第二十三話【補充】
ルイズがぴったりとくっつき、サイトは珍しく恥ずかしがる素振りも無く背負って歩く。
そんなサイトにルイズは満足し、サイトのうなじに顔を埋め再び匂いを嗅いではふうっと息を吐く。
その吐息を感じたサイトが、長いシルクのような桃色の髪が肌に触れるくすぐったさと相まって体を震わせ、それが面白くてルイズは益々笑みを強める。
そんなことを繰り返しながら、ようやくとルイズの部屋の前まで二人が来た時、
「やぁ、こんな所で何をしているんだい?」
笑顔一転、ルイズの眉間に皺が寄った。
***
「ヴィリエ? ああ、彼なら授業に出ていたよ」
部屋の前で会ったのはギーシュだった。
彼は授業が終わった後、顔を見せなかったルイズとサイトを心配して訪問に来たとのことだった。
もっとも、
「へぇ、そう。まぁそんなことだろうとは思ったけど」
心配されていたルイズはどこか素っ気ない。
部屋にギーシュを招き入れてからというもの、ルイズは不機嫌になっていた。
「で、そのヴィリエがルイズのスカートを魔法で切り裂いたというのは本当なのかい?」
しかしギーシュは全く気にしていない。
もしかしたらそんなルイズの変化に気付いていないのかもしれない。
「ああ、そうなんだ」
そしてもう一人気付いていないであろう人物、サイトがやや睨むような視線のルイズに変わって真摯な姿勢でギーシュと向き合う。
……また、ルイズの眉間に皺が寄る。
「そう、か。ヴィリエがそんなことを……おかしいとは思ったんだ。普段から授業を休もうとはしない勤勉なルイズが無断欠席なんて」
「ああ、本っ当に腹が立ったよアイツ。今度会ったらぶっ飛ばしてやる!!」
サイトが意気込みながら強くデルフリンガーを握りしめる。
そこにヴィリエがいたら、今にも飛びかかるような勢いだ。
「いや、止めておいたほうがいい」
だが、ギーシュはそんなサイトの意気込みに水を差した。
「なんで!?」
もちろんサイトは納得がいかない。
先程から一切サイトに話しかけられないルイズはもっと納得がいかない。
「相手は貴族だ、残念だけどサイト、平民の君がヴィリエに何かしたら悪いのは君になってしまう」
「なんだよそれ!!」
「そういうものなのさ。運が悪いと君の主であるルイズにまで類が及ぶよ?」
「くそっ、じゃあどうしたら……」
納得いかなげにサイトは歯がみする。
自分が悪者になるのはまだいい。
しかしルイズまで自分の行動で悪者にするわけにはいかない。
サイトは無意識にそう考え、ままならない現状に苛立ち始める。
サイトが未だ自分の方を見てくれないことにルイズも苛立ち始める。
「ここは、僕に任せてくれないか」
だが、そんなサイトとルイズの葛藤を知ってか知らずか、ギーシュはそう提案した。
「貴族として、こんな現状を知ってしまった以上、放っておきたくはないし、何より彼にはちゃんと言い含めたんだ。“また君が貴族の誇りを汚すようなことがあったらその限りじゃない”とね」
それは、ギーシュがヴェストリの広場でヴィリエに最後にかけた言葉。
彼もまた、サイトとは同じで違う怒りを覚えていた。
女性を傷つけようとするその行動自体も許せない、が、何より。
“貴族”としての“矜持”無き行動を、黙認したくは無かった。
「それじゃあね、くれぐれも君は貴族相手に無理はしないでくれよ。君がいなくなったら学院が少しつまらなくなるからね」
ギーシュはそう言うと、ルイズの部屋を退出した。
「あ……!!」
未だ納得のいかないサイトは後を追おうとして……腕を掴まれる。
未だ納得のいかないルイズが頬を膨らませてサイトを見つめていた。
「ル、ルイズ?」
「行っちゃ駄目よ」
「な、何だよ、ルイズも貴族には逆らうなって言うのか?」
サイトが少し怒ったように言った言葉に、
「いいえ」
ルイズはおかしな返答を即答した。
「へ?」
さっきのギーシュの話もあったし、否定されるとは思っていなかった。
いや、否定されたかったから、むしろ良いのだけれど。
「じゃ、じゃあなんなんだよ?」
「行っちゃ、やだ」
ふるるっとルイズは震え、視線を落とす。
しかし腕はがっしりと掴んだまま離さない。
サイトは困惑しながらも、ルイズを見て閃く物があった。
「もしかして、お前やっぱり痛い所があるのか!?」
「……へ?」
サイトには、ルイズが何かに耐えているような、そんな態度に見えた。
それはそう、まるで痛みを耐えるかのようで。
事実、ルイズは耐えてはいたのだ。
サイトがこちらを見てくれないということに。
今朝、サイト分を補充しなかったせいも相まって、サイト分の枯渇が深刻で、補充が必要だった。
先程、サイトに背負ってもらっていなければこの限界はもっと速くに現れていただろう。
「何処だ? やっぱり怪我してたのか?痛い所は?」
「えっと、怪我はしてない、けど……でも痛い」
「はぁ?」
サイトは意味がわからない。
怪我は無い。
これは広場での言動と一致する。
でも痛い。
何だろうこの矛盾は。
「……痛いの、辛いの」
サイトの腕を掴む力が一層強くなる。
「わ、わかったからとりあえず手を離してくれ」
こっちも流石にちょっと痛い。
「……何処にも行かない?」
「行かないって。あ、でも医者とか呼んだ方がい「必要無いわ」……そ、そうか」
有無を言わさずにルイズに言葉を切られ、サイトは苦笑する。
子供のように不安気なルイズが少し珍しかった。
「で、俺はどうすればいい? 何かやって欲しいことがあるんだろ?」
そうでなければあんなに必死に外出を止められないだろうとサイトは思う。
「じゃあそこに座って」
ルイズはようやく安心したように腕を離し、サイトをベッドに座らせる。
「?こうか?」
サイトは言われたとおり天蓋付きの大きなベッドに腰掛ける。
ルイズは素早く隣に座ると頭を傾けサイトに体重を預け始めた。
「お、おい? これに何の意味があるんだ? 何処か痛いんじゃ無かったのか?」
「……サイトには、傍にいてもらわないと」
サイトの慌てた声に、ルイズはようやく普段の“大人びたような態度”で微笑んだ。
「と、とりあえず何処も痛くないなら授業行かないのか? 今日はまだあるんだろ?」
そんな姿にサイトはドギマギして、何とかこの場を脱しようと思いついた打開策を打ち出し、
「そうね……サボるわ」
バッサリと切られる。
(本当に普段は授業を休まない勤勉なのか?)
そう疑いたくなるほど実にあっさりしたルイズの返事に、サイトは困惑と共に心臓の鼓動を早める。
ルイズは目を閉じて安心しきったように体を預けている。
半身に生暖かく感じる女性特有の柔らかさと良い匂い。
平賀才人十七歳。
可愛い女の子に寄りかかられて平静を保って居られるほど、人生経験が豊富では無い。
心臓の鼓動が早くなるにつれて、都合の良い妄想やよからぬ事も多少想像してしまい、慌ててそれを打ち消す。
表情が緩んでは引き締める。
何処か疲れたような顔になりながらもサイトはそれを続ける。
だが当のルイズはそんなサイトのことは気にせず、じっくりとサイトが傍にいるという状況を堪能……もといサイト分補充を図るのだった。
***
長いブラウンの髪の少女は、両手にノートを抱えながら歩いていた。
髪と同じ色をしたマントが、彼女は学院中最も低学年の生徒だと教えてくれる。
「はぁ……」
少女は重く軽い溜息を吐く。
昨日は失恋とも呼べる出来事があったのだから無理も無い。
無理も無い、のだが……。
「悲しいのに、そんなに悲しさを感じない。私はどうしてしまったのかしら」
初めての恋と呼べる物であったと思う。
彼の真摯的な言葉に踊らされていただけなのかもしれないが、それでも確かにそこにはときめきがあった。
だというのに。
「もっと、ふさぎ込むかと思っていたのに」
自分の性格は熟知している。
決して暗い方では無いが、振られて……否、浮気が発覚して関係が崩れてもすぐに普段通りで居られるほど自身の精神が強いとは思っていない。
ぎゅっとノートを握りしめる。
思えば、今日は手作りお菓子のバスケットを持ち歩いていない。
彼、ギーシュに口説かれた日から毎日作っては持ち歩いていたせいか、今日は体が軽い。
その軽さが、自分の今の気持ちをわからなくして、悩ませる。
少女、ケティ・ド・ラ・ロッタはそんなモヤモヤした状態のまま昨日からずっと過ごしていた。
友人に相談しようかとも迷ったが、結局止めた。
そんな話をしても友人達の話の肴になってしまうのは目に見えている。
そうしてもう一度溜息を吐き、ふと気付くと先の通路を曲がる見覚えのある背中があった。
「……あれは」
いつの日か垣間見た真面目な表情。
何を考え、何を見ていたのかはわからない。
それでも、今のこの燻るような理由のわからない気持ちをどうにかしたくて、つい急ぎ足で“あの人”の背中を追い……足を止めた。
声が聞こえたのだ。
それは聞き覚えのある声で。
ケティは曲がり角を曲がらず、覗くようにして通路の先を見る。
そこには、やはりというかケティの混迷最大の要因、
「ギーシュ、さま……?」
金髪の美少年、ギーシュ・ド・グラモンが彼の人の前に立っていた。