うららかな初秋の放課後。
程よい陽光が、窓から差し込み陽だまりを作る。
まったくもって、今にも眠りだしそうなほど温かでおまけに図書室と言う場所柄静かだ。
時期的にあと一ヶ月も過ぎれば居眠りなどする雰囲気でもなくなるのだろうが、全力投球をした文化祭の次の週は魂が抜け落ちたかのように学校全体に無気力で怠惰なムードが漂っている。そしてそれはここ、図書室でも例外ではなかった。
図書委員と言う役柄上、週の決まった曜日に図書室に居なければいけない。別に、サボっても受験生である三年なのだから図書委員会担当である古町多恵先生にお小言を言われるだけなのでみなサボっている。それでも俺はサボらない。
当然ではあるが、ちょっとした理由がある。
本に囲まれていると言うのが個人的には好ましい状況であり、また鼻腔をくすぐる古書の匂いがえもいわれぬ程芳しい。ああ、まったく君たちは美しいよ。
豪華な皮の装丁のしっかりした全集から、安っぽい文庫本まで。その全てが輝いて見える。
そうなのだ。俺──真田真白──は無類の読書狂なのだ。読書量はどこぞの紙使いにも負けない自信と自負がある。
だからこそ、一般図書はもとより創立五十六年分の卒業アルバムから歴代の文芸部及び漫研などの会誌まで読みつくしたとはいえ、それはそれこれはこれ。図書室と言う空間が好きで好きでたまらない。死ぬなら本に囲まれて死にたい。だからこそ、出来うることならばここで授業を受けたい。常々、そんなことさえ願っている。
そんな俺の隣で、
「うーむ、世間ではもうツンデレではなくクーデレなのか……」
司書室の一般生徒が座る椅子より本の少しだけ豪華な椅子に寄りかかりながら、俺には良くわからない単語が混じっている言葉を感心したと言う風に呟く連司。
「……マーベラス」
そんなことまで小さく、それでも俺の耳に届くには充分過ぎる大きさで呟く。何がマーベラスだ。意味がわからない。
俺にはそんな連司が、いつもながらどうしようもなくダメ人間に見える。
「──場所を選べ」
家から持ってきた古いSFの文庫本から視線を上げずに、一応突っ込みを入れる。どうせ聞きはしないだろうが。
「場所、選んでるだろう? ここはどこだ? そう、人気の無い図書室だ。人気の無い……ああその、なんだ? なんというか『人気が無い』と言う言葉は淫靡で卑猥な響きがあるな。最も、ここが図書室などではなく人気の無い『体育用具室』或いは人気の無い『保健室』だったらなお良しだったのだが……、まあ過ぎた贅沢は言わないさ」
眩暈がする。
結構な付き合いの長さだが、未だに慣れないものだ。もっとも、慣れたいとは心底おもわないが。
「聞いた俺がバカだったよ。せめて、其れをおおっぴらに読むのは止めてくれ、俺まで誤解される恐れがある」
手をひらひらと振って止めてくれと言うジェスチャーをしながら言った。
妥当な意見だろう。
ここは学業を学ぶべき神聖なる学校。それも黙々と本を読む為だけにある閑静極まる図書室なのだ。そこに不似合いな書物を読みふける生徒は居ないほうがいい。否、居ていい道理などない!
「本は本さ。最もエリザベス女王時代のイギリスじゃあ、とてもじゃないが出版できないような類だけどね」
そう。そうなのだ。
あるまじきことに、連司──本名・美芝連司──が先ほどから読みふけっている本とはえろーで萌えー(意味は全くわからない)な幼い容姿の女の子が描かれた表紙のエロゲー雑誌なのだ。とてもじゃないが学校で読んでいい類のものではない。
なので、読んでいた文庫本に栞を挟んでから、パタンと閉じる。そして、深呼吸をする。
「俺も、あまり硬いことは言いたかない、が。それは止めとけ。もし、多恵ちゃんがやってきたらどうすんだよ」
そこである意味においてこの学校の伝家の宝刀的存在である多恵先生の名前を出した。
「あー……ねぇ」
容易にその情景が浮かんだのか、連司は少しだけ困ったような感じに笑う。全く持って答えになっていない。
「だからぁ……」
疲れる。無性に疲れる。
はぁと三十代中間管理職のようなため息をつく。
「いいじゃん。一応、ボクは十八だよ。来月になれば十九だ。年齢的問題は無問題!」
「まあ、そこで駄目だししてるわけじゃない。ここで読むなと言っている」
「いいじゃんかよー、いいじゃんかよー」
全くの棒読み。
「駄目なものは駄目です」
「けちぶーめ。じゃ、このページだけ読ましてくれ。というか、読んでく
れ。何とゆうかこれを真白ちんに読ませたいがため学校に持ってきたようなモンなのさ、実は」
「何故に?」
「いいから、いいから!」
時代劇に出てくる越後屋のような愛想のよさで捲くし立てる、連司。おぬしも悪ですのぅとはいってはやらんぞ。
連司の瞳を見る。赤毛のバスケット少年のような断固とした決意がそこにはある。
「……読んでやっから、鞄にしまうんだぞ」
諦めた。強情な奴なのだ。頑固な奴なのだ。ゴーイングマイウェイな奴なのだ。この年上の幼馴染は。昔からそのことは充分すぎるほど思い知らされてきた。
「あい、あい」
嬉々として、連司はエロゲー雑誌を俺に手渡した。
「……はぁ」
もう一度盛大なため息を漏らすと、見開きになっているページに視線を落とした。
それはある種の理想郷。もとい、十八歳未満お断りの禁断の世界であった。キスはおろか恋人いない、年齢イコール彼女居ない暦の自分には過激で扇情的な絵が描かれていた──のだが、やはり、二次元は二次元だった。
「これがどうしたって?」
下らない──言外にそのような意味を込めてジト目で連司を睨む。
「あははー、実はですねー。このページのここの部分を注目して欲しかったのですよ」
ページの片隅の必要なパソコンのスペックや開発者のデータなどが書かれている部分に連司は指差した。
「えーっと、原画家がミカミでシナリオライターがレイイチ? これがどうしたんだ?」
「まだわからないかな? まあ、判らないよねー。ボク様ちんだって最初は訳わからんかったもん」
「は?」
そのときである。まるで計ったかのようなタイミング。実際、奇跡のようなタイミングだった。
「真田君に美柴君。委員会活動ご苦労様ですっ!」
図書委員会担当教諭にして、学校内である意味において最強の存在である古町多恵の登場であった。
「エッチなことはいけないことなのですよ!」
まず第一声はどこぞのメイドさんが言ったような感じの言葉だった。
場所は変らず、閑静極まりない図書室。但し、状況はかなりの激変。
まず、俺たちは正座をさせられている。
目の前には仁王立ちした多恵先生。百五十センチにも満たない身長の先生がなんと大きく見えることか。
「いいですか? エッチと言う行為は真に愛すべき二人がですね長い時間をかけて愛というものを築き上げ、その結果するものなのです。ですからこのような──雑誌の内容をちらりと見る──と、とにかくっ! 神聖であるべきなのですっ! こんな如何わしい、破廉恥で、低俗で……ダメなのですっ! こんなエッチな本はダメですっ! ダメのダメダメなのですっ! 不許可です、下劣です、不潔ですっ! えーっとえっとえっと、……とにかくダメなんですっ! ですから──!」
──と、こんな説教を延々こ一時間ほど聞かされ続けている。老人のループする会話のように同じような感じで。
これがけっこうきつい。主に精神的に。
ほらなにせ、多恵先生の見た目は小学生。よくて中学生にしか見えない。そんな容姿の多恵先生が顔の割には大きな瞳に大粒の涙を浮かべながら、顔を真っ赤にして必死に其れはもう懇々と人間の愛についてだとか、如何に安易気持ちでエッチなことをするのはいけないことなのか、そんなことを説教するのだ。ある意味、──生き地獄だ。
ちらりと隣の連司を盗み見る。
俺と同様に、参った顔をしているのかと思いきや。目を煌かせながら多恵先生を凝視と言う言葉がしっくり来るほど眺めていた。
「……萌え」
まだ言うか己は。
内なるツッコミはただ空虚なものだった。