第三話【食事】
彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは本当に久しぶりに熟睡できた。
ここまで安眠できたのは実に二十六年ぶりではなかろうか。
いつも眠るときに見る嫌な夢は見ることなく、かつてのように手を伸ばせば彼の少年がそこにいる。
幸せというものはこういうものだと彼女は長い年月を経て理解した。
未だ自身がまどろみにいる中、普段なら寂しさからシーツの中をまさぐって生まれる寂寥感が今日は一切来ない。
そこには幻ではない質量を伴った自分の半身とも呼ぶべき存在が確かにいる。
「……サイト」
細く白い手を伸ばし、隣で眠る彼の体を撫でるようにしながら触れる。
それは長年追い求めた真の感触であり、願いだった。
この手触りの服は、ハルケギニアの技術では生み出せない。
まどろみにいながらもそれを本能で理解出来たルイズは目を閉じ微笑を崩すことなくその掌に力を込める。
***
平賀才人は混乱の極みにあった。
急に見知らぬ土地に拉致され、もう帰れないと言われ、使い魔になれと言われる。
それをどれもこれも可愛い女の子が優しく教えてくれたので怒るわけにはいかなかった。
平賀才人十七歳、自称フェミニストであった。
女の子への興味も年相応であるとの自覚はあったが、しかし今朝は刺激が強すぎる。
この刺激に比べれば昨日突然この世界に呼ばれたことなど些細に思えるのではないかと思ってしまうほどに。
まず、白く細い腕が自分の背中に回っている。
それはまぁ、いい。
次に細くしなやかな素足が自分の足を絡めるようにしてくっついている。
ももの感触がジーンズ越しに感じられてつい……なんでもない。
ああ、自分もジーンズ脱げばよかっ……なんでもない。
極め付けが目を閉じた可愛い顔、長い桃色の髪をして薄紅色の頬をし、小さい唇から断続的に吹きかけられる吐息が自分の顔間近にあるということだ。
抱き枕宜しく、がっちりホールドされてるサイトは満足に身動きも取れず、少女の吐息をその顔に一心に受ける。
彼女は薄いピンクでスケスケのネグリジェ姿。
……何の拷問ですかコレ。
そう思っていると、目の前の少女、ルイズがゆっくりとその長い睫毛の下の瞳を開いた。
***
「おはよう」
「お、おはよう」
ルイズはサイトが返してくれた挨拶に身震いする。
なんという幸せか。
彼がこうやって話しかけてくれる事を一体この十数年何度夢想しただろう。
その度に声質を思い出せなくて枕を涙で濡らしたのも、一度や二度ではない。
「……服、着せてくれる?」
ルイズは起き上がり、サイトに着替えを頼む。
サイトは何処かぎこちなくなりながら言われた場所から服を取り出してたどたどしい手つきで着替えを手伝い始めた。
「し、下着は自分でやってくれよ!!」
サイトが顔を赤くしてショーツを投げてくる。
「お、お前、せめて前は隠すか何かしろよ!!」
サイトは顔を赤くして明後日の方を見ながら前のボタンを留めていく。
「ありがとうサイト、悪いけど使い魔の仕事として下着を含めた洗濯をお願いね」
サイトは慌てる。
いくらなんでも女性の下着を洗うなんて。
「お前、せめてパンツは自分で洗うか他の奴に頼んでくれよ!!」
「昨日も言ったでしょ? 貴族は自分ではそういうことをしないように躾けられてるの」
「だったら他の奴に……」
サイトがそう口にした時、ルイズが一瞬顔を沈ませた。
「イヤ」
「はぁ?」
「サイトがいるのに他の人に下着触らせたく無い」
「お、お前いくらなんでも会ったばかりの俺を信用しすぎだろ!! 昨日も思ったけどそんなんじゃすぐに騙されて痛い目見るぞ!!」
サイトは怒ったようにルイズを睨みつける。
ここでしっかり言っておかないとこいつはダメになる、そう良心が訴えてやまなかった。
だが、ルイズはそれを見て涙を流した。
「えっええええ!?」
慌てるサイト。
やっぱり怒ったのが不味かったのか。
どんな温室育ちか知らないがルイズは貴族だと言ってたし、まともに怒られたことなど無いのかもしれない。
それは半分アタリで半分ハズレだった。
「私、サイトに怒られた、“怒って”もらえた」
嬉しかった。
自分を知らない彼が自分の身を案じて怒ってくれるのが。
同時に悲しかった。
サイト自身にサイトを信じすぎるなと言われたのが。
今のルイズにとってもはや、信じるものはサイト以外にいなかった。
始祖ブリミルとサイト、どちらを信じるのかと聞かれても彼女はサイトを選ぶだろう。
「いや、その、ごめん」
「ううん、でもサイト、これだけは覚えておいて。私は貴方以上に信じるものなんて無い。それは今も昔も、そしてこれからも」
「昔?」
「……なんでもないわ」
サイトはルイズの言い方に少し疑問があったが、それでもそこまで自分を信じると言われると、それを無碍に出来るほど酷い奴では無い。
「わ、わかったよ、なら俺もその期待にできるだけ答える」
ルイズはその答えに微笑みで返した。
***
サイトは自身のお腹に腹をたてていた。
彼女はとても綺麗な微笑をしてくれた。
自分とわかりあおうと必死なんだと思った。
その笑みを見て、彼女が騙されないように護ってやらなきゃ、などともおぼろげながら思うようになっていた。
そんな朝のあの一時、
ぐぅ~~~♪
お腹が鳴ってしまったのだ。
あの大事な局面でお腹が鳴るなど、いくらなんでもデリカシーが無いと自分を諫める。
いくら昨日の昼以降何も食べていなかったとしても、自分のお腹に怒りを感じずにはいられなかった。
ルイズは先ほどとはまた別の、“少女の笑み”を浮かべて、
「朝食に行きましょう」
と言い、食堂へと案内してくれることになった。
食堂に着くと、そこは予想を超える大きさだった。
とんでもなく大きい長テーブルが三つ。
何でもここ、アルヴィーズの食堂では学年ごとに座るテーブルが違うらしい。
テーブルに乗っている料理も、朝食とは思えない程に豪勢だった。
「凄ぇ、今日はなんかの記念日?」
「いいえサイト、ここでの料理はいつもこんなものよ」
ルイズの言葉にサイトは驚愕を隠せない。
毎日こんな凄いもの食べてるなんて信じられなかった。
「まぁもっとも、その、今日は……ゴニョゴニョ」
ルイズはまだ何か言おうとしてたが、サイトには聞き取れなかった。
「ん? 何か言った?」
「な、何でもないわ!! サイト、椅子を引いてもらえる?」
「そういうもんなのか?」
「ええ」
サイトは納得して椅子を引いた。
ルイズは着席する。
「おいルイズ、ここはアルヴィーズの食堂だぞ?使い魔、それも平民なんてつれてくんなよ」
それを見ていたその場の生徒の一人が、蔑むようにルイズを罵る。
が、ルイズはそれを聞き流し、
「サイト、ほら座りなさい」
隣の席を促した。
途端ザワリと周りがざわつく。
「おいルイズ、聞いてないのか? それとも魔法だけじゃなくて頭もゼロになったのか?」
「ここは由緒正しきアルヴィーズの食堂、そこに使い魔の平民を連れてくるだけじゃなく椅子に座らせる? 何考えてんだゼロのルイズ!!」
サイトは周りの突然の物言いに驚き、座っていいものか迷う。
「黙りなさい、ここは私のサイトの席よ、許可は得ているわ、別に使い魔を絶対に中に入れてはいけない、席に座らせてはいけないなんて規律は無いわ」
ルイズはギンッと物言いをつけてきた生徒達を睨んだ。
「全く、これだからゼロのルイズは」
「そうそう、常識までゼロだね」
しかし生徒達は文句を言うのをやめない。
「あの、ルイズ? 俺、もしかしてここにいたらまずいのか?」
お腹空いたなぁ、食べたいなぁという顔をしながらも、周りの異様な光景にサイトは少し尻込みした。
「大丈夫よ、昨日のうちに私が許可を貰ったから」
だからほら、とルイズは席にサイトを座らせる。
そこまで言われ、サイトも一度腹を括った。
「あ、まって」
括って食べようとして、出鼻を挫かれた。
「え? 何? やっぱり食べるなとか言うなよ? もうお腹ペコペコで……」
「それは大丈夫、ただ食べる前には全員が始祖ブリミルに祈りを捧げる儀礼があるの」
ルイズがそう言ってまもなく、全員で唱和するようにお祈りのような事を始めた。
目を閉じてお祈りをするルイズはとても綺麗で。
天使というのがいるのだとしたらこんな人かな、などとサイトは考えていた。
唱和が終わってさぁいざ食べようかという時、
「あーっ!!」
サイトに向かって一人の男の子が近寄ってきた。
「おいお前、何でそこに座ってるんだよ!?」
少々小太りなその男の子は、金髪の前髪がくるっとカールしていて、額に汗を浮かべていた。
「そこは僕の席だぞ!!」
「え? そうなのか?」
コレだけ広いのだ、空き椅子も何個かあるし、もしかしたら指定席なのかもしれない。
でもルイズは何も言ってなかったし、どうなんだろうか。
「そうだそうだ、ここに平民の席は無い、言ってやれマリコルヌ!!」
先ほど物言いをつけてきた周りの男の子達が、その少年の抗議に援護する。
お腹がクゥクゥ鳴っているサイトだが、この情況を見てどうしたもんかと思う。
「言いがりはやめてマリコルヌ。ここは学年ごとに自由席の筈よ、オマケに今朝の唱和に遅刻までしてきてどの面下げて言ってるの?」
ルイズはマリコルヌと呼ばれていた少年を睨みつける。
それが少年、マリコルヌ・ド・グランドプレには面白く無かった。
何も出来ない落ち零れ、人があまり寄り付かないゼロのルイズ。
自分の容姿から全くモテた試しの無いマリコルヌはそんなルイズと自分にシンパシーのようなものを感じていた。
それと同時に、彼女なら自分の伴侶たりえるのではないかとも思っていた。
顔もとても整っていて好みだったし、家柄も公爵家と文句無しだった。
だからこそ、入学当時にゼロと罵られた彼女に自分と付き合わないかと言ったのだ。
ところが彼女は断わった。
マリコルヌはプライドが傷ついた。
ゼロのくせに、と。
それ以降マリコルヌは度々ルイズに嫌がらせをするようになった。
もっとも、今日はそんな事はあまり関係なく、たまたま食事の際の自分の席はそこだと決めていた場所にサイトが座っていただけのことだった。
それに嫌がらせと言っても彼も貴族。
マリコルヌとて自分や相手の顔に泥塗るというほどのことまでしないよう一線はきちんと引いていた。
“だからこそ”今日までルイズはマリコルヌの行いを黙認してきていたのだ。
だが、その一線、マリコルヌにとってはセーフラインで、ルイズにとってはアウトラインどころかデッドラインとも言えるその一線に彼は触れてしまった。
「あ、何か悪い。俺今日は外に出てるよ、悪いけどルイズ、後で何か食べさせてくれ」
「あ、サイト……!!」
サイトはお腹ペコペコだったが、ここで騒ぎを起こすのもアレだと思い空っぽのお腹ごと席を後にする。
場に残される桃色の髪の少女は、食事の手を止めマリコルヌを睨みつける。
「な、なんだよ? 言っとくけど今日は別にそんなんじゃないぞ!! 僕は今日はこの席だって決めてたんだから!!」
そのあまりの迫力にマリコルヌは少し肝を冷やしたように怯える。
だが、彼は怯えを感じるのが、“遅すぎた”
「また私から……サイトを奪うの?」
今日、この時間軸では初めて、彼女は人に恐れられるような声を絞りだした。