日が西に傾き始めた春の午後。通学路を歩くなのはは一人、俯きながら家へと向かう。
(一人で帰るのって、そう言えば久しぶりかな…)
アリサとすずか。二人と友達になって以来、久しく感じていなかった寂しさによって、鏡を見ずともわかる程、自分の顔が暗く沈んだもの
となっている事を、なのはは自覚していた。
「寄り道して帰ろ。みんなに今の顔、見られたくないから…」
通学路から外れた裏道を眺めながら漏らした彼女の呟きは、雑居ビルの影へと吸い込まれるように消えていった。
──海を一望できる海鳴の名所の一つ、海鳴海浜公園。
なのははベンチに腰掛け、オレンジの光を帯びながら揺れる、水面を眺めていた。
もっとも、彼女の意識は昼間の自分の態度に怒りだしたアリサと、それを宥めるすずかの事に奪われ、まるで目に入ってなかった。
沈んだなのはの気持ちは自然、初めて三人が出会った頃の思い出を振り返っていた。
すずかの白いカチューシャを取り上げていたアリサに、平手を見舞ったあの時の思い出を。
「アリサちゃんとは、その後大ゲンカになったっけ…」
「へえ、アリサと喧嘩した事あるのか? そりゃまた勇気があるというか、無謀というか…」
「うきゃうっ!?」
ぽつりと漏らした自身の呟きに対し、唐突に返って来た声。
驚いたなのはは思わず妙な悲鳴を上げてしまった。
「だっ誰!?」
慌てて左右に視線をやるものの、人の姿は無い。
が、それも当然だ。なのは自らが、人気が無くて静かな場所を選んでここにやって来たのだから。
「俺だよ俺」
そして声の主は、なのはの予想外の場所──ベンチの後ろの植え込み部分から、ガサガサと葉を揺らして顔を出した。
「令示くん!?」
これまた予想外の人物の登場に、なのはは驚きの声を上げた。
第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 後編
(なのはサイド)
「よっ、なのは」
驚く私に向かって片手を上げて挨拶をしながら、令示君は柵を跨いで私の隣に座りました。
「ど、どどどどどうして令示君がここに居るの!?」
変です。
おかしいです。
誰にも見られないように寄り道をした筈なのに…それに、ここは令示君の学校やお家からもすごく離れているのに…
「ん? ああ、こっちにあるスーパーで特売があったんでな。学校帰りに直行したんだ」
そう言いながら、令示君は持っていた買い物袋を持ち上げて、私に見せました。
「で、目的の物も買ったし、さあ帰ろうと思ったところで通学路から外れて一人ぼっちで歩いているなのはを見つけて、気になって追いかけ
て来たという訳だ」
そこまで説明した令示君は、「それで──」と言葉を続けながら私の顔を正面から見つめてきました。
「何があったんだ? まあ、アリサと揉めたってところだろうが…」
「ええっ!? な、何で!?」
どうしてわかったの!?
私はまた大声を上げてしまいました。
「フフフ、悪魔の力で心を読んだんだ」
「ええっ!? ウソッ!?」
驚きました。まさかマタドールさんや大僧正さんにそんな力があったなんて…私が驚いて目を丸くしていると、令示君はふふん、と得意気
に笑いながら──
「うん、もちろん嘘だ」
「──へ?」
「いや、人の心が読める悪魔はいるけど、俺が変身するタイプの連中にそういう能力は無いよ。ちょっとしたジョークのつもりのつもりだっ
たんだが、ここまで見事に引っ掛かってくれるとは思わなかった」
と言って、令示君は頭を掻きながら子供っぽく笑いました。
うう、また騙されたの…
「酷いよ令示君!」
「や、悪い悪い」
私が怒って声を上げると、令示君は笑ったまま顔の前で両手を合わせて、頭を下げました。
「…もう、本当にそう思ってるの?」
ほっぺたを膨らませて私がそう聞くと、令示君は大きく頷きながら口を開きました。
「ああ、反省してるよ。なのはも少しは元気が出たみたいだし、からかうのはこの位にしておきますって」
「──え?」
もしかして令示君、私を励まそうとしてわざと…?
「どうだ? 憂鬱な気持ちは少しは晴れたか?」
学校でアリサちゃんを怒らせてしまい、暗くなっていた私でしたが、令示君とお話しして少し胸が軽くなったような気がしました。
だから私は──
「……うん。ありがとう令示君」
今出来る精一杯の微笑みを乗せて、令示君にお礼を言いました。
「ん。ならばよし」
そう言って笑いを返してくれた令示君の顔は、さっきのいたずらっ子みたいな笑顔じゃなくて、お父さんやお兄ちゃんが私に見せるような
大人みたいな静かな笑顔でした。
「…令示君って不思議だね。急に子供っぽく見えたり、大人っぽく見えたりするんだもん」
出来れば、いつも大人っぽい令示君でいてほしいです。
今日は嬉しかったけど、からかわれるのはあまり好きじゃないし…
「あのな、なのは。男ってのは女から見ると、どっかしら子供っぽいところがあるもんなんだよ。歳とか関係無しにね」
そんな私の気持ちに気付く事無く、令示君は片目をつむりながら人差し指を立てて、そう説明します。
その顔は子供っぽくも大人っぽくも見えて、令示君はやっぱり不思議な子だなと、私はそう思いました。
(令示サイド)
「──さて、冗談は置いておいてだな」
俺は話題を改めるべく、咳払いをしてきょとんとした表情でこちらを見るなのはへ、視線を向けた。
「実際のところなのはたちが揉めた事は、今日俺の学校に乗り込んで来たアリサから、直接聞いたんだよ」
「えっ!? アリサちゃんたち、令示君の所に行ったの!?」
口元に手を当て驚きを示すなのはに、俺は無言で頷きを返した。
「ここ最近、俺となのはとユーノでジュエルシード捜しをするんで街中歩き回っていただろ? どうやらそこをすずかに何度か目撃されてた
らしくてな。で、それがアリサの耳にも入って、俺を訪ねて学校まで来たって訳だ」
「そうだったんだ…」
アリサとのトラブルを俺が知っていた事にようやく得心がいき、なのはは大きく息を吐いた。
「で、だ。ここからが本題なんだが、アリサの奴相当におかんむりでな、仕方なく俺たちの事情を説明したんだ」
「ええっ!? アリサちゃんたちに話しちゃったの令示君!?」
「落ち着け。ジュエルシードとか、魔法関係の話はしていないよ。そのあたりは名前を出さないで説明した」
再び声を張り上げるなのはを押しとどめ、冷静に話を聞くよう促す。
「う、うん…」
彼女は一応は頷きはしたものの、眉間に皺が寄ったままの表情が、疑問を抱いたままだという事を示していた。
「とりあえず、アリサとすずかには大雑把に『なのはは海鳴市を災いから守る為に、厄介事に首を突っ込んでいる』って説明してある」
「えっ? …あの、令示君? アリサちゃん反対しなかった?」
双眸に不安の光を宿して、なのはが俺に尋ねる。
「ああ、滅茶苦茶怒りながら反対した。『そんなもの女子小学生がやる事じゃないっ!!』ってな感じで」
「にゃあぁぁ…やっぱりぃ…」
頭を抱えて呻きを漏らす魔法少女。どうやらアリサの反応は想像通りだったようだ。
「まあ、安心しな。二人とも最終的には納得してくれたから」
「──へ? ホ、ホントに…?」
「災い──ジュエルシードの暴走を無力化出来るのは、現状なのはだけだって説明して、もしヤバくなったら俺が悪魔化してでもなのはを助け
るって言ってな」
俺の言葉に、なのははハッとして顔を上げる。
「悪魔化してって……それ、二人に話しちゃったの!?」
「あ~、それなんだけどなぁ……」
驚きの声を上げるなのはに対して、俺は顔を顰めながら頬を掻いて言葉を濁す。正直ばつが悪いのだ…
「悪いなのは。実は俺が悪魔に変身出来る事、アリサもすずかも前から知っているんだ」
「ええーっ!? どどど、どうしてっ!?」
溜息混じりの俺の告白に、なのはは混乱の極みにおちいったようで、言葉のみならず全身をわたわたとせわしなく動かしながら、こちらに
問いを投げかけてきた。
「実は、俺が初めて悪魔に変身した次の日に、状況を整理しようと思って、人の居ない廃ビルの中で色々実験していたんだよ。そこにガラの
悪い連中が、アリサとすずかを誘拐して連れて来たんだ。で、それを俺がマタドールの力を使って助けたんだけど、その後に身を隠すのに失
敗してすずかに正体を見られたんだよ」
「ゆ、誘拐っ!? そんなの聞いてないよ! 令示君どういう事!?」
ショッキングな言葉を耳にしたなのはは、掴みかからんばかりに俺に迫って来た。
「あー、結果的に何事もなかった訳で、不用意になのはを心配させる事は無いと考えたんだよ。丁度、俺たちが魔法関連の事を二人に隠して
いるのと同じように。後、こっちが本題なんだが…すずかのある秘密を守る為に、なのはに黙っておかざるを得なかった」
「すずかちゃんの、秘密……?」
首を傾げながら呟くなのは。
「ああ。誘拐事件の時、俺とアリサはほとんど偶然にすずかが必死で隠してきた、その秘密を見ちまったんだ」
「それって一体…」
「悪いが俺の口からは話せない」
尋ねてくるなのはに対し、俺は首を振って回答を拒否し──
「ああ、勘違いしないでくれ、別に意地悪でこんな事を言っているんじゃないぞ?」
矢継ぎ早にフォローの言葉を入れ、説明を行う。
「今言ったけど、すずかはこの秘密を必死に隠していたんだ。それは何故か? この事がなのはとアリサに知られた時、友達でいられなくなる
──二人に嫌われる事を恐れていたからだ」
「っ!? そんな事思わないよ!」
「うん。俺もそう思う」
怒り混じりのなのはの叫びに、俺は肯定の意を返す。
「現にアリサもすずかの秘密を知っても、多少の混乱はあったけど『私は何があろうと、すずかの親友なんだから!』って言い切ったからな。
二人と親友であるなのはなら、同じ答えをすると思う」
「アリサちゃん…うん。絶対にそう言うよ」
この場に居ない親友の男前な答えに、なのはは顔をほころばせ、微笑みを浮かべる。
…俺は『自分』という存在が、なのはたち三人の関係に亀裂を生んでしまうのではないかと危惧していた。
しかしそれは思い上がりだったかもしれないなと、眼前の少女を見ながら考える。
喧嘩をしていようと、傍に居なくても、三人は心の根っこの部分でしっかりと繋がっているのだと、なのはの言動が証明していた。
だからここで余計な事を言うまい。俺が何かするまでもなく、この三人ならちゃんとわかりあえる筈だから。
「けど、すずかにとっては昔から抱えていた問題でさ、俺とアリサが大丈夫だったとはいえ、直ぐになのはにも話せる程踏ん切りがつかなかっ
たようでな…てな訳で、月村のお屋敷で会った時に、嘘はついていなかったけど、結果的になのはを騙す事になっちまったんだ」
ごめんな、と俺はなのはに頭を下げた。が──
「わ、そんな、謝らないでよ令示君」
なのははわたわたと手を振って俺を止めに入った。
「いや、しかし──」
「すずかちゃんがどんな事で悩んでいて、どんな秘密なのかわからないけど、それがすずかちゃんにとってとても大切で、難しい問題だって事
はわかるもの。
だから私、すずかちゃんが教えてくれるまで、待っているから。だって──」
お友達だもん。
そう言って、なのははお日様みたいな柔らかな笑みを作った。
それを見た俺は数瞬きょとんとして──
「──ははっ」
思わず笑いが漏れてしまった。
「えっ!? えっ!? な、なにかおかしかったかな?」
そんな俺の反応におたつくなのは。
「や。別におかしかった訳じゃない。ただ、なのはが『すずかが話してくれるまで待つ』って言ったのが、今日アリサが言ってた事と同じなん
で、つい笑いが出ちまったんだ」
「アリサちゃんが言ってた事と同じ?」
「ああ」
おうむ返しに問うなのはに、俺は頷きながら答える。
「アリサも、『なのはの行動について詳しい事は言えない、危険が付き纏うけど、なのはがやらなきゃ災いが起きる』なんて俺のアバウトな説
明にも、最終的には渋々ながらも理解してくれて、『なのはが喋るまで待つ』って言ったんだよ」
「アリサちゃんが…」
「ああ。しかし、『類は友を呼ぶ』ってヤツかな? 三人とも見た目も性格も全然違うのに、考えの行き着く先は同じなんてな…」
「うん、うん……!」
俺の言葉に、なのはは嬉しそうに何度も頷く。
「それじゃあなのは、お悩みは解決! とまではいかないけど、とりあえず今心配する必要はなくなった訳だ。じゃあ今日も元気に、残りのジ
ュエルシード探索といくか!」
「うんっ!!」
「よっし! じゃあまずはそれぞれ自宅に帰り、用事を済ませた後集合だ。今日は駅前東口からスタートで行こうか?」
「りょーかいなの!」
元気に返事をするなのはと別れ、互いに家へと向けて走り出す。
「令示くーん! また後でー!」
「おーう!」
大きく手を振るなのはに、俺も手を振って答える。
「あ、それから……アリサちゃんとすずかちゃんの事、ありがとー!!」
なのはは思い出したかのように俺へ礼を述べると、こちらの返事を待たずに背を向け、嬉しそうな様子で駆けていった。
「さてと。俺も早く帰って夕飯の下拵えしちまわないと」
なのはの背中が見えなくなったところで、そう呟いて大きく伸びをすると、俺は改めて家へと足を向けた。
4月26日 PM5:07 海鳴市 市街地 JR海鳴駅東口 正面出口
夕食の準備を終えた俺は、猛ダッシュ。
なのはたちとの待ち合わせ場所である海鳴駅東口へとやって来た。
「えっと、なのはたちはどこかな? …………っと、居た」
会社帰りのサラリーマンや、放課後の学生たちでごった返す駅の入り口付近で周囲を見回しながら、ここを待ち合わせに場所にしたのは失敗
だったなと後悔していた矢先、俺は視界に駅の壁に背を預けたなのはと、その肩に乗るユーノを捉え、危惧とは裏腹にあっさりと二人が見つか
った事に安堵の息を漏らした。
「おーい、なのはー! ユーノ!」
「あっ! 令示君、こっちこっちー!」
「キュッ!」
声をかけながら二人に近付くと、人の流れをぼんやりと眺めていたなのはとユーノもこちらに気が付き、俺の方へと駆け寄って来た。
「凄い人だね。令示君がちゃんとみつけられるか、少し不安だったよ」
対面して、ホッとした表情を浮かべるなのはの言葉に、同意する俺。
「俺もだ。もちょっと集合場所考えるべきだった…まあいざとなりゃ、念話で呼びかけ合えばいいんだけどな」
「うん、そうだね」
《っていうか、連絡は重要だから二人とも念話の事は常に意識してね。これをやるかやらないかで、危険の有無がかなり変わるんだから…》
互いの顔を見合せて笑う俺となのはの脳裏に、ユーノの注意を促す念話がこだます。
《了解だ、ユーノ》
《了解なの》
全く以ってその通りな為、俺もなのはもユーノ先生のお言葉に素直に頷いた。
「──ま、雑談はこの位にして、今日の探索と行こうか」
「うんっ!」
「頑張ろうね、令示君、ユーノ君」
俺の言葉に頷く二人を連れ、東口からまっすぐ伸びる通り沿いに、ジュエルシードを探し始める。
本当は三人とも別れて探索した方が効率はいいのだろうが、フェイト陣営がこちらの各個撃破を狙ってきた場合、目も当てられない事態にな
ってしまう。
一般生活での原作との乖離ならば、命の奪い合いにまで発展する事はまずないだろうが、こちら──魔法関連はシャレにならん。
イレギュラー一つで、下手をすれば殺傷設定の魔法を放たれたり、次元震や次元断層に巻き込まれるなんて事態すら起こるかもしれない。
いざという時は俺が悪魔の力で二人を守れる為、全員で固まってた方が安全なのだ。
そういう訳で俺たち三人は表通り沿い──時々裏路地にも顔を出しつつ──にユーノやなのはの探索魔法で大まかな位置を特定した後に、目
を皿のようにしてジュエルシードを探すという、化石の発掘の如き地味で大変根気のいる、効率の悪いローラー作戦をとらざるを得なかった。
「あ~、タイムアウトかも…そろそろ帰らないと」
新宿アルタのようなビル壁面の巨大モニタに映る『19:05』の時刻を見上げながら、なのはが残念そうに言葉を漏らした。
「ああ、今日も収穫無しか…」
地面ばかり調べ続けて、腰と目が疲れた…なのはの言葉に相槌を打ちつつ、俺は強く瞬きをしながら腰を捻って体をほぐす。
──結局、ジュエルシードは今日も見つからずじまい。
『原作』ならばこの後、フェイトたちの魔力流での強制発動で見つかるんだが、出来るならその前に確保しておきたかった。
(いや、プレシアの鞭打ちがある以上、ここのジュエルシードはフェイトに譲るべきか? でも既に『原作』よりも一個多く集めてるんだよな
……いや、しかし、一つ二つであの女のヒスがどうにかなるとは思えんし…)
(主の記憶から鑑みるに、フェイト・テスタロッサがたとえ十個のジュエルシードを持って行ったとしても、プレシア・テスタロッサが鷹揚に
彼女を迎え入れるとは考えにくい)
心中で逡巡していた俺へ、不意に投じられたナインスターの意見。
(だよなぁ…)
俺はそれを否定する事が出来ず、溜息混じりに頷いた。
プレシアの目標とするジュエルシードの個数は不明の為、下手に多くの数を渡す事は出来ない。
最悪の場合、アースラが来る前に次元震が発動してしまう可能性があるし。
しかし、それは同時にフェイトに加えられる虐待を、見て見ぬふりをするのと同じな訳で──
(全く思い通りにいかないもんだな、あっちを立てればこっちが立たず。TVのヒーローのようにはいかないか…)
二次創作のオリ主だったら、時の庭園に乗り込んでフェイト助けたり、プレシアにSEKKYOをかましたりするんだろうけど、イレギュラ
ーが不安な俺は、そこまで思い切った行動は出来ない。(時の庭園に独力で行く手段も、現状存在しないし…)
良く言えば慎重なんだろうが、臆病な選択と言われても否定出来ない。
…『若さとは振り向かない事』とは、『宇宙刑事ギャバン』だったっけか?
目的や目標に向かって我武者羅に突っ込む事が出来るのは、若さ故の特権という事だ。見た目が若くとも、俺の魂は確実に老いているといる
のだろう。
それに対して、目の前の少女──なのはは、まさに『若さ』を体現していると言える。
いつだっただろうか、俺がそういう『若さ』を失っってしまったのは…
俺はぼんやりと夜空を眺めながら、前世の記憶を掘り返し──
「──君、令示君!」
「うおっ!?」
思考の海に埋没していた俺は、なのはの呼びかけで現実に引き戻される。
「令示君、大丈夫?」
「どうしたの、令示? 疲れた?」
いつの間にか目前に立っていたなのはとユーノが、俺に心配そうな視線を投げかけていた。
「ああ、いや、ちょっと考え事していただけだ、問題無い。それよりも、今日はこれからどうするんだ?」
俺は頭を軽く振り、ユーノにこれからの予定を問う。
「うん。なのはは士朗さんたちに心配かけちゃうから、これ以上の捜索は無理。だから僕が残ってジュエルシードを探す事にしたんだ」
「私ももう少しお手伝いしたいんだけど…」
なのはは申し訳なさそうに言葉を濁す。
俺は思考を切り替え、少し考える。
フェイトたちはこの後すぐに、動き始める筈。今回の戦いは小規模ながら次元震が発生するものだ。最早グダグダ悩んでいる暇はない。こう
なったらやるだけやるしかないだろう。
意を決し、俺はとるべき行動を決めた。
「──じゃあ、俺はなのはを家に送ってからまた戻って来てユーノを手伝おう」
「えっ!? 悪いよ、私なら一人で帰れるから…」
「いや、女の子を一人で帰す訳にはいかんだろ、こんな時間に」
慌てて遠慮をするなのはの声を遮り、俺はもっともらしい理由をつける。
確かアニメでは、なのはは発動したジュエルシードのすぐ近くに居た。ならばこのまま彼女の傍に居た方が、不測の事態に対処しやすい筈。
まあ、建前として吐いた台詞も本音なのだが。
「うん、わかったの…」
なのはも一応筋の通った俺の台詞に反対出来ず、申し訳なさそうに俺の提案を受け入れた。
「よし。それじゃユーノ、ちょっと場を外すけど、もしフェイトたちにみつかったら逃げるか隠れるかして凌いでくれよ? こっちが先にみつ
けても、絶対に仕掛けるな、俺たちにすぐ連絡してくれ」
「うん、わかってる。って言うか、それさっき僕が二人に言ったよね?」
「ん? ああ、そうだったな」
くすくすと笑いながら指摘するユーノに対し、俺も頭を掻いて苦笑を浮かべた。
「大丈夫だよ令示。僕自身、攻撃に関して決定打に欠けているのは理解しているから、無茶はしないよ」
「ならいいが…まあ、俺もなのはを送ったらすぐ合流するから、少しの間頼む」
「うん、任せて」
俺となのははユーノに手を振って別れると、踵を返して高町家へと向かった。
「あ、令示君ちょっと待って」
「ん?」
その道すがら、なのはは不意に立ち止まって、ポケットから取り出した携帯をいじくる。
「…メール確認か?」
「うん。アリサちゃんとすずかちゃんから届いてるかなって思ったけど…」
が、液晶を確認して少し残念そうな表情を浮かべると、携帯をたたんでポケットに納める。どうやら着信無しだったようだ。
「まあ、少し忙しいのかもしれないな。帰って時間が経ったら着信があるかもしれないし、明日直接なのはに話すかもしれないぞ?」
「うん、そうだね。じゃあ行こうか、令示君」
「ああ」
微笑むなのはに返事をして、駆け出した彼女の後を追いかけ走り出した、その時──
轟、っと一陣の生ぬるい風が俺たちの頬を撫で、過ぎ去って行った。
同時に肌にピリピリと生じる威圧感。
「あっ…」
「んっ?」
俺となのはは足を止めて振り返り、プレッシャーの発生源──今し方通り過ぎたビルの屋上へと目を向ける。
(アルフの魔力流かっ!)
流れる雲があっという間に街の上空を覆い、風が吹き荒れる。黒雲からは雷が乱れ落ち、すさまじい魔力の暴走が巻き起こる!
それと同時に青い光が空間を染め上げ、辺りの通行人たちが次々と姿を消していく。…ユーノが広域結界を展開したのだろう。
「令示君、これ、ユーノ君が?」
「ああ! 俺たちも行こう!」
「うん!」
俺の言葉に力強く頷いたなのはとともに、魔力暴走の中心へと向かって身を翻す。
「レイジングーハート、お願い!」
『stand by ready. set up.』
なのはが走りながらレイジングーハートを空中へ放り投げる。
「やるぞ、ナインスター」
『承知』
俺は足元に展開した曼荼羅より生じたマガツヒに飲み込まれ、大僧正の姿へと変じる。
なのはは上空で光に包まれ、バリアジャケットを装着。
《なのは、令示、発動したジュエルシードが見える?》
地に降り立ったなのはと、その傍で浮遊する俺へと向かって、ユーノから念話が届く。
《うん。すぐ近くだよ》
《うむ。我らの前方に、荒れ狂う魔力が渦巻いておる》
俺たちは視線を揃えてユーノの言葉を肯定する。
《あの娘達も近くに居るんだ。あの娘達よりも先に封印して!》
《わかった!》
「周囲の警戒は任せよ。汝は封印に専念するのだ」
「はいっ!」
返事とともに、なのはが構えたレイジングハートの先端からは桃色の魔力の光がジュエルシードへ向け、真っ直ぐに桃色の光を伸ばす。
同時に、正面のビルの頂上からも、金色の魔力光がジュエルシードへと伸び、捕捉し──
「リリカル、マジカル!」
「ジュエルシードシリアル19…!」
魔人の聴力が、なのはの声とともに数百メートルは離れている、フェイトの言葉を捉える。
「封!」
「印!」
轟音とともに放たれた桃色と金色、二色の砲撃は左右から荒れ狂う魔力の嵐を貫通。ジュエルシードを圧迫し、完全に抑え込む。
そして、打って変わって静寂が訪れた路上の真ん中で、まるで何事もなかったかのように中空に浮かぶジュエルシード。
どうやら封印処理は無事に行われたようだ。
俺の隣、なのはの掌中のレイジングハートが、砲撃にて生じた熱を、スチームのように放出した。
「参ろうか」
「──うん」
己が相棒の様子を確認した後、なのはは俺とともにジュエルシードへと向かってゆっくりと足を踏み出した。
「ねえ、大僧正さん…」
「何かな?」
浮遊する俺の隣を歩くなのはが、ジュエルシードへ視線を向けたまま話しかけて来た。
「私ね、初めてアリサちゃんと話した時は、掴み合いの喧嘩になっちゃって、それをすずかちゃんに泣きながら止められたの。──それが、
私たち三人の始まり」
「ほほう。それは何とも…まるで男児の如き出会いよのう」
滑るように中空を進みながら、呵々と笑いを上げる。
「にゃはは、確かに…──でもね、それがあったから、その後から少しずつ話をするようになって、今みたいに、離れていてもお互いを想い
合える関係に、友達になれたんだと思う」
なのははほんの数秒程目を瞑り、二人との出会いを懐かしむかのように表情を綻ばせた後に、強い想いを宿した宿した双眸を、進む先──
ジュエルシードへと向けた。
「だから私は、フェイトちゃんとお話がしたい。
何でジュエルシードを集めるのか。
ジュエルシードで何をするのか。
──どうして、あんなに寂しい目をしているのか…」
「…海鳴温泉で、さんざんけしかけるような台詞を口しておいて今更だが…思うまま突き進む事で、望む答えが、望む未来が掴めるとは限らぬ
ぞ? 衝突、苦渋、辛酸、敗北、失敗。知る必要の無かった冷たい現実と、負の情念に打ちのめされるやもしれぬ。それでも、汝は行くのか?」
俺の問いかけに、なのははゆっくりと頷き、口を開いた。
「…目的がある同士だから、ぶつかり合うのは仕方ないのかもしれない…だけど、知りたいんだ!」
「──そうか。ならば拙僧が言うべき事は、何も無い」
決意を口にして、一歩足を踏み出すなのはを、じっと見つめる。
「その思いの丈、存分にフェイト殿にぶつけるが良い」
「うん……! ありがとう大僧正さん」
──ああ、今わかった。
前世も含めて、何故俺がこんなにも彼女の行動を注視していたのか。
それは、なのはの姿が俺が切り捨ててきた『若さ』そのものだからだ。
自分の思う最良の未来を掴む為、時に大人から見て、無茶無謀としか思えない行動を取る。
それは俺が前世で大人になる過程で、「無駄」として切り落としてしまった思想だ。
だから、なのはの行動は危なっかしくも懐かしく、羨望の念を禁じえないものに見えるのだ。
…人は、挫折や失敗から「無茶」や「無謀」を切り捨てていく。
それは決して悪い事ではない。危険を回避し、思慮深さを得て、安全かつ円滑に生を謳歌する事が出来る立派な環境適応能力であり、学習能力だ。
だが、それがすべて全て正しい訳じゃない。
危険を回避する円滑な人生とは、時に諦めや迎合、妥協をよしとする生き方だ。…それは、俺の前世での人生はまさにそれだった。
壁に当たれば諦め、逃げ、しがらみに縛られる、そんな毎日。
だからこそ、こんなにもなのはに対する羨望の念がやまないのだ。
俺が切り捨てた物を持っているだけでなく、躊躇無くその想いのまま動ける、そんな彼女が羨ましかったのだ。
(若き英雄を見る、老いた敗残兵ってのは、こんな気分なのかねえ…)
そんな事を考えている内に、俺たちはジュエルシードまで四、五メートルというところまで迫っていた。
「なのはっ! 早く確保を!」
そこへ、俺たちへ追いついたユーノが背後から叫ぶ。
「そうはさせるかい!」
同時に木霊す、魔獣の咆哮。
橙毛の巨狼が、上空よりなのは目がけて襲撃を仕掛ける!
「──オン・キリキリ・バザラ・バジリ・ホラ・マンダ・マンダ・ウン・ハッタ」
しかしその瞬間、俺の真言に応じてなのはを囲むように、六、七メートルはあろうかという四本の巨大な杭が、大地からせり上がるように顕現した。
「十八道、結界法が一。金剛橛(こんごうけつ)」
以前使った金剛炎と同じ、十八道の修法の一つである。
本来は結界の境界を定める杭を打ち込むものだが、今回はなのはを守る防壁として発動した。
「クッ!」
アルフの巨体では杭の隙間に居るなのはを狙えぬ上、そのまま落ちれば杭の先端に衝突してしまう。彼女は舌打ちして猫のように空中で体を
捻り、落下軌道を修正した。
…フォーリングコントロール(落下制御魔法)か? 全く、性格とは逆に器用な奴だ。
っと、感心している場合じゃない。杭の脇──なのはの傍へと降りようとしているアルフを捕捉しながら、俺は新たな真言を口にする。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ──風天よ来たれ!」
突き出した印の先より旋風が生まれ、青い魔力を帯びて視覚可能となった風の魔弾は、尾を引いて大地へ降り立ったアルフへとその牙を剥い
て襲いかかる!
「なわっ!?」
着地直後を狙われたアルフは、俺の放った風の呪法に吹き飛ばされ、二、三〇メートル先の路上へ再度着地した。
「電気、炎熱の次は風の魔力変換だって!? どこまでデタラメなんだい!!」
憎々しげに言い放ち、巨狼はこちらを睨みながら、身を低くして唸りを上げる。
…ふむ。『吹き飛ばす』という点に特化させて放ったという事もあるのだろうが、風自体に殺傷能力がほとんどない事もあり(真空や風の刃
は別として)俺でも非殺傷設定の真似事が出来た。
これはかなり使い勝手がいいな。今後も多用しそうだ。
「なのは、この場は拙僧が」
金剛橛を消去しながら、俺は口を開く。その間もアルフからは目を離さない。
「大僧正! 僕も!」
俺の隣にユーノが並び立ち、そして──
「フェイトちゃん…」
その呟きとともに街灯の上に降り立ち、眼下のジュエルシードとなのはを見つめる、黒衣の魔導師──フェイト・テスタロッサ。
役者が揃い、新たな戦いの幕が上がる。
フェイトとなのは。無言のまま見つめ合っていた二人の均衡を崩したのは、後者だった。
なのはは決意を胸に、一歩足を踏み出す。
「この間は自己紹介出来なかったけど…私なのは! 高町なのは! 私立聖祥大付属小学校三年生」
『scythe form.』
無機質なバルディッシュの返答。その黄玉が、魔力の輝きを放つ。
「あっ…!」
その声に反応して、なのはは慌ててレイジングハートを構えた。
フェイトは無表情のままなのはを見つめる。
(どうしても聞きたい…なんで、そんなに寂しい目をしているのか…)
そんなフェイトを、なのはは悲しそうにみつめる。
一瞬目を瞑り、意を決したかのようにマントを翻し、フェイトは宙へと飛び上がる。
「ああっ!?」
「ッエエィ!」
大鎌形態のバルディッシュを大上段に振りかぶり、なのは目がけて振り下ろす!
「flier fin.」
レイジングハートの音声とともに、なのはの踵から桃色の羽が生まれ、飛翔する事で光鎌の一撃を躱す。
フェイトも飛行魔法を発動、なのはの後追って宙へ舞った。
「ガァァァッ!!」
叫びとともに、アルフが牙を剥き、俺へ襲いかかる!
「させない!」
その時、俺の前へと飛び出したユーノが、半球状の防御魔法を展開。
青い半透明の障壁がアルフの侵入を阻み、激しく火花を散らす。
しかし、アルフは俺たちの目の前で口端を吊り上げ笑みを浮かべると──
「なっ!?」
「むうっ」
ユーノの障壁を蹴りつけて跳躍、俺たちの頭上──高架の車道へと跳び移った。
「ハッ! あんたらの相手をしている暇なんてないんでね、おさらばさせてもらうよ!」
嘲りの言葉を吐き捨て、アルフはなのはとフェイトが争う戦闘空域へ向かって疾走した。
「…獣の闘争本能を刺激され、我らに向かって来ると思っていたが…いやはや、存外冷静ではないか」
「感心している場合じゃないよ! 早く後を追わないと!」
「わかっておる、しっかりつかまっておれユーノ。──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」
ユーノが肩に乗ったのを確認すると、俺は孔雀明王の真言を唱え、出現した半透明の巨大な孔雀に抱えられ、空へと舞い上がる。
「──行くぞ」
俺の意に応じ、孔雀は高い鳴き声を上げて双翼を広げると、高架上の道路を見下ろし空を駆る。
「──っ! 居た! あそこ!」
見晴らしの良さと、素早く追った事が功を奏した。飛行してすぐにユーノが、車道を駆けるアルフを発見したのだ。しかし──
「さて、あ奴をどう止めるかのう…」
あの様子じゃ、多少の妨害程度では無視を決め込んで、フェイトの下へ走り続けるだろう。今、彼女たちの勝負に水を差される訳にはいかない。
が、かと言って、無理やりな方法で止めて大怪我でもさせれば、俺たちに対するフェイトの心証が悪くなる事だろう。
「なるべく、出来る事ならば無傷で捕えるのが理想なのだが…」
「出来るの?」
「一応、策はある。ユーノの協力も必要だが」
「うん。僕に出来る事なら手伝うよ。何をすればいいの?」
躊躇する事無く頷くユーノに、俺は作戦の概要を伝える。
「──という方法じゃ。出来るか?」
「…やった事はないけど、特に無茶って訳でもない。問題無いよ」
「ふむ」
なら悩む事はない。グズグズしている暇はないのだ。こうしている間にも、アルフとなのはたちとの距離はどんどん狭まっているのだから。
「ならば行くぞ、ユーノ。拙僧の呪に合わせよ!」
「うん!」
俺はユーノに呼びかけつつ、眼下で走り続けるアルフを視界に捉え、真言を口にする。
「──オン・キリキリ・バザラ・バジリ・ホラ・マンダ・マンダ・ウン・ハッタ!」
刹那、アスファルトを突き破り、アルフを囲むようにして不規則に林立する、巨大な杭の群れ──金剛橛。
だが、今度の呪文は守る為のものではないので、その隙間は大きく、アルフは余裕でその間隙を縫って突き進む。
「フフン! こんな物であたしを止めらベッ!?」
余裕のあまりに吐こうとしたのであろうアルフの挑発の台詞は、杭と杭の間に展開されたユーノの防御障壁に、彼女が顔面から突っ込んだ事
により、物理的に止められた。
「…防御魔法をこんなふうに使う人なんて、初めて見たよ」
呆れと感心が入り混じった声で呟くユーノ。
「うむ。思いのほかに上手くいったのう」
「いや褒めてないから」
等と語り合うその間もユーノは手を休めず。アルフの動きに合わせて魔法を展開。俺達の下から「はぶっ!?」というくぐもった悲鳴と衝突
音が響く。
「…なんか、段々可哀想になって来たんだけど?」
そう言ってジト目で俺を見るユーノ。いや、お前もやるって言っただろ…つか、こうして話してる間も手を休めないお前も相当だよ。これが
マルチタスクってヤツか?
──と、そうこうしている間にも、俺たちの下から響く衝突音と「ぶはっ!?」という悲鳴。これで三度目。
路上へと目をやれば、両の前足で鼻の頭を押さえてうずくまっていた。
が、こちらの視線に気が付いたのか、ヨロヨロと起き上がると、俺たちを見上げながら全身より光を放ち、人型へと変じる。
「あんたらぁ…いい加減にしろっ!!」
と、こちらを睨みつけて怒号を上げるアルフだったが、涙目と赤くなった鼻では迫力の欠片もなかった。
「こんなところで足止め食らってられるかい! とっとと抜けさせてもらうよ!」
人の姿となって、四度目の突貫をかけるアルフ。当然ユーノがそうはさせじと防御障壁を生みだす。が──
「はんっ! 何度も同じ手に引っ掛かるかい!」
アルフは展開された防御魔法を両足を揃えて蹴りつけ、体を丸めて後方へと跳躍。その先にあるのは、金剛橛にて生み出された杭の一柱。
おそらくはあれを蹴りつけ、三角跳びの要領でこの杭の群れ逃れるつもりなのだろうが──
「それは予想の範疇よ。──オン・ビソホラタラキシャ・バザラ・ハンジャラ・ウン・ハッタ」
その瞬間、林立する杭が二重三重に張り巡らされた網の群れと化し、鈍色に輝く囲みとなる。
「へっ? ──なわぁっ!?」
当然、自ら杭へと跳んだアルフの末路は語るまでもない。
杭から変化した網へと突っ込む形となり、抜け出そうともがくうちに更に絡まり、彼女は身動きが取れなくなった。
「な、何なんだいこれはっ!?」
「十八道。結護法が二、金剛網(こんごうもう)。しばらくの間、大人しくしていてもらうぞ」
金剛網──十八道の修法の一つで、修道空間を強固な網で守る為の術である。
「って言うか、最初にあの杭じゃなくてこの魔法を使っていれば、普通に捕まえられたんじゃないの?」
未だ諦める事無く、網から抜け出そうと暴れるアルフを見ながら、ユーノが俺に尋ねる。
「躱される可能性もあったのでな。確実に事を成す為に、拙僧の金剛橛と汝の防御魔法を囮にしたのだ」
上空から俯瞰でアルフを捉えた事により、金剛橛の杭群の間を走る彼女の動きを把握し、その進行上に防御障壁を展開する。
これで、アルフは自ら壁に向かって突っ込むという寸法である。
最も、とにかくフェイトの下へ急ごうとして、前へ前へと進み事だけ考えていたアルフと、杭と杭の間という、わかりやすい設置目標に障壁
を張る事で、ユーノの魔法行使が素早く出来たという二点が大きい為、誰に対しても使える罠という訳ではないのだが。
それに、何度もやればこちらのタイミングやパターンも読まれる。まあ、今回は読まれることを想定した上で、更にもう一手、金剛網という
罠をしかけ、アルフを捉えたのだが。
──ちなみに、実はこの作戦、穴が存在する。
それは、『力任せに道路を打ち砕き、高架の下に逃げる』という選択だ。
幸い、今回は「フェイトの下へ急ぐ」という、彼女にとっての至上命題があった為上手くいったが、素のアルフだったらブチギレしてこの選
択をしたかもなー、と考えたが、ユーノには黙っておく。成功したし、結果オーライだ。
閑話休題。
「では、なのはたちの様子を見に行くとしよう」
俺はほとんど簀巻きと化したアルフをそのままに、飛び上がった。
「わっ!? コラッ! この網ほどいてけぇっ!」
上空の俺へと向かってギャイギャイと吠えるアルフ。
「いいの? 放っておいて」
「構わん。なのはたちの勝負の間だけ邪魔されなければ、それで良い」
ユーノの疑問を涼しい顔で軽く流し、俺はなのはたちの魔力光が明滅する空域へと飛翔した。
フェイト視点
金桃二色の魔力光が大気を裂き、黒い颶風と白い疾風がビルの谷間を縦横に舞い、衝突交差を繰り返す。
フェイト・テスタロッサと高町なのはの三度目の戦いは、これまでのようなワンサイドゲームではなく、鎬の削り合いと化していた。
『──master.』
「バルディッシュ…うん、わかってる」
宙を舞いながら、フェイトはチラリと、無数に建つビルの一つへと視線を送る。
彼女の眼に映ったのは、屋上より闇の双眸でこちらを見つめる法衣姿の木乃伊──魔人大僧正の姿だった。
彼がここに居るという事は、自分の使い魔が破れたという事だ。アルフは無事なのか?
飛来する桃色の魔弾をスライドして躱しながら、フェイトは念話を飛ばす。
《──アルフ。大丈夫?》
《フェイトかい!? ごめん、あいつらの罠にかかってさ…怪我は無いんだけど、バインドみたいな変な魔法にひっかかって…コノ!ソッチに
行くまでもう少しかかりそうなんだ…ヨッ! もうちょっと待ってておくれ!》
とりあえず、彼女は大丈夫なようだ。しかし──
(一体、何を考えている?)
前回の戦いの時もそうだが、大僧正の言動はあまりも不可解だ。明らかに優位な状況にもかかわらず、あっさりとその立場を放り投げ、こち
らが得するような条件を突きつける。
今だって、アルフを人質として押さえれば、自分に対してかなり有利なポジションをとれた筈。
相手の意図がまるで読めず、フェイトは混乱しそうになる。
(今はいい。それよりも、目の前の魔導師をどうにかするのが先決)
かぶりを振って、フェイトは眼前の敵に集中する。
確か、「タカマチナノハ」と言ったか? なぜわざわざ名前を名乗ったりしたのだろう。自分はジュエルシードを奪い合う敵にすぎないのに…
『Blitz Action.』
フェイトは無表情のままでブリッツアクションを発動し、自分を探し飛び回るなのはへ向かい、風を切り裂き飛翔する!
「ッ!?」
高速でなのはの背後に回り込んだフェイトは、彼女の背中目がけ、大鎌を振り下ろす!
『flash move.』
しかしなのはも、高速移動魔法を発動。一撃を空振ったフェイトの背後へ回り込み返し、
『divine shooter.』
お返しとばかりに、無防備なフェイトの背中へと、なのはは魔弾を撃ち放つ!
──だが、フェイトは崩せない。
瞬時に後方を振り返ったフェイトは、バルディッシュの先端をなのはへと向ける。
『defenser.』
バルディッシュの無機質な声とともに生まれたシールドが、ディバインシューターを受け止め、そこで生じた衝撃を下方へ体を捻りながら流
し、上空の白き魔導師に向けて、魔杖の砲門を向ける。
上方のなのはも、フェイトに向けてレイジングハートを構える。
──互いの視線が、空中で衝突した。
「フェイトちゃん!」
「っ! あっ…!」
その瞬間発せられたなのはの叫びに、フェイトは目を見開いた。
理由はわからない。
だが、強いて言うならば、相手の気迫に飲まれたと表現するのが一番近かった。
「話し合うだけじゃ、言葉だけじゃ何も変わらないって言ってたけど、だけど、話さないと、言葉にしないと伝わらない事もきっとあるよ!」
なのはの心からの叫びに、呆然と目を見開き、その言葉を聞き入るフェイト。
「ぶつかり合ったり、競い合う事になるのはそれは仕方ないのかもしれないけど、だけど、何もわからないままぶつかり合うのは、私、嫌だ!」
慟哭のような彼女の声が、ビルの谷間に響き渡る。
「私がジュエルシードを集めるのは、それがユーノ君の探し物だから。ジュエルシードを見つけたのはユーノ君で、ユーノ君がそれを集めなお
さないといけないから。私は、そのお手伝いで…
だけど! お手伝いをするようになったのは偶然だったけど、今は自分の意思でジュエルシードを集めてる。自分の暮らしている街や、自分
の周りの人たちに危険が降りかかったら嫌だから! 令示君に沢山迷惑をかけちゃったから!」
フェイトは瞬きもせず、なのはの言葉を聞く。
「これがっ! 私の理由!」
「私は…」
あまりにも真っ直ぐな言葉。迷うかのようにフェイトは目を伏せ、呟いたその時──
「フェイト! 答えなくていい!」
「うっ…!」
「あっ…」
二人が地上に目を向ければ、拘束から抜け出して駆けつけた、橙毛の巨狼──狼形態のアルフの姿があった。
「優しくしてくれる人たちのとこで、ヌクヌク甘ったれて暮らしてるようなガキンチョになんか、何も教えなくていい!」
「えっ…!?」
その言葉に、なのはは驚き目を剥く。
「あたしたちの最優先事項は、ジュエルシードの捕獲だよ!」
(そうだ、私はその為に──)
フェイトが決意を新たに、バルディッシュを強く握り直したその時──
「たわけぇぇぇぇぇっ!!」
雷鳴の如き大喝が、周囲に響き渡った。
「「「っ!?」」」
なのは、フェイト、アルフの三対六眼の視線が、一斉にその発生源へと集約される。
彼女たちの目の先──ビルの屋上にて結跏趺坐のまま浮遊する、大僧正へと。
「愚昧が! 汝こそ何を知った上で、そのような戯言を口にする!?」
洞のような闇の双眸も、干乾びた顔も、何も変化は無い。
しかし、アルフをみつめたまま、全身から生じさせる気配の正体は、誰の目から見ても明らかだった。
「只甘えるだけの小娘が、ぬるま湯に浸かり切った者が、この場に立てるものかよ!!」
彼の周囲の空間が歪んでいるのではと、錯覚する程の激しい怒気。
常に飄々としていた、普段の大僧正からは考えられない、感情の発露だった。
「グルル…!」
その怒りの矛先──アルフは、四足でその場に踏ん張り、歯を剥いて大僧正を睨んでいるが、誰が見ても彼の迫力に気圧されていた。
──いや、それでも驚嘆に値する事だろう。直接怒気を当てられなかったフェイトですら、大僧正の叫びの瞬間には五体が強張り、制動に支
障が出た程だ。それに耐えているアルフの精神力は褒められてこそ、貶されるものではない。
もし、これがなのはたちの予定調和であったのならば、その隙を突かれ敗れていたかもしれないが、彼女も何も聞いていなかったらしく、フ
ェイトと同じように体を硬直させていた。
「フェイト・テスタロッサよ!」
「っ!?」
突然、大僧正の言葉の穂先が自身へと向けられ、動揺しながらもフェイトは彼へと視線を向ける。
「汝も己が使い魔と同じ考えか? なのはを覚悟の足らぬ半端者と嘲るか?」
「クッ…」
「虚偽は許さぬ」という言外の圧力が込められた声に、フェイトは思わず息を飲んでたじろぎ、僅かに後ろへ下がってしまう。
「ただ甘いだけの小娘であれば、何故この場に立てる!? 覚悟無き半端者が、何故二度の惨敗を味わって尚、この場に立てる!? 答えよフ
ェイト・テスタロッサ!! 汝の前に立つ娘は、本当に只の甘ったれか!?」
強いか、弱いか。改めて考えるまでもない。
三度にわたって、剣戟ならぬ杖戟を撃ち鳴らし、魔弾の応酬を繰り返して来た相手。
正面に立つ魔導師──「タカマチナノハ」への評価は、既に結論が出ていた。
「……出会った時は、弱かった」
口を開きながら、フェイトは過去の二戦を振り返る。
魔力の運用効率、駆け引き、戦術…
あらゆる点で素人と断じるだけの存在だった。しかし──
「でも、今は違う。この娘は──タカマチナノハは、強い」
再びなのはへと目を向けながら、フェイトはそう結論付けた。
単純な魔力の量や、魔法の威力だけでは勝敗を決める決定的な一手とはなり得ない。
出会ったばかりの頃の彼女の戦い方は、まさにそれだった。
しかし、今の彼女は違う。過去の二戦とは異なり、今日のなのはは、しつこい位食らいついてきた。
こうして直に目にし、戦ったからわかる。彼女は、フェイトとの戦闘から学習してきたのだ。
何故自分が負けたのか?
何故相手が勝ったのか?
それを徹底的に分析し、学び、理解し、吸収して己が物とする。それをやってのけたのである。
…二度の敗北を重ねても、折れる事無く自分の前に立ち塞がった少女は、最早油断の出来ない力を持った魔導師へと成長していたのだ。
故に、フェイトは大僧正の言葉を噛み締め、目の前に立つ「タカマチナノハ」と名乗った少女を、「明確な敵」として認識した。
「…私が──」
「えっ?」
突然、自身へ向けて語りだしたフェイトに、なのははハッとした表情を浮かべ、食い入るようにみつめてきた。
「私がジュエルシードを集めるのは、母さんが必要だと言ったから。ジュエルシードを持って帰れば、母さんが褒めてくれる。また、私に笑い
かけてくれる。だから、譲れない…!」
『scythe form.』
声とともに展開した光の大鎌を脇に構え、フェイトはなのはへと肉薄し、横薙ぎに一閃する!
「くっ!」
なのはは咄嗟に後方へ飛び、大鎌の間合いから逃れる。しかし──
「あっ…!」
攻撃が躱された瞬間、大鎌の動きに任せるまま身を翻し反転。フェイトは一直線にジュエルシード目がけて飛ぶ。
サイズフォームでの一撃は彼女の擬態。本命はこちらだったのだ。
正直、フェイトにはこれ以上なのはと戦闘をする余裕が無い。ここまで彼女が強くなっているのは予想外であった。
故に、『余力』がある内にジュエルシードを回収し、撤退。これが最もベストな選択である。
自分の目的は戦闘ではない。アルフの言う通り、ジュエルシードの回収こそが至上命題なのだ。だが──
「待って…!」
慌てて後を追って来るなのはの声が、嫌にハッキリとフェイトの耳に木霊す。
(余計な事を考えるな…!)
真っ直ぐ自分へぶつかって来た、なのはへの後ろめたさ、罪悪感を無理やりねじ伏せ、路面近くで小康状態を保っているジュエルシードへ向
かい、ひたすら加速。
そこへなのはが追いつき、フェイトと並走。二人は目前へと迫ったジュエルシードへ向け、ほとんど同時にデバイスの先端を突き出した!
甲高い金属音を伴い、ジュエルシードを中心にして、二人のデバイスが噛み合った。その瞬間──
「ああっ!」
「えっ…!?」
「むうっ!?」
二人のデバイスに罅が入って砕け散り、同時にジュエルシードが旋風の如き魔力を、爆発的に放出した。
「きゃああああああっ!?」
「くっ!? うぅううううっ…!」
ジュエルシードを中心にした、光の奔流に飲まれ、フェイトとなのはの視界は、白い光に包まれた。
令示視点
4月26日 PM8:27 海鳴市 市街地 結界内部
「うっ!?」
「はぁっ!」
二人は飛行魔法を使ってその場から緊急退避。
が、デバイスが破損してしまった為、魔法維持が不完全となり、流麗な動作のフェイトと違い、経験の浅いなのはは不安定な体勢でどうにか
着地。…どうやら、二人とも無事なようだ。
その直後、白い光爆が消え、ビルをも飲み込む程の巨大な光の柱が、轟音とともに顕現して収束。一応は沈静化した。
「おさまったか…? ユーノ、無事か?」
暴発の瞬間、俺は咄嗟に法衣の袂へと押し込んだユーノに、安否を尋ねる。
「うん、大僧正が庇ってくれたから、何とも無いよ…っていうか、さっきの君の怒鳴り声の方がきつかったよ…」
袖から左右に頭を振りながら顔を出したユーノが、無事を告げる。
ああ、そう言えば俺がアルフを怒鳴りつけた時、ユーノは肩に乗っていたんだっけか。
「むう…済まん。あ奴の言葉を耳にしたら黙っておれなくてな…」
俺は片手でこめかみのあたりを掻きながら、謝罪と釈明を口にした。
杖を取って一月も経たない小学生が、二度も敗北した、自身を上回っている筈の戦闘の技巧者に食いつく。才能等という言葉では片付けられ
ない、岩をも徹す苔の一念──執念。
『人は成功や勝利よりも、失敗や敗北から多くのものを学ぶ』とは、ジョルノ・ジョバァーナの言葉だが、弱冠九歳のなのはがどうしてそんな
発想に至れるのか?
普通の同い年の子供であれば、悔しがるか戦闘に怯えるかで、とてもそんな発想に辿り着く筈がない。しかし、彼女は行き着いた。
最早疑う余地はない。なのはの、『フェイトと話しがしたい』という一念が、只の小学生だったあの少女をこの領域まで押し上げた。
魔力とは違う──意志の力で。
モニター越しではなく、現実としてこの目で見て、肌でそれを感じていた俺は、アルフの台詞に思わず怒鳴ってしまっていたのである。
(全く…SEKKYOなんてするつもりなんかなかったってのに。第一、俺のガラじゃないだろ……ええい、やめやめ。そんな事よりなのはと
フェイトだろ)
俺は軽くかぶりを振って思考を切り替える。
「それよりもユーノよ、戦闘などしている場合ではない。なのはの下へ行くぞ」
「っ!? そうだ、なのはは!? 大丈夫なの!?」
「落ち着け。もしもあの二人に大事があれば、いつまでもこのような所におらぬ。──見よ」
なのはの身を案じて、慌て出すユーノを窘めて、俺は眼下へと指を向ける。
その先には、破損したデバイス手にして、どうにか両の足で立ち上がったなのはの姿。
「掴まれ。なのはの下へ飛ぶぞ、ユーノ」
「うん!」
彼女の無事を確認してホッとしたユーノを連れて、俺はビルより身を躍らせると、なのはの傍へと舞い降りた。
「なのは! 大丈夫!?」
地面へ下りると、ユーノは俺の肩から跳躍してなのはの前へと駆けて行く。
「ユーノ君…私は何ともないけど、レイジングハートが…」
ボロボロとなったレイジングハートを、心配そうにみつめるなのはに、ユーノが「ちょっと見せて」と言いながら、あちこち触り様子を確かめる。
「…大丈夫だよ。損傷は激しいけどコア部分は無傷だから、修復すれば元に戻るよ」
「よかった…レイジングハート、無理させてゴメンね…」
『No problem. My master』
目を伏せ杖身を撫でるなのはのに、レイジングハートが紅玉を輝かせて答える。
「…となると、問題はアレをどうするかじゃな」
「あっ…」
「ジュエルシード…」
俺の視線を追い、再び暴走を起こして青白く明滅する、ジュエルシードを目にした二人は息を呑む。
「デバイスがこんな状態じゃ、再封印は無理だよ。レイジングハートが元に戻るには、最低でも半日は必要だ」
「でもユーノ君、あれをこのままにする訳に「フェイト!」──フェイトちゃん!?」
アルフの叫びに、俺たちがジュエルシードの向こう側を見やる。
「あれはっ!?」
「むう」
デバイスを待機状態にして、バリアジャケットのみの姿となり、路面ギリギリの低さでジュエルシードへ向かって宙を駆る! しかし──
(? 妙だ…)
疑問に思ったのは、フェイトの飛行制動だった。
直前の着地の時と異なり、今の彼女の飛翔は左右にぶれ、体勢が安定していない。
おかしい。原作では滑るようにして空を飛び、ジュエルシードへと迫っていた筈なのに。
そして、彼女がジュエルシードを手にしたその時、その疑問が確信へと変わった。
俺たちの目の前で、フェイトは右掌の中にジュエルシードを握り込み、そこに左手を重ねてまるで祈りを捧げるかのように、両膝をついた。。
「うっ…くぅぅっ……!」
「フェイト! ダメだ! 危ない!」
フェイトの手の隙間より、解放しろと言わんばかりにジュエルシードの光が漏れ、彼女を責め立てる。
「止まれ…! うっ、うう…止まれ…止まれ…!」
膝を折り、その場に座り込んで無理やり再封印を行おうとするフェイト。その足元に浮かぶミッド式魔法陣。しかし──
「何だ、あの魔法陣は…?」
俺は彼女の足元を見て思わず呟いていた。
まるでノイズのように魔法陣の形が乱れ、切れかけの電球の如く激しく点滅を繰り返し、きちんとした体を成していない。
「魔力が足らないんだ! 魔法発動も碌に出来ない上に、デバイス無しの直接封印なんて無謀すぎる!」
「魔力が足らぬとな!?」
ユーノの声に、思わず俺はオウム返しに声を上げる。
どういう事だ!? 何でこんなイレギュラーが──
「あ──」
その原因に気が付き、思わう声を漏らしてしまった。
(温泉の時にフェイトに使った瞑想かっ!)
そう。あの時、俺はフェイトの魔力を根こそぎ奪い取ったのだ。
魔力回復の為に一日は休みを入れるだろう高をくくっていたのだが──
(大甘だった…! 原作でもアルフが「フェイトはろくに食べないし、休みも摂らない」って言ってたじゃないか!! そんな状態で疲れるっ
ていう広域探索魔法なんか使い続ければ、回復する間も無く魔力が減っていく!)
おまけにここに至るまで、なのはと戦っていたのである。現状、フェイトの魔力はほぼゼロ──使い魔維持用の魔力は別に確保しているので
あろうが──と断定出来る。
「止まれ…止まれ…!」
「やめよフェイト殿!! すぐ離れるのだ!!」
そんな状態で封印なんか出来る筈がない。俺は彼女へ警告を飛ばすが、手袋が破れ、血飛沫が飛んでもフェイトの行動は止まらず──
「く、あぁぁぁぁぁぁっ!!」
「フェイトォッ!!」
響き渡る、フェイトの悲鳴とアルフの叫び。
フェイトは両の手首まで切り裂かれ、その血煙で空気を朱に染めた。
精根尽き果て、彼女の体が仰向けに倒れていく。
「フェイトちゃん……!」
舞い散った血に、なのはは目を見開いた。
その両掌から解放されたジュエルシードが、俺たちの目に触れたその時、凄まじい閃光を発し──
「かはっ…!?」
大気を震わせる大砲の如き轟音とともに、ジュエルシードが放った強烈な衝撃波によって、フェイトの小さな体がボールのように空中へ放り
投げられた。
「っ!? フェイトッ!!」
人型へと変じ、打ち上げられたフェイトを受け止めるべく駆け出して行ったその直後、ジュエルシードが再び光の柱を顕現させ──
その瞬間──
世界が──
揺れた──
「「「っ!?」」」
地面が揺れているのではない。
地に足がついていない大僧正の身である俺が、振動を感じているのだ。
これは大気──否、空間そのものが振動しているとしか思えない。
「これってやっぱり…」
「ジュエルシードだ! あの子の無茶な封印が呼び水になって、暴走に拍車がかかったんだ…!」
なのはの疑問の声に、ユーノが周囲の空間を陽炎のように歪ませ、魔力の波動を撒き散らす、光柱と化したジュエルシードを睨みながら答える。
「このままじゃ、飽和状態になった魔力暴走に、広域結界が耐えられない!」
「そ、それじゃあ街に居る人たちが!!」
フェイトだけでなく、街の人までもが危うい。
最悪のシナリオを想像したのだろう。なのは体が恐怖に震える。
「──ユーノ、結界はどれ程維持出来る?」
だが俺は、二人の前に出ながら尋ねる。
「え…? えっと、後二分ももたないんじゃ──」
「十分じゃ」
デバイスは破損して使用不能。なのはの魔法技術は、未だデバイス無しの直接封印が出来る程までは熟練していない。
確かに考えうる限り最悪な状況だ。なのはたちだけあれば、完全に『詰み』であろう。
しかし──
「拙僧がこの暴走を止めよう」
魔導師でなくとも、俺には魔人の力がある。これを使えば暴走の阻止も不可能ではない筈。
「そんな!? 無茶だよ!」
俺の言葉を聞いたなのはが、慌てて止めに入る。
「心配はありがたいが、案ずるな。考え無しに動く訳ではない。二人とも下がっておれ」
フェイトの傷も気がかりだ。速攻でアレをどうにかしないとならない。
俺は前進を止める事無く印を結び、呪を紡ぐ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」
その刹那、俺の後に螺旋を描く業火の柱が立ち上がり、その内より青髪朱肌で右手に剣、左手に羂索を持った五、六メートルはあろうかとい
う巨人が顕現した。
「三界の衆生よ、刮目せよ! ここに現れたるは大日大聖不動明王也!」
巨人──不動明王はその背に迦楼羅炎を纏い、その怒りの眼差しを光の柱へと向け、手にした金色の剣を高々と振り上げた。
「その手にしたるは、一切外道を討ち払う降魔の利剣! 疾く征け──倶梨伽羅の黒龍!」
利剣が振り下ろされるのと同時に、その刀身に巻きつく龍がその姿を現し、空へ飛び立ちジュエルシードへと突き進む!
「竜の召喚!?」
驚くユーノの声をかき消すように、黒龍の咆哮が響き渡った。
その身に炎を纏い、黒龍は真正面から光柱に激突。
「うわぁっ!?」
「きゃああっ!!」
黒龍の炎と、暴走する魔力がせめぎ合い、その凄まじい力と力のぶつかり合いに轟音が大気を震わし、鉄火風雷を撒き散らす!
巻き起こる旋風に、ユーノとなのはが吹き飛ばされまいとビルの壁面にしがみつく。
俺は、はためく法衣もそのままに、正面を睨みつけたまま声を上げる。
「調伏せよ!!」
「■■■■■■■■!!」
その瞬間、俺の言葉に応じ叫びを上げた不動明王が、光の柱に向けて左手の羂索を投げつけ、縛り上げる!
刹那、力の均衡が崩れた。黒龍は弱まった光の柱を一気呵成に食い破り、現れたジュエルシードを飲み込んだ。
「やった…!」
ユーノが安堵の声を漏らし、なのはは言葉も無く、溜息とともに強張っていた五体を弛緩させた。
黒龍はそのまま上空へと舞い上がり、勝鬨のように一鳴きして宙を旋回。そして再び利剣へと舞い戻って絡みつくと、不動明王とともにその
姿を消す。
その後に残った中空に浮かぶジュエルシードを掴み、吸収すると、俺は背後を振り返った。
「急ごう。怪我を負ったフェイト殿が気がかりだ」
「っ!? そうだ、フェイトちゃん!!」
俺の言葉に、なのはは弾かれたようにアルフの向かった方向へ駆け出す。
遠くに行っていなければいいが…正直、アルフがプレシアのところにフェイトを連れて行ったとしても、まともな治療を行うとは思えない。
出来る事ならこちらで治療をしたいのだが…
そんな事を考えながら、なのはの後を追っていたその時──
「フェイト、フェイトッ! しっかりしておくれっ!!」
路地裏から、アルフの悲痛な声が俺たちの耳に届いた。
「居たっ! こっちだ!!」
「うん、急ごう!」
先頭を行くユーノを追ってなのは、それに俺が続き、三人で路地裏の奥へと走り出す。
そしてその直後、鼻を突く鉄錆の臭気を感じ取ると同時に──
「フェイトちゃ──」
「ちくしょう、血が、血が止まらないよ…」
ビル陰の闇の中、地面に横たわって虚ろな表情で脂汗を浮かべ、小刻みに呼吸をするフェイトと、その傍でなけなしであろう魔力を切り崩し、
彼女に治療魔法を施すアルフの姿が、俺たちの目に飛び込んで来た。
それを──ズタズタに引き裂かれたフェイトの両手を見たなのはは、上げかけた声を止め、言葉を失った。
一見しただけで、素人でもフェイトがかなりの重傷である事がわかる。
しかし、あのままアルフがフェイトを連れて帰らなかったのは、不幸中の幸いだったというべきか。
フェイトの出血と怪我の度合いを見て、気が動転していたのか。それとも、酷過ぎる負傷を見て、動かすのは危険と判断したのかはわからないが。
「なのは、汝には目の毒だ。下がっているがよい」
子供にはかなり刺激が強い姿だ。俺だって魔人の闘争心やらがなかったら、みっともなく取り乱していた事だろう。
「私は大丈夫…それより、早くフェイトちゃんを助けないと…」
だがなのはは、首を横に振って俺の提案を断り、震える唇を噛み締めて、気丈に振る舞って見せる。
…もしかしたら、フェイトの負傷に責任感や、罪悪感を覚えているのかもしれない。
が、今はとりあえずなのはの言う通り、フェイトを優先するべきだろう。
そう判断し、俺たちが彼女の下へ行こうと進み出したその時──
「っ!? あんたら、こんなところまで!!」
やはり相当気が動転したのであろう、数メートル前になって、ようやくこちらの接近を察知したアルフが立ち上がって振り返り、俺たちへ敵
意をむき出しにした視線を叩きつけてくる。
「待って! 私たちはフェイトちゃんの事が心配で──」
「フェイトに指一本ふれさせるか!」
アルフはなのはの言葉も耳に入れず、五指を鉤爪のように曲げて、こちらへ向かって飛びかかって来た!
(ええい、猪め!)
俺は内心で舌打ちしながら、なのはを庇うように彼女の前に立ち、右手を二指のみ立てた印──刀印を結び、
「喝!」
気合とともに振り下ろした。
「くっ!? がっ!! クソッ、何をした!?」
その瞬間、アルフは飛びかかった姿勢のまま、空中に固定された。
「──不動金縛りの術。汝の使うミッド式魔法とは根本が異なる故、バインドのように簡単に破壊は出来ぬぞ」
元々詠唱破棄の簡易式なので、長持ちはしないだろうが、言い聞かせる間だけ保てればいいので、気にしていない。
アルフが俺を睨みつけたまま、歯を剥く。
「落ち着け。このままではフェイト殿が危険だ。見る限り傷がかなり深い、重要な神経や骨まで切断されているのは確実」
「そんな事! すぐに連れ帰って治療すれば──」
反論するアルフに、俺は聞きかじりの知識を使って説得する。
「だが出血量が多い、帰還に時間がかかれば失血死の可能性もあるぞ。折れた骨の奥に細菌が入る可能性も否定出来ぬ。第一、これ程の重傷を
すぐに治療するだけの施設、人員に心当たり…汝にはあるのか?」
「──無理だよ。それ程の重傷となると、大きな病院やかなりの力を持つ治療専門の魔導師が必要だ。この管理外世界じゃ、その両方が無い」
俺の疑問に答えたのは、背後のユーノの声だった。
「ううっ…じゃあどうしろって言うんだよ!?」
「問題無い。拙僧が治療を行う」
慟哭のようなアルフの声に対して、俺は平然と答えた。
「あんたが…? 信用ならないね! 何を企んでるだい!?」
一瞬驚愕した後、彼女は疑惑の念を込めた眼差しを向ける。
「フェイト殿に何か仕掛ける気であれば、動けぬ汝にいちいち説明などせぬ」
「う、それは……」
俺の正論に、アルフは気後れして口籠る。
「異論はあるまい? ではやるぞ」
暢気に討論してる時間が惜しい。俺は一応彼女に一言断ってからフェイトの前に進み出て、右手に金剛鈴を顕現させると、軽く揺らし凛、と
澄んだ音色を響かせる。
そして左手を横たわるフェイトの真上にかざすして意識を集中。先程取り込んだジュエルシードから魔力を引き出し、口を開いた。
──癒えよ
紡いだ言霊と同時に生じた白い光が、フェイトを包み込む。
だがそれは、暴走したジュエルシードが発した、全てを塗り潰すような傲慢な光ではなく、春の日の太陽のような、優しく柔らかな光だった。
時間にして二、三秒程だろうか。眼前の白光が霧散し、フェイトがその姿を現す。
「えっ…!」
「凄い…」
「フェイト!」
俺の脇で、三人が驚きの声を上げた。
無理もないだろう。骨が見える程の重傷を負っていた彼女の両手が、その痕跡があったかもわからない位に完璧に、元の健常な姿を取り戻し
ていたのだ。
──回復スキル、常世の祈り。
味方全員の体力と死亡、蠅化以外のバットステータス異常を完全回復する魔法だ。
失った血液も再生したのだろう。青白くなっていた肌にも赤みが差し、呼吸も安定している。
どうやら、治療中に眠りについてしまったらしく、静かに寝息を立てていた。
「もう心配はいらぬ。怪我は完治した」
言いながら、俺はアルフにかけていた金縛りを解除した。
「フェイト! フェイトッ! 無事なんだねっ!? よかったよぉ…」
途端、脇目も振らずに主の下へ駆け寄り、目尻に涙を浮かべて、小さなその体を抱き締めるアルフ。
「大僧正さん、体は大丈夫…?」
危機の連続を何とか乗り切り、大きく息を吐いた俺に、フェイトの無事を聞いてこわばっていた表情が緩んだなのはが、心配そうに声をかけ
てきた。…温泉の時のように、力の使い過ぎではないかと思ったのだろう。
「問題無い。先程取り込んだジュエルシードがある故、魔力にはまだ余裕がある」
「そっか、だったらいいんだけど…」
「無理はダメだよ?」
なのはに続いて、ユーノも俺に釘を刺してくる。むぅ、注意はしているんだがなぁ…
と、三人で会話をしていたその時、俺は視界の脇でアルフがフェイトをおぶって立ち上がったのに気が付き、目線をそちらへ移した。
「…一応、礼は言っておくよ。フェイトを助けてくれて、ありがとう」
目を逸らしながら、アルフはぶっきらぼうにそう言った。
「構わぬ。此度のフェイト殿の負傷は、前回の拙僧の行動にも一因があった故にな」
俺が居なければ、軽い怪我で済んだ訳で、今回の一件で責任を感じるとすれば、なのはではなく俺の方だろう。
「忠告しておこう。フェイト殿は怪我は治ってはおるが、消耗した魔力や精神力、疲労等は回復しておらぬ。しっかりと休養を摂らせねば、ま
た同じ事を繰り返す羽目になりかねんぞ?」
「わかっているさ、この娘には無理にでも休んでもらう。じゃあ、もう行かせてもらうよ」
俺の言葉に頷きを返し、アルフはそのままビルからビルへと跳躍。あっという間にその姿をくらませた。
「行ったみたいだね」
「うん…」
なのはとユーノは言葉を交わしながら、アルフ達が跳び去った方向をみつめていた。
「今回は勝ちとも負けとも言えぬが…一つ、わかった事があるな」
「うん。あの娘の後ろに居る存在、おそらく──」
「フェイトちゃんの、お母さん…」
俺の声に、二人は真剣な表情で頷き、言葉を返す。
「しかし、詳しい話は後日行うとしよう──かなり遅くなったし、いい加減帰らないと母さんの帰宅とブッキングしちまう」
「えっ!? もうそんな時間!?」
悪魔化を解きながら放った俺の言葉に、同じくバリジャケットを解除したなのはが、慌ててポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。
「にゃあああ!? 大変だ、早く帰らないと! 令示君、また明日!」
わたわたと駆け出し、なのはは表通りへと向かう。
「あっ!? 待ってよなのは! 令示、僕も行くね。じゃ!」
ユーノも慌ててその後を追い、走って行った。
「…俺も帰るか」
路地裏に一人残され、なんとなく視線を落としたその時、地面に残った多量の血痕が俺の目に映った。
「────」
それを見た俺は、先程の血塗れとなったフェイトの姿を思い出し、ここはアニメじゃない現実の世界──平然と、傲然と、当たり前のように
『死』が闊歩する世界なのだという事を、思い知らされた。
「っ!」
その冷酷な世界の通告に思わず背筋に悪寒が走り、ブルリと体を震わせる。
(今後も、こんなイレギュラーが続くかもしれないな…)
地面に残る血だまりをみつめながら、俺は更なる悪魔の力が必要になるかもしれない。と、そんな予感がした。
第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 後編 END
後書き
こんにちわ、吉野です。
今回も更新が遅れまくってしまい、申し訳ありません。心理描写はむつかしいです…
さて今回の大僧正の使った『倶梨伽羅の黒龍』は、ソウルハッカーズでナオミが使っていた技がモデルになっています。使い勝手のいい技で
したね、アレは。
さて、次回はプレシア&アースラ組登場となります。
では『第七話 それぞれの思惑』でお会いしましょう。