「そうか…長くなったが、まあ疑問は大体解けた。思った以上の大事になっているけどな…」
さて、俺は今後どうするべきだろうか。以前考えていたようにとことん介入すべきか、徹底的に静観するべきか、
等と考えていたその時──
「きゃあ!」
「ちょっと! 乱暴しないでよ!」
数人の男女が押し問答をする声が、俺の耳に届いた。
何だ? と思いつつ、声がした方向──割れた窓の外を見下ろすと、ガラの悪い男たちに、引き摺られるようにして
ビルへと連れ込まれる少女が二人。
一人は紫がかった綺麗な黒髪、もう一人は鮮やかなブロンドで、両人とも聖祥の白い制服を着ている。遠目でわかるのはこの位なのだが、
「ありゃ、どう見てもアリサとすずかだよな?」
『是。間違いない。そしてこの状況は、主の世界で言う誘拐イベントと酷似している』
「一緒にすずかがいるあたり、『俺』という異物が入った影響か?」
『解答不能。確かに主というイレギュラーが、この世界に及ぼす影響は小さいとは言えぬ。しかし、どこまでが主の影響で
あるかなど、神ならぬこの身では判別不能だ』
「ま、そりゃそうか…で、だ、仮想人格よ、俺は原作に関わる気なんかスッパリ切り捨てちまった。このまま静かに暮らす
なら原作通りに話が進んだ方がいい。だから、これ以上大きな不確定要素を生まない為にも、俺はあいつらを助けないで、
原作キャラの登場を待つべきか?」
この力を手に入れたのが、転生したての頃であれば、狂喜乱舞したことだろう。
しかし、現実に打ちのめされ、自身の愚かさを知った今、そんな考えは欠片も湧かない。完全に冷めてしまったというか、
賢者モードというか、そんな感じだ。
『決定権は主にある。我はそれに従うのみ。──ただ一言、言わせてもらえば、ここで彼女らに関わることはマイナスではない。
むしろ助けぬ方がマイナスになりうる』
「あ? そりゃどういうことだ?」
『簡単なことだ。既に主というイレギュラーが発生している今、原作との乖離は修正不可能だ。主の生命維持には、ジュエ
ルシードは必要不可欠。それを手にしている以上、主は争乱の中心に居るも同然』
「う゛っ…」
『ならばここは積極的に関わり、どの勢力がどう転んでも生き残れるよう趨勢を見極め、臨機応変に動くべきだ』
「そうだなぁ…こんな不確定要素だらけの状況じゃ、あの二人を助けに来る人間も、いるかどうかも怪しいなぁ。仕方が
ねえ…行くか」
頭を掻きつつ、決断する俺。流石に、ヤバイ可能性を知りながら見捨てるのは、後味が悪い。
「で? 魔人に変身ってどうやんだよ?」
『念じ、言霊を発すればよい。それ即ちマガツヒとなり、アマラより力を得る為の呼び水となろう』
「言霊、ね。てことは強い感情、テンションが上がるような言葉じゃないと駄目か…」
『無論。主が成長するか、更なるジュエルシードがあれば別だが、現状では強い意志の発露がなければ、扉を開くことは叶わぬ。』
くそ、なんかこっ恥ずかしいな……ええい、ままよ!
──アマラの果てより来たりて
──魔炎の火立てをこの手に
──我は、死を下す超者と成らん
──我、鮮血の剣士、マタドール!
『フム、『デモンベイン』のアレンジか。悪くない。マガツヒの量も充分だ、行くぞ、魔法陣発動!』
仮想人格の声に応じ、俺の足元に現れる魔法陣。
それは、円の中心に六芒星を刻んだ、ベルガ式、ミッド式とも異なる、いわば地球式の魔法陣だ。
マガツヒで描かれているのだろうか、真紅の輝きを放つそれは、天井にも届く程の巨大な赤光の柱を生み出し、俺の体を飲み込んだ。
「ふむ。魔人化完了か…」
次の瞬間には、光は完全に収まり、消えてゆく魔法陣から歩み出た俺は、姿見に映る濃緑の闘衣を纏うヒトガタ──
魔人マタドールと化した自分を見ながら呟いた。
「心配していた混乱はないが…なんかこう、腹の底からこみ上げてくる高揚感があるんだが?」
『それは悪魔本来の闘争心だ。戦場で恐怖に憑かれることなく戦えるが、身を任せすぎれば、ウォーモンガー(戦争狂)か、
バーサーカー(狂戦士)になりかねん。気をつけろ』
「いや、マズイだろ、ソレ…抑えることは出来ないのか?」
『それは無理だ主。ジュエルシードの力は、主の生命維持や、アマラ深界との接触点の保持などに費やされている。
更には悪魔の強烈な自我を押さえ込み、主の自我を守っている現状、どうしても取りこぼしが出てしまう。この位
の差異は耐えてくれ』
むう、この際贅沢は言えんか…
「…仕方がない。今はあの二人を助けるのが先決だ。行くぞ!」
『承知』
第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)後半大幅加筆修正版
薄暗い廃ビルの一室。
かび臭いむき出しのコンクリートの床に、無理矢理座らされたアリサ・バニングスと月村すずかは、周囲に立つガラの
悪い男たちの、下卑た視線から逃れるかのように、互いに身を寄せ合っていた。
「……アンタたち、一体何者よ!? こんなことして、許されると思ってんの!?」
無遠慮な男たちの目から、すずかを守るように前に出たアリサは、声を張り上げてチンピラたちの中心に居る、リーダー
らしき黒いスーツ姿の男を睨みつけた。
しかし所詮は子供の言葉。黒スーツは気圧されるどころか、人を喰ったような笑みを更に深くして、チンピラたちの
集団から、一歩前に出た。
「いやいや済まないねえ、お嬢ちゃん。おじさんたちもこんなことはしたくないんだが、これも仕事でねえ」
悪いが付き合って貰うよ? と言いながら、黒スーツは肩をすくめる。見た人間が苛立つ、気取った仕草だった。
「仕事って何よ! ワケのわからないこと言ってんじゃないわよ!」
「何、難しいハナシじゃないさ。お嬢ちゃんのパパのお仕事が、邪魔だと思っている人たちが居てねぇ…」
気炎を上げるアリサの前でしゃがんだ黒スーツは、涼しい顔で胸ポケットからシガレットケースを取り出し、紙巻煙草を口に咥える。
それと同時に、取り巻きの一人が駆け寄ると、ジッポライターで紙巻に火を点した。
「──で、パパさんに仕事をやめてもらう為に、お嬢ちゃんに協力してもらおうと思ってね。そっちのお嬢ちゃんはー、
まあ、巻き添えって奴だな」
そう言い終わると、黒スーツはどろりと濁った目を細め、紫煙を吐き出した。
副流炎を吹きかけられた二人はケホケホと咳き込み、涙を浮かべる。
黒スーツは少女たちを見つめながら、無言で背後のチンピラたちに手を振った。
すると、集団から駆け出した一人が、デジカメを手にしてアリサたちの前に立つ。
「つー訳で、聞き分けの悪いパパさんにYESって言ってもらう為に、アリサちゃんにゃ素っ裸になってもらおうかな」
「な、何言ってんのよ! そんなのやる訳ないでしょ! ばっかじゃないの!?」
身内にお使いを頼むかのような軽い口調で、とんでもないことを言い出すの黒スーツに、眦を吊り上げ、怒りを表に
するアリサ。
それに対して黒スーツは、あくまでマイペースに、氷のように冷たい視線を二人に向け口を開く。
「ウチのもんに持たせたカメラで撮って、君のパパに送り付けんのさ。大事な一人娘のストリップだ、これを見せりゃ、
パパさんも観念して、どんなお願いも聞いてくれるだろうよ。
あー、ちなみに嫌だってんなら、かわりにそっちのお嬢ちゃんを無理矢理ひん剥くから」
それにさ、と黒スーツは続ける。
「俺の後ろにいる連中の中にはさ、君らみたいな小さくて可愛い娘が大好きな変態が、何人も居るんだよ。アリサ
ちゃんが言うこと聞いてくれないと、おじさんのかわりにそいつらが、君らと「お話」することになるけど?」
「ひっ」
黒スーツの後ろに立つ男たちの、下卑た笑い声と、身体を這い回るナメクジのような視線を浴びて、すずかは
その生理的な嫌悪感と恐怖に、青い顔で息を呑んだ。
その様子を見たアリサは数秒の思巡の後、意を決して立ち上がると、正面からキッ、と黒スーツを睨みつけ口を開いた。
「──すずかには手を出さないで…」
「ああ、アリサちゃんさえ言うことを聞いてくれれば、そんなことしないよ。約束する」
「っ!? アリサちゃん!?」
親友と黒スーツの会話の意味を悟ったすずかが、悲鳴に等しい声を上げる。
「…大丈夫よ、すずか。あんたは私が絶対守るからね」
青ざめた顔と震える唇で、不器用に笑うアリサ。
大切な親友が、自分の為に辱めを受けようとしている。耐えられない。耐えられる筈がない。
──助けられる。
自分ならば、親友を救うことができるのだ。
『夜の一族』の、吸血鬼の膂力を以ってすれば、造作もないこと。
しかしそれは、化け物としての自分の正体を、アリサに晒すことに他ならない。
(──嫌。アリサちゃんに嫌われるのは嫌! だって…だって大切なお友達だもの…!)
親友から、恐怖と侮蔑に満ちた視線を浴びるかもしれない。それを考えると、どうしてもすずかは足を踏み出す
ことが出来なかった。
自分の眼前で、アリサが制服のボタンに手をかけ、一つ一つ、震える指先で外していく。
(お姉ちゃん、恭也さん、ファリン、ノエル…! 誰か、誰か助けて!)
──なんて、あさましい。
親友が自分の為に身体を張っているというのに、自分は動こうともしない。
すずかは自分のいやらしさ、薄汚さが悔しくて、悲しくて、唇を噛みしめ、声も出さずに涙を流した。
──その時。
「外道が。同じ場に在ることすら、吐き気がするぞ。匹夫どもめ」
男たちの向こう──階段を叩く靴音とともに、よく通る男性の声が、フロアに響き渡る。
「誰だ!」
黒スーツの誰何の声とともに、男たちが後ろを振り向き──
「な、何だてめえは!?」
その表情が、怒りから恐怖へ歪んでいく。誰かが上げた悲鳴混じりの声が、更にそれを助長した。
すずかもアリサも、驚きで目を見開く。
無理もない。そこに現れた男の顔は、皮膚も脂肪も筋肉もなく、あるのは鈍く輝く頭蓋と、光無き闇の双眸。
手にするは、血で染め上げたが如き真紅の布と、妖しく輝く鋭利なサーベル。この場に合わない欧州の貴族のよう
な姿のそれは、まさに死神と形容するにふさわしい姿だった。
「野の獣にも劣るゴミどもに名乗る必要などないが、二人のレディに名乗らぬは、紳士としての礼儀に反するな…」
言いながら、死神は踵を打ち鳴らして揃え、紅い布を胸に当てると、事態について行けずに呆然としているアリサ
たちに向かい、優雅に一礼をする。まるで舞踏会で貴婦人をエスコートする貴人のような、流麗な動きだ。
「お初にお目にかかる、可愛らしいニーニャ(お嬢さん)たち。我が名は魔人マタドール。血と喝采に彩られし、最強の剣士。
礼も道理も解さぬ粗暴な畜生どもは、直ちに一掃する故、少々我慢してくれ給え」
頭を上げた死神──マタドールは、男たちへ顔を向けると、笑い声を上げるかの如く、カチカチと歯を打ち鳴らす。
「さあ下郎ども、裁きの時間だ。一匹残さず叩き伏せてくれる。覚悟しろ」
マタドールは、切っ先を男たちへ向け、高らかに断罪を宣言する。
その凄まじい気迫に、男たちに更なる恐怖が生まれ、伝播していく。
「うろたえんなテメエら! ガイコツが動ける訳がねえだろうが! どうせつまらねえ手品だ、とっ捕まえて化けの
皮剥いでやれ!」
黒スーツが怒声を上げ、男たちを一喝する。
その言葉に男たちはざわめきを止め、各々がナイフや拳銃を手に取り、マタドールへと殺気を放つ。
それを見たマタドールは、「ほう」と、感心したように呟きを漏らした。
「下賎な豚の群れかと思っていたが、成る程、野良犬程度の頭と牙は持っているようだ」
「ナメやがって…お前らっ! バラバラに切り刻んで、手品のタネを暴いてやれ!」
「「「ウォォォォォォォォッ!!」」」
黒スーツの号令とともに、前方の刃物を手にした、数人の男たちが駆け出す。
対するマタドールは自然体のまま。構えすら取らず、サーベルを下ろして迫り来る男たちを、のんびりと眺めているだけだ。
「な、なんでアイツ動かないのよ!?」
「危ないっ!?」
マタドールに向けて、男たちの凶刃が四方より走る。
アリサとすずかは一瞬後に起こる惨劇に、思わず目を逸らす。
しかしその刹那、彼女たちの耳に届いたのは──
「ふん」
マタドールのつまらなそうな溜息と──
耳をつんざく甲高い金属音だった。
慌てて視線を戻せば、振り払った後なのか、真横──水平にサーベルを持つマタドールと、床に転がる男たち、
そして粉砕された刃物の残骸が視界に入った。
二人は我が目を疑った。
視線を逸らしたのは、ほんの一瞬。
その一瞬で、あの怪人は男たちの刃を叩き砕き、全員を打ちのめした。
『武』というものとは無縁の世界に生きる二人にもわかる、想像を絶する剣技だ。
「峰打ちだ、死にはせん。ニーニャたちの目の毒だ」
だが、と続けながらマタドールは一歩、男たちへ向かって足を踏み出す。
「死にたくなる程の苦痛は味わってもらおう。二度とふざけた真似ができぬようにな」
言葉とともに、サーベルが空を切り頭上へと掲げられ、マタドールが改めて構えを取る。
「では行くぞ。せいぜい足掻いて見せろ。最も、貴公ら如きでは私の身体どころか、このカポーテに触れることすら
能わぬであろうが」
全身を斜にした、半身の体勢を取り、左手のサーベルは頭上から男たちへと切っ先が向けられ、右手の赤布──
真紅のカポーテを、盾のように胸の前面へと突き出し、マタドールは男たちへと駆け出した。
「う、撃てぇっ! 撃ち殺せぇ!」
(令示サイド)
「う、撃てぇっ! 撃ち殺せぇ!」
圧倒的な実力差を見せつけられ、恐怖で心が折れたのだろう。チンピラの親玉がヒステリックな怒号を上げた。
従う手下も必死のようだ、倒れた仲間の被弾も考慮せずに、十数もの銃口が一斉に俺の方を向く。
俺は床を駆けながら、素早く考えを巡らせる
(小汚ねえオートマチックだな。良くてトカレフ。大方は中国の黒星ってとこか? 暴発や跳弾何か起こしたら、あの
二人が危ないだろが。…まあ、どっちにしても──)
「当たる気も撃たせる気も無い」
言葉と同時に、俺は両足に力を込め、加速。
一気に集団との間合いを詰め、取り合えず目についた、銃を構える手前のチンピラAの両腕めがけ、サーベル──エスパーダを叩きつける。
「ヴギャアァァァァァッ!?」
腕の骨を粉砕されて、悲鳴を上げて銃を落とし、その場に崩れ落ちるチンピラA。そこで周囲の連中が、ようやく肉薄して
いた俺の存在に気が付いた。
魔人の身体能力は、常人のそれを遥かに凌駕する。こいつらには、俺が射線上から突如姿を消し、瞬間移動でも
使ったようにしか見えなかったことだろう。
俺はチンピラAの顎を蹴り上げ、意識を刈り取ると同時に、片足で宙へと跳び上がり、身体を捻って天井に「着地」。
これは、わざとゆっくりとした動作で行って、チンピラどもの視線を集める。
「粗悪な銃でニーニャたちに怪我をさせる訳にもいかぬ故、これで終わらせてもらうぞ」
そう言って、俺は顎の骨をカチカチ打ち鳴らして笑い、獲物を狙う怪鳥の如く、チンピラたち目掛けて飛び立った。
「「「ぎゃばらわぁぁああぁぁぁぁ!?」」」
──その瞬間、チンピラたちは緊張の糸が切れたのだろう。悲鳴とも怒号ともつかない奇声を上げ、混乱を起こした。
俺に銃を向ける者、逃げ出そうとする者、狂乱して刃物を振り回す者が、押し合いへし合いを起こし、完全なパニック状態だ。
俺は魔風のように、そんな連中の間隙を縫って床、天井、壁を足場に縦横へ飛び回り、チンピラどもの頭へ次々と
エスパーダの一撃を叩き込み、意識を奪い取っていく。死にはしないよう手加減はしているが、打ち所が悪ければ、一
生苦しむような障害を負うかもな。ま、こんな屑ども、死のうが苦しもうが俺の知ったことではないが。
(この分じゃ、こいつら殺しても何にも感じねえんだろうな…良くも悪くも魔人だな、俺)
そんな今更な益体もない事を考えてながらエスパーダを振り回しているうちに、残るチンピラは親玉唯一人となっていた。
床へ降り立ち、俺は親玉の前へと歩み寄る。
「さあ、残るは貴公一人だ。覚悟は決まったか?」
言いながら、エスパーダの切っ先を親玉に向ける。
親玉は、青い顔のままブルブルと震え──
「ちくしょうがぁぁぁ!」
怒鳴り声を上げると、側にいたすずかを引き寄せ、そのこめかみに拳銃を押し付けた。
「動くんじゃねえ! このガキが死ぬぞ!」
「ひっ!」
すずかが蒼白な表情で息を呑んだ。
(この期に及んでそれかよ。これだけ見せて、まだ彼我の戦力差を理解出来ないのか?)
内心で溜息を吐く俺。繰り返すが、魔人は人間の遥かに先を行く力の持ち主だ。こいつが引き金を引くその一瞬で、
俺はこいつを四度は殺せる。まだ力に慣れていない俺ですら、だ。
(一応降伏勧告しておくか。ぶちのめすけど)
俺は面倒臭ぇと思いながらも、親玉に話しかけようと口を開いたその時──
「ちょっと! すずかに乱暴しないでよ! あんたの目的は私でしょ!?」
ツンデレお嬢が怒鳴り声を上げ、親玉の腕にしがみついた。ちょ! お前空気読め!
「うるせえクソガキ! すっこんでろ!」
「キャアッ!」
親玉が大きく腕を振り、アリサを払い落とすと、その小さな身体は大きく吹っ飛び、悲鳴とともに床を転がった。
「アリサちゃん!」
「う……すずか…」
目を見開き呼びかけるすずかの声に反応し、どうにか起き上がるアリサ。大事は無いようで、俺は内心でホッと
胸を撫で下ろす。
が、床で切ったのか、アリサの額から一筋の血が流れていくのが、俺の目に入った。
その瞬間、すずかの気配がガラリと豹変した。たとえるならば、獲物を目にしたシベリア虎。そう思える程に、
凄まじい気迫を発したのだ。
「アリサちゃんにぃ…」
「ぐっ…ぅぅうああああああああああっ!」
すずかの呟きと同時に、親玉が突然悲鳴を上げる。
いやいやよく見れば、拳銃を持つ親玉の右手をすずかの両手が掴み、ギリギリと万力のように締め上げているではないか!
あ、握撃!?
「酷いことしないでぇぇぇっ!」
すずかはそのまま叫びながら、思いっ切りオーバースロー。
「ううわあああああぁぁぁぁぁ……!」
親玉はドップラー効果を実演しながら飛んで行き──
「びょるごぶ!?」
壁に叩きつけられて、世紀末な断末魔を上げた。壁に張り付くその姿は、まるで叩き潰された蝿。…生きてるかな? アイツ。
ハァハァと、ぶん投げたままの体勢で、肩で息をしながら親玉を睨みつけるすずか。親友を傷付けられたことが、
相当頭に来たようだ。
…前世と今生合わせて四〇年近く生きている俺だが、人間が水平に投げ飛ばされるところなんて、初めて見たぞ…
幼いとは言え、流石は『夜の一族』ということか。
「な、何よ、今の…」
沈黙が訪れた空間に、その呟きは嫌にハッキリと響いた。
目前で起きたことを理解出来ないのか、唖然とした顔で声の主──アリサは、すずかを見つめていた。
その視線に気が付いたすずかは、怒りに紅潮した顔を見る見るうち蒼白にして、気の毒な位うろたえる。
「え、や、ち、ちが、わた、わたしは…」
否定したいのは見られてしまった自身の暗部か。結果的に親友を騙していたという事実か。左右に首を振りながら、
すずかは言葉にならない呟きを繰り返す。
(ふーむ、このままじゃ二人の間にしこりが残りそうだな…)
アリサとすずかを交互に見ながら思案する俺。
(まあ、乗りかかった船だ。親玉ぶちのめし損ねたし、この位のアフターケアはしておくか。荒療治になりそうだけど…)
俺は心中で結論を出すと、二人の側へと足を向けた。
(すずかサイド)
──見られてしまった。
アリサちゃんに私の正体を、見られてしまった。
怖い。
怖くて目を合わせることが出来ない。
もしアリサちゃんが、私に怪物を見るような目を向けたら──
そう考えると、心がバラバラになってしまいそうな程悲しくて、つらくて、私は顔を上げることが出来なかった。
「──そうか。そちらの黒髪のニーニャは超人であったか。よもやこのようなところで、遭遇するとは思わなんだぞ」
俯く私の耳に、男の人の声が聞こえてきた。あの、突然現れて、私たちを助けてくれた、怖くてとても強い、ガイ
コツの人──マタドール、さんだ。
「ちょう、じん…?」
アリサちゃんがマタドールさんの言葉に答えた。
「左様。読んで字の如く人を超えた者のことだ。突然変異や進化のような突発的な身体異常者や、魔術、科学等の
技術による身体増強が成された強化人間たちのことだ──そちらのニーニャは、どうやら前者のようだな」
「何よ、ソレ…」
二人の会話に、私は驚いて顔を上げる。何で、何でそんなこと知っているの!?
「どうやら貴女は何も知らされていなかったようだな、金髪のニーニャ。まあ、それも無理は無い。超人たちは古の
時代より鬼、魔女、悪魔、吸血鬼などと呼ばれて疎まれ、蔑まれ狩られてきた存在…他人を騙すのは自分を守る為に
必要なことだったのだろう」
(っ!? 違う! 私は騙す気なんてなかった!)
でも、私はその言葉が、どうしても出せなかった。
嫌われたくない一心で正体を隠していた私とその考えは、大した違いがないと、気が付いてしまったのだ。
「──貴女たちはもう、一緒にいないほうがいいのではないか?」
私とアリサちゃんの顔を見ながら、マタドールさんがそう言った。
「…どういう、意味よ?」
明るくて、活発なアリサちゃんとは思えないくらい冷たい声。私にはそれが、冬の風のように思えた。
「どうも何も無い。彼女が怖いだろう? 人間は自分と違う者を恐れ、嫌うものだ」
──そう。だから私たち『夜の一族』は正体を隠し、ただの人間として生きてきた。
「なに、友人だからと罪悪感を覚えることはない。そもそも住む世界が違うのだよ。貴女は人間、彼女は超人。元々
相容れない存在同士なのだ。全てを忘れて、他人同士になった方が互いの為だ」
──『住む世界が違う』、その言葉が、私の心に大きく響いた。
「相容れぬ者同士がともに居たところで、生まれるのは不幸だけだ。今ならば、互いに傷付かずに済む」
──私が、アリサちゃんを不幸にしてしまう……私は、アリサちゃんと居ない方がいいのかな…?
「必要なら、私がニーニャたちの記憶を消してもいい。なに、幼少の頃の友情など、砂糖菓子のように脆く、壊れ
やすいものだ。十年も経てば、どうせお互い忘却の彼方、遅いか早いかの差でしかあるまい?」
さあ、ニーニャと言いながら、マタド-ルさんがアリサちゃんに手を差し出した。
俯いているので、アリサちゃんの顔はわからない。
怒っているのだろうか? 悲しんでいるのだろうか? 怖がっているのだろうか?
…きっと、怖がっている。マタドールさんの言った通り、私は人間じゃない。化け物だ。
そんな私と、お友達でいてくれる筈が──
「ふざけないでよ」
アリサちゃんの声は、小さかったけど、私の耳にしっかり届いた。
「…よく聞こえなかったな、ニーニャ。もう一度、ハッキリと言ってもらえ──」
「ふざけんなって言ったのよ! このお喋りガイコツ!」
怒鳴り声を上げて、アリサちゃんはマタドールさんが差し出した手を、思い切り叩いた。お、お喋りガイコツって…
マタドールさんのこと?
私の驚きなんて関係無しに、アリサちゃんは顔を真っ赤にして、マタドールさんに近付いていく。
「アンタなんかに、私とすずかの何が解るっていうのよ!! 砂糖菓子のように脆い? 知りもしない癖に、勝手な
こと言わないで! 私は、私は何があろうと、すずかの親友なんだから!」
…涙が出そうだった。
私は一人で怖がって、一人でもう駄目だって、思い込んでいた。
なのに、アリサちゃんはそんな勝手な私を、まだお友達だって…親友だって言ってくれた!
「正気で言っているのかね? 人外の者と行く道は険しいぞ? わざわざ苦しい生き方を選ぶのかね? 後で後悔
しても遅いのだぞ?」
マタドールさんは、クスクスと笑いながらアリサちゃんを見る。「本当に出来るのか?」と、からかっているかのように。
「しつこいわね! 何遍も言わせないで! 何があろうとすずかは私の親友よ! 後悔なんかするもんですか!」
胸を張ってマタドールさんに怒鳴るアリサちゃんは、とても格好良かった。
「クハハハハハハハハハッ!」
──その時、突然マタドールさんが大きな声で笑い出した。
「な、何よ! 何がおかしいのよ!?」
ちょっとびっくりした様子で、アリサちゃんが怒鳴ったけど、マタド-ルさんはそれに答えないで、私の方を向いて、口を開いた。
「喜び給え黒髪のニーニャ、貴女の友は本物の親友だよ。その杞憂は、取り越し苦労だったな?」
「──え?」
さっきのアリサちゃんとの会話とは違う、温かい言葉。もしかしてこの人──
「あ、あんたひょっとして、さっきのことは全部…」
アリサちゃんも私と同じ事を考えたんだ。
この人はきっと、私とアリサちゃんが仲良しでいられるように、あんなことを…
「話しは後だ、ニーニャたち。まずはここから出よう」
アリサちゃんの疑問に答えず、マタドールさんは階段を指差す。
「歩けるかね? 無理ならば、私が抱き上げ、外までエスコートするが?」
「ば、馬鹿にしないでよっ! 赤ん坊じゃないんだから歩けるわ!」
「わ、私も、大丈ぶ…」
赤い顔でそう言ったアリサちゃんと同じように答えようとしたところで、私は自分の足が震えて、上手く歩けないことに
気が付いた。嫌われるかもしれないという怖さが、緊張が、今になって出て来たんだ。
「ふむ。そちらの黒髪のニーニャは、あまり大丈夫ではないようだが?」
「ほ、ホントに大丈夫ですから!」
首を捻りながら聞いてくるマタドールさんに、平気だって証明しようとして、私は歩いて見せようと足を前に出す。
「あ──」
けれども思う通りに動かず、つまずいた私の身体は、そのまま倒れ──
「すずか、危ない!」
とっさに駆け寄ったアリサちゃんに、抱き止められた。
「無理するんじゃないわよ…怪我、してない?」
そう言いながら、私の顔を心配そうに話しかけてくれるアリサちゃん。
アリサちゃんにお礼を言おうとして、顔を上げたその時、その顔に付いた血の跡が目に入った。
その瞬間、鼻と目の奥がツンと痛くなった私は──
「ちょっ! す、すずか?」
我慢していたものが全部噴き出して、アリサちゃんに抱き付き、声を上げて泣いていた。
「アリサちゃん、アリサちゃん、アリサちゃんっ!」
ずっとずっと言いたくて、でも、言えなくて──
伝えることが怖くて──
違うことが悲しくて──
黙っていたことが苦しくて──
それでも私を、受け入れてくれたことが嬉しくて──
「ごめんなさい、アリサちゃん…ありがとう、アリサちゃん…」
色々な思いがごちゃごちゃになって、私はそんな簡単な言葉を、繰り返し言うことしか出来なかった。
「……もういいわよ、すずか。聞きたいことも、言いたいことも沢山あるけど、私はずっと友達だから…落ち着いたら
ちゃんと話そう?」
アリサちゃんはそう言いながら、私の背中を優しく撫でてくれた。
服の上から感じるその手は、とても心地良くて、まるで日なたみたいだなと、私は思った。
マタドールさんに案内されて、私たちは無事、外へと出ることが出来た。
私が泣き止んだ頃に、「もう良いかね?」って聞かれた時は、少し恥ずかしかった。
私が落ち着くまで、ずっと待っててくれたんだ…顔はとても怖いけど、いい人(?)なんだなと、マタドールさんの
背中を見ながら、ボンヤリとそう思った。
「おお、そうだ。コレはニーニャたちの物だろう?」
マタドールさんは何か思い出したように声を上げて振り返り、私たちの前に、何かを差し出した。
「それ…」
「私たちの携帯!」
そう、それは誘拐された時に取り上げられた私たちの携帯電話。一体いつの間に?
「先程、貴女たちが抱き合っている時に、な。賢しい連中のことだ、連絡手段は一番に取り上げている筈と思ったのだ」
うっ…マタドールさんに言われて、さっきのことを思い出してしまった。恥ずかしくなった私は、顔を赤くして俯いてしまう。
「ううううう、うるさいうるさいうるさい!! 恥ずかしいこと思い出させないでよ!」
アリサちゃんも私と同じだったらしく、隣から怒鳴り声が上がった。
それを聞き、マタドールさんは楽しそうに笑い声を上げる。
「クハハハハッ! 結構! それだけの元気があれば心配はないようだな」
そう言いながら、私たちに携帯電話を手渡したマタドールさんは、暗くなってきた空を見上げた。
「さて、そろそろ時間だ。私も戻らねばな…ニーニャたち、早く家族に連絡をするといい。連中はすぐには目を覚ますことは
無いだろうが、放って置く訳にもいかぬ故、な」
そう、言い終わると同時に、マタドールさんは駆け出していた。
「あっ! ちょっと、待ちなさいよ!」
「マタドールさん、待って!」
風のような速さの彼の背中へ、私たちは声を上げる。
五〇メートル位離れたところで、立ち止まったマタドールさんがこちらを振り返って口を開く。
「それでは、アディオス!」
高笑いを上げながら、マタドールさんは再び駆け出す。
「っ!? 待って!」
彼の背を追う。
待って! まだ私──!
私がマタドールさんを追って表の道路に飛び出すと、路地裏へと走っていくマタドールさんの姿が見えた。
「アイツ! 好き放題言って、勝手に居なくなって!」
私の後ろから追ってきたアリサちゃんが、悔しそうな声を上げる。
そうだ。私もまだあの人に、お礼も言っていない。ありがとうって、ちゃんと伝えないと!
今言えなきゃ、きっともう会えない。そんな予感がする。
「アリサちゃん! 私、マタドールさんを追い駆ける!」
私の言葉に、驚いた顔をするアリサちゃん。でも、次の瞬間にはいつもの、あのお日様みたいな笑顔で大きく頷いてくれた。
「わかった! パパと警察には私が連絡しておくから、すずかはアイツを追い駆けて! 助けられっぱなしなんて、
私のプライドが許さないんだから…絶対に捕まえるのよ!?」
「ありがとう。アリサちゃん、大好き!」
「っ!? い、いいから、早く追っかけなさい! 見失っちゃうでしょ!?」
「うん!」
赤い顔でそっぽを向くアリサちゃんの言葉に大きく頷いて、私はマタドールさんを追い駆けて、路地裏へと駆け出した。
(令示サイド)
「ふー」
人気の無い路地裏に身を隠した俺は、無事ことが済んで、安堵の溜息をもらした。
『ミッションコンプリートだな、主よ。変身後、戦闘中に異常は無かったか?』
「うむ。初陣であったが、精神状態は良好だ。身体を動かすのにも問題は無かった。流石は魔人、凄まじき力よ」
仮想人格の問いかけに頷きながら答える俺──と、
「いかんいかん、役に入り込みすぎていたか…平常心平常心、と」
口調からアリサたちに正体を探られるのを防ぐ為、オリジナルのマタドールの口調を真似していたのだが、例の悪魔
本来の闘争心ってヤツのせいなのか、どんどん意識が高揚して、かなり悪ノリしていたような…
「まあ、結果が良かったんだ、良しとしよう。まずは元に戻るか」
俺が「変身解除!」と口にすると、一瞬周囲の景色が歪み、視点が低くなって視界が戻る。
初めての時のような、立ち眩みがなくなったのは慣れかな? などと考えながら、路地から出ようと振り向いた俺の
目前に、目を見開いて、呆然とするすずかが居た。
第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)END
後書き
修正してみました。…うーん、これいでいいのか? ますますドツボにはまっているような気が…