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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] 鬼哭の剣、前編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:4af32fda 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/02/15 01:46
『わたしは貴女であなたは私。さあ――共に、往きましょう?』







 







 燃え盛るような闘気が空気を伝い、容赦ない苛烈さで肌を灼く。その一方で背筋には冷たい汗が伝い、緊張に全身の筋肉が強張るのを自覚する。

 仮に野生動物が心というものを持ち合わせているならば、肉食獣の狩場に迷い込んだ草食獣が抱く感情とは恐らくこのような感じなのだろう。つまりは、生きた心地がしない。

「まったく。今更ながら、とんでもない貧乏籤を引かされた気がするね。嫌になっちゃうよホント。この闘いが終わったら私、待遇向上のストライキを起こすんだ……」

 必要以上に張り詰めた精神の糸を解すべく、殊更に軽い調子で溜息混じりのぼやきを吐き出す。勿論、いくら嘆いてみたところで目の前の現実が変わる事など有り得ないワケで、要するにこれは単なる愚痴だ。愚痴ほど生産性に欠け、加えて鬱陶しいものはない――とは世間一般の認識であるが、私の場合、舌を動かすという行為によって精神の安定を図っているという側面があるので、一概に無意味とは言い切れない。

「お喋りは終わりか?ふっ、ならば覚悟を決める事です。白旗を揚げる猶予をやったと言うのに、愚かと言う他ない」

 そんな私の戯言であわよくば気勢が削がれてくれればいい、という秘かな目論見も虚しく、肌を突き刺す鋭利な闘気は増加の一途を辿るばかりであった。やれやれ、と小さく首を振って、私は眼前に立つ戦士を見遣る。

 兵器の鉄を思わせる黒一色の軍服に、飛散する鮮血を連想させる赤の長髪。あたかも軍隊と云う名の武力を象徴しているかのような立ち姿は、周囲一体を覆う程の戦気と殺気を帯びて、いよいよその存在の纏うイメージを一個兵器たらしめている。平穏な日本国に生まれ、戦争という概念に関わる事無く人生を過ごしてきた私ですら、“これ”を前にしているだけで、硝煙と血煙の織り成す戦場風景を幻視させられる。

 ドイツ連邦軍特務部隊隊長、マルギッテ・エーベルバッハ少尉。通称“猟犬”――世界の戦場で死神の如く畏れられる最凶の軍用犬。それが、私こと明智ねねが今現在、暗澹たる気分と共に対峙している相手だ。その肩書きと前評判に恥じないだけの技量と実力は初見の時点で十分に窺い知る事が出来たのだが、しかし“それ”とて彼女の全力とは程遠いものなのだと、私は既に思い知らされていた。決闘開始の直前、彼女が自身の左眼を覆う黒の眼帯を剥ぎ取った瞬間、全身より放つ闘気の総量が跳ね上がったのである。加えて言うなら、眼帯の下より覗かせた真紅の瞳は獰猛な戦意で爛々と輝いており、その機能に何の障害も負っていない事は明白だった。つまり彼女の隻眼とは即ち、自らに課した枷、ハンディキャップの類でしかなかったのだろう。何とも、思わず泣けてくるほどに素敵な話だった。

「何だかなぁ。眼帯取ってパワーアップとか笑っちゃうくらいにお約束な展開だけどさ、こうしてリアルでやられると真剣で堪ったモンじゃあないね。仮に相手への精神的ダメージを狙っての作戦だとしたら、とっても優秀だよその手法。私が保証しちゃうね」

「ふっ、本来ならばお前のような仔ウサギには、わざわざ全力を用いるまでもないと知りなさい。だが、現在は非常事態。一刻一秒でも早く自身の任を全うし、クリスお嬢様の身をお守りする事に専念しなければなりません。優れた人類である私の本気を体感できる幸運に感謝し……そして、殊勝に狩られるといいッ!!」

 満足に覚悟を決める暇も無い。マルギッテの軍靴がグラウンドの砂を蹴り上げ、同時にその姿がブレる。まずい、と頭が警鐘を鳴らすよりも先に、本能が身体を突き動かしていた。マルギッテの初動とほぼ同時に、私は後方へと跳び退る。そして、

「Hasen――Jagd!」

 爆音が轟いた。

 まるでダイナマイトでも炸裂したかのような衝撃。グラウンドを襲う激震と同時に、巻き上げられた多量の砂埃が宙を舞い、土塊が音を立てて降り注ぐ。

「……あははっ。……ハァ……冗談キツイなぁ、もう」

 濛々と立ち込める砂煙が晴れ、視界がクリーンになった時――私の背筋を走り抜けたのは、抑え様の無い戦慄。つい一秒前まで私が立っていた地点には、一つの小規模なクレーターが出来上がっていた。一瞬の内にそれを作り上げたのは、飛来した小隕石の欠片などではなく、人間の手による打撃だ。人外の域に到達した武人のみが振るい得る、一般常識を遥かに超越した膂力の産物だった。マルギッテは地面の凹部分にめり込んだ己の得物をゆっくりと引き抜くと、ニヤリと口元を歪めてこちらを見遣った。まるで追い詰めるべき獲物の活きの良さを喜ぶかのような、どこまでも獰猛な捕食者の笑み。

「ふっ、よく避けたものだ。褒めてあげましょう、光栄に思いなさい。野ウサギは野ウサギでも、逃げ足だけは確かな様だ」

 マルギッテは両手に携えた得物――トンファーをクルクルと器用に回転させながら、悠々と嘯く。自身の絶対強者たる事実を確信している者に特有の、余裕に満ち溢れた態度だった。余人ならば傲慢と謗られても不思議はないその姿勢に、しかし果たして誰が文句を付けられるだろうか。

 彼女は強い。恐らくは私が人生の中で相対した武人達の中でも、一番。例え私が誰より尊敬する師匠でも、正攻法で闘えば、彼女には及ばないだろう。紛れもなく世界有数の闘士――未だ鳥篭から解き放たれたばかりの雛鳥に過ぎない私が競うには、少しばかり荷が重い相手と言わざるを得ない。

「逃げ惑う獲物を追い詰め、自らの手で狩るのは、他の何事よりも血の躍る娯楽ですが……今回ばかりは、狩りを愉しむ気はない。無用に甚振らず、一息に沈めてあげましょう。大人しく覚悟を決めるといい」

 自身の実力に絶対の信頼を置くマルギッテは、最初から私の事など眼中にないのだろう。彼女の双眸は敵として相対する私ではなく、隣り合うもう一つの戦場へと向けられていた。森谷蘭とクリスティアーネ・フリードリヒが繰り広げる剣撃――刃と刃の奏でる音色は私達の元まで届いており、その勝負の経過を知らせてくれる。

 不意打ち上等騙し討ち万歳、夜討ち朝駆け奇襲戦法大好物という、我ながら派手に性格ひん曲がった私であるが、それでも武人としてのプライドはある。尊敬する師匠の下に学び、鍛と練を以って積み上げてきた自身の武には少なからず誇りを抱いているし、それをかくも堂々と見下されるのは気に入らない。それはもう弱味を握って社会的に破滅させてやりたい程度には気に入らないが、しかし同時にマルギッテがあちらの闘いへの気配りを優先したくなる気持ちも理解できる。それほどまでに、今の彼女――私の先輩従者たる森谷蘭は、異常な状態にあった。

『フリードリヒさんは私が引き受けます。ねねさんはエーベルバッハさんの足止めを。打倒を望まずとも、撹乱にて少々の時間を稼いで頂ければ、その間に私が自身の敵手を仕留め、加勢に向かえるでしょう』

 脳裏に蘇るのは、決闘前のブリーフィングでの蘭の様子だ。その語り口に淀みはなく、頼もしさを覚える程に冷静沈着だった。ただ――其処には決定的に、“感情”という要素が欠けていた。普段の頭に花が咲いているような馬鹿っぽさも、困ったような笑顔の温かさも無い。全てを置き去りにした空虚さだけが冷たく横たわる、能面のような無表情。私はかつて、“それ”と似た表情を幾度か目撃した事がある。

『ねねさん。貴女には、大切なものがありますか?』

 ご主人の傘下に収まる際、私は蘭にそんな問い掛けをされた。その時に彼女が垣間見せた雰囲気の変貌は、現在の彼女の状態と少なからず似通っている。確かに似通っているが――全くの同じ、ではない。あの時よりも更に、蘭の纏う空気は破滅的な虚無へと近付いているように思えてならない。

 ご主人の口から聞かされた話の内容と併せて、現在の事態に対する推測を組み立てるとするならば。恐らく、蘭は。

 …………。

 何にせよ、今の蘭を放置しておくのは危険だ。ご主人もまた同様に判断したからこそ、私に決闘への介入を望んだ。仮に蘭が私達の予想を超える“何か”をやらかそうとした際に、それを抑えられる人員が不可欠だったのだ。である以上、織田信長の手足として、果たすべき役割はしっかりと果たさなければならないだろう。彼の信頼を裏切って失望されるのは絶対に嫌だ。彼は嘘吐きで自分勝手な私の本性を知って、それでも何ら躊躇うことなく、私を信じると言ってくれた。優秀な従者だと、大切な家族だと言ってくれた。だから私は、どんな犠牲を払ってでも、その期待には必ず応えてみせる。

 その為にも――私は負ける訳にはいかない。マルギッテ・エーベルバッハと云う目の前の壁がどれほど高いものであれ、必ず乗り越えてやる。

「さ~って、と。理由は十分、気合も十分。ホントは泥臭いのは嫌だし面倒なのも御免だけど……ここは一丁、本気でやろうかな」

 相方たる蘭からは回避に専念して時間を稼ぐように言われているが、生憎とそういうワケにはいかないのだ。私とご主人の目的を果たす為に必要な要素は、時間稼ぎの対極、すなわち早期決着なのだから。狙いは敵手たるマルギッテと同じく、一刻一秒でも早く目の前の相手を排除し、パートナーのフォローに向かう事。ならば、小賢しく逃げ回るという手段は却下せざるを得ない。そして、私とマルギッテの実力差を考慮すれば、真正面からの戦闘では勝機は薄いだろう。ならば―――

 ……よし、一通りの思考は纏った。行動指針も、目的実現の為の手段も明確に定まった以上、後は行動に移すだけ。勿論、言うまでもなくそれが一番の大仕事なのだが。

 余計な雑念を全て振り払い、神経を研ぎ澄まして戦に臨む。静かな覚悟と共に、私は牙を剥いた。

「窮鼠猫を噛む、ってね。私的には鼠をイジめる猫ポジションの方が全然しっくり来るんだけど、いいさ、たまにはネズミ役も悪くない。さぁさ――頑張って捕まえてごらんよ、猟犬さん!」










 二分。

 それは、クリスティアーネ・フリードリヒと森谷蘭の両者が相対してから経過した時間だ。

 数度の激突と剣戟を経て―――戦線は現在、膠着状態にあった。

 両者の間合いは、約四メートル。クリスは己が得物たるレイピアを構え、瞬きすらも惜しいとばかりに、相対する敵手の姿を碧眼に映し込んでいる。全身の筋肉は張り詰め、僅かな隙を見出せば即座に飛び出す事が可能だ。弾丸の如く突き進み、瞬時に勝負を決する刺突へと繋げられる。その為の下準備は、既に出来ている。

 だが――引き金は、未だ引かれない。勝機を見出すに足るだけの“隙”が、眼前の敵手には無い。

 青眼に構えられた二尺五寸の刃が、冷厳な煌きを帯びてクリスの心身を圧する。この痛い程に緊迫した空気の中では、呼吸すらも躊躇われた。滲む汗が頬を伝い、滴となって顎より落ちる。ぽたぽたと絶え間なく滴り落ちる水分を、グラウンドの砂が貪欲に飲み込んでいく。

 クリスは掌に滲む汗を自覚し、滑りを防ぐ為にレイピアの柄を握り直した。相手の全身を注意深く観察しながら、静かな、しかし心からの感嘆の声を上げる。

「――強いな。さすがはサムライだ。迂闊に踏み込めば斬られる。それが、嫌というほど良く分かる」

 基本的にクリスはその気性の示す通り、攻め手を得意とする武人だ。レイピアという得物を選んだのも、“貫き通す”という一点に意義を集約されたその在り方が、自身の性格と合致していると感じたが故であった。突撃し、突破する。そのシンプルなスタイルこそが、クリスにとっての必勝法。

 だが、今回の相手には、それが通用しない。無謀な突貫を試みれば――確実に反撃の一閃にて斬って捨てられる。決闘開始直後に繰り広げた数度の交錯において、クリスはその事実を痛感していた。蘭という武人の剣は、迅い。太刀筋に派手な飾りがなく、ひたすらに実直で、それ故に凡百の武人を遥かに置き去りにした剣速を以って大気を斬り裂く。クリスが“突き”の鍛錬を幾千幾万と繰り返し、自身の最大の武器と成したのと同様に、恐らくは蘭もまた、果てしない鍛錬を積み重ねて“一閃”を得るに至ったのだろう。

 武の性質の似通った二人。振るう得物の種類を除き、明瞭に異なる点があるとすれば――クリスが攻めを得意とするのとは対称的に、蘭は守りこそを得手とする武人であるらしい、という所だ。彼女は自分から積極的に攻め掛かる事をしない。ひたすら冷徹な眼差しでクリスの一挙一動を追い、その癖を読み取る事に集中している。地に根を張ったように動かず、あくまで冷静沈着たる姿勢で太刀をクリスに向ける姿は、万人の侵入を拒む鉄壁の城砦を思わせた。生半可な防御であれば、得意の突撃によって問答無用で打ち砕く自信がある。だが、蘭の間合いの内側へと無策のままに突っ込めば、まず間違いなく痛打を浴びる羽目になるだろう。一瞬で勝負を決められても何ら不思議ではない。そう判断したが故にクリスは攻めあぐね、蘭はカウンターを虎視眈々と狙っている。そうして生じたのが、現在の息詰まるような膠着状態であった。

「やはり、日本に来て良かった。自分と同年代にここまでの使い手がいるとは、故国に居たままでは知る事も出来なかった。本当に、世界は広いな」

 実際、日本を訪れるまで、クリスは自分の実力に少なからぬ自信を持っていたのだ。ドイツの学友達にクリスに及ぶ腕の持ち主は誰一人としていなかったし、フェンシング競技の大会で優勝を飾るのもさほど難しい事ではなかった。身近な人間で「及ばない」と思わされたのは姉代わりのマルギッテだけで、彼女の精強な部下達も、少なくとも訓練形式の戦闘においては誰一人として、クリスに土を付けられなかった。そうした事情もあって、川神学園における“最強”――は不可能だとしても、それに次ぐ程度の実力は有しているだろう、とクリスは自負していた。

 だが、実態はどうだ。武士の集う学園だけあって、全体のレベルが凄まじく高い。世界的に有名な川神百代は言うに及ばず、無名ながらも優れた実力を有する武人が数多く在籍している。織田信長を名乗る――いや、織田信長というあの男子生徒はその筆頭と言えるだろう。人格や思想はさておきその能力は、確実に世界に名を轟かせる武人のソレだと一目で判別する事が出来た。他に例を挙げるならば、同じ2-Fの川神一子も、クリスと実力的には決定的な差がある訳ではなかった。前回の決闘では白星を得たが、気を抜けばいつ追いつかれても不思議ではない。

 そして、刃を携え眼前に立ち塞がる森谷蘭という少女もまた、紛れもない強者だ。彼女が武に対して真摯に向き合ってきた事は、その真っ直ぐな太刀筋からも窺える。それだけに――クリスには、分からない。

「ラン、だったな。お前の腕前は本当に見事だと、そう思う。だが……どうしてお前は、その武を義の為に振るおうとしないんだ!あんな悪党に忠節を尽くし、走狗となって働いてどうする?剣が泣くというものだぞ」

 織田信長という男の振舞いは、クリスにとって到底容認できるものではなかった。クラスメートから伝え聞いた話だけでも十分以上に極悪非道だと言うのに、あのように暴虐を振り翳す現場を実際に目撃した以上、もはや一秒たりとも捨て置く事など出来はしない。だからこそクリスはこうして剣を取り、信長に手袋を叩き付けたのだ。力を以って弱者を蹂躙する輩は、明確な“悪”。そしてあらゆる武は、許されざる悪を断ち、弱者を救う為に在るべきだ――それがクリスの思考だった。

 だからこそ、“悪”に忠誠を誓い刃を振るう少女の、その価値観を理解出来ない。或いは納得出来ない、と言うべきかもしれない。それ故に投げ掛けた疑問の言葉に対して、

「…………」

 蘭は沈黙で応えた。剣先を真っ直ぐにクリスへと向けたまま、眉一つ動かす事無く、静寂の内に凛と構えを取り続けている。あたかも存在そのものが一本の刃と化したかの如き錯覚を見る者に抱かせる立ち姿は、クリスの思い描いていた“サムライ”の姿と重なるものだった。その事実が、更にクリスを戸惑わせる。武士とは、武士道とは、断固として悪とは相容れぬものでなければならないのだ。

「お前は間違っている。暴力で人々を虐げ、苦しめる輩に、剣を握る資格はない!悪の手先であり続けるなら、お前の名もまた悪名として世に広まるだろう。武士の末裔ならば、家名に傷を付ける事は“考”すらも蔑ろにする行いじゃないか。お前は両親や先祖の名に泥を塗って平気なのか?」

「……」

「今は好き放題に振舞えていても、いつかは惨めな末路を迎える事になるぞ。悪は義の前に滅び去ると決まっているんだからな。正義は勝つんだ、必ずな!」

 尚も、沈黙。蘭は欠片の感情も覗かせない無表情で、冷徹にクリスを見据えている。そもそもクリスの言葉が耳に届いているのか、それすらも判然としない程に徹底した無反応だった。これでは会話の成立する余地はない、とクリスが見切りを付けようとした時――蘭の唇が僅かに動きを見せた。聞き取れない小声で、何かを呟いている様子だった。その声量は徐々に増してゆき、クリスに言葉の内容を伝え始める。

「――して、どうして、どうして、貴女を見ていると、どうしてこんなに落ち着かないのでしょうか。どうして、こんな、こんな、心がざわめいて、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い――どうして」

「っ!?」

 途端に、冷たい感覚が背筋を滑り落ちた。譫言のような呟きの不気味さと、そして何より――蘭の表情が、クリスの胸中に拭い難い戦慄を走らせた。

 其処には、何も無かった。空っぽの虚無だけが、顔面に貼り付いていた。瞳はクリスの方向を向いているが、この世に在るモノを何一つとして映していない。現世に息づく生者であるとは到底思えない程に、彼女の纏う雰囲気は異様だった。怒りも悲しみも希望も絶望も意志も思想も絶無の、真っ黒な伽藍洞。己の理解を超えた“化生”を前に、クリスは恐怖を覚える。信長に叩き付けられた殺意による、根源的な恐怖とは種を異にする――薄気味悪さと嫌悪感の混在した生理的な恐怖が、心身を縛り付けた。

 そして。

「どうして、どうしてなのか、分かりません。でも、ですが、ああ、嗚呼、関係、そう、関係ない。何も関係なんてないんです。だって、何故なら私は、私は――」

 空虚な瞳の奥に、一欠片の感情が宿る。その事実が指し示す意味に気付いた者は、誰も居なかった。












「――くっ、ちょこまかと……!往生際の悪い野ウサギだ、観念して狩られなさい!」

「全力でお断りするよ!はぁ、ここで倒れたら、はぁ、世にもおっかないご主人にめくるめくお仕置きされちゃうからね!」

 決闘の開始から、三分と四十秒。マルギッテ・エーベルバッハが本格的な攻勢に出始めてから約三分――私は未だに健在だった。掠り傷の一つすらもこの身には負っていない。だからと言って私が余裕で相手を圧倒しているかというと、勿論そういうワケでもなく。現状を端的に説明するならば、既に私は限界ギリギリまで追い詰められていた。

 マルギッテの繰り出す攻撃は、最初に地面を砕いた一撃からも窺える様に、凄まじいまでの“重さ”を誇る。それでいてパワータイプ特有の鈍重さは欠片もなく、雌豹を思わせる俊敏かつ柔軟な身体捌きによるスピードを兼ね備え、更にトンファーという使用武器の特性を考慮すれば、恐らくはディフェンスにも長じていると考えるのが自然だろう。流石に世界に名を売る武人だけあって、紛れもない“本物”だ。間違いなく、格上。私が彼女の苛烈極まる猛攻を前にここまで倒れずにいられたのは――“回避に専念している”からに他ならなかった。攻撃も反撃も防御も、ついでに体面も外聞も一切考えない、まさしくネズミの如き必死さで狩人の猛追から逃げ回ってきたからこそ、今の所は敗北の運命から逃れられている。つまるところ、今の私は、当初の蘭との打ち合わせに沿う形で闘いに臨んでいると言えるだろう。

「はぁ、はぁ、……くぅ、かの貂蝉女史も顔負けなレベルでエレガントな私が、こんなみっともない姿を衆目に晒すなんて屈辱的だね。ああもう、これで1-Sの顔の威厳はガタ落ちだよ全く!」

「ふっ、無用な心配です。どうせすぐに、今よりも惨めな姿を晒す事になる。確かにお前の逃げ足は見事だ。だが、優秀な私にいつまでも通用する道理はないと知りなさい」

「…………」

 大いに反論してやりたいところだが、残念ながらそれは不可能だ。マルギッテの言葉は正鵠を射ていた。文字通りの全身全霊を費やした紙一重の回避行動は、恐ろしいペースで私の体力を奪っていく。人間が全力で動き続けられる時間が限られている以上、いつまでもこんな綱渡りを続けられるワケがない。加えて、マルギッテは歴戦の闘士――鍛え抜かれた観察眼は、私の一挙一動から様々な情報を常に読み取っている。その証拠として、間違いなく彼女の攻めは三分前の時点と較べて、より的確に私を捕捉しつつあった。今の所は掠る程度の被害で済んでいるが、完全に捕捉されるまでにさほどの時間は掛かるまい。つまるところ、時間が過ぎれば過ぎる程に、私は着実に追い詰められていくという事だ。

 否、現状を鑑みれば、既に追い詰められた、と形容するのが正しいのだろう。次の攻勢をこれまで同様に無傷で捌き切る自信は、私には無い。そしてマルギッテの圧倒的な攻撃力と私の脆弱な防御力から考えて、まず間違いなく一撃でも被弾した時点で私の敗北は確定する。まさしく袋の鼠と表現するに相応しい、果てしなく絶望的な事態だった。百人中の百人がそう判断し、明智音子の敗北を断言するだろう。己の勝利を確信し、優越の色を隠そうともせず表情に出しているマルギッテと同様に。

―――だからこそ。私のような“弱者”は、其処に一片の勝機を見出し得るのだ。

 さあ、死中に活を求めてみるとしよう。“逃げ”はここまで。既に打ち終えた布石を活用して――盤面を引っ繰り返す時だ。

 私はニヤリと口元を吊り上げて、絶対強者を称する紅の狩人に視線を合わせる。訝しむようにその眉が顰められた瞬間、私は大地を蹴り上げた。後ろへ、ではなく。狩人の待ち受ける、前方へと。

「なっ……!?」

 想定していなかった事態なのか、マルギッテの口からは驚愕の声が漏れた。まあ当然だ、これまで逃げの一点張りだった相手が、一転して真っ直ぐに突貫してくれば誰でも驚くだろう。意表を衝かれた事による戸惑いが一瞬の隙を生む。第一の布石が正常に機能した事を確認しながら、彼女との間に隔たる四メートルの距離を一気に詰める。この時点で衝撃から立ち直ったマルギッテは、トンファーを油断なく構えて迎撃の姿勢を取っていた。馬鹿正直に突っ込めばカウンターを叩き込まれてKOだろう。ならばどうする?

「とうっ!」

 近寄らなければ良いだけの話だ。私は正面1メートルの地点でブレーキを掛け――同時に右足の爪先を足元の地面へと蹴り込んだ。グラウンドの砂が猛烈な勢いで巻き上がり、黄土色の砂塵がマルギッテの視界を奪う。

「っ!目晦ましか、こんなもので――!」

 勿論、この程度の小細工が百戦錬磨の軍人に通用するとは思っていない。故に、これはあくまで第一手。私は砂を蹴り上げた時点で、間髪を入れず“自身の衣服”に手を掛けていた。あらかじめフロントボタンを全て開けておき、軽く羽織っているだけの状態にあったロングコートは、脱ぎ捨てるのに僅か一秒と要さない。その一秒を稼ぐ為の砂煙だ。

 ごめん師匠、せっかくのプレゼント、ちょっと乱暴に扱っちゃうけど許してね。

 心中にてコートの贈り主に謝罪しながら、私はそれを――投擲した。バサリと宙に翻ったロングコートは、マルギッテの視界から私の姿を完全に覆い隠す。これが、第二手。マルギッテの漏らした僅かな動揺を感じ取りながら、私は最後の1メートルを踏み込んだ。その踏み込んだ左足を軸とし――勢いを乗せた全力の上段蹴りを布越しの相手へと叩き込む。速度も重さも申し分ない、痛烈な蹴撃。

 これで勝負を決められなければ、その時は。
 
「――――ッ!!」

 振り抜いた右脚が捉えたのは、硬質な感触。

 肉の感触ではない。骨、でもない。

 違う、これは、もっと非生物的な――

「っ!嘘っ!?」

 トンファーで、受け止められた。その事実に気付くまでは一瞬。

 果たしていかなる理屈がそれを可能にするのかは判らないが、完全な死角から繰り出された、軌道すらも視界に映らない筈の、私の本気の蹴りを――マルギッテは己が得物で防いで見せたのだ。

 その信じ難い現実を受け入れる為に、更に一瞬。

 そして、それだけの時間があれば、名高きドイツの猟犬が反撃に転じるには十分過ぎた。

「Hasen――Jagd!!」

 烈昂の気合と共に、マルギッテが動く。咆哮の如きその声音は、勝利の確信に充ちていた。

 その根拠は明白。私は――踏み込み過ぎたのだ。此処は既に猟犬の間合い。捕殺空間の内側だ。全力のハイキックを打ち終えた直後の私が体勢を立て直し、マルギッテの射程から逃れるよりも――振り抜かれた彼女の旋昆が私の体躯を打ち据えるタイミングの方が遥かに速い。

 もはやどう足掻いても回避は不可能。脆弱な防御力故に、受け止める事も不可能。完全に、“詰み”だ。先の一撃で仕留められなかった時点で、私の敗北は決定していた。


――と。マルギッテはどうせ、そんな風に考えているのだろう。


 だが、残念ながら私のターンはまだ終了していない。私の打った最初にして最後の布石は、未だに温存されているのだから。

 視界を塞ぐロングコートを剥ぎ取りながら、マルギッテの振るった右腕がその手に握るトンファーと共に迫る。正面からまともに受ければ骨を粉砕されかねない破壊の鉄槌を前に、私は回避行動を――“取らなかった”。

 むしろ、その逆。一歩たりとも動く事無く、グラウンドの砂をしっかりと踏みしめて、顔の前で己が両腕を交差させる。それは紛れもない、防御の姿勢。虚しい抵抗で、惨めな悪足掻きだ。落下するコートの向こう側から覗いたマルギッテの口元が、その行為の愚かさを嘲笑うように歪み――そして、凍り付いた。

「な、それはっ――!?」

 直後、甲高く澄んだ音が鳴り響く。あたかもハンマーで鉄を叩いたかのような“金属音”が、時を停める。

「あははっ、“かかった”!」

 耳を打つ心地良い音色に、私は快心の笑みを漏らした。

 音の出所は、私の両腕だった。トンファーの一撃を真っ向から受け止めた“鋼鉄の腕”が、陽光を反射して鈍い煌きを放っている。それは世界最先端の技術の粋を結集して作成された最新式強化股肱――などというトンデモな代物では勿論ない。その正体は、指先から前腕部に至るまでの肌を隈なく覆う、“鋼鉄製の篭手”だった。人体保護の役割を有する強固な防具は、必倒を期したマルギッテの打撃を確かに受け止め、その衝撃のもたらす破壊力を大幅に削いだ。結果、必殺の一撃によって私の骨肉は砕かれる事無く――“その場での反撃を可能にする”。一度や二度の奇襲では実力差を埋めるに足りないと云うならば、更に重ねに重ねてとことん不意を討つまでだ。

「――貰ったよッ!!」

 この状況下における反撃を全く想定しておらず、更に勝利を確信して気を緩めた直後のマルギッテにとって、この一撃は――これ以上の出来栄えを望めない程に完璧な、最高に私好みの奇襲となるハズだ。そんな私の予想は違う事無く現実となる。すなわち、全身全霊を振り絞って繰り出した前蹴りがマルギッテの無防備な腹部を深く穿り、鈍い打撃音と共にその身体を後方へと弾き飛ばした。

「がはっ!――ぐ、うっ」

「……。……倒れない、か。流石に現役軍人さんは呆れる位に頑丈だね。やんなっちゃうよホントにさ」

 私の最高の一撃を以って内臓をまともに打ち抜いたにも関わらず、マルギッテは倒れなかった。膝を折る事すらなく、軍靴で強烈に地を踏みしめ、ギリギリと歯を食い縛って苦痛に耐えながら、怖気の走るような烈しい目で私を睨み据えている。その壮絶な気迫を前にしては、迂闊な追い討ちなど掛けられるハズもなかった。下手に間合いに踏み込もうものならば、未だ手放さないトンファーが弧を描いて襲い掛かってくる事だろう。

 なに、焦る事はない。いかに彼女の肉体が頑丈と云えども、先の一撃の手応えは確かだった。まず間違いなく、深刻なダメージを与えられた筈だ。それこそ川神百代の“瞬間回復”のような反則技を用いない限り、すぐさま癒えるような負傷ではない。既に盤面は引っ繰り返された。惨めで哀れなネズミの役回りはもう十分に堪能した事だし、ここからは対等な“闘い”の局面だ。

「ぐぅ……、やってくれるな、野ウサギめ……!ひたすら無様に逃げ回っていたのは、演技か。言動も服装も何から何まで、私の眼を欺くための罠だったとはな。随分と周到な事だ。その狡猾さには頭が下がる」

「いやあそれほどでも。キミって真剣で強いからさ、さすがに私も“本気”でやらなきゃいけなかったんだよ。弱者が強者に挑むなら、それ相応のやり方ってものがあるワケさ。形振り構ってる場合じゃない、ってね。何なら卑怯だって罵ってくれても構わないんだよ?それって私には割と嬉しい褒め言葉だからさ」

「ふっ、戦場に身を置く者にとって、“卑怯”などという言葉に何の意味もない。死ねば名誉も誇りも塵と消える。わざわざ文句を付ける謂れはないと知りなさい。――それにそもそも、そんな詰まらない負け惜しみを吐く必要などない。最後に勝利を掴むのは、この私に決まっているのだから」

 未だ力を失わない言葉と同時に、湧き立つ闘気が赤熱のオーラとなって立ち昇る。依然として戦意旺盛なマルギッテの姿に、私の口からは自然と重い溜息が漏れた。手負いの猟犬を相手にするのは可能な限り避けたかったので、是非とも一撃で沈めておきたかったのだが……まあ言っても詮の無い事だ。軽く頭を振って未練を振り払うと、私は両手を覆うガントレットの“機能”を解放した。

 折り畳まれて内部に収納されていた鉄爪が飛び出し、片方の篭手につき五本、合計して十本の爪が展開された。黒金色の篭手と一体化した鉤爪は、私の流し込んだ氣を帯びて仄かな紅色の光芒を放ち始める。

「――暗器、とはな。成程、それがお前の本来のスタイルと言う訳か」

「ま、そういう事だよ。これ、学園じゃまだまだ奥の手として取って置く心算だったんだけどね……まあ使わなきゃどうにもならなさそうだし、こればっかりは仕方ないよね。切るべきタイミングに切らないんじゃ切り札の意味なんてないんだからさ」

 ご主人が勝手に“猫の手”とか何とか呼んでいるこの特別製の篭手は、私の戦闘力を補助する為に作られた、攻防一体の武装だ。今の私に不足している能力――それは本体の防御力と、素手の攻撃力。スピードに特化したこの体躯が非常に打たれ弱いのは言わずもがな、攻撃面においても問題を抱えている。脚力を集中的に鍛えてきた弊害として、私の腕力は少しばかり未発達だ。脚と較べればリーチも短く、仮に届いたとしても強敵を相手に致命打を与えるには到らない。それらの問題を同時に解消できる武装こそがこの篭手である。オーダーメイドの一品で、可能な限り頑強さを保ちながらの軽量化を施してあるため、持ち味のスピードを大きく阻害する事はない。無論、鋼鉄製である以上、多少の影響が出るのは避けられないが――装着によって得られる利点の方が遥かに多いのだから、そこには眼を瞑るべきだろう。

 骨を蹴り砕く自慢の両脚と、肉を斬り裂く十本の爪。四肢をフルに活用した打撃と斬撃のコンビネーションで相手を葬り去る――それこそが、師匠のカポエィラに独自のアレンジを加えて編み出した、私の私による私の為の戦闘スタイル。いずれは学園内でも披露する時が来るとは思っていたが、まさか“初日”でお披露目とは驚きだ。

 ……ああ、一つ重要なメリットを挙げ忘れていた。この武装の外せない利点としては――衣服の中に仕込むのが容易である、という事。先程マルギッテが口にしたように、暗器としての運用が可能なのだ。長身の師匠から譲り受けた、サイズの合わないブカブカのロングコートは、内側に何かを隠し持つには最適の衣裳と言えるだろう。私が学園外での活動の際、常にあの古びたコートを普段着に選択していたのは、単にお気に入りの一品であるという理由だけではなく、戦闘面における実用性も考慮しての事だった。初見の相手の場合、言動や立ち回りと併せる事で大抵の相手の不意を討つ事ができる。

 それ故にこうして公衆の面前で用いるのは避けたかったのだが、まあ過ぎた事は仕方がない。考えるべきは未来だ。切り札を切ったからには、何としても目的を果たさなければ割に合うまい。

 私は両爪を軽く振って調子を確認すると、マルギッテを見据えながら口を開く。

「――猟犬さん、キミは強敵だ。私の人生の中では今のところ、最大のね。だから、私は全力でキミに挑む。あらゆる手段を尽くして抗って見せる。手負いだろうと何だろうと容赦はしないし、油断もしない。くふふ、あんまり私を舐めてる様だと、そのまま噛み殺しちゃうよ?」

「ふっ、耳が痛いな。確かに侮りが過ぎた様です。所詮は未熟な仔ウサギだと甘く見ていたが、既に牙は生え揃っていたと云う事か。良いでしょう――ならば、此処からは狩りではなく、対等な決闘。そう心得なさい、明智音子!」

 轟!と唸りを上げて、闘氣の風が巻き起こる。張り詰める空気が肌を刺し、身に伸し掛かる重圧が一気に勢力を増した。マルギッテの気迫には些かの衰えもなく、傷を負って尚、戦意は昂ぶるばかりだ。加えて、こちらを見据える紅の双眸からは、決闘開始当初の驕りと油断の色が消え失せている。文字通り、油断も隙もありはしない。こんな凶悪極まりない猛獣を相手にしなければならないとは、本当に貧乏籤もいい所だ。小さく溜息を吐いて、総ての神経を研ぎ澄ましつつ、私は慎重に構えを取る。

 私の見立てでは、先の一撃でマルギッテの被ったダメージはかなり大きい。あれほど深く爪先が臓腑に突き刺さった以上、そうそう長く全力で闘い続ける事は出来ないだろう。そしてそれは、他ならぬ私も同様だ。三分間に渡る回避行動と先程の奇襲によって、私の体力は底を尽き掛けている。猟犬に通用するレベルでのスピードを発揮出来る時間は限られていた。

 故に――どう転んでも、決着の時は近い。

 これより繰り広げられる交錯にて勝利を掴んだ方だけが、自身のパートナーの加勢に赴ける。それは、タッグマッチにおける実質上の決着を意味していた。二人を同時に相手取れるほど、両タッグの個人能力に決定的な格差は無いのだから。つまるところ、ここが私達にとっての踏ん張り所と言うワケだ。

 呼吸を整え、心身を充たす気力が全細胞を巡る感覚に浸る。そして、

「あ、一つ言い忘れてたよ。私はね、忠犬でも猟犬でもシェパードでもマルチーズでも、とにかく“犬”って生き物が大大大ッキライなんだ。見かけたら問答無用で蹴っ飛ばしてやりたくなるくらいにね。そういう訳だから――精々覚悟を決めなよ、軍人さん!」

 自身を奮い立たせる叫びと共に、両手の鉤爪を閃かせる。グラウンドの砂を蹴り上げて駆け出すべく、脚の筋肉に氣を巡らせる。

 
 そして、

 
 私達は――“それ”に気付いた。












 
 その瞬間、“何が起きた”のか、クリスには理解出来なかった。

 過程を認識する事無く、結果だけが動かせない現実としてその場に残る。

―――気付けば、レイピアの刃が、衝撃と共に半ばからへし折れていた。

 天高く弾き飛ばされた白刃が空中でくるくると回転し、数秒の滞空を経てグラウンドに突き刺さる。

 …………。

 ……何だ?何が起きた?
 
 決闘の最中、蘭が突如として鞘に太刀を収めた――その場面までは認識出来ていた。だが、それがどうして、この現状に繋がると云うのか。一瞬の内に間合いを詰められ、武器を破壊された。恐らくはそうなのだろう。しかし、問題は方法だ。一体いかなる魔技を以ってすれば、そんな芸当が可能になる?

「関係ない。関係ない関係ない、考えなくていい、だって私は、私は」

 混乱の渦中にあったクリスの意識を、不可解な呟きが現実に引き戻した。

 手を伸ばせば届く至近距離に、蘭は立っていた。抜き身の刃を手に携え、虚ろな眼を彼方へ向けながら、ぶつぶつと不明瞭な声音を漏らしている。一見して隙だらけなその姿を前に、反射的にクリスの身体が動きそうになったが――蘭の放つ得体の知れない空気が、突貫を押し留めた。今の彼女へと手を出す事が何を意味するのか、無意識の内に本能が警告を発していたのかもしれない。

 何にせよ、こうして武器を失ってしまった以上、戦闘の続行は難しいだろう。相手の太刀は健在で、対するクリスは無手だ。両者の力量によほどの差が無い限り、勝敗は既に決していると判断すべき状況。

 決着の過程を知る事すら出来なかったのは悔しいし釈然としないが、それは自分が未熟だったからなのだろう。潔く己の敗北を認められるか否かで、武人としての器は試される。無念を心の奥に押し込んで、素直な賞賛の言葉を吐こうと口を開き掛けた瞬間。

 クリスは、その異変に気付いた。


「――さないと」


 ゆらり、と。蘭の視線が、首ごとクリスに向き直った。

 手には刃。未だ鞘に収められない白刃は、いつしか深淵の漆黒に彩られ。

 空虚だった双眸には、溢れ出るほどの“殺意”が充たされていた。


「え?」

 
 そして、

 少女の姿を象った化生が、

 唇より狂気を吐き出す。


「――殺さないと。殺さないと殺さないと殺す殺さなきゃ。殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ――――」


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