人々はソウルを与えられ、世界を正しく理解した。
世界を蝕む毒が残された。ソウルを奪うデーモンが。
Demon's Souls
ぶらりラトリア一人旅
tragedies No.Ⅰ
かつて魔術師の集う地であったラトリアは、地獄の様相を呈していた。
魔術の、ひいてはソウルの業を研究すべく造られた建造物であったはずなのに、あるのは牢と拷問部屋ばかり。
棘のついた椅子だの、怪しげな香炉だの、中身を撒き散らした鉄の処女だの……。
そこかしこに囚人や戦士達の死体が放置され、床にも壁にも彼らの血糊がべっとりとこびりついている。
もはや、かつて訪れた美しい白亜の塔の国の面影はない。半壊した通路を、奇怪なタコ頭の獄吏が徘徊するばかりである。
鼻が曲がりそうだ、と男は一人毒づいた。排泄物と腐肉の刺激臭が、香炉の発する脳髄まで痺れそうなほどの甘い香りと混じり合っている。
対策をしていなければ到底耐えられそうもない。肉体を持たぬ存在でもなければ、正気なぞ一月も保てまい。
尤も、肉体を失うということは、己をこの世に留める楔を失うということであるのだが。
楔と云えば、ラトリアへの旅路の最中に出会った戦士は未だ戦い続けているのだろうか。
彼の戦士は楔の神殿なる所に逃げ込むように勧めてきたけれど、肝心な在り処を教えずに立ち去ってしまった。
或いは、その神殿とやらは尋常の手段では行けないのかもしれない。
男の歩みが止まった。
いつの間にか、崩れて抜けた床に片足を踏み出そうとしている。
ソウルの輝石を掲げて覗くと、二階の床が照らし出された。
通路の側に落ちればいいが、罷り間違って吹き抜け側にすべれば地下まで落ちて助かるまい。
注意が散漫になっている。再び気を引き締め、辺りを見回す。
迂回路は無い。飛び越えようにも、革鎧と武器を身につけたままでは不可能だ。
「aaaaaah……!」
「vuvuvuvuvauvaaahaahiahhaaha!」
山間に聳える双塔はデーモンの手により変貌した。
今では牢獄双塔とも呼ぶべきここは、激しい戦闘があったことを示す痕か、いたる所が崩壊している。
数刻前に確認したもう一つの牢獄塔の方は、比較的新しい様子である。
しかしながら格子が瓦礫で閉ざされていたため、直ぐに引き返す羽目になった。
この塔まで諦める訳にはいかない。獄吏専用通路が二階と一階の間にあったものの、鍵が無い。
先程斬った看守は持っていなかった。もしかすると冒険者の死体が持っているのかもしれない。丹念に探索するより他無い。
そう考え、男は来た道を引き返した。
昔のままなら、牢獄塔は基本的に逆Uの字が二つ並び、それぞれ東西牢獄とする構造になっているはずだ。
左右にずらりと牢が造られ、Uの字の頂点同士を、奇数階ならばテラスが結ぶ。
ごつごつした山肌に臨むテラスと正反対に階段がある。
力尽きた者達の誰かが鍵を持っていると仮定すると、おそらく二階のどこかに転がっている死体の懐を探すべきだろう。
埃のたまり具合や、燭台のろうそくから、まず間違いなく三階通路の崩落は最近のものではない。
となると、探索を諦めて獄吏専用通路に行くために二階へ戻ったのではないか。
外に持ち出した可能性は考えても仕方ない。
「hyyyyyyyyyyyaaaaaaaaaaaaaa……」
「eeeelpmeeeeeeaaaaaaaaaheeeeeeeelpaaaaaaa!」
ソウルに飢えた囚人の悲鳴は、こちらの精神を蝕む心地だ。
まともに取り合っているときりがないし、体がもつまい。本来の目的を果たす前に死んでしまっては意味がない。
仮に彼らを解放したところで、救済する手立てはない。
ソウルを奪われ、思考に飢え狂乱する者達を救えるのは、皮肉なことにソウルを操るデーモンのみである。
飢え人を殺害して奪ったソウルとて、ただ今の正気を保つことで手いっぱいだ。他者に分け与えている余裕などない。
そも、彼の操るソウルの業は、魔術と初歩的なやりとりに限定されている。
倫理をかなぐり捨てて奪うことはできても、与えて元通りにすることは不可能だ。
「ghiiagaaaaaaaaaaaaaaaa!」
「iiiiiiiiiiiiyyyaaaaaaa……」
苦しみ悶える彼らを直視しきれず、男は遂に顔を背けた。
男が危険を冒してまでラトリアを訪れた理由の一つは、囚われていたであろう知人の女性の遺品を手に入れるためであった。
きっと、自分に檻越しに手を伸ばして助けを求めるこの囚人と同じように、彼女も苦しんだのであろう。
か弱い貴族令嬢であったから、もう生きてはいないだろう。苦しみぬいた末に迎える死を救いと呼ぶのか、男には判ぜられない。
しかし、形見を持ち帰ったとて何の慰めにもならないということだけは、はっきりとした事柄であるように思えた。
さびの浮いた格子が、ゆっくりと押し上げられていく。
獄吏専用だけあって、それなりの横幅が確保されている。ここでなら気にすることなく武器を振れるだろう。
右手の壁沿いには染みの浮いた木の棺が乱雑に積み上げられている。
その対面には申し訳程度の明かり取りの格子窓が作りつけられているが、デーモンの魔力か、昼夜を問わず曇天のラトリアでは意味を成していない。
巣を張る蜘蛛すらいないのか、風とともに吹き込んでいた木の葉が引っかかっているのみだ。
いつでも抜剣できるよう、男は柄に手をかけた。愛用の、ファルシオンの名で知られる曲剣だ。
盾は背負ったままである。魔術塔ラトリアにおいて、通常の防御手段は有効ではない。
噂に聞く最古の金属、悪意を祓うという暗銀の武具でなければ、構えるだけ無駄だろう。
魔術を悪意の塊扱いするのは気に入らないけれども、暗銀の所有者であるヴィンランドの勇猛を聞くに、噂通りの絶大な効力を発揮しているようだ。
鈴の音が響き、燭台のろうそくとは明らかに違う、緑光が薄汚れた壁を照らした。
男は棺の陰にさっと身を隠し、曲剣を抜き放った。
かぎ状に曲がった通路の先に、足音もなく蛸頭の看守の姿があらわれていた。
息を殺して様子を伺っていると、看守は手に持ったカンテラをかざしてしきりに首を動かしている。
人の気配を感じたか、自分のソウルに惹かれたか。彼にとっては前者であって欲しかった。
気配を消すだけならば、習得している姿隠しの魔法がある。
一方ソウルを抑えるのは奇跡の領分だ。信仰心のない彼には縁遠い、神の力だ。
ソウルに惹かれるのは飢え人と、黒いファントムだけのはずだ。看守は気配を察知したにすぎない、と信じたい。
背嚢に手を差し込み、木の触媒を抜き出す。魔法、姿隠しを発動する。
タコ看守の索敵範囲が広いことは、一階を巡回していた個体で確認済みだ。
隠密魔法で曲剣の間合いまで接近しなければ、苦戦は免れない。
鈴の音が一際高く響き渡る。看守の周りに散らかっていた樽や壺、棺が不可視の何かを受けて粉みじんに砕け散る。
衝撃波だろうか。男の目には、直前にカンテラの鈴が魔力を放出していたように映った。
そういえば先の個体も、カンテラの鈴を鳴り響かせた後に、強力なソウルの矢を撃ってきたのではないか。
咄嗟に回避したためよく見えなかったが、それが魔女たるラトリアの女王の魔法に匹敵する威力なのは直感でわかった。
間違っても知性の低そうな化け物風情が行使する魔法ではない。
あの鈴こそ、魔術行使の触媒兼魔法威力の強化品なのだろう。
異形の使う道具など、碌なものではあるまい。よりえげつない細工が施されているのかもしれない。
気のせいだと判断したのか、タコ看守が来た道を引き返した。無防備な背中を晒している。
男は一息に駆け寄り、ファルシオンを振りぬいた。看守の手首が、カンテラごと床に落ちる。
どす黒く生暖かい血液が迸り、男の顔を濡らす。
「Ghiia!?」
ひるんだ隙に両手で握りなおし、肩口から袈裟懸けに斬りつけ、一回転して首を刎ねる。
頚骨らしい抵抗もなく、蛸に酷似した頭部が宙を舞い、ごとりと重々しげに転がった。
残された胴体も、数度ふらついた後に倒れこむ。じわりじわり、血だまりが拡がる。
曲剣の血糊をぬぐって鞘に収め、男は看守のそばにかがみこんだ。
有用品を求めての死体漁りである。生きていくためだ、今更良心の呵責が咎めることもない。
まして化け物となれば、尚更である。
結果、真新しい香料が二つ見つかった。生憎と鍵は見当たらない。
貴族には嗜好品として知られているが、魔術に携わるものは香料を実用品として扱う。
こんな状況下で香料を入手するのは困難である。男は有難く頂いておくことにした。
獄吏専用通路は外まで続いている。看守の現れた角を曲がると、腐臭混じりの風が吹きつけてくる。
それでも猛烈な刺激臭が少しはやわらいだ。
鍵穴もない、大仰なだけの門を押し開けて屋外に出る。
もう一つの牢獄塔に続く道と、枯れ山を開いた広場に通じる石橋の二本に分かれていた。
しばし悩み、橋を渡る。
異様に大きい鼠の屍骸や、牢から脱走した元貴族がそこかしこで蛆を湧かせている。
広場には、からからと回る木製の車輪を括りつけた支柱が幾つも立てられている。
車輪は車輪でも、人を張りつけた処刑器具であった。
両手首と足の甲に鉄釘を打ち込んで緩やかに回転する車輪に固定し、みせしめとして放置していたようだ。
恐怖か苦痛か、歪な表情のまま息絶えている囚人の足元には糞尿と血が撒き散らされている。
もはや性別すら定かではない。頭髪が抜け落ち、肌が裂け、痩せ細っていて、容姿での判別も不可能だ。
黙祷を捧げ、立ち去る。死者のソウルの残滓がたゆたう場所に、長居するものではない。
牢獄塔よりも死者の怨念が強い。どれだけの貴族、王族に連なる者たちが処刑されたのだろう。
まともに葬っているはずもあるまいが、囚人の遺体を一体どこに運んだのだろう。
男の顔が険しくなった。弔われず、主を失って漂うソウルが何を引き起こすのか、想像もつかない。
また、多すぎる腐乱死体は疫病の発生源にもなる。何の処理もせずに放置している訳ではないだろう。
遺体置き場はすぐに見つかった。
よく調べてみると、処刑広場の裏手に煙突のない石造りの炉が造られていた。
夥しい量の白骨が灰に塗れている。
生きたまま焼かれたとおぼしき焼死体も炉のそばに転がっている。
必死で這い出るのが限界だったのだろう。黒く炭化した両脚を千切ろうともがいているうちに力尽きたようだ。
男は沈痛な面持ちで眺めていたが、ふと、遺体の左手の薬指に、すすけた指輪が嵌っていることに気付いた。
しゃがみ込み、慎重に指から抜き取って検める。
男には憶えのある一品であった。
急に胸の奥から焦りが突き上げてくる。
吐き気を催す不快な圧迫感に耐えながら、輝石の光を強め、煤をぬぐって内側を確かめた。
かすれた文字列が読み取れる。
『我が愛すべき友、セラに捧ぐ――アーネスト』
そこには探し人と彼の名が刻まれていた。
かっと目を見開き、遺体に目を走らせる。
彼の知る面影は存在しない。人違いかもしれない。
男、アーネストは、魔術師としてはあるまじき事だが、偶然指輪を拾った他人であることを神に祈った。
だが、誕生祝として彼女に指輪を渡したときの嬉しそうな表情が、他人であることを否定している。
当時の彼は、親友が物陰で残念そうに嘆息していたのを、貴族令嬢だけあって、よりよい逸品を所持しているからだろうと解釈していた。
今なら誤解のしようもない。彼女にとって、自分は親友ではなかったのだろう。
遺体の手に縋り付き、男は肩を震わせて咽び泣いた。
世界は、彼の考えるよりも、ずっと悲劇に満ちていた。
次回
tragedies No.Ⅱ
タコ看守に斬りつける
↓
ひるまないまま衝撃波のモーションに入る
↓
やめておけばいいのに攻撃を続ける
↓
吹っ飛ばされて、起き上がりに衝撃波を重ねられる
↓
逃げればいいのに、起きてすぐ草を食ったせいで避けられない
↓
諦めて神殿にお帰り