第九十七話【何者】
「あれ? お外に行ったんじゃ無かったの?」
ティファニアは、外に行ったと思っていた少女、突然の同年代の来客の一人、ルイズに気付いた。
彼女は無言でどんどんこちらに近づいてくる。
ティファニアはそれに首を傾げながらもその大きな胸に一つの小さな期待があった。
(もしかしてお友達になってくれるのかな?)
ティファニアは生まれついてから物心付き、今に至るまで、同年代の友達などいなかった。
周りは幼い孤児達ばかりの隠れ村そのものだったし、自分が人にもエルフにも蔑まれるハーフエルフであることは良く理解していた。
それでも、やっぱり友達というものは欲しかった。
だからかウェールズがここに来た時、そして自分をハーフエルフと知りながら怪我の手当をした事に対してお礼を言って来た時、言いようのない嬉しさを覚えた。
歳が近い異性というのはそれだけで特別な存在に思えた。
何より、彼は優しかった。
それが嬉しく心地よかった。
一方で悩みも増えた。
同い年くらいの男の子の考える事、好まれる事がわからない。
同時に、同年代の“普通”の女の子はどういうものなのかもわからない。
自分は一般的な女の子と何か違うのではないか、そういう不安とそれによってウェールズに嫌われる可能性を考えて悩んでもいた。
いつだったかウェールズが自身を見て「……す、凄いね」と言ったのもその不安を助長したのかもしれない。
だから、彼女は歳の近い女の子とも友達になりたかった。
いろんな話を心おきなく出来る、そんな友達。
もとより友達というものに強い憧れもあったのだ。
いつも自分は年長の身からお姉さんとして振る舞って来た。
嫌ではないが自分の心の裡をさらけ出せないでもいた。
だから、降って湧いたお友達作るチャンスに、胸とお腹を大きくしたティファニアはワクワクしていた。
ワクワクして、
「記憶を消したって──────────────」
──────────────ドウイウコト?
息を呑んだ。
彼女……ルイズは小さい。
いろいろ小さい。
だというのに、押し潰されそうなプレッシャーがティファニアを襲う。
「え……っ!?」
ティファニアの顔が恐怖に引きつる。
ルイズの目は真っ直ぐこちらを見ている。
偽りも虚言も許さない“純粋過ぎる”瞳。
そこに“色”は無く、あるのは開ききった瞳孔……穴だけだ。
吸い込まれそうな程大きい“穴”はティファニアを掴んで離さない。
物理的には触られてすらいないのに、体は鉛でも身につけたかのように重くて動けない。
と、ルイズの手がティファニアに触れた。
「“大きいお腹”ね……さぞ楽しみで幸せなことでしょう……?」
触られたお腹が冷たい。
冷たいけど熱い。
お腹の中が何かに怯えて胎動しているのが感じられる。
別に抓られているワケでもないのにピリリと痛むような錯覚。
ただ“触られているだけ”で、そこに絶望と恐怖を感じ、お腹の中の子も全く同じ事を感じているかのようだった。
ルイズの手が撫でるように動く。
それは優しい手つきの筈なのに、ティファニアは“痛みのない痛み”を覚えた。
痛くないのに痛い。
体の“中”が痛い。
そこでハッとする。
まさか、ありえないと思いながらも彼女、ルイズは“お腹の中に直接何かをしている”のではないかと思い当たる。
通常そんな事は出来るはずがない。
だが、言いようの無いその不安が、ティファニアに根拠の無い錯覚を現実として認識させ始めていた。
「幸せよね? 幸せでしょう? 幸せじゃない筈無いよね? 幸せなのよ。幸せじゃないなんて言わせない」
ルイズの撫でるような手がピタリと止まる。
不思議と瞬間お腹の痛みが無くなった気がした。
……急激なお腹の中の喪失感と共に。
それが、ティファニアに最悪の未来の予想をさせる。
「記憶を消したって言ってたわね? 貴方がサイトの記憶を消したの? 消したのね? 消したんでしょう?」
ルイズの色の無い……いや光すらも無い“虚無の瞳”が、ティファニアを射抜く。
それはただ視線を向けているだけのもののようでいて、確かにティファニアには“お腹”を刺し貫かれたような錯覚を与えた。
「私の幸せは……私の全てはサイト。それを貴方が奪ったのなら……」
──────────────私も奪うわ。
それは、宣告に等しかった。
問答は無用。
弁解も無用。
ただし、それが“事実”ならの話だが。
「違う、ティファニアは使い魔君の記憶を消していないよ」
「………………?」
「っ!?」
ふっとルイズが声を発したウェールズを見る。
それだけでウェールズはゾッとした。
魔法を使った形跡は無いしルーンも聞いていない。
いやそもそも杖も無い。
だというのに、この部屋の空気は一変したと評して良いほど変わったように感じた。
どうも彼女とティファニアの様子がおかしいと声をかけてみたのだが、それは正解だったらしい。
ティファニアは“これ”をまともに、しかも至近距離で感じていたなら声を出すことすらままならないだろうと思う。
何よりウェールズをそう思わせたのはルイズの目だ。
何も誰も映していないその目。
焦点がわからないどころの話じゃなく、無い。
そんな目で見竦められたら、自分でもどうなるかわからない。
ウェールズは瞬時に理解した。
彼女がこうなっている理由と、自分がこれから取らねばならない行動を。
失敗は許されない。
そうなればティファニアも自分も……“あの子”も全て終わり。
言葉を慎重に選びウェールズはカラカラの口を開……こうとして気付いた。
口の中が乾燥し過ぎている。
それほどまでに呆然と口を開けたままだったのか、はたまた背から滝のように流れ出る冷や汗が水分を放出しているのか。
とにかくこのままでは自分もティファニアもマズイと思ったウェールズは早々に彼女の“誤解”を解くことにした。
「……ティファニアは不思議な魔法が使えるんだ、人の記憶を消せる魔法を。この村は“いろいろあって”人里から少し離れているせいか訪問者は少ない、オマケにその少ない訪問者の半分は盗賊だったりしたんだ。彼女はこの村の子供達を護るために、そういった者が来た時は彼らがここに来た目的を忘れさせて帰ってもらっていたんだそうだ」
「じゃあ記憶を消したというのは……」
「その盗賊達のことさ。ティファニアは今の使い魔君と君の関係を見て、仕方ないとはいえ今までここに来た人達の記憶を消してしまった事に罪悪感を持ってね。そもそもティファニアは亡き母君の遺したマジックアイテムで君たちを治療し、その代償としてマジックアイテム……恐らく水の力を秘めていたと思われる指輪なんだが、それを失ってしまったんだ。そうまでして助けた君たちを害なすわけ無いだろう?」
「そう、そうなの」
しばらく黙って聞き、動かなかったルイズだが、納得したのか瞳に光が戻り始める。
途端ティファニアは目に見えぬ拘束が解けたようにその場に座り込んだ。
同時、ティファニアのお腹の中も安心したかのように胎動を再開しだしたのを感じる。
ルイズはウェールズから座り込んだティファニアに視線を戻すと、
「ひっ!? ……え?」
彼女の頭を……その長い耳を嫌うことなく抱きしめた。
「ありがとう、貴方のお母さんの形見を使ってまでサイトを助けてくれて。貴方は恩人よ」
すっとルイズが離れて微笑みをティファニアに向ける。
その顔がとても美しくティファニアには感じられた。
顔の造詣は小さいのに、バランスは良く、キラキラと輝くような桃色の髪と柔らかそうな赤みを帯びた頬。
微笑んだルイズは、ティファニアはこの上なく、これ以上は無いと断言出来るほど可愛いと思えた。
まさに地獄から天国。
恐怖のどん底から春風吹く花畑の中心に来たかのように暖かい。
先程までの彼女が嘘だったのではないかと思うほど、その顔は穏やかだ。
その顔に安心し過ぎたのか、まだ緊張が抜けきっていなかっただけなのか、全身の筋肉が弛緩したティファニアは上半身も床に吸い込まれるように傾き……引っぱられた。
「……っえ?」
ハッとすると、正面のルイズが腕を引いて倒れぬよう支えてくれていた。
「ダメよ、安静にしないとその子にも良くないわ」
先程までとはまた違った、優しい手つきでルイズがティファニアのお腹を触る。
それがくすぐったく、嬉しかった。
「あ、ありがとう……」
「いいのよ、むしろ私に出来ることならなんだってやってあげる。貴方のお母様の形見を使い尽くしてまでサイトを助けてもらったのだから、むしろ全然足りないくらいだわ。だから何か頼みたいことがあったら言って?出来る限り力になるから」
ルイズの微笑む顔がとても優しかった。
だからティファニアは自然と安心しきってその言葉を口にした。
「じゃ、じゃあ……その、お友達になってくれる?」
上目遣いにルイズを見つめる。
一瞬ルイズはきょとん、としてすぐにまた微笑み「もちろん」と笑い返した。
笑い返して、ルイズはもう一度ティファニアの頭を抱きしめ、耳元で囁く。
「お友達になった証に一つ良いことを教えてあげる。良い? 絶対忘れちゃダメよ?」
なんだろう? とティファニアは内心で首を傾げ、その大きな胸に期待を膨らませた。
「……もしも“さっきの私”みたいになりたくなかったから……好きな人を失いたくなかったら絶対にその人を手放しちゃダメよ、“何があろうと絶対に”」
「っ!?」
ティファニアが震える。
“さっきの”と言われただけで、一瞬だけ勘違いだったのかもと思っていたルイズへの恐怖が蘇る。
それは既に、ティファニアの中に強く根を張る程に深い恐怖。
ティファニアは震えながらルイズの顔を見た。
ルイズは変わらず可愛らしい笑顔を向けて、
「……でも私は貴方と殿下の味方だから、出来ることはしてあげる」
安心させるようにそう言った。
ティファニアはそれに安堵し、同時に胸の中に深くルイズの言葉が刻み込まれた。
“何があろうと絶対に”ウェールズを手放してはいけない。
それが、恐怖と共にティファニアの中に強く強く根を下ろしていく。
***
『………………』
「おーい? デルフリンガー?」
『……なぁ相棒、ちょっと頼まれてくれねーか』
ティファニアの家からやや離れた切り株の上に座って話し続けていると、さっきまで饒舌に語っていたデルフリンガーが急に黙りだし、しおらしそうにそう言ってきた。
話も良いところで、ルイズ“さん”が急に戦場に現れた、というところだったのだが。
「え? 何を? 俺が出来ること?」
サイトは突然の話の中断を訝しみつつ、不安を募らせる。
記憶喪失のこの身で何ができるだろうか、と。
『ああ、簡単だ、ちっと娘っ子と二人で話がしてぇのさ、気になることがあってな』
「ふぅん、まぁいいや、じゃあルイズ“さん”を呼んでくるよ」
それなら大丈夫そうだとサイトは勢いよく立ち上がり家に向かおうとして……違和感を感じ振り返る。
「……? 今そこに“誰か”いなかった?」
『………………今ここに居るのは俺様と“相棒”だけだぜ? それより娘っ子を頼むよ』
自分の感覚とやや間を置いてから返答したデルフに首を傾げながらもサイトは家の中のルイズを呼びに行く。
『……今ここには俺様と相棒しかいねぇ、そうだろう? ……“相棒”』
デルフは、サイトが家の中に入りきってからカチカチと音を立ててそう呟く。
すぐにルイズはぶすっと不機嫌な顔でこちらに歩いてきた。
大方サイトに声をかけられた理由が“一人で”デルフと話す為だったせいだろう。
口を開かせれば罵声やら何やらが飛びそうで面倒だ、そう思ったデルフは単刀直入……思っていた事を先に口にした。
『娘っ子、おめー何者だ?』