第五十一話【男色】
「……ウェールズ様」
アンリエッタは闇夜に浮かぶ月を眺めながら涙を流した。
数日前、ルイズが使い魔の少年と共に城を訪れ、回収してきた手紙を渡してくれた。
これでトリステインとゲルマニアの同盟を破断させる道具は無くなった。
王女として、これは大変喜ばしいことである。
だが、彼女の心は悲嘆にくれていた。
彼には出来るなら亡命して欲しかった。
生きていて欲しかった。
共に傍に居て欲しかった。
ルイズの話によると、彼は戦の最前線に立ち、恐らくは父王に殉じたであろうということだった。
実際に遺体を見たわけでも、死んでいると公表があったわけでも無い。
だが、現に王党派は敗れ、神聖アルビオン共和国なる国を立ち上げたという噂は既に広まってきていた。
「貴族派の連合……レコン・キスタ」
小さく呟いた声が、嫌に大きく脳内で反響する。
どうやら護衛として出したワルド子爵も、その一員だったらしい。
ルイズにはいろんな意味で悪いことをしたと思う。
最後、異様に使い魔の少年と仲良さそうにくっついていたのは、傷心の身としては若干苛ついたが。
だが、我がトリステインにも裏切り者がいるとわかった以上、そして、その者達がウェールズを間接的にでも“殺した”事実がある以上このままではいけない。
本当は生きていると信じていたい。
だが、現実はいつも非常である。
だから、まずは身内のオトシマエから付けなければ。
「そう、私のウェールズ様を殺した人間に……私からウェールズ様を奪った奴等に……罰を与えないと」
トリステインの王女、アンリエッタ。
闇夜に照らされるその顔は端正で美しく、シャープで無駄が無い。
肌は白く、頬も弱い赤みが差す程度の非のうちどころの無い“整いすぎた”その顔にはしかし、一点、アンバランスな点があった。
それは突出した胸の膨らみなどでは無く、白いドレスを纏い、白い肌をした全身白と言って差し支えない中にある一点の黒。
光の輝きを一切宿さぬ、漆黒の……瞳。
月夜に浮かぶ月の光すら反射されず、ただ闇色に染まるのみ。
何ものも映さない真っ黒な“虚無の瞳”が、そこにはあった。
***
「サイト、おはよう。ねぇ……お願い」
「お、おはよう……わ、わかったよ」
挨拶をしてから……二人の影が交差する。
おはようのキス。
サイトですら半ば忘れていたそんな行事を、ルイズはきちんと覚えていた。
それどころか今までにしなかった分の取立を行うかのように、時々ルイズはサイトにおねだりをしてきていた。
モンモランシーの件があってルイズが退行してしまって以来、その習慣事態無くなったものと思っていたのだが、ルイズは記憶が鮮明でちゃっかりしなかった回数まで覚えているらしい。
正確には夜、一緒に寝る為の契約更新を兼ねたおやすみのキスの約束なのだが、それが残回数分を昇華するためにこうやって朝にも度々求められる。
サイトは半ば、まるで借金の取り立てに負われるような心持ちでいたがしかし、それを無碍にすることも出来ない。
何せルイズとは“契約”してしまっている以上、約束不履行はこちらなのだ。
不幸中の幸いなのは、ルイズが一括で今すぐ不履行分を求めて来なかったことくらいである。
いや、考えようによってはそれは逆にサイトにとって不利なのだが、彼はそこに今の所思い至っていない。
それに、サイトは帰って来た日の晩、ルイズがとんでもない行動に出ようとした事に少しの負い目と……不謹慎な喜びを感じていた。
それが、ルイズの猛攻を最近のサイトがそんなに嫌がらない理由でもあった。
実はルイズはその晩、おもむろにデルフリンガーを掲げると自らの背中を切りつけようとしたのだ。
アルビオンでのことといい、ルイズに自傷癖でも付いてしまったのかと心配になったサイトだが、彼女は事もあろうに、
『もうサイトに嫌われたくない。昔の自分とはいえあんな事を言ったのも許せない。だからサイトとお揃いの傷を付けようと思って』
と言い出したのだ。
サイトは愕然とした。
自分のことばっかりで、今のルイズのことを全然考えていなかった。
自分だって幼い頃は結構いろいろ残酷だったんじゃないか?
そう思い返せば返すほど、自分がルイズにとった行動が恥ずかしくなり、ルイズが取った行動に責任を感じるまでになった。
同時に、ルイズがそこまで自分のことを考えてくれている事にサイトは小さくない喜びを感じた。
サイトはルイズからデルフリンガーを奪うと、彼女を抱きしめて誠心誠意謝った。
今できることはそれくらいだった。
デルフもサイトの事を思ってか、
『それぐらいでいいじゃねぇか娘っ子』
とサイトをフォローしてくれた。
次の日、何故かデルフがカタカタと震えたまま殆ど喋らなかったのはサイトにとって謎だったが。
だが、その晩以降、サイトは危惧していたルイズとの距離を取り戻していた。
いやむしろ近づいたと思っている。
ルイズも笑顔が絶えなくなったし、デルフとも仲が良いのか最近のデルフはルイズ全肯定だ。
……知らないということは時に幸せである。
とにかく、サイトには全てが万事上手く行っているように思えた。
戦争なんて自分とは無縁だと思っていたものに関わったせいもあるのだろう。
この“平和”を心から楽しんでいた。
サイトは朝のルイズの着替えを手伝うと二人で一緒に食堂に向かう。
半ば忘れていた恒例の行事、朝食前のお祈りの為にルイズは渋々と……本当に渋々と一人でアルヴィーズの食堂に入っていった。
何度かルイズはサイトにもう一度普通に中で食事しないか誘ったのだが、サイトはそれを全てやんわりと断った。
自分もそうだが、ルイズにも多大な迷惑をかけることがこの世界でいろいろ見聞きするようになってわかってきたからである。
ルイズもサイトが自分の為を思っての行動だとわかっているからなのか、強くは出ないし“残回数”との交換取引もしなかった。
ただ、もの凄く名残惜しそうな顔で何度も振り返りながら食堂に入っていくのは勘弁願いたいと思うサイトだった。
ルイズがようやく席についた事を確認し、やや入り口から離れてサイトはルイズが料理を持ってくるのを壁に背を預けながら待つ。
そんな時、
「やぁサイト、おはよう」
聞き知った声で、挨拶をしてくる少年がいた。
***
ルイズは先程サイトに向けて絶やさなかった笑顔とは一転、イライラしていた。
(……ブリミルなんて大っ嫌い)
毎朝毎朝、こうやって決まってサイトと引き離されるのである。
全く、何がブリミルだ、サイトと引き離す信仰対象など糞食らえだ。
ロマリアの民が聞いたら卒倒、異端審問にかけられかねないような反ブルミル精神で内心悪態を吐く。
ああ早く唱和を済ませてサイトの元に戻りたい。
サイトがいないこの空間はもはや瘴気だ、毒そのものである。
早くサイトの傍へ言って消毒、浄化してもらいたい。
そんな事を思いながら時が早く経つことを願うルイズを、そっと見つめる小さな双眸があった。
「………………」
それはタバサだった。
タバサはニューカッスル城での出来事を不信に思っていた。
あの鉄の……血の匂い。
『そりゃあそうでしょうよ、外じゃあ殺し合いをやってたんだから』
キュルケはそう言って気にしなかった。
確かに王党派と貴族派の激突は特に凄まじいものがあった。
彼らの戦闘で飛び火した匂いだと取れないことも無い。
だが、
(……違う、あの匂い……あの焼けたような匂いはフーケの時と同じ……!?)
匂、い……?
タバサは急に考え出した。
あの時、匂いなんて感じただろうか。
確かにあの時の匂いはとフーケの時の匂いは同じような認識がある。
だが偽者の足ならば、匂いまで精巧に似せられるものだろうか?
あの時の自分なら、それぐらい冷静に考えられたはずだ。
だがおかしい。
どうにも記憶が曖昧で、“あの時”の事を思い出せない。
今までどんなこともそう忘れなかった筈の自分の記憶が曖昧になったことに若干狼狽えるが、丁度朝の唱和が始まりだした。
タバサは思考を切り替える。
これからは別の戦場……ご飯の時間だ。
……じゅるり。
ルイズとは違った意味で、早く唱和が終わって欲しいと思う。
もう、先程何を考えていたのかは覚えていなかった。
***
「おぅギーシュ、おはよう、寝坊か?」
「ハハハ、いや“朝からちょっといい汗を流した”のさ。おかげで朝食にはこの通り遅れてしまったようだけどね」
ギーシュは照れたように笑い、そういえば、と思い出したように、
「例の“一緒に街まで行く件”、どうなったんだい?」
「あ~それかぁ」
サイトは頭をかき、う~んと唸る。
「ルイズのガードが硬いんだよなぁ、中々一人になれなくてさ。まぁ嫌じゃないんだけど……言い出そうにも何か言い出し難いんだよなぁ……かといってついてこられても困るし」
「そうか。だがまぁ行くなら早めに行ってくれよ? 僕にも予定があるし、最近は何かと物騒だから“トリスタニアの出入り”も厳しくなってるかもしれない」
「おうわかった、悪いな」
「いいさ、君と僕の仲じゃないか」
微笑ましい少年同士のちょっとした密談。
それを……、
「………………」
金の髪をいくつもロールした少女が盗み見ていた。
***
唱和が済んで、ルイズはいつも通り慌てて皿に料理を乗せると外へと急ぐ。
厨房でコックに混じって食べようかと思ったこともあったが、あそこはダメだ。
“泥棒猫”がいるので危険すぎる。
結局ルイズは食事は殆どこのスタイルを維持していて、フラストレーションが溜まっていた。
と、外に出ようとしたとき、それをルイズは金の髪をいくつもロールした少女、モンモランシーに阻まれた。
「ちょっとルイズ、話があるんだけど」
「……モンモランシー、よくもぬけぬけと私の前に一人で姿を見せられたわね?」
ルイズの纏う空気が一気に凍る。
彼女は忘れていない。
彼女の作った香水のせいでサイトとしばらく隔たりがあったことを。
「それは貴方のせいでしょう? 私は止めたわ」
「言いたい事はそれだけ?」
「話があるのよ、貴方の使い魔、サイトのことで」
「!!」
不快である。
他の女が彼の名前を呼ぶこと事態不快である。
この女、まさかサイトに気があるの!?
ルイズの瞳からどんどん光が消えていき、
「貴方の使い魔とギーシュ、仲が良すぎると思わない?」
ピタリ。
ルイズの動きが止まる。
「私、聞いちゃったのよ」
「何、を……?」
ルイズはかねてから思っていたことを突かれ、つい話に耳を傾けた。
「貴方の使い魔とギーシュ、貴方に内緒でトリスタニアに一緒に行く計画を立てているようよ」
「な、なんですって……!!」
メーデーメーデー。
恐れていた事態発生。
サイトが……取られてしまう!?
「それにね、今朝私ずっとギーシュをつけてたんだけど」
何故、とは聞かない。
そこにルイズの興味は無いからだ。
「ギーシュったら朝からマリコルヌと会って、なにやら戦いだして……遠くからだったからよく話は聞こえなかったけど最後にギーシュはこう言ったの。『今の君なら、誰だって惚れると思うよ』って」
「ほ、惚れる……?」
「私、思うんだけどね……」
モンモランシーは震えている。
ルイズはモンモランシーが言おうとしている事に心当たりがあるのか、顔を青くする。
まるで、認めたくない、そんなわけない、と自分に言い聞かせているようだ。
「私、思うんだけどギーシュってもしかしたら、“男色”のケがあるんじゃないかって」
ルイズの刻が止まる。
緊急事態発生。
サイトが、サイトの貞操が危ない!?