扉を開けた先は、いつもと同じ光景でした。
壮年の男性達が微笑みあいながら談笑している。
いや、談笑ではない。
談笑という隠れ蓑をかぶった、腹の探り合いでしょうか。
今日、この[サーペンスアルバス]の商人組合(ギルド)会館に集まっている人達。
彼らは[サーペンスアルバス]を中心として商売を行っている商人や権力者です。
この辺りでは、かなりの力や富を持っていると言えるでしょう。
正直好きになれません。
といいますか、嫌いです。
[サーペンスアルバス]の港から海に突き落として、藻屑になって消えて欲しいぐらいには――
この方々の素晴らしい手腕のおかげで、何年間も、私や[サーペンスアルバス]に住んでいた仲間達は……
……
……
……
それはそれは、素敵な生活を過ごさせていただいたのですから――
私が室内に入ると、私に向けて視線が注がれた。
全くもって気は乗りませんが、一礼をします。
すると、一瞬で会話が止まりました。
当然です。
これから、私のご主人様がお見えになるのです。
ご主人様は気にもされないでしょう。
が、このまま話を続けていたら、私が、その口を針と糸で縫って差し上げるところでした。
「皆様、大変お待たせを致しました。
白蛇(ホワイトスネイク)がお見えです」
私が一礼をして告げると、12人の出席者が起立しました。
当たり前です。
起立をしない者などいたら、そんな飾りだけの足は躾けなければならないところでした。
「あー、悪い悪い!
ちょっとレジュメ作るのに手間取っちゃって!
ホントごめん!」
勢いよく、ご主人様であるキース・オルセン様がお見えになりました。
「白蛇(ホワイトスネイク)、こちらにお座りください」
私は、ご主人様が座られる椅子を引く。
両手に抱えた沢山の羊皮紙をテーブルに置いてから、ご主人様はご着席してくださいました。
「ありがと、マリエッタ。
……はー、さすがに疲れた。
今回は、さすがに間に合わないかと思った……
ごめん、まずお茶もらえるかな?
ああ、ついでにみんなの分も頼むよ」
「白蛇(ホワイトスネイク)……」
不思議です。
本当に不思議です。
先程まであった不快感が霧散しています。
温かくて、ふわふわするような感じ……
ご、ご主人様は、い、いったいどのような力をお使いなのでしょうか……???
「どうかした、マリエッタ??」
「い、いいえ。
なんでもございません[白蛇(ホワイトスネイク)]……
す、すぐにご用意致します……!」
い、いけません!
な、何を考えているのでしょうか、私は!
「最高のお茶、ご用意させていただきます」
心の底からの思いを、私は口に出させていただきました。
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042 サーペンスアルバス
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「お待たせして申し訳ありませんでした。
さってと、それじゃさっそく始めるとしましょう。
えと、右回りで、ボルダス商会さんからお願いします。
内容はいつもと同じ感じでいいです。
最初に収支報告、んで、後は何でもいいので、各人が情報と思えるものをバシバシと」
ご主人様が[定期報告会]の開始を告げます。
指名されたボルダス商会のキリアン・ボルダス氏が、慌てて立ち上がりました。
「そ、それでは、私から――」
「はい。お願いします」
ご主人様の促しで、ボルダス氏の報告が始まりました。
緊張しているのでしょうか、ボルダス氏は大量の汗をかいておられます。
ご主人様の前ですから、これは仕方がないでしょう。
「今期は天候が安定していた為に、各地のモンスターが……」
ふと、ご主人様に目を戻します。
すると、いつの間にか、ご主人様の周囲にピンク色のプリズムがクルクルと踊るかのように飛び交っていました。
「――!」
い、いけません!
思わず、快哉を叫びそうになってしまいました!
このガラスのような、薄いピンクの透き通った多面体
これが出た瞬間から、この時のご主人様は、そ、その、なんといいますか……
……
……いつものお優しいご主人様では無くて……
……
……カッコイイ、ご主人様になられるのです……
……
……い、いつものお優しいご主人様も、勿論、そ、尊敬していますけど……!
と、わ、私は何を言っているのでしょう!
お、恐れ多い……!
○
報告を受けながら、おかしな点があった時、
ご主人様は各々の方々へ質問をされます。
正直、学の無い私には意味が全くわかりません。
けれど、生き馬の目を抜く世界での商人達が顔を青ざめているのを見ると、
容赦が全く無いということだけは感じられます。
「売掛金は順調に回収。
キャッシュフローは増えてる、と。
運転資金料も、全部、俺の資産から出しているし、
借し入れなんてゼロ。
その上で、あなたは赤字と言ってるのでしょうか?」
ご主人様は、自身で作られた資料を見ながら追求されます。
「流通経路にてモンスターの問題で、多少、トラブルはあった。
けど、街の人達や、見張りの兵士、みんなのがんばりで利益は出ているはずです。
財務状況は、すばらしい数値をたたき出しています。
赤字になることなんてありえません。
説明していただいてもよろしいでしょうか?」
今のご主人様のお言葉は、なんと言えば良いのでしょうか。
ズシリ、と心の底に響く何かがあります。
「バランスシートと損益計算書によると……
……
……
生産量は増えている。
出荷の数も増えている。
でも売掛金が減っている。
で、粗利益率が悪化。
キャッシュフローは大幅な黒字。
で、決算数値が赤字。
なんだ、異常ですね、これ?」
商人の方々は、ご主人様のお言葉に戦々恐々しています。
「マリエッタ。
羊皮紙と書くものを頼む」
「はい、かしこまりました」
ご主人様の命令に従って、筆記用具をお出しさせていただく。
すると、私に、苦々しげな視線を向けてくれた商人の方がいらっしゃいました。
「んー、こういう時に、Excelが神ツールだったのがわかるな。
いや、電卓でもいいんだが、もう贅沢は言わない、そろばんでも。
ああ、でも10年以上やってないから、そろばんはもう無理かー。
やれやれ……」
ご主人様は何かを呟きながら、紙にいろいろな数字を書いていかれた。
「配賦か……
……
固定費を在庫に配賦しなかった。
で、金額分の在庫が減って、売り上げ原価が増えたって訳ですか。
それじゃ、あるはずの利益が減りますよね――」
ご主人様の周囲を廻っているピンク色のプリズムが、淡い光を放つのがわかりました。
「ヒ、ヒ、そ、それは、その……!?
な、なぜだ!?!?
今まで誰にも……!?!?」
ご主人様の目が厳しくなります。
ああ、ご主人様がご立腹されている……!
「文字が読めない領主さんとかだったら、全く気がつかなかったでしょう。
適切な情報があったら、会計は嘘をつきませんから。
マリエッタ」
「は、畏まりました」
「ああ、頼むよ」
ご主人様のご指示で、私は糾弾された商人の元に歩みよる。
すると、商人は、既に抜け殻のような有様でした。
「白蛇(ホワイトスネイク)のご命令です。
御同行願います。
誰か、誰かあるか――」
扉向こうに控えている兵に向かい、私は指示を出しました。
○
「お疲れ様でした、白蛇(ホワイトスネイク)」
「ああ、ありがと。
だけど、ホント、ちょっと疲れたなあ」
歩きながら、ご主人様は引き締まった身体の筋肉をほぐされるようにノビをされました。
頸の辺りから、コキコキといった音が聞こえます。
「やはり相当にお疲れのようですね。
特別に馬車をお呼びしましょうか?」
今、私とご主人様は[サーペンスアルバス]の街を歩いています。
商人組合所から、お屋敷に戻る為です。
「うんにゃ、いいよ。
規則ってさ、俺が一番守らないとダメじゃない?
じゃなきゃ、街の人から総ツッコミが来ちゃうよ」
ご主人様は、手をヒラヒラさせながら笑われました。
昔から、[サーペンスアルバス]では馬車の使用が禁止されています。
それは[サーペンスアルバス]の立地が、小さな島がいくつも連なっているような所の為です。
道が狭いために、馬によるトラブルを防ぐ狙いです。
「ですが――」
ご主人様が馬車に乗られても、[サーペンスアルバス]の人々は絶対に文句を言わないという確信があります。
これは間違いありません。
「それに、さ。
こうやって街を歩くのって元気になるよ。
この活気、みんな楽しそうだ。
それを見れば、ね。
さすがに、少しは俺の成果もあると思うんだ。
あんだけがんばったんだもん、ちょっとは自惚れていいよなあ」
壮年の者は忙しそうに仕事に励み。
子供達が楽しそうに遊び回り。
老いた者は穏やかな時間を過ごす。
そんな街の賑わいを、慈しむようにご主人様は見られて――
「白蛇(ホワイトスネイク)……」
「まあ、もっとも殆どはコイツのおかげだけどね」
ご主人様が、目の前に浮いているピンク色のプリズムを指で突かれました。
プルンプルンと震えて、プリズムは、再びご主人様の周囲をくるくると飛び交います。
「私はソレがなんだかはわかりません。
けれど、白蛇(ホワイトスネイク)がいらしたからこそ、今のこの街があります。
で、ですから、そ、その……
……な、なんと言いますか……」
私は何を言ってるのでしょうか!?!?
く、口がよく回りません……!
ご、ご主人様に対して、なんとう無礼を――
「はは、ありがと。
会計に関してだけは、そこそこ自信があったんだけど、
いつも厳しいマリエッタに、そう言ってもらえると自信がつくなあ」
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◇[アイウーン・ストーン・オブ・パーフェクト・ランゲージ(完全なる言語のアイウーン石)]
特性
この白桃色の菱形プリズムは、常に、使用者の周囲を漂っている。
パワー
・[威圧]、[交渉]、[事情通]、[はったり]の判定にボーナスを得る。
・使用者はあらゆる[言語]を理解し、使用者が話す言語を聞いたクリーチャーは、
それを全て自分の母国語で理解する。
・使用者の次の[看破]行動判定を、20のダイス目(完全成功)が出たものとして扱う。
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「さーってと。
この後の予定はどうなってる、マリエッタ?」
「あ、はい!
この後は罪を犯した者達に関する処罰になります――」
あ、危ないところでした。
ご主人様の質問に対して、今度は、しっかりとお答えすることができました。
「了解。
けど、今度はそっち関連か。
司法立法行政、全部兼任ってのは勘弁して欲しいなあ。
江戸時代の奉行所かっつーの。
でも、まー、その独裁者的なおかげで、決定が速いっていうメリットはあるけど」
「えどじだい……ですか?」
やはり、まだまだ勉強不足です。
ご主人様の役に立てるように、日々努力しなければ……!
「あー、なんでもない。
独り言だよ。
ま、とっとと戻って、さくっと今日の仕事を終わらせようか」
ご主人様が歩き始めます。
「かしこまりました、白蛇(ホワイトスネイク)。
微力ながら、お手伝いさせていただきます――」
私は、その斜め後ろを歩かせていただきます。
そのお背中をずっと、ずっと、見守れるように。
どんなことがあっても――
○
「ハア、ハア、ハア……!」
鬱蒼とした木々の中。
息も絶え絶えに、懸命に、男は走っていた。
身体のあらゆる箇所も傷と泥だらけだった。
「クソ!
他のみんなも戻って来なかったのもこういう訳か……!」
「あは、正解されちゃったかー」
「――くっ!!??」
ボロボロの男が、愚痴の言葉を漏らした時だった。
突如、軽装備の男が目の前に立ちふさがった。
その出で立ちは、軽戦士か盗賊の冒険者を思わせるものだった。
「き、キサマ、一体、ど、どこから……!?」
「こんなジメジメした所は興味ないからねー。
ちょっと木の枝を、こう、ぴょんぴょんぴょんってねー」
「……ば、化け物め……」
ため息、焦り、悔しさ。
様々な感情が集約された、ボロボロの男の言葉だった。
だが、そんなボロボロの男に対して、軽装備の男は笑顔だった。
「まあ、というわけで。
もう、あきらめてくれると助かるんだけどなー。
あの[蛇さん]ったら、まーた、追加の命令を出したみたい。
ホント、メンドくさいよね~」
「……クソっ!」
既に満身創痍といっても過言ではない男は、腰のショートソードを抜刀する。
「こんな場所でくたばれん!
[サーペンスアルバス]では、白蛇(ホワイトスネイク)がお待ちなのだから……!」
男の決意を見て、軽装備の男は肩をすくめる。
「やれやれ、かな?
カッコ良く決意を語ってもらったところゴメンね。
もう、君、終わっちゃった」
「何、馬鹿なことを!」
ボロボロの男が言いかけた時だった。
「知らねえよ、テメェの都合なんざ――」
冷たい女性の者による声だった。
「!?」
瞬間。
ボロボロの男は、己の背中に何かが触れたのを感じた。
「[ショッキング・グラスプ【電撃波】]」
「ぐ、があああああああ!!!」
女性が発した言葉と同時だった。
ボロボロの男に、人が目視できる程の強烈な電撃が走り抜ける。
「ぁぁぁ……」
ボロボロだった男は、真っ黒な物言わぬ炭となった。
倒れた衝撃でボロボロと炭が砕ける。
「ふん。
楽に死ねたこと、せいぜい感謝しなさい」
紫色を基調とした豪奢なローブを纏った女だった。
冷たく言い放つ。
その上で炭を踏みにじった。
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・[ショッキング・グラスプ【電撃波】] LV1スペル
呪文をかけると、使い手の身体の中に強い電気が満ちる。
この状態で相手に接触することで電撃を食らわせることができる。
放電するためには、使い手が相手に触れる必要がある。
(あるいは電導体を介してもよい)
電撃の強さは使い手のレベルにより増していく。
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「うへえ。
ローレン姉さんって、ホント容赦っていう言葉から対局の位置にいるよね」
「あんたがグズグズしているからよ。
代わりにやってあげたことを感謝しなさい、ロレイン」
ローレンは冷めた目で弟を見つめる。
「それにしても本当なの?
白蛇(ホワイトスネイク)が、また追加の捜索隊を出したっていうのは?」
「うん、そうみたい」
そんな姉に、ロレインは苦笑する。
だがローレンは、弟の返答に対して苦々しげに親指の爪を噛んだ。
「クソっ、白蛇(ホワイトスネイク)め!
何を考えていても不思議じゃ男だけど、こうまで本人が出てこないんじゃ「面白く」ないわ。
ああ、あり得ない!
捜索隊を潰して、白蛇(ホワイトスネイク)を引っ張り出すっていう策は失敗だったか!
このままではマスターに楽しんでいただけない……!」
[面白くない]という言葉に、ロレインの表情も変わる。
「そうだね、これじゃマスターも僕も「面白く」無いよ。
だから、さ。
そろそろ別の一手を打つとしようよ、姉さん」
「別の一手?」
「うん、そうだよ」
ロレインは「さらり」と言い放った。
「サーペンスアルバス、
あれが無くなったら「面白く」なると思わない――?」
★
転生物でよくあるパターンの、内政中心のお話を書いてみました。
が、話の流れが不自然で、全くおもしろく無かった為にゴミ箱へ。
再度、書き直したのが本作になります。
内政物は諦めましたw