“島津寮”は、川神学園の抱える学生寮の一つである。その名の通り、川神に多くの土地を保有している島津家が土地と物件を提供することで成立した寮であり、市の実施した大深度掘削によって敷地内に温泉が湧いている事で有名だ。ただし知名度の高さとは対照的に寮としての規模は小さく、一階に三部屋、二階に三部屋の計六部屋。そのうち一つは空き部屋で、現在の居住者は五名である。直江大和、風間翔一、椎名京、源忠勝、黛由紀江――+αとして高性能お手伝いロボのクッキー(開発及び提供・九鬼財閥)。
「つまるところ、此処がこうして俺達の会合場所に選ばれるのは必然であったと言えよう」
島津寮一階に位置するリビングダイニングキッチンにて、賑やか過ぎるほど賑やかに食卓を囲む面々を見渡しながら、直江大和は誰に言うでもなく呟いた。キャップを除く風間ファミリー六名に忠勝を加えた総勢七人が、今現在テーブルを囲んでいる面子だ。
このメンバーがこの島津寮で食事を共にするのはそれほど珍しい事ではなく、誰かが個人で処理するには多過ぎる貰い物を貰ったり、或いは百代が川神院から大量の肉をかっぱらってきたり、はたまた生粋の自由人たるリーダーがレアな戦利品を持ち帰ったりした場合には、こうして皆で集まって分かち合うのが慣例となっていた。
とは言え、今回は特にそうしたイベントに恵まれた訳ではなく、単にミーティングの場所として島津寮に白羽の矢が立っただけの話だ。これまでの会合では放課後の2-F教室を利用していたのだが、今日は同様にはいかなかった。風間ファミリーの一員である椎名京と、かの織田信長の懐刀・森谷蘭が繰り広げた決闘は、先鋒戦とは違って放課後に行われたのだ。決闘の内容自体がそれなりの長時間に及んだ上、決闘後にも色々とゴタゴタがあったため、気付いた時には下校時間が迫るような時間帯となっていた。何せ明日に控えているのは勝敗を分かつ大将戦だ、下校までに時間を限った簡単なミーティングで済ませられる訳もなく、それならば晩飯でも食べながら話そうか、という話の流れになり、そして時は現在に至る。
四月十五日、木曜日。午後七時半の夕食時。皆でテーブルを囲んでの、実に騒々しい晩餐会が繰り広げられていた。
「ん?大和、何か言った?私に愛を囁くのが恥ずかしいのは分かるけどボリューム上げないと聴こえないよ。でもそんなシャイなところも好き」
「おお、相思相愛じゃないか。良かったな~弟よ」
「姉さんがそう思うんならそうなんだろう。姉さんの中ではな」
「おんやぁ?ここのところ何だかナマイキだなヤマトぉ。これはもっとイジめて欲しいというおねーさんへのサインと受け取った。おっと文句は受け付けないぞ。私がそう思うんならそうなんだ、私ん中ではな。ふっふっふ」
「くっ、不覚にも開き直りの口実を与えてしまった。なんというブーメラン……って、ちょ、俺の肉を根こそぎっ!?」
「私のものは私のもの、お前のものも私のもの。私ん中ではそうなんだから仕方ないだろ?」
悪魔的な笑顔でジャイアニズムを振りかざす姿が何とも言えず似合っている姉貴分に対し、残念ながら大和に抵抗の術はない。姉貴分と舎弟。二人の力関係は小学生時代の出逢いにて完璧に決定付けられていた。そうでなくとも世界最強にして天下無双の究極生物を相手にどうして逆らえようか。大和に出来ることは、皿の端に僅かに残っていた肉片を口に放り込み、己の不運と一緒に噛み締めるくらいである。
「ふっ。何だかやけに肉がしょっぱいが、麗子さんが塩加減を間違えたんだな、きっとそうさ」
上を向いて食べよう。ナニカが零れないように。塩っ辛い肉片を咀嚼しながら一人天井を仰ぐ大和の隣では、京がめくるめく妄想世界へとトリップしている最中であった。
「ああっ、大和にこんな公衆の面前で熱烈な告白なんてされたら、もう、もう――おっといけない、これ以上は軽く十八禁をオーバーしてしまう予感。さすがに食事中に口から出すには不適切な発言かも」
「ぎゃー!エロね、何だかエロいこと言うつもりなのね!えーいかくなる上はこうよ、オリジナル奥義・セルフ耳栓!」
色気のない悲鳴を上げながらワン子は指を両耳に突っ込んで栓をしていた。そして何故か両目をぎゅっと閉じている。果たして精神年齢の低さと関係しているのかは不明だが、ワン子は猥談の類がどうしようもなく苦手なのだ。偶然自室の秘蔵エロ本を発見された時、顔を真っ赤にしながら変態呼ばわりされた事を思い出し、大和は苦笑いを浮かべた。初心というか純粋無垢というかお子様というか……まあ京の如く平気で下ネタを連発するワン子というものも、それはそれであまり想像したくないのだが。
「心外な。私だって時と場合を弁えて発言してるのに。食事時くらいは妄想で留めないとね」
「ほう。カルピス飲む時とか牛乳飲む時とかに毎回添えてるコメントについて何か釈明は?」
「アレはある種の儀式というか、おまじないだね。口にすることでより美味しく感じられる魔法の言葉。よって何も問題はないのであった。具体的には大和の白濁――」
「時と場合を弁えるんじゃねぇのかよ!頼むから妄想で留めてくれ京、切実なお願いだ」
気付けば何時の間にやら恥じらいという概念を宇宙の彼方へ不法投棄していた幼馴染・京は無意味に手強かった。弁舌に定評のある軍師・直江大和を以ってしても一筋縄でいく相手ではない。その恐るべき下ネタ攻勢に四苦八苦していると、正面に座る常識人な不良(ツンデレ)が呆れたような溜息を落とした。
「ったく……、いいかてめぇら、聞いててメシが不味くなるような発言はくれぐれもするんじゃねぇぞ。そいつは食事への冒涜だからな。本当なら黙って静かに食うのが一番なんだが、まあてめぇらにそこまで要求する気はねぇ」
「あはは、タッちゃんは昔からゴハンのことには厳しかったよね。リクオがブロッコリーをこっそりトイレに流してたのがバレた時、本気で怒ってたのを今でも思い出すわ。“食材をそまつにするヤツはオレがゆるさん!”って二時間くらい説教してたっけ」
懐かしげに孤児院時代の思い出を語るワン子に、忠勝は決まり悪げに黙って肩を竦めた。その遣り取りに対する大和の感想は一言。
「ねぇゲンさん。ゲンさんってカーチャンみたいだって言われたことない?」
「……うるせぇぞ、オレの事はいいから黙って食べやがれボケ。冷めるだろうが」
憮然としながらも強くは言い返さず、眉を寄せた様子から見ると、どうやら図星を突かれたらしい。果たして何処の誰に言われたのかは知らないが、やはり誰しも彼に対して抱く感想は同じなのだろう。心中にてうんうんと頷く大和だったが、しかしまさかその“誰か”の正体が、目下のところ2-F最大の仇敵たる男だという驚愕の事実までは知る由もなかった。
「ごちそうさまー。うーん、たっぷり食べたら何だか眠くなってきちゃった……ふわわぁ」
「うんうん、よく遊びよく食べよく眠る、大いに結構。だがなワン子、これからミーティングだってこと忘れてるだろお前。そんな悪い子にはお仕置きが必要だな」
「うぎゃっ!?」
早くもうつらうつらと船を漕ぎ始めているところを伝家の宝刀・デコピン一発で覚醒させる。ギャーギャーと喧しく噛み付いてくるワン子を適当にあしらいながら、大和は席を立ち、空になった自分の食器を流しに放り込んだ。台所と食卓が直結していると移動の手間が最小限で済むのが便利である。
「さて、と」
改めて食卓の様子を見るに、既に全員が食事を終えてリラックスムードに入っている。今にして思えば当初の予定である“食べながらミーティング”は完膚なきまでにスルーされていたが、まあそれは想定の範囲内だ。元より片手間の会議で片付けられるような問題だとは誰も思っていないだろう。故に、本格的に思考を巡らせるのはこれからだ。大和は自分の席に再び腰掛けつつ、頭を切り替える。
最重要とも言えるポジション、作戦立案を担当する2-Fの頭脳役を任されたからには、決して適当な働きは出来ない。一勝一敗の状況で迎える大将戦となれば、双肩に掛かる重圧も推して知るべし、だ。勿論、先鋒戦・次鋒戦の作戦に手を抜いていた訳ではないが、明日の勝敗如何で全てが決する以上、やはり気合の入り方が違うのは仕方のない話だろう。
(信長、か)
脳裏に浮かぶのは、2-Fの前に立ち塞がった冷厳なる氷壁。あの男と対峙した瞬間を思い返す度に、大和は背筋に走る戦慄を抑えられなかった。同じ人間だとは、ましてや自分と同年代だとは到底思えない程に凶悪な存在感。そして何よりあの眼差し。見下す、の領域を遥かに通り越し、もはや万物を平等に無価値と断じているような醒め切った瞳が自分を捉えると、底無しの空虚に引き摺り込まれるような錯覚を覚えるのだ。あの存在を相手に戦い、勝利を収める――言うまでもなく、それが自分達の目的。だが、深淵より覗き込んでくるかの如き暗い双眸が頭を過ぎる度に、そんな事が出来る筈がないだろう、と弱音を吐きたくなる。アレはバケモノだ、俺達の手に負える存在じゃない、と。
(ホントに勘弁して貰いたいな、全く)
そもそもにして文字通り住む世界が違う彼が何故よりによって川神学園に転入してきたのか、あまつさえ自分達が目を付けられるような事態に陥ってしまったのか。そこそこに刺激的でそこそこに平穏な、どちらかと言えば至極普通の学生生活を望む大和としては頭の痛い限りな状況だが、しかしまあ嘆いてばかりもいられない。
あの男と戦うとは言っても、何も実際に同じ土俵に立って殴り合いを演じる訳ではないのだ。相手は世界最強の武力を有する姉貴分を認めさせるレベルの怪物だが、幸いにして今回の勝負ではその暴威を振るう機会は無い。であるならば、必ず付け入る隙はある。故に、大和に課せられた役割は、その“隙”を見出す事に他ならない。今日の次鋒戦を通じて、取っ掛かりらしきものを掴むことには成功していた。どのように戦い、どのように勝つか、その道筋も見えてきている。あとはこの発想を煮詰めて、発展させれば―――
「…………しちゃうわ。ホラ大和、黙ってないで何かツッコみなさいよ」
(ん?)
隣のワン子に唐突に話を振られた事で、大和は思案に沈んでいた自分に初めて気付いた。顔を上げれば、六名分の視線が自分に集中している。風間ファミリーと、心強い助っ人。織田信長という壁を乗り越えるため、力と知恵を合わせるべく集合した仲間達の姿を見遣って、大和は小さく不敵な笑みを浮かべた。そう、策の大枠は自身の脳内で既に出来上がっている。ならば情報と分析を以ってそれを肉付けし、策として命を吹き込む為にはどうすればいいか?
答えは簡単、皆を頼ればいい。その為のチームで、その為のミーティングだ。
「そうだな――皆に話がある。ちょっといいか?」
「ははは、こいつスルーされてやがるぜ、イデッ!?ワン子テメェやりやがったな!」
「うー、いちいちうっさいのよアンタは!ほっときなさい!」
大和が聞いていなかった部分で何かあったのか、ワン子とガクトの二大脳筋が低レベルな争いを繰り広げている。
「おーいお前ら、じゃれ合うのは後にしとけー。私の舎弟が何か真面目な話するっぽいぞ」
「その凛々しい表情……もはや永久保存したいレベルだね。それで、どうしたの?大和」
京の言葉の前半部分はひとまず聞き流す事にして、大和はゆっくりと口を開いた。
「明日の大将戦について、ずっと策を考えてたんだけど……生憎、最善と思える“策”は一つしか思い浮かばなかった」
「結構じゃないか弟よ。一つでもベストと思える作戦を立てられたなら万々歳だろ」
「確かにそうなんだけど、これがまた色々と極端な策でね。下手をすると策ですらないと言われても仕方が無いようなものだ。だから、まずは皆の意見を聞いてみたい。俺の提示するこの策が――信長に、通用するかどうか」
そう前置きしてから、大和は思考の末に導き出した“策”を披露する。その内容に対しての反応は、
「はぁ?信長のヤローを勝負に引っ張り出すだぁ?なーにアホなこと言ってんだ大和」
ガクトによる呆れ混じりの意見が第一声だった。
まあやっぱりそういう反応になるよなぁ、と予想通りの反応に怒るよりもまず納得していると、続いて京が口を開く。若干目が据わっているのは気のせいではないだろう。
「よりによってガクトにアホ呼ばわりされるとはなんてムゴい仕打ち。これはもはや屈辱で憤死しても許されると思うんだ」
「ちょ、ひどくね?俺様の繊細なハートにヒビが入りそうだぜ」
「ゴリラに繊細なハートがあるなんてメルヘン、私は信じない。だから別に酷くない」
鏃の如き鋭い語調で容赦の無い毒舌を吐く京に、ガクトは情けなく表情を引き攣らせていた。
「なぁ俺様泣いていいか?むしろ怒るべきなのか?」
「笑えばいいと思うよ。っていうか今のはフツーにガクトが悪いね。僕も大和の言ってる事を理解できた訳じゃないけど、さすがにアホはダメでしょ」
「あー……まあ別に俺は気にしてないから。我ながら突拍子もない事を言ってるって自覚はあるし。さて、どうしてこんな事を言い出したのか、その理由から説明しますかね」
こんな事。大和が提示した策、すなわち“信長を明日の大将戦に引っ張り出す”――その結論に至った理由だ。
「……なあ、皆。今日の決闘、俺達は勝ったと思うか?」
大和の静かな問い掛けに、全員が不意を付かれたように沈黙した。そして数秒後、やはりと言うか、真っ先に沈黙を破って口火を切ったのはガクトである。
「オイオイ頼むぜ知力95、軍師の名が泣くぞ。答えるまでもねーよ、誰がどう見たって京の勝ちだったろーが」
「うんうん。大和アンタまさか居眠りしてたんじゃないでしょーね。もしそうだったとしても心配御無用、アタシがこの目でバッチリ見届けたんだから間違いないわよ!」
「まあ落ち着けって武力95ども。俺が言わんとしてるのはそういうことじゃなくてだな」
「……大和、さっきみたいに遠回しに言っても脳筋ズには通じないよ。悲しいかな、それが現実」
「まあ確かに、言い方が悪かったか」
物憂げに溜息を落とす京の意見に苦笑気味に同意してから、改めて言葉を選ぶ。
「オーケー、確かにワン子とガクトの言う通りだ。今日の決闘の結果は、相手方の降参による京の勝利、それで間違いない。そこに文句を付ける気はないさ。それじゃあ何が問題なのか、ってところだが……そうだな。その辺りを説明する為にまず、“決闘後のギャラリーの反応”に何かしらの違和感を覚えた人は挙手してくれ」
大和の呼び掛けに対して挙がった手は三つ。京、忠勝、モロの三名である。そして残る三名は――
「え?え?何の話?アタシはべつに何も感じなかったわよ」
「フフン。残念ながら俺様は他クラスの女子に肉体美をアピールするので忙しかったからな。ギャラリーなんぞハナから眼中に無いぜ」
「あ~、私は見学に来た新一年生たちからカワユイ娘っ子を見繕ってたんで、期待されても困るんだなこれが」
「ハッハッハ。期待を裏切らない反応をありがとう」
流石は風間ファミリーの誇る三大脳筋だ、という喉元から出掛かった正直極まりないコメントをどうにか飲み下しながら、大和は乾いた笑いを上げた。見れば知的な不良(ツンデレ)は頭が痛そうな渋い顔で脳筋ズを眺めている。その気分は我が事のように良く分かるが、しかし比較的頭の回る三人が挙手してくれただけでひとまず良しとしよう。とにかくこれで話を進められる。
「まあ姉さん達は一旦置いておくとして。手を挙げた三人が覚えた違和感っていうのは、具体的にどういうものだったか。ゲンさん、説明よろしく」
「何でオレが……ちっ、まあいい。率直に言うが、2-Fの、つまり椎名の掴んだ勝利はギャラリーに勝利として正しく認められていなかった。そういうことだ」
「え?え?んーと、タッちゃんごめん、全然ワケわかんなかったり」
「手応えがねぇんだよ。確かに椎名は文句の付け様もなく勝ったが、それに対する周囲の評価が普通じゃ考えられねぇ程に低い。それこそ、“勝った意味がなくなっちまう”くらいにな」
「うん。その通り」
勿論、京の勝利が全くの無意味だったという訳ではない。今回の一勝が無ければ二本先取でそのまま敗北していた訳で、大将戦に持ち込んだという意味では間違いなく重大な役目を果たしたと言える。しかし、敢えてその点を除いて考えてみるとどうなるだろうか。
「ん~、よく分かんねーぜ。京は勝ったんだから、周りの連中が何を言おうが関係なくね?」
「それは風評ってものを軽く見すぎてるな、ガクト。いいか、仮にこのまま俺達が明日の大将戦で勝利を収めたとして、その時に周囲の誰もが俺達の勝ちを認めてくれなかったら……それは実質的な敗北に他ならないんだ」
2-Fが織田信長を打ち破ったという事実は生徒達が作り出す風評によって覆い隠され、その価値ごと無かったものとされてしまう。結果として、自分達が何の為に戦ったのか、その意味すら失われてしまうのだ。後に残るのは自分達の自己満足のみ。それだけは何としても避けなければならない事態である。
「いやいや何よそれ、おかしいじゃないの!納得いかないわ、どーしてそんな理不尽なコトが起きるってのよ!」
「それをさっきまでずっと考えてたんだけどな。俺が思うに、俺達は信長に対して勝負を申し込んだ時点で失敗していたんだ。今にして考えれば、あまりにも――ハンディキャップを得過ぎた」
信長本人は勝負には参加せず、代理として自身の“手足”のみを用いる。
決闘の時刻、場所、ルール、それら全ての決定権を2-F側に与える。
改めてそれらに思考を及ばせてみれば、前提からしてどうしようもなくアンフェアな決闘だ。間違っても対等な勝負などではありえない。
「これは俺の失策だ。一昨日、信長に勝負を申し込んだ時、俺は奴に呑まれていた。冷静に考えてみれば判る事だったんだ……あんな無茶苦茶なルールじゃあ絶対に勝負なんて成立しない。客観的に見てこちらが絶対的に有利なんだから、ギャラリーにしてみれば勝てて当然。それでいてもしもこちらが負ければ大番狂わせ、不利な条件の中で勝利を掴んだあちらさんの評価は鰻上りだ。つまり、俺達は真っ向から信長に挑んだつもりが、いつの間にかハイリスクローリターンな、まったくもって割に合わない勝負に引きずり込まれてしまったってことなんだよ」
そして、その責任の大半は自身にある。言い訳のしようもなく、痛恨のミスだ。普段の自分なら絶対にこんな失敗はしない。全ては、あの凶悪な殺意を撒き散らす男と対峙した事が原因だった。押し寄せる恐怖と動揺が大和から冷静な思考力を奪い去り、判断力を鈍らせた。あの時、大和は確かにこのように考えたのだ――“この男と争う以上、この程度のハンデは必要だ”と。信長の押し潰すような威圧感を前に、そんな錯覚を疑いもなく抱いてしまった。信長の脅威を身を以って知った訳でもない無関係な第三者が、ハンディキャップを甘受した2-Fをどのような目で見るか、そこまで思考を及ばせる事が出来なかった。
「成程な。つまりてめぇが言いたいのはこういう事か、直江?明日の大将戦で2-Fが勝とうが負けようが、あの野郎……信長には絶対に勝てない、と」
しっかりと要点を掴んだ確認に大和が頷いてみせると、忠勝は眉間に皺を寄せながら、何事か納得したように深く頷いた。
「“織田信長が勝負の申し込みを受諾した段階で、既に大勢は決していた”……そういう事だな」
「そう、勝負の前提条件の設定をミスった。だから、この状況からその失態を挽回する手段はただ一つだ。――今からでも信長自身を勝負に引っ張り出す。手足じゃない、本人だ。それを成功させて初めて、俺達は奴と同じ土俵で争えるんだから。……俺の言ってる事、理解できたか、ワン子?」
「えーっと、うぅ、何となくだけど。とにかくノブナガのヤツに高みの見物をさせちゃいけないってコトでしょ?」
「いささか不安が残らないでもない回答だが、まあ概ねその通りだな。皆も俺の言いたい事は分かってくれたと思う」
京、モロ、忠勝の三名は言うに及ばず、百代とガクトも大和の“策”を理解できたようで、納得の表情で頷いていた。
「ねえ大和。信長本人が出てこないと勝負が成立しない、それは分かったけど。……仮に信長本人が出てきたら、違う意味で勝負が成立しなくなる気がしないでもない」
「あー、それは確かに京の言う通りだな。この中で織田のヤツとまともにやり合えるのは私くらいのもんだ。その辺りはどう考えてるんだ軍師?おっ、いや、みなまで言うな。つまりはアレだ、ついに私の出番がやってきたという事だな!いいなぁいいなぁ、天下分け目の大将戦でアイツと闘えるなんて最高のシチュエーションじゃないか。想像するだけで血が滾ってくるぞ、ふふ、ふふふ」
よほど信長との戦いに餓えていたらしい。百代は舌なめずりせんばかりの表情で、全身から凶暴な闘気を立ち昇らせていた。戦闘方面での欲求不満とか物騒だから真剣で勘弁して欲しいなぁ、と姉貴分の悪癖に内心で溜息を吐きつつ、大和は再び口を開く。
「何やら早合点して喜んでる姉さんには水を差すようで悪いけど、その案はパスで。2-Fと信長の勝負に、三年の姉さんが出てきたらそれこそアンフェアもいいところだからね。あくまで俺達の力で、直接あの男と決着を付けることに意味があるんだ。という事で今回は最後まで待機でよろしく」
「なんだつまらん。あ~あ、おねーさんシラケちゃったよ。私をぬか喜びさせた罰として今月分の借金チャラな」
「横暴過ぎる……現世に神はいないのか」
「ああ、渡る世間の冷たさに触れて大和が傷付いている。でも心配しないで、傷口は私が執拗なまでに舐めて癒してあげるから。ハァハァ」
「耳元でハァハァしてんじゃねぇ!」
魔王から逃げ出したところ変態に回り込まれてしまった。どうやら自分に安息の地はないようだ、と諦観と共に天井を仰いでいると、おもむろに忠勝が席を立った。何事かと視線の集まる中、部屋の隅から紙袋を提げて戻ってくる。再び席に着くと、がさごそと袋の中身を取り出して、テーブルの上に並べた。
「これは……和菓子?」
「そろそろデザートにゃいい時間だと思ったんでな。ここらで息抜きでもしとけ。それに糖分を補給しないといい案も出ねぇだろ」
「さすがゲンさん!俺の癒しはゲンさんとヤドカリだけだよ」
「勘違いするんじゃねぇ。グダグダなミーティングなんぞ願い下げだからな。それを防ぐためにも、てめぇらの頭が少しは回るようにしてやりたかっただけだ。……ああ、ちょっと待ってろ。茶を淹れてやる。その方が和菓子の味を引き出せるからな。言っとくがこれは和菓子に対する当然の礼儀で、別にてめぇらの為じゃねぇぞ」
ぶっきらぼうに言いながら席を立ち、台所へ向かう家庭的な不良(ツンデレ)の背中を見送りながら、風間ファミリーの面々は一様にほっこりした表情を浮かべていた。
「うまっ!うまうまっ!ちょ、これホントにおいしーわよタッちゃん!」
「うん……辛さが致命的に足りてないけど、それ以外は完璧だね。十点!」
「おお、京の十点が出ましたよ奥さん。というか和菓子に辛さという要素を求めるのは絶対に間違ってると思うんだ。うん、それはさておき、冗談抜きに美味いなこれは。むむむ、よもや軍師・直江大和ともあろうこの俺が、手が止まらんとは……っ!」
「別に軍師関係ないよね!うーん、梱包からして店売りじゃないから、手作りかな。ひょっとしてゲンさんが作ったの?」
「いや、俺じゃねぇ。知り合いに和菓子作りが趣味の奴がいてな。そいつと昨日会った時、大量に押し付けられたんだが、到底親父と俺の二人じゃ処理しきれなくなったんで、お裾分けだ……ったく、気合入れて作り過ぎなんだよあの馬鹿は。まあらしいと言えばらしいんだが」
「……ふ~ん」
その時、京がニヤリと邪悪な笑みを浮かべ、忠勝に意味深な目を向けた。
「ゲンさんの言う“アイツ”って、女の子?」
「ん?ああ」
「へぇ。なるほど、ね」
「どうした京。そんないかにも悪企みしてそうな顔で」
「ククク、いかに未来の配偶者の大和といえどこればっかりは言えないね。ソウルシスターとの絆はそれほどに重いのです」
気になることは気になるが、どうにも口を割りそうに無かったので、大和は京の態度の理由を問い質すことは早々に諦めた。
それよりもむしろ、忠勝の口から女子に関する話題が出てきた事が驚きである。それはまあ、別に家に引き篭もっている訳でもない健全な男子高校生である以上、女子の知り合いがいる事など当然なのかもしれないが……何せ態度の悪さと目付きの悪さと口の悪さと素行(職種)の悪さから生粋の不良扱いされ、一部のクラスメートを除く全校生徒に恐れられている忠勝だ。そんな彼に対してお手製の和菓子をプレゼントする女子がいるとなれば、大和の興味を引くには十分だった。
「知り合いの女の子に、“アイツ”ねぇ。随分と親しげに聞こえるんだけど、これはもしかするともしかするんじゃない?」
「あ?何が言いてぇんだ直江」
「つまりはアレだ――ゲンさんに春が来た予感!」
「なにぃっ!?おいマジかよゲン!チクショウてめぇ女に興味ないフリしやがって、やることはやってやがったのかよ。見損なったぜ、てめぇがモロと同類のムッツリ野郎だったなんてよ!」
「ドサクサに紛れて余計なこと言わないでよ!とばっちりもいいところだよね!」
「それでゲンさん、本当の所はどうなんですかね」
「んな訳あるかボケが!ったく、何を言い出すかと思えばくだらねぇ。年中無休で色ボケしてやがるてめぇらと一緒にしてんじゃねえよ」
「え、タッちゃんって好きな人いたの!?ほえー、タッちゃんもアタシの知らないところで青春してるんだなぁ。相手が誰なのかは知らないけど、恋が成就するように祈ってるわ!応援してるから頑張ってね!」
「ぐっ、一子、だからそいつは誤解だって言ってるだろうが……!ちっ、やはり余計なことは言うもんじゃねぇな、口は災いの元だ。毎回毎回懲りねぇなオレも……。オイ、もう休憩は十分だろ。和菓子も切れたところだ、さっさとミーティングを再開するぞ」
この話題についてはもっと色々と突っ込んで訊きたい気分ではあったが、ギロリとこちらを睨み据える忠勝の眼光に只ならぬ迫力を感じたので、大和はひとまず潔く退いておくことにした。
常識的で知的で家庭的な忠勝だが、それらの全ては“不良なのに”という前提あってのことだという事実を忘れてはならない。下手に怒らせれば本気で怖いのだ、実際。引き際を見誤るべからず、である。
「さて、話の続きだな。信長を勝負に引っ張り出した後、どうやって対処すればいいのか。それが次なる問題になってくる訳だけど」
「う~ん、僕は戦闘とかはからっきしだからいまいち分からないんだけど。実際問題、信長ってどれくらい強いの?モモ先輩が認めるくらいだからそりゃもうレベルの桁が違うってことは分かるんだけどね。やっぱり具体例を聞かないとイメージし辛いって言うか」
モロの意見に関しては大和も同感だった。自身もモロと同様に武力というものをまるで持たないため、相手が“とんでもなく強い”ことは分かっても、どの程度、どのように強いのか、具体的な部分は知る術がない。よって、信長の脅威に対する認識はどうしてもアバウトなものになってしまう。
「具体例、か。そうだな、九鬼との決闘じゃあいつ自身は闘わなかったし、不死川とはそもそも勝負になってなかった……考えてみりゃお前らを含めて、学校の連中は誰もあの野郎の戦闘を見てないのか」
「そうなんだよね。ゲンさんは信長と付き合い長いみたいだし、何か具体的な例を挙げられるんじゃない?」
「まあ、“こっち”じゃあの野郎の悪名は散々鳴り響いてやがるからな。物騒な逸話やら悪趣味な伝説やらには事欠かねぇのは確かだ。で……その中から敢えて具体例を選ぶとすれば、相応しいのは一つだろうよ。二年ほど前、まだオレも信長も中学生だった頃の話だが、裏社会ではかなり有名なエピソードだ」
そう前置きしてから、忠勝は湯飲みに残っていた緑茶を飲み乾して、静かに語り始めた。
「……当時の堀之外はある意味では今以上に混沌とした街だった。絶対的に有力な支配者が不在だった事で、色々な有象無象が常に小競り合いを起こし、街の覇権を握ろうと明に暗に争ってやがったからだ。――そんな時に、急速に頭角を現してきた二つの勢力があった。まあ勢力と言うよりはほとんど“個人”、みてぇなもんだが……その一方が織田信長と森谷蘭の主従だ。そしてもう一方は、板垣一家と呼ばれる四姉弟。織田主従と板垣一家はそれぞれが滅茶苦茶な力で暴れ回って、見る間に堀之外の支配権を掌握していった。逆らう奴をことごとく叩き潰しながら、な。双方がそうして勢力圏を広げていけば、最終的に行き着くところは自明だ」
「堀之外の覇権を掛けた、両者の衝突……って所だろうね」
大和の呟きに、忠勝は頷いてみせる。
「そういう事だ。どうもあいつらは昔からの顔馴染みだったらしいが、お互いそれだけの理由で道を譲るような生温い連中じゃねぇ。織田信長と森谷蘭、板垣竜兵、板垣亜巳、板垣辰子、板垣天使……当時から揃いも揃って怪物級だった奴らが真正面から衝突した。こうなればほとんど銃火器を使わない戦争みてぇなもんだ。実際、全部が片付いた後で様子を見に行ったら、堀之外の一角が戦場跡さながらの景色になってたのを良く覚えてる。そして、結果は――信長の完勝だった。あの野郎、掠り傷すら負ってなかったな。さすがにゾッとしたぜ」
忠勝の語る信長の逸話を聞き終えると、ふぅん、と百代は愉しげに口元を吊り上げた。
「まあ織田の奴なら不思議じゃあないな。あいつの纏う“気”はどう考えても釈迦堂さんクラスかそれ以上だ。お前らにも分かり易く言うなら、川神院の師範代並みのレベルは間違いなくある。もしあいつが表立って動けば、武道四天王の顔触れも変わるだろうな。で、どうなんだ、肝心なところを聞いてないぞ。織田とやり合ったその板垣一家っていうのは、どれくらい強いんだ?それが分からないと何とも言えんだろうに」
「信長が板垣一家とやり合ったのはあくまで中学時代の話だ。どれだけ当てになるかは判らねぇが、参考までに言っておく。今のあの連中の強さは―――」
長男、板垣竜兵。実力的には忠勝やガクトより格上で、裏社会のチンピラを取り仕切る獣達の王。
長女、板垣亜巳。恐らくは京や一子より格上で、川神学園の教師陣に匹敵するであろう力量の持ち主。
次女、板垣辰子。実力はほぼ未知数。まともに戦っている姿が滅多に目撃されないが、長女より遥かに強いという目撃談もある。
三女、板垣天使。忠勝の見立てでは一子と同等の実力だが、実際に戦えば、実戦経験と残虐性の差で彼女に軍配が挙がるだろうとの事。
忠勝の語った板垣一家の情報を頭の中で整理しつつ、大和は慎重に口を開いた。
「その四人を同時に相手にして、信長は勝利した。しかも掠り傷さえ負っていなかったって事は、順当に考えれば“パーフェクト勝ち”した訳か……」
「まあ実際は四対二、だったとは思うが。あの野郎の傍にはいつだって従者が控えてるからな」
「ふむ。私の見たところ、あの蘭ってカワユイ娘は京以上メイド未満、って感じだったな。潜在能力はもっとありそうな気はしたが、コントロール出来ないんじゃなぁ。自分の力に振り回されてるようじゃまだまだ青い。ま、今のアレだと、四人の内の一人を引き受けるのが精一杯だろうな」
百代の分析を計算に加えて、大和は思考に沈んだ。
という事はつまり、信長は板垣一家の三人を同時に相手にして、無傷の勝利を収めた事になる。忠勝の言が正しければ、彼等は一人一人が最低でもワン子と並ぶ実力の持ち主だ。そうなると――信長の有する力量は、限界まで少なく見積もったところで、彼女の三倍以上と考えるのが自然だろう。
「要するに、だ。姉さんが参戦できない以上、俺達が信長に対して真正面から戦闘を挑むのは自殺行為って事だな。風評を考えれば、さすがに一騎討ちのルールまでは変えられないし」
「んん?それじゃーどうするのよヤマト。信長と勝負しないと勝てないのに、勝負しても勝てない……?あうぅ、こんがらがるぅ……何だかアタマが痛くなってきたわ」
「ワン子の頭がオーバーヒートしそうな件は死ぬ程どうでもいいとして。別に真正面からの戦闘に拘る必要なんてないよね。これまでの二戦……ワン子の徒競走に、私の射詰め。どっちも自分達の得意分野で戦ってきたんだから。大将戦も同じように有利なステージを用意すれば、相手が信長でもどうにかなると思う」
「うーん。だけど京、その“ルールを2-F側で決めてもいい”っていうのはやっぱり、客観的に見て大きなハンデだよね。それに頼って勝ったとしても、皆が認めてくれないんじゃない?そうなったら結局、僕達は実質的には勝てないって事ならないかな」
「いやー、そうは言い切れないだろモロロ。確かにこっちでルールを自由に決められるってのは相当なハンデだが、織田の奴が出てこない事に比べたら些細なものだと思うぞ。たとえどんなルールで勝負しようが、織田が直接舞台に出向いてくれば、それだけで十分にギャラリーは納得するんじゃないか?」
「でも―――」
「だったら―――」
「だけどよ―――」
次々と飛び交う意見を、大和は一歩引いたところから眺めていた。
状況を打開するための策を編み出そうと各々が真剣に頭を捻り、丁々発止と議論を交わしている。軍師としての自分が提示した“策”をこうも真摯に受け止め、その内実を完成に近付けるために、皆が本気で取り組んでくれている――その事実は、大和にとっては何よりも嬉しいものだった。
穏やかな心地を僅かな笑みに変えながら、大和は新たな意見を提示すべく、再び思考を巡らせ、口を開いた。
「俺が思うにだけど―――」
かくして決戦前夜は、これで最後となるであろう対織田信長特殊ミーティングにて過ぎてゆく。
電話回線越しにキャップこと風間翔一を加えての対策会議は、実に深夜近くまで行われた。
そして。
夜は明け―――四月十六日、金曜日。
「いよいよ、か」
玄関口で足を止め、空を見上げる。本日は快晴なり。雌雄を決するには好い日と言えよう。
「えー。キャップ不在でいまいち締まらないけど、ここはリーダー代理として俺こと直江大和が一言」
朝方の新鮮な空気を肺一杯に吸い込んで、大和は声を張り上げる。
「さあ――2-F代表、風間ファミリー!出陣だ!」
『応っ!!』
清々しいほどに真っ青な空に向かって、皆の声が響き渡った。
「さーてさてさて。いよいよだね、ご主人。いかに面の皮が厚過ぎて我が道を往き過ぎてる感のありまくりなご主人と言えども、そろそろ緊張してきたんじゃない?トイレに行っておくなら今の内だよ」
「ふん。下らん事を抜かすな、ネコ。眼前の塵芥を払うに、何を緊張する必要がある?」
「くふふ、相変わらず人を人とも思わない空前絶後の傲岸不遜っぷり、流石は私のご主人だと感嘆する他ないね。いよっ、川神学園最悪最凶災厄最狂の男、今日もまた最っ高ぉに冷酷無情だよ!ああ無情ぅ、レ・ミゼラボゥ!」
「もう、不敬ですよねねさん。あああ申し訳ございません主、蘭の教導が至らぬばかりにこのような!この森谷蘭、かくなる上は腹を掻き割って信長さまへのお詫びと致しますッ!」
「…………」
こいつらは少しくらい黙って控えていられないのだろうか。決戦直前で気分が高揚しているのか何だか知らないが、先ほどからテンションが高過ぎて手に負えない。こんなイロモノ連中を従者として連れ回さなければならない俺の気苦労というものを考慮して欲しいものだ。あたかも奇人変人の類を見るような周囲の視線が、容赦なく俺の繊細な心に突き刺さる。
「来たな……、アレが噂の織田一家って奴らか。初めて見たが、ありゃ確かにヤベェな……姿を見ただけで背筋が震えたぜ」
「おいお前ら、ボサっと突っ立ってないでさっさと道を空けろ!目ェ付けられたいのか!機嫌を損ねたら殺されるぞ!」
「ひ、ひぃっ!?」
「ば、バカ、早く下がれ!目を付けられるって言ったろうが!」
「でも、あ、腰が抜けて動けないよぉ~」
「くそ、世話を掛けさせやがる!ほらキョウコ、掴まれって」
「あ、ありがとうカズキ……」
まず間違いなく蘭とねねが繰り広げる変人空間に恐れを為したのだろう、俺達の進行方向を塞いでいた人垣が大袈裟な勢いで割れて、必要以上に広い通路が瞬く間に出来上がる。途中で聴こえたラブコメらしき腹立たしい遣り取りは即座に脳裏から抹消した。というか、前も同じような事があったのは気のせいだろうか。
激しい既視感に頭を悩ませながら歩みを進めることしばし、目的地に到達する。
現在地は――川神学園第一グラウンド、その中心部。俺こと織田信長と、2-F代表チームのリーダー、風間翔一の決闘場所として選ばれたステージだ。昼休みもそろそろ終わろうという時間帯だと言うのに、第一グラウンドは数え切れない程の群集で猛烈に賑わっていた。半ば当事者たる2-F・2-Sの面々は当然として、他クラスの同級生一同、更には上級生に下級生、それに加えて教師陣、果ては警備員から食堂のおばちゃんまでもが見物に押し掛けている始末だ。料理部とやらは商魂逞しく昼食用の弁当の販売を始めているし、決闘を目前にして大半の生徒達はトトカルチョで盛り上がっている。グラウンドを覆う凄まじいまでの熱気は、もはや祭りと形容できるレベルに達していた。九鬼英雄との決闘も不死川心との決闘もギャラリーは相当に多かったが、それも今回に比べれば霞んでしまうだろう。水曜日より始まった2-F代表チームVS織田一家の対戦。その決着を飾る大将戦――いかに全校の注目を集めているか判ろうと云うものだ。
「いよいよですね、信長。コンディションはいかがですか?」
「冬馬か。ふん、然様な質問は無意味よ。この俺が自ら動く以上は、いかなる状態であれ――後れを取る事など、万が一にも有り得はしない」
「ふふ、実に頼もしい言葉です。私も信長の背中ならば安心して見ていられますよ。貴方の雄姿が、それはもう目に焼き付く程の熱烈さで応援していますから、存分に力を揮って下さいね」
不気味に爽やかな笑顔で言い残すと、冬馬はギャラリーの輪の中へと戻っていった。応援してくれるのは確かに有難いのだが、決闘の間中、奴に熱視線を送られ続けるのかと考えると素直に喜べない。見ているのは本当の本当に背中か?臀部の間違いじゃないのか?
「フハハハ、調子はどうだ!我が好敵手、ノブナガよ!我は常と変わらず壮健である!」
「お前の体調に興味は無い」
今度は無駄に騒々しい輩の登場である。周囲に充満するお祭りムードに中てられているのか、心なしか普段以上にハイテンションだった。
「貴様ならば言うまでも無く分かっておろうが、この一戦は即ち2-Sの名を背負ったもの。故に、本来であればクラス委員長たる我が果たすべき重責……しかし、今回は貴様に預けるとしよう。王たる我が好敵手と認めた貴様なればこそ、栄光ある我が代理役を任せるに足るというもの!さぁ、見事我の信頼に応えて見せるがいい、ノブナガよ!」
「莫迦め。お前の意図にも興味なぞ無い。俺は、俺の意志で戦に臨むだけよ」
「フハハハ、その意気よ!王たる者の在り方、その身を以って庶民に示してやるがいい!フハハハハッ!」
醒め切った語調で返した俺の言葉が聞こえているのかいないのか、英雄は普段の三割増しで喧しい高笑いを上げながら、腹立たしいほど颯爽と去っていった。相変わらず規格外にゴーイングマイウェイな奴だ、と呆れながら金ピカの背中を見送っていると、不意にドスの利きまくった低い声音が耳を打った。
「いいかテメェ。もし英雄さまの期待を裏切りでもしたら、あたいが後腐れなくぶっ殺してやるから覚悟しとけ」
「……くく。相変わらずの狂犬だな、忍足あずみ。或いは、“女王蜂”と呼ぶべきか?」
容赦なく突き刺さる殺気に内心冷や汗を垂らしながら、悠然たる態度で眼前のメイドを見返す。九鬼家従者部隊序列一位にして、かつて“女王蜂”の異名で数多の敵部隊を恐慌に陥れた見敵必殺の傭兵――忍足あずみは、ニタリと凶暴な笑みを浮かべてみせた。
「はっ、その名を“こっち側”の世界で呼ばれるのは久々だな。あたいの事を知ってるってんなら話は早い。毒針で刺し殺されたくなかったら、精々気張るこったな。……英雄さまのライバルともあろう野郎がこんな所で負けるなんざ、あっちゃいけねぇだろ?ま、あたいも形だけは応援してやるさ。――ああ、どうかお待ちください英雄さま~☆」
俺に浴びせていた、刃物を思わせる鋭利な殺気をあっさり消すと、あずみは飄々と手を振りながら英雄の下へ駆け寄っていった。クラスメートの言葉を借りるなら、とんでもなくおっかない冥途さんもいたものだ。今更ながら、彼女の正体を碌に知らないまま喧嘩を売るという暴挙をやらかした過去の自分が怖い。結果的にはある程度丸く収まったから良かったが、一歩間違えていれば、今頃俺の首から上の部位は永遠に失われていただろう。
九鬼家従者部隊序列一位、そして“女王蜂”……どちらの肩書きも、聞く者が聞けば震えが止まらなくなるような恐怖の代名詞。即ち人を外れた怪物の証である。
「よう信長。あのバイオレンスメイドに絡まれるとは災難だったな」
「準か」
「同じ被害者として心から同情するぜ。うむ、是非ともそのままスケープゴートになってくれ。俺の平穏のために」
「死ぬがよい」
何やら菩薩のような表情で俺を拝んでいるが、言っている事は普通に最低だった。思わず殺気を飛ばした俺を責められる者はいまい。
「きゃはは、イケニエだイケニエだ~。これでもうパシらなくていいよ!やったねジュン!やーい、ハーゲハーゲ」
「脈絡なく人の外見的特徴を罵倒しない!そもそも寝てる間に俺の髪剃ったのアンタですから!」
「そんなの関係ないもんねー関係ないもんねー。所詮ハゲはハゲだからハゲなのだ~」
「意味分かんねぇけどなんかすごい傷付くからやめて!」
こいつら俺の応援に来たんじゃねぇのかよ、だったら一体何しに来やがったんだ、漫才なら余所でやれという俺の無言の抗議を受け取ってくれたのかは知らないが、ハゲもとい井上準は小雪にペチペチ頭をはたかれながらも、ようやっとこちらに向き直った。
「ま、正直言ってお前さんには別に応援なんざ必要ないとは思ったが、ダチだからな。頑張れよ、信長」
「がんばれがんばれノ・ブ・ナ・ガ!いまが本能寺だーっ」
「不吉極まりない応援があったもんだなオイ!あー、信長よ。まぁユキはこんなだが、少なくとも2-Sの奴らは皆お前のこと、応援してるぜ。一応、それだけは言っておきたくてね。……んじゃ、また後でな」
言うべき事は言った、とばかりにさっさと背を向け、暴れる小雪を引っ張ってギャラリーの中に戻っていく準。その飄々とした背中を見送りながら、俺は心中にて苦笑を浮かべる。
やれやれ、極悪非道の織田信長ともあろう者が他愛ないものだ。
かくもシンプルな応援の言葉に、誤魔化しようもなく奮い立ってしまっている自分が居る。
「くくっ」
ダチだから。ダチ。友、か。俺のこれまでの人生の中で正しく友と呼べる存在は、源忠勝ただ一人だった。ただの一人で十分だと、そう思っていた。互いの心の深奥を打ち明ける事もない、所詮は上っ面だけの人間関係など煩わしいだけだ、と。
しかし、まあ――味わってみれば、こういうのもなかなか、悪くない。
「おい織田!高貴なる此方が友の為に応援に赴いてやったのじゃ!さあ、欣喜雀躍して迎えるが良いぞ。どうせ誰も応援に来ずにひとり寂しがっておったのであろう?にょほほ、やはり持つべきは友ということじゃのう」
「生憎、間に合っている」
「んな!なんじゃとっ!?ぐぬぬ……何故じゃ、此方の時は誰一人として……!」
心は憤懣やるかたない様子で、何やら独りブツブツと呟いていた。酷く哀愁を誘う姿だったが、ここはあまり触れずにそっとしておいてやるとしよう。それが人間として持ち合わせるべき最低限の優しさというものだ。しかし、織田信長の排他的なキャラクター性のおかげで、交友関係が割と壊滅的なこの俺にまで同情されるとは、流石の不死川クオリティと言う他ない。
「んー、コホン。ま、まあそんな事はどうでもよいのじゃ。それよりも、先程の校内放送で決闘内容を聞いたが、織田、お前……あんなルールで本当に大丈夫か?いや勿論、お前を信じておらん訳ではないが、しかしアレはあまりにも」
「ふん。何を言い出すかと思えば、下らんな」
「く、下らんとはなんじゃ!よいか、此方はお前を心配してじゃな!」
怒りに顔を赤くして言い募る心の言い分は、至極もっともなものだった。と言うかむしろ、心を除いた2-Sの連中の如く、全く不安に思わない方がどうかしているのだ。間もなくこのフィールドを舞台として行われる、俺と風間翔一との決闘――そのルールの内実は、傍から見れば紛れもなく異常と形容する他ないものなのだから。そういう意味では、心の反応は正しい。
だがしかし、だ。
「心配も気遣いも一切は無用。……他ならぬお前が。不死川心が友として選んだ男が、この程度の事で躓く筈もなかろう。違うか、心」
「む、むぅ。それは……、違わないのじゃ……。うむ、そうじゃな!よく考えてみれば、高貴なる此方の友であるお前が、2-Fの野蛮猿に後れを取る道理なぞ無かったのじゃ!何せ此方の目に適った友なのじゃからな。うむうむ」
やたらと“友”という言葉を強調しながら、ニヨニヨと締まりのない笑顔で何度も頷いているお嬢様。やはり心にとって、友人というものはそれだけ大きな比重を占める存在なのだろう。織田信長というキャラクターは控え目に言っても無愛想で無感情で無表情で、友人として選ぶには絶対に相応しからぬ人物だとしか思えないが、それでも彼女は。不死川心は、俺との友誼を掛け替えのない大切なものと考えている。
ダチ。友。友誼に友愛に友情。なにぶん“織田信長”にとっては縁の薄い言葉だらけで、それらに対してどう対処すべきか判じかねているのが現状だが――ほんの僅かながら、その答えは見えたかもしれない。
そのまま浮かれた調子で話し掛けてくる心と適当に会話を交わしていると、不意に周囲を取り巻くギャラリーがざわめき、そして一瞬の後、大きく歓声が湧いた。
「おおお、ついに風間ファミリーの登場だ!盛り上がってきたぜぇっ!」
「相手はあの魔王のような男だが、それでも風間なら……風間ならきっとなんとかしてくれる」
「キャーッ!風間くーん!こっち向いてー!」
「……フン。何事かと思えば、やっと山猿どもの入場か。全く、庶民の分際で高貴なる此方達を待たせるとは厚かましい奴らなのじゃ」
心が憎々しげに睨み付ける先には、八名分の人影があった。群衆の歓声が飛び交う中、俺の下へと歩を進めてくるのは、現在に至るまで2-Fの名を冠し、織田信長の手足と対峙してきた者達。そして―――これより俺と、雌雄を決する男だ。
身に纏う気配は風の如く自由奔放で、双眸に宿す気迫は炎の如く燃え盛っていた。
冷酷無比な暴君に敢然と立ち向かうその姿に、観衆は幼き日に憧れたヒーローを重ねる。
「よっ。来たぜ、大魔王」
―――風間翔一が、織田信長の前に立った。
「…………」
「…………」
もはや、互いに語るべき言葉はない。
気付けばギャラリーの賑やかな歓声は消え失せ、静かなざわめきがグラウンドを充たしてゆく。
今や誰もが息を呑み、固唾を飲んで事態の推移を見守っていた。
そんな緊迫した空気の中、俺はふと首を動かして、観衆の方へと視線を向ける。
最初に視界に映るのは、蘭だ。何せ最前列から全力で身を乗り出すようにして応援の体勢を取っているので、言うまでもなく悪目立ちしまくりの有様だった。その後ろではねねの奴が澄まし顔でこちらを見ている。俺と視線が合うと、小賢しい笑みを口元に浮かべてウインクを飛ばしてきた。相も変わらず馬鹿な従者共で、実に恥ずかしい限りである。
二人の近くには2-Sの生徒達が並んでいた。葵冬馬、井上準、榊原小雪、九鬼英雄、忍足あずみ、不死川心。どいつもこいつも揃いも揃って俺を恐れようとしない、清々しいほどの奇人変人どもだ。あまつさえダチだの友だのと、“織田信長”を一体何だと思っているのか。全く以って理解の及ばない連中で、真面目に考えるのも馬鹿らしくなってくる。
そこでギャラリーから視線を切って、眼前の決闘相手へと注意を戻す。
織田信長の圧倒的な実力を学園内に遍く知らしめる為にも、この一戦での勝利を得る必要性は非常に大きい。変人ながらも実力者の多い2-Fを屈服させる事は、他クラスの反抗勢力に対する牽制としての役割を十二分に果たす事になる。戦略的な価値は語るまでもないだろう。
というような理由がある時点で、俺が全身全霊、全力を振り絞って取り組むには十分過ぎるのだが……どうせなら、ついでにもう一つくらい、些細な理由を追加してやっても罰は当たるまい。
それは例えば――『友人の応援を無駄にしない』なんて理由。
我ながら笑いが込み上げてくるほどに甘っちょろいが、まぁ、そんな和菓子のような甘さも、たまには悪くない。
俺が脳内にて益体もない思考を巡らせている間にも、時計の針は進む。
「さて、双方揃った事じゃ。お主達、そろそろ始めても良いかの?」
「当然だな。オレの方はいつでもいけるぜ!」
「同上、だ」
俺達への意思確認を終えると、川神鉄心は静かに頷いた。そして、
「―――これより、川神学園伝統、決闘の儀を執り行う!」
張り上げられた力強い声音は、晴れ渡る青空へと吸い込まれていく。
全てを決する大将戦の火蓋が、今此処に切って落とされようとしていた。
ようやく続きを書けた……ッ!
時間の都合やら何やらが在ったとはいえ、何とも中途半端な所で長らくお待たせしてしまい、読者の方々には申し訳ない限りです。しかも今回の話では引っ張るだけ引っ張ってストーリーは大して進行していないという。もうそれこそ割腹するくらいしかお詫びの方法が無い気がしてきた作者ですが、何はともあれ続きを投下できて一安心。兎にも角にもVS風間ファミリー編を終わらせない事には作者としても据わりが悪いので、出来るだけ早く後編を仕上げたいものです。
今まで出番の無かったキャップの活躍は後編をお楽しみに。それでは、次回の更新で。