第九話【乙女】
うろうろうろ。
うろうろうろうろうろ。
うろうろうろうろうろうろうろうろ。
「はぁ……」
ギーシュは溜息を吐いた。
先程メイドから無事な旨の話は聞いたが、それでも少し心配だ。
そうして気付けばルイズの部屋の前で危ない人のようにギーシュは行ったり来たりを繰り返していた。
「はぁ……」
いや、ように、ではなく既に完全に危ない人だ。
こんな所で何度も溜息を吐いていてはせっかくの武勇伝もすぐに朽ち果ててしまいかねない。
ギーシュはそれを危惧したわけではないが、しかしようやくと心を決め、腹に力を入れてドアをノックした。
……。
…………。
………………。
「………………」
返事がない、ただの屍のようだ。
「いや、屍では無いだろう!?」
ギーシュは自身の考えにツッコミを入れた。
「いや、自分の考えにツッコミとかして僕はここに何をしにきたんだ」
ギーシュは気を取り直してもう一度ノックする。
……。
…………。
………………。
「………………」
が、やはり返事はない。
「……ルイズがいると聞いてたが、席を外しているのかな」
ギーシュはそう思い、ドアノブに手を回した。
キィ……。
「……開いてるな」
どうしようか。
ギーシュは迷ったが、やはりサイトのことが気にかかり中に入る事にした。
「失礼するよ」
一応そう声をかけて入室する。
中には、眠っているサイトと、サイトの手を握り、祈るようなポーズで横に座っているルイズがいた。
それはとても綺麗で、異様な光景だった。
傾き始めた日差しがルイズの頬をオレンジに染め、その麗しい顔を優しさで包み込み祈るように一心になって手を握っている様はまるで天使のように美しい。
だが、その一方で彼女の発する声は呪詛のように低い声だった。
「……サイト、私が傍にいるから」
文面は問題ない。
少し過剰な部分も感じられるが、しかしそれは使い魔を思えばこその事だろう。
問題は声質。
その声は、目の前の少年への慈しみと他者への怨念じみた拒絶を感じさせた。
「ル、イズ……?」
戸惑いながらギーシュのかけた声は上ずり、少し怯えが混じっていた。
「……ギーシュ? 何か用? 今私は忙しいの」
ルイズは、振り返らずサイトの顔を見つめたまま、しかし普段通りの声で返事をした。
そこには先程の異様な空気は既に無く、いつもと変わらないルイズの雰囲気だった。
「あ、ああ、サイトの様子はどうかと思ってね、幸いヤマを超えたと聞いて安心したんだが一応様子を見に来たんだ」
「そう、見ての通りサイトはまだ眠ってるわ、でももうじき目覚めると思う」
「そうか、とにかく無事で良かった」
決してルイズは振り向かないが、それでもいつも通りのルイズとして受け答えをしている。
「そう言えば、あの時サイトを連れて行くように言ったのはギーシュ、貴方だったわね、おかげでサイトの治療が間に合った、お礼を言うわ」
だが、ここで珍事が発生する。
ルイズはめったに人にお礼を言わない。
いや、決して彼女との付き合いが長いワケではないので、何とも言えないが、彼女はそうそう頭を下げる人間では無いと思っていた。
「珍しいな、君が人に素直にお礼を言うなんて」
「……サイトが助かったのは貴方のおかげかもしれないもの、お礼くらい言うわ」
ギーシュはそのルイズの言葉に軽い驚きを覚えた。
お礼もそうだが、随分と召喚したばかりの使い魔に思い入れているようだ。
だからだろうか。
女性に対しては気の回し方が上手いと自負しているギーシュは、ここでもその才を発揮することにした。
だがそれは、初めて自分の為意以外への気の回し方だった。
「ルイズ、君は殆ど寝てないそうだね」
「ええ」
「顔を洗っているかい?」
「いいえ、今はサイトを看ていたいから」
「なら行っておいでよ、僕がその間彼を看ていよう」
ルイズはしばし黙り込み、しかしそれを断った。
「……遠慮しておくわ、私はサイトが目覚めるまでここにいる」
それを聞いたギーシュは、ほう、と感嘆の息を漏らした。
思い入れているとは思ったが、まさかここまでとは。
もしかしたら彼女はその乙女心を彼に動かされているのかもしれない。
身分違いとはいえ使い魔と主人の関係でもある二人だ。
自分が口を出すことではないし、もしかしたら上手くいくかもしれない。
だから、やっぱりギーシュは先の提案を取り下げない事にした。
「君のその言葉を聞いて、益々僕は君に顔を洗いに行ってもらいたくなったよ」
「くどいわよギーシュ、わかるでしょう? 今の私はサイトを看ていなくちゃならないの」
「だから僕が少しの間代わってあげると言ってるだろう?」
「他の人に任せたくないわ」
「やれやれ、僕は君とサイトの為に言ってるんだけど」
その言葉にルイズはピクリと反応し、
「……どういう意味?」
ようやくギーシュの方に振り向いた。
その顔は、ギーシュの予想通り酷かった。
随分と泣き腫らしたのだろう。
目を真っ赤に腫らして隈を作り、疲れ果てたような顔をしていた。
「ほら、そんな顔をサイトに見せる気かい? もし僕が彼だったら驚き悲しむだろうね」
「……貴方とサイトを一緒にしないで」
ルイズはギーシュを睨み付けるように言い放つ。
「確かに僕は貴族で彼は平民だ」
「そういう意味で言ってるんじゃ無いわよ」
「わかってるさ、でも彼はね、君を責めないと言ったんだ」
少し気障ったらしく、しかし興味を引くようにギーシュは言う。
「どういう意味?」
案の定、彼女は食いついてきた。
「彼はね、何も知らないままイキナリ召喚した君を責めないと言ったんだよ」
「………………」
「女の子を責めるのは趣味じゃないんだそうだ、僕と気が合うと思わないかい?」
ルイズは押し黙る。
ギーシュの“こういうこと”のみに働く勘が、後一押しだと告げていた。
「サイトはね、主人とかは関係なく、今世話になっている君がゼロと馬鹿にされた事に憤慨したようだったよ」
「!!」
ルイズは飛び跳ねるようにサイトの顔を見つめた。
サイトの顔は既に穏やかになっており、ただ眠っているようにしか見えない。
「君はそんなサイトに、いくら平民の使い魔とはいえ、隈を作って泣き腫らした顔を見せるのかい? 淑女とはもっとオシャレにも気を使うものだよ、そう例えば香水のモンモランシーのようにだね……」
途中からギーシュは何かのスイッチが入ったのか、目的を半分忘れ美しい女性の在り方の巧弁を垂れ始めたがルイズはそんなものは聞いちゃいなかった。
(……サイト)
胸に込み上げるのはサイトの一挙手一投足。
そして彼が今回決闘を受けたのは自分の為だという事実。
彼女にとって大事なのはそこであり、
「というわけで、ケティのように常に美しく可愛らしい顔立ちを男性は好むのさ」
ここだった。
美しい顔立ちを男性は好む。
いつの間にか説明している女性の名前が違うのはこの際置いておくとしよう。
大事なのはその一点。
ルイズの中でその言葉が変換される。
美しく可愛らしい顔立ちを男性は好む = サイトは綺麗な自分を好む。
ルイズは立ち上がった。
「……ギーシュ、少し顔を洗ってくるわ」
ようやく語りたいことを語り終わったギーシュは、そのルイズの変わり身に勧めていた本人ながら驚いたが、頷くことで彼女を見送った。
「……早く顔を洗って来なきゃ」
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
花も恥じらう肉体年齢十七歳の彼女は、“歳不相応”に慌てて駆けだした。
***
バン!!
急に扉が開き桃色の髪の乙女が駆けだしていった。
それにたまたまそこを通りかかった少女、ブラウンのマントを纏ってバスケットを両手で持っていたケティ・ド・ラ・ロッタはビクッと肩を奮わせ驚いた。
しかし桃色の髪の少女はケティに見向きもせず、その小さな体躯とは裏腹に凄い速度で駆けだしていく。
それをポカンと見ていたケティは、
ギィィィ……バタン。
扉の閉まる音で我に返り、
「……いないなぁ、ギーシュ様」
そう呟いて、また何処かへと歩き出した。