第十二話【夢想】
例えばの話をしよう。
そう、飽くまで例えばであり、そんなことは現実に起こりえない。
しかしそれが起こりえたら、という程度の、本当に誰もが夢想するようなあり得ないことだ。
尚、夢想するのは男子、という性別の限定をする。
異論は認めない。
何故かは内容を聞けばよくわかる。
年齢?
そんなものは関係ない。
これは男子永遠の夢であり、人類の至宝である。
そこまで回りくどい前置きをサイトは考え、嘆息した。
「はぁ……、いや、確かに“夢”であるんだが、ある意味、飽くまで“夢”であって欲しかった」
自分が欲しいと思ったモノがあっさり、しかも大量に手には入ってしまった時、その人間は手に入れたモノの価値を以前ほど感じられないことがある。
今のサイトは、まさにそれに似た境遇でいて、もっとも遠くにいる悩みを持っていた。
「……なんで下着なんだよ」
今の現状を説明するなら、その一言に尽きる。
昨日、制服のまま眠った筈のご主人様は、何故かスケスケなピンクのネグリジェを着て、昨日と寸分変わらない体勢でサイトに抱きついていた。
おかしい。
彼女は昨日制服のまま眠ったはずである。
それが目を覚ましてあらビックリ。
彼女はスケスケネグリジェという夢オチのようで現実の摩訶不思議アドベンチャーな出来事が起きていた。
平賀才人十七歳。
ボケるにはまだ少々、いや、かなり早いと自覚している。
しかも、問題は彼女の服装だけに留まらない。
彼女の体勢が、サイトを悩める性少年、もとい悩める青少年のそれへと変貌させている。
「……ヤバイ」
それはもうヤバイのだ。
“ムチムチ”の“スベスベ”の“テカテカ”の“フワフワ”なのだ。
彼女の細いフトモモが動くたびに、鮮明にサイトのジーンズ越しにその温もりが伝わってくる。
彼女のその細く白い腕に力が入るたびに、お餅みたいなしっとりとした肌が腕に感じられる。
かつて、寝起きでここまで葛藤という名の戸惑いをした事があっただろうか。
サイトは何度自身に渦巻く欲望に忠実になろうとしたか知れない。
朝のたった数十分で、その迷いの反復は既に三桁に近かった。
彼はもとより思春期まっただ中であり、それなりに女性に興味がある普通の少年だ。
本来ならばいつ間違いを犯してもおかしくは無かった……のだが。
「……サイト……死んじゃ……ダメ……起きて……サイト……」
彼女の彼を憂う寝言が、幾度と無く彼を押しとどめる。
昨日のギーシュによると、彼女は自分を助けるために、小さな家が建つくらいのお金を支払ってまで秘薬という“薬”を取り寄せてくれたのだそうだ。
そんな彼女に、いくらなんでも恩知らずではなかろうか。
サイトとて、思春期まっさかりであると同時に、恩を感じられる程の常識人である。
サイトは悩み、肌の感触に我を失いそうになり、しかしルイズの声で我に返るというサイクルをずっと繰り返し、精神を異常に摩耗させていた。
「ん……“私の”サイト……」
その為、彼女の最後の寝言はきちんと聞き取れなかった。
***
サイトが、実に煩悩と同じだけの数の葛藤回数を記録した時、ようやくとご主人様であるルイズは目を覚ました。
もうすぐでサイトの自制心という名の理性も決壊寸前だった為、それはある意味で本当にギリギリだった。
あるいは、初夜の際の彼女の言葉をサイトが聞いていればまた違った未来があったのかもしれないが、現にこうして一線を護ったという事実だけが、今のサイトの中にあった。
もしそれを彼女、ルイズが知れば、立腹ないし目覚めた事を悔やむかもしれないが、そのルイズの考えをサイトが知ることもまた、今は無い。
目を覚ましたルイズは、目を擦りながら、しかし懐かしい温かみに安心するように微笑みを浮かべ、起きあがった。
「おはようサイト、調子はどう?」
「あ、ああ、もう大丈夫だ。ギーシュに聞いたんだけど、ルイズが凄い高い薬をいくつも取り寄せて治療してくれたんだって?」
ようやく体の自由を取り戻したサイトは、ベッドから降り、頭を掻きながらルイズに尋ねる。
「ええ、そうよ」
「その、ありがとう」
ルイズの返事に、サイトはお礼を言った。
別にギーシュを疑っていたわけではないが、本人から事実をきちんと聞いておき、お礼を言いたかったのだ。
ルイズはそんなサイトを見て目を丸くし、次いでクスリと笑う。
「……サイト、何か勘違いしてない?」
「……へ?」
サイトは首を傾げる。
「言ったでしょう?私はずっと貴方を待っていたの。私は貴方に傍にいてくれるだけで、私を見てくれるだけでいいの。だからそんな貴方を助けるのは当然の事よ」
ルイズは微笑み、立ち上がってサイトに歩み寄り、
「それより、目が覚めて本当に良かった……」
そう言ってサイトに抱きついた。
まるでそこに本当にサイトがいる実感が欲しいかのように強く強く力を込める。
「ル、ルイズ……?」
サイトが少し気まずそうに頬をかく。
何せ彼女は殆ど下着なのだ。
そんな姿のまま抱きつかれては残りの精神力“ゼロ”な自分ではたとえ般若心経を唱えようとも耐えられる自信が無い。
(う……う……うぁ……? あーっ!! もう我慢できるかぁ!!)
お礼を述べたことで、緊張の糸もなくなっていたのか、サイトは両手を振り上げ、勢いよく彼女を抱きしめようとした途端、ルイズはパッと離れる。
「え?」
サイトは疑問符とともに抱きすくめようとした手が空振りし、それが虚しく空を抱き、
「いっけない!! 早く食堂に行かないと授業に遅刻しちゃう!! ……サイト?」
そのヘンテコなポーズを見たルイズが首を傾げる。
「どうかした?」
「い、いや、なんでもない……」
ギギギ………とサイトは回れ右をして悔し涙を隠した。
***
サイトはドギマギしながらルイズの着替えを手伝い、二人で食堂に向かっていた。
「なぁ、俺食堂に入っても大丈夫なのか?」
前回のことから、サイトは食堂に入るのを少し躊躇った。
それにこの前大騒ぎを起こしたばかりなのだ。
サイトとて面倒ごとを好き好んで起こしたくは無い。
「言ってあるし大丈夫だと思うけど、気になるの?」
「まぁ、ちょっとな」
未だ貴族云々の階級差別がサイトにとってはよくわからない。
もともとそんなものの無い世界から来たのだ。
ルイズは少し考え、
「わかったわ、じゃあこの前みたいに一緒に外で食べましょう。私は朝の唱和が終わり次第食べ物を持って外に行くから」
サイトの憂いを第一に考え、ルイズは食事を外で食べることにした。
そのほうが二人きりにもなれて案外いいかもしれないと思ったのはルイズの内緒である。
「じゃあ、もうすぐ唱和だから終わるまで待っててね」
ルイズはそう言うと、少しサイトを気にしながら食堂へと入って行った。
サイトはそれを見送り、ふぁ、と一回欠伸する。
なんだかまだ眠い。
今朝異常に精神を消耗したせいだろうか。
そう考えている時、
「あ、サイトさん!! お目覚めになったんですね!!」
見知ったメイドの女の子が近寄ってきた。
見知ったメイドの女の子は、前と同じ黒と白のメイド服に白いメイドキャップをつけて微笑みながらサイトに話しかける。
「もう大丈夫なんですか?」
「ああ、シエスタ、だっけ? もう大丈夫だよ」
サイトは頭をかきながら答えた。
結構な大口を叩いて、わりとあっさり大怪我を負ってしまった自分が少々情けないのだ。
しかし、シエスタはそんなサイトを情けないと思うどころか尊敬していた。
「良かったですね、元気になられて。普通なら亡くなってもおかしくない出血でしたよ。本当に助かって良かったです」
シエスタは明るく笑う。
それは心からの声なのだろう。
「それにサイトさんって本当にお強いんですね、私感激しました!!」
次いで目を輝かせるようにしてサイトを見つめる。
「いや、それほどでも」
サイトもそんな目で見つめられ、褒められれば悪い気はしない。
つい照れながら答える。
「私、今まで貴族が恐くて仕方が無かったんですけど、今はそれほどでもなくなりました。平民だって頑張ればやれるんだってことをサイトさんに教えてもらったからです!!」
「お、俺はそこまでたいしたことはしてないよ」
「いいえ、これは凄いことなんです!!」
シエスタの余りの持ち上げっぷりに、サイトは段々照れを通り越して申し訳なくなってくる。
自分はそんなに高尚な人間ではない。
あの時もただ夢中で喧嘩をしたに過ぎないと思っていた。
それで死にかけていては世話無いが、それはそれ、これはこれだ。
「いや、本当に俺は……」
もう一度、自分の評価を少し下げてもらおうとシエスタに取り繕いの言葉をサイトはかけようとして、
「随分盛り上がってるのね……?」
なんだか少し無表情のような、やや抑揚を失った声のルイズが戻って来た。
***
コンコン。
ドアがノックされる。
「入りたまえ」
室内にいる男性が、ノックの主に入室を許可する。
「失礼します」
そう頭を下げてその部屋に入ったのは、ヴィリエ・ド・ロレーヌ、その人だった。
目はギラつき、一点のみを見据えている。
「どうかしたのか、ヴィリエ」
一方、入室を許可した部屋の主、この学院の教諭でもあるミスタ・ギトーは意外な訪問者に首を傾げる。
「僕は風のラインメイジです」
「それは知っている」
「先生は風のスクウェアメイジだとお聞きしています」
「いかにも」
「……僕に、僕に稽古をつけてくださいませんか、最強の系統“風”を極めたいのです」
そう言うヴィリエの表情は何処か暗く、嗤っていた。
「ほう、“風”が最強だと理解しているのか、君は“風”のメイジだものな。ふむ……よかろう、今後時間の空いた時にくるがいい、私も手が空いていればできることは指導してやろう」
“風”を最強と持論するギトーはヴィリエのその言葉に気分を良くし、その為ヴィリエの一瞬垣間見せた暗い嗤いには気付かなかった。
***
ブラウンのマントを纏った少女、ケティ・ド・ラ・ロッタは朝食に向かう為に歩いていた。
「……昨日はギーシュ様に結局会えなかったなぁ」
言葉に出るのは思い人のことばかり。
しかし脳裏に思い出されるのは昨日見た真剣な表情の名も知らぬ上級生だった。
と、なんという偶然だろう。
その上級生が目の前を歩いてくるではないか。
ケティは驚き、声をかけようとして、なんと声をかけていいものか迷う。
ケティがそう迷っているうちに、目の前の上級生はミスタ・ギトーの教員室へと姿を消した。
慌ててケティは扉に近づき、しかし用も無いのに中に入るわけにもいかずに聞き耳を立てる。
『どうかしたのか、ヴィリエ』
ミスタ・ギトーが彼の名前を呼ぶ声が聞こえる。
(ヴィリエ……それがあのお方の名前……)
ケティがそう内心で反芻していると、
『……僕に、僕に稽古をつけてくださいませんか、最強の系統“風”を極めたいのです』
そう、ミスタ・ギトーに師事をお願いする話が耳に入ってきた。
ケティは驚き、しかし昨日の不可思議な胸の高鳴りを再び感じる。
(ドキドキする……これは一体……)
ヴィリエの声を聞くたびに何故か起きるこの不可思議な高鳴りを、ケティは理解できずに持て余していた。