//// 32-1:【フィール・グッド・ヒット・オブ・ザ・サマー】
たどり着いたところは、夏の日差しに白い砂浜の燦然と輝く、小さな入り江だった。太陽が昇るにつれ、ますます気温も高くなってゆく。
一同たくさん汗をかき、胸元を開けたり袖をまくりあげたり、もう今すぐにも水に飛び込みたい気分のようだ。
赤い髪の少女が火照った体を冷まそうと、白い髪のひんやり少女のもとへやってくる。
「ねえルイズ……ここってさ……トリステイン領内じゃないんでしょ」
「あら、バレちゃった?」
基礎体温の低いルイズにとっては、暑さもひとしおなのかもしれない。少々バテ気味の疲れた顔色だ。
移動開始の当初、彼女は雑霊をせっせと集めてはクーラー代わりに身にまとい、ささやかな涼しさを満喫していたものだ。しかし馬の元気がスポイルされたり、同乗者の顔色が時間の経過に比例して青くなったりもしたので、途中から自重したようである。
馬を下りた現在、日陰にて霊式クーラーを背筋もゾクゾク全開にし、ずいぶん心地良さそうに身体の熱を追い出している最中。
「解るわよ。こんなバカンスにぴったりの場所、絶対ウワサになるわ。あなたの国ちっちゃいもんね」
「情報通ねツェルプストー。あんたなら、ここがどこだか解るかしら? 正解したら毒キノコを進呈するわ」
キュルケは三十秒で距離を取りはじめた。
比較的涼しくは感じられるのだが……微熱まで根こそぎ取られそうな精神的ゾクゾクに、耐え切れなくなったのだ。このままでは無熱のキュルケにされてしまう。あたりの景色が夏まっさかりなぶん、ゼロのルイズの周囲半径一メイルの異様さが際立って仕方ない。歩く心霊スポットだ。
「……ロマリアかしら」
「残念。ちょっと惜しかったわ。もうすこし南東のほうよ。ドキドキキノコ欲しい?」
「要りません。でさ、何でそんなところ……」
「さあ。判んない。ガリア王家の人とかがバカンスに使ってたりするんじゃないかしら。……ここ数年くらい、使用した履歴もなかったけどね」
結局、詳しいことは教えてもらえなかった。どうでもいいわ、と今を楽しむことにする。
ちなみに黒髪の平民少女シエスタは、生まれて初めてトリステインの国外に出たということになる。
潮の香りを嗅ぎ、眩しさに目を細めて遠くを見つめ、波の音に聞きほれていた。
「ミス・ヴァリエール! わたし、ずーっと小さいころ以来なんです! 海に来るなんて!」
遠乗りの目的地が海だと知ってからこちら、気分もとことん上々のシエスタさん。もう感極まって、目を潤ませていたりする。
ルイズもじつに嬉しそうだ。
「そうなの? なんかごめんね……言ってくれたら、もっと早く連れてきてあげたのに」
「とんでもありません、すっごく幸せなんです! こんなことがあるのなら、ますます長生きしたいなって思っちゃうくらい!」
「へえー、嬉しいこと言ってくれるじゃないの! ウフフフフ……」
もしできなくても、私がナカもソトもきれいきれいにエンゼルケアしたげるわ―――
まあミス・ヴァリエール。生きてるうちはたぁっぷりお世話させてくださいねアンナコトコンナコト―――
素直な気持ちを怪しげに交し合う、仲良し白黒主従である。見守るモンモランシーとキュルケは呆れる一方で、連れてきた甲斐はあったみたいね、との嬉しさも感じていた。黄色いリボンも愛らしい麦わら帽子のズレを直しつつ、ルイズはシエスタの手をぐるんぐる振り回し、にっこりと笑いかけた。
「今日は私のこと『ルイズ』って呼んでいいわよ! さあ、いろんなこと忘れて、みんな一緒に、たっぷり遊びましょ!」
「はい! 『ルイズさん』!」
「……と、その前に着替えよっ。それとね、日焼け止めを塗りなおしたいの。手伝ってちょうだい!」
「はい! お任せ下さい!」
停めた『ミート・ワゴン』から大きな幌とカーテンを降ろし、即席のテントが張られた。
ギーシュが魔法でせっせと大量の荷物を運び、浜にパラソルやチェアを準備している。
乗ってきた馬をほったらかしにできないので、コルベールが<タウン・ポータル>で学院の厩舎へと返しに行った。
少女たちは水遊びをするために、すぽぽんとまっぱだか。ルイズとの共同企画者キュルケが秘密裏に用意していた、それぞれの水着を装備する。
「はあ、ありがとうございます。わたしたちの分もあるんですね。あれ? 不思議とサイズぴったりなんですけど……誰にも教えてないのに……」
「そこは企業秘密ってことにしといて」
首をかしげるリュリュにキュルケは、イタズラっぽく笑ってごまかした。
ちなみに彼女が女性陣のサイズに合わせた近年式の水着を用意できたのは―――『服の上からでさえひと目見て解る』特殊スキルを活用した、某金髪少年による調査のおかげである。モンモランシーは即座に気づいたらしく、大きくため息をついていた。
「でもあなたにしては……案外無難なチョイスね。もっと大胆なのとか用意してるかと思ってたけど」
「みんな派手にしてギーシュが目移りしちゃったら、あなた嫌でしょう」
「……気遣いありがと。でも彼ってば、普段着でも目移りしちゃう人だから。あんまり意味ないかもね」
きっと目移りして欲しくない本命さんがいて、私とギーシュのことはついでなんでしょうけど……とスレンダー体型のモンモランシーは思う。いちばん胸の大きいキュルケのだけ、心持ち大胆だったりして。「……日光浴したいからよ」と言い訳はしていたが。
さて、水着ではしゃぎまわる少女たちを見た、金髪少年の反応は……
「ここがヴァルハラか……『本物のワルキューレ』の居るところだな。うーむ、生きてて良かった……実に良かった……」
「ほーら、また鼻の下伸ばして……」
やっぱりお約束のもので、彼女さんにたっぷりジト目を向けられていたそうな。
勇気をもって晒した水着姿を「綺麗だ」と、褒めてもらうことはできたけど。あーあ、他のコのボディばっか見てるじゃないの。
もやっとした気持ちを押し殺すように、サンダル履きの足先で、熱い砂浜をぐりぐり。
「……でも、まあ今日だけは、ね。いちいち怒らないでいたげる。仕方ないもの……」
思えば多忙で出不精なあの子が皆を誘ってバカンスに遠出するなど、初めてのこと。滅多に無い機会なんだから、楽しまないと損である。しかも真夏の太陽照りつける海なんて予想外。日陰者のネクロマンサーとは真逆の、健康的なイメージなのだし。
モンモランシーはまぶしい日差しを遮るように手をかざし、背後のテントの中にいる当のネクロちゃんらの会話に耳を澄ます。
まあ大変……ここらへんのお肌、赤くなってらっしゃいますわ。汗疹でしょうか……
んっ……どうかしら、最近地下に詰めっぱなしであんまり寝てなかったから。すぐお肌荒れちゃうのよ……
こんなに細いお身体なのに、毎日頑張ってらっしゃるんですね。ついでにマッサージいたしましょうか……
ええお願い。……んっ、あふぅ、やぁん……、気持ちいぃ……
(うん。仲良くやってるわね。……一時期は、ほんとどうなるかって心配してたけど)
日光が苦手なルイズはシエスタに手伝ってもらって、強力日焼け止めをぺたぺた全身に塗っている。とはいえ、白い砂浜の照り返しさえも厳しいだろうに。自分の苦手な場所にも関わらず、連れてきてくれたあの子に感謝して、たっぷり楽しませてもらいましょう……と、モンモランシーは幸せを実感しつつ、波うち際へと向かう恋人ギーシュの背を追いかけてゆく……
―――
それから数時間は、夢のように楽しい時が過ぎてゆく。
海にはこの季節定番の避暑地ラグドリアン湖とは趣きの違う暑さと、突き抜けた開放感があった。白い雲と青い空の下、夏の日差しに包まれて……波に飛び込んだり。水を掛け合ったり。貝殻をひろったり、土のゴーレムと追いかけっこしたり。
タバサがカニとにらめっこしたり。
コルベールの服の下に隠れていた普段は見えない体格のよさに、数人の少女が頬を染めていたとか。
まっぱ人間タイプのシルフィードの乱入をガン見していた少年のせいで、モンモランシーが悶々としたり。
デルフリンガー救助のときに作った魔法潜水セットを活用して、海中散歩を堪能するメンバーもいた。水メイジは水中呼吸の魔法を使える。色鮮やかな魚たちにかこまれて、金色の髪を揺らし華麗に泳ぐ恋人を「人魚姫のようだ」とギーシュが評し……海中デートを堪能した二人は、浜でそっと寄り添って、満ちたりた笑顔をかわしていたそうな。
遊び倒しのモンモランシーは、崩れてしまった縦ロールの髪型をセットしなおす余裕もなく。
「まとめとく? あたしちょうどリボン持ってきてるし」
「お願いするわ。これだから泳ぐのって、あんまり好きじゃないのよね……」
それをキュルケに可愛らしいツインテにされたり。
タバサが銛で突いてきた魚のうち、ド派手な色の一匹を見たとたん、ルイズが「素敵! それ猛毒魚よ!」ときゃあきゃあ歓声をあげた。
「大きいわね。逃がしちゃうの勿体無いと思わない? 貰っていいかしら」
「……どうするの」
「食べさせるのよ!」
―――えっ誰に!? 戦慄する友人たち。タバサのゴーグルが内側の眼鏡ごとずりっと落ちる。でもすぐに心配は無用と解る。
ばりぼりばり……と、キングサイズ猛毒魚は『ミートワゴン』のエサになったという。
キュルケがここぞとばかりにぽろりをしたところ、すかさずルイズが目のツヤも消して背後から急襲した。がばっと両手でフタをする。
「ヴァリエール、……あなたもしかして、……あたしのおっぱい触るのちょっと好きだったりする?」
「…………」
「なにそれ。困るわよ、急に黙りこまれても……」
「……あのね、ハムっていうのは塩づけお肉のかたまりで、ソーセージっていうのはヒキニクで出来てるんですって」
「えっ……そ、それは知ってるけど、何で急に……その話……!?」
昼食時になると男性陣が魔法でかまどを作って火を起こし、シエスタとリュリュが料理を作り、皆で舌鼓をうつ。
シエスタの趣味はお昼寝だ。食後の片付けを終え、パラソルの日陰で横になると、たちまちすうすうと幸せそうに眠りの国へと旅立ってしまった。
いっぽう浜に敷いたマットにうつぶせで、背中を日に焼いていたキュルケは……いつのまにか、砂で出来た小さな前方後円墳(keyhole-shaped tomb mound)から、なぜか首だけ出して埋められていた。
リュリュとタバサとシルフィードが目を丸くする。犯人ルイズがむにゃむにゃと、怪しげな呪文を唱える。
「えへんえへん―――我が導きに従い、出でよツェルプストぉー!」
「がぁおー! 呼びかけに応えて、あたしが戻ってきたわよー!!」
キュルケは砂山をがばりと崩して這い出したとたんニヤリと笑い、近くに居たリュリュやシルフィに―――迫る!!
「フフ、あなたたち、美味しそうな身体してるわねー、えいっ!」
「きゃあー! ぷひゃひゃ、あうっ、やめっ、きゅーるーけーさぁーん! わぷぷっ、くすぐらないでー!」
「うわーなのね! えろいのね! きゃっ、ぺっぺ、お、おくちに砂が……」
「あはははは!」
友人のハングリーデッドごっこに付き合ってやる、律儀な年上少女であった。
はしゃぎすぎて暑さに茹だりかけ、そのうえ日焼けもひどくなってきたルイズを、タバサとモンモランシーが介抱する。
「大丈夫?」
「……心配いらないわ。……ポーション飲んでちょっと休んでたら、すぐ治るもん」
「いくら良く効く薬があるからって、無理しちゃだめよ?」
「うん」
浜ではギーシュとリュリュの土メイジコンビが、砂彫刻の腕を競い合っていた。勝者は『麗しのアンリエッタ姫像』を作ったギーシュだ。
モンモランシーは眉もハの字になってしまう。見学しつつ、ふとあることに気づくキュルケ。
(……こないだマリコルヌに『ゼロの御神体』とか、えっちな美少女フィギュアとか見せてもらったけど。あの完成度って……こいつらの仕業っぽいわね……)
そのときタバサが何かを見つけたようで、拾い上げて首をかしげていた。キュルケが歩み寄る。
「へえ、何か面白いものでも見つけたの」
「ボトル。砂の中から出てきた」
さっきの砂彫刻コンテストで掘り出されたらしきそのビンには、液体ではない中身が入っているようだ。何だろう、と集まってくる少女たち。取り出して見たとたん、一同大いに驚かされることになった。『面白いもの』とは到底呼べない……羊皮紙に書かれた、古い手紙だった。
『船が沈没し、我ひとり絶海の孤島に漂着せり。救助の手の差し伸べられんことを、切に願う……』
ずしーん……
空気は急に重くなる。顔をびしりとひきつらせる一同。日付は無情にも三十年前。ああ、差出人はいったい、どうなってしまったのだろうか……
「……」
「うわぁ……」
「こ、これはっ……」
「なによ、これ。だ、大丈夫なのかしら……」
いっぽう、白い髪の少女はぼんやりと焦点の合ってない目で、宙を眺めていた。
「まあ、手紙が開封されたことに気づいたのね、わざわざ伝えに来て下さるなんて。『ソチラノホウニ、オワシマスワ』……『イラッシャイマセ』……」
なんということか―――
語られぬ孤独の物語の結末を、皆は否応なく悟ってしまった。場の雰囲気はますますずっしりと沈んでゆき……
『拾いめされた見知らぬ御方よ、どうか故国の家族に伝えてはくれまいか……』
以下、手紙の内容は、万が一のときのための家族へのメッセージとなって綴られてゆく。少女たちは彼や家族の気持ちを想像し、胸を詰まらせ、ぐすぐすと涙ぐんでしまった。三十年もの歳月の経過した今、彼の実家がどうなっているのかなんて、誰も知らない。だけどせめて、帰ったらこの手紙を届けてさしあげましょう―――と一同は誓い、祈りを捧げるのであった。
かくも沈みきった雰囲気のなか、しかしゼロのルイズだけは、穏やかに微笑んでいた……
「最期は寂しかったけど、満足で幸せな生涯だったみたいよ。嘘じゃないわ。心配要らないって笑ってるもん」
そんな彼女の一言で、みな気持ちが救われて―――誰もがこの時ばかりは、ひとり本職がこの場に居たということに、大いに感謝したのだそうな。さて、ハプニングはあったけれども、現代を生きる若き少年少女たち。休憩をはさみ、気を取り直して、かけがえのない生ある時を謳歌するのだ。
リュリュが満面の笑顔で、近くに居た二人を手招きしている。
「ほらほらタバサさん、キュルケさん。こっちの白い砂、よぉく見てください。なんと、お星さまのカタチしてるんですよ!」
キュルケはきらきら目を輝かせ、タバサも興味深げに両手に掬って、じっくりと観察していた。
ルイズはにやりと笑って……
「綺麗な砂でしょ? 死んでるのよソレ! 海の中に住んでるちっちゃい生物の骨なのよウフフ……」
台無しであった。隣にいたコルベールがとたん研究者の顔になり、課外授業を始める。
「うむ。微生物の骸といえば、諸君にはなじみの薄いものかもしれぬが、生活に役立つものもある。身近にはケイソウ土というものもあってな……太古の小さな植物の化石なのだ。爆裂ポーションを染み込ませると、状態を安定させることができるのだが……そうすると今度はハジケる力が少々足りなくなり……」
モンモランシーは呆れ顔。リュリュやキュルケは興味深げに聞き入っていた。
ゴーレムで危険な実験の補佐を行い、研究に大いに貢献した実績のあるギーシュは、得意げに胸を張っていた。
タバサがどことなく嬉しそうに、しゃがみ込んで砂をいじくりまわしていた。ルイズが「何してるの」と問うと……
「おみやげ」
とっても綺麗な骨なのだから、タバサも好きになれたようである。空いたポーションの小瓶へと、掬っては入れて光にかざし、じっと満足げに眺めていたのだが。
「ようやく骨のステキさに目覚めてくれたのね! えっへへへ、おうちに帰ったら中級者コースにご招待よ!」
「…………」
タバサは丁重にお断りするほかなかった。
昼寝から起きだして、ふらふらとお花を摘みに行ったシエスタが、地蜂の巣を踏んづけてしまったりもした。
「きゃあぁー! 蜂の群れ(Swarm)がぁーー! たたたっ、助けっ、ミス・ツェルプストー!」
「今助けるわ! って……しまったあたし杖持ってきてない……ルイズなんとかしなさいっ!」
「ウフフ任せるがいいわぁっ! ―――<視野狭窄の呪(Dim Vision)>!!」
顔全体を涙と鼻水でくしゃくしゃさせ、助かったことに感謝するシエスタさんが「はいてない」に気づいて顔中を真っ赤に染めたのは、もう少し後のことだったそうな。
その後、リュリュの『錬金』魔法で作られた即席の板を使い、波乗り大会が行われたりもした。身軽で運動神経のよいタバサはすぐにコツをつかみ、くるくる見事なターンを決めて、皆から喝采をうけていた。
「あっぷ、あわわ、に、人間のカラダって、はうぅ、やっぱりちょっと動きにくいのねー!」
調子に乗ったシルフィードが溺れかけ、主人に助けられたりもした。
水遊びに疲れたら、代わる代わる『ミート・ワゴン』に乗って浜辺をプチドライブのお時間だ。
いったん強烈な外観に慣れてしまえば、シエスタも楽しんでいたようだ。性根の陽気なキュルケもノリノリである。
「ねえルイズ、あなたのご自慢の霊柩車、ずいぶんトロくさいわよ。もっとスピード出せないの?」
「うん。今の技術じゃこのくらいが限界よ。いっぱい積荷を運ぶために、パワーはそれなりに出せるんだけどね」
「……やっぱり載せるつもりなのね……死体……」
「もちろんよ霊柩車だし。私たちネクロマンサーにとって、最初のボディの確保がネックだもの。これに載せておけば、しばらく鮮度を保っておけるのよ」
そういうサポート用の車として造られたらしい。
速度は土ゴーレムに肩車状態のルイズが、楽々と追いつける程度。目下設計中の『主砲』を取り付けた暁には、走行速度もさらに低下してしまうのだという。
「主砲ホントに載せるかどうか迷ってるの。……ぶっちゃけアレ撃つよりフツーに私が<死体爆破>するほうが威力高いし」
「!? へ、へぇー…………ってそれ、発射するってことかしら……」
「当然。霊柩車に主砲つけて、ほかに何を発射するっていうのよ」
さて、海に沈む夕日を眺めながら、みんなで夕食タイム。このころには主旨も『遠乗り』から『キャンプ』へと、とうに移り変わっていたようだ。
炭火と網で、採った魚やタコ足、たくさんの貝、怪しげなキノコを焼いたり。
魚も苦手なルイズは、最近のマイブームらしきキノコ料理をもぐもぐしていた。シエスタは寂しそうに問う。
「あのぅ、ルイズさん。こちらの貝はお食べにならないのですか? 美味しく焼けておりますわ」
「ありがと、でも要らないわ。私まだ遊び足りないもの。倒れちゃったらやだし。試してみる度胸ないから」
「そうですか……残念です……じゃあ、えへへ、……あとでデザートに……わたしの生命力でも……」
勿体無いですねえ……とリュリュも寂しそうだ。美食の楽しさは、分かち合う喜びも大きいらしい。
暴走する白黒コンビ以外のために、アルコールも用意してあったりする。キュルケとリュリュが、特別なルートで仕入れてきたレアなエールの品評をし合っていた。
「ミスタ、グラスが空になってらっしゃいますわよ。ほらほら、今日はお疲れさまでした」
「おお、ありがとう……君たちは実に元気に遊んでいたな。私は若くないのだと、つくづく実感させられてしまったよ」
「あらあら、そんなこと。ミスタの情熱が枯れてしまうなんて、百年たってもありえませんわ」
ちょっとぐったりしたコルベールに、キュルケがお酒をついでやっていた。
「きゅいきゅい。あんなに楽しそうなお姉さま、はじめて見たのね。シルフィもー嬉しいのーねー!」
シルフィードが焼いたお肉を口いっぱいにほお張り飲み込んでから、ほくほく顔で言った。日が落ちて、空には星が出る。少々肌寒くなる時間帯だ。
ルイズは膝をかかえ、ぱちぱちと火の粉をふりまく炭火の、穏やかな赤い光を眺めていた。少し寂しそうな表情だ。
「みんな楽しんでもらえたみたいね。嬉しいわ……姫さまにも、ほんとは来ていただきたかったけれど」
「そうね、私も残念に思う」
モンモランシーが笑顔で答える。
「国でいちばん忙しい身ですもの、仕方ないわ。でも、誰よりも喜んでくださるはずよ。またみんなで遊ぶとき、必ずお誘いしましょう」
もしもアンリエッタ姫が来ていたら、恋人の少年が十倍くらいデレデレしていたのは明らかなこと。それでも笑って即答できたぶん、金髪少女の気持ちにも、相応の余裕が出来ていたのかもしれない。あるいは、それだけ今日という日が、珠玉の宝石にも勝るほどに、楽しいものだったからなのかもしれない。
ルイズは切なさを含んだ気弱げな笑顔を見せた。
「ええ、姫さまもアニエスも、デルりんも。ギトー先生も……できるなら、私の姉さまたちも一緒に……」
いつか必ず、またみんなで来ましょう。ルイズの言葉に、皆が頷いた。
その機会が来るのかどうか……どんなに腕の良い占い師でも、未来のことは、はっきりとは解らない。
友人の表情にどこか含みのあることに気づいたタバサは、何も言わずそっと目を伏せ、杯を干した。
//// 32-2:【妖精エアクラッシャーと死奇者デスワルツ】
さて―――
日もすっかりと落ちた浜辺、青い<ポータル>のゲートが揺らめく。空には二つの月がならんで浮かぶ。
参加者たちは各自いったん『幽霊屋敷』に戻って、裏庭の大釜に沸かしたお湯で、丹念に海水を洗い流す。お留守番をしていた使い魔のフレイムやヴェルダンデたちに、お土産の魚を持っていってあげたりもして。
残る面子で浜辺の宴会は続く。皆のお世話をしつつ自分も楽しんでいるシエスタは、ずっと幸せそうに、誰もが見惚れるような笑顔を絶やさずにいたものだ。
全員が湯浴みを終えた……その頃にはもうすでに、異変は起こっていたのであった。
タバサが目を見開いたまま、微動だにしなくなっている。
(……あれ?)
おかしい。
キュルケが気づいた。数をかぞえてみよう。
(あれ? 何これ。にーしーろーやー……あれっ? そうよシルフィードが人間モードで居るから……えっ?)
違う、そうじゃない。……いつのまにか……宴会の参加人数が、ひとり増えて……る?
冗談じゃないわよ、十人いるじゃない―――!!
忘れちゃいけない。夏は怪談の季節、夜はオバケの時間である。
「ひいぃっえぇーーー!」
夜空にシエスタの悲鳴が響いた。がばっと凄い勢いで、キュルケにしがみついてくる。
「みす、あれぇ、あわあわあ、あっち……なんか知らない人がぁ……」
かすれ声、震える彼女の視線の先、そいつはルイズとリュリュとの間に居た。
怪しすぎるローブ姿。背丈は高く、痩せた男性のように見える。フードの内側には、目も口もないシンプルな木製の仮面。両手に白い手袋。そんな奴がずっと無言で、あたかも最初からいたかのように、宴の輪に混ざっていたのだった。
キュルケはごくりと喉を鳴らし、問う。犯人はあいつしかいない。
「ねえルイズ、……その人……誰よ?」
「本日のサプライズゲストよ。ウフフ、さっき私が連れてきたんですけど、だぁれも気づいてなかったのね」
寄せては返す波の音だけが静寂を満たしてゆく。にやにやと笑うゼロのルイズは、瞳孔が完全に開いており―――
シエスタは青い顔だ。かの人物に警戒の視線を送っていたタバサもまた、血の気のない唇を震わせている。
無理もない……その見知らぬ奴からは、これっぽっちも、生きた人間の気配を感じ取れなかったのだから。
「ちょっと、サプライズにもほどがあるわよ!」
「……そんなにびっくりするなんて思わなかったのよ。外見も怖くないでしょ?」
少々困惑顔のルイズがキュルケに答えた。外見に気を使ったところで満足し、『いつのまにか知らない奴が混ざってたら怖い』という常識的発想には、残念ながら届いていなかったようだ。まるで親しい人物にするように、そいつの腕の辺りをぺたぺた触り始めた。
「ちょっとした余興をしたいって言ってたから、来て貰ったのよ」
一同びっくりだ。お返しとばかりに白い手袋の手が伸びて、ルイズの頭を撫ではじめたのである。少女はとろとろ心地良さそうに、目を細めて受け入れた。様子を見ていたシエスタも、ようやく危険は無いと判断したようだ。
「あのぅ、ぶしつけな質問を失礼いたします。すっごく仲良しさんに見えますね。……もしかして恋人さまだったりとか、するんですか?」
「へっ……?」
夏は恋の季節でもある。女の子はそういう話が好きだ。ぽかんと口をあけ、季節感とは無縁のルイズはキツネにつままれたような顔になった。しかしそんなシエスタの突拍子もない質問のおかげで、それまで多少の緊張をはらんでいた場の雰囲気も、ゆるゆる解けてくれたようである。
ルイズは呆れ顔。ないない、と謎の人物も、否定のジェスチャー。
「なぁに言ってんのシエスタ……違うわ。この人は私の従者(Minion)よ従者」
「し、失礼しました! ルイズさんの従者ということは、はっ! わ、わたしの同僚なんですね!」
「えっ、うん、まあね、……そうなるのかしら?」
なんということだろう―――とうとうオバケと同僚になってしまったシエスタさんである。
いったいどこまでディープに進化を続けるつもりなの―――と、ルイズ以外が大いに心配していたところ。
当の黒髪娘は自覚しているのかどうかも不明のまま「お名前は何ですか?」と訊ねていた。だが当人は喋ることが出来ないようだ。えっ名前? スケル……あっ違っ、……どうしましょ。ルイズはぶつぶつ呟き悩んでいる。その発想は無かったわ……えーと、うーん……スケ、スケ……
「すけ……さん?」
「そうそれ! 『スケさん』でいいわ!」
ぱちんと手を叩き、ルイズはシエスタの案を採用した。安直すぎるうえに、どっかで悪代官とか懲らしめてそうなネーミングだった。
さておき。
「じゃ『スケさん』、とびきり陽気なのをやっちゃいなさい」
主の『命令』に従って、そいつはかたりと乾いた音を立てて立ち上がる。
さて何が始まるのやらと、皆は期待してしまう。謎の人物は、楽器を―――それも立派なヴァイオリンを手にしていたのだ。
慣れた手つきで弦の調律をしてから、どこかで聞いたことのあるメロディの演奏が始まった。街の酒場などで良く聴かれる、昔の流行歌であった。
「ほら、宴には音楽が必要って言うじゃない」
屈託ない笑顔でルイズが言った。そのためだけに、わざわざ『十人目』を連れてきたということらしい。ああ、なんと人騒がせなことだろう!
少々ヘンテコな空気はともあれ、皆は平静と陽気さをとりもどす。楽しい宴の仕切りなおしだ。
「一緒に歌いましょう!」ルイズがリュリュやシエスタを促し、皆の良く知る囃し歌を、ヴァイオリンの演奏に合わせて歌い始めた。心配されたのはタバサだが、ぼそり「……平気」と答えた。彼女も前と比べて、苦手なオバケに慣れてきたものである。
宴の場には輝くような笑顔が戻り、モンモランシーとキュルケも顔を見合わせ、安堵に胸を撫で下ろしていた。
シルフィードのような例外を除いて、ポータルの利用は8人が限界。ということは……『スケさん』の正体も、キュルケとタバサにはバレバレだ。
つまり、あの布一枚の向こうは<ホラー(Horror)>ということだろう。キュルケはじっくり観察してみる。
(……あっ、今手首のとこちらっと見えたわ……あちゃー、やっぱホネしかないのよね)
『幽霊屋敷』に並ぶ沢山の棺おけに、常時ストックされている奴らのうちの一体。ルイズ自慢のガイコツ戦士だ。
生前どこかの楽団にいた亡霊にでも演奏してもらっているのだろうか。それにしてもねえ―――審美に聡いキュルケは、別のことに想いをめぐらせていた。
凄っ……うーわっ、何なの今のテクニック。超一級の腕前ね、と目を見張ってしまう。場末の酒場とかじゃなくて、どっちかというと王宮の演奏会とかでやってそう……
彼の魂がいつの時代から来たのか、キュルケは知らない。だけどきっと、誉れ高き奏者だったにちがいない。亡くなったときには誰もが惜しんだことだろう。魂にまで染み付いた、その美しき情熱的な音色に魅入られて……
(何よ何よ。反則じゃない……器楽のことなら自信あったのに。こーいう人連れてこられちゃ……)
キュルケは苦笑する。あたしの『火』と違って、ネクロマンシーってホントなんでも出来ちゃうのね。白髪の友のそばにいると、つくづく退屈とは無縁である。せっかくの機会だし―――とキュルケも『スケさん』に、最近流行の舞踏曲をリクエストしてみることにした。
あらそういえば、この方の生きてらした頃って、この曲、まだ生まれて無かったりするんじゃ……
心配は杞憂と解る。カタカタ……木彫りの仮面の向こうで顎骨を鳴らしたのは、了承ということらしい。
なあんだ、そゆこと。成仏できずに長年浮遊霊やってたら、覚えるチャンスなんていくらでもあるじゃない。
おばけはいつでもどこにでも居て、みんなを見てるということなのね……キュルケはつい笑ってしまう。タバサやシエスタには聞かせられない話だ。生者の輪の中に死者が一人というわけでも、たぶんない。だってこの場には自分たちに見えないだけで、とっくに超沢山のオバケが集まってたりしてそうなのだし。
(もっと演奏したいって心残りがあったから、成仏できてなかったのかしら? じゃあ今は、ルイズがその願いを叶えてあげてるってことね)
キュルケは胸の奥に情熱の火をともす。おばけたちに負けちゃいられない。ちょっと勇気をだして、目当ての人物のもとへとやってくる。
せいいっぱいの笑顔で優雅に一礼し、手を差し出して問うた。
「ミスタ・コルベール。お願いいたしますわ。あたしと踊っていただけませんこと?」
「む? あ、ああ……構わないが」
夜の浜辺に骨が笑う。カタカタカタ。死霊術師の少女も笑う。ウフフフフ。
情熱的な夏の夜にぴったりの、艶やかで優雅な旋律が流れ出す。キュルケは戸惑う中年教師の腕をぐいっと引っ張って、身を寄せた。南の国、海のほとり、星空の下。二つの月に見守られ、死者たちと生者たちが歌い踊る……
「ぼくたちも踊るとしようかね。おいで、わが麗しのモンモランシー」
「ええ、喜んで……」
つられて踊りだした金髪カップルを、友人たちが囃したてたり。口付けせよと煽ったり。
またいつの間にか『スケさん(木魚担当)』が増殖してたり。ルイズが何処からか取り出したヘンな形の笛をぴろぴろ鳴らし悦に入ってみたり。ご機嫌シルフィードが大声ででたらめに歌ったり。炎の魔法でささやかな花火をあげたり。ヤドカリの死体がぱちんと破裂したり。
「さぁて次のナンバーは作詞作曲この私! 『情け容赦ゼロの歌』いくわよ!」
「ちょ―――」
まるでありったけの夏を詰め込んだような、ひと夏の思い出にふさわしい、それはそれは楽しい宴だったのだそうな。
―――
さて、夜中。まだまだ帰りたくない女の子たちのために張られた、宿泊用テントの中。虫除け香の薫りがかすかに漂っている。
タバサが目を覚まし、眼鏡をかけて見渡せば、キュルケとリュリュとシエスタ、そしてシルフィードが、すうすう寝息をたてていた。
シエスタは剣士人形を胸に抱き、ほやほやと幸せそうな寝顔を晒している。あれだけお昼寝したのに、よくこんなにぐっすり眠れるものだ。きっとお仕事のために、毎朝早く起きる習慣が身についているせいなのだろう。
(モンモランシーと、ルイズが居ない)
タバサの隣には、寂しげな寝顔のキュルケ。結局コルベール先生に対して、ダンスに誘う以上のアプローチは叶わなかった。あのあとリュリュもまた先生にダンスをせがんで、一緒に踊ってもらっていたのだし。なにぶん教師と生徒という立場である。親元より預かった大切な生徒とそういう関係になるのはいただけない……とばかりに、距離を詰めるたび困り顔になる先生の態度には、歴戦のキュルケも四苦八苦していたものだ。
モンモランシーは今ごろ、彼氏との逢瀬に出ているのだろうか。
ゼロのルイズは……
(……探しに行こう)
タバサはふと思い立つ。ついた寝癖もそのままに、マントを羽織り杖を手に、友人たちを起こさないよう、そっとテントを抜け出した。潮の満ちた静かな夜の浜辺。寄せては返す波の音に耳を傾ける。見上げると、空には双子の月と満天の星がきらめく。
いつか見た『秘密の聖域』の星空も素晴らしかった。けれども、無数の生命の息づく地上から見上げる星空だって、ほら、こんなにも美しい―――と、ルイズなら言うだろうか。しばらく星々を眺め、酒に火照った身を夜風に冷ます。サンダルをつっかけて、タバサはてくてくとあてもなく歩き始めた。
砂の上たっぷり遊んだお昼の名残り、無数の足跡たちを横切れば、海沿いの森からは、カエルの鳴き声が聞こえてくる……
(どっちに向かおう……)
ふと立ち止まる。ルイズを探しにゆきたいが、下手すると恋人たちの大事な逢瀬を邪魔してしまう可能性もある。
悩んでいたタバサに、蚊の羽音が耳元をかすめ……次の瞬間、ふわふわと飛んできた白い光にぷつりと飲まれて消え果てた。『骨の精霊(Bone Spirit)』。ゼロのルイズの使い魔だ。タバサを迎えに来てくれたのだろう。この世のものでない白き炎の塊は、ついてこい、と言わんばかりに、くるくる宙に円を描いている。
ざざぁーん…… ざぁーん……
おだやかな潮風にさざ波の打ち寄せる渚。ヒトダマの飛ぶ軌道、白い光の帯には、ときおり緑や黄色が虹のように映りこむことがある。あれが雑霊というものだろうか。進むにつれ、あたりの空気が、しだいに彼岸のそれへと変質してゆく。タバサは緊張に喉を鳴らし、身をすくめ、おっかなびっくり歩き続けていた。
この先でルイズが呼んでる……ひょっとして、なにかわたしに、大事な話があったりするのだろうか。
『……―――……』
歌うような澄んだ声……
白き炎の先導に従って歩き、小さな入り江の端あたりに差し掛かったところで、タバサは目当ての人物を発見した。行く手に見える人影は三つ……うち灰色のローブをまとった長身の影二つは、さっき宴会の席で見た『スケさん』達なのだろう。まるで貴人を守る忠実な衛士のように、ちょっと離れたところでローブの両袖を合わせ、静かに控えている。
二つの月と満天の星の明かりの下。
波打ち際の砂浜に鎮座する、ごつごつした岩のてっぺん。よれよれの白い髪、細い体躯の美しき令嬢が腰掛けている。そこが玉座と主張するかのごとく。さながら死霊の国の無慈悲な夜の女王。星空さえすべて吸い尽くしてしまいそうな、深くうつろな目で、はるか海原の彼方を見つめ……
―――らぁ とぅつます とらぁぐるぬ るん おーうふ さぁびぃ ぷふる いぐぃぬる……
タバサには解らない言葉―――ゼロの少女は、はるか異国のものらしき呪経を一心に暗誦し続けていた。
黒いワンピースに白いカーディガン。細い全身から、青白い霊気の光が炎のようにたちのぼっている。無数の光の帯……少女はその身に沢山の雑霊たちをまとわりつかせており、彼女が細い手をすっと差し出せば、まるでその手の甲に親愛の接吻をするかのように、そよりそより撫でる風のように、幾乗もの七色の黄泉の光たちが通り過ぎてゆく。勝手に自分で決めちゃったけど、深夜零時は私の時間なのよウフフ。なんてことを、いつぞや彼女は言っていたものだ。
―――ねふぃり あむとす りぃる いつ でぃにーお まぁるーるぅ むえごすと らぁーん……
おそらくこの場の何よりも清浄なものなのだろう、少女の放つ青くゆらめく光に包まれて、雑霊たちがふわふわ、くるる……と焚き火に舞い上がる火の粉のように、天へ昇っていった。ひゅるるんるん……
雪風のタバサは時を忘れ、呼吸さえ忘れてしまったかのように、目の前の儚くも美しき幽玄夢幻の光景へと、じっとひたすらに見入っていた。しばらくして。ふっ……と唐突に、青白い霊気の放出がやむ。七色の霊魂の群れは湯気が宙に溶けるようにして散り、消えてゆく。
ゼロのルイズの奈落の目が、こちらへと向いた。にやり、と美しき少女は形の良い口の端を吊り上げ吊り上げ吊り上げ……
「来ぃてくれたのね、タバサ……ウフフフフ……」
「……」
「ええ、ええ。思ってたもん。ワタシに会いにきてくれるって思ってたもん。フフフ会いたかったの。えっへへへウレシイ、ウレシイナぁ……」
ケラケラケラ、とネクロマンサーは不気味に笑った。生け贄の祭壇へと誘うがごとく、オイデオイデと手招きだ。びくんとタバサの肩が震え、どきどきどきと胸が鳴る……とうに解りきっていたはずのことだが、夜の友人は『まったくもっていつものように』様子が尋常ではなかった。
夜のルイズはとことんタバサの心臓に悪いのだ。
「ほぉら、こっち来て。隣、座りなさい」
「……」
「来て、タバサ……」
ふらふらとルイズの傍に近づくと、やはり気温が夏とは思えぬほどに肌寒く感じられる。
まるで何か大きな力に操られる等身大の人形のように、タバサは誘われるがままに、友のすぐ隣に腰掛けた。
「……何、してたの」
「あれを見てたのよ。それと出張供養してたわ。このへんの霊道に吹きだまりを見つけたから、遊ばせて頂いたお礼にね」
ルイズの示す先。よくよく目を凝らすとようやく解る程度に、はるか沖合いの海面が、うすぼんやりとエメラルドグリーンに光っている。海中に住む無数の微生物が発光しているのだろう。ほとんど現実味を感じられない、不思議な光景だ。
「あなたの杖の光に似てる」
「そうかしら? ……うーん……言われてみれば、そうかもね。命を燃やす光だし」
緑色に光る海は、滅多に見ることの出来ない、珍しい現象だと聞いていた。
余談だが疾風のギトー曰く、今年は記録的な大雨が降ったりみかんが消費しきれないほど大豊作だったり……なんて異常や例外が続き、気象学者たちがそろって首を傾げているという。ルイズのうつろな表情からは、どんな気持ちでこの光景を見ていたのか、判別をつけられない。
「……今日は楽しかったわね」
ルイズがぽつりと言った。タバサはゆっくりと頷いた。
そろそろ日付の変わる今も、この手には、さっき宴で一緒に踊った友人たちと繋いだ手の感触が、しっかりと残っている。
「楽しかった」
「……今、幸せ?」
不意の問いかけだった。タバサは迷わずに、もういちど頷く。
「幸せ」
「そっ。お揃いね、私たち……うん。私も今、とっても幸せだから」
タバサはルイズへと目をやる。白い髪の少女はじっと海の彼方を見つめており、視線は合わなかった。
そういえば今日の彼女はなんとなく、いつもより距離が近かったように感じられていたものだ。
「……思い出ができた」
「良かったわね……ええ、本当に良かった……」
タバサは視線を夜の海へと戻す。しばらく並んで二人、何も言わず、ただ海を見ている。
今日タバサが友と拾った、いくつもの綺麗な貝殻たちや、星砂の入った小瓶は、あの小さな思い出の宝箱の中へと、大切に大切に仕舞いこまれることだろう。たとえ何年何十年経ったとしても、ひとたびそれを取り出して眺めさえすれば、たちまち今日この楽しかった日へと、いつだって何度でも戻ってこられるに違いない。
「ねえ、タバサ。足りないわ」
「……?」
ゼロのルイズは微笑んでいた。
手を伸ばせばその頬にも唇にも触れられる程度、ほんのすぐ目の前に居るというのに……どこかずっと遠いところに居るような。全身を薄く柔らかな膜に包まれたかのように、タバサには感じられていた。例えるならお祭りの日の幻灯絵のスクリーンや、明晰夢の中。唇がスローモーションのように動いて、言葉をつむぐ。
「もっともっと、『死合ワセ』ニナリマショウネ―――」
ぞわり……背に鳥肌がたつ。霞のような言葉だった。やはり現実味のない、はるか星々の光さえも届かぬ虚無の海の向こうより届けられたかのような。タバサは胸の内がばくりばくりと大砲みたいに鳴っている。
白い髪がゆらりと揺れて、すっ―――ごつごつした岩の上、友のお尻の位置がずれた。信じられない。タバサは身を強張らせる。細い身体がぐいと寄り、ぴとっ、と背の低い青い髪の少女の肩へと、<ルーン>の刻まれたおでこがくっつけられた。ゼロのルイズが。真夏の夜の夢か。「ナレルワヨネ、ワタシタチ」。どうして。このわたしに甘えてくるだなんて―――
首筋にくすぐったい感触。潮風に混じって、嗅ぎなれた香水の匂いが鼻腔へと届く。
少女二人は、無言で身を寄せ合っている。
「……」
「……」
波の音―――
海や星空という光景は、世界の広さと人という種の小ささを、見るものへと大いに実感させることがあるのだという。
そして人という種の儚さもまた、ひとりの人間のかけがえのなさを、深く深く実感させるのだそうな。
白き骨の精霊が光の粉を散らし、辺りをゆらゆら飛び回っている。
白い髪の少女は、タバサの肩に顔を埋めた姿勢のまま、動いていない。今、いったいどんな気持ちで、何を考えているんだろう。
心奪われしタバサの意識は薄れかけ、夢とうつつの狭間を彷徨っている。ひょっとしてとうに数百年くらいの時が経過していて、ここが来世なのではないか……と錯覚してしまうほどに。シエスタ相手なら、良くあることなのに……どうして今日とつぜん、わたしにくっついてくるんだろう。嬉しいはずなのに、素直に喜ぶことはできない。そんな気持ちを認識したとたん、喉が渇き、不安と疑念がちいさな胸を満たしてゆく。
(もしかして、何処かへ行ってしまうつもりなのだろうか……)
イヤだ、とタバサは怖くなる。でも仕方のないことかもしれない、とも思う。
違和感は最初からあった。そもそも普通に考えれば、まずありえないことだ。だいたい忙しく出不精なルイズが、どうして夏休み直前のこんな半端な時期に『みんなで遊びに行こう』なんて。青銅のギーシュの誘いに乗ったから……それだけが理由じゃない。
(たぶん、夏休みをつぶすくらいに長くかかる用事を想定しているから、今のうちに……)
どうして戦う霊柩車『ミートワゴン・レプリカ』を完成させ、連れてきたんだろう。お披露目して自慢したかったから……それだけではない。
(……戦力が欲しくなったから。今日のはオフロードにおける、長時間走行のテスト)
間違いなく何か隠している―――たぶんルイズは近いうちに、異界の高位存在より与えられし『使命』を果たすための、行動を起こすつもりなのだろう。
雪風のタバサは花壇(パルテル)騎士として、母国よりゼロのルイズの護衛の任を受けている。
そうである以上、たとえ何も言われずとも、友の行く先についてゆくことは必定。向かう先にどんな危険があろうとも、地獄の底であろうともだ。友はついてくるなとは言わないだろう。そして何も言わずタバサを危険に巻き込むようなマネも、絶対にしないだろう。
そこでふと、今日の午前中にあった、なにげない会話が思い出された。
(そう。『今日はいろんなことを忘れて』と言っていた……)
今は何も言いたくないのだろう。だから近いうちに彼女は、きちんとその旨を、決意と共に言葉で伝えてくれるにちがいない。タバサはこのときになって、ようやく体の緊張がほぐれてきた。息を吐いて切なさを振りはらう。黙ってしまった白い髪の少女の頭へと、杖を握っていないほうの小さな手を伸ばした。さわさわ、そよそよ。
「よしよし」
「ん……」
甘えたり甘えられたり、そういう日もあっていい……タバサは胸に満ちる暖かい気持ちに身をゆだね、静かに頬を和(やわ)らげる。雪風のタバサは、古き剣デルフリンガーと同じ、ルイズの騎士になりたいと思っている。
すでにガリア北花壇騎士としての身分のある以上、難しいことなのかもしれないけれど。
ケタケタケタ……
骨たちが笑った。深き親愛の絆で結ばれた、栄えある『ゼロの死霊騎士団』への帰り道なき参入を、誘い促し、そして大いに歓迎するかのように―――
―――……
……
タバサがこの日の友人の見せた、少々らしくない態度や行動の真意を知ったのは、『遠乗り』から帰って一週間後のことであった。
ゼロのルイズは、雪風のタバサにたいし、自分の姉カトレアの分の<黄金の霊薬>の完成を告げ―――これを機に一度実家へと戻る意思と、そしてその後に夏休みにかけて大国ガリアの管理下にある、あの『異世界サンクチュアリにいちばん近い場所』……
つまり<秘密の聖域(The Arcane Sanctuary)>の再探査に旅立ちたいとの意思を伝え、ガリア側との本格的な交渉に関して、助力を願ったのだという。
答えはもちろん、『イエス』だったそうな。
//// 32-3:【実はわたし残機に定評があるんです!】
ある日の魔法学院、使用人の女性寮、夜のひととき。ここの住人がおしゃべりや暇つぶしに集うロビーでのお話だ。
金髪や白髪のメイジその他、貴族の友人たちともずいぶん仲良く付き合ってはいるけれど、黒髪少女シエスタさんには、仲の良い平民の友人だって沢山いるのである。
「ねえシエスタ。今のあなたって……その、『何号』なの?」
「……へっ?」
唐突にそんなことを訊ねてきたのは、メイド仲間で友人の少女カミーユさん。意味不明な質問に、シエスタはびっくりだ。
「ななな、『何号』って!?」
「うん……そこんとこどうなの? 言いづらいことでしょうけど、わ、私だけに教えてくれたらなって……」
何故か顔を青くして、おどおどした様子であった。
シエスタは読書の手を止め考え込んだ。学院の平民メイドたちの間では、えっちなのやホラーな物語本が流行ってたりもする。
貧民出身の字の読めない娘に、ときどきせがまれては朗読してあげたりもする―――グロかろうとエロかろうとムラムラしようと。シエスタは実に優しい少女である。ご主人様のガチ恐さに比べたら、そんじょそこらのホラー小説なんか、ほのぼの童話の域を出ないのだ。
(……あっ、愛人とか、そういう意味なのかしら。誰の? ……たぶんルイズさんの、ってことよね)
シエスタは学院の使用人のエリート『特命係(特に危険な生徒のお世話を命がけでする係)』として、ゼロのルイズに専属で仕えている。ときどき甘えてきたり、今の仲はとっても良好……でも、別に「わたしたち暇さえあればちゅっちゅする間柄になりました祝福してね」とかそういう事実はない。
なので、きっと同僚は冗談半分で『何番目に大事に思われているのか』とか、そういう意味で訊ねたんだろなぁ……と考えを巡らせる。
なにぶん年頃の少女たちだ。えっちな意味を含ませた冗談できゃっきゃ盛り上がることもある。
使用人同士でも『お姉さまぁ!』とか言って慕ってみたりする娘もいるし、貴族さま方への毎日のご奉仕をいっそ楽しんでしまえとばかりに、目立つ生徒や教師たちのファンクラブが結成されることだってある。ちなみにFC会員数ゼロのルイズの場合、代わりに自称真名マ゙=リコルヌス導師率いるアングラなカルトが結社され、その実態は闇に包まれていたりもするというが、さておき。
「わたし、あの方の愛人になった覚えはないんだけど……女の子同士だし……」
「ええ、ええそうね! 解ってるから! うん解ってる! そういう意味じゃなくてさ……あははは、ななな何番目……なの、かな?」
ますます挙動不審になるカミーユさんをよそに、シエスタは思考に埋没していた。
ルイズさんは怖いけど、平民の自分にたいし何度も助けてくれたり、毎日優しくしてくれる。嬉しいし誇りにも思っている。だから『せめてルイズさんに相応しい、誰よりもおいしい非常食になろう』と―――怪しげな決意を新たにするシエスタさん。今日も元気いっぱいだ。
(確か、タバサさんは……)
この学院でゼロのルイズといちばん親しい貴族の友といえば、雪風の子にちがいない。でも、寡黙であまり自己主張をしない彼女にたいし、以前一緒にお茶をしたとき、ちょっと強めに頼み込んで、気持ちを訊ねてみたところ……
『どんなにひいき目に見ても、多分、わたしは三人目くらい』
カトレアという名の姉と、幼馴染の王女がいるから。
なんてことを、どことなく寂しげな雰囲気をまとい言っていた気もする。女の子はときに、誰かの『いちばん特別』になってみたいと憧れることがある。
生者死者問わず愛情深き白い髪のお嬢さまには、微熱の少女、炎蛇と疾風の教師、美食家娘、金髪カップルとか、剣士の女性とか、大切に思う人たちがたくさんいるのだろう。古い剣もそうだし、あの謎の遺体もそうかもしれない。実家の親族たちも。学院に王宮のひとたち。ふわふわ幽霊さんたち。幻獣さん、吸血コウモリ、毒ヘビ、どばどばミミズ、ダンゴムシ、そのへんの石。
「えーと、あえて言うなら……十三番目くらい……になるのかな?」
「ひぃ! やっぱりぃ……!」
ぶるぶると震えている友人の様子に気づかぬまま、シエスタはほんのり頬を染めていた。
身分とかあんまり気にしない方だし、友だちを想う気持ちに順列を付けたりなんてしないわ……と、シエスタは己が主人のことを、大切に思ったりもするのだが。
「……そのくらいでも嬉しいなぁ、ってわたしの願望にすぎないんだけどね」
「何てこと……もっと行ってるなんて! ああ、シエスタあなたって娘は!!」
「えっ、だからそれ違うわ。行ってないって話してるんだけど」
「そ、そう? 良かったのかな? わ、わかんないけど……ともかく!」
「えっ……えっ?」
シエスタはますますびっくりだ。
同僚のカミーユさんは、真っ青な顔をくしゃくしゃとゆがめ、突然がばっ―――と抱きついてきたのである。
「しえすたぁ……ほんと大変なのねっ……つらかったのね。ぐすん、悲しかったでしょう!」
「ななな、何なの急にどしたのっ? はわわわ……」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて慌てるシエスタは、知らなかった……
同僚の彼女が以前、『幽霊屋敷』の近くを通りかかったとき、『シエスタ』と呼ばれているメイド的な血まみれナニカを目撃したことを。即座に腰を抜かし、近くにいた眼鏡のレイナール少年にレスキューされ、後でお詫びと口止めの品が届けられたなんていう、壮絶な恐怖体験をもっていたことを。
その上、使用人たちの間で流行っているホラー物語のうち、とびっきり怖い一冊『栽培人間』に、大いに影響されてたりなんかして……
「何も言わなくていいの! 無理しないで! うううごめんね、大好きよシエスタ! 私なんにもできないけど恨まないでね化けて出ないでネ、応援してるから……」
「??? うぁっ……ありがとう? でもごめん気持ちは嬉しいけど、だからわたしそういう趣味ないって……いっ、言ってるのにぃ……」
「私、誰にも言わないから……!!」
「えっ? いえだから無いわって……いやっ、は、はうわっ!?」
凄い勢いで泣かれ、抱きしめられ顔じゅうちゅっちゅされるがままに、訳も解らず目を白黒させるシエスタ。
他言しないと同僚は誓ったけれど、ここは人の集まるロビーなのだから仕方ない。その後、いったいどこの誰から今の会話が流れたのか……『今いる黒髪メイドさんは十三人目』という新たな背筋も凍る怪談が、学院内でひそかに囁かれることになったのだそうな。
のちに学院使用人たちの間で長きに渡って語り継がれる、『不滅のメイド13号』についての、数ある伝説のひとつである。
//// 32-4:【スーパーキノコタイム(Quest From DiabloⅠ:Black Mushroom)】
ガリア王国の南、ロマリア連合との境には、『ガリアの背骨』と呼ばれる長く険しい山脈が東西に連なっている。
その広大な『火竜山脈』のとある場所の山肌には、かつてザールという名の魔導師がアジトを構えていた洞窟が、人知れずひっそりと存在している。現在、その洞窟はゼロのルイズによって管理され、彼女らは暇を見つけてはときどきここに転移して来て、再探査を繰り返していたものだった。
「あったあった! 良かった、切らしちゃって一時はどうなるかと思ったわ。これさえあれば、ウフフフフ……」
「今度は何を見つけたの? ……って、でかっ!」
湧き出る汗を袖口でぬぐいつつ、キュルケがルイズに問いかけ、たちまち目を丸くした。
ここは洞窟の新たに発見された通路の奥、岩盤からちょっぴり溶岩が溢れて小川を作ってたりする場所である。溶岩の熱と蒸気で、あたりはまるでサウナのよう。ルイズは群生している大きなキノコを前にして、にやにや笑っていた。
「黒いマッシュルーム(Black Mushroom)よ。こういう特殊な場所でしか育たないの。ザールおじさまが菌を持ち込んで、こっそり栽培してたみたい」
「嬉しい?」
「うん、とっても嬉しいわ!」
タバサが訊ね、ルイズはほくほく顔で大小何本ものキノコを採取し、持ってきたかばんへと詰め込んでいる。
ここ最近の彼女はずいぶんキノコに傾倒していたが、おそらくコレの発見が切っ掛けだったにちがいない。
「不老長寿の薬の材料になるっていうくらい、古代神秘魔術(Arcane Magic)の力をたっぷり秘めてるから。用途はいくらでも思いつけるわ」
ルイズのお仕事『黄金のエリクサー』精製のための優秀な魔法触媒にもなるらしく、これを使うと手間のかかる工程を七つほど短縮できるという。いたく上機嫌で、『にょきにょき毒キノコの歌』を口ずさむルイズ。汗だくの胸元もぱたぱたと、キュルケは呆れ顔だ。
「あなたずいぶん好きなのね、キノコ……」
「ええ、だぁい好きよウッフフフフ……便利だしね、味とか形とか色とか毒とか……あっ、これなんかツェルプストーが好きそうな形してるわね。欲しい?」
「要りません。ていうかさ、あなたときどきすっごい露骨になるわよねヴァリエール」
懲りずにはしゃぐルイズには、一度キノコで失敗して暴走した前科がある。
語られぬ『緑色の小人事件』……犠牲者が出なかったのは、じつに幸いなことだった。
「あとは『悪魔の脳みそ(Brain of a Demon)』があれば完璧だわ! 別の場所に採取しにいきましょう!」
ルイズが拳を突き上げた。友人二人はびっくりだ。ふたたびキュルケがおずおずと問いかける。
「ねえルイズ……そ、そういう名前のキノコ……ってことでいいのよね?」
「ん? 違うわ、文字通りの意味よ。適当な悪魔を一匹ブッ殺したあと、頭蓋骨をカチ割って中のおみそを頂戴するの。うふふふ……」
「うげっ!!―――」
なんと。ガチでそんな原料をポーションに使うらしい。キュルケとタバサは真っ青になって、口元を押さえる。
後悔しても遅すぎる―――ああ、聞かなきゃ良かった……!!
おそるおそる、タバサがさらなる問いを投げかける。苦労人キュルケは「もうやめてこれ以上知りたくない」とばかりに、いやいやと首をふっていたが……
「……今まで、使ってたの?」
「え? そういうことは無いけど。そろそろレシピを見直してみようかなって」
ルイズがきょとんとした表情を見せる。タバサとキュルケは聖具の形を切って、始祖に感謝した。
「ルイズ。お願いだから、今後はそういうの使ったお薬とか、あたしたちに飲ませないでね……」
「何よ。別にそのままぐちょぐちょ混ぜたりするわけじゃないわ。きれいに浄化もするし、蒸留して必要なエキスだけ抽出するわけだし」
「お願い、お願いよ、ルイズ……」
涙目のキュルケは、ルイズの細い肩をがっしりと掴んでぐらぐら揺すってきた。白い髪の少女は慌てて返事をする。
「わ、解ったわよ……べ、別にあれがなきゃ作れないってこともないから」
「ほんと!? 約束よ! ああ良かった……ありがと!」
キュルケは地獄の底から救助されたかのような笑顔になった。ルイズは釈然としないようで、ぶつぶつ文句を呟いている。どしてよ? 秘薬の材料なんてたいていヘンな生き物の一部だし、美容液の材料にどばどばミミズだって使われてるし、みんな牛や羊の内臓だって平気で美味しそうに食べてるのに……
異世界<サンクチュアリ>では割とポピュラーな材料『悪魔の脳みそ』である。使ってはいけない理由も、薬師としての思考も板についてきた彼女には、いまいち納得できないようだ。
「タバサはどうかしら?」
「……どうしても必要なら、仕方ない……と思う」
「そう。ウフフフ……」
「でも嫌」
「えっ、あら。……じゃあ、使わなきゃいけないときには、事前に伝えるわ。それでいい?」
「そうして欲しい」
犯行前の発覚により、ひと安心は出来たけれど……何にせよ、今後も多少の警戒はしておいたほうが良さそうな予感がしてならない、友人二人であった。
さて―――今回もまた、とある食べ物についてのお話である。
魔法学院に戻った三人は、お風呂で汗をスッキリと洗い流し、その後はお昼ごはんタイムに突入した。
専属メイドのシエスタが職場復帰したことをきっかけに、この頃にはもう『幽霊屋敷』の室内も、見違えるほど綺麗に整理整頓されていたものだ。ここの住人も、遊びに来る友人たちも、快適な生活を送ることができているようで、なによりである。
「そのキノコ、……美味しいんでしょうか。どうかすこし、味見させていただけませんか?」
「えっ」
昼食後のまったりしたひととき。興味深げに訊ねてきたのは、自他共に認める美食の探求者、リュリュ嬢であった。
その発想は無かったわ……とゼロのルイズもびっくりだ。黒いキノコは食用目的でなく、秘薬の材料として採取したものなのだし。
毒ガスとか大好きなルイズは、さっきまでウフフウフフと愛しいソレをつついたりほお擦りしたりするだけで満足していたのだが。
「だってずいぶん希少なものなんでしょう、絶対美味しいに違いありません! ……しかもこの世界にはもともと存在しない味だなんて、はぁ、ロマンが……!」
きらきらと目を輝かせ、大きくて黒いキノコを物欲しそうに見つめている。
以前、彼女は季節外れの極楽鳥のタマゴを試して、失敗した経験があるというのに……一度や二度の失敗ではめげない性格のようだ。
「くいしんぼね。……言っとくけど、これ食べられるもんじゃないわよ。猛毒の塊みたいなもんだし、一口であの世に逝けるわ」
「ですが、その……毒ということでしたら、味見することに問題なんてないじゃないですか」
「はぁ?」
予想外の一言。自称毒物マスター娘さえぽかんと口をあけている。キュルケとタバサも同様だ。
ああ可哀想に、奇々怪々ルイズに深淵へと引き込まれ、とうとう脳をやられたか―――と、赤青二人は大いに心配していたが。
リュリュは真剣な表情で、拳を胸の前でぎゅっと握り締め、かく語る。
「だってルイズさんの作った、強力な解毒ポーションがあるんですよ。直前にあの包薬を飲んでおけば、安心して味見できるでしょう!」
つまり、そういうことだった。少々天然の入った少女の頭脳からは、きっと疾風の教師の影響なのだろう、とんでもなく自由(フリーダム)な発想が出てくる出てくる。キュルケは呆れ果て、タバサはひとり顔を青くしていた。「確かにそうかもしれないけど、絶対安心というほどじゃ……」ルイズは口では否定しつつも感心を隠せず、リュリュはますますヒートアップ。
「どうかおひとつ分けてください! 必ずや風味魔法の進化のための参考となるでしょう! この私には世界中のおいしいものを探求する義務が、いえ天命があるんですから!」
美食のためなら火竜にさえ挑むリュリュさんだ。気持ちは解らないでもないが……ちょっと無謀すぎる。常識人キュルケは「危ないわ、やめておきなさい」と言い、我に返ったルイズも「駄目よリュリュ。命が惜しければ……」と同意する。
「いいですかキュルケさん、ルイズさん。そもそも現代の食卓を彩る多種多様なキノコさんたちだって、野菜もタコもナマコもフグも、美食や珍味と呼ばれるものはみんなみんな始まりは同じ! 大いなる食文化の発展! それはどんな苦難もいとわない勇気ある味見から始まったんです! 少々の危険がなんですか!」
どどーん、と背景に太陽や海原を負わんばかりの力説だ。
みな勢いに飲まれてしまい……次のとどめの台詞に、最後の砦ゼロのルイズは、ほっぺを染めて陥落することになる。
「毒があるからって、食わず嫌いはできません! むしろ毒があるからこそでしょう! さあ棺おけを用意しといて下さい!!」
「やだ……かっこいい……」
「え、ちょ……」
根っからの冒険者である。さて―――
当初はルイズもキノコ食い倒れパーティに参加しようとしたのだが「お願い、やめて」と涙目で止める少女がいたので、見送ることになった。―――『料理に毒』というシチュエーションは、小さな青髪の女の子にとって、今も克服しえない悲しきトラウマなのである。
かくして被験者はリュリュひとり。「知らないところで勝手に無茶されるよりは、応急手当のできる目の前でやってもらったほうがいい」……タバサも同国出身の友人の無鉄砲さにげんなりとしつつも、しぶしぶ承諾したようだ。
被験者の言うとおり、ただ『風味魔法』の参考にするのが目的なら、彼女ひとりで一口味見するだけで充分。だから、こんな危険かつ希少なものを、世間に新しい食材なのだと発表したりする必要もなく。実りある実験かもしれない―――危険きわまりないことを除けば、であるが。
厨房で捕えられたネズミを使い、動物実験もつつがなく終わる。毒物耐性マックスに魔改造されたネズミさんがキノコを食べても、目立った問題は見られなかった。むしろ少々元気になったので「きっと美味しいからですよ!」不安は残ったが、さあ次こそは有人宇宙飛行だとでも言わんばかりに気合を……いや、ただ飛ばないことを祈るほかない。
「いいかしらリュリュ。味見したら飲みこまないですぐに吐き出しなさい。本気で危ないから……ちょっと死相が浮きかけてるし」
「? ……そうなんですか? では、そうします……」
『幽霊屋敷』の裏庭の作業スペース。キュルケとタバサ、後からやってきたシエスタが恐々と見守る中。
シンプルな手順の料理ほど、素材本来の美味しさが出るという。かさも軸も黒い怪しげな魔法の毒キノコ、小さめの一本は、網焼きにされ食されることとなった。火にかけたところ、くぱっ、もやもやと危なそうな胞子が飛んで「きゃあー!」悲鳴があがり、大パニックになったりもしたが、なんとか切り抜ける。
リュリュもふくめ、場の全員が『毒耐性アップ及び効果時間短縮の護符』を配られて身につけていた。
「まったく、料理するだけで一苦労ね」呆れるキュルケは、唇をかみ締め震えるタバサと手を繋いでやっている。
「焼けたみたいですよ。匂いがおかしいですし、美味しそうにも見えませんけれど……」もと食堂勤めだったシエスタは顔をしかめている。
「このぐらい良くあることです。私、一度だけ鼻の曲がるような匂いの果物を食べたことありますし……あれは極上でした。さて、それでは……みなさん、万が一があったら、骨は拾ってくださいね」
形容しえぬ匂いの漂うなか、神妙な表情でリュリュが解毒カプセルを服用すると、ルイズは焦点の合わぬ目で効果の出たことを伝える。
「うん。たった今、あなたの死に向かってた運命も綺麗に消えたわ。これなら大丈夫よ」
「はい、いただきます!」
占い師少女のお墨付きも得て、大きな声で宣言し、冒険者リュリュは満面の笑顔で、皿の上の黒いキノコを一口サイズに切りとって……
「待って。念のためこれも装備しときなさい。右手に持ってるだけでいいから。刃には絶対に触らないで」
「? 何ですか……、あっ、ルイズさんお気に入りの短剣ですね」
最高のお守り刀<翡翠のタンドゥ>を片手に、リュリュは今度こそあむっ、と件のキノコを左手のフォークで口に含んだ。
ほにゅほにゅ……たちまち眉をひそめ肩を落としてゆき、ぺっ、と皿の上に吐き出す。
「……うぇっ……ぜんぜん美味しくない……これは無理です」
「そ、そう……残念だわ。どんな味だったの?」
うがい用の水を渡してやりつつ、味への興味のなくもないキュルケが、リュリュに訊ねた。
「うーん、三年酢漬けにしたエイから、酸味と旨みを抜いたみたいな……どんなに手をかけて調理したとしても、残念ですが到底美味しくなりそうには思えません」
よく解らない例えだった。たぶん『超えぐい』という意味なのだろう。そういえば『家出中に食べたまずいもの』という話題で、出てきたような覚えもある。少々引きつった顔になったリュリュは、うがいして口内を丹念にすすぎ、再びもうひとつのカプセルを服用し、体内の毒を中和した。
確かに、中和した……はずなのだが。
「えへへ、ちょっと体が熱くてふわふわしてますが……さてルイズさん、次いってみましょう!」
「はぁ? ……何言ってんの!」
「もう引き下がれません、負けたままでは美食家のこ、ここここ、沽券に……! お願いしますルイズさん持ってきてください次のやつ、ほら他の種類の毒キノコもたっぷりコレクションしてるんでしょうさあ宇宙が見えるキノコください!」
ああ、いったい何が起こっているのだろう……見守る少女たちは冷や汗だらだらだ。
「え? あるけど……だ、だめよ。見た感じあなたの体の霊気の流れ、乱れてひどいもの。キノコの魔力も暴走してるみたいだし、この上毒が混ざったらどうなるか」
「えへへどうなるか楽しみですね! 毒キノコもっと……ルイズさん、き、きのこの、へへへはははは、はうっ、このこのこ……」
ふるふるふるふる震え、握っていた短剣をぽろんと落とし、己が身をぎゅっと抱きしめているリュリュ。瞳のツヤが完全に消えていた……まるでルイズみたいだ、とタバサは思った。なんと今は、そのルイズにさえ心配される緊急事態。顔色だけは普通なのに、態度はますますおかしくなってゆく……ああ、どうなってしまうのか!
「わあーっ!! あっ、あちらにおわすのはマハラジャ先輩!」
「って誰!? ちょっと、どしたの!?」
「あ、あ、あっちには『緑色の小人(Fetish)』! ……まま、まさか実在するなんて……!」
突如リュリュはぴょーんと弾かれたかのように立ち上がり、すばしーん、とルイズの下半身にタックルをかまし……「ふひゃあう!!」
―――後に判明したことだが、原因は結局のところ『人の体を害する毒』に抗する<翡翠のタンドゥ>や解毒ポーションが、少量なら薬効になる成分や性質に関して、ダメージや依存症として残らないせいか、ほんのわずかお目こぼししていたということだったそうな。
「わわわたしに吹き矢を、吹き矢を貸してくださいルイズさんおおお尻が狙われて大変です! 吹き矢が、吹き矢がないとルイズさんのお尻がわわ……!!」
かくして見覚えのある事件が、今一度繰り返されたのであった。直後『眠りの雲』の魔法が放たれる―――タバサのファインプレーである。やってきたコルベール先生に、おいたをしたやんちゃ少女たちは、たっぷりお叱りを受けることになる。
チャレンジャー少女リュリュは症状の治まるまでの間、ぐるぐる巻きに縛られて、猿ぐつわを巻かれた口もえへらへらと、怪しく眠り続けていたという。
「……ご迷惑をおかけしました。もう毒キノコを食べてみたいなんて、二度と言いません」
最大HPの1増えたらしいガリア娘は、翌日にはいつもの調子に戻って、皆に笑顔のおすそ分けをしてくれたそうな。
どんどはらい。
//// 【次回日常編:『妖精革命戦線』、『アニエスさんのおしりぺしぺし』、『ルイズ増殖』、ほか二本、の巻……へと続く】