第五十二話【聖人】
話は少し巻き戻る。
早朝。
ギーシュはアウストリの広場で一人、ワルキューレを無造作に大量生産していた。
「はぁ……はぁ……」
膝に手を置いて顎下の汗を拭う。
彼によって生み出された青銅の女戦士は十体。
彼の最大数量を超える数ではあるのだが……、
「やっぱりダメだ、数だけ増やしても“中身”が伴わないんじゃ意味がない。やっぱり使うなら七体が今の限界か」
ギーシュはこうやって度々自分の限界を試し、新たな可能性を模索する。
「いや、でもがんばれば八体はいけるかもしれない。やっぱり精神力の総量を増やすことから考えないと」
彼の扱う魔法はドットスペルである。
だが、彼はワルドとの決闘によって何かを掴みかけていた。
ワルキューレにさらに一体分の練金を加えて二体分のワルキューレと為した。
同時に使用したわけではないが、だが“出来なさそう”では無かった。
もしそれが可能なら、自分は次のステップ……ラインへと上がれるだろう。
ラインへ上がったなら、練金での消費精神力も格段に減る。
「だが、まずはやはり総量だ」
それでも、元が少なければ所詮すぐにスッカラカンになる。
戦法を頭で考えるだけでなく、やはり魔法技術の向上もしなければならない。
ギーシュは、ラ・ロシェールでの戦いで、最後は精神力不足で結果的にお荷物だったことに悔しさを感じていた。
実際は、彼の立てた作戦ありきの戦いだったのだが、ギーシュはそうは思わない。
やはり自分はもっと鍛えるべきだと、自身の不甲斐なさを悔いていたのだ。
そんな時、一人でいるギーシュの元に、ふくよかなお腹を隠すことなく、真面目な顔をしたマリコルヌが近づいてきた。
「ギーシュ」
「? やぁマリコルヌ、おはよう。珍しく早いじゃないか」
マリコルヌが来たところで今日の特訓はお開きにした。
他人に努力を見せるのは……好きじゃない。
「朝から魔法の特訓か?」
「まぁ、似たようなものだね。君こそどうしたんだい?こんなに朝早くから起きてくるなんて珍しいじゃないか」
だからギーシュは小さく笑って誤魔化した。
するとマリコルヌもそれ以上それには触れずに、
「君に聞きたいことがある」
普段のマリコルヌらしくない、真面目な声色で真っ直ぐに見つめられた。
「なんだい?」
こんなマリコルヌを見るのは初めてだった。
だからギーシュも出来るだけ真面目に話を聞くことにした……のだが。
「君は……本当に一年生のケティを愛しているのか?」
「へ……?」
ポカン、とする。
まさかマリコルヌから色恋の話が出るとは夢にも思っていなかったからだ。
「答えろ、君は本当にケティだけを見るつもりがあるのか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 何で君にそんなことを聞かれなきゃ……ましてや言わなければならないんだい?」
ギーシュは慌てる。
マリコルヌの目は全く笑っていなかったからだ。
そういえば、ラ・ロシェールでマリコルヌは自分に変な顔で睨み付けてきたことを思い出す。
「いいから答えろ!! お前はケティに言ったそうじゃないか、君の作るお菓子を毎日でも食べたい、これからずっと自分の為に作って欲しい、みたいなことを!! それってほとんど告白だろう!?」
「う……否定はしないが」
「じゃあ!! 何でお前はあれからずっとモンモランシーとべったりなんだ!!」
マリコルヌは興奮してきたのか、口調が“君”から“お前”になり、段々と声が大きくなっていく。
そう、ギーシュは戻ってきて以来、モンモランシーと共に多くの時間を過ごしていた。
「それは……」
説明しようとして、やめる。
自分でも上手く説明できなかったからだ。
ただラ・ロシェールでのモンモランシーの豹変が気になっていた。
聞けば自分の為に用意していた“何か”を台無しにされて我を忘れたのだという。
その話を聞いた時、ギーシュは自分を責めた。
一歩間違えばモンモンランシーは大怪我……最悪死んでいた可能性だってあるのだ。
“何か”は結局なんなのか聞けなかったが、彼女の話を聞いていると、どうしてもそれは自分のせいだと感じてしまっていた。
だから、彼は彼女へのお詫びも兼ねてここしばらく彼女と大半を過ごしていたのだ。
「ケティが寂しがっていた。お前はもう自分が好きじゃないんじゃないかって」
「ケティが?」
いや、ケティには以前トリスタニアで盛大にぶたれて頬に紅葉マークを作ってから疎遠になっていたと思っていたのだが。
と、あの頃あった“英雄伝説”があっという間に“笑い者伝説”になってしまった事を思い出してギーシュは内心軽くへこむ。
だがマリコルヌは尚も真剣に、ギーシュへと詰め寄った。
「そうだ、ケティはお前をずっと見ていたんだぞ!!」
それは意外……というより寝耳に水な話である。
ギーシュのそんな考えが顔に出たのだろう。
マリコルヌはギーシュに掴みかかった。
「お前!!」
何でこんな奴が!!
マリコルヌには許せなかった。
ケティという少女に好かれながらも他の女とイチャイチャしてヘラヘラしているように見えるこの男が。
マリコルヌは、実は見た目と違ってそんなに鈍くない。
彼はすぐにケティが自分ではなくギーシュを見ている事に気付いた。
だが、彼女のギーシュの事を話す時の顔は可愛く輝いていて、彼はルイズの時とは違った胸の痛みを生んだ。
悔しい。
何故そこで出てくる名前が自分では無いのかと。
最近ようやくケティに名前を覚えて貰ったマリコルヌは富にそう思う。
だが、彼は良くも悪くも彼女の事を好きになりすぎた。
彼女の幸せを一番に願い、それを自分が叶えられないのならばせめて助けようと、そう思えるほどになっていた。
自分でも、ルイズに嫌がらせをしていた頃の事を思えば、驚くほどの心の成長だと思う。
だが、人は急に大人にはなれない。
彼はギーシュの態度を見て、自分でも知らないうちに押さえつけていた思いが堰を切ったように溢れ出してきた。
「言え!! 僕に約束しろ!! ケティを幸せにすると!!」
襟元を掴んでマリコルヌはギーシュをガクガクと揺らす。
いつも暴力的なことは好まないマリコルヌが見せた、意外な一面だった。
だが、ただやられるがままだったギーシュは、力任せにマリコルヌの拘束から逃れた。
その瞳には怒りを携えて。
「何で人に頼る!? 何で自分でどうにかしようとしない!?」
今度はギーシュがマリコルヌに迫る。
しかしマリコルヌも引かずにギーシュに再び詰め寄り、取っ組み合いになる。
「僕だって、僕だって聖人君子じゃないんだ!!」
ギーシュは胸につかえていた何かを吐き出すようにして言い続ける。
「僕だって何でも我慢できるわけじゃないし、一人だけの女の子といたいって思う!! でも、寂しそうな子がいたら助けたいじゃないか!!」
「じゃあお前はケティが寂しそうだったからそんなことを言ったって言うのか? ふざけるな!! 彼女の気持ちはどうなる!!」
マリコルヌはその右手をぎゅっと握るとギーシュの頬を打つ。
「っ!! この!!」
ギーシュもそれにやり返した。
「僕だってなぁ、何でも思い通りじゃないんだ!! 精神力はすぐに切れて魔法が使えないし、元帥の息子ってだけで女の子達はそういう目で見てくる!! 四男だから上の兄弟とも比べられる!! 僕だって精一杯やってるんだ!!」
「うるさい!! お前なんて格好良い顔で生まれただけ良いじゃないか!! 僕を見ろ!! こんなんじゃ女の子に見向きもされない!! そんな僕にかまってくれた彼女の幸せを願うのは当然だろ!!」
殴って殴られてを繰り返す。
だがお互い無意識に弁えているのか、最初の一撃以外はボディにしか叩き込まなかった。
「幸せを願うなら君が幸せにしろよ!!」
「ケティはお前がいいんだ!!」
「なら自分に振り向かせろ!!」
「っ!! お前に何がわかる!! 楽しそうに僕にお前の事を話す彼女の顔を見たことがあるか!?」
二人とも渾身のストレートをお互いの鳩尾に当てて、ぐっとその場に膝をつく。
ギーシュはまだやる気のマリコルヌを見て、ふっと笑った。
それに、マリコルヌは訝しそうな顔をする。
「すまない。僕もまだまだだ。つい、この前の自分の不甲斐なさから君に八つ当たりをしてしまった」
八つ当たり。
それを言うならこちらも同じだ、とマリコルヌも段々と冷静になってくる。
本当はケティをもっと見てやって欲しいとお願いするだけのつもりだったのだ。
「だけど、今の君を見ていて、いろいろ吐きだして、スッキリしたよ。ありがとうマリコルヌ」
「いや、僕こそすまない」
マリコルヌも頭を冷やし、ギーシュに謝罪した。
「君の言うとおり、僕はケティに責任をとらなくちゃいけないのかもしれない」
ビクリとマリコルヌは肩を震わせる。
「だから僕はケティにごめんと謝るよ、君とは付き合えないとね」
「な!?」
それでは困る、とマリコルヌは懇願するような目でギーシュを見るが、
「僕はね、しばらく一緒にいて、彼女が、モンモランシーが僕のためにつくった物を失ってああまで取り乱した事を知って……彼女の支えになりたいと思っているんだ。だから、僕はケティとは付き合えない」
ギーシュにきっぱりとそう言われてしまう。
「ケティにはお前が必要なんだよギーシュ」
「ケティには、君のような人の方が必要なんじゃないのかい?」
「僕じゃダメさ、僕なんかじゃ……「マリコルヌ」」
マリコルヌが視線を俯かせると、ギーシュは彼の肩を叩いて、
「自信を持ちなよマリコルヌ。今の君なら、誰だって惚れると思うよ」
そう笑ってその場を後にする。
「僕は……僕は……!!」
君たち二人をくっつけることを諦めないからな。
言葉には出さずにマリコルヌは去っていくギーシュの背中を見ながら決意する。
ケティのためになら自分の心など消してしまおうと。
この時、ギーシュもマリコルヌも気付かなかった。
二人のやり取りを見ている少女が居たことなど。
それにマリコルヌはそんなことを考える余裕さえ無かった。
「あら? マリコルヌ様、おはようございます」
ブラウンのマントにブラウンの髪。
ケティ・ド・ラ・ロッタ、その人がたまたま通りかかった為である。
「ケ、ケティ? おはよう!!」
マリコルヌは立ち上がるとパンパンと体の汚れを落とす。
「あら? 顔にお怪我が……」
ケティはハンカチを取り出すと、手に持っていたバスケットからビンを取り出してその液体でハンカチを湿らせ、水ですから、と笑ってマリコルヌの頬にそれを当てた。
「だ、大丈夫だよ、これぐらい。気にしないでくれ」
マリコルヌは慌ててケティを止める。
「そうですか……? あ、そうだ。新作のお菓子が出来たんですの。ギーシュ様に気に入ってもらえるか、まずはやっぱりマリコルヌ様に食べて頂きたいのですけど」
「あ、うん……」
マリコルヌはぎこちなく頷き、ケティがバスケットから出したオレンジパイを受け取った。
「今度はオレンジにしてみましたの。朝食前ですけれど、宜しかったらどうぞ」
「ありがとう……うん、うん、美味しいよ。きっとこれなら……ギーシュも気に入るよ。そうだ、これにだったら多分ワインより紅茶……そうだね、オレンジペコの方が合うから紅茶を一緒に持って行くと良いよ」
「そうなのですか? いつもアドバイスありがとうございます」
ケティは嬉しそうに微笑む。
その笑顔が、マリコルヌには眩しく、そして少し辛かった。
***
「ルイズ、手を組みましょう。私はギーシュを真人間に戻してあげたいし、ついでに貴方の使い魔と引き離したいの」
「……良いわ。正直私もサイトにまとわりつくギーシュをどうにかしたかったし」
当人達の預かり知らぬ所で、新たな種が芽吹いていく。