第十三話【当然】
全く、油断も隙もあったものじゃない。
サイトから目を離さないと決めたものの、食事を取りに行って唱和する時間ぐらいは大丈夫だと思っていた。
なのに、“私の”サイトに“あのメイド”がもう“誘惑”してくるなんて。
もう少し、気を引き締めなければならないのかもしれない。
私はもう二度とサイトを失うわけにはいかない。
誰かに奪われるわけにもいかない。
だから、“私の”サイトを護るためなら、何だってしよう。
***
「あ、ルイズ、もう“お祈り”は終わったのか?」
サイトはルイズが戻って来たことに気付き、自分ではよくわからない“お祈り”が終わったのだろうとアタリをつけた。
「ええ、この通り“私とサイトの二人だけ”で食べる食事も持ってきたわ」
ルイズは、両手でたくさんの料理が乗った大皿を抱えていた。
これは以前、と言ってももう数十年も前の話だが、サイトが美味しいと言ったものをチョイスしてきたものだ。
……中心にあるクックベリーパイは自分の趣味だが。
「あ、持つよ」
サイトはルイズに歩み寄って皿を受け取る。
「ありがとうサイト、それで、随分盛り上がっていたのね……?」
途端、急に疎外感を受けていたシエスタは背筋に悪寒を感じた。
先ほどとは一変したように張り詰めたような空気が周りを漂う。
「ああ、何かこの前の決闘の事を凄い凄い言われてて……そんなに凄いことなのか?」
サイトは特段気にしたふうもなく、ルイズの質問に答えた。
この異様な空気を感じられないのか、はたまたサイトには“向けられていない”のか、全く動じていなかった。
シエスタはそんなサイトを見て、自分の気のせいかと思い、気軽にサイトの事を口にする。
「だってサイトさん凄いじゃないですか、平民なのに貴族に勝ったんですから平民の憧れですよ」
この世界では、平民……身分が低く魔法の使えない者を平民と呼び、人間の底辺として扱われる。
それは絶対の理であり、貴族は偉く、平民は貴族ほど偉くはなれないのが真理だった。
この世界に生まれたシエスタにとってこれは当然のことであり、覆されない普遍のものだ。
ところが、何処から来たとも知れない同じ平民の少年が、平民でありながら貴族に勝ったのだ。
相手の貴族は、最後に卑怯な真似をして、サイトに大怪我を負わせ自分の勝利を宣言して憚らないが、この学院の貴族・平民問わずに勝敗の行方は明らかだった。
だからシエスタは尊敬と、ほんの少し自分の“まだ知らない感情”が混ざった瞳でサイトを見つめ、その視界を桃色の髪の少女の顔で覆われた。
「ミ、ミス・ヴァリエール……?」
シエスタはたじろぎ、一歩後ずさる。
「凄い……? 馬鹿なこと言わないで!!」
ルイズはシエスタを怒鳴り、睨みつけた。
その目は怒りと怒りと怒りと、トドメに怒りを孕んでいた。
「おかげでサイトは死ぬほどの怪我を負ったのよ? 凄いですって!? 冗談じゃない!!」
「あ、私はそんなつもりじゃ……」
シエスタは、サイトを必死に看病していたルイズを思い出して自分が浅慮だったことに気付き、謝ろうとするがルイズは聞き入れない。
「もう少しで、本当にもう少しでサイトは死ぬところだったのよ? よくもそんなことを言えたわね!?」
「ル、ルイズ、落ち着けって」
サイトがルイズの肩を掴み宥めようとして、ルイズが「ふにゃっ!?」変な声をだした。
途端、ルイズは破顔し、体がフニャフニャになる。
「い、いいこと? わ、私は“私の”サイトが傷つく事が許せない、サイトがい、いなくなるなんても、ももももってのほかよ!!」
最後にふやけた口調でそう言うと、
「わかったわかった、ほら飯食いに行こう、な?」
場を流そうとするサイトに背中を押されて蕩けたような笑みを浮かべながらされるがままに歩いていく。
「ごめんなシエスタ、俺は気にして無いからあんまり気にするなよ」
最後にサイトは振り返ってシエスタにそう言うと、そのまま広場の方へとルイズと一緒に歩いていった。
***
一人残されたシエスタは、しばらく呆然としていた。
もちろん自分が浅はかだった事への反省もある。
『ごめんなシエスタ、俺は気にして無いからあんまり気にするなよ』
サイトの言ってくれたこの言葉の嬉しさもある。
そういえば、前にもおっちょこちょいと言われて嬉しくなったことがあった。
だが、今呆然としている一番の理由は、ルイズにあった。
最後、サイトが言葉をかけた時、偶然、本当に偶然シエスタはルイズと目があった。
それを何と表現していいかわからない。
ただ、サイトに押され、急に柔らかくなったと思っていた態度とは一変し、それこそ犯罪者でも見るような目つきだった。
勘違いかもしれないし、考え過ぎかもしれない。
だが、あの場では例えお礼であろうとサイトに声をかけていたら、あの目には別の感情が組み合わさったであろうことは想像がついた。
それこそ、ドットスペルがラインスペルになるように。
シエスタは理由のわからないそれに身震いしながら、一方でルイズに言われた自分の浅慮だった部分を反省していた。
確かに、決して褒められたことでは無いのだ。
たとえ勝っても死んでしまっては意味が無い。
それを教えてくれたルイズにシエスタは感謝の念すら覚えてもいた。
だからだろう。
ルイズの事をそれほど恐がらず、嫌えなかった。
同時に、これでもっとサイトを理解できる人間になれると思えた。
彼女は、ルイズの言ったとある一言を正しい意味で捉えていなかったのだ。
後に、これが彼女の命運を左右することになる。
***
「なぁ、あそこまで言わなくても良かったんじゃないか?」
二人で前と同じテーブルについて食事を始めてすぐ、サイトがそう切り出した。
「何? さっきのメイドとのこと? あのメイドが気になるの?」
ルイズはクックベリーパイを頬張りながら聞き返す。
「ああ、ちょっと言いすぎじゃないかなって。俺はほら、無事なんだし気にして無いし」
そのサイトの言葉に、ルイズは視線を落として震えながら、
「……ダメよ」
絞りだすように答えた。
「たとえサイトが気にしてなくともダメ。私はサイトがいなくなるのが耐えられない。もし、サイトがいなくなったら……」
ルイズは小さく、震えるような声で呟くように話す。
そんなルイズを見て、目が覚めた時のルイズの泣き顔をサイトは思い出した。
(ルイズ、そういや泣いてたもんなぁ。会ったばかりとはいえ使い魔ってそんなに大事なものなのか?)
そう思って、なんだかサイトは胸がムカムカした。
(使い魔だから、か)
サイトは、頭に浮かんだそれがどうしてもムカムカして、
「なぁ、なんでルイズはそこまで俺を心配してくれるんだ?」
つい、尋ねていた。
「え?」
ルイズは突然のサイトの質問に首を傾げる。
「俺がルイズの使い魔だからなのか?」
いつになく真剣な表情でサイトはルイズに尋ねた。
それにルイズはきょとん、として、
「そんなの決まってるじゃない」
そう答えた。
途端、サイトは落胆したように肩を落とし、
「使い魔とかは関係無い、私に必要なのは使い魔じゃなく、サイトだからよ。だからサイトが使い魔なのは偶々私達の出会いがそういうものだったということに過ぎないわ」
跳ねるようにぱっと顔を上げた。
ルイズは何当たり前のこと聞いてるの? という顔で首を傾げながらクックベリーパイを咥えている。
「そ、そっか。そっかそっか、使い魔だからじゃないのか。そっか、はは、ははははは、そっか!!」
サイトは何か胸の痞えが取れたように安心して笑いだした。
「急にどうしたのよ?」
「いや、何でもないんだ。そうだな、お前の食べてるそれ美味そうだなって思っただけさ」
サイトは屈託無く笑い、
「じゃあ食べる?」
ルイズの口から離れたそれを自らの口元にもってこられ、
「……へ?」
先ほどとはうって変わり戸惑いの表情を見せた。
「はい、あーん」
「あ、いや、ほら、まだ残ってる奴を……」
サイトはそうしどろもどろになりながら大皿を見て驚いた。
ルイズが食べていた名前も知らぬ“それ”はどうやら今ルイズが手に持つそれで最後のようだった。
(結構一杯あったと思うんだけど……)
「気にしないで。最後だし、ほら食べちゃいなさいよ、私がこれをあげるなんてサイトくらいよ?」
揺れ動く感情。
確かに美味しそうで食べてみたいが、それは先ほど彼女の口で咥えられていたもので、歯型が少し残ってて、これはいわゆる“間接ちゅー”になるのではなかろうか。
(落ち着け、落ち着くんだ俺、間接キスがなんだ、俺はルイズともう濃厚なディープキスまで済ませたじゃないか!!)
そう思ってルイズを見ると、何故かその小さいピンクの唇に視線が集中してしまった。
思い出される“舌”の感触。
「あ、あぅあぅあ……」
落ち着こうとしたがダメだった無駄だった逆効果だった無理矢理口の中に入れられた。
ん? 口の中に入れられた?
「んはっ!?」
口の中には何か食べ物が入れられ、ふと見たルイズの手中には先ほど持っていた“それ”がない。
その意味することを理解するのはそう難しくなく、
「どう? おいしいでしょ? 私の好物なんだから」
はにかむルイズの桃色の髪が風でなびく。
それは朝日に照らされ、綺麗な彼女の笑顔に輝きが加わる。
それにドキリとしたサイトは、ルイズの綺麗さとさっきのが口の中にあるという事実で、“それ”の味なんて全然わからなかった。