―――グラウンドが、爆発した。
思わずそんな錯覚を抱いてしまうほどに、ギャラリーの織り成す喧騒は圧倒的だった。何せ私立川神学園に所属する生徒の数は、実に総勢千人を越えているのだ。その大多数が揃いも揃って熱狂的な声を張り上げている以上、結果として湧き上がる歓声の規模が爆音に匹敵しても不思議はない。
「うぉおおおおおスッゲェ!お前ら真剣でパネェよ、とんでもねー決闘だったぜ!」
「風間ァーッ!良く頑張った、お前は良く頑張ったぞ!感動したッ!!」
「誰にも文句は言わせねぇ、お前がナンバーワンだ!」
織田信長と、その眼前に倒れ伏す風間翔一。両者を周囲から幾重にも取り囲む人垣を悠然と見渡しながら、俺は鼓膜を叩く音響の激しさに少し眉を顰めた。四方八方より飛び交う歓声は、やがて万雷の拍手へと移り行き、二人の決闘者へと惜しみなく降り注ぐ。否、むしろ――
『カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!』
主に観客達の熱狂と興奮が向かう先には、翔一の姿があった。既に総ての力を使い果たし、意識を失って地に倒れ伏している。もはや誰の声も届く状態ではない事は一目瞭然だったが、それでも、観客達の温かい拍手と歓声の嵐が止むことはなかった。
「ふん。ヒーロー、とは良く云ったものだ」
満足気な笑みを浮かべて気を失っている翔一を見遣りながら、小さく呟く。その生き様を以って大衆の心を打ち、強烈に惹き付ける男。ならば差し詰め、織田信長は正義の味方に成敗されるヒールか。なるほど、あまりにも似合い過ぎていて全く違和感がない。
『カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!』
全く、見事なまでに次鋒戦の結末を再現したものである。“風評”による勝者と敗者の逆転現象――勿論、今回の場合はあの時と完全に立場が逆なのだが。決闘の形式上においては紛れもない勝者である織田信長と較べて、敗者である筈の風間翔一への評価が尋常ではなく高い。では、何故にそのような状況が出来上がるのか……その答は明確だ。
湧き上がるギャラリーから視線を外し、グラウンドの一角へと目を向ければ、そこにはまさしく死屍累々と形容すべき光景が広がっている。絶賛気絶中の数十人の生徒達が並んで仰向けに横たわり、幽霊の如く真っ青に染まった顔面を真っ青な空へと向けていた。俺自身が意図した訳でも目撃した訳でもないが、原因は間違いなく俺の放った奥義にあるのだろう。無差別攻撃を目的とした広域威圧の奥義である“殺風”が発動した以上、観客達の一部が余波に巻き込まれていたとしても不思議はない。
その可能性が在ったにも関わらず、俺が奥義の使用を躊躇わなかったのは、川神鉄心やルー・イーといった川神院トップの面子が現場に待機している以上、よもや生徒達が命に関わる深刻な被害を受けるような事にはなるまい、と判断したが故だ。実際、失神している生徒の総数がたったの数十人で済んでいる事から考えても、彼らが何かしらの対処を行ったのは明白だ。そして今も、体育教師にして川神院師範代のルーが気絶した生徒達を診て回り、一人ずつ外気功による治療を行っている。心臓発作やら何やらの大事になる心配も多少はしていたのだが、こうして武の総本山・川神院が動いている以上、彼らの安否に関しては気に掛けるだけ無駄だろう。
――だが、それはつまり、先程グラウンドを襲ったのは……川神院が動かなければならない程の災厄だった、と云う事だ。
吹き荒れる殺意の嵐、湧き起こる恐慌の悲鳴、成す術なく倒れゆく人々。そんな日常と乖離した異質な光景を目の前にして、平穏無事な日常に慣れ切った生徒達はいかなる感想を抱くだろうか。容易に想像出来る――圧倒的な脅威に対して彼らが抱く感情は、いつだって大いなる恐れと畏れでしかない。俺が見た目の派手な広域威圧を用いたのは、そういった印象を生徒達の心中へと強烈に植え付ける、という目的が在ったからで、その目論見は間違いなく成功を収めたと言える。
しかし、そこで大きな計算違いが生じた。即ち、風間翔一が、立ち上がった事だ。
考えてもみて欲しい。観客達の間で織田信長に対する畏怖と恐怖の念が最高潮に達した、まさにその時……そんな絶望の象徴の如き存在に、臆する事無く敢然と立ち向かう男の姿が目に映ったとしたら、その背中はいかに眩く輝いて見えるだろうか。深い闇の中でこそ、光は一際強く煌いて見えるものだ。
俺の殺意が強大であればあるほど、生み出された絶望が巨大であればあるほど、それらを打ち破って魅せた風間翔一はより輝ける“ヒーロー”としてギャラリーに評価される。そう、例えその結果が、“時間切れによる敗北”であったとしても――その輝きはまるで失われないものだった。つまりは、そういう事だ。
時間切れ。
そう、風間翔一は、間に合わなかった。凍り付いた身体を信じ難い意志の力で動かし、“嵐の目”にまで辿り着いたちょうどその時、無情にも制限時間の十五分は訪れていたのであった。ポケットの中でバイブレーションを響かせる携帯電話がその事実を俺に報せてくれたし、殺風によって生み出された暗黒の外側に居た観客達もまた、校舎に据え付けられている時計の針からそれを悟っていた。
『このケンカ、“俺達の勝ち”って事で良いんだよな?』
そして、他ならぬ風間翔一本人も、恐らくは気付いていたのだろう。心身共にボロボロの有様になるまで追い詰められ、加えて自身の敗北を既に知った上で、かくも無邪気に、かくも得意げに笑いながら、胸を張って言い放ってみせたのだ。そんな翔一の言葉を否定する術は、俺には無かった。何故ならば……事実として、目の前に広がるこの光景が、何よりも雄弁に物語っているのだから。
―――俺の敗北と、風間ファミリーの勝利を。
「実に、喰えぬ奴よ」
風間翔一の問い掛けは、つまり彼がこの結果を、観客達の見せるであろう反応をあの時点で予想していた事の証拠に他ならない。風評という要素を考慮に入れた上で――更には、“織田信長もまたそれに気付いている”という事に気付いている、その証拠と言える。何故そこに思考が至ったのかまるで判らないが、まあ恐らくは“勘”とやらなのだろう。まったく、俺の計算を悉く無駄にしてくれやがる野郎だ。
試合に勝って、勝負に負けた――俺の現状を一言で表現するならば、まさしくそれが相応しい。
『カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!カ・ザ・マ!』
尚も鳴り止まぬ風間コールの中、俺が敗北の苦い味を存分に噛み締めていると、左右から挟み込むようにして近付いてくる気配が二つ。
「お疲れ様で御座いました、主。大将戦に相応しき御見事な武者振り……蘭は、蘭は心の芯より打ち震えて御座います!」
「ご主人、おつかれ~。いや~、私の想像をブッチぎってトンデモなバトルだったよ。流石はご主人、相変わらず人間辞めちゃってるねぇ。おおこわいこわい」
溢れ出す尊敬の念に目をキラキラさせている従者第一号と、溢れ出す怠惰の念に口元をヘラヘラさせている従者第二号。相手をするのが果てしなく面倒臭いという点で見事に共通している二人だが、しかし残念ながら両名共に織田信長の直臣にして“手足”である。どう足掻いた所で、俺が俺である限りは否応無く関わらねばならない。何とも世知辛い話だ。
「ふん。斯様な有様では、俺の望む勝利とは程遠いが、な」
「くふふ、ご主人ってば完全に悪役扱いだもんね~。実際問題、勝ったのはご主人なのに、歓声の九割以上を相手さんに持っていかれちゃってる。嗚呼、なんて見事な友情・努力・勝利!いや、この場合は友情・努力・敗北なのかな?まあそれはともかく、やっぱり少年ジャソプ的王道主人公って言うのは皆の憧れなんだってのが凄く実感できるね。あ、でも安心してねご主人、私は『大和丸夢日記』で言えば大和丸より闇丸が好きなタイプだからさ」
「お前の好みは訊いていない」
ニヤニヤと笑いながら言葉を連ねる莫迦に冷たい一瞥を呉れてやる。ちなみにねねが口にした“大和丸夢日記”は昔から二十三シリーズに渡って続いている人気の時代劇で、同心の大和丸を主人公としたコテコテの勧善懲悪劇である。ねねの好きな闇丸は報酬と引き換えに刃を振るう人斬り、言うまでもなく外道の悪役だ。要するに、間違っても褒め言葉に使う名前ではない。
「あ、あ、それなら私も――ではなく!……大衆が信長さまを如何様な目で見ようとも、蘭は主の誰も及ばぬ大器を深く知っております。その志の高きこと、御心の勇猛なること、決して誰にも劣りは致しません。ですので、何一つとして主がお気になさる必要はないと愚考する所存です」
「……ふん。然様な事は、態々言われるまでもない。望む結果から少々外れたのは事実。だが、その程度で俺が揺るぐ筈もなかろう」
「ははーっ!僭越な物言いで御座いました、思慮の浅い愚臣をどうか御赦し下さいっ!」
グラウンドの砂に汚れる事など気にも留めず平伏を実行する蘭を見下ろしながら、俺は口元を歪める。
そうだ、元より俺はヒーローになりたかった訳ではない。大衆の温かい声援を一身に浴びて、日の当たる道を歩みたかった訳ではない。そんなモノは織田信長にとっては不要だ。俺が彼らに求める感情は、総ての混沌を静止させる冷厳な恐怖と畏怖のみ。それらを生み出す為にヒールで在り続ける必要があるとしても、俺は一向に構いはしない。悪役だろうと外道だろうと大魔王だろうと、完璧に演じ切ってみせるだけの話だ。
それに――声援は、もう充分、受け取っている。
ねね曰く、『九割以上の声援が風間翔一に向けられている』。という事は……つまり逆を言えば、あくまで全体の一割未満ではあるが、織田信長へと向けられた声援もまた、確かに存在するという事だ。
ふっ、と心中で笑みを漏らし、俺は悠然たる足取りで背後を振り返る。
予想通り。風間ファミリーの面々とは反対側に位置する最前列に、奴らは顔を並べていた。無駄に強烈な個性を平常運行で発揮している、救い様のない奇人変人連中。俺を友と呼んだ2-Sクラスの馬鹿共が、笑みを湛えてこちらに歓声を飛ばしている。
二人の従者と、三十八人のクラスメート。
それは――孤高の悪役・織田信長が受け取るには、あまりにも温かく、盛大な声援だった。
「フハハハハ!大儀であったぞノブナガッ!!」
「ふん。幾度も言わせるな、九鬼英雄。頭が高い。俺を見下す事は何人たりとも許さん」
グラウンドの中心でハイテンションな高笑いを上げる九鬼財閥御曹司に、毎度の如く醒め切った目と言葉で返答する。恒例の遣り取りを交わす俺達の周りには、2-Sの主要な面子がわらわらと集ってきていた。
ふと未だ倒れっ放しの風間翔一の様子を窺えば、風間ファミリーを初めとする2-Fのクラスメート達に囲まれている。その中心で外気功による治療を行っているのは、川神百代か。まあ武神の名を欲しい侭にする彼女に任せておけば、深刻な後遺症が残る心配はあるまい。
それでいい、下手に傷付けてしまっては彼女の恨みを買う羽目になりかねないからな――と思考を巡らせていたところ、鋭利な殺気が肌を突き刺した。
「おやおやぁ?英雄さまのありがた~いねぎらいのお言葉は、ちゃんと平身低頭して受け取らないとダメですよ☆」
「…………」
何処からともなく取り出した小太刀を構えるあずみに、俺の傍に控える蘭の纏う気配が、無言の内に鋭く研ぎ澄まされた。やれやれだ。事ある毎に得物を抜き放つ冥土さんの悪癖は言うまでもなく勘弁して欲しいが、蘭も蘭である。基本的にはただの脅しだと判っているのだから、そう毎回物騒なオーラを周囲に振り撒くのは止めて欲しいものだ。俺に向けられた敵意ではないと頭では判ってはいても、やはり心臓に悪い。
「控えよあずみ。確かに我が好敵手と認めた男への言葉としては相応しくなかったのも事実、今後は改めるとしよう。己が過ちを認め、未来への糧と成す。それを為し得て初めて、真なる王を名乗る資格を得られるのだからな!」
「流石でございます、英雄さまぁああッ!英雄様こそ王者の鑑にございますっ!」
溢れ出す尊敬の念に目をキラキラさせているあずみを眺めながら、俺は何やら強烈なデジャヴに襲われていた。この光景、何処かで見たような気が……何処だ?
「う~ん。何て言うかさ、あのメイドさん、ランにそっくりだよね。いやホント」
傍でぼそりと呟かれたねねの爆弾発言に、俺はしばし思考ごと硬直した。
…………。
……言われてみれば、確かにその通りだ。ありとあらゆる状況下で全てにおいて主人を最優先、敵対者が現れれば脊髄反射で刃を抜き、滑稽なほどオーバーな表現で無闇やたらと主人を持ち上げる。両者の共通項を上げていけばキリがない。これまで思い至らなかったのが不思議な程だ。
……いやいや少し待て、という事は何だ?俺と蘭は、第三者の目から見れば、英雄とあずみの主従と大差ないという事なのか?あの存在そのものが奇人変人の象徴とすら言えるイロモノ主従と、同類だと?
……………………。
「ご、ご主人がなんか物凄い勢いで暗黒のオーラを放出してる……。な、何があったのかは知らないけど大丈夫だよ!才色兼備にして文武両道、八面玲瓏を地で行くこの私が仕えている限り、ご主人の前途は限りなくShineだからね。あ、これは別に死ねって言ってる訳じゃないからそこんとこ誤解しないようによろしく~」
「……」
死んだ魚の如く虚ろになっているであろう昏い目で、第二の従者を見遣る。そうだ、今の俺は蘭に加えて、この脊椎動物亜門哺乳綱ネコ目に属する奇怪な生物を従えている訳で、そうなるとつまり周囲から向けられる奇異の目は、或いは英雄達に対するソレよりも――――いや止めよう、それ以上いけない。俺の魂の宝石が絶望で濁り切ってしまう。
自分のナニカが崩壊する恐ろしい予感を感じ、無理矢理に危険な思考を打ち切るべく必死になっていると、原因たる英雄が真面目な表情で言葉を掛けてきた。
「此度の決闘、庶民共は風間を一方的に高く評価し、称えている様だが……我に言わせれば見当外れもいい処よ。最後まで己を貫き王たる器を示したお前と、最後まで諦めず屈さず、勇を示した風間、いずれも等しく称えられるべき見事な有様であったと言えよう。軽々しく優劣を付けられるものではないものを……。偏見に捉われ、本質を見失った庶民の下す評価に価値を見出すのは愚かである。故に、王たる我がここに断じておくとしよう――我の代理として、我ら2-Sの代表として、何ら恥じぬ働きであったとな!」
「……」
僅かたりとも裏表の無い英雄の堂々たる宣言は、俺の捻くれた心にも真っ直ぐに響いた。
成程、やはり世界の王を自称しているのは伊達ではない。この男の放つ自信に満ち溢れた言葉は、どれほど巧みな話術よりも強く心を打つ。やがてはそのカリスマ性に惹かれて、幾千、幾万、幾億もの人間がこの男に付き従う事になるだろう。自ら王を名乗る必要もなく、万人が王として仰ぐだろう。それは予想ではなく、半ば確信にも似た思いだった。
「くくっ」
面白い。
九鬼英雄、お前がいずれ名実共に王となり、世界の覇権を握ると云うのなら。
その財力、政治力、或いは武力を以って俺の夢の前に立ち塞がると云うのなら。
お前にとって俺が好敵手であるように――俺にとってのお前もまた、得難い好敵手だ。
「言われるまでもなく、俺の価値は俺自身が理解している。元より、この俺が雑草のざわめきに耳を傾ける道理など無い」
「フハハハハ!確と理解しているようで安心したぞ。尤も、我の好敵手たる者なれば当然であるな」
「然様。漸く、多少は俺を知ってきたと見えるな。英雄」
僅かに口元を吊り上げて放たれた俺の言葉に、英雄は虚を衝かれた様に目を見開いたが、すぐに驚きから立ち直ると、心の底から愉快げな高笑いを上げながら背を向けて去っていった。続けてあずみが俺に向けて獰猛な笑みを零しつつ一礼し、主人の後を追う。そんな二人の背中を見送っていると、後ろから声を掛けられた。
「ふふ、凄い人でしょう?英雄は」
冬馬だった。俺と同様に英雄の背中を眺めながら、眩しいモノを見るように目を細めながら言葉を続ける。
「英雄はどんな時でも決してブレない。自分の中に一本、誰にも曲げられない頑固な芯が通っているんでしょうね。いつも真っ直ぐで、少しも迷いがない。自分に正直で、他人に嘘を吐かない……自慢の友人です」
英雄について語る冬馬の言葉には、抑え切れない憧憬の念が込められていた。決して自分には手が届かず、それでも諦められない理想を口にするような、一言では語り切れぬ様々な感情を内包した言葉。冬馬はふと柔らかく微笑んで、俺へと視線を移した。
「決闘、お疲れ様でした、信長。ゾクゾクするほど素晴らしい戦いでしたよ。ホラ見て下さい、今でも鳥肌が収まりません。どうにも人肌の温もりが恋しいですね……ねぇ信長、もう少し近くに行っても良いですか?」
「寄るな殺すぞ」
いや真剣で。鳥肌が伝染したたろうが両刀遣い。
「おや、残念です。まあ互いの合意があって初めて愛は成立する訳ですし、ここは大人しく引き下がりましょうか」
「安息の内に己が寿命を迎えたければ、それが正しい判断だな」
「ふふ、相変わらずつれないですね。そんなところも信長の魅力なんですが」
「……」
「考えてみれば、命を賭した愛、というのもイイですね。極限の状況でこそ想いの炎は激しく燃え上がる……全てを灼き尽くす程に。ロマンチックで素敵だと思いませんか?」
「……」
妖しい目付きで舐めるようにこちらを見る性倒錯者の存在そのものを無視する作業に全力を費やしていると、ありがたい事に援軍が到来した。冬馬の後ろからひょっこりと現れたのは、電波女と青春男……もとい小雪と準である。
「よお信長、お疲れさん。期待通り超エキサイティング!な決闘だったぜ。まぁちっとばかりスリリング過ぎたけどな……」
「大儀であったぞー、えらいえらい。ご褒美にこのマシュマロ~ンをあげるよーん。はいノブナガ、あ~ん」
こいつは毎度毎度、純真無垢な笑顔と共に平然と爆弾を投下してくるから侮れない。だからそれは難易度が高過ぎると何度言えば……いや、一度も口に出して言った事は無いのだが、それにしても、だ。口元に差し出された小雪の白魚の如き指先にどう対処すべきか頭を悩ませていると、何やら隣の蘭が眉を吊り上げ、唇を真一文字に結んで唸り始めた。
「む、むむむ、おのれ榊原小雪っ!またしても然様にふふ不埒な真似をっ!あ、あ、主にあ~んする権利があるのは―――」
「上目遣いが殺人的にキュートな超絶美少女サーヴァントたる私だけ、だよね~。いやいや全く以てその通り、さっすが~、ラン様は話がわかるッ!という訳でご主人、あ~ん」
ねねは無駄な素早さを無駄に発揮して小雪の指先からマシュマロを掻っ攫うと、無駄に恥じらったような演技をしながら、無駄な上目遣いでそれを俺の顔前に差し出してくる。公衆の面前で織田信長に何をやらせるつもりなのだろうかこの莫迦は。当然ながらこの場合、スルー以外の対応は有り得ない。ひたすらに冷酷な眼差しで一瞥をくれて、後は完全に無視を決め込む。
「ううぅぅぅ、違います違います、それは蘭の権利です!ねねさんの、ねねさんの泥棒猫っ」
「くふふ、お褒めの言葉をありがとう。お魚さんもお金も権利も略奪するのが私の趣味さ。ほらほらご主人、プリティ且つコケティッシュという二つの要素を見事に併せ持っちゃう美の化身がこうして献身的にご奉仕してるんだから、そんな白けた顔するのはナンセンスだよ」
駄々っ子の如く涙目で地団駄を踏んでいる蘭を軽々とあしらいながら、ねねは執拗に俺に迫ってくる。やれやれ本当にこいつは、またすぐに調子に乗りやがって、面倒が起きない内にさっさと黙らせるか――と無表情の内側で思考を巡らせていると、不意にゾクリと背筋が冷えた。身体に染み付いたこの邪悪な感覚は……殺気!
「ロリな少女を傍に侍らせて、ご主人様と呼ばせて、あまつさえご奉仕―――だと?信長てめぇ、テメェくぁwせdrftgyふじこlp」
殺意の波動に目覚めたハゲが其処に居た。轟々と立ち昇る暗黒のオーラは、威圧の天才・織田信長をして怯まずにはいられない程の負の意思に満ち溢れている。それは人間という種族の業の深さを見る者に否応無く思い知らせる、哀しき男の姿だった。その救われぬ魂を救済すべく、蘭は静かに“氣”を全身に巡らせて、無表情のまま手刀を作る。
だが、幸か不幸かは別として、準に対して冷厳なる断罪の刃が振り下ろされる事は無かった。当事者(?)たるねねが両者の間に割り込んだのだ。
「ん~?センパイ、私に興味津々なのかな?まあ天香国色にも喩えられる私の魅力に取り憑かれるのは健全な男子高校生なら当然なんだけど、一応確認しておこうかな。センパイは私の何処をそんなに気に入ってくれたの?」
「それは勿論、語るまでもなく――全て!その未成熟で幼い身体つき、魅惑の妹ヴォイス、穢れない珠肌!貴女を構成する全ての要素が、俺の!私心なき保護欲を!掻き立てて止まないのです!という訳でどうですかキュートなお嬢さん、今週末にでも一緒に七浜の遊園地に繰り出しませんか?」
「う~ん。折角のお誘いだけど、お断りさせて貰うよ。ごめんね、私、家訓で頭部が電球代わりになる人とは遊びに行かないように言い聞かされてるんだ。危険だから」
「そうかぁ家訓なら仕方ないなウン。家訓だからなぁ。複雑な家庭の事情により引き裂かれるふたり、だがその禁忌を乗り越えることで愛はより強く尊いモノへと昇華し、そして……イイ、実にイイなぁウフフ」
何かを悟りきった澄んだ目とニヤけた口元が何とも言えずアンバランスで不気味だった。暗黒のオーラが消失したのは良い事だが、しかしこれはこれで果てしなく鬱陶しいものがある。ねねの奴は良く平然と会話のキャッチボールを交わせるものだ。何かコツがあるのだろうか――と世に蔓延る変態どもへの対処策についての真剣な思考を巡らせていると、語調が居丈高過ぎて一瞬で発言者を特定可能な声音が耳を打った。
「何やら気色の悪い声が聞こえると思ったら、やはりお前かハゲ。明智の小娘にちょっかいを掛けると、いずれ東京湾で魚介類の仲間入りを果たす事になるゆえ、気を付ける事じゃな。世間を騒がす変質者を駆除するのも、名家の高貴なる務めなのじゃ」
「変質者じゃねぇ!いいか良く聞け、俺は変態じゃなぁい!仮に変態だとしても―――」
「ロリハゲの事なぞどうでもよいのじゃ」
ハゲの見苦しい言い訳を即座に一刀両断する心は最高に輝いていた。空気の読めなさでは他者の追随を許さない不死川心だが、逆に言えば、悪い流れを問答無用でぶった切る事も朝飯前という事か。ふむ、少しばかり見直した。その功績に免じて、先程から会話に加わるタイミングを掴めずに俺の周囲をウロウロしていた件については忘れておくとしよう。
「こほんっ」
心は俺の方に向き直ると、何やらかしこまった風に咳払いを一つ落とした。
「ん、ん。その、なんじゃ。2-Fの庶民共との決闘、片が付いたようじゃな」
「ああ」
「山猿を殊更に持ち上げる庶民共の態度は気に入らぬが、うむ、間違いなくお前の勝ちじゃったな」
「ああ」
判り切った事実をいちいち確認してくる心に相槌を打ちながら、その不可解な態度を訝しむ。一体何を言いたいのやら、と内心で首を傾げる俺に対して、心は恥じらう様に目を逸らしながら言葉を続けた。
「その……此方の頼みを果たしてくれた事、友として、礼を言うぞ」
その唇から紡ぎ出されたものは、意外にも素直な感謝の言葉だった。普段から無駄に高圧的な振舞いばかりが目立つ心にそんな殊勝な態度が取れるとはなかなか驚きである。まあ日本三大名家のご令嬢である以上、礼儀作法の類はきっちりと叩き込まれているのが当然で、ならば何も不思議はないのだろうか。
「不要だ。俺は俺の目的に従って戦に臨んだのみよ。礼を言われる筋合いもない」
実際、2-Fと事を構える発端が心の依頼だったという事自体、俺は言われるまでほとんど忘れ掛けていた。それに、ねねの実家に関する一件で既に報酬は十分過ぎるほど受け取っているのだ。こんな風に改めて感謝の念を示されると、どうにも調子が狂う。結果、素っ気ない態度で言葉を返すと、心は怒るでもなく、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「うむ、聡明なる此方は、どうせお前はそう言うじゃろうと思っておったのじゃ。しかし織田よ、これは此方が勝手に感謝しておるだけの話ゆえ、それをお前が受け取ろうと受け取るまいと自由。そして、此方が感謝するもしないもまた自由。ホホホ、そうであろう?」
「……ふん。勝手にすれば良かろう」
「うむ、勝手にするのじゃ。元より此方は高貴なる不死川が息女、誰の指図も受けはせぬぞ」
調子良く言い放つと、心は胸を張って正面からこちらを見つめる。芯の通った意志を感じさせる黒曜の瞳を見返しながら、心が紛れもなく日本三大名家の令嬢であるという事実を、俺はおそらく初めて明確に実感していた。
そのまま視線が交錯すること数秒――その中心にひょっこり湧いて出た何者かの頭頂部に、俺も心もギョっと現実に引き戻される。
「あれぇ、不死川センパイ。あっちの失神組の中にいたんじゃなかったっけ?復活したの?」
突然の闖入者の正体はねねであった。もはや心の前ですらお嬢様の猫を被るつもりは無いらしく、口調は普段通りのままだ。更には先輩後輩の上下関係を超越したタメ口である。色々な意味で衝撃だったのか、心は数秒ほど呆然と固まっていたが、再び咳払いを一つ落として取り繕ってから口を開いた。
「フン、勝手に人を気絶させるでないわ。それはまあ、ほんのちょっぴり危なかったと言えなくもないかもしれんと言うか、軽く意識が飛びかけたのはそこはかとなーく事実じゃが、とにかく高貴なる此方は決してそんな失態は晒さぬ!……というかそれよりも明智、お前どう考えてもキャラ変わり過ぎなのじゃ。先日の決闘以来、言葉遣いといい立ち振る舞いといい、名家の気品というものが欠片も感じられんぞ。まるで卑しい庶民ではないか」
「まあね。生憎とそういう類のしょーもないモノはぜーんぶまとめて犬に食わせちゃったからさ。センパイに言わせれば、私なんてもう庶民同然だろうね」
「ふむ。そうか」
家柄については人一倍どころか人十倍は口うるさいこいつの事だ、このままネチネチと小姑チックな嫌味が続くのだろう――と思いきや、意外にも心はそれ以上何も言わなかった。何事かを納得したように頷いただけで、その後はじっとねねの顔を眺めている。そんな心らしからぬ反応に戸惑ったのはねねも同じらしく、饒舌な奴にしては珍しく言葉を見つけられない様子だった。
「……何も言わないんだね。私みたいに“名家の義務”を放棄した外れモノは、センパイにとっては許し難い相手なんだと思ってたけど」
「フン、当然ながら気に入らぬわ。貴き家の下に生れる幸福に恵まれておきながら、自ら山猿の群れに混ざろうなどと、此方にはまるで理解出来ぬ」
「……」
「――じゃがな。お前は織田の従者。つまりは、此方の友が己が手足を任じた者ということじゃ。そのお前を侮辱する事は、織田を侮辱するも同じ。延いては織田を友とする此方自身を蔑むも同義、であろう?それゆえ、本来なれば高貴なる者の義務について数刻ほど説いてやるところじゃが、織田の顔に免じて見逃してやるのじゃ。フン、此方の友を主に仰いだ幸運に感謝するが良いぞ」
心はムスッとした仏頂面で不本意そうに言い放つと、話は終わりとばかりにねねからプイと顔を背けた。実に不死川心らしい言い回しだ、と俺は思わず零れそうになる笑みを噛み殺す。これが余人ならば捻くれた照れ隠しと受け取るところだが、心の場合はほぼ間違いなく一言一句に至るまで本気だから面白い。
ねねにもそれが判ったのか、呆れ混じりの表情で「あ、そうなんだ……」と拍子抜けしたような声を上げた。その様子を見る限り、心の口撃に対して脳内で色々と反撃の準備をしていたのだろう。無駄に豊富な語彙を活かした皮肉やら罵声やらがスタンバイしていたに違いない。何にせよ、名家出身の二名による聞くに堪えない言い争いが始まらなかったのは実に幸運だと言える。
「さて」
2-Sの面々の相手をしている内に時間を潰せた事だし、そろそろ頃合だろう。風間翔一を中心に集った2-F生徒達の方に視線を向ければ、案の定、ようやく熱狂から収まり、人が散り始めていた所だった。
俺が無言の内にそちらへ向けて歩を進めると、未だ残っていた生徒達の人垣が割れて、織田信長とその従者の為に一本の道を作る。森谷蘭と明智ねねを引き連れて、俺は風間ファミリーの下へと真っ直ぐに続く道を進んだ。一歩を踏み出す毎に、グラウンドを覆い尽くしていた熱気は静寂の内に引いてゆき、代わりにギャラリーのざわめき声が場を充たしていく。
――そして、幾百の目が見守る中、織田信長と風間ファミリーが、再び対峙する。
「……見ての通り、キャップはまだ気絶中でね。もし起きてたら間違いなくアンタと話をしたがってたと思うけど、ちょっと無理みたいだ」
依然としてグラウンドに大の字で寝転がっている翔一に目を遣りながら、直江大和は思わず、といった調子で苦笑した。つられるようにして、俺も数メートル先の地面へと目を落とす。川神百代による治療の成果は確かだったようで、死人の如く青褪めていた顔色には温かい血の気が戻り、こうして見る限りは呑気に昼寝をしている様にしか思えなかった。
「ふん。俺に一撃を加える為に己が心身の全てを絞り尽くしていた以上、当然の話だ。最低でも数時間は目が醒めまい」
「まあ正直、数時間で目が覚めるってだけでも俺としては朗報だよ。決闘の様子を観てると、永眠しても不思議じゃない勢いだったし」
「ホントにね。決着が付いてから慌てて駆け寄ってみたら、脈も呼吸もすっごく薄いんだもん。アタシの心臓の方が止まるかと思ったわ」
「寧ろ、その程度で済んでいる事こそが異常であるが、な。その男、余程図太い神経の持ち主と見える」
偽らざる本音である。広域威圧とは云えど、奥義の名は伊達ではない。直撃を受けた以上、心停止の一つくらいは起こしていても何ら不思議ではなかったのだが、まさか普通に気絶だけで済んでしまうとは。事実は小説よりも奇なり、だ。
さて、前置きはこの辺りにしておこう。この状況、織田信長の語るべき言葉は別にある。
本当に大事なのは此処からだ。終わり良ければ全て良し。逆を言えば、最後にしくじれば全てを台無しにしかねないのだから。
演じるは悪のカリスマ。口元に浮かべるは酷薄な笑み。冷然たる眼差しで周囲を圧しながら、俺はおもむろに口を開いた。
「直江大和。風間翔一が不在の今、再び貴様を2-Fの代表と捉える。問題は?」
「無い、な。もともとそういうポジションだったし、皆も認めてくれる筈だ」
「……で、あるならば、貴様に問おう。―――三日に渡る此度の戦。我が陣営の勝利である事に、異論はあるか?2-F」
俺の発した静かな問いに、周囲の群衆達のざわめきが増した。直江大和は真剣な表情で数秒ほど沈黙した後、躊躇いを振り切るように、首を縦に振った。
「異論は……ない。先鋒戦と大将戦、この二戦で敗北した以上、言い訳をする気はないさ。この勝負は、確かに――俺達の負けだ」
迷いの無い大和の敗北宣言に、ギャラリーの騒がしさがいよいよ以って増大する。それらを氷の視線で睨み据えて黙らせてから、俺は淡々と言葉を続けた。
「然様。定められた条件の下にて競い、そして今や勝者と敗者は隔たれた。俺の勝利……2-Fの敗北と云う形で、な」
感情の無い事実確認の言葉と共に、傲然と周囲を見渡す。風間ファミリーの面々は流石に悔しげな表情を揃えていたが、誰一人として無為な反論をする者は居なかった。今後の風評がどうなろうと、形式上、負けは負けだ。その結果が覆る事はない。そして、事実を事実として受け入れられないほど狭量な者は、幸いにしてこの場には不在だった。
それでいい。そうでなくては、始まらない。
2-Sと2-F。俺と風間ファミリーの記念すべき“第一回戦”に、今こそ決着を付けるとしよう。
「此度の戦に、俺は確かな勝利を得た。だが……俺の目論見は、未だ成されていない。格の差を確と思い知らせたにも関わらず――己が足元に跪くべき者達は誰一人として膝を折らず、恐怖と絶望に染まるべき瞳は未だ忌々しき希望に満ち溢れている」
睥睨するのは、自身の前に立ち並ぶ2-Fの生徒達。
折れない意志の光を以って臆する事無く織田信長を見返す彼らの、何処に惨めな敗者が居ると云うのか。
「斯様な価値無き勝利を、真実の勝利と認める気は無い。故に。貴様らには、機会を呉れてやる」
「……機会?」
「然様。本来なれば2-Fは敗者の身、勝者たる2-Sへの従属を課する心算であったが――気が変わった。此度に限り、俺は2-Fから手を引くとしよう」
淡々と放たれた俺の宣言は、喜びよりもまずは衝撃をもたらすものだったらしく、風間ファミリーを含む2-Fの誰もが驚きに目を見開いていた。軍師・直江大和も流石にこの展開は予想していなかったのか、動揺を抑え切れない様子で口を開く。
「手を引く……、俺達にとっては願ってもない話だけど、何でまた」
「……理由は、二つ。一つ、俺の求める勝利は、此度の如く生温いものではない。心の深奥に至るまで絶望を刻み込み、叛逆の意志を根こそぎ刈り取る……欠片の希望も見出せぬ絶対的な力量差を万人に示す事こそが、俺にとっての“勝利”の定義。其れを充たせなかった以上、俺は半端な勝利に甘んじる気は無い。そして二つ―――お前達は、面白い。実に、面白い」
「面白い、って」
「初め、俺はお前達に何一つとして期待してはいなかった。雑魚が如何様に群れ集い、足掻いた所で余興にすらならぬと断じた。だが、結果はどうだ?くくっ、想像を遥かに超えて、お前達は俺を愉しませて魅せた。先鋒戦、次鋒戦。果てはこの俺自身に腰を上げさせ、力の一端を振るわせるに到った。……只の有象無象には間違っても成し得ぬ所業よ。そして何より面白いのは――お前達が悉く、未だ発展途上の身という点だ」
「…………」
「直江大和、川神一子、椎名京、風間翔一」
今回の勝負の主な功労者に次々と視線を移しながら、謳うように言葉を並べる。
「揃って未熟ではあるが――其れは同時に、伸び代に満ちている証左。時を経れば、その資質に磨きが掛かるは必定であろう。なればこそ、お前達には興味がある。何れ力を増せば――単なる障害物に留まらず、俺の糧となる程の“敵”へと到るやも知れぬ、とな」
「つまり、成長させてから美味しく頂こうって事か。……まるで家畜扱いだな」
「けっ、さすがはS組代表、どこまでもエラソーな野郎だぜ。上から目線も大概にしやがれってんだ」
「うぅー、ホンットにムカツクわね!アタシ達を舐めて掛かるのもいい加減にしなさいよ、ノブナガ!」
傲岸不遜の象徴・織田信長を体現したような言葉の内容に対し、風間ファミリーは敵愾心に満ちた目を以って返答とした。そんな彼らを嘲笑う様に、俺は冷たく口元を歪める。
「くくっ、敗者が吼えた所で、所詮は負け犬の遠吠えよ。……故に、機会を呉れてやると言っている。俺に再び挑み、己が力を示す機会を、な。但し――」
「っ!?」
傲然と周囲を睥睨し、空間ごと押し潰すような凶悪な殺意を以って威圧する。突如として増大したであろう心身への重圧に、誰もが表情を硬く強張らせた。周囲の群集は一切の会話を止めてシンと静まり返り、ほとんど呼吸すらも控えている。俄かに静寂の訪れたグラウンドの中心で、俺は言葉を紡いだ。
「心しておけ。俺は僅か一日たりとも歩みを止めぬ。一分一秒の過ぎ去る度に、俺は絶えず己を磨いている。並大抵の研鑽では俺の背中を眼に捉える事すら叶わぬと思え。―――次に相争う時こそ、真実の絶望に充ちた決定的な敗北を与えてやろう。その日まで決着は預ける故、ゆめゆめ精進を怠らぬ事だ。……俺を失望させてくれるな。2-F」
それは、重々しく空気を震撼させる、強大な圧力に充ちた音響。
常人ならば満足に首を振る事すらも封じられる程の、容赦なく鋭利な冷気を内包した氷の言霊に、しかし彼らが呑まれる事はなかった。予想と違わず、風間ファミリーは誰一人として屈さない。揺るがぬ強固な意志を以って、織田信長を見返す。
「やってやるさ。次こそは、勝たせて貰う。このまま負けっ放しじゃ軍師の名が泣くんでね」
「珍しく大和が燃えてる……だったら私はそんな大和を全力でバックアップするだけ。それがファミリーの為にもなるなら、まさしく一石二鳥だね」
「よっしゃ、上等だぜ!今回は惜しくも出番が無かったけどな、次こそは風間ファミリーのリーサルウェポンこと俺様・島津岳人が大暴れしてやるから覚悟しときやがれ」
「望むところよ!リベンジの機会をもらえるなんて、こんなにありがたい話はないわ。今度こそアタシの本当の力を見せてやるわよ、覚悟しなさいノブナガ!そして何より、ネコ娘ッ!」
ビシィッ!と指差された先で、ねねは毎度の如くニヤリと腹立たしい笑みを浮かべる。
「無駄無駄無駄無駄ァ、仮に世界が一巡したってキミは私に勝てやしないさ。そしてそれはキミたち風間ファミリーも同じだね――と私は今の内に予言しておくよ」
芝居がかった大仰な仕草で空へ両腕を広げながら、ねねは無意味に高いテンションで嘯いた。
「そう、次こそ!キミ達は一人残らず、雁首揃えてご主人の前に跪く事になるのさっ!くふふ……、あははは……、にゃーはっはっはっはっ!」
「なんという堂に入った悪役三段笑い……リアルに見たのは初めてかも」
「ああ、椎名さんが呆れた顔をしておられます……!もうねねさん、僭越にも主を差し置いて目立つなどと、従者にあるまじき畏れ多い振る舞いをするからですよ!」
「いや違うでしょ!呆れるところそこじゃないから!」
「ん?貴様は……何者だ?見覚えの無い面が紛れ込んでいるな」
「師岡卓也だよ!風間ファミリーの!確かに今回特に活躍はしなかったけどさ……何も忘れなくても……」
「ホントにね、闘った相手の顔も覚えてないなんて武人失格もいいトコよ!なんてひどいヤツ、そりゃまあユーレイみたいに存在感薄いし影も薄いけど、モロだって毎日頑張って生きてるんだから!」
「フツーにワン子の方が酷いよ!フォローするならもうちょっと僕を気遣ってくれないかな!」
「はっはっは、まあちっとも役に立たなかったモロじゃ忘れられても仕方ねぇな。なーにまたチャンスはあるんだ、次こそは頑張りゃいいだけだろ?そうすりゃ貧弱ボーイのモロでも俺様みたくナイスガイになれるだろうよ」
「え、何その根拠ない上から目線!?ガクトも活躍皆無だったから!全然僕と同レベルだから!あと間違ってもガクトみたいにはなりたくないから!」
これが伝説に残る秘技・ツッコミ八連か……実に素晴らしいキレだ。神が宿っているとしか思えない。此処にもまた天才が一人居たとはな、本当に世界は広い――などと馬鹿げた方向へ進もうとする思考を頭の片隅に押しやって、俺は瞬く間に弛緩した空気を引き締めるべく周囲を圧する。僅かに気を抜いた瞬間にコメディ空間を作り上げてしまうのは、もはや風間ファミリーの立派な脅威の一つに数えられるのではなかろうか。自重しない我が従者どもが一因を担っている気がしないでもないが、そこは敢えて考えるまい。本気で頭が痛くなりそうだ。
「さて」
兎にも角にも、どうにか厳粛さを取り戻した空気の中、俺は直江大和に冷徹な視線を向けた。
「2-Fからはひとたび手を引くが、俺が己の覇道を進む事に変わりはない。俺はこれより、お前達を除く全クラス――即ち残る八のクラスを屈服させ、悉く掌握する。2-A、2-B、2-C、2-D、2-E、2-G、2-H、2-I……俺がそれら全ての征服を終える、その瞬間までが、お前達に残された猶予と思うがいい」
「……成程、ね。文字通り、俺達が最後の砦になるかもしれないってワケか」
「然様。お前達の誇りと魂を完膚無きまでに壊滅させ、絶望の内に己の敗北を認めさせた時――俺は初めて覇者となる。くくっ、――その時を、今から愉しみにしているぞ」
威厳と余裕、そして遊び心を存分に見せ付けるような、悠然たる口調を心掛けて言い放つと、俺は颯爽と背を向ける。
賽は投げられた。俺の下した決断が正しいか否か、それは誰にも判らない。今のところはまだ、知る由もない事だ。
何にせよ、後悔はしない。例えどのような結末が待ち受けていようとも、俺の力が不足していただけのこと。常に自身の成せる最善を尽くし、自身を甘やかさない事を心掛けていれば、少なくとも後悔の念に苛まれる事だけは有り得ないのだから。
そんな風に思考を纏めながら、決闘の舞台たるグラウンドを立ち去るべく足を踏み出した、瞬間。
「―――ちょーっと待ったぁー」
妙に間延びした緊張感の無い声に、俺がピタリと足を止め、観客達がどよめき、背後で蘭とねねが息を呑む。
脳裏に湧き起こるのは強烈な既視感と、猛烈な悪寒。
凄まじく嫌な予感がする。頭の中で、ガンガンと狂ったように警鐘を鳴らしている。
「ふふ、楽しそうだなぁ、お前ら。だけどさぁ、さっきから誰かのコトを忘れてるんじゃないか?私一人を仲間ハズレにしようだなんて、本当にいーい度胸じゃあないか。私は生まれつき、誰かに無視されるのが大っ嫌いなんだよ……って事はだ、これはもう喧嘩を売られてると思ってもイイ筈だよなぁ」
ああ、確かに無視したとも。翔一の傍に座り込んで一言たりとも言葉を発しようとしない不自然さも、餓えた猛獣としか思えないギラついた双眸が放つ強烈な熱視線も、闘気と云う形を取って全身から立ち昇る凶暴な戦闘衝動も。
どれ一つとして、欠片も関わり合いになりたくない要素の塊だったからな。
「お前と2-Fの決着に関しては分かった。よーく分かった。だからさ――――」
背後から響く声音は奇妙に明るく弾んでいて、俺の精神を不気味に戦慄させる。
…………。
終わり良ければ全て良し。ならば、終わりが最悪の災厄で彩られている場合、果たして“全て”はどうなってしまうのか。
その回答は残念ながら、そう遠くない未来にて、無慈悲に弾き出されてしまいそうだった。
「次は勿論、“私”との愉しい闘いの番だよな?なぁ―――ノブナガぁッ!!」
主人公がエクストラステージに突入したようです。当然ながらコンテニュー不可。
という訳でこれにて風間ファミリー編は終了。そして最強生物・MOMOYO編がスタートするとかしないとか。
わざわざ感想を下さった皆様に心からの感謝を捧げつつ、それでは次回の更新で。