第十話【未遂】
「くそっ!!」
ヴィリエ・ド・ロレーヌは荒れていた。
“あの日”から自分は卑怯者、軟弱者扱い。
逆にあのギーシュは英雄のような扱いだ。
「あんな女ったらしの何処がいいんだ!!」
悪態をつきながらヴィリエの苛立はどんどん募る。
最近では使用人達すら侮蔑の眼差しを向けて来ているように感じ、全ての笑いが自分を嘲笑しているかのような錯覚さえ起きる。
「くそっ!!」
苛立ちまみれで地面を蹴る。
芝がめくれ、土が空に跳ね、彼の服に付着する。
「わぁっ!? き、汚い!! ……くそっ、何で僕がこんな事をするハメになるんだ、僕はギーシュと違って風のメイジでラインなんだぞ!?」
ヴィリエは全ての事に苛立ちながら土を払う。
彼がいたのは先日の決闘の場、ヴェストリの広場だった。
来たくは無かったが、禁止された決闘を行い、相手が平民とは言え他人の使い魔に酷い怪我を負わせた罰として、ミスタ・コルベールに広場の補修を命じられたのだ。
確かに自分が放った風の魔法で芝やら地面が抉れたり、血が芝に付着していたりして景観が損なわれている。
だが、その補修を何故自分が罰としてしなければならないのか。
ヴィリエは抗議した。
相手は平民であり、敗者なのだから彼がすべきだと。
しかしミスタ・コルベールは普段とは一線を画す表情で、
『君は自分が何をしたのかわかってるのか』
この先生からここまでの有無を言わせぬ怒りを受けたのは初めてだった。
いつも温厚で優しい、つまりは人に怒ることが出来ないヘタレな先生だとヴィリエは彼を思いこんでいた。
しかし実情、彼はコルベールに意見など出来ぬほど彼に怯えた。
よくわからない絶対的なメイジとしての差が、確かにそこにはあった。
ヴィリエは怯えから渋々それを受け、広場での補修に来ていたのだが、一人になると途端に怒りが込み上げてくる。
“勝者”の自分が何故こんな扱いなのか、と。
真に評価されるべきは平民に正しい“教育”を施し、実力を見せた自分だろう、と。
「くそっ!!」
ヴィリエは土を乱暴に払いながら怒りを吐き出す。
払った手を見ればそこは泥だらけだった。
「何で僕がこんな目に合わなきゃならないんだ……それもこれも、あの日、“アイツ”に負けてからだ」
彼は、サイトのことでもギーシュのことでも無い、“アイツ”の事を思いだし、イライラをさらに膨らませる。
「くそっ!!」
周りを見渡して目に入る血の後が彼をさらに怒らせる。
もう一度掌を一瞥すると、後始末も早々にヴィリエは歩き出した。
「手が汚れていては集中もできやしない」
そう自分に言い訳すると、ヴィリエは手洗い場に足を向けた。
ここから水場まではそう遠くない。
さっさと洗って少し休憩だ、そう思っていたヴィリエは、水場に見知った人間を見つけた。
桃色の長い髪と小さな体躯。
彼女は必死に顔を洗っていた。
ヴィリエはその姿を見て、急激に苛立ちを覚えた。
あの時、たいした魔法も使えない“こいつ”に吹き飛ばされ痛めた傷はたいした治療もしなかったせいか未だに痛んでいる。
それを思いだし、あの時自分を本気……かどうかはわからないが殺そうとまでし、それに恐怖を覚えた自分と与えたルイズに腹を立てた。
(僕がゼロのルイズに怯えた? 馬鹿な!!)
冷静になった今、その事実が無性に苛立つ。
だいたい、事の発端はこいつの“使い魔”なのだ。
あの時は魔法を使いすぎて精神力が尽きかけていたからきっと混乱しただけで、今ならそんなことはない。
だから、この理不尽をこいつにぶつけても問題無い。
ヴィリエはそう考えを纏めると水場で顔を洗っていたルイズに、声をかけた。
「やぁルイズ、薄汚い平民はどうなったんだ?」
***
ルイズは一心不乱に顔を洗っていた。
ここ最近まともに洗っていなかった分も含めてそれはそれは念入りに洗っていた。
目の隈は完全には落ちないだろうが、それでも綺麗に見られたい。
その一心だった。
彼女はその美しい桃色の髪をやや湿らせて、目をギュッと閉じたままバシャバシャと水を顔にかけていた。
時折シャープな顎を伝って滴り落ちる滴が眩しい程に太陽の光に反射し、それはまさしく女神の水浴びのようだった。
そんな彼女が手を止め、
「ふうっ」
息を吐いて頭を振り、水を払った所で、
「やぁルイズ、薄汚い平民はどうなったんだ?」
彼女の纏う空気が一気に凝縮された。
ゆっくりと声の方に首を向けるルイズの顔は、先程とは別人のようだった。
何処か明るさが感じられた表情は消え、能面のような顔つきでルイズは声の主、ヴィリエの方を見る。
その変貌にややヴィリエはたじろぎながらも、所詮はゼロのルイズだと自分に言い聞かせ、
「こっちはお前の使い魔が流した血が汚くて困ってるんだ、広場の補修を言いつけられて良い迷惑だ」
「………………」
「なぁ、お前の使い魔もう治ったんならお前の使い魔にやらせろよ、僕は彼に勝ったんだしさ」
「………………」
彼は自分が勝利者だと公言して憚らない。
しかし、誰もが彼の勝利を認めておらず、それ故に周りから侮蔑の眼差しを受けている事に気付かない。
さらに、何か言ってくると思っていたルイズが黙っていることにより、彼は段々エスカレートしていく。
「だいたい、何で僕が薄汚い平民のせいでこんな目に合わなきゃならないんだ? もうちょっと使い魔の教育をしっかりしろよ」
「………………」
「広場も薄汚い平民の汚い血で汚れて……ルイズ?」
流石に、彼は彼女がおかしい事に気付き始めた。
視線を下げ、ただ一字一句聞き逃すことの無いようにルイズは話を聞いていた。
ヴィリエはそんなルイズを訝しみ、夢中になっていた話を一旦切るが、
「……言いたいことはそれだけ?」
─────ヴィリエ。
それは死刑宣告に等しかった。
「貴方は“三度も”サイトを“薄汚い”と言ったわ」
彼は思い違いをしていた。
「“二度も”サイトの尊い血を“汚い”と言ったわ」
彼女は黙って聞いてたのでは無かった。
「そして、何よりサイトを“傷つけた”わ」
ただ、あまりに“サイトを傷つけたヴィリエ”への怒りが強すぎて、黙っていただけだった。
「……そんな貴方にはサイトと同じ、いえそれ以上の痛みと苦しみを与えなくちゃ」
彼女にとって、既にヴィリエとは、
「私から二度とサイトを奪えないように」
学院の同級生ではなく、
「サイトがこれ以上傷つくことの無いように」
知り合いの貴族でもなく、
「サイトの安全の為に」
どうでもいい赤の他人でもなく、
「消えて、ヴィリエ」
排除の対象だった。
***
ルイズの瞳から光が消えて、何も映さない“ゼロ”になる。
動きは酷く緩慢で、しかしそれが本当は自分の認識速度が遅くなっている……否、速くなりすぎている事に気付いて、それが何を意味するのかヴィリエは唐突に理解した。
彼女の言った言葉。
『消えて、ヴィリエ』
これは比喩でも暗喩でもなく、そのままの意味だった。
彼女は、ヴィリエという人間をその言葉の意味そのままに“消す”つもりなのだ。
どうやって、などはわからない。
ただ、彼が“ゼロ”と馬鹿にした彼女が本当にそうすることが出来、また彼はそうされるということだけがわかった。
だから、それはただの偶然であり、彼は事実上消えたも同然だった。
「ルイズ、いるかい!? 君の名前をサイトがうめき声で呼んでいるんだ!!」
***
場に残っているのはヴィリエのみ。
別に何処かを傷つけられたわけでも、何かをされたわけでもない。
ただ、彼は動けなかった。
怯えから思考は働かず、体が動かず、何も出来ない。
あと少しで、彼はこの世界から“消える”所だった。
たまたま、本当にたまたまギーシュが現れた。
ヴィリエなどに気付くことなく、彼はルイズに現況の説明をした。
事実はそれだけ。
だが、その事実はルイズにとって全てだった。
彼女の思考回路は複雑難解にして簡単だ。
“貴族”か“平民”か。
“動物”か“幻獣”か。
“クックベリーパイ”か“他の食べ物”か。
そして、“サイト”か“その他”か。
それが全てだった。
サイトが呼んでいる、それはルイズにとって全てに優先し、“ヴィリエを消す”などという事が“些事”になるだけの話。
本当に偶然の産物で彼は“消えず”にここにいる。
それを理解している彼は自分の存在を消そうとしたルイズに怯え、
「僕は……」
同時に憤慨し、
「僕は……」
嫉妬した。
「僕は……!!」
***
「サイト!!」
大声でルイズが自室に入室すると、そこには脂汗を流して呻くサイトがいた。
「……イズ……ルイズ……めて……」
ルイズは慌てて駆け寄り、サイトを抱きしめるようにして宥める。
「サイト、大丈夫、私はここにいるわ」
「……ルイズ……い……めん……して……」
「何? 何が言いたいのサイト!?」
ルイズはサイトを抱きしめながら慌てふためく。
そんな二人を、ギーシュは真剣に見つめていた。
サイトの声は尋常ではない。
“何かとても恐ろしいモノ”から逃れようとするかのような声でルイズの名前を呼んでいる。
何か怖い夢でも見ているのだろうか。
そう思わせるほど彼の怯えは異常で、強烈だった。
「サイト!!」
ルイズは何度も彼を呼ぶがサイトは目覚めずうなされながらただ彼女の名前を呼ぶ。
「……ルイズ……たい……るし……ごめ……いや……マジ……って……」
だが、何だかサイトの言葉が段々ハッキリしてきた。
しかしそんなサイトを見ているルイズは冷静になれずにそんなことはわからない。
「サイト!!」
故に、彼女は最終手段にして強攻策に出た。
「んっ!!」
「いっ!?」
ギーシュは驚く。
それは強引なキス、だった。
「んんっ」
ルイズによる“口を開く”という行為を律するかのような強い強引なキス。
「んんっ……んーん……んんん……」
するとどうだろう。
サイトは安心したようにみるみるおとなしくなっていく。
そうして落ち着いたサイトは、ゆっくりと目を開いた。
***
ケティ・ド・ラ・ロッタは彷徨っていた。
「おかしいなぁ……いないなぁ、ギーシュ様……」
探し人は以前見つからず、その影も形も見えない。
彼女が途方に暮れていると、たまたま水場付近で何もせずに立ったまま動かない上級生を見つけた。
マントを見るに探し人と同じ二年生。
もしかしたら探し人を知っているかもしれないと思いケティは声をかけようとして、
「僕は……!!」
その言葉を飲み込んだ。
一人何もない所で声を上げる様は異様で、それでいて滑稽で。
何処か危ない人にも見えるその行いは彼女が声をかけるのを躊躇わせるのに十分で。
しかし、その彼の表情だけは何か真っ直ぐなものだけを見ているように凛々しくて。
(あれ……? なんだろう私……あの人の顔をみてから何だか動悸が……)
それは彼女に正体不明の高鳴りを与えた。
この日、彼女は結局探し人を見つけられず、正体不明の高鳴りを胸に秘めたまま、一人自室に戻る事になる。