第四十七話【濃霧】
船内に張りつめた空気が漂う。
まさに一触即発。
今の言葉は、時期もさることながら、滅ぶのが目に見えているとはいえ一国の皇太子相手に言っていい言葉では無い。
王党派の兵士達はサイトを敵意ある眼差しで睨み、ルイズはそんな兵士達の目からサイトを護るようにサイトの腕に縋り寄った。
「風のメイジは嫌い……?」
ウェールズはふむ、と一つ頷くと、
「すまないが皆、私は彼と二人だけで話がしたい、席を外してくれないか」
「で、殿下!?」
兵士達を驚かせる。
何を言ってるのだろうかこのお方は。
今は大事な時。
こんな何処の馬の骨ともわからない輩、ましてや敵意を向けてくる平民ごときと二人になるなど危険すぎる。
口々にウェールズを諫めようと声が上がっていく。
ウェールズとて皆の気持ちはわかる。
その心配は一個人として嬉しく思い、王族として申し訳なくも思う。
だから、少し卑怯な言い回しをすることにした。
「……幸い、ニューカッスルまではまだ少し時間がある。皆、僕は悔いを残さずに逝きたいんだ」
文字にしなければ、正しい意味での捉え方は難しい。
しかし、この場にいる王党派の人間にそれを伝えるには、言葉だけで十分だった。
「………………」
先ほどまで上がっていた反対の言葉は出てこない。
いや、皆不満そうにはしてるものの、それをあえて口にはしなくなった。
それでも、意を唱える者はいる。
「そんなの、認められませんわ」
それはルイズだった。
ルイズとてウェールズの人となりは知っている。
彼は恐らくサイトに危害は加えまい。
しかしだからといってサイトと二人に出来るかといえば異議を唱えずにはいられない。
何が起こるかはわからないし、それに……せっかくサイトにくっついているのだから。
なのにサイトと二人きり?
そんなこと自分がしていたい。
だが、当のサイトは、
「俺は構わない……ッスよ」
一応語尾は少し謙らせ、ウェールズとの対話を受け入れるつもりの意を表した。
こうなってしまってはルイズとて諦めざるを得ない。
でも……諦めたくは無い。
「そんな……サイト」
ルイズはサイト以外を視野に入れずに真っ直ぐサイトだけを大きく丸い鷲色の瞳で見つめる。
「この人が二人で話したいってんだからしょうがないだろ? さっきからの様子を見る限りイキナリ襲われることは無いだろうし多分大丈夫だろ」
そんなルイズにサイトは肩を竦めて、やむなく、というポーズをとりながらもルイズを宥めた。
それが王党派の人間には気に食わない。
気に食わないが、ウェールズがああ言う以上、それを腹の中に仕舞いこみぞろぞろと船室から出て行く。
ルイズも名残おしそうにしながらゆっくりとサイトの腕を放し、
「……部屋の戸の前で待ってるから」
そう伝えると、何度もサイトを振り返り見ながら牛歩で部屋から出て行った。
「君たちは仲が良いね、恋人か何かかい?」
さて、とウェールズは男二人きりになった船室で、少し硬くなった空気を柔らかくしようと当たり障りの無い話題を振るところから始めた。
「……いいえ、違いますよ。俺とルイズはそんなんじゃないです、ルイズには婚約者いるそうですから」
ところがこれは選択ミスだったようだ。
う、とウェールズは言いよどみ、それはすまない、と謝罪の言葉を口にした。
「あれだけ君にべったりだからつい、勘違いをしてしまったよ、申し訳ない」
何気ない会話から少し円滑な会話をしようと思ったのだが、慣れない事はするものでは無い。
ウェールズはそう内心溜息を吐き、下手な会話より単刀直入に話そうと決めた。
「君は……風のメイジと何か諍いがあったのかい?」
「……ええ、まぁ」
サイトは短く答える。
話はするが、アンタは気に食わないというオーラは隠さない。
ウェールズはそんなサイトのことが、何故だか無性に気になった。
思えば誰かに敵意を向けられるという経験はほとんど無い。
それはウェールズが皇太子だったりするせいもあるが、何より人に嫌われまいと、皆の自慢になる良き皇太子であろうとした努力の賜物だった。
その努力を辛いと思ったことは無い。
それが自分の責務として育ったウェールズには、努力という概念すら内心には無いからだ。
だが今、こうやって謂れの無い敵意を初めて向けられ、ウェールズは戸惑いながらも興味を抱いた。
よく言えば好かれる皇子だが、悪く言えば周りはイエスマンばかりともとれるこの現状に初めて舞い込んだ一陣の新風。
何故かウェールズはそれを心地よく感じていた。
だからだろう。
サイトの態度もオーラも、咎めようという気は一切起きなかった。
「風のメイジって自己中が多いと思ってます」
ふと気付けば、サイトの方から話し出している。
これは喜ばしい事だった。
ウェールズはどうやってこれ以上詳しい話を聞けば良いかわからなかったからだ。
「何故そう思うんだい?」
「……経験ッスよ、風のメイジは周りを巻き込む自己中が多い」
「良ければどんな経験か聞かせてくれるかい?」
ウェールズの問いに、サイトは服を脱いで背中で答えた。
「……これは」
「風の魔法で切られました、後ろから。決闘することになった風のメイジが、負けた後それを認めずに背後から襲ってきたんです」
「……そうか」
……なんて真似を。
それでも本当に貴族なのだろうか。
「他にも俺が平民だからか食堂に入ったらいちゃもんつけて来る奴がいたり、さっき言ったこの傷をつけた奴なんて俺を誘拐してルイズまで傷つけました。そういや最近、山賊たちの目の前で置いてけぼりをくらったりってのもありましたね」
「……すまない、同じ風を扱うものとしてそういった人間を恥ずかしく思う」
ウェールズは自分が行ったわけでも無い風使いの非道を、まるで自分が行ったかのように謝罪する。
「全ての風使いが悪いわけじゃないってのはわかってますけど、それでも風のメイジは嫌いです」
「……そうか」
ウェールズは少し寂しそうに頷いた。
おかしな話、自分を嫌いだというこの相手を、ウェールズは好きになっていた。
真っ直ぐに思ったことをぶつけてくる相手はそうはいない。
そういった意味で、サイトは好感が持てた。
だが、
「俺は……貴方もあんまり好きじゃない」
この言葉には首をかしげた。
話を総合するとサイトの風嫌いには納得がいくが、自分がそうまで嫌われる理由は薄いように感じられた。
「言いましたよね、風のメイジは自己中だって。例えば、さっき貴方は空賊に扮して俺達の乗っていたフネを襲った」
「………………」
ウェールズは黙って耳を傾ける。
反論の余地は無い。
戦争なんだから仕方が無いと言っても、やっていることは略奪という恥ずべき行為に違いは無い。
「それに最後の戦い、とか言ってたよな? ……ましたよね? 周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ」
「………………」
ウェールズに言える言葉は無い。
だが胸に染み込んでいく言葉がある。
『周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ』
それははたしてどういう意味か。
死ぬなら一人で死ねという意味か、それとも死ぬなという意味か。
どちらにしろ、現状そんな夢物語は叶わない。
「……貴方が死ぬ気だってんなら、俺はやっぱり貴方も含め風のメイジは好きになれそうに無い」
サイトの言葉は深く重く、ウェールズの胸に今までに無かった迷いを孕ませた。
***
ルイズは戸の前で今か今かとサイトを待っている。
そんなルイズを見ながら、王党派の船員は不満そうに鼻を鳴らした。
「あの少年、何かあったんだろうけどあの態度は腹立つよなぁ」
「そうだな、どうにもあの商船から連れてきた“三人”はいけ好かない」
「三人? 二人じゃないのか? あの少年とそこの嬢ちゃんと」
「ん? いやもう一人“風石に力を込めてた飛び入り客”とかってのをギリギリで乗り込ませたはずだが……そういや見かけんな、何処行った?」
船員達は不思議そうに首をかしげ、まぁ何処かにいるだろ、と気にせずその場を後にする。
ルイズは全神経を部屋の中に集中させている為に、船員の話など聞いてはいなかった。
***
「くっ!!」
フーケは戸惑っていた。
相手は複数とはいえ子供。
それなのにここまで手玉に取られるなんて!!
一人はただ何も考えずに近づいて来る少女。
コイツが一番やばそうで一番どうにかしたい相手でもあるのだが、如何せん周りがそうはさせてくれない。
「今だケティ!!」
「はい!!」
ギーシュの掛け声でケティは小さな火の粉を生み出した。
すかさずマリコルヌは風でそれを術者、フーケへと運ぶ。
火の弾などなら避けようもあるが細かい火の粉では煙くなり避けようも無い。
今のところ目に見えるダメージは視界不良と煙たいくらしか無……「ゲホッゴホッ……」……!!
そこで初めて気付く。
自分は随分と風に乗って飛んできた火の粉で生まれた煙を吸っていることに。
……長期戦はマズイ。
だがかといって──────ガクン──────またか!!
ゴーレムの足元にゴーレムの足が嵌るだけの穴が開く。
ゴーレムは足を取られ転びそうになる。
ギーシュの考えた作戦は早い話、時間稼ぎだった。
まともにやっては持たない。
であればいかに相手を翻弄し、疲労させるか、である。
勝つための戦法ではない。
負けない為の戦法である。
それに気付いた時にはゴーレムに触るモンモランシーがいた。
「……ゆる、さない……!!」
何も映していなかった筈の瞳に狂気が垣間見える。
「っ!!」
フーケが一瞬怯んだその時、ふっとフーケの頭上が暗くなる。
フーケの頭上には巨大な氷の塊があった。
「落ち、ろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
モンモランシーが叫ぶ。
長年の勘が告げる。
……間に合わない。
フーケはダメージを覚悟し、子供達にいいようにやられた自分に苛立ち、それでも目は背けまいと巨大な氷の塊を睨んで……脱力した。
「え……?」
氷の塊があっという間に溶ける。
「な……!?」
驚きは誰のものか。
「全く、これだから女というものは……戦の引き際を知らん」
気付けば、フーケは赤色のマントを纏う男に抱き上げられていた。
「ア、アンタ……モット!? なんで……」
フーケは驚いた。
何時の間に移動したのか、何をどうやったのか、フーケはゴーレムの足元にいるモットの腕の中だった。
「勘違いしているようだが、私は別に冷血漢では無いぞ。一応貴様と私は協力者なのだからな」
モットはそう言うと杖を振って辺りに水を巻き……その水が段々弱くなり、周囲一帯に濃い霧が生まれる。
「さて、引くぞ。これ以上の戦闘は意味があるまい」
「え? あ、ああ……」
フーケはあまりのモットの手際の良さについ我を忘れてしまっていた。
「何をボーっとしておる、走れ」
そう言って駆け出す元モット伯。
フーケはハッとして、霧中の赤い背中を追いかけ始めた。
鼓動が、何故か少し早くなっていた。