「レ、レンブラン様、そろそろお時間ですが……」
おずおずと、秘書の男は自らの上司に告げる。
「おお!
もうそんな時間なのですね。
ふふふ、ふふふ。
やっぱり悪い人は処罰されないといけないですよねえ、キミ」
でっぷりとした腹が目立つ男だった。
商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]だ。
楽しそうにする姿に、声をかけた秘書の男は[レンブラン]に生理的嫌悪を感じていた。
「あ、あの、そ、それは……
……
……
……はい……」
だが、秘書は何も行う気は無い。
ただただ「この上司の機嫌を損なわないようにするだけ」と考えているからだ。
「ふふふ。
キミはよくわかっていますねえ。
前の秘書クンはそれがわかっていなかった。
良くないことです。
ああ、それは嘆かわしいことです」
目頭を押さえながら、レンブランは嘆いてみせる。
三文芝居より酷い演技を見せつけられた秘書は、いつものようにレンブランの気が済むまで待とうとしていた。
「な、な……!?」
だが、いつものようにはいかなかった。
目頭を押さえたレンブランの顔が「ぬるり」と溶け出してきたのだ。
指の隙間から、肌色の液体が「ぽたり」と床に落ちる。
「レ、レンブラン様、お、お顔が!?!?」
どろりどろりと溶けていく。
そして秘書は見た。
指の隙間から、恐ろしい程までに「ぎょろり」とした眼球が睨み付けているのを――
「ひひひ。
これはしまった。ワシも歳をとったかの。
もう[ポリモーフ・セルフ【自己変化】]が溶けてしまったわい。
ひひひ、ひひひひ……!」
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・[ポリモーフ・セルフ【自己変化】] LV4スペル
この呪文をかけると使い手は変身できるようになる。
実態の無いクリーチャーの姿にはとれない。
ポリモーフに伴い、使い手の装備は新しい姿に取り込まれて一時的に消滅する。
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「ダ、お、お、お前は!?
な、な、何なんだ、お前は!?!?」
秘書の男は腰を抜かしてしまった。
だが、本能が身体を必死に後ずさりさせる。
「ひひひ。
少なくともお前さんの上司のレンブランさんでは無いさね。
ひひひ。
ワシは[ヴェクナ]と呼ばれるモノ」
「な――!?
レ、レンブラン様はどうした!?!?」
「ひひひ。ああ、レンブラン君か。
彼は。
うん、彼は永遠にいるのう。
ああ、永遠の場所に、ひひ」
「ダ、誰か――!!」
秘書が大声を上げようとした。
だが、それは叶わなかった。
[ヴェクナ]と名乗った男(?)は、いつの間にか秘書の口を押さえていたのだ。
「ひひひ。
屋敷内で大きな声はマナーがなっておらんのう。
そんなおぬしには、ちと、折檻じゃ。
秘書君。
サヨオナラ。
よい、夢を。
ひひ。
ああ、よい夢を――」
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036 戦乙女(ヴァルキュリア)
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他の多くの街と同様に、海沿いの街・セーフトンにもマーケット広場がある。
通常、マーケット広場では多く出店が連ねている。
ここの店に並ぶのは新鮮な魚介類が多い。
まさにセーフトンの台所と言える。
だが、今日のこの時間は違う。
広場には、見物人が立ち入り出来ないように麻のロープが張り巡らされていた。
そうやって確保された広場中央には、いつもには無い木の十字架が備え付けられている。
木の十字架。
ヌラヌラとした黒い染で覆われている十字架。
この染みが何人もの血によるものであることを、この街の住人は知っている。
今日のマーケット広場は人々の胃袋を満たす場所ではない。
[公開処刑場]なのだ。
セーフトンに暮らす人々は沈鬱な面持ちで、[公開処刑場]に集まってくる。
極少数の人は楽しみにしているようだったが、大多数の人間の足取りが重い。
これは商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]に、見物に来ることを強制させられている為だった。
多くの善良なセーフトンの人々は溜息をついた。
○
マーケット広場が人々で埋め尽くされた頃。
鐘楼から、正午を知らせる鐘が響き渡る。
これは処刑が執行される時間の合図。
何回も重々しく響き渡る鐘の音。
そして、最後の音の余韻が完全に消えた。
それを合図として、軽装鎧と長槍(パイク)を装備した兵士の行進が始まる。
2列に並んで行進してくる兵士の動きには、1mmたりともズレが無い。
ただただ、淡々と[公開処刑場]に向かって行く。
そんな列の最後、ニタニタとした笑顔を人々に振りまきながらやってくる男がいた。
商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]だった。
レンブランは、自ら専用に作らせた台の上のあつらえた豪奢な椅子に腰を下ろす。
これは[公開処刑場]の特等席だ。
「ふふふ。
本当に良い天気です。
私の正義の心が、神様まで通じているに違いありません」
したり顔のレンブランは、スッっと右手を少しだけ挙げた。
これはいつも合図だった。
レンブランの横にいた給仕の男が、グラスに赤ワインを注いでレンブランの手に差し戻す。
グラスを転がしてワインの香りを楽しみながら、レンブランは満足げだった。
「良いワインに、下される正義の鉄槌。
ああ、なんて素晴らしい日なのでしょう。
こんな日には。
ふふふ。
きっと[英雄]も来てくださることでしょう」
○
「ひでえ……!」
多くの見物人から溜息が漏れる。
これからまさに処刑されんとする哀れな男が、鉄の仮面をつけた屈強な男に引き立てられてきたのだ。
男はボロボロだった。
鞭打ちでもされたのだろうか。
衣服もろとも、全身は傷だらけだった。
両手、両足首には鉄の鎖で拘束されている。
男には体力はもう残されていないのだろう。
歩くこともままならない。
そんな男に対して、鉄仮面の兵士は強引に起き上がらせた。
「……ごめん、ごめん……
……バーバラ。
ごめん、バド……
僕は……
……
……
……」
満身創痍。
ミッチェルは蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
だが鉄仮面の兵士は何も変わらない。
淡々とミッチェルを十字架に向かって引っ張っていく。
血塗られた十字架へ――
鉄仮面の兵士達は手慣れていた。
あっという間にミッチェルは十字架に縛り付けられる。
首。
手首。
胴。
足首。
完全に縄で縛り付けられる。
この状態では、もはやミッチェル自身には為す術はない。
「ふふふ」
十字架を見るレンブランは笑みが耐えない。
笑みを絶やさぬままレンブランは、横にいる兵士に向けて二重あごを「くぃ」と少しだけ上に上げた。
それを見た兵士は黙って頷く。
兵士は手にしていた羊皮紙を広げる。
「この者。
我らが愛する海の真珠・セーフトンに対して不義を働いたものである。
正義の名の下に極刑とせんとす――」
淡々とした兵士の宣告だった。
奇妙なまでに処刑場には沈黙が訪れた。
唾を飲み込む音までが聞こえそうな空間。
3人の鉄仮面の兵士が、十字架に拘束されているミッチェルに長槍を向けた時だった。
「人を人と扱わない人って、もう、人間じゃないわよね。
だったら、人間の言葉を使うのを止めてくれない?
不愉快なのよ――」
それは不思議な声だった。
大きくもない。
それでいて、ここにいるもの全ての人間に届いたのだ。
心の底にまで染みこむ、鈴の音色のように凜とした女性の声。
全ての人間が、声をしたと思われる方へ一斉に視線を向ける。
そこには。
太陽の光を受けて燦々と輝く、純白の女騎士が威風堂々と立っていた――
○
大きな白い翼が付いた兜。
襟首から流れている長い金髪は、陽光にてキラキラと輝く。
胸部と腰を覆う純銀の甲冑はピッタリと覆われており、女性としての美しいラインも失われていない。
足のロングブーツは白に蒼いラインで縁取り装飾されたものだった。
だが、この女騎士は美麗な存在だけではない。
左手には大きな円形の盾が握られている。
傷だらけの大きな盾だった。
この大きな盾が、どれだけの修羅場をくぐり抜けてきたかを傷は雄弁に語っていた。
また、腰に下げられている剣鞘には一組の空色のサファイアが取り付けられている。
その鞘からは、素人でも何らかの力が発せられているのがわかった。
その存在感、圧倒感は、まるで完成された芸術品を思わせた。
「聞きなさい、人の外見をした化物さん達。
泣くぐらいじゃ許さないわよ。
私は我が儘だから。
好きなものに手を出されると、腹が立って仕方が無いのよね」
十字架へ向けて、純白の女騎士は歩み出す。
すると人々でごった返しになっていたマーケット広場だったが、瞬く間に綺麗に一本の道ができた。
血塗られた十字架へ続く一直線の道が――
ここにいる全ての人は、何も言うことができないでいた。
豹変してしまった絶対的な権力者[レンブラン]に、たった一人で堂々とケンカを売ったのだ。
周囲は何十人もの兵士に囲まれている状況。
普通なら有り得ない。
ただ無残に返り討ちに遭うだけ。
だが、ここにいる人間の心には熱い想いがこみ上げて仕方が無かった。
この女騎士が敗北する姿を想像できなかったのだ。
「まあ、人間の言葉が理解できるとも思わないけど。
それでも相互理解は大切よね。
簡単に言ってあげるわ。
ふざけんなって馬鹿、ってことなんだけど。
理解できる?」
そして、女騎士は何の躊躇も無く立ち入り禁止を示すロープを跨いだ。
セーフトンの街の人間は息を飲み込んだ。
今まで。
このロープを無断で越えた者に対しては、全ての人間が――
「き、キサマ、ふざけおって!
な、何ものだ!?」
慌てたように、ギラギラとした充血した目の兵士が女騎士を取り囲む。
だが、絶体絶命の窮地であるはずの女騎士は、全く動じる様子は無かった。
「テンプレね。
今時の時代劇でも無いわよ。
でも、まあ何者だって言われたら……
そうね。どこにでもいる、般教(パンキョー)を落としかけている女子大生。
けど今日は違うわ。
通りすがりの、どこにでもいる「正義の味方」」
「バ、馬鹿にして――!」
女騎士の平然とした言い方に、兵士達は苛立ちを爆発させる。
「よかった。
挑発してるんだもの。効果があって嬉しいわ」
「意味の分からない事を言う痴れ者!
すぐにその口、力尽くで塞いでやる!」
兵士が穂先を女騎士に向けようとした時だった。
「0点。
こういうのは、向けた瞬間に刺したら?
言う前に実行しないと意味は無いわ――!」
「な、な!?!?」
兵士達には何が起こったか理解できなかった。
己が手にしている長槍(パイク)の穂先が、いつの間にか切断されているのだ。
女騎士の右手には、いつの間にか抜刀された剣が握られている。
それは背筋が凍る程に冷たそうな輝きの剣だった。
「ひ、ひぃ……!」
兵士は腰を抜かして、地面にへたり込んでしまった。
そして悠々と、兵士の横を女騎士は通り過ぎていった。
あまりの出来事に、他の兵士達は動くことができない。
そして、女騎士は邪魔されることも無く十字架の前にまでたどり着いた。
「ミッチェル」
先程までとはまるで違う。
穏やかな、日だまりのような女騎士の声だった。
そしてこの声は、拘束されたミッチェルには聞き慣れた声。
「……タ、タエ、なの、かい……?」
「ええ、そうよ。
がんばったわね」
「はは、そりゃそうだよ……
僕は。
僕は夫であり、お父さんなんだよ。
何を当たり前の事を聞いているんだい……?」
「ふふ。
バーバラとバドは幸せね。
それとミッチェル。
貴方も、もう大丈夫だから――」
タエは[ファースレイヤー・ホーリーブレード(彼方狩る聖なる剣)]を振るう。
その姿はまるで演舞。
だが、美しいだけではない。
剣から発せられる魔力で、ミッチェルを拘束していた縄は瞬く間に切断された。
縄の支えが無くなったミッチェルは十字架から崩れ落ちる。
それをタエは軽々と受け止めた。
「はは、タエ……
君はなんていうのかな……
はは……
君は相変わらずだねえ……」
「あら、よくわかってるじゃない。
ちまちま縄をほどくなんて、いやーよ。
さ。
ちょっとだけ我慢してね」
タエは静かにミッチェルを地面に寝かせる。
ムチで打たれた傷が痛んだのだろう。
ミッチェルは苦悶の表情を浮かべる。
そんなミッチェルを見たタエは、ムカムカする気持ちを押さえるのに懸命だった。
タエは自分に言い聞かせる。
優先順位を間違えるな、今は――、と。
「さ、楽にしてね」
傷だらけのミッチェルの胸に、タエはそっと手を置いた。
そしてゆっくりと目を閉じる。
タエは右手に意識を集中させる。
「私は手を差し続けよう。
天から戦場へ、
勇者達への希望と力になるために――」
心から想う気持ちを言葉に乗せて詠唱する。
するとタエの右手は[光輝]に包まれる。
それは明るいから、次第に激しくまばゆいばかりに変化する。
「さあ、立ちなさい。
貴方は立たなければならない――!」
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・[レイ・オン・ハンヅ(癒しの手)]
パラディン(聖騎士)は手で触れるだけで治療を行うことができる。
この能力は他人にも自分にも使用することできる。回復量はLV×2hp。
回復対象を分散させることも可能。
またパラディン(聖騎士)は癒す代わりに、アンデッドクリーチャーに対してダメージを与えることもできる。
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タエの右手から発せられた[光輝]が消える。
すると、そこには傷一つないミッチェルの姿があった。
ミッチェルは穏やかな静かな寝息を立てていた。
○
目の前で[奇跡]な出来事を見たセーフトンの人々は口が止まらない。
思ったことを、各々が口に発してしまう。
「な、なんだあの娘さんは!?」
「な、剣を振るっただけで遠くにあった縄がかってに切れたぞ、おい!?!?」
「け、怪我が一瞬で!?!?」
「誰、あの方は誰なの!?」
「すげえ、すげえよ!」
ほんの先程までは溜息ばかりの空間。
これをたった一人の純白の女騎士が切り裂いた瞬間だった。
○
「来おった、とうとう来おったわい……!」
椅子から立ち上がったレンブランは身を乗り出すように十字架を、純白の聖騎士を凝視する。
それは眼球が飛び出るのでは無いかと思うぐらいに――
「ひひひ、あれがパラディン(聖騎士)の[レイ・オン・ハンヅ(癒しの手)]!
[魔法]ではない。あれが[奇跡]!
初めてお目にかかれたわ。
ひひ。長生きはするもんじゃ。
ひひひ、ひひひ、ひひひ。
来た、とうとう来たのだな……!
ワシのかわいい[英雄]。
ああ。
いかん。
ヨダレが止まらぬよ、うずきが止まらぬよ。
どうしてくれるというのだ、[戦乙女]ブリュンヒルデ・ヴォルズング……!」
商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]は舌なめずりをした。
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◇[ヘルム・オブ・スウィフト・パニッシュメント(速やかなる懲罰の兜)]
パワー
・使用者が攻撃を行ったときに兜の力を使うと、
通常の1回攻撃ではなく、2回の近接基礎攻撃を行うことができる。
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◇[スカイバウンド・アーマー(空に結ばれし鎧)]
特性
・これを着た者は、動くときに自分の体重が無くなったかのように感じる。
パワー
・[跳躍]を行うときにボーナスを得る[遭遇毎]
・この[跳躍]は通常の移動速度を超えて良い。
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◇[ゼファー・ブーツ(風のブーツ)]
特性
・白に蒼いラインで縁取り装飾された美しいロングブーツ。
・風に乗って空を鳥のように飛ぶことができる。
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◇[ホーリー・ガントレッツ(聖なる籠手)]
特性
・聖なる秘文を刻まれたこの籠手は、闇を清める光をもたらす。
パワー
・信仰の力により、攻撃に[光輝]の追加ダメージが加わる。[一日毎]
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◇[シールド・オブ・ザ・ガーディアン(守護者の盾)]
特性
・この樫で出来た盾は、味方と自身を同様に守ってくれる。
パワー
・味方のACにパワー・ボーナスを付ける。
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◇[サファイア・スキャバード(碧玉の鞘)]
特性
・この鞘は大きさを変えることができ、全ての刀剣類に合わせられる。
パワー
・この鞘には空色のサファイアが取り付けられている。
その魔力は剣に注ぎ込まれて、刃に恐るべき鋭さを持たせる。
・使用者は1回の行動で、鞘から武器を抜き、その武器で攻撃を行うことができる。
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★
私事で恐縮なのですが、半月ばかり海外へ渡航します。
その為に、次話の更新はいつもより少し遅れることになりそうです。
誠に申し訳ありません。
今回、ちょっと話がワープした感があります。
その辺りは次話にて話を進めつつ、補完していきたいと考えています!
そしてタエ姉さんの装備を初公開。
戦乙女に相応しそうなものを選んでみました。
こういった作業はとても楽しいですね!