//// 9-1:【ヒャッハー!】
ジャン・コルベールは、トリステイン魔法学院に勤めて二十年のベテラン教師である。
学院のものたちは、彼のことを変人だと思っている。彼自身、自分のことをそう思っている。
すこし前までの彼は、学院の奇人変人ランキングで堂々とトップを張っていたのだが、最近その座を奪われた。
現在、文句なしの一位は、ゼロのルイズだ。
彼女のおかげで、コルベールに関して妙な噂が流れている。
いわく、『コルベールは既にゼロのルイズによって殺されていて、彼の幽霊が夜な夜な研究を続けている』
『何かがコルベールに化けている、それは君のすぐうしろにいる―――』
『ふとタンスの隙間を見ると、ほらそこにコルベールが―――』
誰かが冗談交じりにコルベールをネタにして作った怪談は、思いのほか大きな人気を博し、なかば都市伝説化しつつあるという。
それはともあれ、最近のコルベールは、ゼロのルイズと浅からぬ関係を持っている。
教師と生徒との禁じられた関係うんぬんでなく、異世界のアイテムに関する秘密を共有する、共同研究者としての強い絆である。
ただでさえ努力家で頭脳明晰だったゼロのルイズは、始祖の使い魔としてのルーン<ミョズニトニルン>を身に着けてから、ますます思考のはたらきに磨きがかかったようだ。
そんなルイズというパートナーを得たコルベールは、これまでの研究者人生でもっとも充実した生活を送っていた。
コルベールが変人だと呼ばれるのは、通常の貴族がしない発想をするからである。
「ふむ……こんなものだな」
今日も彼は生え際が標準レベルより致命的なほどに後退してしまった額に汗し、発明に取り組んでいる。
それは石を錬金して作った、手のひらほどの大きさの筒だった。
筒の一方にはちいさな穴が開いており、もう片方には取っ手がついている。
さあ、モノは出来た。いざ実験だ。
コルベールが取っ手を押し込むと、中の液体が圧迫される。
内部のからくりが動き、穴から出た霧にむかって火打石が火花を飛ばす。それはゆるやかな種火をつくり―――
ゴウッ―――!!!
……いや、燃え盛る巨大な火炎のかたまりが吐き出される。
筒の内部には燃焼ポーション(Oil Potion)の作成過程から派生した液体が詰め込まれており、これは噴霧器に火打石の機構を取り付けたものだった。
魔法の使えない平民が、手軽に火を起こせるようにするために作った機械。
『通常の貴族がしない発想』とは、平民の生活を向上させる可能性のある技術、そういう類に属するものだ。
この発明が完成すれば、かまどに火をつけるのも手間要らず、ゴミを燃やすのも手間いらず。タバコに火をつけるのにも使えるだろう。
火のメイジが片手間でやるように、菓子に焼き目をつけるなんてことも―――
しかし、コルベールが『着火・ザ・ヘビ君』と名づけようと考えていたそれは、平民が扱うにはあまりに高威力すぎた。
ただでさえ火花ひとつで業火をあげる燃焼ポーションの派生物、濃縮され霧化されて空気とよく混ざり合ったそれの破壊力は並ではなかった。
結果、標的の砂糖を乗せた菓子(ブリュレ)はあわれ真っ白な灰となり、石は赤熱化しもうもうと蒸気をあげ、地面は熱で真っ白になった。
あたりには、ゆらめく陽炎がたっている。
コルベールはこの日、図らずもハルケギニア版火炎放射器の発明家となっていた。
はるかはるか遠い未来の世紀末、いかしたモヒカン頭の荒くれ清掃員たちが、尊敬する歴史上の人物のトップに彼の名を上げるにちがいない。
実験を見学していたルイズは大喜びで『素敵! インフェルノ(Inferno)だわ!!』と叫んだが、コルベールには意味がわからなかった。
通りすがりの火のメイジ、キュルケもその威力を見て目をまんまるにし、『まあ情熱的ですこと』とすこし頬を染めていたが、コルベールは気づかなかった。
「破壊だけが……火の見せ場では、あんまりない……たぶん!!」
やはり火は破壊の途にしか使えないのだろうか、とコルベールは、やけどの治療のためのヒーリング・ポーションを、涙と悔しさとともに飲みくだす。
ともかく、彼が炎の平和利用を考えに考えつくしたあげく凶悪な兵器を作り出しルイズが大喜びするという悪循環は、今後もまだまだ続くであろう。
//// 9-2:【俺が……疾風だ!】
疾風のギトーもまた勤務歴の長い教師である。
学院でも数少ないスクウェアメイジというだけあって、そこだけ見ればもうすこし尊敬されてもよいはずなのだが……
生徒でも教師でも使用人でも、彼のことを嫌うものは多い。
なぜなら彼は口が悪く、退かず媚びず省みず、さらには自重しない……ようにしか見えないからである。
彼は『風こそが最強だ』とは語るが、殆どの教え子が、その真意に気づかないままに彼を内心バカにしたまま卒業してゆく。
彼が幾度『風は最強』だと語っても、『俺は最強』と言ったことが一度もないことに気づいて彼を本気で尊敬したのは、ルイズやタバサくらいであろう。
「遅いっ、遅すぎる! もっと速くなれ!」とギトー。
「うーっ!」とルイズ。
「だあーっ!!」とギーシュ。
「……っ」とタバサ。
ある日の放課後、四人は魔法学院の外周をぐるりぐるぐると走り回っていた。
「もっと筋力をつけろ! さもなくばそよ風ひとつで吹き飛んでしまうぞ! 君たちは吹けば飛ぶようなチェスの駒かあ! 違うだろうが!」
「うーっ! うーっ!!」
「あだっしゃあーっ!!」
「……っ!!」
マントをはずし動きやすい格好に着替えているルイズとギーシュ、そしてタバサ。
三人の生徒は、顔を真っ赤にして汗をだらだらと流しながら、がむしゃらにギトーを追いかけている。
疾風の二つ名は伊達ではなく、彼の足は速く、熱い掛け声に反して涼しい顔で汗ひとつかいていない。動きづらそうなローブですいすいと走る走る。
地獄の全力疾走耐久マラソン―――
ふと思うところのあったルイズがギーシュと二人で戦闘訓練をしようとしたところ、こうなったのだ。
ちなみにどうしてこうなったのかは、もはやこの四人のうち誰も覚えていない。
ギトーは学内変人ランキングで三位をキープしている。それもコルベールと同様、通常の貴族の持っていない発想をもち、堂々と実行に移すからだ。
たとえば、メイジが足の速さを鍛える、だとか。疾きこと風のごとし、風の魔法補助は累乗だ、だから鍛えれば鍛えるほど速くなる、だとか。
「……このように、風の魔法を使って呼吸を補助する方法もある、制御が難しくて君たちにはまだ無理だろうが、覚えておきたまえ」
「うっうーっ!」
「だばあーっ!!」
「……っ!!」
ルイズもギーシュも、小柄なタバサも、よく遅れずに走りつづけている。ただしそれも、しばらくたって『スタミナ・ポーション』の効果が切れるまでだった。
「うあっ、あっ、あっ……」
「だばばばば……」
「……はっ、……はっ」
「お゙うっ……」
四人は―――それまで涼しい顔をしていたはずのギトーまでも―――そろって倒れ付し、草の上にごろごろとねっころがった。
『スタミナ・ポーション』は一定時間スタミナが減らなくなるのだが、もともとあまり鍛えていない筋肉で限界以上に走れば、当然のようにこうなる。
サンクチュアリの冒険者たちにこのポーションが常用されているのは、きっと皆このくらい走っても潰れないほどに鍛えている化け物ぞろいだからに違いない。
「お前……たち、頑張ったな……それにしても……これ……は、効く……なかなか……よい……ポーション……じゃないか、……気に……入ったぞ」
息も絶え絶えにギトーは言った。どうやら自分を限界以上に鍛えることのできる可能性に目覚めたらしい。
涼しい顔をしている裏では彼自身も限界だったのだ。いかなるときも風のように涼しくあれ、という信条をクソ真面目に実践しているのであろう。
「……っく、こ、光栄……ですわ」
ルイズが言った。汗だくで仰向けに倒れ付し、手足をぐったりと投げ出し、ほつれた長い髪の一端が薄く開いた口のなかに入っており、汗で濡れた服に透けてささやかな双丘が呼吸で上下するさまは、なかなかにエロティックだ。
もっとも、今ここにいる男性陣二人にそれを堪能する余力のあろうはずもなかったが。
このとき偶然通りかかり、ルイズの艶(あで)姿を目撃した少年―――風上のマリコルヌが全身を雷に貫かれたような衝撃をうけ、何かに目覚めつつあったが、それはまた別の話だ。
ギーシュは顔面から突っ伏して不恰好にお尻だけを天に突き上げており、タバサだけは多少余裕があるのか、しばらくして身を起こした。
間違いなく、翌日の彼女たちはひどい筋肉痛にさいなまれるであろう。
このとき生徒三人が内心で思っていることはただひとつ。
―――『どうしてこうなった』である。
「お疲れ様ですミナサン、さあ吸血のお時間デスヨ」
シエスタが人数分のタオルと回復ポーションを持ってきた。このビンに入った赤い液体を、彼女は人間の血液だと思い込んでいる。
だから血じゃないってば、とルイズが言っても、どこか心のネジの抜けてしまったメイドは、ただ寂しそうに首を横に振るだけだ。
―――『はいわかってます何も聞きませんからミス・ロングビルがどこに消えたのかなんて興味もありませんし』とぶつぶつつぶやきながら。
「あんたたち、よくがんばるわね……」
最近シエスタと友誼をむすんでいる、モンモランシーが呆れ顔をしつつもやってきた。
彼女はルイズとギーシュを見張るために、シエスタを救うために、内心の恐怖をおさえつつ、たまにギーシュについて幽霊屋敷へとやってくるようになっていた。
あの茶会のあとからモンモランシーとシエスタは、キュルケとタバサの協力を取り付けることに成功していた。
『ルイズとギーシュを二人きりにしない』ために、今回ギトーを言葉巧みに焚きつけたのは、実のところ協力要請を受けたキュルケだった。
なので、いまだにぐったりとしている青春の少年少女三人の疑問、『どうしてこうなった』の原因は、元をたどればモンモランシーたちなのだが……
方法はともかく、モンモランシーは一定の安心感を得られているようで、それは良いことなのかもしれない。
ただ、こうして同じ苦難を乗り越えることによって、ルイズとギーシュとの間にさらなる深い連帯感が生まれつつあるのだが―――彼女は知らない。
さて―――
いちはやくギトーが復活し、課外授業を再開しようとする。
「古来、風という言葉は目に見えぬものを象徴する用途で使われる……そう、次に君たちに教えることは―――風の特性のひとつ『空気を読む』ということだ!」
誰もが内心で突っ込みを入れざるを得なかった―――あなたが、あなたがそれをっ!!
//// 9-3:【ルイズさんとお姉さんよ】
ある日、『幽霊屋敷』へと、ひとりの復讐に燃える修羅がやってきた。
「ちびルイズ! 出てきなさい!!」
彼女は拳をにぎり、足をわななかせ、物置小屋の扉の横にかかったヴァリエール家の紋章を苦々しげに睨みつける。
「はやく出てきなさい! ちびルイズはいつから姉がやってきても挨拶のひとつもしない生意気な子になったのかしら!!」
顔面を真っ赤にして、ブロンドの髪を逆立てんばかりにふりみだし、扉の前で叫んでいる。火のメイジでもないのに、背後に炎のオーラが浮かぶようだ。
扉を開けて乗り込もうとしないのは、以前の来訪時にひっかかったようなワナを警戒しているのだろう。
「ねえルイズ、どうすんのよあれ……」
「……困ったわね、今ちょっと手が離せないのよ」
キュルケが眉をひそめ、暗にルイズへと『出て行ったらどう?』と促すのだが。
ルイズは口で言うほど困ったような表情はしておらず、キューブをかちゃかちゃといじくることに集中しているようだ。膝だけが、ふるふると震えている。
『そこのメイド、ちょっと中に入ってルイズを引っ張り出してきて頂戴!』
『ひええっ!! どうかご容赦を……アアソンナ殺生な』
『何よ!? この平民は貴族に逆らうつもり?』
『アワワ、り、リョウカイシマシタ!! ……ハイ、逝ッテキマス!!』
とうとう、外からはメイドの悲鳴が聞こえてきた。キュルケは呆れる。
たとえシエスタに促されても、ルイズは動かないだろう。両者の間で板ばさみになって泣くシエスタが目に浮かぶ。
姉を苦手としているルイズの会いたくないという気持ちは、外からひっきりなしにつづく怒鳴り声にうんざりしつつあるキュルケにも充分に理解できるのだが……
―――これはちょっと、シエスタが可哀想すぎるのではないか。
良心のうずきに耐えられなくなったキュルケが、ルイズの首根っこを掴もうとしたとき……
「よし、できた!」
ルイズは唐突にひょいっと立ち上がり、「ん、ちょっと出てくるわ」と言った。
良かった、とキュルケはほっと胸を撫で下ろす―――よかった、この娘にも、まだ人としての心が残っていたか。
(……あれ? ルイズ、そっちは……)
だが、それもつかの間。
ルイズはキューブを片付け、杖やポーションを身につけ、宝石のついた皮製のベストを着込み、けっこうな重装備を整え、扉とは反対側へと向かい始めたのだ。
冷や汗を流すキュルケに向かって手を合わせて頭をさげると、がらっと窓を開け、ひらりと裏庭へ飛び降りる。
「ねえ、ちょっとルイズ、何処行くのよ!」
ルイズは目を泳がせながら、窓越しにキュルケへと手を振り、言った。
「ガリアよ。たぶん夕食までには戻るから、よろしくね」
キュルケが慌てて窓へと駆け寄ると、いったいどんな魔法を使ったのか―――すでに裏庭に、ルイズの姿は無かった。
そこにはただ、ちいさな青白い篝火のたかれた魔法陣があるのみ。
―――なんてこと、逃げやがった!!
キュルケはしばし呆然と、人の居なくなった裏庭を眺めていた。
「……失礼します、ミス・ツェルプストー 、あの……」
背後から声がきこえたが、キュルケは振り返ることができなかった―――『ブリミル(畜生)』!!
胸のうちに、抑えきれないものが満ちる。振り返ることはできない。たぶん振り返ってこの娘の顔をみたとたん、それが目から溢れてしまうだろうから。
「あの……み、みす……ヴぁりえーるは……えと、ど、ど、どちらに、いらっしゃるので……しょうか……」
「シエスタ!」
キュルケはとうとう耐え切れなくなった。シエスタの顔を見ないように振り返り、がばっと抱きしめた。
鬼、悪魔、情け容赦ゼロのルイズ……貴族の誇りはどうしたの! 怒りと悲しみを胸に秘め、キュルケはこの辛さを乗り切らなければならない。
腕の中でシエスタがびくっ、と震えたのが解った。キュルケは静かに語る。
「シエスタ、お願い……あなたはいい娘だわ、どうか気をしっかりもって、きいて頂戴ね」
返事は無いが、キュルケは心を鬼にして、事実を伝えなければならない。
「ルイズは、逃げたわ」
その一言を聞いたとたん、哀れなメイドの体から、力が抜けた。
キュルケは彼女が倒れないよう、しっかりと抱きしめる腕に力をこめて支えた。
「―――ミス・ツェルプストー」
やがて、シエスタが口をひらく。それは蚊の鳴くような、絶望に満ち溢れた、ひどく弱よわしい声だった。
「ミス・ツェルプストー……わたし、チョウチョになるんです、おそらをとんでとんでまわって」
キュルケは泣いた。
やがてタバサが現れ、彼女がルイズをガリアの山奥からわざわざ連れ戻してくれたとき、キュルケは諸手をあげて歓迎し、心底この寡黙な親友に感謝したものだ。
因果応報、白髪の少女は姉からのハイパー説教タイムに晒され、一日寝込む羽目になったという。
その後、キュルケから事情を聞いたゼロのルイズはぎこちないながらも、平民のメイドにできるかぎり優しく接するようになったとか。
不自然に優しくなった『幽霊屋敷』の主の行動にシエスタがますます恐怖するようになったあたり、善意というものはなかなか報われないものである。
////9-4:【何かが目覚メタ】
赤い髪の美女、キュルケは疲れ果てた表情で、とぼとぼと寮への帰り道を歩いていた。
シエスタをなだめ、憤怒の表情のエレオノールを愛想笑いでもてなし、必死にフォローをし、タバサによってルイズが連れ戻されるまでなんとか耐えた。
『ち・び・ルイズ! この! 姉・を! 何だと思って!!』
『ふぇぇえ、ほへふははい! ほっぺひだああい、ほへはひひふ』
―――自分は良くやった、と思う。『幽霊屋敷』から聞こえる怒鳴り声と泣き声なんて、もう聞こえない。
最近は忘れていたが、ツェルプストーとヴァリエールは宿敵同士だったはずだ、何であたしがヴァリエールのことでこんな理不尽な苦労しなければならないのだろうか。
思い返せば、ふつふつと怒りがこみあげてくる。
ルイズからは指輪をもらったり、いろいろと楽しい思いもさせてもらっているが……ちょっとあの苦労は割に合わなかったわね、とも思う。
憎きヴァリエールの血筋め、本当に困ったやつらだ―――まあそこが可愛いところですけれど、とため息をついた。
問題を先延ばしにせず、今日の話し合いですっぱりと解決してもらわないと、またさっきみたいなことが起きるはずだ。
まあ、ルイズはエレオノールとのいざこざを片付け、シエスタにもっと気を使ってくれれば、あたしも今日のことは水に流しましょう。
ルイズはきちんと話せば解る子だ、とキュルケは理解している。
どうかこの願いが始祖に届きますように、とキュルケは祈った。
(……あれ、今のは……)
『幽霊屋敷』を遠くのぞむ植え込みの影で、何かが動いた。人影だ。
「あなた……そこで何してるの?」
「おや、こんばんは、君は、ミス・ツェルプストー」
風上のマリコルヌ、トリステイン魔法学院の男子生徒のひとりだ。
ぽっちゃり系の、あまり女性にもてないタイプの顔と体型をしたクラスメイトである。
どうやら植え込みの影にはいつくばって、『幽霊屋敷』をずっと眺めていたようだ。
「んー……僕かい? ぼ、僕はね……そうさ、聞いて驚かないでくれよミス、ああ、……そ、そうだね、ひとことで言い表すなら」
―――あっ、これはまずい。
最近めきめきと鍛えられつつある、キュルケの苦労人センサーが警告を発する―――それはもうびきびきとレッドゾーンを振り切って。
少年の前に、なにやら魔法陣とロウソクを飾られたちいさな祭壇のようなものが見え、それが確信となるまでは、ものの一秒とかからなかった。
「―――かかか、歓喜!!!」
両手をがばっと広げ、彼は言った。意味も無く、マントがバアーッとひるがえった。
キュルケは背筋が凍った。
「ぼくは礼拝をしているんだ……波動パワーをね、吸収しているのさ、ここまで近づけば君も感じるだろう、ああ! あの高貴なる屋敷から発せられる神秘と苦痛の」
数秒のうちに、キュルケはマリコルヌの話を理解することを放棄した。
「ゼロのルイズ、いるだろ、最近彼女が僕のことをね、み、見るんだ、豚を見るような冷たい目で、みんな解ってない、恐怖せよ、それは愛なんだ、僕はたっぷりと豚に変わる呪いをかけてもらってそれは僕と彼女との、そう絆なのさ実のところ毎晩毎晩彼女は僕の夢にあの美しさをもって降臨して下さるんだぼくは踏まれ蹴られ罵られてぶひいぶひいと」
―――逃げようか。
「彼女は前世において僕の上司、絶対君主、そう素晴らしき夜の女王だったんだ僕は薄汚い犬のようにこきつかわれて……くうっ、もう疼きだしたか、静まれ僕の」
「『ファイアー・ボール』!!!!」
「ぶぎゃっ!!」
キュルケは魔法を撃った。彼女はとても優しかったので、それはもうたくさんの祈りを込めて撃った。
少年は顔をすすで汚し、全身から煙をあげながら、「ありがとうミス、君のおかげで(聴取不能)が治まった」と丁寧に礼を述べた。
キュルケが立ち去ったあとも、彼はまだ虚空にむかってぶつぶつとなにかを語っているようだった。
キュルケは思う。あれは思春期にありがちな妄想のたぐいだ、きっといつか正常な思考に戻ってこのときのことを思い出し恥ずかしさに悶えるにちがいない、そうであって欲しい。
いろいろと手遅れになる前に。
キュルケは始祖へと、彼の心の健康を祈った。
早く帰って泥のように眠りたい、と彼女は疲れた心と体をひきずって、自分の部屋をめざした。
―――かの少年がやがて狂信(Fanaticism)オーラに開眼し、『トリステイン軍にこの人あり』と呼ばれる傑物になる―――かもしれないが、この物語にはまったく関係のない話である。
////9-5:【穴があったら】
―――ルイズはひたすらに反省していた。
『幽霊屋敷』の裏、ゴーレムに穴を掘らせてそこにすっぽりと入り、首だけ出して埋まりながら。
そこにルイズの友人、青銅のギーシュが、恋人のモンモランシーを連れてやってきた。裏庭まで来て、穴に埋まっているルイズを発見し、二人して目を丸くした。
「ルイズ、君はいつも僕の理解を超えたことをしているけれど……今日はいったい、何の修行をしているんだい?」
この状況で『誰にやられたのか』と尋ねないあたり、このギーシュという少年はルイズのことをとてもよく理解しているようだ。
「……ごめんギーシュ、ちょっと今、自己嫌悪にひたっているのよ」
ルイズはそっと目を伏せた。
ふふっ、と自嘲気味に笑うその顔のすぐそばを、のそのそとダンゴムシが通りすぎていった。
普段は薄暗くしめっぽいが、昼すぎのこの時間帯に限って、『幽霊屋敷』の裏庭にもぽかぽかとお日様が降り注いでいる。
「そんな訳で、なにか私に用事があるのなら……明日にして頂戴……ごめんなさいね」
ちいさな陽だまりのなか、土から首だけ出して埋まっている白髪の少女。口にする言葉はいちいち弱々しくしおらしい。
(……シュールだわ)
モンモランシーはまんまるに目をひらいたまま、目にうつる光景を、内心でそう評した。
最近親しくなりつつあるゲルマニアからの留学生、キュルケのよく言う『退屈しない』というのは、なるほどこういうことだったのか、といたく感心しつつ。
「なにか悩み事があるのかい、相手が僕たちでよければ、話してみないか」
ちょっとギーシュ、よしてよ、愚痴なんてききたくないわ、とモンモランシーは思う。
だが、ルイズはふるふると首を振った。白い髪の毛が、地面に箒で掃いたような模様をつくった。
「もう解決しているわ、姉さまたちに心配をかけて、それに気づかなかった自分が、とても嫌で、辛い……それだけなの」
一昨日、ルイズとエレオノールは、それはもうたっぷりと時間をかけて話し合った。
最初は、押しの強いエレオノール、ひたすら守りを固めるルイズ、二人の話し合いはひたすらに平行線だった。
かたくななルイズの態度を崩したのは、『カトレアがルイズの噂を聞けば、必ず心配する』とのエレオノールの一言だった。
カトレアはルイズが心から敬愛している、病弱な姉である。
彼女がルイズに関する怪しげな噂を耳にすれば……病状が悪化することもありうる。
ルイズと似て人付き合いの不器用な姉エレオノールも、マジックアイテムのことはさておき、ルイズのことを心配していたのは本当だった。
きつい言葉の端々からその優しさがルイズへと伝わったのは、一種の奇跡に近いものであった。
こうと決めれば一直線―――いつしか周りのことが見えなくなっていたルイズは、そのことに気づかされ、それはそれは衝撃をうけた。
ルイズの『どんな噂が流れても、私は変わっていないから、今はどうか黙って見守っていてほしい』との真剣な説得が姉へと届いたのも、奇跡に近いことだろう。
エレオノールは大きくため息をつき、すこし微笑んで、『強くなったわね』とルイズの頭を撫でた。
―――ああ、こんなに真っ白になっちゃって、何があったのよ、髪の毛、痛んでるんじゃない、ひどく無理してるんでしょう。
このエレオノールにも、血反吐をはく勢いで勉強してアカデミーで今の地位を築き上げた過去があり、家族を心配させた経験がある。それを思い出し、彼女も冷静になったのだ。
話し合いののち、ルイズの秘匿された研究を価値のあるものだと認め、姉はしぶしぶながらも許可を出したという。
姉の心中には、ルイズがカトレアでなく自分に抱きついて泣いて甘えて来たのは、はて何年ぶりだったか、との思いもあった。
このとき姉妹のあいだにどんな約束が交わされたのかは、二人だけの秘密である。
姉が帰ったあと、しばらくぼうっとしていたルイズ。
じっと自分と家族とのことを考えた。ひたすらに、どうすればよいかを考えた。
貴族は誇りのために自分の身を惜しまないものだ、そうすればときに家族を悲しませることになる。
自分が正しいと思ったことをつらぬき通せば、それで傷つくひとも出る。
難問だった。
そんな悩みではちきれそうな状態で、日課である瞑想中に<存在の偉大なる環>にアクセスした―――それがいけなかった。
彼女の内面はさらに不安定になり、あやうく人として踏み越えてはならない線の向こうへと、引きずり込まれそうになった。
かすかな光でさえ目にまぶしく、異様なほどに喉が渇き、水をがぶがぶと飲みたくなる欲求を必死でこらえた。
一日中カーテンを閉め切り、暗い部屋の中にこもり、無理を押して眠り、どうにか元の体調へと復帰した。
ようやく起き出して、気づけばゴーレムで庭に穴を掘っていた。
埋まった。
それが、今回の顛末だ。
「……なにやら大変そうだね、ルイズ。ところで、どうやってそこから出るつもりなんだい」
「出たくなったら考えるわ」
あとは何をたずねてもルイズは目をつぶり、うんともすんとも言わない。
そんな埋まったままのルイズを残し、『幽霊屋敷』を辞した二人。
ルイズの住居が見えなくなるほどに遠ざかったころ、それまでずっと黙っていたモンモランシーがとつぜん足をもつれさせ、壁に背をあずけ震え始めた。
「ど、どうしたんだいモンモランシー! 大丈夫、どこか痛くしたのかい」
「……う、う、ううう」
心配したギーシュが顔を覗き込むと、モンモランシーはぷるぷると震え、呼吸のリズムが乱れ、目の端には涙がにじんでいる。
「ご、ごめん、な、何なのよアレ……ああ、だめ、ぜひいぜひい、……だめ、おかしくて、ルイズ……!!」
どうやら、ルイズの行動が、モンモランシーの笑いのツボをいたく刺激したようであった。彼女はずっと笑いをこらえていたのだ。
モンモランシーは腹を抱えて、その後しばらくの間、息も絶え絶えになるほど笑い続けた。
ギーシュはやれやれと肩をすくめつつも微笑んで、そっと彼女の背中をさすって、呼吸しやすいようにしてやるのだった。
////9-6:【さよならシエスタ】
トリステイン魔法学院、コック長のマルトーは、食堂や厨房担当の人員を統括する立場にいる。
口は悪く気難しいが、面倒見がよく、皆には慕われている「おやっさん」だった。
「……畜生っ……俺のせいだ」
平民である彼の立場で、貴族の命令には逆らうことができない。
だが彼は、ただ貴族のせいにするだけでなく、何の手助けもしてやれなかった俺が悪い、と自分を責めていた。
自分を父のように慕ってくれたあの不憫な娘、誰もがいやがる仕事を押し付けられ、陰では『生け贄』なんて呼ばれていた。
彼女がここまで追い詰められ、こんな結果になる前に、なんとかしてやれればよかったのに。
ある日とつぜん、彼女はいなくなってしまった。何をしてももう無駄、手遅れだった。
きっかけはそう―――ゼロのルイズ。誰かが、あの恐ろしくも憎たらしい白髪のガキの世話をしてやらなければならなかった。
シエスタが断れば、他の誰かを無理やり、あの『幽霊屋敷』へと送らなければならなかった。
なのに使用人の誰もが結託し、やりたくない、あの薄気味悪い小屋に近づくくらいなら仕事をやめてやる、と言った。
困ったマルトーは、彼女に尋ねた。大丈夫か、と。がんばります、と答えがかえってきた。
あの誠実な娘は、白髪のバケモノを怖がりつつも、必死に恐怖を押し殺し、しっかりと仕事をしていた。
なのでマルトーは、シエスタがそこまで思いつめていたことなど知らなかった。
―――俺を含めた、皆があの娘を追い詰めたんだ。
マルトーは涙を浮かべていた。
そんな嘆きの声がこだまする厨房に、学院に蔓延する恐怖の元凶、ゼロのルイズが現れた。
「なんだよ」
知らずのうちにマルトーの言葉はきつくなる。
「俺の厨房に、『幽霊屋敷』のご主人さまが何の用で……あいにく人間の肉の調理は受け付けていませんぜ」
ゼロのルイズがこうやってマルトーと直接会うのは珍しい―――ときおりこの厨房に、ネズミ捕りにかかったネズミを貰いにきているという話だが。
マルトーは顔を上げ、学院の生徒、および使用人たちの間でもっとも怖れられている少女を、はじめてじっくりと間近で見た。
生きているのか、死んでいるのか区別がつかないほどに、ゼロのルイズの顔色は悪い。
髪の毛は白く、よれよれだ。
瞳孔が不必要なほどに開いている―――ぞくっ、背筋にぶつぶつと鳥肌が立つ……なるほど、確かにこれは恐ろしい。
「ごめんください」
意外なほどの低姿勢。ゼロのルイズはマルトーに向かって、丁寧に礼をした。
「料理長のマルトー殿ですね、私の今後の食事について、どうか相談に乗っていただけませんか」
あっけにとられるマルトーだが、しだいに不機嫌になる。
このガキも、俺の料理に文句をつけようってのか。
貴族どもは豪華さと量、こってりした味付けばかりにこだわり、素材のよさや繊細な味付けなんぞ歯牙にもかけねえ。
おまけにろくに味わいもせず、わざわざ作らせた料理をたっぷりと残しやがる。だから貴族なんてのは―――
「お願いします、真剣な話なのです」
異様な雰囲気に気おされつつ、マルトーはとりあえず話をきいてやることにした。
こいつはシエスタを追い詰めた憎き相手だが、貴族がここまで低姿勢で来るのであれば、無下に断ることなどできない。
こいつもこいつで、なにかの必要に駆られて話をしにきているのだろう。
椅子をすすめ、茶をだしてやる―――テーブルにカップを置き、そそくさと離れる。
何を隠そう、マルトーも噂を恐れるものの一人だ。
無愛想な表情とうらはらに、テーブルをはさんで出口のそば、ゼロのルイズとかなり距離をとり、いつでも逃げられるようにしている。
さあ、何を言い出すのか―――
「なに、肉が?」
「はい」
話を聞いて、マルトーの目は丸くなる。
「牛肉も、鶏肉もダメなのか、羊も」
「はい」
「どうしてだ、俺の味付けが悪いのか」
「いいえ、すこし前までは、とても美味しく食べていられたんです」
マルトーは、この少女が噂されているほどにおかしな存在なのだろうか、と疑問に思った。
椅子にちょこんとこしかけ、『肉が食べられなくなった』とうつむきながら寂しそうに語るさまは、どこにでもいるような少女にしか見えない。
いつのまにか、マルトーの話し方は、少女に話しかける大人のものとなっていた。
「あれか、……やっぱり、……その、人間の肉とか喰うのか」
「そんなことはありません」
「じゃ血を飲むのか」
「違います」
ルイズは、シエスタが薬のことを血液だと勘違いしており、困っているという事情を正直に語った。
―――肉が食えない、血も飲まない? マルトーは半信半疑に話を続ける。
「お前さんは何を食って生きてるんだ、やっぱりネズミなのか、それとももう死んでるのか」
「……パンと野菜、果物を頂ければ生きられます」
「本当に果物を食うのか」
「食います」
「本当に本当か」
マルトーは長い竿(さお)を取り出して、その先にちいさく切った果物をひとつつけて、おそるおそるルイズへと差し出した。
まるで猛獣に餌付けする飼育係だ、ルイズは少し腹を立てたようだが、やがて意を決し少し頬をそめて口をひらき、あむっもぐもぐ、とそれを食べた。
「おお、食った、本当みたいだな」
今の行為に何の意味があったのかルイズには理解できないが、マルトーは納得したようだった。
嬉々として次の切れ端を竿の先へとつけ、無愛想におそるおそるルイズの口もとへと差し出す。ルイズが口をあけ、それをもぐもぐと食べる。うんうん、と真剣そうに頷くマルトー。
ときどき、卵を食べるとじんましんが出る人など、特定の食べ物に拒否反応を示すケースがある。
料理を長年続けているマルトーは、幸いなことにそういった例をいくつか知っていた。つまり、理解があるといってもよい。
これもその類か、それともただの好き嫌いなのか。貴族に頼まれて断ることはできないが、ここから先は彼のプライドの問題だ。
返答いかんで、料理にかける意気込みがだいぶん異なってくる。
「肉を食ったらどうなるんだ」
「……体が、苦しくなるんです、うまく形容できませんが、こう、ぞわぞわ、と」
マルトーは、ルイズが『苦しくとも今まで残さず食べていたが、そろそろ限界が近くなってきた』と言うのを聞いて、決心した。
「よし、これからは肉を使わないメニューを出せばいいんだな」
「はい、お願いしますわ」
やっと話がまとまった。
マルトーは仏頂面で、皿の上に残った果物をふたたび竿の先につけ、おそるおそるルイズへと伸ばす。
ルイズは内心いつまでこれを続ければよいのかとうんざりしつつも、美味しいのでまあいいかと思い、あーんと口をひらいた―――
「……な、何してんの」
いつのまにか、厨房の入り口に、モンモランシーが立っていた。
「……ぷっ、……ルイズ、……それは……ごめん……うぷぷっ」
「ちょっと、笑わないでよ」
モンモランシーに笑われ、ルイズは真っ赤になって怒った。
「あはは、だめ……なんであなたってこう……うぐぐぷぷっ」
「なによモンモランシー、そんなに笑わなくても」
「だってあなた、おかしいわ……こないだはほら、首まで埋まって……うくくっ」
どうやら、彼女はあのときの光景を思い出すたびに笑いの発作に襲われるらしい。
それ以来モンモランシーはルイズの行動のひとつひとつに注意を払っており、笑いのツボを見つけ出しては、部屋に帰って一人で笑いころげる生活を送っている。
ルイズ本人に隠れては、キュルケと二人で『ルイズのここが可愛い』とか『ルイズがこんなおかしなことを』という話に花をさかせる楽しみも出来た。
むやみやたらに怖がるよりは、ずっと生産的であることは確かなのだが……
ともかく今は、モンモランシーが腹筋崩壊から復活するまで、ルイズとマルトーはしばらく待つほかなかった。
「ぜえひい……そう、ルイズ、マルトーさん……シエスタのことなんだけど……ひっく」
先ほど、モンモランシーの部屋にシエスタがやってきて、『お別れに来ました』と言ったのだ。
シエスタは、異常なほどに上機嫌だった。
どうしたのか、と尋ねると、『わたしのことを不憫に思ってくださった貴族様が、わたしをスカウトして下さったのです』と告げた。
これで幽霊屋敷に行かなくてもすむ。
今死ぬか明日死ぬか知れぬ命を永らえる希望ができた。
あの貴族様は命の恩人だ。
いまよりずっと給料もいい。
きれいなおべべもきせてもらえる。
おいしいおかしがございます。
おちゃもわかしてございます。
へえ、よかったじゃない、あなたの頑張りが認められたのね、とモンモランシーは喜んだ。
はい、ミス・モンモランシ。ありがとうございます、今まで頑張ってこれたのは、あなたのおかげです。
でもシエスタ、あなた普段からそんな頻繁に命の危険を感じていたの? 私も最近あの物置小屋に良く行くんだけど、そんなことないわよ。
モンモランシーの疑問に、シエスタは目にじんわりと涙を浮かべ、答えた。
「樽が」
「へ……樽?」
「樽が置いてあるんです、こう、ずらっと」
『幽霊屋敷』の横には、いくつかの樽(Barrel)が並べて置かれている。
ゼロのルイズはシエスタに、この樽を蹴り壊せば爆発する、危ないので絶対に蹴り壊すな―――と言ったそうだ。
『いい? 絶対に蹴り壊してはダメよ、絶対に……』
シエスタはぐっと唇をかみ、ひざの上でぎゅっと両手を握り、ぶるぶると震え―――
「そんなこと……そんなこと言われたら……蹴り壊したく……なっちゃうじゃないですか!」
ないですか―――
ですか―――
か―――
――
モンモランシーは至極冷静に「あなたが居なくなると、寂しくなるわね」とにこやかな笑顔で友人を送り出すことにした。
「そのうち手紙を書くわ……なんて名前の貴族の方なの?」
「モット伯爵、というたいへん素晴らしい始祖のお使いのようなお方です、後光がさしておりました、わたしは手を合わせ毎日拝みます」
シエスタはそれはもう嬉々として学院を去り、その貴族のもとへと向かっていった。
学院の使用人一同は、はちきれんばかりの笑顔で去ってゆく元同僚を、滂沱たる涙を流して見送った。
「可愛がってもらってね」
「しっかりご奉仕するのよ」
「なにがあっても強く生きて」
様子がおかしい。見送りに参加していたモンモランシーはひたすら冷静に周囲の状況を見てそう判断する。
モット伯、聞き覚えのある名前だった……どんな人だったか、とモンモランシーは首をひねり―――
非常に女癖が悪く、うら若きメイドを囲って手をつける趣味がある男だ、と思い出したのが、たった今。
さんざん遊ばれたあげく捨てられた女性使用人は数知れず、との噂。
シエスタはとうとうそんな貴族に捕まってしまったのだ―――好色貴族を救世主だと信じて疑わないまま。
真っ青になったモンモランシーは、聞き違いであってほしい、まずはマルトーに事実を確認しようと、厨房まで来た。
そこで不思議生物のごときルイズを発見した、という次第(しだい)だった。
////9-7:【お金で買えないものもある】
人ひとりの価値を金額で表すことができるか……<神の頭脳>にとっても難問だ。
世の中には傭兵という職業があり、腕のたち具合によって命に金額をつけられるらしいが。
今回は顔の知れたトリステイン貴族の問題なので、力技は使えない。誰もが意外に思ったが、ルイズは慎重だった。
「シエスタのおっぱいって幾ら?」
「……けっこう大きいわよね、あたしほどじゃないけど」
ああでもないこうでもないと議論がなされている。
あまり金持ちという訳でもないモンモランシーとタバサ、ギトーとコルベールは、少しのカンパしかできなかった。
主力はルイズ、ギーシュ、そしてキュルケの三人だった。
集まった金貨の袋を手に、モンモランシーとルイズが皆を代表し、モット伯の屋敷へと乗り込んだ。
「いくら金を積まれても、返すことはできん」
と、彼はがんとして首を縦に振らなかった。
「今わしの興味を引いている彼女は、世界にたった一人しかおらんではないか……つりあう物を持ってくれば、考えんでもない」
再びルイズたちは集い、こんどはそれぞれ物品を持ち寄る。
「キュルケ、何かないの? ……モット伯の心を動かすようなアイテム、たとえば異世界から召喚されたものとか」
「……このヒスイでできたヘンテコなフィギュアくらいかしら」
「なにそれ」
「知らないわ……うちの家宝らしいけど、召喚の儀で呼び出されたことには間違いないらしいのよ、いったい何の役にたつんだか」
キュルケが持ってきたのは、ルイズの額のルーンに反応のない、小さな彫像。
本当に異世界から召喚されたものなのかどうかすら、ルイズにも判断がつかない。
「キュルケ本人が行けばいいのに、おっぱいでかいし」
「あら、ルイズってば……ゲルマニア女は嫌われているのではなくて? まあ落とす自身はあるけど、そういうのは私も嫌よ」
ルイズは自分の宝箱(Private Stash)から宝石や指輪、アミュレット(護符)をいくつも取り出し、持ってきている。
「なによ、たっぷり有るんじゃない」
「……これのどれかでシエスタを手放してくれたらいいけど」
ルイズは不安だった。これらのアイテムの価値は今のところルイズにしかわからない。説明して納得してもらえるかどうか、判断がつかない。
価値が認められたとして、相手は王宮の役人なのである、うまくやりこめられ、ひとつ取られれば芋づる式に奪い取られかねない。
もし神秘の技が露見すれば―――ルイズは破滅しかねないのだ。
なにを捨ててでもシエスタの操を取るか、自分の身の破滅の危険の回避を取るか……先日の<難問>が頭を悩ます。
ルイズは責任を感じている。マルトーも言っていたが、もとはといえばシエスタがルイズのことを怖がっていたのが原因なのだ。
いつになく弱気なルイズ、呪いや毒などの力技を使わないもう一つの理由は―――もしシエスタが帰ることを拒んだらどうしよう、という恐怖だった。
「タバサ、それは何?」
「わたしの宝物」
タバサが差し出したのは、両の手のひらに収まるほどの、ほんの小さな宝箱だった。塗装や装飾が、ところどころ剥げている箱だ。
額にルーンをつけてから物品収集が趣味となったルイズに影響され、タバサもやってみようかと、ものを集めだしたのだという。
貝殻、綺麗なすべすべの石、軸の抜けたこま、人形の部品、からっぽの香水のビン……
どれも、ルイズたちにも見覚えがあるものだった。ルイズやキュルケ、シエスタやモンモランシーなど、誰かと一緒に行動していたときに手に入れたもの。
読書の合間などに、ときどきそれらを取り出しては眺める、という、すこし充実した時間がタバサにもできた。
―――ああ、氷でできた読書人形のようだったタバサにも、こんなかわいらしい趣味が生まれていたのか。
たくさんのがらくた、でもささやかな幸せ、とってもたくさんの思い出が詰まっている、最高の宝物たちだ。
その場にいた全員が目を潤ませ、タバサに『どうか取っておいてください』と頭を下げて言った。
ルイズは、いざとなれば新作ポーションの独占販売の権利を売ろうか、とまで考えた。そうだ、そうしよう―――
////9-8:【お帰りなさい】
それからあまり時間もたたず、シエスタはあっさりと学院に帰ってきた。
『わが主に捨てられた、わたしは駄目な女でした』と、ぼろぼろと泣きながら。
どうやら彼女は、雇い主であるモット伯に向かって、教会でやるような礼拝をしたらしい。
わたしは始祖じゃない、どうかやめてくれ、と敬虔なブリミル教徒であるモット伯は言ったが、シエスタはヨヨヨと寂しげに首を横に振るばかり。
―――しまった、地雷だ……!!
モット伯は戦慄し、このメイドを刺激しないように丁重にもてなしたあと、たっぷりのお土産を持たせ、それはもうにこやかに学院へと送り返したそうな。
使用人たちは「もうきたのか」「はやい!」「これで(略」と喜びの涙を流してシエスタという名の英雄を迎え入れ、今までどおり『幽霊屋敷』の担当を押し付けたそうだ。
またひとつルイズに伝説が追加された瞬間だった―――いわく、『ゼロのルイズからは逃げられない』。
モンモランシーはシエスタを抱きしめ、お帰り、ごめんねつらかったよね、これからはもっとわたしを頼って頂戴、と泣いたという。
ルイズは……樽をすべて撤去し、その代わりにずらりと棺おけを並べた。開くとスケルトンが出てくるので、絶対に開けてはいけないらしい。
////【次回・電波受信編へと続く】
※この作品における注意
最初の司教さまの台詞やVSフーケ戦闘にて気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが
ルイズさまの使い魔はじつのところDiabloⅠ設定準拠です。(誘導、召喚に自分のライフとマナを使い、敵のライフを吸い取って自分のライフにする)
見た目は2をイメージしていますが。
このように1と2との設定が微妙に混在しております。
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コルベールの情熱(Ardor Colbert')
ユニークアイテム:フレームスロワー (Flamethrower)
両手ダメージ:3~8 必要レベル: 13 ストック数(quantity): 3
攻撃の際に166-588の火炎ダメージを追加
攻撃の際に装備者に15-120の火炎ダメージ
12% デッドリー・ストライク
LV12 ハイドラ 1/1チャージ
-100% 炎耐性
+60% 氷耐性
-25% 敵の炎耐性を下げる
+30% Better Chance Of Getting Kirke's Heart
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