さて。不幸自慢なんて非生産的な真似をするつもりは毛頭ないが、実際のところ俺の生い立ちはかなり悲惨で、十人に話せば十人が同情し、百人に話せば百人が憐憫の情を抱いてくれる……と思う。
いまいち自信が持てない理由としては、今のところ誰にも語った経験がないからである。墓場まで持っていかなければならない類の物騒な内容が多々含まれている以上、そう易々と打ち明けられたものではない。
まあ、何にしても面白い話ではないが、しかし必要な話ではある。少しだけ、退屈な自分語りに付き合って頂こう。
――――現在から遡ることおよそ十七年、人口全国第九位を誇る政令指定都市、川神市にて俺は産声を上げた。
より細かく区分すれば、川神駅の裏側に広がる、全国でも有数の歓楽街であるところの堀之外が俺の出身地だ。
ちなみに俺の主観で補足を入れるなら、全国でも有数の無法地帯。特にメインストリートの親不孝通りの治安の悪さは平和な日本国内だとは思えないほどのものである。
そんな訳で、どうにも出身地からして碌でもなかった俺だが、家庭の方も負けてはいない。
まず、物心が着いた頃には既に父親が見当たらなかった。聞いたところによれば、俺が生まれてすぐに蒸発したらしい。母親がアルコール臭い息を吹き掛けながら、毎晩の如く愚痴っていた姿を何となく覚えている。
俺達が寝起きしていた安アパートには写真の一枚すらも残っていなかったので、結局俺は父親の顔を知らないまま育った事になるか。まあ、仮に父親なんてものが居たところで俺の人生が変わる事などなかっただろうから、気にしても仕方のないことだ。
それにしても、思い返せば思い返すほど、本当に碌でもない家庭だった。
主な収入源が水商売だった母親も、スリと万引きで小遣いを稼いでいた俺も。親子揃って碌でなしの極みだ。
だからと言って親子仲が良かったかと言うとそうではなく、むしろ最悪の部類だったと言えるだろう。
母親は俺を蛇蝎のごとく忌み嫌っていたし、また恐れていた。いい歳をした大人が幼児を怖がるなどと、傍目には滑稽にしか思えないかもしれないが、俺は母親を嘲笑う気にはなれない。
そんな風に扱われても仕方がないと思う要因が、間違いなく俺にはあったのだ。
人間には様々な特徴があり、才能がある。
運動の才能一つ取ってみたところで、その方向性は様々なスポーツ、武道に枝分かれしていく。
野球の天才サッカーの天才テニスの天才マラソンの天才、剣道の天才柔道の天才弓道の天才。学問に至っては、果たしてどれほどの分野が存在するのか想像も出来ない。この世界は呆れるほどに色彩豊かな才能で満ち溢れている。
ならば、生まれながらにして見る者を怯え竦ませる様な―――“威圧の天才”が生まれたとして、何の不思議があるだろうか。
つまりはそういうこと。厳密に言えばその表現は正しくないのだが、細かい事は置いておこう。
理屈で説明するのは難しいが、とにかく俺は、周囲を恐れさせるオーラを生まれ持った、傍目には物騒極まりない天才くんだった訳で。
実際的には何の力も持たない幼少時代、虐待の憂き目に遇うのは必定だったのである。
あの頃はよく悪魔だの化物だの、罵声と一緒に酒瓶を投げ付けられたものだ。
クスリとアルコールにどっぷり漬かった母親による児童虐待に耐える毎日。
いくら泣き叫んでみた所で隣人は助けてはくれないし、憎しみを込めて睨みつけても、飛んでくる酒瓶の数が増えるだけの話。
そんな生活が続いている内に、俺の表情筋は役割を放棄するようになっていた訳だ。
そうして幼年期の終わり頃に完成したのが、完全無欠な無表情である。
鏡に向かって無理矢理笑顔を作ってみれば、返ってくるのは酷薄に歪んだ表情。初めて見た時、色々な意味で泣きたくなったのを覚えている。
俺が元々持ち合わせていた才能と相まって、外見から発せられる威圧感はもはや計り知れないレベルに達していた。
本業のヤーさんをビビらせる小学一年生の、これが誕生秘話である。
まあ、それが俺のルーツだ。俺という人間を構成する、最も基本的なパーツ。
それを絶対的な基盤に据えて、現在に至るまでの人生を構築してきた。
折角、“才能”を生まれ持ったのだから、最大限に利用して生きてやろう。そんな決意に沿った生き方を常に選択してきた。
そこに相応の苦労と苦悩があった事は間違いないが、だからと言って後悔はしていない。
幾多の修羅場を潜る中で己の才能を研磨し、最大の武器として振るい続けること十数年。
俺が発する威圧感は年を経るごとに増していき、意識的に抑えなければ日常生活すら困難なまでに進化している。
更に、どのように振る舞えば相手を怯え竦ませる事が出来るのか。どのように立ち回れば己の立場を優位へと導けるのか。そういった副次的な学習もまた、ほぼ完了していた。
ある意味において自らのスタイルを確立したと言ってもいい俺は、更なる進歩を求め、様々な思惑を胸に行動を開始する。
―――二〇〇九年四月七日。
こうして俺こと織田信長は、己の三歩後ろに一人の従者を引き連れて、川神学園への転入を果たしたのであった。
「自己紹介とは罰ゲームと見つけたり」
ホームルーム中、巨人のオッサン―――もとい宇佐美先生より指定された窓際の席にて、俺はブルーな気分に浸っていた。
思い出すのはつい先ほどの自己紹介である。アレばかりは何度経験しても慣れるという事がない。表情は動かなくとも、羞恥心までが麻痺している訳ではないのだ。
全く。碌でもない親を持つと、本当に子供は苦労させられる。主にDQNネーム的な意味で。
「心中お察し申し上げます、主」
やるせない思考に沈んでいた俺に、背後から気遣わしげな声が掛かった。
子供の頃に知り合って以来、ヒヨコの如くずっと俺の後ろに尾いてきた声音だ。わざわざ振り返って確認するまでもない。
俺の真後ろの席を陣取る少女は、森谷蘭。おかっぱ頭が妙に似合う十七歳で、色々とややこしい事情があって幼い頃より俺の従者を名乗っていたりする。
趣味は武道全般と主(俺)の護衛と言う時代錯誤な武士娘で、性格は至って生真面目。何かにつけて暴走する癖あり。
なにぶん付き合いが長いので、こいつの事は殆ど知り尽くしていると言ってもいいのだが、こいつを表現するのにそこまで詳しい紹介は不要だろう。
一言で言ってしまえば、変人である。
「しかし!主は、決してかの英雄の名に見劣りなどしないと私めは―――」
「おーい、そこの転入生ズ、HR中の私語は慎めよー」
「も、申し訳ございません!」
机から身を乗り出して何事か熱く語ろうとしていた蘭は、担任教師の注意ですごすごと座席に縮こまった。
その様子を見届けた後、何故か俺に視線を向けながら、担任教師は溜息を吐く。
「……しかし、なんでお前らが入ってくるかね、よりによって俺のクラスにさ。特進組の担任なんてただでさえプレッシャー掛かってしんどい仕事だってのに、お前らみたいな問題児まで抱える羽目になって……ツイてないぜ、ホント」
教壇の上で疲れたように眉間を揉みほぐしながら、宇佐美巨人はぼやいた。
相変わらず覇気の見受けられない態度だ。教師を請け負ったからと言って、教職者に相応しい姿を目指すつもりは特にないらしい。
どこで会おうとこのオッサンは本当に変わらないな、と俺は半ば感心していた。例によって表情に出る事はないのだが。
「預かり知らん事だ。日頃の行いが祟ったのだろうよ」
「それをお前に言われたらおしまいだぜ、織田。俺の事務所辺りの地域でお前らがどう噂されてるか教えてやりてぇよ」
「う……。宇佐美さんには度々ご迷惑をお掛けして申し訳ございません……」
「あー……、蘭ちゃんは気にしなくていいって。あと宇佐美先生、な。ここ学校だから」
俺と蘭との扱いの差にあからさまな贔屓が見て取れる。教育現場の歪みを垣間見た気分だ。
「教職者たる人間が女尊男卑とは感心しない。男女は平等であるべきだろう」
「うっせ、俺はフェミニストなんだよ。ま、老若男女関係なく容赦無しのお前には分からんだろーがな」
失礼な言い分だった。俺だって老人には遠慮するし、基本的に女性に手を上げたりはしない。
いつだったか、道路の中央でトラックに轢かれかけていた老婆を無償で助けた事もあるくらいだ。助けたと思ったら殺気に中てられて心臓発作を起こしかけていた気もするが、まあ俺の責任ではなかろう。俺は文字通り手も足も出していないのだから。
兎に角、巨人の言葉は真実を指しているとは言い難いのだが、俺としてはそれを指摘するつもりはない。
むしろ、その逆。
「ふん。確かに理解は出来んな。己以外の人間の価値など、等しく皆無だ」
「はあ……ったく、これだからな。分かっちゃいたがお前の指導には手を焼きそうだぜ。頼むから校内では騒ぎを起こさないでくれよ、責任問われるのは俺なんだからな」
「それこそ、預かり知らん事だ」
俺はそういった誤解を、助長する。誤解の種を蒔きっぱなしになどせず、積極的に水を与えて成長させる。
老若男女関係なく、容赦無し。素晴らしいではないか。そんな噂が広まってくれれば大いに結構だ。
俺の危険性がより強く認識されればされるほど、比例して降りかかる火の粉は減る。
事実として、これまで俺はそうやって自らの障害を排除してきたし、幸いと言うべきか、俺にはそれを成し得るに適した“才能”があった。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない。
中途半端な危険は駆逐されるが、ある境界を踏み越え、逸脱した危険は忌避の対象と化すことだろう。俺がこれまでの居場所で悉くそう扱われてきたのと同様に。
この川神学園において俺が目指すべき当面の立ち位置はそこだ。対外的な俺のキャラ作りもまた、その目標への一手である。
「おや。宇佐美先生、あなたはもしかして転入生のお二人と面識があるのですか?」
これまで俺達の会話に耳を澄ませていた2-Sの生徒の、その一人が疑問の声を上げた。
浅黒い肌に甘いマスク。線の細い、いかにも女受けしそうな容貌の男子生徒である。
先刻の自己紹介において、俺の威圧にもほとんど動じていなかったのは記憶に新しい。要注意人物に認定しておこう。
「俺が街で代行業やってるのは知ってるだろ。この二人には偶に仕事の手伝いを依頼する事があるからな、そういう繋がりだよ」
「なるほど、そういうことですか」
男子生徒は納得したように頷いてみせると、次いでこちらに視線を向けてきた。何やら意味深な目付きである。
良く分からないが、取り敢えずいつもの習慣で殺気を込めて睨み返しておく。何故か微笑みを返された。意味不明であった。
「えー、S組は基本ほとんど面子が変わらねぇからいまいち実感が無いかもしれんが、お前らは今日から二年生だ。高校生活三年間の中間地点っつーことで色々と弛みがちな時期だが、サボらず無理せず適当にやるように。んじゃ、今日のHRはこれで終了。気を付けて帰れよお前ら」
締めの言葉を終え、巨人が教室から立ち去ると、途端に2-S教室には賑やかな声が飛び交い始めた。
俺と蘭が前にいた学校ではHR中だろうと授業中だろうとお構いなしに私語が飛び交っていたので、こういうキッチリした空気の切り替えは新鮮だ。
さすがは特進組だけあって、見事に優等生の集団である。そういえば、今日から俺もその一員に加わるのか。……どう考えても場違いだな。
当分の間は過ごす事になるであろうクラスの様子を眺めながら、ぼんやりと思索に耽る。
HRが終わっても俺に話しかけてくる生徒はいない。
転入生というものは大抵囲まれて質問攻めにされるのがセオリーというものだが、流石に現在進行形で周囲を威圧している俺に声を掛けてくる人間は皆無だった。
好奇心自体は刺激されるのか、遠巻きにチラチラとこちらを窺っている連中はそれなりにいる様子なのだが、やはり接触を試みるまではいかない。先程からこちらを盗み見て、視線が合った途端に慌てて逸らす和服の少女とか。
……なぜ和服なのか、というツッコミは無意味な気がするのでやめておこう。もう帰ったようだが、この2-Sには金ぴかスーツとメイド服を着た男女という、もはや理解を超越した生徒もいる訳だし。恐らくは気にしたら負けなのだろう。
それはともかくとして。
俺に対する生徒達の反応は、それでいい。むしろ、そうでなくてはいけない。
確固たる地位を保つために、「織田信長」は何時でも最凶の存在であるべきなのだ。
下手に気安く声を掛けられて、舐められては困る。
「……ん?」
「やー」
困るのだが、気付いた時には少女が一人、俺の机の前に立っていた。均整のとれた理想のプロポーションを所有する、文句無しの美少女である。
どこかで見た顔だな、と記憶を遡って、例の自己紹介の際に場違いな笑顔を浮かべていた少女を思い出す。眼前でふらふらしている少女の顔と照合。合致。
そう言えば自己紹介の後、勇敢にも俺の名前をネタにしていた少女が居たような気もする。小首を傾げてこちらを観察している少女の顔と照合。合致。
まあどうせ間違いなく変人なんだろうな、と半ば確信しつつ、取り敢えず殺気を込めて睨みつけておく。
何故か無邪気な笑顔を返された。
本当に何故だ。幾ら紛い物だとは言え、これほどまでに濃密な殺意、まさか気付いていない訳でもないだろうに。
「ボクはね~、榊原小雪って言うのさー。ノブナガはましゅまろ好き?」
何処からともなくマシュマロの詰まった袋を取り出す謎の少女、小雪。第一印象は不思議ちゃんで決定。
「嫌いではない、な。そして――その呼び名は控えろ。せめて名字の方で呼べ」
「え~。どうして?ボクはノブナガって呼びたいのにー」
「……ふん、まあ良かろう。所詮は些末事よ。勝手にするがいい」
実際のところ、フルネームで呼ばれさえしなければ大した精神的ダメージはないので、さほど拘るところではなかった。
それに、俺の勘気に触れる事を恐れず、堂々と名前で呼ぶ事ができる人間は非常に数少ない。
そういう希少な連中くらいには名前で呼ぶ程度の権利は与えてやってもいいだろう。
「うわ~い。お礼にマシュマロをあげようー」
「うむ。苦しゅうない」
それにしても、俺に対して初対面でここまで馴れ馴れしい態度を取ってきた奴はそうはいないだろうな、と口にマシュマロを放り込みながら思考する。
常人の神経ならば視界に入る事すらも憚られる、と専らの評判であるところの織田信長なのだが。
ましてや初対面である。この榊原小雪という少女、些か頭のネジが飛んでいるのだろうか。そう考えれば数々の奇行にも納得がいくのだが、さて。
「おいしい?」
「なかなか。洋もまた、悪くない」
「えっへへん、だったら特別にもう一つ進呈しちゃおうかなぁ。ノブナガ、あーん」
天真爛漫な笑顔で何という無茶振りを。俺のキャラ作り的な意味で論外なのは言うまでもなく、まず素の俺でも難易度が高いぞそれは。
当然の如く、選択肢は拒否以外にあり得ない。
そう瞬時に判断して、その判断を具体的な形で実行に移そうとした時、俺と小雪の間に凄まじい勢いで何者かが割り込んだ。
「わー、なになにー?」
「ふふ不埒なっ!曲者めっ!不埒な曲者めッ!!ハァハァ、この私がいる限り主に、ハァ、ハァ、て、手は出させませんよ!」
「蘭。何れかと言えばお前が曲者に見えるが」
果たしてどこからダッシュしてきたのかは判らないが、取り敢えず喋る前に息を整えて欲しい。どことなく身の危険を感じる。
「ノブナガー。この子ハァハァ言ってるよ、ヘンタイさんかなー?」
どうやら小雪の感想も同じらしかった。好き勝手言われている間に息を整えて、蘭が興奮気味に口を開く。
「私が厠へ赴いている隙を狙うとは何とも卑怯千万!あ、あ、主にあーんする権利があるのは私だけです!」
「然様な権利を与えた記憶はない」
「……ハッ!私は何を口走って」
暴走状態に陥っていた蘭は、俺の言葉でようやく我に返ったらしい。赤くしたり青くしたり、顔色を面白い程に忙しなく変色させる。
俺にとってはもはや見慣れた光景だが、初めて見るであろう小雪は「おー」と感嘆の声を上げていた。
「信長様、蘭は武者修行の旅に出ます!探さないでくださいっ!」
次いで脱兎の如き勢いで教室から飛び出していくのも、予測済み。
2-S生徒の大半は呆気に取られた様子で、そんな蘭の姿を目で追いかけていた。
やれやれ、転入初日にして変人認定を受ける羽目になるとは……哀れな奴だ。
もっともあいつの清々しいまでの変人っぷりは、過去に知り合った連中の誰もが認めるところなので、遅かれ早かれ同じ結果にはなっていたのだろうが。
経験上、しばらくすれば勝手に帰ってくるので、放っておくとしよう。いちいち構っていたらキリが無い。
「あははー。やっぱりヘンな人だ」
「否定はしない。お前にそれを言う資格があるかは甚だ疑問だが」
榊原小雪、こいつも相当な変人だ。或いは蘭の言う通り―――曲者なのかもしれない。
俺が放つ殺気を欠片の動揺も見せずに受け止める。その事実が指し示す意味は、そうそう軽いものではない。
念のため脳内の要注意人物リストに加えておくとしよう。常に用心を怠るべからず、だ。
「あー、ユキ、やっぱまだあの物騒な転入生と一緒にいたか。……仕方ない、俺も男だ。腹を括るとするぜ」
「はは。大袈裟ですね、準は。そう構えなくても大丈夫ですよ」
「いやー、若。アレは相当やばいぜ、正直。とても同じ人間とは思えねぇ。敵に回すのだけは勘弁だな」
「あれほど強い準をしてそこまで言わしめるとは、驚きですね。俄然、彼に興味が湧いてきました」
「やれやれ、若の悪い癖が出ちまったか。藪蛇だったぜチクショウ」
何かしらのやり取りを交わしながら、人混みと座席の間を縫って、俺の机に向ってくる男が二人。
先程要注意人物認定したばかりの色黒眼鏡と、いっそ清々しいまでにスキンヘッドな男子生徒。俺の殺気に感付いていたという点で共通している二人だ。
どう考えても彼らの進路はこちらに向いているので、挨拶代わりに取り敢えず殺気を飛ばしておく。俺と二人との間にいる生徒達がビクリと震えた。
「あれー、ジュンもトーマもどこいってたのさ~。ひとり残されたボクの気持ちを考えたことあるのかー、ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ?」
「ハイハイ済みませんね。ちと野暮用を片付けてきたんだよ。んでお詫びにお土産を持って来たから、それで我慢しときなさい」
俺の机の前まで到着すると、慣れた調子で小雪をあしらいながら、スキンヘッドの男子生徒は右手に提げていたビニール袋を高々と持ち上げて見せる。
今しがた購買部にでも行ってきたのか、中には菓子パンを含む結構な量の菓子類が入っていた。そのラインナップにマシュマロの姿を発見して、小雪はみるみる内に上機嫌になった。よほど好きなのだろう。
「アンタも好きなのを食べるといい。俺達からのささやかな歓迎の印ってトコだ。ま、ここは一つ遠慮なく」
スキンヘッドの男子生徒は袋から適当に幾つかのスナック菓子を取り出し、机に並べながら言った。
小雪が幸せそうにマシュマロを頬張る様子を横目で見ながら、俺はそれらに手を伸ばす。
「あー、自己紹介がまだだったな。俺は井上準。趣味は子供と遊ぶ事だ。よろしく頼むぜ」
「私は葵冬馬。ふふ、この出逢いには運命的なものを感じます。末長くよろしくお願いしますね」
「井上準。葵冬馬。……成程、記憶してやろう」
スキンヘッドが井上準、イケメン眼鏡が葵冬馬。双方共に外見に個性が溢れているので、間違っても忘れる事はあるまい。
「えー、それで、アンタの事は、その、どう呼べばいいんだ?」
微妙に言い辛そうな調子で切り出す準。俺の笑うに笑えないDQNネームを気遣っているのだろう。まともな配慮が出来る人間のようだ。少し好印象。
「任せる。姓名を纏めさえしなければ特に拘る心算もない」
「ちなみにボクはねー、ノブナガって呼ぶことに決めたよー。ぱくぱく」
マシュマロを摘む手を数秒だけ休めて、小雪がおもむろに告げる。
「それでは私もそうさせて頂くとしましょう。よろしいですか?」
「……俺は既に任せる、と言った筈だが。無為に繰り返させるのは感心せぬな」
「はは。これは失礼しました。許してください、“信長”」
「やっぱおっかねぇなオイ……。まあ、これからは同じクラスでやっていくんだ。どうせなら楽しくやろうぜ?」
言葉と視線に込められた強烈な威圧に動じる様子もなく、冬馬と準は飄々とした調子で受け流してくる。
……参ったな。どうにも調子が狂う。
小雪も含め、彼らの態度や立ち居振る舞いからは、俺に対する恐れというものがまるで感じ取れないのだ。
決して鈍感な訳ではなく。俺の威圧に気付いていながら、ほとんど意に介していない。
もっとも、準が俺に向ける目からは多少の警戒心が伺えるが、それとてそこまで本格的なものではなかった。
自分達の実力に絶対的な自信があるのか、或いは何かしら別の要因が働いているのか。その辺りはまだ分からないが、珍しいケースである事は間違いない。
それにしても転入早々、こうも異質な連中に次々と遭遇するとは流石に想定の外である。俺は私立川神学園というロケーションを少々甘く見ていたのかもしれない。
「そういえば、気になっていたのですが。もう一人の転入生、森谷蘭さんとあなたとは、一体どういった関係なんですか?」
「ああ、それは俺も気になってたな。同時にウチに入ってきたのも偶然じゃないだろ」
「……ふむ」
冬馬と準の言葉を受けて、俺は考える。
関係。俺と蘭の関係、ね。難しい質問なのか、どうなのか。
幼馴染、友人、共犯者。
脳裏にフラッシュバックする記憶と共に、様々な単語が頭を過ったが、それでも結局のところ、最適な表現は初めから決定している訳で。
「主従だ。何年も昔からの。転入前の高校も同じだった」
「主従、ですか。なるほど、英雄とあずみさんをイメージすれば分かり易いですね」
「あのイロモノを主従の代表例にしちまうのはどうかと思うがね、俺は」
「どっちも同じくらいイロモノってことだね~」
「本人の前で危ない発言は禁止!」
正直、イロモノにイロモノ扱いされたところで特に何も思わないのだが。
そういえば、だ。話題に上がった事で思い出したが、出奔してからの経過時間を考えればそろそろ蘭が戻って来てもおかしくない――――などと思っている内に、ドタドタと慌ただしい音を立てて周囲の注目を集めながら、2-S教室に駆け込んでくる人影が一つ。
「不肖森谷蘭!只今武者修行の旅より帰還致しました!」
「おー。へんじん が あらわれた!」
俺の目の前で急ブレーキを掛けて立ち止まると、蘭はそのまま片膝を付いて元気な声を上げる。
「うむ。修行の成果を報告しろ」
「基礎体力の上昇、体脂肪率の低下等、有意義な修行でございました!尚、購買にて昼食を購入して参りました、どうぞお召し上がりください」
「カツサンドにカフェオレ、か。なかなか、悪くない選択。褒めてつかわす」
「ははーっ、勿体なきお言葉、感謝致します!」
全く、我ながらいいパシリ―――もとい従者を持ったものだ。蘭が恭しく差し出したカツサンドを受け取り、ぱくつきながら、しみじみと思う。
蘭は紛うことなき変人ではあるが、付き合いが長い分、俺の好みを誰よりも細かく把握しているため、パシリもとい従者としては手放せない人材だ。
緊張に固まりながら冬馬達と挨拶を交わしている蘭の様子を生暖かく見守りながら、俺はぼんやりとそんな事を思考する。
そして、数分後。俺がカツサンドの最後の一切れを咀嚼している時、蘭が声を掛けてきた。
「主、主。皆様方が、校内の案内を引き受けて下さると仰っておられますが。如何致しましょう」
まずは口の中に残っているカツサンドを冷たいカフェオレで胃袋へ流し込んでから、俺は冬馬の顔に視線を向ける。眼鏡越しに覗く涼しげな瞳と目が合った。
「俺を連れ歩こうとは。つくづく物好きな連中だな」
これは本心からの台詞だった。そういう類の誘いを俺に、それも初対面で掛けてくる人間は初めてだったのだ。
「はは、昔からよく言われますよ。ですが実際、学園の勝手を理解しておくに越した事はありません。私が教えて差しあげましょう。手取り足取り……ね。ふふふ」
「言い方はちっと怪しいが、若の案内は見事なもんだぜ。川神学園の内部事情まで丸分かりだ」
「主、情報収集は戦の常道。いずれ川神学園に覇を唱えるための第一歩として必要なものであると存じます」
「ふん。言われるまでもなく、承知している。障害と成り得るモノをここで把握しておくのも悪くはない。必要とあれば直ぐに滅せるようにな。くく」
俺は小さく笑いながら、つまり対外的には冷酷非情な嗤いを浮かべながら言った。
転入前にある程度の情報は仕入れているが、やはり現地での調査に及ぶものはあるまい。
勿論俺は、蘭の妄想通りに学園支配を目論んでいる訳ではない。
が、自己紹介の際に宣言した通り、あくまで自分が居心地良く過ごすために邪魔となるものは遠慮なく潰していくつもりである。
最初に学園内の勢力図をしっかり頭に描いておけば、色々と行動を起こしやすくなるだろう。
「決まりですね。それでは、早速行きましょうか。まずはB棟の案内からですね」
「さりげなく物騒なこと言ってると思うんだが、流すのな……。まあ、気にしてても仕方ねぇか。ほらユキ、行くぞ」
「お?おー、みんなで校内探検に出発進行だー」
そんなこんなで妙な三人組に連れられ、転入一日目を校内見学で過ごした俺と蘭。
行く先々で生徒と教員諸君に思いっきり怯えられたのは、まあ予想していたしいつも通りの事でもあるので、もはや気にするまでもない。
何とも平和な一日。叶うことなら、このまま何事も起こらない平穏な学園生活を送りたいものだ。
校門前にて三人組と別れ、蘭を引き連れて自宅へ続く道を歩きながら、俺はぼんやりと期待を抱いていた。
だがしかし。こういう場合の俺の望みは往々にして叶わない。現実が非情なものだというのは、遥か昔からのお約束なのだ。
――――俺がその事をまざまざと思い知らされる羽目になったのは、翌日の事である。
『全校生徒の皆さんにお知らせです。只今より第一グラウンドで決闘が行われます。見学希望者は第一グラウンドに集合しましょう』
嗚呼、やはり素直に前の高校で番長を続けておくべきだったかもしれない。
無慈悲な校内放送が響く2-S教室にて。
抜き身の刃の如き正真正銘の殺意を剥き出しにこちらを睨みつける、やけにおっかないクラスメートのメイドさんを目の前にして、俺は早くもこの学校に転入した事を後悔し始めていたのだった。
次回では、いよいよ主人公の実力(笑)が明かされる予定です。お楽しみに。更新は近々。