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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] いつか終わる夢、後編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:910bfa0c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/22 21:13

「森谷の血は、“呪い”です。遥か戦国の世から現代までの永きを掛けて、我が一族が一心不乱に紡ぎ上げてきた、死を呼ぶ呪詛。そして私は、その結実。生まれながらに一族の業を身に宿した、おぞましい呪い子――それが森谷蘭という存在の正体なんです」

「呪い、か」

「尤も、父上と母上は、それを“祝福”と信じていたようでしたが。志半ばに斃れた血族の祈りと願いを一身に宿した、祝うべき子だと。自分達の代に森谷の悲願たる“殺意の申し子”を産み落とす事が出来たのは、とても素晴らしく誇らしい事だと。幼い私を抱き上げながら、父上はそう仰っていました。その時の私は、ただ尊敬する父上の期待に応えられた事が嬉しくて――ですが今なら、分かります。父上が満面の笑みと共に見ていたのは、私の才。私の中に眠っていた“森谷”という名の怪物なのだ、と」

「……」

「それが少しだけ、寂しいです。他の誰でもない“私自身”が両親に愛されていたと、心の底から信じられない事が……ほんの、少しだけ」

 悲しげな笑みを僅かに湛えながら、蘭は呟く。しかし寂寞の念を面に覗かせたのは一瞬で、蘭はあらゆる感情を強いて抑え付ける様に、表情を凛々しく引き締めた。白洲に引き立てられ裁きの時を待つ罪人の如く神妙な有様で、蘭は懺悔にも似た告白を続ける。

「森谷という武家の目的。一族がその存在を懸けて追い求めてきた悲願を、ご存知ですか?」

「……ああ。大体の所は、十年前に聞かされた。お前の父親から直に、な」

 曰く、“殺意”と云う名の鎖を以って人の心の獣を律する。あらゆる悪を根絶し、弱き人々を救済する。それが、森谷成定という狂人が語った森谷一族の理念。到底、易々と忘れられるような記憶ではなかった。客観的に判断して、狂気の沙汰としか形容の術が無いであろう、血塗れの妄執。

「勿論、最初の“森谷”たる創始者の武人とて、己の理念に現実味が欠けている事は承知していたでしょう。故に、その理念を現実のものとする為に、遠い祖先はある手段を選択しました。それは――すなわち、現世のあらゆる生命に対して絶対的な脅威と成り得る、世に比類なき“究極の殺意”を生み出すこと」

 ……究極の、殺意。蘭が淡々と口にしたその言葉は、否応無く一つの記憶を呼び覚ました。それは、俺という人間の根幹部分に刻み込まれた“恐怖”そのものだ。十年前の廃工場で遭遇した、赤と黒の化生。森谷蘭という少女の姿を象った――殺戮の権化。

「……っ」

 情けなくも、回想するだけで全身が無様に震え出しそうになっていた。身体の芯が凍り付くような感覚をどうにかやり過ごしながら、尚も続く蘭の告白に耳を傾ける。

「自身の生涯を費やしても理想に届かないと悟った祖先は、己が悲願を次代へと託しました。親から子へ、子から孫へ。より色濃く血を受け継いだ者が当主となり、そして――同様に選別された“血族”と婚姻を結び、子を成す。二人が愛し合っていなくとも、二人が実の兄妹であろうとも、一切の例外無く。より純度の高い血を、殺意を、確実に子孫へと継承するために。そうした一族の営みは数百年に渡って密やかに続けられ……現代に至るまで、一度として途絶える事はありませんでした」

「…………」

 ならば、あの時に聴いた、最期の言葉は。

『椿は、一足先にお待ち申し上げております――兄上』

 やはり、そういう●●●●意味だったと言う事か。およそそんな所だろうと事前に想定してはいたものの、それでも胸糞の悪さは抑えられそうもない。あたかも優れた競走馬を作り上げるような感覚で、平然とヒトの血統を管理し、目的に沿って操作する。狂気の成せる所業と言う他無かった。

「その末に、私が生まれました。一族が受け継いできた血と殺意を歴代の誰よりも色濃く宿した――“人工的な殺人鬼”が、生まれてしまいました」

「……殺人鬼、ね。だが、俺と出逢った頃のお前は、そうじゃなかった。理性を持ち、会話が成立する、“人間”だった筈だ」

「……確かに、この世に生まれ落ちたその瞬間から、“そう”だった訳ではありません。私が小さな手に刀剣を握れる年齢になっても、“森谷”の血の大部分は未だ眠ったままでした。……或いは、無意識の内に押さえ込もうとしていたのかもしれません。自分の中の“それ”が目覚める事が何を意味するのか、魂が感じ取っていたのかもしれません。ですが、いずれにせよ無意味な抵抗でした。とある夏の始め、父上は私の血を活性化させるべく、私にある種の“修練”を課しました。そして、そして――その直後に起きた大きな一つの事件がトリガーとなって、私は、」

 幽鬼の如く青褪めた顔が、痛々しく強張ってゆく。それでも、何かしらの使命感からか、蘭は口を噤む事をしなかった。むしろ己の怯懦を咎めるように強く唇を噛み締めて、絞り出すように言葉を続ける。

「私は、三十七名の人間を、惨殺しました。無慈悲に、徹底的に。原型を留めない肉片と化すまで、斬り刻んだのです」

「……」

「そのおぞましき振舞いに、私の意志は介在していませんでした。私の肉体を動かしていたのは、数百年という歳月の中で練り上げられ、もはや一個人の手には負えない程の巨大さまで膨れ上がった“殺意”。あの時の私は、血に乗っ取られ、狂気に駆られて殺戮を繰り広げた私は――“森谷”と云う名の怪物に過ぎませんでした」

 鮮明に蘇るのは、血と肉と死が乱舞する地獄絵図と、その渦中にて踊る漆黒の怪物。

『ころさなきゃ』

 蘭の言うトリガーとは、俺が新田の振るうナイフによって命の危機に晒された瞬間を指しているのだろう。あの時、蘭は俺を助けたいと願い、身体を戒める鎖から脱するための力を切実に求めた。その願いに応えたのは、神の奇跡でも正義のヒーローでもなく――蘭の中にて眠りに就いていた、凶悪無比の怪物だった。斯くして一つの血が目覚め、数多の血が撒き散らされた訳だ。恐らくは、その直前に起きた、両親の死という悲劇もまた、覚醒の切っ掛けとなったのだろう。こうして真相を知った上で森谷成定の言動及び行動を振り返ってみれば――あの男は、その結果を見越した上で、蘭の精神を揺さぶるため、敢えて自らの肉体を斬り刻むという狂気的な振る舞いに及んだように思える。

『……私は、不甲斐ない親だ。地位も財産も、形あるものは何一つ、愛する娘に遺してやる事が出来なかった。だからこそ、私に遺せるものは余す所なく全てを遺してやりたいんだ。貧しい食事にも文句一つ言わず、“立派な武士になりたい”と、“父上や母上のようになりたい”と笑顔で言ってくれたあの子のために、私は、森谷成定という武人が生涯にて培ってきた総てを伝えてやりたいんだよ』

 かつて、慈愛の表情で紡がれた言葉は――少なくとも当人にとっては、紛れもない本物だったのだろう。蘭の中に眠る“究極の殺意バケモノ”を呼び覚ます事こそが、森谷成定が愛娘へと遺す最後のプレゼント。そして自らの妻に自害を命じ、惨たらしく己の四肢を切り落とし、両の目を抉りながら紡いだ今際の言葉こそ、彼が武人として娘に伝えるべき総てであった。

 ……。

 ……要は、価値観の違い、なのだろう。人の目に映る世界は、各々の主観によってその在り方を自在に変える。狂気の世界に生きる人間にとっては、狂気こそが紛れもない正常なのだ。故に正気の世界に生きる俺の目からはありとあらゆる手順が狂って見えながらも、動かぬ真実として、彼が娘に注ぐ愛に偽りは無かった。森谷一家の絆について、断言出来る程に多くを知っている訳ではないが――きっと、そういう事だったのだろう。

「そして、全ての“敵”を斬り捨て、漸く正気を取り戻した私は――絶望しました。律する事の能わない怪物が自分の中に棲んでいる事実。誰よりも深く敬愛していた両親を、自分の無思慮な行動が死に追い遣った事実。ただただ災厄を振り撒き、周囲を破滅させ、大好きな人達を殺す事しか出来ない自分に、生まれてきた意味は無い。そんな、弱い心で受け止めるには巨大過ぎる数多の絶望から自らを守るために、私の脳が無意識の内に選んだのは、“忘却”、でした。心に刻まれた爪痕を苛む耐え難い激痛を消し去るため、そして目覚めてしまった怪物を再び自身の奥底に封じるため。私は、全てを。ありとあらゆる記憶を、忘却の彼方に追い遣りました」

「……」

 あらゆる記憶。両親との思い出も、俺や忠勝との記憶も、残酷な現実も――全てから目を背けてでも、ヒトとしての己を保つ。その結果が、あの廃人に限りなく近い蘭の姿だったのだろう。

「そこから先は、ご存知の事かと思います。血が目覚める以前と同様、“殺意”の大部分を内に封じたまま、私は十年間の年月を過ごしてきました。そして今――私は、此処に居ます。全ての記憶を取り戻す事で同時に血の封印が解けた、人工の殺人鬼として。森谷一族の妄執が作り上げた、殺意の結晶として。それが、私にお話し出来る、森谷蘭の全てです」

 殊更に感情を排した声音で淡々と締め括って、蘭は唇を結んだ。

 ……成程、途方も無い話だ。戦国の世から現代に至るまでの膨大な年月と、その中で数百数千に及ぶ血族達が育み、受け継いできた想い。祈り、願い。人の身で推し量るにはあまりにも巨大な歴史の重みを、生まれながらに背負わされた宿命の子――それが森谷蘭という少女の正体だった、と。

 何ともまあ、滑稽な程に大仰で、現実味というものが不足した、それこそ法螺話と謗られても仕方の無いような蘭の告白を――しかしどうして、疑えるだろうか。胸中を駆け巡る想念を必死に押し殺して、細い肩を震わせながら懸命に語る言葉に、疑義を差し挟む余地などない。全く以ってありはしない、が。

「……全て、ね。そんな事はないだろうに」

「……」

 そう、蘭の語った内容は紛れもなく真実なのだろう。但し、致命的に言葉が不足した、という前置きが必要だ。兎にも角にも説明不足にも程がある。ただそれだけの情報では――断を下すには、到らない。携えた刃を鞘より放ち、白い首筋へと向けて振り下ろすには、未だ俺の側に動機が不足している。故にこそ、俺は蘭の傍に立ったまま、続けて口を開いた。

「お前の話の一切合財を、余すところなく真実だと仮定したとして。お前の中に眠っていた“血”とやらが目覚めてしまったとして。狂気に駆られて意思とは無関係に殺戮を振り撒く殺人鬼と化してしまったのだとして――ならば、今ここで俺と話している“お前”は、何だ? 俺の目が悪いのか、随分としょぼくれた顔をした“人間”が一匹、居るだけに見えるがな」

「……件の殺人鬼は、もはや私という個人とは切り離された、一個の人格に等しいものです。二十四時間、常に表に出ている訳ではありません。ですが、何かしらの切っ掛けがあれば――今すぐにでも、活動を開始するでしょう。そうなってしまえば、周囲の生あるもの全てを殺し尽くすまで、止まりません。辛うじて抑え込めたとしても、長くは保たないかと。今の私は、云わばいつ爆発しても不思議は無い爆弾も同然なのです。証左として私は、あと一歩のところで“彼女達”を斬り捨ててしまう所でした。そのおぞましき姿のほどは、ご覧になっていた筈です」

 クリスティアーネ・フリードリヒ。マルギッテ・エーベルバッハ。そして、明智音子。直前に第三者による妨害が入らなければ、まず間違いなく殺意の凶刃に引き裂かれていたであろう彼女達の事を、蘭は言っているのだろう。俺を見遣る眼差しに力を込めながら、蘭は言葉を続けた。

「もはや私は、天下に、人の世に何ら益する所ない凶刃と成り果てました。呼吸が一つ続く事で、罪も無い人々を脅かしているも同然の、災禍そのものと蔑むべき存在なのです。根絶すべき“悪”と言うならば、私の存在こそがその呼称に相応しい。故に、私は速やかなる死をこそ願います。尊き平穏を無為に脅かしながらの生存を、私は望みません。――どうか、死を。果断なる一刀を以って、命脈と共にこの身を苛む呪いを断ち切って頂けますよう、森谷蘭、伏して願い申し上げます」

 切々たる感情を込めて俺へと訴えながら、蘭は平伏する。泥土に額を擦り付けながら、断頭の一閃を懇願する。人生の中で幾度も幾度も見た森谷蘭の平伏姿の中で、これほど強く心に訴え掛けてくるものはかつて無かっただろう。その事実がひたすらやり切れず、苦々しく、そして――何よりも、腹立たしい。

「蘭。お前……」

「……はっ」

「俺を馬鹿にしているのか?」

「はっ?」

 弾かれたように泥まみれの顔を上げる。ポカンと開いた口と相俟って、何とも言えない間抜け面だった。今に至るまで必死で保ち続けてきたのであろう凛々しい態度も、これで台無しである。

 全く、柄にもない腹芸を無理に続けようとするからこうして無様を晒すのだ。お前のように性根から馬鹿正直な人間がどれほど頑張って嘘を吐いたところで、俺のような嘘吐きの目を欺く事など不可能に決まっているだろうに。

「なるほど、なるほど。これまでのやたら長ったらしい自分語りを要約すると、だ。つまるところ自分の存在が人々の安全を脅かすから、今すぐ問答無用で首を刎ねて欲しい、と。お前はそう言いたい訳だな?」

 身体を屈め、真正面から顔を覗き込みながら訊いてやると、蘭は気圧されたように首を竦めながら頷いた。

「は、はい。先にも申し上げた通り、私が生きている限り誰かが犠牲に――」

「だったら。お前は何故、俺を待っていたんだ」

「――っ」

「世の為、人の為。ああ、大層ご立派な信念だ。拍手の一つでも贈ってやるよ。……で? だったら何故、まだお前は生きているんだ? 自分で自分の命を絶つ方法なんざ幾らでもある。今のご時世なら、特にな。誰にも迷惑を掛ける事無く、そして武士らしく死にたかったという拘りならば、自刃でもすれば済む話だ」

「――、それは、介しゃ――」

「まさか介錯が無ければ腹が切れないとでも? いやいや、俺の知る森谷蘭ならば、よもやそんな腑抜けた事は言わないだろうさ。自分なら、例えどれほどの苦痛を伴おうが見事掻っ捌いてみせる――いつだったか、歴史小説片手にそう息巻いていたのを俺は知っているからな」

「……う、うぅ」

「何だ、もう反論は終わりか? 呆気ないにも程があるな。今までやり合ってきた議論相手の中でぶっちぎりの最弱間違いなしだ。せっかく用意していた言弾コトダマも、大量に余ってしまった。もう少しくらい難易度を上げてくれても良かったんだぞ、蘭」

「……、…………………………………………ふ、ふふっ」

 
 遂に堪え切れなくなったように、蘭は不意に真面目くさった表情を崩した。

 喉の奥から小さく笑い声を零しながら身体を起こして、俺の顔を見上げる。口元には、日向に咲く蒲公英を思わせる、柔らかい笑みが浮かんでいた。


「――シンちゃんは、本当に変わらないですね。すごく逞しくなって、喋り方も変わったけれど、目に見えないところはみんな、昔とおんなじ。とっても賢くて、とってもイジワルです」


 無闇やたらと堅苦しかった言葉遣いも同時に崩れて、あたかも十年前にタイムスリップしたかのような錯覚を抱かせる。幾多の言葉を既に交わしたと言えども、忘れ難い幼馴染たる森谷蘭と本当の意味で再会を果たす事が出来たのは、まさしく今この瞬間なのだと俺は悟った。

「ふん。やっと分相応な喋り方をするようになったじゃないか、蘭。やはりお前の残念極まりない知能レベルを考えれば、それくらい馬鹿っぽい感じの方が相応しいな」

「むぅ、馬鹿じゃありません! 私、成績ではシンちゃんとそれほど差はない筈ですよ!」

「学校の成績なんざで人間の知的能力を判断してる辺り、いかにも思考の浅さを露呈してるな。いいか蘭、馬鹿ってのは馬鹿だから馬鹿なんだ。そこに真っ当な理屈及び成績簿の関与する余地は一片たりとも存在しない。それは真理であり、何者を以ってしても覆し難い現実なのさ。素直に自分というものを受け入れてやれ、自己否定は何も生み出さないんだからな。己の中の受け入れ難い部分と真摯に向かい合い、承認する事から全ては始まるんだ」

「な、なるほど……。って騙されません、騙されませんよっ! ホントにもう、シンちゃんは相変わらず油断も隙もありませんっ」

 ぷんすかと頬を膨らませながら立腹している姿は、幼い頃ならともかく、高校二年生にもなった少女のそれとしては些かばかり残念過ぎた。感情に任せて俺のさりげない助言を完全に聞き流してしまっている辺り、漂う残念さは十割増しだ。まあ、こいつには少しばかり難しすぎたか。反省し、次の機会に活かすとしよう。学習能力こそ人類種の獲得した最大の武器なのだから。

「……ふふ。やっぱり、変わらない。シンちゃんは昔から智慧が深くて、機転が利いて、口が巧くて……黒田如水や太原雪斎みたい、って言うといつも不機嫌そうな顔をしてましたけど、私、ホントに心の底から褒めてたんですよ。この人はきっと将来、私なんかよりもずっとずっと大きな事を成し遂げるんだろうな、って、そんな風に思ってました。私には見えないような景色を高いところから広く見渡して、どんな時でも自分が損をしないよう上手に立ち回って、どんな道でも躓かずに歩いていける人なんだって」

「……」

「だから、だからこそ――私は、赦せないんです。シンちゃんから全ての可能性を奪ってしまった、私自身が」

 蘭は居住まいを正して、俺を見た。漆黒の瞳には、溢れ出んばかりの後悔と苦悩が渦巻いていた。

「あの時、私が逃げ出しさえしなければ。絶望に打ちひしがれて、自分の血と向き合う事を恐れて、全てを忘れ去ってしまいさえしなければ、シンちゃんが“魔王”を演じる事もなかった。私のせいで、シンちゃんは闘って、傷だらけになりながら闘い続けて――私はそれを、ずっと見てきました」

 あっという間に涙が溢れて、青白い頬を伝っていく。それでも蘭は俺から眼を逸らす事無く、涙声になりながら言葉を紡いだ。

「知ってるんです。私は誰よりも知ってるんですっ! シンちゃんはいつも必死でした。平気だ、俺を侮るな、って強がりながら、いつだって必死に闘ってました。何年も何年も、ずっと、ずっと、弱音の一つも吐かずに。何度も何度も死んじゃいそうな大怪我をして、それなのに、“平気だ”って。“お前の主君がこの程度で斃れると思うか?”って!」

 そう、俺は“織田信長”として、強く在らなければならなかった。英雄の名を騙り、覇者たる人格を演じてみせた以上、何事が起ころうと、弱々しい背中を従者の目に触れさせる訳にはいかなかった。森谷蘭という少女が胸中に抱く虚像を砕かない為に、俺は絶えず心を砕き続けていた。

「そして今だって、シンちゃんは闘ってます。“魔王”なんて呼ばれて、皆に恐れられて――ぜんぶ、私のせいで。なのに、自分の弱さがシンちゃんに無理をさせていた事にも気付かずに――私、幸せでした。幸せだったんです。“私の主は素晴らしい御人だ、こんな大器に仕えられる私は果報者だ”って! 何も知らないままに、何も見ようとしないままに、ただ盲目的に忠義を尽くして満足していたんです」

「……」

「記憶を失っていた事なんて、言い訳になりません。私は自分の醜さに、犯した罪に耐えられない。この手でシンちゃんを光の差さない修羅道に引き摺り込んでおきながら、自分では主の後を忠実に付き従っていたつもりでいたなんて――なんて、醜悪。断じて、赦されない罪悪です。だからこそ、私は、自決を選ぶより、シンちゃんの手で決着を付けて欲しかったんです」

 静かな口調で言い終えると同時、蘭は縋るように両腕を伸ばし、弱々しい力で俺の肩を掴んだ。これまでよりも格段に近い距離で、俺達の視線が交錯する。蘭は留まることのない大粒の涙を流しながら、切実な感情を悲鳴のような叫びに載せて、俺へと訴え掛けた。


「私は、私はっ、シンちゃんに纏わり付く呪いです! もうこれ以上、シンちゃんの人生を狂わせる事には耐えられないっ! だから、だから、どうか断ち切ってください! シンちゃんを縛り付ける私の存在を――この呪われた命ごと、永遠とわにッ!!」


 哀切に満ちた嘆願の叫びが、嵐を切り裂いて響き渡る。

 それは、森谷蘭という少女の心の底から絞り出された真なる想い。一切の建前と虚飾を取り払った、本心の叫びだ。ただ、申し訳ないと。自分が許せないと。他の誰でもなく、ただ俺一人へと向けられた、どこまでも純粋な懺悔。その贖罪の為ならば、自らの命を捨てる事に躊躇いは無いと、蘭は告げる。


――そうか。それが、お前の本音か、蘭。


 森谷蘭が昔日の記憶を取り戻しているという確信を抱いた瞬間から、ずっと考え続けてきた。この不出来な脳細胞を全力で酷使して、幾度となく自らに問い続けてきた。蘭は今、何を考えているだろうか。何を想い、何を願いながら冷たい雨に打たれているのだろうか、と。結局、こうして本人の口から聞き出すまで、答えを出す事は出来なかった。だから――俺は、この刀を。血の匂いが薫る不吉な太刀を態々佩いて、此処まで来たのだ。蘭の告げる“答”次第では、白銀の刃を血で彩る覚悟を決めて。二度とは癒えないであろう心の傷を、新たにこの胸へと刻み付ける覚悟を決めて。


――蘭。それがお前の“答”だと云うならば。


 俺はお前に、言わなければならない事がある。

 悲愴な覚悟と決意を宿した双眸を、真っ向から見返して、俺はゆっくりと口を開いた。


「いいか。俺達共通の親愛なる友こと源忠勝にあやかって、俺から一つ、言わせて貰う」


 ああ、畜生。やはりお前は途方も無い大馬鹿野郎だ、蘭。

 予め用意していた幾千幾万の言弾コトダマの中でも、この台詞だけは使う気が更々無かったというのに。

 心の中で盛大に毒づく。そして、不思議そうにこちらを見返してくる間抜け面に向かって、俺は言い放った。


「――勘違いするなよ●●●●●●●、蘭」


「……え?」

 またしてもポカンとした間抜け面を晒しながら、蘭は心底から不思議そうに小首を傾げた。

「かん、ちがい……?」

 鸚鵡返しに呟く蘭は、一体何を言っているのか分からない、とその表情で雄弁に語っている。

 案の定と言うべき反応に、俺は胸中に渦巻く色々な感情を込めて、大きく溜息を吐き出した。果たして今の俺の心境をどのように説明すれば良いのだろうか。口舌には人並み以上の自信を持っている俺だが、しかし今回ばかりは上手く言葉に出して表現できる気がしない。それでも強いて言うならば、毛玉の如く絡まり合った幾つもの想念が、同時進行で胸にせり上がってきているような――まあやはり面倒なので恐ろしく端的に言ってしまおう。つまりは複雑な気分、という事だ。

「お前は俺の事を変わらない、と評したが。そっくりそのまま返させてもらうぞ、蘭。……お前という奴は、本当の本当に、変わっちゃいないんだな。喜べばいいのか呆れればいいのか、俺にはいまいち判断が付かないが」

「えっと……、シンちゃん、何を……?」

「その思い込みの激しさと、融通の効かなさ。他人を疑わず――この世の誰もが自分と同じように善人だと、頑なに信じている所。ああ、全てが嫌になるくらい同じだ。さっきの会話で、俺は確信したよ」

 三つ子の魂百まで、という諺の真実味をこれほどまでに強く実感したのは初めてだ。

 理解が追いつかない様子で戸惑った表情を向けてくる蘭を、苛立ちと共に見返す。

「蘭。お前が何を思い込もうとお前の勝手だが――お前の勝手な思い込みを前提に話を進めようとするのはやめろ。最初から相手との認識が噛み合っていないんじゃ、それは会話以前の問題だ」

「思い込み、って、何が……」

「分からないか? 分からないんだろうな。お前はそういう奴だ。だったらもうこの際、はっきり言ってやるよ、蘭」

 ああ、これだから察しが悪い輩の相手はやってられない。お前がいつまで経っても自分で気付かないから、こんな胸糞悪い言葉を俺がわざわざ口にする羽目になるんだ。込み上げる感情を視線に載せて、厳しい声音と共に鋭く睨み据える。たじろいた様に顔を引く蘭に向けて、俺は“その一言”を撃ち放った。


「――悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇよ、この脳内花畑の大馬鹿野郎が」

「…………え?」


 よほど予想外の一言だったのだろう。蘭の表情が凍り付いて、そのまま動かなくなる。

 自分でも自覚できる程に冷たい目で蘭を見据えて、俺は尚も言葉を続けた。

「さっきから黙って聞いていれば、自分の都合で脚色された妄想を好き勝手に撒き散らしやがって」

「もう、そう?」

「ああそうさ。お前が言いたいのはつまりこういう事だろう? とある少年が一人の少女を救う為に己の全てを投げ出し、日の当たる道に敢えて背を向け、良心を押し殺して冷酷非情の魔王を演じ、己が意に沿わない悪行の数々に心を痛めながらも、襲い掛かるあらゆる困難を少女への想いだけで乗り越えて地獄の日々を駆け抜けてきた――と。誰にも知られない所で紡がれる、美しい自己犠牲の物語。悲しい英雄譚。それこそお前が脳裡に思い描いたシナリオだ。違うか?」

「だって……だって、そうじゃないですか! シンちゃんはずっと、私のせいで――」

「勘違いするなと、何度言わせる気だ? 俺という人間はな、お前が思っているほど善良でもなければ、主人公気質でもないんだ。大層な仮面を被って演じるまでもなく、俺の本質はどうしようもなく悪党なんだよ。“自己犠牲”がテーマのお涙頂戴なストーリーなんざ、俺の管轄外もいいところだ。……いいか蘭、全てにおける大前提として、これだけはハッキリと断言させて貰う」

「……何を」

「俺はいつでも、俺自身の為に行動している。俺の世界は二十四時間年中無休で、俺を中心に回っている。これは自虐でも偽悪でも何でもなく、極めて客観的な自己分析だ」

 故に、森谷蘭が盛大に綴ってみせた物語は、根底からして破綻している。それも当然、最も重要な部分である主人公の性格を取り違えているのだから、正しい脚本を作り上げる事など不可能だ。そんなザマでは――執筆の末に出来上がる物語のジャンルすら違ってしまう。

 そう、俺の物語は、勇壮な英雄譚でもお涙頂戴のトラデジーでもない。その主題はあくまでも怨恨塗れの復讐譚であり、鮮血が彩るピカレスクだ。無論、それは役者として嫌々ながらに演じている訳ではなく。俺自らが監督し、自分の意志に拠って紡ぎ上げているストーリーラインに他ならない。

「なあ、蘭。俺が常日頃から口癖のように語り、目標として掲げてきた“夢”を、今のお前はどう思う? 全ては俺が万人のイメージする“織田信長”らしく振舞う為の方便に過ぎなかったと、本気でそう思うのか? ――まさか、そんな事はないだろう」

 いかに森谷蘭という少女が頑なに性善説を信奉していたとしても、これほど多くの時間を共に過ごしてきた人間の本質に気付かない道理はないのだから。蘭は確かに単純で騙され易い馬鹿だが、しかしそれは愚昧である事と同義ではない。本当は、心の何処かで気付いていた筈なのだ。自身を取り巻く現実が、己の思い描いた物語ほど美しいものではないという事実に。

「……シンちゃんが何を言いたいのか、私には、分かりません」

 それでも、困惑を貼り付けた表情で物問いたげにこちらを窺うのは、真実から眼を逸らそうという無意識が働いた結果なのか。

「そう、か」

 だとすれば。俺が次に発する言葉は疑いなく、一つの境界線を敷くものとなるだろう。夢想と現実とを冷徹に区切り、あらゆる虚飾を無理矢理に剥ぎ取る、決定的な一手。それを放つには、いかなる死闘に臨むよりも遥かに重大な覚悟を要する。今すぐ蘭に背を向けて、この場から逃げ出してしまいたいという衝動に駆られるが――現在に至るまでに積み重ねてきた全てに懸けて、然様な振る舞いは許されない。

「なら、俺はお前に、言わなければならない」

 さあ、ありったけの勇気を振り絞って、最初の一歩を踏み出せ。

 誤って記され続けてきた“織田信長”の物語を白紙に戻し、誰のものでもない、俺と彼女の物語を、始める為に。


「俺は――お前を利用したんだ●●●●●●●●●、蘭」


「十年前、無力な子供だった俺が朝比奈組の暴虐に抗い、自分の居場所を勝ち取る為には、“力”が必要だった。故に俺は記憶を喪った森谷蘭に“織田信長”として接触し――そして見事、忠実にして強力無比な“駒”を一つ、掌中に収める事に成功した。脆弱なこの身を守護する刃のお陰で、俺はあの地獄の日々を生き永らえた」

「だが、単に生き残るだけでは飽き足らない。何せ俺が求めるものは平穏無事な日常ではなく、闘争と勝利、その先に在る征服と支配だ。その為には、問答無用に敵対者を排除し得る武力が必要不可欠だった。全ての才を威圧という特殊技能に吸い取られ、氣を纏う術を持たない弱者たる俺だが、しかし案ずる必要は無い。常に俺の手足として勤勉に働き、非情の刃として敵を討つ“忠臣”が、俺の手元には居たからな。いつだって実に有能で得難い駒だったよ、お前は」

 
 俺が口にしている言は、鼻持ちならない自虐でも自慰に等しい偽悪でもなく――紛れもない、真実を語るものだ。そこには何一つとして、嘘偽りの類は含まれていなかった。


「俺は自分が生き残る為に、自分の野望を実現させる為に、自らの意志で“織田信長”を演じる事を選択し、結果としてお前を利用した。何も知らない、真っ白な状態のお前に忠誠心を植え付け、思うがままに動く手足として利用しながら、この十年間を過ごしてきた」

 エゴに塗れた真相の暴露を受けて、蘭は依然として沈黙を守っていた。

 その表情には、在って然るべき怒りも悲しみも戸惑いもない。じっとこちらを見遣る双眸は、ひたすらに純粋な真摯さに充たされていた。傍目には場違いに映るであろう蘭の静謐な態度を前にして、ああ、やはりこいつは肝心要のところでは聡い人間なのだな、と再認識しながら、俺は言葉を重ねた。

「それが、真実。いや、正しくは――」

「真実の一側面、ですね」

 俺の言葉を最後まで聞き終える事無く、蘭は一足先に結論を指摘した。そしてそれが可能であるという事はつまり、当然の如く、蘭は俺の言わんとする所に気付いていると言う事だ。

 その事実を証明するように、蘭は生真面目な表情のまま、静かに、淀みの無い口調で言葉を続けた。

「シンちゃんは二兎を追い、二兎を仕留めた。一石を以って二鳥を落とした。そういう事、なんですよね?」

「――その通りだ」

 森谷蘭という掛け替えのない幼馴染をこの手で救いたいという願い。どこまでも生き延びて、畜生共の暴虐に抗い、驕り昂ぶった連中を一人残らず足元に跪かせてやりたいという願い。そのいずれもが等しく、俺という我欲に塗れた人間の中に在る真実だ。誰の為でもない――“俺自身の為に”、俺は織田信長の仮面を被り、困難に充ちた日々を歩み続けてきた。誰に強制された訳でもなく、背中を押された訳でもなく。暗闇の荒野へ最初の一歩を踏み出したのは、あくまでも俺自身の意志に拠るものだ。

「だから、お前の言うところの“自己犠牲”とやらは、俺には全く以って当て嵌まらない。何故なら、結局のところ、俺が過去に実行してきたありとあらゆる行動は、全て俺自身へと利益が還元される事を意図したものだからだ。お前の言っている事は的外れもいいところなんだよ。手前勝手な視点から哀れまれ、同情されると腹が立って仕方がない。他ならぬ自分の意志で選び取り、自分の意志で歩いてきた道に――女々しい後悔など、伴う筈も無いだろうに。いいか、もう自分でも分かってる事だとは思うが、それでもだ。これから俺の言う事を確り聞いて、頭蓋の裏側にでも刻み付けておけ」

 双眸に力を込めて、蘭と視線を合わせる。

 大きく息を吸い込み、心からの想念を込めて、俺は言葉を放った。


「勘違いするなよ、蘭。お前は俺の人生を狂わせてなんかいない。お前は、俺にとっての呪いなんかじゃない。だから、俺は何があろうと、誰に命令されようと、お前を――殺してやったりはしない」


 むしろ、逆だ。独り悲劇のヒロイン気分に浸ったまま美しく散ろうなどというふざけた了見は、断固として阻止させて貰おう。然様に下らない理由で命を散らせてやってもいいと認められるほど、俺の中を占める森谷蘭のウェイトは軽くない。故に俺は悪党らしい身勝手さと傲慢さを以って、この莫迦な幼馴染が莫迦な真似をしでかさないよう、相応しい振舞いを選ぶだけだ。


「…………」


 俺の宣言を受けて、蘭はしばらく俯いたまま無言を保っていた。

 やがて顔を上げ、どこか諦めたような、どこか清々としたような、そんな種類の笑顔を浮かべると、大切なものを両掌でそっと優しく包み込むような、酷く柔らかい声音で言葉を紡ぐ。


「……シンちゃんは、やっぱりシンちゃんなんですね。ホントにイジワルで、ホントのホントに――優しいひと」

「…………」


 この場合蘭の立場から考えれば、最も楽に、最も綺麗に終われるであろう選択肢を選ばせて貰えていないのだから、最適な表現としては“自分勝手な人”或いは“容赦ない人”辺りが候補として挙がる筈なのだが。それを言うに事欠いて、“優しい”とはどういう事だろうか。全く以って意味が分からなかった。やはり蘭の感覚というものは少なからず常人のそれとズレているに違いない。

 ……。

 まあ、いまいち理解の及ばない蘭の思考回路についてはこの際、脇に置こう。今この瞬間に重要な事は、長きに渡って俺と蘭の間に横たわっていた巨大な障害――すなわち勘違いと思い込みによる認識の食い違いが消失したという事実、それに尽きるだろう。蘭の認識の中にて、“織田信長”の虚像は既に取り払われ、些か偏った“俺”の人物像は修正された。そして同時に蘭の心中からは、俺に対する筋違いな罪悪感から生じた引け目が失われた筈。過去に誤って積み重ねられてきた数々の問題が解消された以上、後は現在の問題へと全力で立ち向かうのみだ。

 そうだ――今この瞬間こそは、余分なプラスもマイナスも介在しない、“ゼロ”なのだ。俺と蘭が長い長い回り道の末にようやく辿り着いた、全ての始まりとなるスタートライン。先程まで間違いなく俺達の間に存在していた絶望的な距離は、既に見る影も無く縮まっている。手を伸ばせば触れ合えるし、言葉を交わす事も出来る。心を以って訴えれば、心を打つ事すら可能だろう。

 故に。俺にとって真の正念場とは、ここからだ。この嵐吹き荒ぶ戦場の只中に在って俺の成し遂げるべき戦略目標は、最初から一つ。すなわち、森谷蘭をどうにかする●●●●●●●●●●こと。何ともアバウトな戦略目標だ、とあの生意気盛りの従者第二号には明に暗に色々と当てこすられたものだが、そこは何と言っても百戦錬磨の織田信長、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する事であらゆる事態を乗り切る心積もりであった。行き当たりばったりなぞと抜かす輩にはありったけの殺気をプレゼントしてやる。


「さて、と」


 それではいざ、前言に従い――機に臨み、変に応じてみるとしようか。現在の蘭が如何なる境遇にあり、如何なる精神状態にあるのか、対話を通じて実に多くの事項を把握することが出来た。

 既に俺の腹中には無数の言葉が渦巻き、そのどれもこれもが、次は自分を使え、と競り合うようにして訴えている。胸中には沸々と滾る想念が満ち溢れ、今にも爆発しそうな程に湧き立っている。それらが生み出す抗い難い衝動に背中を押されるようにして、俺は口を開いた。

「お前の悪癖から来る馬鹿馬鹿しい勘違いは無事に解けた訳だが。――まだ、死にたい気分は変わらないか? 蘭」

「……。確かに、これまでのシンちゃんの人生に対して自責の念を抱く必要がない、って事は分かりました。……ですけど、“これから”はまた別の話です。実際のところ、状況は何も変わっていません。私が何を思っても、私の中から“森谷”の血が消えてなくなる訳じゃないんですから」

 儚げに微笑みながら、蘭は諦観に充ちた言葉を紡ぐ。

「さっきシンちゃんに言った事は、ぜんぶ、本当の事です。私は、触れるものを皆傷付けることしか出来ない刃に成り果ててまで、命を永らえたくはありません。大切な人と手を繋いで、温もりを感じる事も出来ないままに独りで生きていくなんて――私には、耐えられないんです。私は、弱い人間だから」

「……」

「シンちゃんが終わらせてくれないなら、私は、自分で幕を引こうと思います。これ以上、誰かを傷付けてしまわない内に。これ以上、無辜の人々の血を浴びてしまわない内に」

 そう言って、蘭は視線を落とし、白地の制服の各所に浮かび上がる赤黒い斑模様を見遣った。罪悪感と諦念に潤む眼差しから判断すれば、それは蘭自身の負傷から生じた汚れではなく――返り血、なのだろう。

「幸いにして、川神学園から脱走して以降、私はまだ誰も“殺し”てはいません。辛うじて、本当に辛うじてですが、致命的な段階に至る前に血を抑えられてきました。ですけど、それが適わなくなるのも時間の問題。私、分かるんです。私の中に居るもう一人の自分が、少しずつ、力を増している事が。きっとそう遠くない未来に、“私”は“彼女”に塗り潰されてしまう。血に餓えて死を撒き散らすだけの怪物に、成り果ててしまう。だから――そうなる前に、私は己が身を貫こうと決めました。現世に在るべきではない悪鬼、森谷の亡霊を道連れに」

「……自刃、か。考えは、変わらないんだな」

「どうしようも、ないことですから。仕方が無いと、己が運命を受け入れます。……勝手な言葉かもしれませんけど、私、嬉しかったです。シンちゃんが、こうして駆け付けてくれて。独り地獄への旅路に向かう前に、もう一度、ここでこうしてシンちゃんとお話できて。シンちゃんのお陰で――私は、笑って逝けると思います」

 自らを縛る全ての頚木から解き放たれたように、清々しい表情を浮かべて見せながら、蘭は淀みなく言い放った。

 潔い、と人は言うのだろう。或いは武家の出身者であれば、その覚悟よ天晴れ、汝こそ武士の鑑、武門の誉れよ――とでも讃えるのかもしれない。武士道とは死ぬ事と見つけたり。死すべき時が訪れたならば、無様に生き足掻く事無く死を選ぶ。成程、立派な在り方だ。喝采の一つでも贈るべき、まさしく武士の生き様だ。


――だが、残念だったな、蘭。


 生憎と俺は、そんな結末を認めない。美しき死別を認めない。然様な悲劇の一幕は、俺の物語には二度と必要のないものだ。そう何度も何度も悲劇ばかりが繰り返されては、観客達にも飽きが来る。シェイクスピアもアイスキュロスも、俺の趣味とは程遠い。

 どれほど惨めに地を這い蹲ってでも、生きる。生きて生きて生き抜いて、闘って闘って闘い抜いて、その果てに望んだ全てをこの手に収める。それが俺の信念だ。武士に非ざる俺が、特殊な血統も受け継ぐべき使命も持たずして生まれ落ちた薄汚い餓鬼が、幼き頃より胸中で育んできた餓狼の如き想念だ。


――故に。俺は俺の主義に従って、力の限り、足掻かせて貰う。


 軽く唇の裏側を舐めて、湿らせる。それは、一つのスイッチだ。俺が本気で弁舌を振るうべきだと判断を下した際、半ば意識とは無関係に行われる儀式のようなもの。その瞬間を切っ掛けにして、熱い感覚が一気に心身へと満ち渡る。この時を待っていたとばかりに、全身の細胞が沸き立っている。

 
 さあ、今こそ、織田信長と森谷蘭の物語を。


――俺と彼女の天下布武ピカレスク・ロマンを、開演しはじめよう。



「蘭……、俺は今、怒っている。具体的にはどの程度の怒りかと言えば、そうだな。一歩間違うとすぐさま理性のタガが吹き飛んで殺気が暴発しそうな位に、ってな訳だが、さてさてお前にはそれが何故だか分かるか?」

「え、え……? あの、えっと」

 突然の詰問に面食らったのか、蘭は眼を白黒させている。悠長に答えを待ってやる気など皆無だったので、俺は畳み掛けるようにしてさっさと言葉を継いだ。

「理由は主に二つ。一つ、俺がこの世で嫌いな言葉ランキングトップ3に入る言葉を、お前が考えなしに口にしやがったからだ。“仕方が無い”“どうしようもない”――ああ、反吐が出るほど気に入らない言葉だよ。物事に対して最大限の努力を尽くし、ありとあらゆる手段を模索し、万策尽きた末の妥協として吐かれた言ならまだいいさ。俺もわざわざ目くじらを立てたりはしない。と言うより、そういう意味でなら俺自身も嫌気が差すほどに使わされた言葉だ」

 人間の有する能力に限界が設けられている以上、万事において何処かで折り合いを付けなくてはならないのは当然だ。しかし――

「だがな、お前の言う“仕方ない”は、諦めの産物だ。眼前の困難に対して満足に立ち向かう事もせず、ろくすっぽ試してもいない内から勝手に自分で自分の限界を決め付けて膝を折っている、救い難い腑抜けの戯言だ。潔いなどと褒めてやるかよ、そいつはもはや敵前逃亡だ。士道不覚悟で切腹ものだ」

 ちなみに鬼の副長こと土方歳三は俺の尊敬する人物の一人だ。別段ポエマーを目指すつもりは無いが。

「そんな……、私は、」

「そして二つ目。俺としてはこちらが何よりも腹立たしい」

 上がりかけた反論の声を抑え付ける様に低い声音を重ね、俺は真っ直ぐに蘭を見る。抉るように、射抜くように。色濃い困惑の映る瞳を見据えながら、静かに言葉を継いだ。

「お前、さっきから。どうして俺に――“助けて”と、そう言わないんだ」

「――っ」

「自分一人では手に負えない。成程、そうかもしれないな。しかし何故、それだけで諦める? お前は確かに莫迦で間抜けだが、全ての物事を自分一人で解決すべきだ、なぞと思い上がるほど愚かな人間じゃあない筈だがな。足りない力は、他者の手を借りて埋め合わせればいい。“介錯”とかいう時代錯誤で馬鹿げた真似事を殊勝な態度で願い奉るよりも先に、お前は俺に頼むべき事があった。そうじゃないのか、蘭」

「……それ、は」

 淡々と紡がれた糾弾に対して、蘭は言葉に詰まったように沈黙し、悄然と俯いた。

 そして、数秒の時を経て再び顔を上げた蘭は、悲痛に眉を歪めて、目元に涙を湛えながら、震える唇を開く。駄々っ子のような必死さに彩られた叫びが、公園に響き渡った。


「そんな、そんなのっ! これは、この呪いは、私が背負うべき宿命なんです! 生き残った最後の“森谷”である私が、独りで決着を付けなくちゃいけない問題なんですっ! そこにシンちゃんを巻き込んで、迷惑を掛けたくなかったから! “夢”に向かっていつでも一所懸命なシンちゃんに、これ以上の重荷を背負わせたくなんてなかったから、だから私はっ」

「――馬鹿野郎が」

 ああ、そうだろうさ。お前はどこまで行ってもそういう奴だ。他人を慮ってばかりの癖に、自分の行動が他者に及ぼす影響を碌に理解していない。自分の存在が他者にとってどれほどの価値を見出されるべきものか、恐ろしい程に無自覚だ。だから平気で無茶をするし、自分を犠牲にする事を厭わない。それは美徳の一つかもしれないが――少なくとも、俺にとっては、手放しで称えられるものではなかった。

「十年前にお前が記憶を喪った時、俺がどれほどの絶望と自己嫌悪に見舞われたか、少しは想像してみろ。お前は俺に二度までも、“あんな想い”を味合わせるつもりなのか?」

 想起するのは、一個人が負うには膨大に過ぎる感情が体内で暴れ回る、気が狂わんばかりの感覚。もしも忠勝が傍に居てくれなければ、俺は身を焦がす激情に耐えかねて、自分の頭蓋すらも打ち砕いていたかもしれない。この十年間を通じ、いかに己の精神を靭く鍛え上げてきたとしても……同じ体験は、二度と御免だ。

「迷惑だの、重荷だのと――いい加減、お前の勝手な価値観を俺に押し付けるのはやめろ。お前を喪う事に比べれば、“そんなもの”は瑣末事にも程がある。どれほど傍迷惑で重大極まりない問題を持ち込んでみた所で、俺の中の天秤は一ミリだって傾かないだろうさ」

「……どう、して」

「俺はな、お前が思っているよりは遥かに強欲な男なんだよ。欲しいと思ったものは必ず手に入れるし、手に入れたものが掌から零れ落ちる事には我慢ならない。降り掛かる理不尽にむざむざ屈して諦めるなんて事は、絶対にしない。それが俺の信念だからな」

 理不尽によって無造作に蹂躙された昔日の俺が、煮え滾るような憎悪と共に胸に抱いたのは――自らを虐げた全ての事物に対する復讐心。それは意志を持たず他者を貪り喰らう畜生共、そして憎むべきあらゆる理不尽を内包した忌々しい世界そのものに対する、巨大な憤怒の念だ。天を焦がして絶えず燃え盛る地獄の炎は、いつでも俺の内に在る。

「だから、俺はお前を殺さないし、見殺しにしない。宿命? 呪い? はっ、心の底から糞喰らえ、だな。自らを犠牲にしてでも道連れにするだと? 莫迦も休み休み言え。たかが大昔の狂人が見た夢の、しかもその残骸風情に過ぎないものが、今を生きるお前の価値とほんの僅かでも釣り合うものか。――いいか、宣言してやる。何があろうと一回切りしか言わないから、良く聞けよ」

「――っ!?」

 
 華奢な両肩を掴んで、顔を寄せた。互いの吐息を感じ、互いの瞳の中に自分の姿を見る。二人を隔てるものが間に何一つとして存在しない、限りなく近い距離。

 この身を駆り立て続けてきた想念の総てを視線と言葉の両者に載せて、俺はどこまでも明朗に、俺の“意志”を示した。


「俺は俺の全存在を懸けて、お前を俺のものにする●●●●●●●●●●。――もう、何処にも行くな。俺の傍に居ろ、蘭」


 ―――――。

 ―――。


「………………………」


 静寂。沈黙。十秒ほどの時間が過ぎ去っても、蘭からは何のリアクションも無かった。見れば、蘭は両目を一杯に見開き唇を半開きにした、まさしく呆然といった面持ちで固まっている。

「…………」

 俺はひとまず彫像じみて微動だにしない両肩から手を離し、再び数歩分の距離を取った。特に意味も無くジャングルジムに背中を預けて目を閉じると、深呼吸を一つ。ドクドクとやたらに煩い動悸を無理矢理に鎮めて、俺は次に発するべき言葉を脳内にて整理する。

 確りしろ、思春期のお子様よろしく感情に流されて好機を棒に振るつもりか、と秘かに自身を叱咤激励しつつ、気合を入れて目を見開く。尚も硬直を続けている蘭に向かって、俺は続くべき言葉を投げ掛けた。

「まあ勿論、言うまでもないだろうが。お前を俺の手元に置き続けようと考えるなら、立ち塞がる障害は数多い。“森谷”の怪物とやらを抑制する為の手立てを講じるのは勿論のこと、それ以外にも、お前が決闘中に首を落とし損なった例の金髪お嬢様の件で、独軍とは何かしらの交渉が必要になるだろう。戦闘か、説得か、はたまた取引か。手段はどうあれ、交渉相手があの親馬鹿中将殿じゃ、恐ろしく骨が折れる事だけは間違いないだろうな」

「……」

「それに、川神学園の敷地内で起こした不祥事である以上、今後も学園生として籍を置き続ける為には川神院との交渉が必要不可欠だ……が、まあこれに関しては大丈夫だろう。その件については、此処に来る前に川神鉄心と直接話して、一定の解決を見ている。まあ、流石に全くのお咎めなしとは行かないだろうから、何かしらのペナルティを受ける覚悟は必要になるがな」

「……」

「ああ、そして当然ながら、今現在俺達が堀之外全域を巻き込んで臨んでいる闘争を、勝利という形で決着させる事。これが全ての前提条件になる訳だ。……なんと、いざこうして整理してみれば、まさしく見渡す限り問題だらけだな。なるほどお前がさっさと死の安息に逃げ込みたくなる気持ちも分からなくはない。実際、大人しくお前を諦めた場合と比較して、俺の双肩に途轍もない負担が伸し掛かるのは誤魔化しようの無い事実だ。――良いだろう、それなら俺は、眼前の厳しい現実を余すところなく承知した上で、それでも一欠片の迷いも差し挟む事無く、お前にこう言おうじゃないか」

 
 腹の中で長きに渡って温められ、今か今かと出番を待っているのは、十年前には口にすることの適わなかった、一つの言葉。

 僅か一言に過ぎない“それ”を言い損ねてしまったが為に、俺は果たしてどれほどの苦痛と屈辱と後悔とを甘受する事になっただろうか。

 あの日、血涙と共に自らの無力を認め、プライドを捨ててでも英雄を騙る事を選んだ瞬間、俺と蘭は決定的に擦れ違ったのだ。擦れ違ったまま、ボタンを掛け違えたまま、織田信長と森谷蘭は十年間の歳月を共に過ごしてきた。それはいかなる拷問をも超える苦痛に満ちた、酷く辛い時間だった。俺ではなく、“織田信長”へと向けられる純真な忠誠心は、いつでも鋭利な刃へと変じて俺の心を切り刻んでいた。自業自得であるが故に尚更、その痛みは性質の悪いものとして俺を苛んだ。

 ……俺は、“織田信長”の如く、万人の認める英雄などではない。むしろその実態は、湖上の白鳥が如く水面下で必死に足掻き藻掻いて、やっとの思いで威厳に満ちた魔王の体裁を取り繕っている、道化の類に過ぎない。誰よりも俺自身が、嫌というほど自覚している。

 だが、それでも――俺は、一歩一歩、積み上げてきた。血みどろの死闘の中でも何気ない日常の中でも、一分一秒が過ぎ去る度に、絶対強者の虚像の内側に潜む自分自身を磨き続けてきたのだ。遥か彼方の“夢”へと至るため、そして同時に―― “君だけの英雄ヒーローになるために”。 敢えて俺の趣味とは掛け離れた小ッ恥ずかしい言い回しを使って形容するならば、まあ、そういう事だ。その忍耐、その努力、その研鑽、その精進の全てが、身と心と命とを削り取って育んできた可能性の種子が、漸く実を結ぶ時が訪れた。

 さあ、今こそ。苦々しく付き纏う過去と、現在まで引き摺ってきた因縁に、然るべき決着を与えよう。

 
 万感の想いを込めて――俺は、十年越しの啖呵を切る。


「――俺に任せろ●●●●●


 お前の身辺を取り巻く幾つもの問題は、遍くこの手で取り払おう。

 今の俺ならきっと、不可能ではない。畏れ多くも同姓同名な英雄サマの御力を借りることなく、俺自身が培ってきた力を以ってお前に手を差し伸べられる。


「あの夜に、この場所で。お前が俺を助けてくれたように」


 だから、今度こそ。遠い少年の日に抱いた、ちっぽけなプライド塗れのつまらない意地を、この現在に貫かせてもらうとしよう。


「今度は俺に、お前を助けさせてくれ――蘭」

 
 この胸に掲げる夢はいつでも、少女の眩い笑顔と共に在ったのだから。










 





 


 





 

 ずっと信長のターン(口先)。作者の脳内では某論破ゲーのノンストップ議論BGMがループ再生されていたとかいないとか。という事で、一話丸ごとオリキャラ同士の会話文という暴挙をしでかしてしまった事実に冷や汗を掻きながら、恐る恐る続きを投稿させて頂きました。二度とこんな真似はしないとネコの過去話の際にも言ってしまった手前、信憑性は欠片もないでしょうが、真剣マジで二度とこんな真似はしないのでご勘弁下さい……。ちなみに次回以降はちゃんと原作キャラが動きます。
 織田主従の歪な関係性や信長の色々と屈折した内面に関してはこれまでのストーリーの中で可能な限り詳細に描き出してきたつもりでいますが、やはり客観的に自作品を観るというのは難しい事(オリキャラが絡むと特に)なので、もし話の内容に少しでも理解し難い部分があったなら是非ともご指摘お願いします。何といっても、読者を置き去りに作者だけが独り理解している自己満足の物語ほどお寒いものはありません。作品と共にSS書きとしての成長を遂げる為にも、鴉天狗は忌憚ない指摘・批判・批評・その他ご意見等をいつでもお待ちしています。あ、勿論普通の感想もウェルカムですよ。作者のモチベーション維持の為にも、気が向いたなら気軽に書き込んでやって下さい。それでは、次回の更新で。


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