だから、彼女はそれきりコルベールのことを考えるのを止めた。
故に、彼女は思い至らない。
何の気配もしなかった筈の講義室から彼が出てきた事実。
そこまで、彼が気配を絶つという……戦闘においても特化されたスキルを持っていたことに。