「バーバラ、すこし寝た方がいいわ」
バーバラの肩にそっと手を添えてタエは語りかける。
だが、バーバラは黙って首を横に振るだけだった。
「うん、そっか」
優しげな笑みを浮かべたタエは、元々座っていた席に着いた。
そんなタエを見たバーバラは申し訳なさそうな表情だった。
「タエ……あなたこそ休んでいいのよ?」
「駄目よ、バーバラ。
こんな良い女達をほったらかしにしてるんだから。
戻って来たら、ミッチェルにはお仕置きが必要よ。
それなのに寝てる間に帰って来たら、お仕置きができないじゃない?」
「タエ……
……
……
……ふふ、ふふ、そうね」
今まで切なげな面持ちだったバーバラ。
少しだけだったが、柔らかげな表情が垣間見える。
「でしょ?
もうすぐ夜が明けるわ。
それでも戻ってこなかったら、私が意地でも連れてくるわ」
「あらあら。
ならその時には私も付き合うわね」
冗談めかしてバーバラに声をかけているタエだが、内心は不安を覚えている。
元々ミッチェルは夜遊びをするようなタイプでは無い。
それなりの付き合いの長さになっているタエには確信できる。
積み荷を卸しに行く前にも、息子であるバドとも約束をしていた。
他の何よりも家族の事を優先させるミッチェルが、その約束を違えるとは考えにくい。
「全く。
早く戻って来てバドを海に連れて行きなさいよ……」
自分にしか聞こえないぐらい小さな声で、タエは呟いた。
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035 海沿いの街・セーフトン03
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「マスタ!
酒だ、酒!
くそ、胸くそ悪い!」
太陽が水平線から顔を覗き出した頃だろうか。
早朝の[白いレース亭]に一見して漁師とわかる男が入ってくる。
漁業が盛んなセーフトンでは、漁を終えた漁師が朝からお酒を飲むことは自然な事だ。
「おいおい、どうしたんだ?
荒れてるじゃないか、坊主か?」
慣れた手つきで[白いレース亭]の恰幅の良い主人はエールを注ぐ。
憮然とした顔の漁師は出されたエールをまずは一気に飲み干した。
「おいおい、10歳から毎日海に出続けて25年。
一匹も採れねえなんて、セーフトンの男にゃありえねえよ。
ちげえ、ちげえ。
またやられたんだよ、あのクソ野郎によ」
漁師の大きく捲し立てるような言葉を聞いた主人は少し溜息をつく。
「おいおい、またか?」
「ああ!
ったく、今回はご丁寧に立て札が出てやがるよ」
「で、今度はなんだった?」
主人は漁師に黙って追加のエールを出す。
漁師はまたもや一気に喉に流し込んだ。
「ぷはぁ!
け、今度は横領だが、談合やら、よくわからねえけどよ。
そんなやつだったよ」
「横領……?」
「ああ。
マスタ、アンタもあれ見たら笑うぜ。
全部自分がやってることじゃねえか。
この街の人間、全員知ってる」
「……救いようがないな。
自分がやった悪事を全部押しつけるというわけか……」
漁師の話に[白いレース亭]主人は溜息をついた。
主人はエールを木のコップに注ぎ、自分でも飲み始めた。
「ふぅ……
全く、何でこんな事になったんだか……?」
「ああ、ったく胸くそ悪りい」
「今度は、誰が被害者になったんだ?」
「俺が知らねえやつだったな。
名前は……
なんつったかな、覚えてねえけど。この街の人間じゃねえとおも――」
漁師と[白いレース亭]主人の会話のみだったフロア。
「ガタン」と、椅子が倒れる音が響いた。
タエが勢いよく立ち上がった為だ。
漁師と[白いレース亭]主人がタエに視線を向ける。
「その話。
詳しく聞かせてもらっていいかしら?」
「え――!?」
そこには鋭い目をしたタエがいた。
タイトロープのように極限にまで張り詰めた雰囲気。
それはタエの容貌と相成って、自然界に咲く一輪の薔薇を想像させた。
「あ、ああ、そ、そりゃ構わねえけど……!?」
漁師と主人はコクコクと頷くだけだった。
○
「頭がイカレちまったんだよ」
漁師が苦々しげに言い放つ。
近頃、セーフトンの商売を取り仕切っている商人組合長(ギルドマスター)の様子が変だという。
突然言いがかりをつけてきて、横暴な取り立てや極刑を行う有様。
当然、逆らった者に対しても同様の厳しい処罰が加えられている
「ケッ、誰も逆らえねえ。
文句言ったら力ずく。なんとかなったとしても今後の商売が上手くいかねえ。
力も金も握られちまって、やっかい極まりねえ。
最近じゃ、金に物を言わせて兵士だけじゃなくてよ、モンスターまで囲っているって噂だ」
[白いレース亭]の主人も力なく続ける。
「最悪なのはこの地方を納める領主もだ。
商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]から、領主に賄賂でも行ってるのかね。
今のこのセーフトンに関しては、我関せずの立場さ」
「商人組合長(ギルドマスター)の[レンブラン]、ね」
タエはバーバラに視線を向ける。
バーバラは震えながら静かに縦に頷いた。
「……そう」
タエは昨日のミッチェルとの会話を思い出す。
確かにミッチェルは積み荷を「商人ギルドのマスターに卸す」と言っていた。
「その立て札って、どこにあるの?」
「あ、ああ。
立て札は広場のど真ん中にあるから、行けゃあすぐ分かるけどよ……」
「ありがと、助かったわ。
朝食の時間、邪魔しちゃってごめんなさいね」
タエは[白いレース亭]主人に銅貨2枚を差し出す。
「これで一杯飲んでね。
ああ、それと。
私の剣、返してもらえるかしら?」
「ああ……
そ、そりゃ勿論あんたの剣だから構わないんだが……」
[白いレース亭]ではトラブル防止の為に武器を預ける規則となっている。
おずおずと主人が持って来た剣[ファースレイヤー・ホーリーブレード(彼方狩る聖なる剣)]を、タエは腰に帯びる。
そして、バーバラの席に戻っていった。
「バーバラ」
「タ、タエ……!」
バーバラの言葉は言葉にならない感じだ。
そんなバーバラに向かって、タエは手を差し出す。
「今から広場に行くわよ」
「え、ええ……!」
バーバラはタエの手を取って立ち上がった。
○
漁師が言う通りだった。
広場まで行くと、すぐに中心にある大きな掲示板を見つけることができた。
タエとバーバラは慌てて走り寄る。
荒れた呼吸のまま、すぐに掲示板に貼られた羊皮紙に目を向ける。
「そ、そんな――!!」
腰から崩れ落ちそうになったバーバラを、タエは背中から手を回して支える。
そしてタエも掲示された内容を確認する。
掲示板には、確かにミッチェルが捕縛されたことが記載されていた。
それに加えてミッチェルが行ったという様々な行った悪事などがかかれている。
そして最後には――
「コレ書いたやつ誰よ!!」
タエは羊皮紙の上から掲示板に拳を叩きつけた。
「バンッ」と音を立てて、木製の掲示板にヒビが入った。
明日の正午に、ミッチェルの[公開処刑]が執行される旨が記載されていた。
○
放心のバーバラを連れて、タエはひとまず[白いレース亭]に戻る事にした。
タエは、まずバーバラを休ませる必用があると感じたからだ。
その為に、昨日から借りている部屋の扉を開ける。
すると丁度起きたばかりなのだろう。
目をこすりながら、バドがテクテクと走り寄ってきた。
「ママ、どうしたの……?」
きょとんとした目のバドはタエに質問をしてくる。
バーバラの目は真っ赤だ。
顔も涙でぐしゃぐしゃだった。
子供ながらに、バドは母が心配なのだろう。
「バド、バド……!」
そんなバドに対して、バーバラは抱きかかえて泣いた。
「ごめんね、ごめんね、バド……!」
「どうしたの、ママ?」
「う、うぅ……」
このような光景を目前にすると、タエは本当に異世界に来た事を痛感する。
「冤罪」などというレベルの話ではない。
法治国家である現代の日本では考えられないような事が普通に起こりえるのだ。
モンスターだけではない。
力がある人間も、時にはモンスターよりも不条理に弱い人間に牙を剥いてくる。
「ちょっといいかしら?」
タエはバーバラとバドに近寄る。
「ねえねえ! タエ、ママがママが!」
「うん。
いい、バド?
今、ちょっとお母さんは悲しい気持ちで一杯なの」
「え? 悲しい?」
「ええ、そうよ」
タエは膝を付いて、バドと同じ視線に高さを合わせた。
そしてじっとバドの瞳を見つめる。
「ねえ、バド。
お母さんのこと好き?」
バドの肩に手をやって、バドにもわかりやすいようにハッキリと言葉を発した。
「うん!」
「お父さんは?」
「好きだよー」
「いなくなるの、なんてイヤだよね?」
「え!?」
タエの言葉に、一気にバドの表情は曇った。
ただならぬ母の様子。
そしてタエの言葉。
子供ながらに何かを感じたのだろう。
「え……!
いなく、いなくなっちゃうの!?」
一気に泣きそうになるバド。
だが、タエは向日葵のような笑顔をバドに向けてしっかりと告げた。
「ううん。
ずっと一緒よ。ずーっとね!」
バドに言葉をかけ終えた後、タエは一瞬目を閉じる。
タエは決心する。
自らの心に刻みつける。
これは誓いの言葉なのだと――
「ホント……?」
「本当よ。
でも、バド~。
ひどいわね、私が嘘を言うなんて思ってるの?」
「ううん!
タエはウソつかないもん」
「あは、ありがと!」
続けて、タエはバーバラの肩を抱き寄せた。
タエにはバーバラの身体が、いつも以上に小さく感じられてしまった。
その瞬間、腹が立って仕方が無かった。
この感情は、タエの決意を更に強固なものにした。
「タエ、タエ……」
「バーバラ、私ね。
最近流行の、なーんかバッドエンド的な話がはやってるじゃない。
あれ、大嫌いなのよね。
なんで映画館やマンガとかでお金払って、嫌な気持ちにならなきゃいけないのよ。
意味分からないわ。
やっぱり、一番いいのはハッピーエンド。
これ以外は認めない」
「え、え!?
タ、タエ何を言っているの……?」
タエはバーバラの耳元で優しく囁く。
「決まってるわ。
この馬鹿な脚本を書いたヤツに修正を求めるの」
「そ、それって――!?」
大きな声を出しそうになったバーバラに、タエは自分の口元に人差し指を一本立てる。
「ご、ごめんなさい……!」
それが「声が大きい」ということを示すことを理解したバーバラは小さな声で謝った。
「ねえ、バーバラ。
大きな街だと便利ね。
寺院が何処にあるか教えてもらっていいかしら?
ハイローニアスの人達の、ね!」
○
それなりの規模の街であるセーフトンには、幾つかの教義の教会があった。
漁業が盛んなセーフトンでは[自然の神オーバド・ハイ]を信心する者が多い。
その[自然の神オーバド・ハイ]に続くのは、やはり[善・正義・武勇の神ハイローニアス]になる。
今、バーバラとバド、そしてタエはハイローニアスの教会前に来ている。
緑や赤等のカラフルな色の建物がほとんどを占めるセーフトンにて、ハイローニアスの教会は白一色だ。
また職人に手によって作成された彫刻やガラスなどが、美しさと荘厳さを人々に訴えかけてくる。
通常の人々にとって、ハイローニアス教会は安寧よりも緊張となる対象だった。
[海沿いの街・セーフトン]のハイローニアス教会前には筋骨隆々とした僧兵が警護していた。
直立不動でパイク(長槍)を手にしている姿に、低レベルの賊などは姿を見ただけで引き返すだろう。
「ど、どうするのタエ……?」
門を守護する僧兵を見たバーバラは腰が引けている。
他の神々と違って、どうしてもハイローニアスは威圧感を感じてしまうのだ。
でもだからこそ、困った時には本当に頼りになるのだが。
「ん~、やっぱり今回目指すのは「完全な勝利」だから」
緊張しているバーバラに、タエは笑顔を向ける。
そして僧兵に向かって歩み寄った。
だがバーバラに向けた表情からは一変した。
それはまるで戦場を駆け、戦死した誇り高き勇者の魂をヴァルハラへ迎え入れるヴァルキュリアの如く――
タエの存在に気がついた僧兵は、不自然に背筋に汗が流れるのを感じた。
「こ、こちらに、何かご用でしょうか、お嬢さん方……?」
重々しくも、丁寧な口調で僧兵はタエに訊ねてきた。
タエは黙ったまま、タエは胸のネックレスを手に取って僧兵の人見せる。
これは以前に、ミッチェルとバーバラにも見せた[光輝く小さな盾を模したネックレス]だ。
「これは、我らがハイローニアスの……
……
……
……な、こ、これは……!?!?!?」
僧兵は驚愕する。
そして穴が空くほどネックレスを見続ける。
その後は、タエとネックレスを交互にのぞき込む。
僧兵の様子を見たタエは、己の右拳を握りしめて胸に当てる。
「我が心の御旗が血に染もうとも
雨に打たれようとも
不名誉の前に死を
無垢なるものが汚される前に不名誉を
全ての挑戦には名誉を持って受けよう。
相手を敬い、病を癒し、悩みを救おう――!」
タエの言葉が朗々と響き渡る。
言葉は風に乗り、バーバラとバド、そして僧兵の心を熱くさせる――。
「勇ある者に私は手を差し続ける。
天から戦場へ、勇者達への希望と力にならん。
害なす邪悪は許さない。
……
この[戦乙女(ヴァルキュリア)]名にかけて――!」
「な!?!?!?!?!
あ、貴方は――!?」
タエの言葉を聞いた僧兵は、腰と膝が砕けそうになっている。
全身が震えている。
「司祭様に会わせてくれる?」
先程とは違って、もう、いつも通りのタエの声だった。
だが僧兵は全く気がつくことはない。
慌てて、ワタワタとしている状態だ。
「は、は!!
しょ、しょ、少々お待ちください――!!」
僧兵はパイク(長槍)を投げ捨てて、慌てて教会内へ走り込んで行った。
「ミッチェルの事があるから、勿論、急いでは欲しいんだけど。
あそこまでは慌てなくてもいいのに。
ちょっと脅しが過ぎたかしら?」
「タ、タエ、こ、これって一体……!?」
肩をすくめるタエに、バーバラは何が起こったのかが理解できない。
あの堂々とした立ち居振る舞いは!?
ハイローニアスの門を守る僧侶のあの慌てぶりは!?
バーバラにはいくつもの疑問が浮かびまくっている。
困惑するバーバラの姿に、タエは苦笑する。
「因果なものね。
あんな舌を噛みそうな口上がスラスラでるんだもの。
これも職業病というか、なんなのかしらねー?」
「タエ、へんなのー」
タエの言葉に、バドはタエの太ももに抱きついてくる。
そんなバドの頭を、タエは少し乱暴気味に撫でてあげた。
「こらー。
あは、変なの言わないの。
おかしいなあ、格好良くなかったかしら?」
「へんだった、いつものタエじゃないよ~」
「バドからは駄目出しかー。残念!」
そんなやり取りにバーバラは慌ててしまう。
「バ、バド、何を言うのよ!
タ、タエ、こ、これって……!?」
「ぴとっ」とくっついているバドを、タエは軽々と抱っこしてあげる。
バドは大喜びだった。
「バーバラ。
たぶんね、私一人でもミッチェルの事なんとかできると思う。
いえ、絶対に何とかしてみせる。
でも権力者絡みの問題だと、その後の事まで考えないと。
私はずっといるわけじゃない。
だからその場限りじゃ駄目。
雑草は根っこから取り除く必要があるのよ」
「タ、タエ……?」
「ハイローニアスとはあんまり関わり合いたくは無かったんだけど。
正直、まだまだ情報も足りないと思うしね。
だから今回は別よ。
私が好きな人達を悲しませたんだから」
バドを地面に卸して、タエはバーバラを抱きかかえる。
そして、そっと耳元で囁いた。
「もう大丈夫よバーバラ。
ここからは、もう素敵な逆転劇しか起こらないから――」
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・[勇気のオーラ]
一定レベルのパラディン(聖騎士)は3m半径の勇気のオーラに包まれている。
このオーラは魔法的なものであれ、それ以外のものであれ、[恐怖]に完全な耐性を得る。
パラディン(聖騎士)から3m以内にいる仲間にも、[恐怖]に対して耐性ボーナスを与える。
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・[防御のオーラ]
パラディン(聖騎士)は3m半径のプロテクションオーラに包まれている。
この中では敵対する存在は、パラディン(聖騎士)に対する敵対行動にペナルティを受ける。
このオーラの影響を受ける者は、その源を簡単に知ることができる。
例えばパラディン(聖騎士)が変装をしていたとしても、このオーラを隠すことはできない。
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★
あと数話で「お姉ちゃん紹介編」が終わればいいなと考えています。
その次は「お兄ちゃん紹介編」もしくは「ノア編」かー。
で、もしかしたら9月は更新が不定期なるかもしれません。
9月の中頃から下旬にスペインとイタリアに向かう為です。
このようなお恥ずかしい作品ですが、
少しでも楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるとしたら申し訳ありません!