第二十九話【馬車】
道というには些か整備の行き届いていない道を、荷台付の馬車がゴトゴトと音を立てながら通る。
荷台には少年少女数人が乗っていた。
少女三人、少年二人。
そして彼女らとは別に馬車の手綱を握る緑髪の女性がさらに一人。
「ミス・ロングビル、あとどれぐらいですか?」
「そうですね、あと三十分、というところでしょうか」
聞かれた女性、トリステイン魔法学院でオスマンの秘書を務めるミス・ロングビルはそう答えた。
彼らは土くれのフーケに盗まれた王宮の秘宝、破壊の杖を奪い返す為にフーケの目撃情報があったという場所へと向かっていた。
そんな大事な任務をこのような少年少女でやることになったのには理由があった。
時間は少し前へと遡る。
***
「僕に行かせてもらえませんか」
学院長室に集まり、事の顛末を理解した上で、その場にいる少年、ギーシュ・ド・グラモンはまっさきに声を上げた。
破壊の杖が持ち去られて一夜が明け、現場に居合わせた者達の話を聞き終わった後、捜索隊結成を学院長であるオスマンが決めた。
だが、誰も名乗りを上げようとしない。
そんな空気に苛立ったのかギーシュは一番に杖を掲げたのだ。
「僕がいながらみすみす王宮の秘宝を奪われたのです、僕が行きます」
彼の行動は勇気ある行動だろう。
中には世間知らずと罵る輩もいるだろうが保身に走るだけの輩と比べれば随分と良い。
だからオスマンもそんなギーシュに微笑み、しかし首を横に振る。
「でも!! 僕は何も出来なかった!!」
「君はまだ学生、それもドットのメイジじゃ。誰もその事を責めたりはせんよ。それにその勇気は買うが一人では危険じゃ」
そう彼を諭し、こんな少年よりも勇気の無い周りの人間に視線を巡らす。
そうすることで誰かが誇りを胸に立ち上がるかとオスマンは期待した。
ところがそこに予想外の人物が名乗り出て来てしまった。
「じゃあ俺も行くぜ!!」
それはこの場にての発言力は無いに等しいと思われる平民の使い魔からだった。
「サッ、サイト!?」
主人も少なからず驚いている。
「ギーシュが一人で危ないってんなら手伝うよ、俺も役に立てなかったし」
ギーシュが一人孤立しているように見え、我慢できなかったのだろう。
しかしこれには周りが文句を言い出した。
「平民に何が出来る」
「そうだ、相手はトライアングル並のメイジだ」
「足手まといは間違い無い」
一斉に罵声を浴びせかける教諭陣。
それが何よりもまずかった。
決定打、と言う点では彼ら教諭陣のこの発言だったに違いない。
自らの使い魔にかけられる罵声、それを良く思わない……否、怒り震えるようにサイトの主人は自身の杖を掲げたのだ。
ザワリ、と皆が驚く。
「私がサイトと一緒に行くわ、文句は言わせない。足手まとい? 何もしようとしない人達がサイトをよく馬鹿に出来た物ね」
「しかし君は魔法がつかえ……ヒッ!?」
教諭の一人が、本音を善意という言葉で隠して止めようとするもその形相に後ずさる。
「サイトを馬鹿にした事、後悔させてあげる」
彼女のその低い言葉を最後に、捜索隊結成が決まり、目撃情報を持ってきたミス・ロングビルが引率を務める事となった。
それを何処からか聞きつけた少女、キュルケは自身の友人の短く蒼い髪に眼鏡をかけ、古めかしい大きな杖を持つタバサを巻き込み、自らも付き合うと志願した。
ある意味でこの行動は彼女の不文律に抵触する。
他人に深くは関わらない。
それが彼女の密かなモットーだったのだが、不思議な物だ。
あれだけ衝突の絶えなかった相手がいざ危険な目に合うと知った時、自分に何かできる事は無いかと熱くなった。
一瞬灯った微熱。
この熱は普段のものとは違えど、気持ちの悪いものでは無い。
それゆえ彼女は自身の矜持を曲げてでも力になろうと考えた。
そしてこの行動が、今後彼女の不文律『深くは関わらない』を良くも悪くも少しずつ変えていく結果になる。
***
かくして一行は目撃情報のある場所へと向かっていた。
向かっていた、のだが荷台には緊張感という物が感じられなかった。
パラリ。
一人はサイレントをかけて音を遮断し読書に耽り、
「う、うぇぇぇ……」
一人はしおれた薔薇を片手にしながら気持ち悪そうに地面とにらめっこしている。
どうやら彼、ギーシュは酔ってしまったらしい。
キュルケは、こんな状態で大丈夫かしら、と思う。
これからあの土くれのフーケとやりあうのだ。
普段からおちゃらけたように見せて、いや“魅せている”自分が言うのもなんだが、もっと凛としているべきではないだろうか。
そんな事を考えながらこの二人とは違った意味で緊張感が無い残りの二人に目を向ける。
三人から距離を取るようにして二人は並んで……否、これでもかというほど張り付いて座っていた。
より性格に言うなら桃色の髪をした少女がその小さな体躯を隣の黒い髪の少年に貼り付けているのだ。
黒い髪の少年は困ったような顔を浮かべながら、しかし無理矢理突き放すような事はしない。
恐らく、彼でなくとも可愛い女性にそんなことをされれば無理矢理突き放すような男はいないだろう。
可愛い、というのは時に一種の免罪符たりえるのだ。
故にこの空気の一旦は桃色の髪の少女、彼女にあった。
「ちょっとルイズ、貴方いつまでそうしているつもり? 学院に居た時の先生達を睨んでたあのピリピリした感じは何処にいったのよ?」
キュルケは呆れながら今もって少年、サイトにべったりと張り付いているルイズに声をかける。
ルイズはニコニコしながらサイトの肩に擦り寄っていたが、キュルケの声に心底面倒くさそうな素振りを見せた。
「……何よキュルケ」
「何よ、じゃないわよ。もう少ししゃんとしたら? 遊びに来てるんじゃないのよ?」
だがそんなキュルケの言葉も何処吹く風。
ルイズはキュルケを一瞥すると、その意識をまたサイトに戻し微笑みを絶やさない。
キュルケに向ける意識があったらサイトに向けていたい、そういうことだろう。
別にこの事についてキュルケは意外だと思えど怒る程のことでは無い。
だいたい、キュルケの注意は形だけの軽い物で、ルイズがそれを聞き入れなくともそれはそれで構わないと思っていたのだ。
それにキュルケには預かり知らぬ事だが、ここでルイズが何か反応したというのは実は大きい。
もしそれが他の人物だったなら無視されていてもおかしくはなかったのだから。
キュルケはふぅんと息を漏らすと幸せそうなルイズを見つめる。
嫌なことなど何一つ無い、至上の幸福。
ルイズはそんな顔をしていた。
……いつか、自分もあんな顔を出来るのだろうか。
その答えは“まだ”出そうには無かった。
だから今は。
「それにぃ、貴方の使い魔も貧相な胸より私のように豊満なボディの方がいいんじゃない?」
今までと同じく、彼女を存分にからかうことにしよう。
***
史実を知っているルイズには本来、実際にフーケの目撃情報がある場所までいく必要は無かった。
これから起きることも、フーケの所在・正体も知っているのだから。
それがこうして馬車に乗っているのは理由があった。
それはフーケを退治してサイトを馬鹿にした教諭陣達を黙らせる為、ではない。
全くないと言えば嘘になるが、ルイズの真の目的は別にあった。
だが、揺れる馬車でサイトにくっついていられるという予想外の目の前の人参に、ルイズは当初の目的を思考の彼方へと追いやり、サイトから感じられる全てを楽しむ事に勤しんでしまっていた。
その為、ルイズの“予定とは少し違い”馬車は“史実通り”に進んでいく。
***
ルイズにからかうような言葉をキュルケが向けると、
「……キュルケ」
案の定、キッとルイズがキュルケ睨むが、ここで意外な人物が声を上げた。
「い、いやルイズはそこまで……」
それは誰を隠そう、渦中のサイト本人だった。
「あら? 貴方はルイズのスタイルで満足してるの? というかルイズのスタイルを把握してるの?」
ニヤニヤとキュルケはサイトを見つめ、
「まぁ把握はした、というか……させられたというか……」
「!?」
予想外の反応が返って来る。
「へぇ? どうやって?」
キュルケはゴクリと唾を飲み込み、目を輝かせる。
「あ、いや、その……」
だがサイトは人前で話すのは恥ずかしいと思ったのか、あはは、と苦笑いして言葉を流す。
誤魔化したつもりなのだろう。
しかしそんな必死の抵抗も虚しく、
「毎晩一緒に寝てるもの、お風呂も一緒だし」
ルイズが真相を暴露してしまった。
「な!?」
キュルケは驚く。
“あの”ルイズがそこまでするなんて。
これはどういうことなのか、それは本当なのか、それをさらに問いただそうとキュルケはさらに口を開こうとし、視界に金髪が映る。
「それは、本当なのかい?」
ギーシュだった。
彼はげっそりとした気持ち悪そうな表情をしながら、サイトに血走った目を向ける。
「サイト、君は婚前の身でありながら床を共にし、さらには湯浴みまで女性と行っているというのか?」
「し、しょうがないだろ!! ルイズがそうしてくれって頼むんだから!!」
「しょうがない? しょうがないで君は世の男共が見果てぬ夢として望む女性との同衾や混浴を可能たらしめていると? 何てうらやま……じゃなかった、破廉恥なんだ!! あの日誓った友情は嘘だったのか!?」
ギーシュは怒りに身を震わせるようにして、サイトを糾弾するかのような口調になる。
「は、破廉恥ってお前……そりゃ恥ずかしいけどさ、何か誓いなんてあったっけ?」
「あの日僕らは夕日に向かって誓いあったじゃないか!! お互い隠し事はしないでいようと!! それがこんな隠し事をされていたなんて!! ああ、僕らの友情は無かった!! そう、無かったんだ!!」
「し、知らねぇよそんな約束!! っていうかいくらなんでもそれぐらいで大げさだ!!」
あまりの馬車酔いにハイになってしまったのか、ギーシュは大げさに身振り手振りを使いながら哀しみを演技する。
これは手をつけられないなと思わせる程酷いギーシュを正気に戻したのは…………ルイズだった。
「……そう、ギーシュとサイトに友情は無かったのね、それはとてもとても良いことだわ、これでギーシュを心おきなく始末できるというものね」
ウフフフ、と厭な笑いを浮かべながらルイズは杖をギーシュに向ける。
……ヒヤリとした。
「や、やだなぁルイズ、僕とサイトの間に友情が無いわけ無いじゃないか、なぁサイト?」
生き物というのは生まれながらにして自分よりも強い、恐ろしい物には萎縮し逆らわないようにしようとする本能が存在する。
危機回避能力と言ってもいいそれは、今ギーシュに全力で危険を訴え続けていた。
「え? あ、ああ、そうだな」
そういった危機察知というのは自分に向けられているからわかるものであり、対象の外にいる者にはわかりにくい。
対象の外にいるサイトはギーシュの突然の変わりよう、素に戻った態度に首を傾げながらも頷いて見せる。
ギーシュは本当だと訴えるようにサイトと肩を組みあはは、と苦笑する。
それが実は彼女の怒りのボルテージをさらに上げているとは露程も思わずに。
「……チッ」
だからルイズの本気で残念そうで不機嫌な舌打ちが、サイトには不思議でならなかった。
そんなやり取りをしているうちに、知らず馬車は目的の場所へとたどり着く。