第三十六話【舞踏】
「何だか不思議な感じだな」
「そう? でも確かにそうかも」
ルイズは微笑みながら辺りを見回した。
周りには誰もいない。
そこはしんと静まりかえった大きな部屋。
大きなテーブルに椅子がいくつも付いていて、しかし座っているのはサイトとルイズの二人きり。
テーブルには二人がいるところにだけ食事が乗っていた。
「もうここに入ることはねぇと思ってたけど」
アルヴィーズの食堂。
常ならば二人っきりになれることなど無いこの大きな食堂で、サイトとルイズは二人きりだった。
「何? マリコルヌのこと気にしてるの?大丈夫よ、今日はほら、みんな上だから」
ルイズは微笑みながら上を指差す。
耳を澄ませば上からは若干騒がしそうな声が響いてくる。
元来騒ぐのが嫌いじゃないサイトは混ざりたいと思う一方、こうして静かに二人でいるのも悪くはないと感じていた。
だからこそ、
「でも本当にいいのかルイズ?」
もう一度尋ねる。
「大丈夫よ、料理長にも話をつけてあるし」
「いやそうじゃなくて……ほら“フロッグの武道会”、だっけ?」
ルイズはきょとん、としてからクスリと笑い、
「それを言うなら“フリッグの舞踏会”よ、サイト。カエルが武道してどうするのよ、モンモランシーの使い魔でも優勝させる気?」
楽しそうに笑う。
事実ルイズは楽しかった。
サイトと二人きり、正確には二人と“一振り”だがこうして誰にも邪魔されずにサイトと過ごす時間は至高の一時だった。
彼女が本来、望んだのはこういった生活。
それがようやくと形になった事に少なからず感動さえ覚える。
「なんか覚えづらいんだよな、フリッグの舞踏会、ね。よし今度は覚えたぞ」
ウンウン、と自身に何度も頷くサイトの様を見てルイズはまたクスリ。
楽しい。
これが最も欲しかったモノ。
サイトは笑われたことが恥ずかしかったのか、目の前の食事を勢いよく食べることで誤魔化す。
その食べっぷりは豪快で、次から次へと手当たり次第に皿の上の食事に手を付けていく。
さながら全種類制覇目指すといった勢いだ。
そうして二人がようやく食事を終えた時、天井の方から小さめではあるがクラシカルな旋律が聞こえて来た。
「舞踏会、始まったみたいね」
ルイズが小さく零し、立ち上がる。
その姿を見て、サイトは……、
「なぁルイズ」
声をかけていた。
***
「舞踏会が始まっているのにミス・ヴァリエールもサイトさんも見あたらない……」
シエスタは会場中の踊っている男女を見て回るが、それらしき姿は見あたらない。
だいたい、もし会場に入ってきているなら入り口の係の者が紹介の声を上げるはずなのだ。
それを聞いていない以上、ルイズは間違いなく来ていない。
とすると、ルイズがいない現状でサイトがいる可能性は薄い。
「せっかく髪もお手入れしてきたのに……サイトさん来ないのかなぁ」
はぁ、と残念そうにシエスタは壁により掛かかる。
舞踏会場は奏でられるメロディーに合わせて二つのシルエットが対になって動き回っていた。
故に、シエスタのように一人で居る者は浮いてしまう。
と言っても彼女は使用人。
使用人は皆似たようなものなので誰も気には止めない。
だが……ここにもう一人、貴族でありながら一人でいる少年がいた。
「……ふん」
少年はつまらなさそうに周りを見渡す。
「……ゼロのルイズは来ないじゃないか。来たらさんざんなパーティにしてやろうかと思っていたのに」
少年は本当につまらなさそうに胸元に隠してあった杖を指先で撫でる。
「おーいヴィリエ、お前は誰かと踊らないのか?」
少年、ヴィリエ・ド・ロレーヌに同学年の男子が声をかけるが、
「気分じゃない」
一言で断った。
「ああほんと、つまらない……なっと!!」
ヴィリエは不機嫌そうにワイングラスを煽りバルコニーに出て、一人双月を見上げる。
つまらないつまらないつまらない。
納得いかない納得いかない納得いかない。
(あいつが、シュヴァリエだって!?)
詰まるところ、ヴィリエの不機嫌はそこに集約されていた。
(マグレ……いやおこぼれに決まってる!! あんな奴がそんなたいそうなことなど出来るものか!! キュルケやギーシュ、それに“あいつ”がいたんだ、そのおかげさ!!)
ヴィリエの言う“あいつ”とは無論サイトのこと……ではない。
視線を少しずらせば、未だに一人で踊らず食事をしている青い髪の少女が一人。
(クソッ!! 何がシュヴァリエだ、ゼロのくせに!!)
周りには既にルイズを見直している奴、今からお近づきになろうとする奴など、様々なルイズ肯定派が生まれつつある。
ヴィリエにとってはそれも不満の種だった。
(覚えてろよ……ゼロのルイズ……!!)
少年の瞳に、昏い焔が灯る。
***
タバサは未だに食事を止めていなかった。
しかし、時々は小休憩し、周りを見渡していた。
(……やっぱり、まだ来てない……それとも来る気が無い……?)
タバサは視線を彷徨わせ、桃色の髪の少女、ついでに黒い髪の平民を捜すが、見あたらない。
(……聞きたいこと、あったのに)
ふぅ、と一旦フォークを手放す。
気にならない、というのは正確ではなかったかもしれない。
そう先程の会話を思い出すと、彼女にしては珍しく、食欲が急激に削がれてしまった。
(……あの腕は確かに偽物だった……でも彼女はそれが……自分が爆破させたものが“偽物”だとわかっていたの……?)
眉が寄り、視線が少しきつくなる。
(……もし、わかっていたならいい……でもそうじゃないなら彼女は危険……)
タバサは思考を張り巡らせ、彼女の今までの行動、性格、成績を脳内に並べていく。
だが、その情報量はあまりにも少ない。
何故なら魔法がきちんと成功しない彼女のことはタバサもノーマークだったからだ。
(……迂闊……やっぱり“まだ”思慮が足りてない。このままでは“あの男”に勝てない……)
そう自身を思い諫める一方で、
(……でも、“あの男”も油断はあるはず。そこを突けばあるいは……そう、例えばとても強い平民とか)
ノーマークの少女の使い魔を脳裏に思い浮かべる。
平民とは思えぬ動きと強さ。
何より、主を身を呈しても護ろうとした心意気は凄い。
(相打ち覚悟で挑めば彼ならあるいは……)
そう思って思考を打ち消す。
他人を犠牲にする思考は好きではないし何より“それ”は自分でやらなければ意味がない。
無論使える者は使うし犠牲も必要なら払う。
だが本来関わらなくても良い人間なら、それは極力避けたい。
(……日々精進……)
そうタバサは思考を纏め、食事を再開した。
***
「おいおい君たち、待ってくれないか、いくら美しい薔薇が多かろうと僕は一人しかいないんだよ?」
ギーシュは言い寄ってくる女性一人一人に丁寧に接していた。
「今度は君かい? おや?君の瞳はとても美しいね、海に沈むアクアマリンのように透き通った碧だ」
それはともすれば全員を口説いているかのようにも見える。
だが、その誉め言葉はどれも単調で、平等だった。
一人を特別視しているわけではなく、分け隔て無く接する。
たくさん咲いている花に、これが一番綺麗だ、などと普通は順番をつけない。
ギーシュは、まるで女性が花畑のお花一本一本であるかのように扱う。
それに気を良くする者もいれば、特別視されないことにがっかりする女性もいた。
だがそれでもギーシュの周りに女性は絶えなかった。
女好きとしても若干名が通ってしまったギーシュは、女性陣にとって絶好の鴨だった。
元帥の息子にしてシュヴァリエの叙位。
女性が言い寄る材料は十分だった。
ギーシュは女性達の思惑が見えていながらも、平等に接し続ける。
一種、作業のようにも似たそれはしかし、ギーシュの曲げることは出来ない信念の一つだった。
女性には優しく。
それは生まれてから聞かされてきた貴族としての誇りの使い所と在り方として、教えられ、実践しているものの一つだ。
ギーシュはそれで良いと思っているし、ギーシュに言い寄る女性陣も半ばそれを理解しつつあった。
だが。
ここに一人。
それを理解しきっていない人物がいた。
「……ギーシュッ……!!」
小さく怨嗟の篭もったような声で名前を呼んだのは長い金髪を縦にいくつもいくつもロールしている少女だった。
スタイルも良く、今日は無理もしたのだろう。
スカートがいつも以上に短く、その美しい肢体を遺憾なく表現していた。
彼女は何度となく彼に口説かれ、彼に浮気され、彼に惹かれた。
「……お付き合いなんてしょせんは遊び……でも……ッ!!」
少女、モンモランシーは納得がいかない。
あの人数相手にまるで自分に言うかのような歯が浮く台詞を次々と言ってのける彼が。
(貴方がそういうつもりなら……!!)
モンモランシーは会場を出て行く。
(わたしにも考えがあるわ……!!)
香水のモンモランシー。
彼女もまた、今日この日に胸中へ熱い焔を灯した。
***
「何?」
ルイズはサイトに声をかけられ、もう何度目かわからない視線を合わせる。
「どうして……あの時フーケを追ったんだ?」
今度のサイトは視線を外さず、真面目な表情だった。
「俺は使い魔だって聞いた。使い魔は主を護るもんだってことも。でも使い魔を護って主が酷い怪我をしたら本末転倒じゃないか」
「サイト……」
ここ数日、彼がどことなく元気が無く、悩んでいることは気付いていた。
だが、今サイトのその悩みが明らかになった。
それは自分の行動。
自分がサイトを悩ませていたのだと思うと胸が張り裂けそうになった。
だから、彼女はかつてと同じように……答えを言うことにした。
「サイト、使い魔を見捨てるメイジはメイジじゃないわ。それに私は貴族よ」
「ああ」
「貴族という者は誇りを大事にする生き物なの」
「ああ」
「たとえ魔法が使えても、誇りがないならそいつは貴族じゃないわ」
「………………」
「“魔法”が“使える者を貴族”と言うんじゃない、“敵に背を向けない者”を貴族と言うのよ」
それは……いつか見た夢。
聞き取れなかった幾ばくかの言葉が、リアルに再現される。
サイトは何故自分がその言葉を言うルイズを夢見たのか不思議だった。
だが、今日はその疑問を胸にしまい込む。
何故なら、その言葉を、心の何処かで待っていたような気がするから。
だから今は……。
「ルイズ」
「なぁに?」
ルイズは何でも答えてあげると優しく笑い、
「一緒に踊ってくれませんか、えっと……レディ……でいいのか?」
頭を下げ手を伸ばしたサイトに絶句する。
それはかつてとは逆の誘い。
しかし耳に響く旋律は小さくともあの時と同じ物。
ルイズは震えながらしかししっかりとそのサイトの手を取り、
「もちろん」
一歩前へと踏み出した。
「ごめん、誘っといてなんだけど、俺踊れないんだ」
「いいの、私に合わせて」
リズムよくテンポよく、観客は窓の外から見る双月だけのステージで。
(サイトがダンスに誘ってくれた……サイトにダンスに誘われた!!)
ルイズの喜びは絶頂を、超える。
(サイトに、サイトにサイトに!! うふふふふ、あはははははははははははははは!!!!!)
動くステップは淀みなく、表情も互いに小さく微笑む程度。
だが、
(あははははは!!! やった、今日この日、フリッグに舞踏会の日にサイトと私踊ってる!! うふふふふふ!! あっはははははははははははははは!!!!!!)
彼女の胸の裡の悦びだけは、誰にも見えない。