第三十八話【矛盾】
「あ~もうっ!!」
ルイズはイライラしていた。
何をやっていても気が紛れない。
いや、集中できない。
何かの禁断症状のように体中が渇き、飢えている。
自分が自分で居るための“何か”が圧倒的に足りない。
だが、その何かがわからない。
「何グズグズしてるのよ!? 掃除が終わったらさっさと洗濯してきなさい!!」
わからないから八つ当たりとばかりに自身の使い魔に辛く当たる。
だが、それは渇きを、飢えを、イライラを増幅させる効果しか生んではくれなかった。
サイトが洗濯籠を持って慌てて部屋を出て行ってから数分、一向にイライラは収まらない。
むしろイライラが募り、自分でもよくわからない精神状態に陥って頭が爆発しそうだった。
まるで体が自分のものではないかのような錯覚さえ起き、苛立たしいことこの上ない。
バフン、と天蓋の付いた大きなベッドに飛び込み頭をかきむしる。
髪が傷み、折角整っていた桃色の長い髪がボサボサになる。
と、ふと自分は今朝、どうやって寝癖を直したか思案して……何故か思い出せない。
いやいや、いつも通り寝ぼけながら“自分で”やったはずだ、そうに違いない、うんそんな気がしてきた。
そう自分に言い聞かせ、さらにイライラ。
「なんだってのよ、もう!!」
悪態をついてベッドに拳を叩きつける。
バフンとベッドは反発してその衝撃を吸収した。
今朝、廊下で我に返ってからずっとこの調子だった。
イライラが収まらず、かといって理由もわからない。
ストレスが溜まる一方で、“何か”は急速に減っていく。
減れば減るほどストレスは溜まり、ルイズの機嫌を悪くしていく。
悪循環だった。
原因がわからない以上、手の打ちようも無く苛立ちばかりが募り、もはや自分が今何をしたいのかさえわからない。
落ち着くことが出来ず、心の中は荒れに荒れ……、
「……あれ?」
それに気付いた。
化粧台の鏡の前、そこに見覚えの無い物があった。
「随分と安っぽいわねぇ、こんなの持ってたかしら?」
それは金のブレスレット。
公爵家の娘としては、こんな安物そうな何の装飾も無いブレスレットを買う筈は無いのだが、ここにある以上これは自分のものだろう。
それに、
「……なんだろう、なんか、これを見てると少し落ち着く」
不思議と先程までのイライラが少し収まった気がした。
何気なく手を伸ばし、それをはめてみる。
腕にはすんなりと通り、覚えは無いがやはり自分のなのかしっくりとくる。
加えて、先程よりもイライラが抑えられている気がした。
「……なんかようやく落ち着いたわ」
ふぅ、と息を吐いて化粧台の前に座り、酷くボサボサになってしまった髪の毛を直しにかかる。
鈍い金色が、鏡の中で薄く光っていた。
***
「……っと!!」
パンッと洗濯物の水分を飛ばして皺を伸ばし、サイトは空を見上げる。
天気は良い。
日差しはさんさんと降り注ぎ、雲も少ない空には太陽が一つで、そこには平和という二文字しか見つからない。
だが対極的にサイトの内心はどんより曇っていた。
「……なんか、ルイズが予想以上に厳しいんだけど」
人が変わったわけでもあるまいし、数日で戻るのだからルイズはルイズと割り切っていたが、このルイズはサイトの知るルイズと違い過ぎた。
「犬、呼ばわりだもんなぁ……」
犬と呼ばれ、「何だよその言い方」と返したら「犬なんだから人語を話さずワンと鳴きなさい」と来た。
流石にムッと来て言い返そう物なら一が十になって帰って来、仕舞いには乗馬用の厚くて硬い鞭を振り回される始末。
「あれ、ホントにルイズなのかよ……」
イテテ、と腕についた鞭傷の跡をさする。
ルイズ曰く、主が認めない限り発言権どころか人権さえ認めないような口ぶりだ。
同一人物なのか疑いたくなる程サイトは参っていた。
「……あれ? サイトさん!!」
そんな疲れ果てたようなサイトに、快活に話しかけてくるメイドがいた。
「あ、シエスタ」
メイドのシエスタ。
サイトと同じ黒色の髪をボブカットにした黒眼の少女だった。
服装はメイドらしく、白と黒のヒラヒラな服とヒラヒラの前掛けととどめにヒラヒラのスカートだった。
慣れというのは恐ろしい。
当初はコスプレか何かかと思わせる服装にもすっかりと慣れた。
「昨日は舞踏会にいらっしゃらなかったんですね」
「え? ああ、ルイズがいかないって言い出してさ」
朗らかに笑いかけてくる少女の優しさに、サイトは先程まで一瞬荒みかけていた内心が恥ずかしくなってしまう。
なんて自分は狭量な人間なのかと。
「どうかしました?」
屈託の見えない笑顔に後ろめたさを感じたサイトは無理に明るく振る舞う事にした。
「いや、何でもないよ。ちょっと洗濯に悪戦苦闘していただけだし」
ふぅ、と額の汗を拭い、一通り干し終わった洗濯物を一瞥し、
グゥ♪
お腹の音が鳴った。
「サイトさん? お腹空いてるんですか?」
「あ? いや実は今朝は飯食べられなくて」
サイトは恥ずかしそうに頭をかきながらお腹を抑えアハハと笑う。
「? 珍しいですね、いつもならミス・ヴァリエールとかかさず摂られるのに。あら? そういえば今朝はお一人なんですね?」
シエスタが“意外”そうにそう尋ねる。
確かにこの世界に来てからここまでルイズと離れている事は珍しかった。
「え? あ、ああまぁ……ちょっとね」
どう答えたものか迷い、サイトは乾いた笑いで場を誤魔化すが、何となく、シエスタは理解したようだった。
「サイトさんもいろいろ大変なんですね、貴族様っていうのもいろんな方がいますし」
屈託無く笑うシエスタだが、どうにもそこにはルイズがサイトと喧嘩している、というようなニュアンスが含まれていた。
貴族が急に気が変わって、平民に辛く当たるのはよくあること、というような。
それは違う、と否定したいところではあったが、かといって否定したあと現状を上手く説明する方法も思い浮かばない。
だいたい、まだこちらの“魔法”に関することは不慣れと言って差し支えないのだ。
その為サイトは、特段肯定も否定もせずに愛想笑いで話を流した。
「そうだ!! サイトさんお腹空いているなら厨房にいらっしゃいませんか?」
そんなサイトの内心など知らず、シエスタは空腹らしいサイトに提案をもちかけた。
昨晩、会えると思っていて会えなかった分の思わぬ巡り合わせ。
シエスタにとってみれば最近会って話すことが少なかった同じ平民の注目の的と仲良くなるチャンスだった。
サイトもまだ洗濯以降のことは申しつけられていない上に空腹である。
「そうだな、うん、行くよ」
断る理由は思いつかなかった。
***
「ただいま」
シエスタと厨房で話しながら食事をもらい、料理長のマルトーやコック達と仲良くなったサイトは、“我らの剣”などと祀り上げられ、お礼とばかりにその日は晩まで厨房で手伝いをしていた。
日もとっぷりと暮れた頃、ようやくとルイズの部屋へと戻って来ると、
「あんた何処に行ってたのよ!!」
中には既に寝間着に分厚い鞭を持つご主人様が苛立たしげに仁王立ちしていた。
目は釣り上がり、いかにも怒ってますと言わんばかりに鞭を定期的に掌で叩いている。
「あ、いや洗濯終わってからのこと聞いてなかったから……厨房でご飯もらってお礼にそのまま手伝いを……」
サイトはあまりのルイズの形相にぎょっとなって、正直に話した。
「……厨房で食事を貰った? まるで私が食事を与えていないみたいじゃない!!」
「いや、今朝から何も貰ってないんだけど……」
サイトの言い分にしばし時が止まる。
そういえばそうだった、とルイズは顔をひくつかせた。
「……ま、まぁいいわ。それでお礼は言ったんでしょうね?」
「え? ああ、もちろん。言葉だけじゃなくて労働で返してきた」
「そう、ならいいわ」
ルイズは納得したように鞭をポイッと投げるとベッドに腰掛ける。
「今度からはちゃんと何処で何をしているか言いなさい、貴方は私の使い魔よ。主には使い魔の事を把握しておく義務があるんだから」
そう言って、今日はもう休むわとランプを消す。
何だったんだ、とサイトは首を捻りつつ、昼間ほど機嫌が悪くなさそうなルイズにほっとしてベッドに入り、
「っ!? ちょっと何しようとしてんのよっ!?」
叩き出された。
「……え?」
「え? じゃないわよこの馬鹿使い魔!! 何処の世界に主と同じベッドに入り込む使い魔がいるのよ!?」
サイトは目を丸くする。
彼女は本当にルイズなのかと何度目かの疑問が巡る。
だいたい、一緒のベッドで寝るように命じたのは彼女なのだ。
「えっと、じゃあ俺は何処で寝ればいいんだ?」
「その辺の床で寝なさいよ!! 藁ぐらいなら持ってきてもいいから!!」
床。
寒いし冷たい。
「……マジか」
がっくりと項垂れる。
これから藁を調達しにいこうとしても、正直何処で貰えばいいかもわからないし、疲れていてもうあまり動きたくない。
サイトはやむなくその場に寝ころんだ。
「さみぃ」
寒さに震えつつ、丸くなるようにしてぎゅっと目を瞑る。
そんなサイトをベッドでシーツを被ったルイズはのぞき見し、サイトが落ち着いたのを確認して深く潜り込んだ。
(全く信じらんないわ!! 主のベッドに潜り込もうとするなんて!!)
そう内心で苛立つ“フリ”をしながら、先程一瞬触れたサイトの肌から、信じられぬ程の幸福感を得られた事に疑問を感じる。
早い話、納得がいかないのだ。
あんな下等な平民、ましてや使い魔が自分に触れようとすることだけでもおこがましいのに、それを喜んでしまった自分が苛立たしい。
矛盾に次ぐ矛盾が彼女の精神を苛み、苛立ちを助長させる。
今は、手首にあるブレスレットだけが彼女の心のさざ波を少しだけ癒してくれた。
***
次の日もルイズはサイトに厳しかった。
サイトなどという“平民の使い魔ごとき”が傍にいると嬉しくなることが納得できない。
そんなルイズにもわからない内心の矛盾が、必要以上にサイトに対して刺々しくなっていた。
サイトも少しの辛抱だと自分に言い聞かせてきたが、それも限界は近かった。
加えて今日もまたご飯を貰っていない。
昨日厨房でマルトーと仲良くなっていなければご飯を食いっぱぐれる所だった。
「ミス・ヴァリエールも酷いですね、私たちもいろいろ貴族様には言われたりしますけど、食事抜きにまでは早々されませんよ」
シエスタは疲れているサイトにいつも優しく微笑む。
そんな笑顔を見る度、サイトは自分が軟弱者だと思い知らされた。
彼女とて仕事で忙しい筈だし、貴族に嫌な思いをさせられてきたことも一度や二度ではあるまい。
それなのにたった二日辛かっただけで根を上げる自分のなんと矮小なことか。
そんな自己嫌悪気味のサイトの内心など知らず、シエスタは良ければ明日も来て下さいと元気に笑う。
ありがたいのと同時に情けなくなってくるが、それもあと一日程度の我慢だとサイトは自分に言い聞かせ、夜まで厨房やシエスタの手伝いをすることで極力ルイズに関わらないようにした。
それでも一日が終われば戻らなければならない。
今日の仕事を終えたルイズは笑顔でシエスタに見送られ、厳しいルイズの待つ部屋に戻ると、そこには、
「あら? 使い魔さん?」
見覚えのある紫髪の美しい女性と、その女性に跪く主人の姿があった。