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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] 愚者と魔物と狩人と、中編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:4a3db374 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/20 01:32
 神奈川県川神市川神区、堀之外町。

 日本国内でも最大に近い規模を有する歓楽街であり、絶えず退廃と享楽が入り混じり蔓延する混沌の魔窟。その実態は、歪な在り方故に社会に受け入れられず、また自らも社会を受け入れられない、所謂人間失格の烙印を押された輩の吹き溜まりだ。

 昼夜を問わず年中無休で魑魅魍魎の跋扈するこの街には、一本の線として構造の中核を為す通りが存在する。メインストリート、親不孝通り――呼び名の由来は語るまでもないだろう。敢えて言葉を加えるとすれば、この通りにて日常的に雑踏を形成する無法者達は、“親不孝”などという生易しい言葉で済ませられる程に良心的な連中では断じてない、と言う事か。モラルとマナーに唾を吐き散らして憚らない、人を人とも思わぬ外道の類こそが、堀之外の住人としてはむしろ一般的な存在だった。

 そして現在、その親不孝通りの一画にて、奇妙な異変が生じていた。遠慮の欠片もなく吐き捨てられたガムやらタバコの吸い殻やら、そういった類の生々しい汚濁の染み付いた街路の片隅。本来ならば絶え間なく雑踏が生じて然るべき歩道に、不自然な空白地帯が発生している。

「くく、くくくく」

 空白の中心には、一人の男が立っていた。乱雑に伸ばされた黒の長髪と、鍛え上げられた屈強な肉体が目を惹く、恐らくは二十に届くかどうかといった年齢の若者だ。あろうことか、男は歩道の中央にて傲然と足を止め、携帯電話の液晶へと視線を落として、傍若無人に笑い声を洩らしている。言うまでもなく、男の行為は歩行者の通行を堂々と邪魔するものだった。

 しかし――誰一人として、その振舞いを咎める者は居ない。どころか、歩行者達は一様に足を止めて、男の傍を通り抜ける事すら忌避している様子だった。血の気が多く日頃から喧嘩の理由を探し歩いているような粗暴の輩ですら、あたかも主人に「待て」を言いつけられた忠犬の如く畏まって、神妙に硬直している。

 そんな傍目には異様としか形容出来ない光景は、しかし当事者としてその場に居合わせた人々にとっては在るべき必然でしかなかっただろう。確かに礼儀を知らない若造がマナーに唾を吐きかけたならば、暴力にて矯正させるのが堀之外のルールではある。だが――血に飢えた猛獣が歩道の中心に居座っていたならば、それに触れて肉を食い千切られるリスクを避けるのは人として当然の選択だろう。

「くくく、はははっ!ハハハハハハハハハハハハァッ!!」

 威圧的な凶相に歓喜の念を滲ませ、全身を瞬く間に充たした抑え切れぬ昂揚に任せて、男は誰に憚る事もなく天地へと咆哮する。明らかな暴虐の意志に溢れた音響が街を駆け巡り、住人達の息吹を数瞬ほど停止させた。

 男の名は、板垣竜兵。策略も謀略も介在しない、只管に純粋な暴力のみを以て堀之外に君臨する、野獣達の王。正しく、猛獣と呼ぶに相応しい存在だった。竜兵はひとしきり歓喜の笑声を上げてから、愉快げな笑みを湛えたまま携帯電話をポケットに突っ込んだ。

「くくっ、やはりマロードは最高だ。アイツは俺のヤリてぇことを理解してる」

 アイツとの出逢いはやはり運命だったらしい、と頭の中で都合数十回目になる再確認を行うと、竜兵は何事も無かったかのように歩みを再開した。先程の連絡によって足の向かう先は変わったが、差し当たっての進路に変更はない。恐れを成したように道を空ける歩行者を傲然と睥睨し、気を抜けば勝手にスキップでも始めそうになる気分を抑え付けながら、竜兵は上機嫌に歩を進める。

――板垣竜兵は、誰の目にも明らかに、歓喜していた。

 心中の喜悦と昂揚が惜し気もなく表情に顕れており、獰猛極まりない好戦的な笑顔を形作っている。そこに在るのは来るべき闘争への確かな予感と、弾けるような期待。戦闘狂と称される人種に特有の、獣じみた野性の相貌である。

「くく……、あぁ、待ち切れねぇ。待ち切れねぇぞ、シン……!」

 狂熱に浮かされたかのような表情で、竜兵は想い人の名を呟く。

 シン。信長。織田信長。板垣竜兵の幼馴染であり、超える事を心より欲した唯一の“雄”。

 昔年の出逢いにて一方的な敗北を喫して以来、竜兵の胸中には常に彼の存在があった。幼少の折から己の力を信奉し、振り翳す事で周囲を従え続けてきた竜兵は、やがて妹の問題を巡って信長と対峙し、そして生涯で初めての決定的な敗北を体験した。同年代はおろか年長の雄達の中においても最高位の格付けを為され続けてきた竜兵は、格上の獣の出現に巨大な衝撃を受ける。それが現在にまで至る、信長という男への執着の始まりだった。

 闘いたい。闘って闘って闘って、そしてあの森羅万象を冷然と見下すかのような闇色の双眸に、自身の存在を刻み込んでやりたい。

 信長は、強い。竜兵は自身が強者であると断じ、己の実力に絶対的な自信を抱いているが、しかし同時に誰より信長の力を認めてもいる。あれはモノが違う、と。決定的に異質な、悪魔の如き武力。それは竜兵の姉妹達と同様、或いは彼女達よりも遥かに深い領域――壁を越え、人外の域へと至った存在の証。信長という男は、かの釈迦堂刑部に近しい種類の怪物なのだと、そのように認識し理解している。

 だが、それでいて尚、竜兵の闘争心が衰える事はまるで無かった。むしろ胸中にて燃え盛り煮え滾り心を焦がす熱情は、信長を知れば知るほどに勢力を増していった。小中時代の他愛ないじゃれ合いや、二年前のような予定調和の仕合い如きでは物足りない。互いの肉を破り、骨を砕き、血潮を浴びせ合う――魂の総てを曝け出す“死合い”、それこそが竜兵の望みだった。死力を尽くして喰らい合った末、最後に立っていた者こそが、真に王者として君臨するべき雄。相応しいのは誰か……其れを、証明したい。長年に渡って有耶無耶に誤魔化されてきた問題に、今こそ明確な解答を与えてやりたい。

 勝算など無くてもいい。称賛など無くてもいい。

 板垣竜兵が胸に抱える想いはいつでも、飽くなき死闘への欲求でしかなかった。その常軌を逸した熱烈なる情動は、或いはある種の恋愛感情と呼んでも差し支えはないのかもしれない。少なくとも今この瞬間、竜兵は一人の男の事を想い焦がれていた。鼻歌交じりに親不孝通りを闊歩するその足取りは、あたかもデートの待ち合わせ場所に向かう乙女の如く浮付いている。知らせてやれば姉妹達も喜ぶだろう、と思えば、ますます足取りは軽くなった。何せ織田信長と板垣一家は幼き頃より、家族ぐるみの付き合いを続けてきたのだ。血みどろの死闘によって雌雄を決したいと熱望しているのは、誰もが同じの筈。

「マロードには感謝しねぇとな」

 わざわざデートのセッティングを行ってくれたのは、竜兵のもう一人の想い人である。先程のマロードからの連絡によって、竜兵はまたとない好機の到来を知る事が出来た。彼の指示に従えば――まず間違いなく、信長は動くだろう。一切の加減なく、一切の容赦なく、魂が震えるような真の殺意を引き連れて、竜兵の前に現れるだろう。その時にこそ、竜兵の切望はこれ以上ない形で果たされるのだ。終わりに待っているのが喜悦であれ破滅であれ、最終的に得られるモノの価値は何一つとして揺るがない。ならば、何を悩む事があるだろうか。この身を駆り立てる欲望に素直に従い続ければ、それだけで世界は楽園だ。内より際限なく湧き上がる昂揚の念に、竜兵はぶるりと身を震わせた。

「あァくそ、興奮が収まらねぇぞ……このままじゃ本番まで我慢できねぇ。仕方ない、少し発散するか」

 呟いたそのタイミングで、竜兵の眼前を一人の人間が通り過ぎた。やや童顔で不健康な顔色の若者。有り余る反骨心に任せて授業をサボタージュし、真昼間から街に繰り出す不良学生の典型といった風情の平凡な少年の姿を、竜兵は数秒ほど舐め回すように見つめた。そして、怖気の走るような捕食者の笑みを浮かべ、大股に少年へと歩み寄る。獣の気配を感じた少年が顔を強張らせた時には、既に手遅れだった。

「お前でいい。少し俺の気晴らしに突き合って貰うぞ」

「ひっ!?な、何だよアンタ――」

「くくく、そう怯えるなよ。まあ話はそこの路地裏でしようぜ。なに、無駄に暴れなけりゃすぐに終わらせてやるさ」

 事態の危険性を悟った少年が駆け出すよりも先に、竜兵の剛腕が恐ろしいまでの膂力でその肩を抱いていた。必死の抵抗を試みても身体は動かず、悲鳴を上げて周囲に助けを乞うたところで救いの手は差し伸べられない。天にも人にも見放された哀れな少年は、瞬く間に陽光の届かぬ路地裏へと引き摺り込まれていった。

 そして、時を経ずして暗闇に木霊する悲痛な叫びもまた、単なる環境音の一つとして街の喧騒へと呑み込まれていく。

 弱肉強食――強者が喰らい、弱者が喰らわれる。原初のルールに従って織り成されるのは、自由で残酷な混沌の風景。魔窟の住人にとって、天国と地獄は常に表裏一体だった。











――どうにも、気に入らない町だ。

 眼下に広がる雑然とした街並みを一望しながら、女は正直な感想を口の中で呟いた。

 堀之外町、親不孝通りを構成するパーツの一つ、廃棄されて久しいとあるビルディングの屋上。薄汚れたコンクリートの床を踏みしめ、冷たい無表情で佇んでいるのは、一人の女だった。紅の長髪と白い肌のコントラストが否応なく人目を惹く、年若い外国人女性。整った顔立ちに加えてスレンダーな肢体、更には豊かなバストの持ち主――となれば、是非ともお近付きになりたいと欲する男性は枚挙に暇がないだろう。もっとも、実際に彼女と対峙した時点で、そのような下心が微塵も残さず消し飛ぶ事になるのは確実だった。髪と同じ紅の色が火焔を連想させる苛烈な双眸と、豹にも似た肢体を覆う漆黒の軍服が、属する“世界”の違いを何よりも雄弁に思い知らせる。

 ドイツ連邦軍特殊部隊所属、マルギッテ・エーベルバッハ少尉。“猟犬”の呼び名で戦場に名を馳せる武人が、戦意と軍装に身を包み、己が得物を携えて佇んでいる。その事実が意味するところは只一つ――即ち、紛れもない戦火が間近に迫っているという事だった。

 事実、マルギッテがこの場所に足を運んだのは、自身の駆ける“戦場”を少しでも詳細に把握する為だった。周囲一帯の地図は既に頭に叩き込んであるが、最も信頼出来るのは自らの耳目で見聞した情報に他ならない。故に先程からマルギッテは鋭く細めた隻眼を炯々と光らせ、周辺地形の確認に努めていた訳だ。その作業も今しがた完了し、そして不意に浮かび上がってきた所感こそが、口を衝いて出た“気に入らない”の一言であった。

 この町を覆う空気は、どうしようもなく淀んでいる。喧騒に満ちてはいても、活気が不在だ。擦れ違う誰も彼もが救えない下衆の目をしている。爽やかな春風すら、この町を吹き抜けた途端に不快な生温さを運んでくるような錯覚を覚えた。平和さと豊かさでは有数の水準を誇る先進国の日本であるにも関わらず――この土地に蔓延する饐えた空気は、かつて任務にて訪れたスラム街の情景を想起させる。理性と規律の枷を取り払えば、ただそれだけで人間は獣へと成り下がるのだと、そんな教訓を忘れ得ぬ記憶と共にマルギッテに植え付けた情景を。それがどうしようもなく不愉快で、気に入らない。

 そして何よりもマルギッテを苛立たせているのは、こうして自身の眼前に存在するだけで不快な毒々しい町並みが、あろうことか私立川神学園の目と鼻の先の地点に位置しているという事実であった。命を賭して心身を守護すべき“お嬢様”がこの腐臭に溢れた魔窟と関わりを持つような事は、断じて在ってはならない。彼女に降り掛かる直接的な身の危険は、自身を含めた軍事力によって力尽くで排除出来るとしても――姿なき悪意から形なき心を守る事は難しいだろう。或いは堀之外と云う区域の在り方に触れる事そのものが、彼女の純粋無垢な精神に悪影響を与えかねない。これは何としても対処を講じねばならないだろうな、とマルギッテは心に刻み付けた。

「……川神、か」

 上官たる中将より緊急の任を請け、碌な事前調査の時間も得られないままに訪れた異国の地。

 来日してから実質的に未だ一日と経っていないにも関わらず、マルギッテはこの地で既に幾多もの想定外に遭遇していた。堀之外と云う危険区域の存在は、それらの中の一つに過ぎない。任務遂行の効率を考慮した結果、本日より学生の一人として通う事になった川神学園――その敷地内にて起きた各種の出来事は、未だ記憶に新しい。生々しく、鮮烈に、焼き付いている。

 監視対象たる織田信長とのファーストコンタクトに、戦友とも言うべき“女王蜂”との再会。規格外の暴威を露にした信長との衝突に、新鋭の武人たる明智音子との決闘。

 そして――森谷蘭の、凶行。

「……」

 否応なく脳裏に蘇る苦々しい情景に、ぎりり、とマルギッテは歯を軋らせた。自身を縛る眼帯の枷を解き、正真正銘の全力を以て闘いに臨んだにも関わらず、不覚を取ったのだ。独力では“お嬢様”の身を護り通す事すら適わず、無造作な一太刀を以て土と屈辱に塗れさせられた。なんという無様か――マルギッテは己の不甲斐なさに憤る。与えられた任を全うせずして、栄誉ある将校服をその身に纏う資格などあるものか、と。元より少なからず短気で激しやすい性格の持ち主なのだ。表面上こそは一見して冷静沈着に映るが、マルギッテの内心は抑え難い烈火の怒りで荒れ狂っていた。

 一方で、彼女の内面に独立して存在する冷徹な部分、職業軍人としての凍て付いた理性は、感情に揺るがされる事無く思索を行っている。その内容は、新たに下された任務について。即ち、件の剣鬼に関する情報の整理だ。

 織田信長の従者、刀遣いの少女、森谷蘭。決闘の前から危うい雰囲気を醸し出していたが――闘いの最中に曝け出した本性は、想像を遥かに超えて危険極まりないものだった。長年を戦場で過ごしてきたマルギッテですら戦慄を禁じ得ない程に、少女の中に潜む魔物は兇悪な存在だったのだ。伽藍堂の空虚な器へと殺意と狂気だけを流し込んだかのようなソレは、あたかも醜悪な殺人人形。夢も希望もなく、意志も理念も善悪もなく、只々眼前の生命を滅殺する為だけに、壊れるまで動き続ける魔物モンスター

 そしてマルギッテ・エーベルバッハは、そういった存在・・・・・・・を、知っている。

 新兵時代、十代の頃に赴いたとある紛争地域にて、自らの属する狩猟部隊の意義に従って一つのテログループを殲滅した際の事だった。当時から傑出した武力を誇っていたマルギッテの活躍によって追い詰められたテロリスト達は、最後の足掻きとばかりに最低最悪の“切り札”を戦線に投入する。それは、思い返すだけで胸糞の悪くなるような非道の末に戦闘機械として“調整”された、年端もいかぬ少年少女の集団。サイズの合わない凶器を携えて襲い来る彼らの空虚な目と、終えるにはあまりにも幼い命の数々を自らの手で断ち切った感触を、マルギッテは今でも忘れられずにいる。欲望が人を獣に堕とし、狂気が人を魔物に変じさせる無惨な光景を――忘れられずにいる。

 森谷蘭の変貌を目の当たりにした時、マルギッテは総身を走る慄然とした感覚を味わうと同時に、脳髄に染み付いた忌わしい記憶をまざまざと思い起こす事となった。道具として使い捨てられたあの哀れな子供達と、眼前で刃を振り翳す年若い少女の在り方が、どうしようもなく重なって見えたのだ。勿論、かつて吐き気を催しながら已むなく手に掛けた彼らは、あれ程までに常軌を逸した力を備えてはいなかったが。

 マルギッテは闘争を愉しまずにはいられない戦闘狂としての己を自覚しており、決して別つ事の出来ないサガとして受け入れていた。強者が視界に入るだけで血が滾り、意識しない内に全身の筋肉が戦闘態勢へとシフトしそうになる。優れた者を己が手で叩き潰す事で、自身の比類なき優秀さを再確認したくて堪らなくなる。学園にて川神百代や織田信長といった規格外の武人を目にした瞬間、湧き上がる昂揚を抑えるのに苦労したものだった。

 そんなマルギッテですら――あの虚ろな少女、森谷蘭と“闘いたい”とは、まるで思えなかった。確かに、彼女は強い。疑いを差し挟む余地もなく、強者の条件を満たしていると言えるだろう。しかし、血は湧かず肉は踊らない。むしろ逆だ。一秒でも長く少女と相対すればするほどに、比例して心身が冷え切っていく様な薄ら寒い感覚に襲われていた。それは果たして少女の有り様が忌むべき記憶を喚起するからなのか、或いは度を過ぎた脅威を前に武人の本能が警告を発しているからなのか。何れであったにせよ、彼女の危険性は凄まじい。

 そう。だからこそ、このまま野放しには出来ない。何よりも優先すべき“お嬢様”の平穏を護る為にも……危険因子は、総て排除しなければならない。例えその行いが、護られる当人の望みに反していたとしても、だ。

『自分は、騎士なんだ!もう守られるだけのお嬢様じゃない!』

 気高い心と誇り高い魂を持つ彼女は、マルギッテがこれから為す事を喜びはしないだろう。経緯を知る事があれば、余計な世話だと憤るかもしれない。姉として慕ってくれる事も、騎士として頼ってくれる事ももはや望めなくなるのかもしれない。そういった悲観的な思考が脳裏に浮かび上がった瞬間――マルギッテは強く瞼を閉ざし、軍人としての冷徹な判断の下に、一切の想念を心奥へと封じ込めた。

「……」

 より確実な任務の達成の為には、余計な感傷など障害としか成り得ない。課せられた役割を完璧に遂行する為にこそ、あらゆる思考能力は費やされるべきだ。模範的な軍人であると云う事は、我を殺す事と同義。目的を果たす為に情を捨て、殺意と共に刃を振るう戦闘機械たるべきは、むしろ己の方なのだから。

疑惑も不要。葛藤も不要。

「忘れるな。私は、“猟犬”だ」

 厳かな叱咤の声と共に、心に渦巻く雑念を、機能を阻害するノイズを払う。数秒の黙想を経て、マルギッテは目を見開いた。

 焔にも似た紅瞳の内には、氷にも似た冷酷さの他には如何なる感情も窺えない。晴天の下に広がる褪せた灰色の街並みへと今一度視線を向けてから、狩人は鉄火の気配を纏い、冷然と踵を返す。

――狩りを、始めよう。

 誰に向けるともなく紡がれた言葉は、軍靴がコンクリートを打ち鳴らす硬質な音色を引き連れて、やけに冷たく空気を震わせた。

 









 屋上へと続く扉を開け放った途端に、爽やかな春風が肌を撫でた。何気なく見上げた空は俺の心中とは裏腹に暗雲の見当たらぬ快晴で、天上から降り注ぐ穏やかな陽光が何とも心地良い。平時であればこのまま備え付けのベンチに寝転がって昼寝と洒落込みたくなる所だ。

「ふむ。思えば、足を伸ばした事は無かったか」
 
 入口からぐるりと周囲を見渡して、一人呟く。入学数週間目にして初めて訪れる私立川神学園の屋上は、中々どうして素敵な空間だった。不足なく設置された休憩用の青ベンチや、百貨店に良く見られる動物を象った乗り物の存在から考えても、元より憩いの場として利用される事を想定した設計が為されているのだろう。花壇には色彩豊かな花々が咲き乱れており、人工的な殺風景さを感じさせない工夫が施されている事が分かる。この場所が生徒達の間で人気スポットとして扱われているのも納得であった。そして――成程、いかにも我が第二の直臣が好みそうな場所でもある。

「さて。しかし、姿が見えないな」

 屋上なう、との簡潔窮まる連絡をつい先程に寄越してきた筈なのだが、こうして見る限りは周辺一帯に人影そのものが無い。つい今しがた六限の授業が始まったところなので、生徒達の姿が見受けられないのは当然だが――しかし奴にとってそんな事は無関係の筈である。

「……」

 数秒ほど思考を巡らせ、次いで視線を周囲に巡らせる。

 さて、猫という生物はその警戒心の強さから高所を好むと云う。更に加えて述べるなら、連中は周囲からの攻撃の危険性を少しでも減らすために、狭く暗い場所へと潜り込む習性を有している筈だ。これらの諸要素を考慮した上で、事前知識も踏まえて奴の居場所を推察するのであれば――成程、あそこか。正解は恐らく、この川神学園の敷地内に於いて最も高所に位置する地点。すなわち、屋上に設置された高置水槽の上へと視線を向ける。

 無駄に手間を掛けさせてくれるものだ。俺は小さく溜息を吐いてから、そこへと到るべく梯子を昇り始めた。その最上段から身を乗り出して、貯水槽の内側を覗き込む。案の定、俺の読みは正しかったらしく、問題のターゲットは其処に居た。

「あーらら、見つかっちゃったかぁ。隠れ家としてはイイ線いってると思ってたんだけどなぁ。こんな風にあっさり辿り着けちゃうんじゃ、ちょっと考えを改めなきゃかもね。反省反省」

 適度に狭く、適度に暗く、そして外側からは確実に視界に入らないデッドスペースに、明智音子はちんまい身体を柔軟に丸めて潜り込んでいた。そんないかにもネコ科チックな姿勢のまま上目遣いでこちらを見上げて、悪戯っぽくニシシと笑う。

「お前が主に反省するべき点は別にあるだろうが莫迦め。わざわざ主君をこんな辺鄙な場所まで登らせるとは何事か」

「まーまー、お堅い事は言いっこなしだよ。それにほら、いい気分転換になったんじゃないかな?ほら、ご主人って何だか高い所好きそうだしさ」

「ほう。俺は今まさに、従者に喧嘩を売られている真っ最中と認識するべきなのか?くく、成程成程、いい度胸じゃあないかネコよ」

「あーいやいやそれは誤解だよ、早合点しないでってば。他意はないんだ、ただ天上天下唯我独尊!って感じのご主人の性格を考えると、学園全体を見下ろせるこの場所が気に入るかなと思っただけさ」

「それはそれで心外だな……言っとくが普段のアレはあくまでキャラ作りの結果だ。本来の俺とは何の関係もないぞ」

「うん?うーん。ま、そういう事にしておこうかな」

 何やら意味深な含み笑いを浮かべながら、ねねは軽薄な調子で言葉を続けた。

「でもアレだね、こうも容易く居場所を突き止められるって事は、それだけご主人が私の事を良く分かってるって証拠だよ。私達はいつも以心伝心ってね。うんうん、素晴らしき主従の絆だ。口を開けば毎回ツンツンしてるけど、実はご主人ってば私のこと大好きなツンデレ男子だもんね、仕方ないね」

「はっ、何をほざくかこの莫迦は。事もあろうにこの俺がツンデレだと?そんな訳がなかろうが。全く、何を的外れな妄言を垂れ流してるんだかな。お門違いもいいところだ、馬鹿馬鹿しい。勘違いするなよネコ」

 ツンデレとは即ち源忠勝の肩書きである。幼少の折から既に完膚なきまでに完成し尽くされたツンとデレの絶妙なる黄金比、あれこそが唯一無二の“本物”なのだ。かの究極的絶対存在を眼前に人生を過ごしてきたこの俺が――どうしておこがましくもツンデレを名乗れようか、いや名乗れはしない。

「くふふ。私、ご主人のそういうところは結構好きだよ。客観的な自己診断ってホントに難しいもんね。うん――やっぱり、私とご主人は似た者同士だ」

 くすくす、と可笑しそうな声を漏らしながら、ねねは身体を起こした。そのまま貯水槽の縁に足を掛けると、一瞬の躊躇いもなく跳躍する。小柄な身体が青天の下に翻り、数秒の滞空を経てから、眼下に広がる屋上へと華麗に降り立った。下からこちらを見上げて、ねねは破顔しながら愉快げに口を開く。

「さぁさ、そんな所で突っ立ってないで早く降りて来なよ、ご主人。You can fly、だよ」

「無駄な流暢さを発揮してくれたところを悪いが、生憎とI cannot fly、と返させて貰おう。残念ながら俺には翼が生えてないのさ。色々な意味で軽々しくは飛べないな」

 此処から屋上との距離、目算にして約十メートル以上。例え人並み以上に身体を鍛えているとは言っても、何の意味もなく勇気を試す気にはなれそうもない高度だった。と言う訳で俺は大いなる文明の利器たる梯子を伝って一歩ずつ高度を下げ、安全の内に屋上へと降り立った。

 俺がそうこうしている間に、ねねは場所を移していた。屋上を囲うように張り巡らされた転落防止用のフェンスへと前屈みに凭れ掛かって、遠くの景色を見遣っている。こちらに背を向けているので、顔は見えない。本当に景色を見ているのか、俺には判らない。ただ――その背中は、何時にも増して、小さかった。

「……」

 ああ、全く以って仰る通り、俺とお前は滑稽な程に似た者同士だ。辛さを誤魔化そうと無駄口を叩き、苦し紛れの嘘を吐く。そうする他に、心身を焦がす痛みに耐える方法を知らない。それは、あらゆる懊悩を独りで抱え込み続けてきた人間が必然として到る、どうしようもない悪癖だ。何よりも性質が悪いのは、自身の対応を悪癖の類だと明晰に自覚しながらも、己の意志の下ではまるで改められない事だろう。意識の根本に染み付いた在り方は、無様に歪みながらも、憎らしい程の強固さを以って定着している。それは誤魔化しようもなく逃れ得ない事実だ。

 だが――だからこそ・・・・・、俺は、お前に。

「うん。やっぱりそうだ。案の定。ご主人ってば、もう覚悟完了、しちゃったみたいだね」

「……ねね」

「目は口ほどに物を言う、ってのは正しく真理だね。多分、今のご主人の顔を見たら、私じゃなくてもある程度は分かるんじゃないかな。くふふ、自分の眼がおっかないくらいにギラギラしちゃってるの、ご主人は自覚してる?」

「してるさ。少なくともそう錯覚する事ができる程度には、自覚している」

「だろうね。……やれやれ、相も変わらず果断即決もいいところだよ。ホントにもう、参ったなぁ」

 参ったよ、と自嘲的に繰り返して、ねねは力ない笑声を漏らしながら肩を震わせた。こちらを振り向かないまま、殊更に陽気な口調で言葉を続ける。

「ま、何たったって私のご主人だもんね。一時間もあれば答えを出すには充分過ぎる、か。いつまでもグダグダ悩んでウジウジ落ち込んでるなんて、全然これっぽっちも似合わないよね。うんうん、それでこそマイマスターだ。いよっ、男の鑑だよ御大将!天下取りも夢じゃないね!」

「前々から思っていたが、何かにつけて地雷原でチキンレースするのはお互いの為に止めるべきだな……。まあ、それはともかくとして――お前の目は正しい。お前の言う通り、俺は既に決断を下した。五里霧中は過去の話、俺にはもはや惑いはない」

 何と言っても、よりにもよってかのお気楽能天気なタカビーお嬢様にまで激励されてしまったのだ。流石に延々と迷い続けている訳にもいかないだろう。その件を抜きにして考えても、事態は急を要する。いずれにせよ、悠長に思索を続けていられるような時間は俺には与えられていないのだった。故にこの決断は、俺にしてみれば何ら特別なものではなく――所詮は在るべき必然でしかない。しかし、少なくとも我が従者とってはそうではなかったのだろう。ねねは小さく溜息を吐いて、ぽつりと呟いた。

「やっぱさ。ご主人は、強いね」

「そうか?」

「強いよ。羨ましいを通り越して妬ましい位にね。だってご主人、諦めてる訳でも誤魔化してる訳でも投げ出してる訳でも逃げ出してる訳でもなくて……割り切ってる、でしょ?そんなの、どう考えたって弱っちい人間には出来っこないさ。ましてや――ランの事なんだ。何年も何年もずっと一緒に暮らしてきた家族のこと。そんなシリアスな問題を前に、こんなに早く明瞭な答が出せるなんて、私だったら到底無理だろうね。だからやっぱり、ご主人は強いんだよ」

「ふむ。成程、そういう考え方もあるか」

 まあ個人的な見解を述べさせて貰うならば……“これ”は強さなどという概念とは何処までも程遠いのだが。しかし、俺はねねの言葉を肯定せずとも、否定もしなかった。どう足掻いたところで、真実は主観の数だけ存在するものだ。仮に全ての人間が同一の認識を共有できるなら、この世界はさぞかし平和だっただろう。それに他ならぬ俺自身、自己を冷静に客観視出来ているなどと思い上がってはいない。

 俺はねねの傍へと歩み寄り、小柄なシルエットと並ぶようにしてフェンスに背中を預けながら、おもむろに口を開いた。

「学長――川神鉄心と、話を付けた」

「……」

 決闘の直後、学長室にて交わされた遣り取りを反芻しながら、淡々と言葉を続ける。

「一日。それが俺に与えられた猶予だ。今日という日を終えれば、この一件には学園が、いや、川神院が介入してくる。そうなればもはや事態は収拾が付かなくなるだろうな。正直な所、俺には未来が視えない。何が起きるのかまるで予測不可能だ。いやはや全く、実に恐ろしい話だな」

「未知は最大の恐怖、だもんね。でもご主人、一日も待って貰えるなんて破格の待遇じゃないか。一日って事は二十四時間だよ?この事態と川神院の性質を考えれば、今すぐに動き始めても何ら不思議はないハズなのに。どんなあくどい詐術を使ったのさ」

 今回の一件、結果だけを抜き出して見れば、傷害事件、ですらない。誰一人として傷を負ってはいないのだから。しかし――マルギッテの挺身が無ければ、クリスは確実に脳天から両断されていた。川神鉄心の介入が無ければ、間違いなく明智ねねの首は胴体から離れていた。闘いの内に身を置く武人の目から見れば明白な、誤魔化しようもない灼熱の“殺意”が蘭の剣には宿っていたのだ。そして普通ならば、自らの管轄内でそのような振舞いに及んだ生徒を、川神院が看過する道理などない。

 そう、普通ならば。それはそのまま、現状の異常さを如実に示している。

「詐術とは心外な物言いだな。俺はただ、少しばかり真面目に、真剣な話をしただけだ」

 やはりと言うべきか、川神鉄心は“森谷”の名を知っていた。その狂気的な在り方と業の深さを、ある程度の領域まで知識として保有していた。もしあの翁にそれらの事前知識が無ければ、今頃は話が随分と拗れていたのは疑いない。唯一この点に限っては、相手が武の化身たる川神院総代で良かった、と自身の幸運に感謝すべきだろう。

「一日。一日、か」

 真剣な顔で思案しながら噛み締めるように呟いたねねに、俺は重々しい頷きを返した。

「そう、たったの一日だ。――だから俺は、迷ってなどいられない。誰が何と言おうが、決着は俺自身の手で付ける。最初から、それだけは心の中で定めていた。武神だろうが何だろうが、無関係な連中に余計な横槍を入れさせてたまるものかよ」

 それは遥かな昔日にて、自身に課した誓約。いわば決定事項だ。果たさぬなどと言う事は有り得ない。だからこそ、織田信長は躊躇い惑い躓き悩み逡巡しながらも、立ち止まる事だけは赦されない。この身を縛り上げこの心を駆り立てる想念に従って、俺は道を定めた。即ち――

森谷蘭をどうにかする●●●●●●●●●●のは、俺だけの役目だ。誰かに譲る気は毛頭ない。ただ、それだけの事さ」

 森谷蘭の狂乱に対して何かしらの責を負うべき人間が居るとすれば、それはこの俺に他ならないのだから。返り血であれ己の血であれ、浴びるのは俺一人で充分だった。どの道もう既に、この両手は清々しい程に血塗れだ。今更、汚す事を厭う理由は無い。

「だからな、お前は―――」

「はいは~いミニストップ。今からご主人が言おうとしてるコト、当ててみせよっか」

 奇妙に朗らかな声が、俺の言葉を遮った。彼方の景色を眺めていたねねがこちらに向き直り、覗き込むようにして俺を見つめる。その表情は、どこか苦笑しているように見えた。

「『これは俺の戦だ。無理を推してまでお前が関わる必要はない。ふん、言っておくが別に色々と悩んでそうなお前を心配してる訳じゃないから勘違いするなよ、本調子じゃない奴に足を引っ張られても迷惑だからな』」

 …………。

「……似てないな」

「と言われてもねぇ。ご主人の深淵から響くテラーヴォイスなんて麗らかな乙女たる私には逆立ちしても真似できないってば。と言うかさ、別にモノマネしてる訳じゃないんだから声なんてどうでもいいよ。私としては、ご主人になりきって考え出した内容の方にコメントして欲しいね」

「はっ、そっちに関しても感想は同じだ、全く以って似てない。お前の俺への理解度はそんなものか?」
 
 確かに“織田信長”のキャラは時と場合によってその手の発言をするが、それはあくまで必要性に駆られた演技の結果だ。素の俺がそんなツンデレの典型の如きセリフを吐く訳がないだろうに、何を勘違いしているのだろうかこやつは。

 生憎と俺は、そこまで甘くもなければ優しくもない。平然とした顔で何もかもを背負い、抱え込めるような、そんなご大層な人間である筈は、ない。

「俺が言いたかったのはな、ネコ。“退くも進むも自らの意志で決めろ”――ただそれだけさ。俺は何も強制しない。俺は何も推奨しない。判断の一切合財をお前の意思に委ね、任せる」

「任せる……」

「好きにしろ。お前が望んだ“自由”ってのは、そういう事だろう?」

「……あはは。容赦ないなぁ、ご主人」

 俺の投げ掛けた言葉に対し、ねねは仕方無さそうに笑って見せた。

 自由とは、誰にも強制されないこと。即ち、誰も、強制してくれないこと。

 他者の判断に身を任せるのではなく、常に自らの意志で道を切り拓いていく。先の見えない暗闇へと、自分自身の勇気を標に一歩を踏み出す。他者に支配される事がどうしようもなく安易で甘美だからこそ、他者に支配される事を全霊で拒み続ける。反逆と独立――それが自由と云う言葉の本質だと、俺は考えている。そして恐らくは、眼前の少女もまた、同様だろう。

「それで、どうする?答えを待っていられる時間は、あまり残されちゃあいないぞ」

「待ったなし?」

「待ったなしだ」

「じゃあ、行くよ。私はご主人と一緒に行く。ご主人の、お供をする」

 即答だった。特別に気負った様子も窺わせず、殊更に軽い調子で返答を発したねねに、そうか、と頷く。

 簡潔極まりない返事の裏側で、ねねが何事かを思い悩んでいたのは間違いない。従者の心理状態を正しく把握する為にも、その思考の過程は知っておくべきだったのかもしれないが――俺は敢えてねねを問い質す事はしなかった。訊かずとも大体の所は推察できる以上、言わぬが花。知らぬが仏、と云うものだ。

「……」

 暫しの沈黙を払うかのような風が屋上を吹き抜け、穏やかに髪を揺らす。ねねは数瞬ほど眼を瞑って何事か考えていたが、おもむろに目を開いて、にへら、と不真面目な笑みを零した。

「って言うかそもそも前提として、私が行かないっていう選択肢が存在しないよね」

「ん?」

「だぁ~って、ご主人ってば肉体的に弱っち過ぎなんだもん。こう言っちゃ何だけど、任せてらんないよ。気合と根性で万事がどうにかなるほど世の中ご都合主義じゃないんだからさ。どれだけメンタル強いって言ってもさ、肝心の身体がスペランカー先生レベルじゃお話になんないよねー」

「おい」

 いくら自覚している事とはいえ、泣き所は泣き所。痛いものは痛いのだ。俺の繊細な心を悪戯に傷付けてどうしようと言うのか。全力のジト目で遺憾の意を表明する俺を気にした様子もなく、ねねはからからと笑う。

「それに加えてだよ――今のご主人、本調子からは程遠いじゃないか。例のゲルマン騎士娘が余計なことしてくれちゃったお陰でさ。ぶっちゃけ、客観的に見た限りじゃ詰んじゃってるんだよ。お手上げ侍ってヤツ。これで心配するなってのはちょっと無理な相談じゃないかな?」

「……ああ、確かに。それは、当然の懸念だな」

 未だ全身に伸し掛かる疲労感と倦怠感を改めて噛み締めながら、俺は苦笑した。ここ一時間ほどを思索と静養に割いていたため、“氣”と精神力の双方共に多少は回復しているが……やはり万全とは言い難い。これから臨む局面の困難さを思えば、何とも頼りない有様だ。例え“小道具”を使って補ったところで、どうしても不安は残るだろう。

「ってなワケで黄公覆ばりに有能なこの私がかっちりサポートしてあげるから、大船に乗ったつもりでいてモウマンタイだよ」

「どうにも火攻めで焼沈しそうな大船だな……赤壁的な意味で」

「東南の風にご注意ください、だね。さもなくば一気に焼沈しちゃって意気消沈、なんちゃって~」

「俺は時々お前を箱に詰め込んで観測を放棄したくなるよ。――まあ、それはともかくとして、だ」

 織田信長の第二の直臣、明智音子。いかに馬鹿げていてもいかに巫山戯ていても、その能力の優秀さは保証付きだ。実際に己が手足として活用してきた以上、もはや疑う余地などある筈もない。俺はねねを真正面から見据えて、心底からの言葉を紡いだ。

「お前が居れば心強い。頼りにしてるぞ、ねね・・

「……。……はぁぁ、ご主人はさ。なんというか、卑怯だよね」

 乱世の奸雄も目じゃないくらいに外道で卑劣極まりない鬼畜生だよまったくもう、などと謎の悪態をひとしきり吐いてから、ねねは空を仰いで嘆息した。いまいち意味が判然としない上に、冷静に考えると不敬極まりないリアクションである。ここは主君兼先輩兼飼い主として叱ってやるのが正しい対応なのだろうか、と思考していたところ、ねねは諦めたような顔でもう一つ溜息を落として、ベンチにごろりと寝転がった。

「う~ん。なんかもう色々と面倒になってきたし、お日様は温かいし、春風が気持ちいいし。私、このまま寝てていいかなぁ?」

「ここからプールに放り込んで欲しければ好きにすればいいと思うぞ」

「それは凶悪な殺人予告だよご主人。何といっても私は水深一メートルのプールで溺れられる特殊技能の持ち主なんだから」

「むしろその方法を教えて欲しくなるな……」

「実はね、私の夢は――素潜りでお魚さんを捕まえるコトなんだ」

「人の夢を笑わないのが俺のモットーではあるがな……。とりあえず恩師との再会はどうした」

「夢ってものは幾つあってもいいと私は思うんだ。夢溢れる人生、素晴らしいじゃないか」

「いや、一つに絞らなければそれだけ実現の可能性が低くなるだろうが。常識的に考えて」

「やれやれ、“常識”だってさ。ヤダヤダ、ま~た詰まらないこと言っちゃって。つくづくご主人って夢の無い男だねぇ」

「ハハハこやつめ」

 上手いこと言ったつもりか貴様。

 というか、冷静に考えれば、こんな風に普段同様のグダグダした会話を交わしている場合ではない。悠長な思索に充てる時間は既に終わりを迎え、今は即ち行動の時なのだ。先ほどの大蛇の報告内容を考慮すれば、さほどの猶予は残されていない。無粋な連中に“横取り”されるよりも先に、俺自身がターゲットの下へと赴かなければならないのだから。未だ残された最後の根回しは電話一本で済ませられるものでもなし、そちらに充てる時間も考慮しなければなるまい。

「と言う訳だ、ネコ。気分転換が終わったなら、さっさと――」

「おっと、またまたミニストップだよん、ご主人。お客さまだ」

「……何?」

「気配が二つほど、現在進行形でこっちに来てる。猫を被り直すなら今の内だよ~」

 寝転がったまま放たれた、腹立たしいほどに呑気なねねの忠言を受けて、俺は素早く居住まいを正した。完璧な無表情の仮面を被り、総身に凶悪な圧迫感を漂わせ、屋上内の空気を震撼せしめ、そして無言のまま傍のベンチを下から蹴り上げ、未だに横になっていた莫迦従者を起立させる。

 授業真っ最中のこのタイミングで屋上を訪れるという事は、まず間違いなく俺への来客だろう。無関係な不良学生が迷い込む事も有り得なくはないが、まあ今回は無視していい程度の可能性だ。となると、さて、果たして何者なのか。

 数秒後に屋上のドアが豪快に押し開かれる事で、俺はその答えを知った。

「フハハハ、やはりここにいたか!流石に気配探知はお手のものであるな、あずみよ」

「お褒めに預かり光栄でございます英雄さまぁぁあああっ!」

 無駄に喧しい遣り取りを交わしながら屋上広場に足を踏み入れたのは、金色スーツにメイド服という、もはや名を出すまでもなく個人を特定可能な男女二人組。このイロモノ主従の突き抜けたハイテンションにはもはや慣れたものだが、しかしシリアスな会話を交わしている場面にまでこうして乱入されてみると、やはり何と言うか微妙な気分である。そんな俺の心境を汲み取ってくれた訳でもないだろうが、こちらに歩み寄ってくる男――九鬼英雄の表情は、常日頃と比べて幾らか真剣な色を宿しているように思えた。さて、その意味をいかに解釈すべきなのか。

 数秒の後、屋上の中央付近にて、向かい合う。明け透けに過ぎて逆に感情を読み取れない、そんな双眸を冷たく見返して、俺は嘲るように口元を歪めた。

「何用だ?散歩なら他を当たるが良かろう。見ての通り、此処には先約がある」

「知れた事を。我はお前に用があるのだ、ノブナガよ」

「くく。学年の範となるべきSクラスの委員長が、態々授業を抜け出す程の所用か」

「フハハ、自惚れるでないわ!そんな訳はあるまい。世界の九鬼たる我はこれより極東会議へ出席せねばならんのだ。ゆえに早退して支部へ足を伸ばす前に、こうして立ち寄っただけよ」

「ふん。然様か」

 九鬼財閥の御曹司は既に政界進出の一歩を踏み出しているらしい。成程、かの有名な“怪物”こと九鬼帝は後継者の育成に手を抜くつもりはないようである。何とも言えず野心を擽られる話ではあるが、まあそれはそれとして――予想通りと言うか何と言うか、やはり俺に何かしらの用件があるらしい。

 しかし、このタイミングでの“所用”、か。それはまあ、何とも。無言のままにその内容を勘繰っていると、「あずみ」と英雄は短く己が従者の名を呼んだ。声に応え、英雄の後ろに慎ましく控えていたメイドが動きを見せる。

「こんにちはっ!いいお天気ですね☆」

「……」

 戦慄の朗らかさで声を発しながら俺の前へと歩み出た忍足あずみは、ニコリと不気味な笑顔を浮かべてこちらを凝視している。本人としては愛想を取り繕っているつもりなのかもしれないが、俺にしてみれば肉食獣の威嚇の表情にしか見えず空恐ろしい。

 まさか蘭不在の隙を狙って暗殺を試みる気じゃなかろうな、とつい殺気を放出しながら身構えていると、あずみは「さてさて」と前置きを入れてから、笑顔のままに言葉を続けた。

「九鬼従者部隊序列一位、忍足あずみ――英雄さまの命により、あなたに助太刀させて頂きますっ☆」












 まず最初に。気付けば更新がとんでもなく遅れてしまっていた事をお詫びさせて頂きます。ここ最近、とにかく時間が取れなかったり軽くスランプ入ってたりで中々思うように続きを書けませんでした。と言っても現状では特に事態が改善した訳ではないのですが、少なくとも話のキリの良い所までは可能な限り早く書き進めたいと思います。目標は読者の皆さんに前話のあらすじを記憶しておいて頂ける程度の更新速度。

 また、感想欄を拝見した所、信長主従の年齢設定についてご尤もな突っ込みが入っていた件について。
 これは原作が原作と言う事で、登場人物全員十八歳以上だしまあ取り敢えず主人公も十八歳にしとくかー、くらいの適当過ぎる考えで作者が年齢を設定してしまった事が原因です。今になって冷静に考えるとそれは幾ら何でもあんまりなので、作品全体を見直し、年齢について触れている部分を以下の設定で逐一修正する事にしました。

 信長 …… 十七歳。四月生まれ。
 蘭 …… 十七歳。四月生まれ。
 ネコ …… 十五歳。二月生まれ。

 しかし改めて読み返すと、ネコが話によって十五歳だったり十六歳だったり、とにかく色々と(主に作者の脳が)不安定だったという嫌な現実に気付かされますね。或いはまだ修正し切れていない部分もあるかもしれないので、もし気付いた方がいらっしゃったら報告頂けると幸いです。それでは、次回の更新で。


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