婚約こそ発表されてはいるが、現在の一葉姫の立場はあくまでセージの婚約者であり、決して妻では無い。皇城か離宮に住んでいるのが普通で、何をどう間違えば他国の地で居住する事になるのか、マトモな貴族であれば首をひねるところである。 では、彼女がリトリー領に堂々と住んでいる表向きの理由は何であるのか? 実は、奈宮皇国・リトリー公爵領間を結ぶ街道工事の皇国側監査団の責任者としてリトリー領に常駐しているという事になっているのが表向きの理由であった。 普通であれば、他に実務担当者がいて実質はお飾りなんだな、という理解をすれば話は簡単なのであるが……。 それで済まないのがリトリー領クオリティ。■ 美少女(企業)戦士 × 3「おはようございます、姫様」「おはよう、ネイ。ケーニスは今日は一緒ではないのですか?」「ケーニスなら昨日から強行行軍訓練に出ていますので……」「そういえば、昨日の朝食の時はかなり沈んだ様子でしたね」「そりゃあ、まぁ。補給無しの状態で3日3晩ぶっ通しで山の中を行軍する訓練ですから……。 特にケーニスは小隊長としての指揮訓練も兼ねてますからね、テンションも下がるでしょう」 付け加えるのであれば、彼女はそれが終われば今度はエルト王国南部沿岸に存在する無人島でのサバイバル訓練が待っていたりする。 都合2週間近くに渡って暖かくて美味しいご飯に安眠できる寝床とおさらばして――しかも超問題児どもと一緒に――サバイバル生活なのだから、この世の終わりみたいな顔をしながら朝飯を食っていても不思議ではないだろう。 ちなみに、彼女達は諸事情により全員孤児院に住んでいる。と言っても、厳密には住んでいる区画は違うのだが。 ネイは子供達と同じ区画に住んでおり、ケーニスは士官候補生達が一時的に間借りしている区画、一葉はセージの寝泊りしている部屋に近い最も警備が厳重な区画で寝泊りしている。 別に意図してこうなった訳ではなく、ネイに関しては諸処の事情により元々孤児院に住む予定だった事、ケーニス達に関しては警察予備隊の急拡大に宿舎の用意が追いつかなかった事が重なったのだ。 一葉に関しても、一時は公爵家邸宅の余剰スペースに部屋を用意する案も出ていたのだが、流石に奈宮側が難色を示し、警備や本人の希望を踏まえた結果としてこうなっていた。 実際には公爵家邸宅に住むよりよほど同棲状態に近かったりするのだが、その辺りは奈宮側としては実より名をとったという事だった。 もちろん、一葉にとっても名より実を取った結果には満足している。 ……直ぐに、その他の要因(ぶっちゃけると通勤距離が短い)に関してもこれで良かったと心底安堵する結果になったのではあるが。「ネイもその訓練を受けた事が?」「もちろんあります。まぁ、私の場合は部隊全員が獣人族でしたので大した苦労はありませんでしたが」「そうですか」「その代わりと言っては何ですが、私達は訓練を教導したり補助したりといった事に駆り出されるのが多いので……。セージの奴、ああ見えて人使い荒いですから」「それに関しては同感です。私も、確かに監査役としての役目をある程度果たしたいと自分で言いましたが……。 部下が手伝ってくれていなければどうなっていた事か」「今日も現場の視察ですしね。私も護衛でお供する事になっていますので、よろしくお願いします」 とても十代前半の女の子同士の会話とは思えない内容だが、学園の戦闘技能系や魔法系の学科クラスを覗くとチラホラ似たような年頃の生徒が交じっているというのだから恐ろしい。 リトリー領内の景気が良い事と、セージ個人の名声、南ヘルミナ騒乱における警察予備隊の奮戦等がある種の宣伝効果をもたらしているという事もあり、「好成績で学園を卒業すれば好待遇で公爵家へ仕官出来る」という果実をもぎ取ろうとかなりの生徒が目の色を変えているのだ。 特に他の地域から流入してきた住民の子息は家計の事情が切実な分、まさしく必死であった。 また、余程の事情でもない限り入学者は基本的には受け入れているという事もあり、学園内にいる生徒の出身は様々である。周辺地域の生徒も増えだしている辺りは、学園の経営という一点で見れば上々の経過と言えた。「ところで、黒尼殿はどうしているのですか? 本来なら、護衛役は私じゃなくて――」「まぁ、あたしが付くのが筋なんだけどねぇ」「うひゃぁっ?!」 突然背後から背筋を指で撫でられたネイが跳び上がるようにして振り向く。そこに居たのは、今まさに話題に出ていた黒尼だった。 切れ長の涼しげな目元と男性顔負けの身長が特徴的な、“自称”妹がダース単位でいそうな麗人である。 やや中性的な鋭い顔立ちはややもすると男性と言っても通じそうなのだが、フィットスーツに近い黒装束を下から押し上げる2つの膨らみのボリューム感と肉感たっぷりの腰からふとももにかけてのラインがたまらんけしからんレベルなので見間違える事はまず無いだろう。 一言で言うと、びっくりするほど美人さんだという事だ。 それでいて頭の回転も速く武術に優れ、忍びとしても非常に優秀とくるのだから並みの人間では気後れする事請け合いだった。 ちなみに、一葉もネイもケーニスも理由こそ違うが彼女が多少苦手であった。「あー、やっぱネイちゃんはかぁーいーなー。スリスリ~」「ちょ、やめ、やめろ! コラ、しっぽはあぁん♪」「黒尼……、ネイがお気に入りなのは分かりますが今は放しなさい。話が進まないでしょう」「しょーがないなぁー」 ネイの抵抗を物ともせずに抱きしめてかいぐりかいぐりしていた黒尼が、渋々という表情を隠そうともせずにネイを解放する。 と同時に一葉の陰に隠れるようにして間合いを取るネイ。 臣下筋としてその態度はどうよと言うべき身のこなしであったが、(いろんな意味で)ツッコミを入れられる人間はここにはいなかった。「ぶっちゃけて言うとだね。姫様の護衛は替えが利くけどあたしの代わりはそうはいない、って事だわね。 セージ君の部下って、情報とか諜報に強い子があんましいないからねぇ。カーロンのじーちゃんも、分析は出来ても持ってくる方となると得意じゃないみたいだし。 ま、あたしの出番が増えるってものさ」「……一応、貴女は私の教育係だったのでは無いですか?」「あー、あれね。パス。あたしには向いてないわ」「…………」「あの……、それって拙いんじゃ?」 絶句する一葉と、恐る恐る聞き返すネイ。もちろん常識人としては正しい反応である。「正直な話、それもカーロンのじーちゃん辺りがセージ君のついでに見てくれるって事で話がついてるんだよねぇ。 あ、姫様もネイちゃんも、風林のおっさんにはこれ内緒でね。 あのおっさんがまだあたしの名目上の上司だしさ。やっぱ給料減らされそうな情報が上がんのは拙いし」「……カーロン殿の事ですから、風林にも話はいってるのでは?」「うーん、まぁ、姫様の言う事ももっともか。じゃあ、もし給料を下げられたらその分姫様の未来の旦那様に出してもらうって事で」「どうしてそうなるのです……」「あたしのモットーは『給料分』だからね」 あっけらかんと言い放つ黒尼に、遂に一葉の右手が眉間へと伸びる。 頭を抱え出さないか心配になりそうな構図だが、その一葉にトドメの一言が……。「まぁ、あの坊やなら上司にしてもいいかなー、とは思うし別に給料減ったら減ったでいいんだけどね」「黒尼……」「やー、もし奈宮をクビになったらいつでもウチに来い、なんて言われちゃってさ。幾らぐらいで買ってくれるかって聞いたら、ちょっと凄い額が出てきてねぇ……。 キチンとあたしの事も評価してくれてるし、ね♪」「ね♪ じゃありません……」 盛大な溜息を吐く一葉に向かって、少しだけ真面目な顔になった黒尼が目線を合わせる。「……姫様。ちょいと真面目な話をするけどさ、あの国では家柄が低い奴や女は出世できないんだよ。それに、能力をキチンと評価されるっていうのも思った以上に少ない。 風林のおっさんや陛下はいいさ。あたしごときが言うのもなんだけど人が出来てるし、能力があれば多少の問題には目を瞑ってくれる。 自分でも思うけど、あたしみたいなのが姫様付きになってるってだけでも凄い事さ。 でも、あたしじゃそこまでだね。姫様の便利な部下、って以上にはなれないさ。 それが、ここじゃ全然違う。あたしみたいなちゃらんぽらんな性格の奴でも、使えるとあったら限界まで使い倒す。年齢や身分が足りてなくたって同じさ。 あの坊やは、徹頭徹尾、仕事が出来るかどうかだけで部下を見てる。まぁ、一部例外はあるけど、そのくらいならかぁいいもんだわ。 つまりさ、あたしはここじゃ頭を張れるんだ。情報や諜報の分野に関して、自分の能力を上回る奴が出てこない限りはね。 そうなると、給料分くらいは働いてやるかっていうのとは違うのさ。色々とね」 黒尼の言葉に、一葉は瞑目するしかなかった。 確かにリトリー家の人事のやり方は滅茶苦茶だ。抜擢に関する諸々をほぼ完全にセージやカーロン個人の力量(セージの場合は裏技と言った方が正しいが)と名声に頼っている状態で、秩序も何もあったものでは無い。 だが、他所では評価されなかったり、あるいは出世しにくそうな者が拾い上げられているのもまた事実だった。 どちらが優れているという話ではないが、黒尼に関してはセージのやり方が水に合ったという事だろう。 そして、今現状のリトリー家が直面する事態に即しているやり方だとも。 それが分かる程度には、一葉は様々な事を風林から学んでいた。「だいたい、同じ働くならかぁいい子が多いトコの方がいいに決まってるからね! ネイちゃんもそうだけど、ホイミンもあれで中々だし、ケーニスちんも悪くないし。ココの子達もかぁいいしねー。セージ君も、割と好みだしさ」「…………」「…………」 どう聞いてもこっちが本音だった。 空気を和ませるとかそんなんじゃあなく、何か変なオーラが漂ってきそうなくらいガチでマジの本音だった。 さっきまでの真剣さが台無しである。 あと、ネイの耳が伏せられてる。地味に怖いらしい。「そうだ、姫様。ヤる前に一発味見させてくれない?」「いっ?!」「あぁ、姫様じゃなくてセージ君の方ね。いっぺんああいうかぁいい男の子を押し倒してみたかったんだけどさー、なっかなか機会が無くて。 ね、一回だけでもいいからさ」「そんな事を言われても……」「えー、いいじゃない、女と違って減るもんじゃないんだしさ。ほら、姫様だって下手くそなのよりも上手い方がいいでしょ?」「それはその、そうかもしれませんけど……。し、知りませんっ!」「やー、流石姫様! 度量のデカさは三国一だね。将来きっといい女になるよ」「あ、ありがとう……」「それじゃ、あたしは任務があるんでこの辺で。ネイちゃんもまたね~」 現れた時と同じく風のように去っていく黒尼。あっという間に姿が見えなくなるのを、一葉とネイはキツネにつままれた様な顔をして見送るばかりだった。「姫様……」「……何か?」「今のって、姫様が黒尼殿の行動を『知らない』事にしてあげる、っていう意味にとられちゃったんじゃ?」「…………」「…………」「だ、大丈夫です。大丈夫、のはず、です……」 何が大丈夫なんだろうか? とか、セージ様って意外と――というよりフツーに押しに弱いと思うんだけど? とか、色々と思わないでも無かったネイではあるが。「はぁ……」 結局、気の抜けた返事しか返しようが無かったのであった。■ 一方その頃……「こらそこぉっ! ポーカーなんてやってないで配食の手伝いでも――わん子は手伝っちゃダメ! なぎーと一緒に大人しく待ってなさい。 あぁ、ロリコンと神官はサボったら簀巻きにしてそこら辺に吊るすから。妙な事をしても以下同文。 だーかーらぁー! わん子は大人しくしてなさい! 待ちきれないのは分かってるから! 待てなくなったらそこのアホどもの分で我慢しときなさい」「ちょ、横暴でござるよっ!」「文句があるならさっさと準備しなさい。それとも何。あんなに可愛い子のちょっとしたお願いも叶えてあげられないっていうの?」「……この角勇五郎、美少女の頼みとあらば神をも超えて見せるでござるよ! おりゃりゃりゃりゃーっ、でござるーっ!」「す、すごいです……! 川魚があっという間に捌かれて串まで打たれてますよ」「……私の目には、一瞬食材が七色に光ったように見えたんだけど」「気のせいだ。というか、気のせいだという事にしておいた方が色々と悩まなくてよさそうだぞ、隊長」「ボクとしてはおいしいご飯が食べられるならその過程や方法なぞどうでもよいのだァーッ、なのだ」※ コーナー中に使用された食材はサチさんが美味しく頂きました「食べ物を粗末にするのはよくないのだ」