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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] 愚者と魔物と狩人と、後編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:bce377bc 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/08/19 23:17
「あー、クソ面倒くせぇな……。メイドってのも楽な仕事じゃねえよなぁホント」

 川神学園2-Sクラス所属、すなわち俺のクラスメートたる女子高生こと忍足あずみは、迷わず背中を向けて全力ダッシュで遁走したくなる程度に不機嫌な調子で、忌々しげなぼやきを漏らした。

 そんな彼女の姿勢と言えば、ベンチの背もたれに深々と体重を預け、クロスした脚の上で傲然と腕を組み、猛禽も真っ青な鋭い目付きで虚空を睨み付けるという、実に貫禄に満ちたもので――それでいて見る者に何の違和感も抱かせない辺りが忍足あずみという人物の個性を雄弁に物語っている。メイド服という反則的に強烈なアイテムですらも、彼女の凶悪極まりない本性を何一つとして誤魔化せていない。気を抜けばついつい“姐御”と呼んでしまいそうだ。

 さて、冗談抜きで戦場帰りの傭兵たる“女王蜂”が被った猫を脱ぎ捨て、かくも堂々と獰猛な素顔を晒している時点で自明の事だが、現在この場に彼女の主人の姿はない。「フハハ、世界が我を呼んでいるのだ!」などと紙一重なセリフを吐きながら颯爽と去っていったゴールデンな背中を思い返して、俺は内心で溜息を吐いた。果たして奴が何を考えているのか、或いは何を考えていないのかは知らないが、何とも物騒な爆弾を置き土産に残していってくれたものである。

「いやぁ、それにしても見事な猫被りっぷりだね。私も演技には自信あるけどさ、主人に合わせてあんなぶっ飛んだテンションを維持し続けちゃってる人にはちょっと敵わないよ。くふふ、亀の甲より年の功ってヤツ?流石に年季入ってるとレベルが違うね!」

 眼前に爆弾が放置されているだけで十分に穏やかではない事態だと言うのに、更に嬉々として導火線に点火を試みる莫迦従者が居合わせている現状、心労は加速の一途を辿るばかりだった。宙を向いていた殺人的な目付きがギロリと動く様子を傍から眺めて、俺は再び溜息を一つ落とす。

「あぁ?何か言ったかゴラ、生皮剥いで三味線の素材になりてぇなら今すぐ叶えてやんぞネコ娘」

「きゃる~ん☆ 助けてご主人さま、ねねをおっかない鬼ババがイジメるんですぅ~」

 瞬間、あずみの目が据わり、手がブレた。無言のままに目にも留まらぬ速度で懐へと両手を突っ込んだかと思うと、同時にねねが跳び上がり、驚くべき勢いで貯水槽の上へと遁走していく。清楚なメイド衣裳の内側に仕込まれているであろう物騒な代物の数々を思えば、実に賢明な判断であったと言えよう。相変わらず要領の良さを無駄遣いして憚らぬ輩だった。獲物を取り逃がしたあずみは盛大な舌打ちを一つ飛ばしながら懐から手を引き抜くと、苛立ちを紛らわすかのように俺を睨み付けた。

「ったく、普段どんな躾してりゃあぁなるんだよ。あのガキ、傭兵時代の部下だったら下手しなくても銃殺モンだ。飼い主ならしっかり監督しろや」

「ふん。余人の被る迷惑なぞ俺の知る所ではない」

 というか実のところ、奴の傍若無人な行動を監督するのは無理だ、と最近は些か諦め気味である。放し飼いにしておかなければこちらの神経が保たない。正直、やり口の是非は別として、アレを鎖で縛り付けて大人しくさせていたという一点においては、明智家の監督っぷりには敬意を表するところだった。

「尤も。己が本分を忘れ、身の程を弁えず俺に牙を剥くならば、万死を以って誅するのみだがな」

「……あー、納得したわ。やっぱお前ら主従だよ。ペットは飼い主に似るらしいからな……十中八九、お前の自己中が感染ったんだろうなありゃ」

 あずみは呆れ顔で言って、気だるげに空を仰いで、うんざりした調子で再び口を開いた。

「真剣でやってらんねぇ……、こちとらお前みてーな弄り甲斐のねークソガキに愛想振り撒くだけでも十分だるいってのに、よりにもよってそんな奴の指揮下で動け、と来たもんだからな。やれやれ、英雄様も酷な事を仰るもんだ」

 やってらんねぇ、とあずみは繰り返す。心の底から本気で嫌がっている事が、文字通り嫌と言うほど伝わってくるリアクションである。

「くく、随分と嫌われたものだ。生憎、この身がお前の害となった記憶は無いのだがな」

 転入から今日に至るまで特に好感度を稼ぐようなイベントも無かったが、逆もまた然りだ。基本的に俺と彼女は校内において必要以上の接触を持たず、相応の距離を保ち続けてきたので、その関係性は至ってドライなものだった。熱くも寒くもなく、乾いている。良くも悪くも互いの内情に踏み込まない事で、不毛な会話と不要な敵意の両者を排斥した間柄。とまあ俺の主観としてはそんな風に捉えていた為、ここまで一方的に忌み嫌われているとは少しばかり予想外だったのだ。

「……やっぱ無自覚かよ。ちっ、尚更ムカついてきやがったぜ」

 あずみはそんな俺を横目で睨みながら何やら聞き捨てならないセリフを呟いて、やってらんねぇ、とまたしてもぼやいた。都合三度目となるとこれはもはや只事ではない。鬼が出るか蛇が出るか、と緊急警報を発令しながら心中で身構えていると、あずみの凶悪な眼光がこちらを射抜いた。

「だからお前は自己中だっつてんだ。自分が所構わず撒き散らしてる迷惑の事もちったぁ考えろっての。アタイがお前の所為でどんだけ毎日の仕事量増やされてるか――少し考えりゃ判るだろ、ああ?」

「さてな」

「だったら教えてやる。英雄様専属の従者ってのはな、いつだって完璧さが求められてんだよ。万が一、なんて言葉の存在を許してる時点でもう失格だ。そういうワケで、ただでさえ毎日毎日気ィ張って、わざわざガキどもに混じってまでボディーガードの役目をこなしてるってのに……お前みたいな油断も隙もない、ついでに得体も知れない化物がクラスメートだ?ったく、冗談じゃねえっての。割と平穏無事でお気楽なハズだった学園内の仕事がとんだ重労働に早変わりだ。てめーきっちり責任取って焼酎でも差し入れろや。刻むぞタコスが」

 怨嗟の念すら込められた視線からは、同時に彼女の日頃の苦労のほどが窺えた。実際、話に聞く九鬼従者部隊の内情を踏まえて考えてみれば、その双肩に掛かっているであろうプレッシャーの巨大さは並々ならぬものがある。忍足あずみ、“暫定”序列第一位――世代交代完了後の従者部隊を担う若手達の筆頭となれば、僅かなミスすらもが叱責の的とされるのはむしろ当然なのだろう。鬼姑の如く目を光らせている九鬼の古株達、揃いも揃って怪物じみた御老人の面々を脳裏に浮かべると、途端に彼女への同情の念が湧き起こってくる。

 そんな所に他でもない俺の存在が更なる負担を強いているという事実に、思わず頭の一つも下げて詫びたくもなるが、しかしキャラクターの外面を考えるとそういう訳にもいかない。“下手に出る”は織田信長にとって最も縁遠いワードなのだ。よって誠に嘆かわしく心苦しく遺憾な事だが、結局のところ我が身に許される返答は、上から目線で嘲笑うかのような皮肉、という心象最悪なものでしかないのである。

「ふん。それは随分と御苦労な事だ――尤も、哂うべき徒労であるがな。九鬼の御曹司とは云え、未だ世に出ぬ半人前。敢えて排するに足る理由も無い。奴自ら俺の障害となる愚を犯さぬ限り、興味の外よ」

「例えお前の了見がそうだったとしても、だ。現実として英雄様の身体に届き得る脅威がすぐ傍に存在してる以上、あたいは一秒だって気を緩めるワケにはいかねえんだよ。理屈なんざ抜きで、な。従者ってのはそういうモンだ。少なくともお前は、そいつを承知してるだろ」

「……」

「普段は虫一匹殺せねえような呑気面晒してる癖して、あたいが“主”の近くに居る時だけは人間一匹くらい容易く斬っちまいそうに殺気立ってる、そんな忠誠心の塊みてえなバカを懐に抱え込んでるからには――あたいの言ってる事も、ある程度は理解るだろうよ」

 ぶっきらぼうに投げ掛けられた言葉を受けて、不意に幾つもの映像が脳裏に蘇った。文字通りに身命を賭して、織田信長を護るべく務めてきた、あたかも忠誠の二字を体現したかのような従者の背中。女子らしい遊びになど一瞥も呉れず、ただ主君の為に身の回りの世話を焼き、武技を磨き、ひたすらに敵を斬り捨てる。そんな自分の在り方に何一つ疑問を差し挟む事も無く、ただそれを“当然”として――森谷蘭は織田信長の従者で在り続けた。そう、蘭ならばまず間違いなく、忍足あずみと同じ事を言うのだろう。溢れ出んばかりの忠誠心を満面に顕して、心からの確信と共に誓いの言葉を紡ぎ出すに違いない。何故ならば、森谷蘭は何時だって、何処までも、織田信長の忠臣なのだから。

 物思いの内に沈黙を貫く俺を一瞥して、あずみはプロフェッショナルらしい機敏な動作でベンチから身体を起こした。そのまま立ち上がり、顰め面で空を仰ぐと、校舎内に繋がる扉へとおもむろに歩き出す。そして真鍮のドアノブを握ったところで、あずみは肩越しにこちらを振り返った。

「話の続きは場所を移して、だ。どうにも、雲行きが怪しくなってきやがった」

 面白くもなさそうに言いながら扉を開け放つあずみを見遣り、俺は頭上に広がる空を見上げる。先刻までの清々しい快晴が嘘であったかの如く、今まさに薄暗い灰色の雲が天を覆い尽くそうとしていた。立ち込める暗雲の内に遠い雷鳴すらも孕み始めたその様相に、これより訪れる嵐の時を告げているのではなかろうか、という所感を抱く。殊更にそんな風に感じるのは、先刻から心身の深奥より湧き上がって止まないこの情動故か。

「蒼天已死 曇天當立、なんてね。くふふふ、大賢良師って呼んで畏れ敬っちゃっていいんだよ?」

 胸中に滾る熱を噛み締めたまさにその瞬間、妄言を吐き散らしながら貯水槽の上から降ってきたネコの姿に、思わず脱力する。人の熱意に水を差すタイミングだけは無駄に心得ているな、と白けた半眼で莫迦従者を見遣りながら、俺はあずみを追って屋上を後にするのであった。




「面倒はゴメンだ、先に言っておく。――今回の一件に関しちゃ九割方、必要な情報は仕入れが済んで、揃ってる。つまりお前は、残りの一割をこっちに寄越せばそれでいいって訳だ」

「ふん……、“必要な情報”か。成程、九鬼の諜報力、情報網を以ってすれば妥当な所であろう」

「ま、あたいにとっちゃ満足できる結果じゃねえけどな。一割を頼っちまった時点で論外だ。お前に借りを作る羽目になった、その時点でな」

「“借り”。借り、とはな。忍足あずみ――やはりお前は俺を正しく理解している。恐らくはこの学園の誰よりも、だ」

「はっ、こちとらケツの青いヒヨッコどもとは年季が違うんだ。どうしようもなく汚いモンってのは嫌でも見りゃ分かっちまうんだよ」

「くくっ、然様か」

 強烈な毒を込めて吐き出した皮肉をまるで意に介した様子もなく、信長は酷薄に口元を歪めて哂う。そんな彼との間に約一人分の距離を空けて、校舎内の狭い板張り廊下を並んで歩きながら、忍足あずみは改めて痛感していた。やはり自分はコイツが苦手だ、と。初対面の際に抱いた印象が覆る事はなく、むしろ日を追うごとに苦手意識は募るばかりである。

 魔王だの覇王だの死神だの魔神だの、およそセンスの迷子な呼び名で川神学園全校生徒の畏怖を一身に集める男――織田信長。その身に宿した氣の総量、そして積み上げた武技の冴えは計り知れず、熟練の戦闘者たるあずみの眼を以ってしても、真の実力を窺い知る事は出来ない。学園内においてあれだけ派手に立ち回り、その圧倒的な力を大衆に魅せ付けておきながら……依然として、全貌が視えないのだ。信長を喩えるならば、闇、の一字が相応しいだろう。あらゆる光の届かぬ深淵の如く、暗く、深く、底知れない。その重苦しい不気味さが強烈な圧迫感を伴って、あずみの鋭敏な神経を刺激する。

 今もそうだ。悠然たる足取りで隣を歩く信長を横目で見ながら、あずみは無意識の緊張を認識し、意図して全身から無用な力みを抜いた。

 突き従うかのように信長の後ろを歩くのは“女王蜂”のプライドが許さず、さりとて信長に背中を向けるのは、骨髄まで染み付いた戦闘者としての意識が許さない。結果、こうして横並びという“対等”な位置関係を保ちながら歩を進めている訳だが……だからと言って気楽に構えていられる筈も無かった。僅かでも気を緩めれば、傍らの闇に呑み込まれる――そんな強迫観念に、あずみは絶えず苛まれていた。織田信長と空間を同じくしている以上、あずみはどう足掻いても戦闘者として在り続けなければならない。自然と足音は掻き消え、感覚は研ぎ澄まされ、全身を闘氣が駆け巡り、両の眼は相手の挙動の内に隙を探り出さんと鋭さを増す。そうして磨き上げられた観察眼で探れば探る程、横たわる闇の深さへの絶望が増してゆくのだ。

 忍足あずみが知る無数の闘士の中で、最も敵に回したくない相手は誰か、と問われれば、まず間違いなく挙がる名前は一つ。即ち、“ヒューム・ヘルシング”だろう。九鬼従者部隊、序列零番。永久欠番・唯一無二の零の数字を冠し、九鬼の至宝と謳われる怪物である。

 かつてヒュームと初めて相対した時、あずみは逃れ様の無い絶望を感じた。自分如きが付け入り得る“隙”など、何処にもない。攻め掛かった次の瞬間、千刃と化した蹴撃によって全身が切り裂かれるイメージが、恐ろしいほどの鮮明さを伴って脳裏に浮かんだ。勝てない、と思い知るには十分だった。

 対し、織田信長という男には……“隙”が、ある。文字通りに一分の隙も窺えない老執事の立ち姿と比較するまでもなく、下手をすれば凡百の武闘家にまで劣るのではないかと感じる程に、信長は常に隙を晒していた。女王蜂の名で恐れられた刺客・忍足あずみが傍にいる現在ですらも、それは変わらない。冷徹な横顔からはいかなる情動も読み取れないが、その悠然たる足の運びを見る限り、欠片の気負いも緊張も、信長には無縁の様であった。驕慢。油断。否、余裕――なのだろう。如何なる相手であれ、如何なる状況であれ、自身が何者かに遅れを取る事など有り得ぬという強烈な自負が、一目で判る隙を生み出している。討てるものならば討ってみるがいい、と、己に叛逆する無謀な挑戦者を嘲笑うかのように。そのあまりに無防備な姿は却って途轍もなく巨大な圧力を生み出す事になり、それ故に誰しもが、堂々たる隙に乗じる事への躊躇いを覚えずにはいられない。

 もしもヒューム・ヘルシングに触れれば、瞬く間に鋭刃にて刻まれるだろう。一方、この指先が織田信長にひとたび触れれば――そのまま果てない暗黒へと呑み込まれ、深淵の底へと引き摺り込まれるのではないか。その内側に抱えた昏い闇に喰らい尽くされるのではないか。信長と対する時、あずみはそんな錯覚を覚えるのが常であった。背筋を犯す冷気を感じ、総身に戦慄が走る度に、あずみは不甲斐なくも恐怖を覚えた己に憤慨し、そして怒りを糧にして毅然たる態度を貫いてきた。いかに相手が規格外の存在であれ、威圧に膝を屈する事など、女王蜂の、序列一位の矜持が許さなかった。

 だが、正真正銘の怪物を前に己のプライドを守り通すには、少しばかり無理を重ねなければならないのも事実だ。その億劫さと煩雑さと苛立たしさとが綯交ぜとなった結果、忍足あずみは日頃より、織田信長を苦手としている。今回の一件にしても、心底から敬愛する主の命でなければ、わざわざ関わりを持つ気は更々なかった。ストレスの所為か何やら痛み出した頭の片隅に、主人たる九鬼英雄の言葉が蘇った。

『我は2-S委員長。すなわち2-Sの王である!ならば領民クラスメートを慈しみ、其の責は我が身に担う。フハハハ、それが我に相応しき王道というものであろう、あずみよ!』

 当然であるかの如く真っ直ぐに言い切って、そして英雄は誰に憚る事も無く、高々と哄笑を響かせたのだった。

 相変わらず大きな人だ、とあずみは思う。九鬼英雄は、“天下万民のために”――そんな青臭い台詞を何ら恥じる事無く、堂々と胸を張って口に出来る人間だ。その性質がどれほど稀少で、尊ぶべき輝かしいものであるか、地獄を生き抜いてきたあずみは深い所で理解している。清も濁も善も悪も一切を問わず、総てを自らの懐に収め得る器量。まさしく大器、という形容が相応しい。あずみと初めて出逢った時と変わらぬままに、英雄は自身の信じる王道を歩み続けている。

 ……。

 しかし、と、あずみは眉を顰めた。

 しかし、今回は。今回の一件は、果たして、九鬼英雄の輝かしい王道に害を為しはしないか。

 仮に、天下万民を受け入れる器へと、何者にも決して消化出来ない、致死の猛毒が注ぎ込まれたならば?

「……」

 あずみの所感では、森谷蘭と云う名の劇毒は恐らく、稀代の大器を以ってしても容れ所に窮するだろう。それ程までに、アレのおぞましさは突き抜けている。誰よりも先んじて決闘にて太刀を合わせ、その身に潜む狂気と凶氣の片鱗を感じ取っていたが、まさかあそこまで醜悪なものを抱え込んでいたとは見抜けなかった。あれはもはやヒトの域を逸脱した、魔物だ。忠義と殺意に狂った怪物としか、表現の仕様がない。

 汚濁も、悪徳をも自身の内へと収め得る器は、しかし人を外れた魔物を同様に迎え得るのか。所詮は一家臣に過ぎず、王の身に非ざる忍足あずみには、考えても答えの出ない問いなのかもしれない。そして、それとは別に、あずみの脳裏には一つの格言が浮かび上がっていた。

 すなわち、毒を以って毒を制す、と。

 魔物の棲家が闇の中ならば――全てを呑み込む底無しの暗黒こそが、その器に相応しいのではないか。

「……ま、何にしろ、あたいはあたいの役割を果たすだけだ。これっぽっちも気は進まねえが、これも英雄様の為っつー事で、手抜きはナシでやらねぇとな」

「ふん。相も変わらず、見上げた忠誠心よ。否、或いは忠のみにあらず、か?」

「うふふ、やっぱ惚れた弱みってヤツなのかな?まあ年齢差はゴニョゴニョだけど世間的にはぜんぜん許容範囲内だし、こりゃもうアレだね。乗るしかない、このビッグウェ……玉の輿に!」

「てめえはどっから湧いてきたんだよ。プールに沈められてぇかコラ」

 屋上広場から階段を降り、校舎内の廊下を歩く事暫し、現在地は学園の正面玄関に面した下駄箱前。この場所に至るまでの途上にて、既にあずみが求めていた“一割”の内実は訊き終えていた。後は手に入れた情報に基づき、然るべき行動を開始するのみである。ともかくこれでこの色々と鬱陶しい主従から解放される、と小さく息を吐き出した時だった。信長の存在によって否応無しに研ぎ澄まされていたあずみの感覚が、下駄箱の裏側に潜む微かな気配を捉えたのは。

「……そんなお粗末な隠行であたいの目を誤魔化せると思ってんのか?コソコソせずにさっさと出て来いや」

 気配を消した上での潜入・諜報はまさしくあずみの十八番だが、だからこそ逆に盗み聞かれるのは不快なものだった。唐突に恫喝めいた鋭い声を張り上げたあずみに驚いた様子もない辺り、織田主従も“曲者”の存在には気付いていたらしい。そして三対の瞳が一点に向けて注がれる中、気配の持ち主がおもむろに姿を見せる。或いは単に出るタイミングを窺っていただけなのか、呆気ないほどの潔さだった。

「……」

「ああ、覚えのある気配だと思ったら――お前かよ」

 いまいち感情の読み取れない人形のような無表情に、特徴的な紺青色のショートヘア。2-Fクラスの椎名京で間違いない。知り合いと言うほどの関わりがある少女ではないが、一年以上も教室を隣にしていれば、顔を見知るのは当然だ。その齢で既にあずみが認めるに足る実力の持ち主となれば、尚更である。

 現在が授業時間中である事を考えれば、偶然の遭遇という線はまず有り得ない。ここが下駄箱というロケーションである以上、学園から早退しようとする“誰か”を待ち伏せていたと考えるのが自然だろう。そしてその対象があずみではなく信長であろう事は、自身の隣を真っ直ぐに射抜く鏃の如き眼差しが物語っている。それを確認してから、あずみは突然の闖入者から視線を外し、傲然と佇む信長へと向き直った。

「ガキ共の青春劇場に首を突っ込む趣味はないからな、こっちはこっちで勝手に動かせて貰うぜ。文句はねぇよな?」

「ふん。何度言わせる?その振舞いが俺の妨げとならねば、有象無象の動向なぞ如何でも良い事だ」

 信長は表情を変えないまま、まるで無関心な調子で答えた。相変わらずクソ生意気で可愛げの欠片もないガキだ、と辟易しながら背中を向け、そして振り向かないまま口を開く。

「英雄様の配慮を、無為にするんじゃねえぞ――織田」

 静かに言い捨てて、そのままあずみは屋外へと歩み出る。わざわざ返答を聞く気は無かった。

 椎名京。織田信長に、明智音子。これから彼らが何を語ろうとしているのか、そんな事に関心を持つ気はない。自分とは関わりの無い事だと、始めから割り切っている。忍足あずみは大人で、プロで、そして何より、九鬼英雄の従者だった。自身に与えられた役割を果たし、主の希望を叶える事に全霊を尽くす。為すべきはそれ以上でも以下でもなく、ましてや“それ以外”の事柄に割くべきエネルギーなど皆無だ。

 そう、あの決闘の後、九鬼の情報網を用いて収拾を試みてきた織田主従の情報の数々が、いかに血塗れで陰惨な内容であったとしても。お人好しで無邪気で礼儀正しい少女を、血に飢えた剣鬼へと変じせしめる程の“闇”が、その過去に横たわっている事実を嗅ぎ取ったとしても。そこに自分が首を突っ込むのは御法度だと、そうあずみは考えていた。場違いで、筋違い。従者という立場を同じくするクラスメートの暴走に対し、感情面での動揺が全く無いとは言わないが、しかし人には相応しい役所というものがある。それを冷静に見定めた上で、あずみは従者としての任に徹する心算だった。

 そこまで考えたところで脳裏を過ぎったのは、撒き散らされる血にも似た紅の長髪だった。桜並木の中でふと足を止め、暗鬱な曇天を仰ぐ。本来ならば再び出遭う筈もなかった戦場の昔馴染みは、何の因果か今現在、川神の空の下に居るのだ。この地の何処かで爛々と隻眼を光らせて、牙爪を研いでいる。主の命に従って、獲物の四肢を引き千切り、喉笛を食い破る為に。

「お前はどうなんだ――猟犬?」

 誰の耳にも届かぬよう口の中で紡いだ問い掛けに、返事などある訳も無い。

 一瞬だけ嘲るように唇を曲げてから、あずみは己の懐を探った。幾多の暗器と小道具を忍ばせたメイド衣裳の中から取り出したのは、何処か威圧的な雰囲気を漂わせる造形の、無骨な黒塗りの通信機。あずみは右手に握るそれを数瞬だけ見詰めた後、おもむろに口元へと運んだ。

「招集だ。李、それにステイシーも一緒だな?……ああ、話はもう通ってる――」











 

「ちっ、本格的に降ってきてやがる。うざってェ……」

 広告が大量に貼り付けられたゲームセンターの自動ドアが開き、同時に塞がれていた視界が開ける。途端に目の前に広がったのは、ほんの一時間ほど前の快晴とは似て似付かぬ黒々とした曇天と、そこから地上へ轟々と降りしきる大雨だった。無数の雨粒が薄汚いアスファルトに向けて叩き付けるような勢いで落下し、すぐさまその穢れを含んで濁った水溜りを形作る。

「天気予報なんざアテにするもんじゃねェなァ、ったくよォ」

 そんな気が滅入るような様相を心底うんざりした表情で眺めながら、前田啓次はぼやいた。このまま屋外へと踏み出す事を躊躇するには十分な悪天候である。せめて傘でも手元に持っていればまた話は別だったのが、生憎と目的のものは下宿の玄関脇に突き立っている。結局、啓次は数秒の逡巡を経てから、近場のコンビニエンスストアまでの全力ダッシュを選択した。わざわざ金を払ってまでの現地調達は大変気に食わないが、流石にビニール傘の助けが無ければ移動もままならない、と判断した結果である。

「せっかくあのクソ師匠の無理難題に付き合わされずに済んだと思ったらコレかよ。ツイてねェぜ」

 僅か数十メートル先のコンビニへの移動ですっかり全身が濡れ鼠と化し、ワックスで固めたセットも見事に崩された啓次は、不機嫌そのものの調子でぶつくさと文句を零した。いかにも迷惑そうな面を向けてくる店員へとガンを飛ばしつつ、一律五百円のビニール傘を乱暴に掴み、足音も荒くレジへと向かう。

 監視役気取りの生徒会長が不在だったのを良い事に、午後の授業の一切を放り投げて街へ遊びに繰り出した啓次であったが、どうやらそれが完全に裏目に出たらしい、と認めざるを得なかった。

 大体、こんな日に限って休んでやがるあの女が悪いぜ、と啓次は心中で八つ当たり気味に毒づく。普段ならば、『先輩で師匠で生徒会長たる私が退屈窮まる勉学に励んでいる時、後輩で弟子で一般生徒たる前田少年風情がのうのうと自由を謳歌し満喫している――そんなおぞましくもおこがましい現実が許されると思うのかね?いいや許されない。例え神が許そうともこの柴田鷺風が決して許しはしないとも。いざ、仲良く二宮金次郎に倣おうではないか我が弟子よ』などという無意味に長ったらしい口上を捲し立てながら、脱走を図った啓次を力尽くで教室へと連行していくのが、太師高校に君臨する現生徒会長・柴田鷺風の近頃の日課である。

 何も知らない部外者がこう聞くと、身体を張って不良生徒の更正に努める勤勉で精力的な生徒会長、といったイメージが浮かぶのだろうが、無論のこと実像が大いに異なっている事を啓次は知っている。何故ならば現生徒会長自身が、少なくとも数回に一回という結構な頻度で授業をサボタージュしているのだ。具体的には入学時から数学の授業を全て自主休講中(現在三年目)という、不良生徒揃いの太師校の中でも筋金入りの猛者であった。『私がこの分野を学ぶ課程で唯一感銘を受けたのは、人並みに奢れや、という名言だけだよ』と宣言して憚らない程の数字嫌い――であるにも関わらず、校内におけるその立ち位置たるや堂々の全校生徒代表・生徒会長である。

 啓次はそういった諸々に対し、もはや何も言うまい、と既に色々と突っ込みを放棄していた。理不尽の塊のような存在に真っ向から立ち向かうのは徒労というものだ。

 ちなみにそんな彼女は学業に励む(?)傍ら、和菓子屋を営む祖父の手伝いをしているらしく、偶に学校自体を休む事があるようだった。今日一日、弟子と言う名目にて都合の良い下僕扱い真っ最中の啓次に絡んでこなかったのもそれが理由なのだろう。そして啓次はこれ幸いとばかりに学校を抜け出し、久方ぶりの自由な午後を満喫していたのだった。気紛れに立ち寄ったゲームセンターでまたしても板垣天使と遭遇し、格ゲー対決で鼻を明かしてやろうと息巻いたところパーフェクト三タテを食らって盛大に馬鹿にされる等の些細なアクシデントはあったものの、概ねサボりの味を存分に楽しんでいた啓次だったが――ふと気付いてみればこうして外は大雨に見舞われており、しかも一向に晴れる気配は窺えない始末だ。気侭な午後も台無しである。

「仕方ねェな。さっさと帰ってシャドーでもすっか」

 ここ最近、理不尽な師匠に理不尽な特訓を受けている所為か、少しばかり地力が伸びた様に感じている。柴田鷺風ことサギの課す修行もどきは悉くが無茶苦茶だったが、その無茶振りを死に物狂いでこなしている内に、いつの間にやら相応に鍛えられていたらしい。尤も、サギ本人は確実に『面白いから』という理由だけで啓次を虐待しているのであって、そこに武の師匠としての深い意図など全くありはしないのだろうが。啓次にとってはどちらでも良い事だった。結果として強くなれるのならば、過程や手段に拘るつもりは無い。どの道、自分で修行を選ぶような生温い考えでは、いつまで足掻いてもあの男には届かない。認めるのは本当に癪だが――前田啓次が絶対的な目標として掲げる孤高の魔王、織田信長には。

「へっ、散々一匹狼で鳴らしてたこのオレがまさか、“センパイに憧れる”なんてなァ。まるで他愛ねェガキじゃねェかよオイ」

 だが、それも悪くない、と啓次は思う。この堀之外にて織田信長と出遭ってから、啓次の毎日はかつてない程に充実していた。仰ぐべき目標の姿が近くにある事が、しばらく惰眠を貪っていた啓次の魂を突き動かし始めたのだ。サギなる理不尽女に振り回される日々は疲労困憊の連続だが、同時に感じる自身の確かな成長が、あらゆる疲労を相殺する特効薬となっていた。

『オレの名は、前田啓次ッ!いいか、この名を覚えとけ。ゼッテーにいつか、アンタの居るところに立ってやるからよォ!』

 何処までも孤高な漆黒の背中に吼えた台詞を、啓次は忘れてはいない。それは紛れもなく魂の叫びだった。今も尚、身体の内側から噴き上がり、心身を駆り立てる無限大の熱情。そのエネルギーに敢えて名前を付けるならば、“夢”の一字が相応しいのかもしれない。当人には全く以ってそのような意識は無いのだが。

「まあ、雨ん中うろついても仕方ねェ。久々にジムでじっくり鍛えんのも悪くねェかもな」

 啓次は天候に引っ張られるような鬱々とした気分を切り替えて、前向きに予定をセッティングし直した。コンビニの入口で安っぽい造りのビニール傘を広げ、相変わらず怒涛の勢いで降り注ぐ雨粒を辛うじて頭上で防ぎながら、自動ドアの外側へと踏み出した――その時であった。

「……ん?ありゃァ……」

 啓次の目が、一つの人影を捉えた。道の中央付近をゆらりゆらりと蛇行しながら、危うげな足取りで歩くシルエット。昼間から酔い潰れている自堕落な連中など堀之外では珍しくもないので、最初はそういった類の輩かと思った。だが、ほんの少しでも注目してみれば、そうでない事は一目瞭然である。何せ――

「確か、信長の野郎に従ってた……ラン、ってヤツ、か?」

 その人影は、啓次にとっては見知った顔だった。実際に顔を合わせたのは数時間程度だが、主人の敵対者へと情け容赦なく凶刃を振るう少女の姿は、未だ鮮明な形で記憶に焼き付いている。

 森谷蘭。

 信長の懐刀と称され、堀之外の住人達の間では恐怖の対象とされている少女は――しかし現在、明らかに尋常な様子ではなかった。彼女の身を包む、白を基調とした川神学園の指定制服は全身が隈なく土で汚れ、至る所が破れている。更に傘も差さずに雨の中を歩き続けてきたのか、頭から泥水に塗れたような有様だった。貼り付いた濡髪に隠れて表情は窺えないが、顔色は死人と見紛うほどに青褪めており、今にも顔面から路上に倒れ込みそうに見える程、その足取りは危ういものだ。

――まさかられたのか、と反射的に胸糞の悪い想像が浮かんだが、しかし冷静に考えれば有り得ない話だ、とすぐさま打ち消す。こちらもまた認めるのが癪な話ではあるが、彼女の実力はまず間違いなく啓次のそれよりも遥かに格上なのだから。堀之外の住人は欲望に忠実な獣そのものだが、人の域を外れた武人を毒牙に掛けられるほど強靭な牙の持ち主が居るとも思えない。今の彼女はあの夜のように刀を佩いてはいない様だが、それを踏まえて考えたとしても、だ。

「意味分かんねェぞ、何だってんだ……?」

 状況は全く掴めないが、何にせよ蘭の様子がおかしい事だけは間違いなかった。かつて見た時とは似ても似つかない程に、今の彼女は追い詰められている様に見えた。そして面倒な事に前田啓次は、そんな痛ましい姿の少女を眼前にしても尚、冷徹に無関心を貫けるタイプの人間ではないのだった。

「なァオイ。アンタ、こんなトコで何やってんだ?」

 別段、親交がある訳でもない。立場としてはむしろ敵対者に分類される身だ。しかし、それでも――啓次は、彼女に声を掛けた。ビニール傘で豪雨の猛攻を食い止めながら、道の中央をふらふらと彷徨う人影に向けて歩み寄る。残り十メートル。反応はない。残り七メートル。反応はない。そして残り三メートルの距離まで近付いた瞬間、蘭は初めて反応を示した。常に俯いていた顔が上がり、ゆっくりと、不自然な程に緩慢な速度で、啓次へと向き直る。

「――ッ!?」

 “ソレ”を一目見た瞬間、啓次の身体は戦慄によって余さず硬直した。蒼褪めた少女の貌、貼りついた黒髪の隙間から覗くのは――欠片の輝きも宿さないガラスの眼球と、全てが抜け落ちてしまったような、抜け殻の能面。絶えず肌を強烈に打ち据える雨粒も、恐らく認識すらしていない。彼女は茫然と啓次を見遣っているが、その実、虚ろな瞳には何一つとして映してはいないのではないか。まるで此の世の住人ではないかのように、まるで生きる事を諦めてしまったかのように、少女の様相は死滅を感じさせるものだった。

 まずい。マズイマズイマズイ。これはダメだ。絶対にこれはゼッタイに――“ヤバイ”!

 瞬く間に体温が奪い尽くされたかのように、啓次は肉体の芯から凍えていた。幽鬼じみた少女を門として、黄泉の風が吹き込んできたような感覚だった。ガチガチと歯を打ち鳴らす耳障りな音が響いた時、初めて、啓次は自分が恐怖している事実に否応なく気付く。

 これは、理屈ではない。織田信長の冷徹な眼光に射竦められたあの時と同様、肉体の奥底に根ざした本能が怯えている。アレに関わるな、アレに近付くな、“あちら側”に引き摺り込まれるぞ、と狂ったように警鐘を打ち鳴らしているのが分かる。しかしその一方で、肉体の金縛りが解ける事はなかった。この少女の眼前に棒立ちで佇むなど、もはや自殺同然の振舞いだと察しているにも関わらず、鍛え上げた筋肉は持ち主を裏切り、命令に対しピクリとも反応を示さない。

 必死に肉体の主導権を取り戻そうと足掻く啓次を、少女の魔眼じみた無機質な双眸が冷酷に見つめていた。そして、血色の失せた唇が、微かに動いた。

「―――」

 囁くような弱々しい掠れ声は、路面を叩く豪雨に呑み込まれ、啓次へと言葉の内容を伝えない。ただ、変化は如実だった。あたかも少女の囁きが魔法を解くキーワードだったかのように、全身を襲う寒気が一気に薄れていた。停まっていた心臓が再び動き出した様な温かさと安心感が五体を駆け巡る中、啓次は訝しげな視線を少女へと送る。

 次の瞬間――その頬を流れ落ちる二筋の涙と、克明に浮かぶ“恐怖”の表情に、思わず瞠目した。少女は何かに怯えるように両腕を掻き抱き、歯を鳴らしながら震えている。一瞬前までは死神にすら見えた少女の姿が、酷く弱々しく、小さく映った。放置すれば、冷たい雨に晒されながら獣の街を彷徨い続けるであろう彼女の様子は、啓次を別の意味でその場へと縫い付けた。

 心昂ぶる闘争に無類の価値を見出す一方、“こういうもの”を捨て置けないという一面が、前田啓次にはあった。所詮は無関係な他人だろうが、しかもコイツはどう考えてもマトモじゃねェぞ、と幾ら自分に言い聞かせてみても、どうにも巧く割り切れない。そんな少年らしい不器用さは、或いは人に優しさと称される、尊ぶべき美点なのだろう。

 故に、その“美点”こそが少年にとっての災禍を呼び込んでしまったのは、皮肉という他ない。

 啓次がこの場で取るべき行動は、一つだった。拘束が緩んだ瞬間、全力全霊を以って森谷蘭の前から逃げ出す事だけが、唯一にして最良の選択肢だったのだ。或いは彼女が必死に絞り出した忠告の内容を啓次が認識していれば、結果は変わったかもしれない。だが、“逃げて”という懇願にも近い少女のメッセージが届く事はなく、ただ啓次はカルーアミルクに負けず劣らずな自分の甘ったるさに辟易としたような顰め面を作りながら、ゆっくりとした足取りで、少女との距離を更に縮めていく。

 三メートルから、ニメートル。

 少女の瞳から、再び感情の色が抜け落ちる。絶望が虚無に塗り替えられていく様子に、啓次は未だ気付かない。

 ニメートルから、一メートル。

「……」

 決まり悪げな仏頂面のまま、啓次は無言でビニール傘を持ち上げ、些か乱暴に少女の方へと突き出した。

 その、直後。

「――――」
 
 ざくり、と。絶え間ない雨音に混じって、肉を斬り断つ生々しい音が響く。

 一瞬の空白を経て、少年の手から真新しいビニール傘が零れ落ち、紅く濁った水溜りの中へと転がった。













 学園での諸々の会合、そして少々の寄り道を経た後、俺が拠点たるアパートに舞い戻って最後の“準備”を完了し、再び門の外へと足を踏み出した時、川神市を覆う天候はますます悪化の一途を辿っていた。見渡す限りに敷き詰められた暗雲が陽光を完全に遮断しており、四月の日中とは思えない程に薄暗い。ザァザァと尽きる様子もなく降り続ける大雨と相まって、視界が酷く悪かった。果たしてこの予期せぬ嵐が俺にとって吉と出るか凶と出るか、いまいち読めない所だ。容赦なく口の中に流れ込んでくる水滴に顔を顰めながら、俺は正門脇の塀へと目を遣った。

「こちらは万事、片付いた。待たせたな、ネコ」

「全くだよ。私みたいな雨嫌いで世界を狙えるミラクルプリチィーガールをこんな悪天候の中で放置プレイしようって言うんだから、ご主人の血も涙もないサディスト野郎っぷりもここに極まれりって感じだね。何と言ってもかの軍神・関雲長だって水責めであっぷあっぷしちゃったんだから、いわんや斯くもか弱き娘々をや!あな恐ろしや、美人薄命ってホント残酷な言葉だよね。私思わず泣けてきちゃったよ」

「そいつは奇遇だな、俺も思わず泣けてきた所だ」

 事態の深刻さに反比例して立ち振舞いのテンションを上げる――明智音子がそういう性分の持ち主である事は十分に理解しているが、しかし少しの間くらいシリアスを維持出来ないのだろうかこやつは。つい先程までのしおらしさなど、もはや次元の彼方であった。もっとも、いつまでも心が定まらないのならば、本人の意思に関係なく問答無用で置いていく心積もりだったのだから、まぁこれもある意味では望ましい態度と考えるべきなのかもしれないが。

「ああ、アパートに用事って言うから多分そうだろうとは思ってたけどさ。やっぱりソレ、持って行くんだね」

 ねねの興味深げな視線の向かう先は、俺が腰に佩いている一本の日本刀だった。色彩鮮やかな朱鞘に収められているのは、蘭愛用・ニ尺五寸の太刀。黒金の鍔を軽く打ち鳴らしてみせながら、俺はニヤリと口元を歪めた。

「うむ、我ながら中々に新鮮な気分だな。どうだネコ、似合ってるか?」

「くふふ、バッチリだね。少なくともそうやって納刀してる分には、結構サマになってると思うよ」

「ならばよし。これより俺は天下の剣豪って訳だ」

「うーん、是非ともまゆっちに披露して何かリアクションさせたいなぁ。とっても面白いものが見れそうな気がするよ」

 まゆ……?一瞬首を捻るが、ああ、件の黛十一段の御息女か、と思い至る。未だ直接顔を合わせた事は無いが、ねねの雑談九割の報告を聞いている限りは、随分と愉快な人格の持ち主のようだった。俺としてはそんな事よりも彼女の実力の方を推し測って欲しいものだが、そちらはどうにも難航しているらしい。まあ今のところ別段、織田信長への敵対心を見せている様子は無いので、殊更に急ぎ調査する必要性がないのも事実ではある、が……。

「おっと。脱線注意、だな」

 そこまで考えたところで、俺は際限なく広がっていきそうな思索の網を意識して押し留めた。今は脳細胞の一片すらも不要な思考に消費すべきではないだろう。普段と同様、先の先に思いを巡らせるのは、この一戦に決着を付けてからでいい。思索の対象とすべきは、これより数時間以内に起きるであろう事象の数々のみだ。何せ俺が臨もうとしているステージには、まず間違いなく途轍もない大嵐が待ち受けている。“祭り”に参加するであろう面子を考えれば、何事が起ころうとも不思議はない。あらゆる事態が予測されるし、それら無数のパターンに伴ってあらゆる対応策が要求されるのは必定だった。その煩雑さと難度の高さは推して知るべし、というものだろう。

――だが、それがどうした?

 渦巻く混迷を前にして、俺が惑う事はない。何故ならば、此度の舞台の主役は俺と彼女の二人だけ――他の登場人物は所詮、物語を彩る脇役に過ぎないと確信しているが故に。周囲を取り巻く有象無象が行き交わせる意志に流され、無様に右往左往する気は毛頭無かった。達成すべき勝利条件は最初から一つ。俺はただ、俺の意志を、常に身体の奥底で煮え滾り心を焦がす想念を貫き通せばそれでいい。

「なあネコよ、お前はどう思う?大した力も無い癖に粋がって、意地を張って、必死に強がってる……俺は愚か者だと思うか?」

「う~ん、どうなんだろうねぇ。私が思うに、ご主人は愚か者って言うかさ、あれだよ。いわゆる、雑魚」

「ザコ……」

 自分で切り出しておいて何だが、返って来たのは愚者と呼ばれるよりも数倍キツイ一言だった。実のところ割と泣きそうだった。恐るべき言葉の刃に貫かれて慄き呻いている俺に、ねねは悪戯っぽい笑みと共に言葉を続ける。

「雑魚は雑魚でも骨のある雑魚ってヤツだね。歯応えしっかり、カルシウムたっぷりって感じで、私好みの味だよん」

「ただし身が少ない割に小骨が多く鬱陶しい、と続く訳だ。くくっ、なるほど、中々に良い喩えじゃないか」

「ところがどっこい、それだけじゃなかったりするのさ。雑魚はね、ご存知の通り、使い様によっては大魚を釣り上げる事だって出来るんだよ。ってワケで、願わくは今日の晩ごはんは大魚のフルコースがいいなぁと私は可愛らしくおねだりしちゃったり」

「いつもと同じように、か」

「そそ。日常チャメシゴトって感じで、さ」

「……やれやれ。最初から判っていた事だが……、改めて、我侭な従者を持ったもんだと実感させられるな」

「くふふ、欲張りと我侭は美少女の特権だからね。これでも私、ご主人を頼れる男と見込んだ上で甘えてるんだから――甲斐性見せてくれると、嬉しいな」

「仰せのままに。餌役以外に存在価値の無いザコはザコなりに全力でやらせて頂きますよ、お嬢様」

「あはは、根に持ってるねぇ、ご主人」

 ねねはクスクスと可笑しそうに笑った後、気恥ずかしそうに薄く頬を染めて、ありがとう、と小さく呟いた。俺は無言で手を伸ばし、クリーム色の髪をくしゃりと無造作に掻き回す。無意識の内に己の口元が緩んでいる事に気付き、礼を言うべきはむしろ俺の方だな、と心中で呟いた。

「さて。往くか」

「うん」

 最後に少しだけ、そんな短い遣り取りを交わすと、それ以上は何も語る事無く、俺達はアパートを出立した。

 吹き荒れる嵐を掻き分け、黙々と歩を進める最中、ふと俺の脳裏に一遍の詩が蘇る。

『光灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野
 奇跡も無く標も無く、ただ夜が広がるのみ
 揺るぎない意志を糧として、闇の旅を進んでいく』

 初めて耳にしたその瞬間に、幾多の想念を俺の中に刻み込んだ文言だった。所詮は文字の羅列に過ぎない筈の詩が、これ程までに確かな“力”を有しているものか、と感嘆した事を覚えている。今もまた、同じだ。声として発さず、ただ頭の中で謳い上げるだけで、自然と心身に活力が漲っていくような心地だった。

 そう、この世に縋るべき奇跡は無い。辿るべき標も無い。そんな事は百も承知で、昔日の俺は自身の生き方を定めたのだ。先の見えない闇の只中に放り込まれたからと云って、今更、怯え竦んだりはしない。俺と云う人間が真に恐怖するものがあるとすれば、それは己の掲げた意志が折れる事のみ。

 元より俺は逃げ出す気も投げ出す気も毛頭無い。この身に背負った責は、必ず果たす。

 だから、待っていろ、蘭。

 俺が俺で在る限り――織田信長はお前から、逃げない。



 

 斯くして。

 愚者と魔物と狩人は、刃を携え舞台へ上がる。














 


 気付けば前回の投稿から三ヶ月。またしても更新が遅れてしまい申し訳ない限りです。
 加えてここ数話は本番前の準備段階的な意味合いが大きいとは言え、読者の方々にとってはどうにも起伏のない退屈な話が続いてしまった事かと思います。色々と掘り下げようとするあまりテンポを削いでは元も子もない、と自分の未熟さを痛感するところです。
 が、次回からは“本番”らしく、ようやく話に相応の動きが出始めるかと思われますので、宜しければこれからも拙作にお付き合い頂ければ幸いです。それでは、次回の更新で。


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