//// 24-1:【ハートに火をつけて:後編】
ジャン・コルベールはトリステイン魔法学院の教師である。
四十二歳の彼は、かつてアカデミーの実験小隊に所属し、あまたの裏仕事に携わった過去をもつ。
人を炎で焼くことの空しさに打ちのめされた彼は、退役した後、教師として炎の平和利用を二十年間追及し続けてきた。
そして―――
現在、魔法学院の広場にて、彼はおのれの過去の業と対面している。
「隊長どの! 幻滅したぞ! 俺から両の目を奪った男が、その程度なのか!」
「ぐっ……」
全身のいたるところを焼かれ、彼は広場に倒れていた。
彼を追い詰めた男は、白炎のメンヌヴィル、かつての部下、アカデミー実験小隊の副長である。
メンヌヴィルが捕縛に向かった学院長オールド・オスマンは、しばらく前に王宮へと向かったらしく、学院に不在だった。
そして本塔より引き返してきたメンヌヴィルは、『幽霊屋敷』にてコルベールとリュリュを見つけ、かつての上司に戦いを挑んだのであった。
このとき、すでに勝敗はついていた。
ジャン・コルベールの敗北である。
「無様なものだ! さあ杖を拾え、反撃してこい隊長どの! それとももう気力が尽きたか、炎蛇とまで呼ばれた炎の使い手が!」
白炎のメイジは、因縁の相手と会えたことで上機嫌になり、もはや人質のこともなかば忘れているようだ。
コルベールのほうも、形はどうあれ一対一で戦う機会を得たことは、僥倖だった。少なくとも、ほんの十分ほど前までは、そう思っていた。
自分が彼を止めさえすれば、他のメイジは恐れるに足らず、と踏んでいたからなのだが―――
「終わりか! 実に無様だな、二十年間も夢に見続けた男が、この程度だったのか!! 詰まらん、詰まらんぞ!」
全身くまなくホーリー・ファイアで焼かれ、両手はひどく焼け爛れており、もはや杖を握ることもできない。
大事にケアしていた側頭部の髪の毛も、もはやちりちりと焦げて見る影もないパンチパーマである。
「どうしてくれる! 俺は願っていたのだコルベール! ずっと! あんたみたいになりてえなって、憧れていたのだ!」
勝利を確信した白炎のメイジは、彼をじわじわとなぶり殺しにすることに決めているようであった。
白炎の傭兵は、膝をつくコルベールに向かって、『正義の手』を振り上げ―――
がつん!
「うぐっ!」
背中を打たれ、教師の全身が焼かれ凍りつく―――
同時に、杖に秘められた『一時盲目効果(Hit Blind Target)』が発動する。
コルベールの両目より、光が失われた。もはや、逃げることもできぬだろう。彼の命はいま、風前の灯火である。
- - -
正義の手(RW Hands of Justice)
(サー・チャム・アムン・ロー)Sur + Cham + Amn + Lo
ルーンワード発動カデューシアス
片手ダメージ149-181
装備必要レベル67 要求筋力97 要求DEX70 耐久値70+固定化値
レベルアップ時にレベル36『ブレイズ』発動
死亡時にレベル48『メテオ』発動
装備時にレベル16『ホーリー・ファイア』のオーラ展開(一定範囲内の敵を炎で自動攻撃、および武器攻撃に炎ダメージ追加)
+33% 攻撃スピード
+330% ダメージ強化
ターゲットの防御力を無視
命中時にダメージ分の7%のライフ吸収
目標の火炎レジストを20%引き下げる
20% デッドリー・ストライク
命中時に敵を一時的に盲目にする
+3 敵を凍らせる
ソケット4使用済
固定化がかかっている
シェフィールドによって作成された
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メンヌヴィルの帯びる異世界の装備は、この超高級なルーン石をはめ込まれた杖『正義の手』ひとつだけではない。
彼がマントの下に身につけている不恰好な皮鎧、『火竜の皮衣』もまた、『装備時にホーリー・ファイアを展開』する装備のようである。
両方のスキルレベルを足して、対人戦闘においては強力きわまりない効果をもつ、30レベルもの<聖なる炎>を発動させているのだ。
「どうだ隊長どの、目の見えぬ気分は! これこそがかつて、ほかでもない貴様が! 俺に! 仕出かしたことだ! うはははは!」
白炎のメイジは大声で笑っていた。
この学院においても、戦闘力の高さにおいては上から数えるほどのコルベールを相手に、彼はあきらかに手加減していた。
そして、もはや完全に遊んでいる。いや、彼は最初から遊ぶつもりでいて、ただそれを実行しているにすぎないのだ。
「どうだどうだどうだ、俺のように周囲の温度でものを見てみよ! 出来ぬとは言わせぬぞ! かつてこの俺を返り討ちにした貴様なら、俺と同じことだって簡単に出来るだろうに!」
そんなことを言われても、すでにコルベールには打つ手もなく、重い火傷と凍傷を同時に負った身体は動かない。
戦いを始めてすぐに<ホーリー・ファイア>で攻撃され、毒ガス砲『やさしい毒ヘビ君』が暴発したことが、あっけなくも勝負を決めてしまったのだ。
「ああ、もう良い、そろそろ死なせてやろうではないか……ははは、さあ今のうちに何か、言い遺すことはないかね?」
「……守る……のだ……」
弱々しいつぶやきが、コルベールの口から漏れた。
メンヌヴィルはしばし何かを考えるような仕草をしていたが、ふむ、と鼻を鳴らした。
「よせ、隊長どの。俺や貴様のような人間に、そんな生き方は到底似合わぬ。炎のメイジは破壊の徒、他でもない貴様がそれを忘れては居ないだろうに」
「……それでも……だからこそ、守らなくては、ならないのだよ……メンヌヴィルくん」
この場で戦えるのは、ただひとり自分だけ。何があっても、皆の帰る場所を守りたい―――そんな強い願いが、彼の意識を繋ぎとめていた。
「きみは……今の私を、ブザマだとしか、見えないの、かね」
「当然だろう、あのとき俺の憧れた隊長どのが、見る影もないぞ……まあ、俺は目が見えぬがな。だが解る、今の貴様は、シケた炭みてえだ」
「……わ、私のように、なりたかったと、言うのなら……なりたまえ、今からでも、遅くはない。……己の生き方を、省みるんだ……」
「畜生め! 本当に……つまらぬやつに成り下がったな。いったいどうして、そうなっちまったというのだ?」
朦朧としてゆく意識のなかで、彼は効果のなさそうな説得をつづける。
ぜったいに諦めるわけにはいかない。必死に手探りで、落とした杖を探していたときのことだった。
「うははは! ―――俺の決闘に横入りか!」
ずどん、と<ホーリー・ファイア>の炸裂する音がひびく。
デルフリンガーを背負い、手には<炎の剣>を振りかざした、完全耐火装備のアニエスが斬り込んでいったのだ。
空中から現れた炎で剣をもつ手と全身をくまなく包まれつつもなお、彼女はほとんどダメージを受けていないようであった。
「ほう、この女、俺の炎が効かぬとは! 初めてだ! これは面白い!」
がきっ、がきっと杖で剣を受け止め、杖を持つ手を剣から放たれた炎で焼かれながら、メンヌヴィルは口の端を高く吊り上げた。
一方、アニエスは驚愕していた。ごおっ―――と、二人の間に猛烈な火炎が立ち上る。
不意打ちはあっさりといなされただけでなく、男の杖のまとう炎は完全耐火装備を突きぬいて、剣を持つ己の手を少し焼かれてしまったのである。
「なんと! 防がれるとは……!」
「ふん、温度でものを見る俺に、不意打ちは効かぬ! 女、貴様も多少は炎を使うようだな、もう貴様で良い。俺は今、機嫌が悪い! 全力で持てなせ、楽しませろ!」
うはははは、と笑い声が響いた。この程度のダメージで怯まぬ彼はまごうことなく、レコン=キスタ最強のメイジの呼び名にたがわぬようであった。
痛みを堪え飛びのいたアニエスに向けて、メンヌヴィルは呪文を詠唱しはじめた。
放たれたファイアー・ボールを、剣士は横にころがってかわす。炸裂した爆風が、アニエスを弾き飛ばす。ずどっ―――!!
「ぐうっ……だが、これしき!」
さきほど全力疾走して、自室へとこの『炎の剣』を取りに行ってよかった、とアニエスは心の底から思う。
<ホーリー・ファイア>の炎による範囲自動攻撃もまた、あの『黙示録』と似て、デルフリンガーが吸収する間もなく、虚空より直接目標を攻撃するもののようだ。
デルフリンガーだけを装備していたなら、自分は問答無用で黒こげにされていたことだろう。
炎の剣のもつ極めて高い火炎レジスト効果が、いまのアニエスを守っている。
そして、残念なことに相手は盲目のメイジのくせに、剣士としての修行をつんだ自分よりも、はるかに接近戦の腕が立つようだ。
いちど打ち合ったことで理解できたが、なにより火力が違う―――これほどの重装備をしてきても、勝ち目は薄いようだった。
「ミスタ、無事か!」
「そ、その声は……アニエス殿か……うぐぐぐっ」
アニエスはコルベールに駆け寄った。そして、彼の負った怪我の重さを見て息を呑む。
白炎のメイジの前に敗北した炎蛇のメイジは、ただひたすら苦痛のうめきをもらすだけだった。
「!? ……まさか、目をやられたのか……それに、なんてひどい火傷だ! すぐに治療いたしましょう……」
今は彼を引っ張って、一時撤退すべきだと考えたのである。
教師は全身に深刻な火傷や怪我を負っているようだが、ポーションを飲ませればなんとか助けることも出来るだろう。
だがしかし、敵の迫る今現在、そんなチャンスも無いようでもあった。
「……おい隊長どの、まさか、その剣士は貴様の女かね?」
下卑た笑い声とともに、メンヌヴィルが歩み寄ってきた。すぐ近くで立ち止まり、言葉を続けた。
「俺には解る! その女の声を聞いたとたん、貴様の体温に変化がおきたぞ!! 隊長どのにとって、そいつはよほど大切な女なのだろうな!」
……何だって!? アニエスは驚くほかない。腕の中のコルベールが、むぐぐ、と声を漏らした。
こんなときに、いったい何の話をしているのだろう?
剣士アニエスにとって、ジャン・コルベールは、存在感こそ濃く思えはしたが、接点の薄い男性だ。
<サモナー>を追う任務についてしばらく経つが、これまでに彼と会話したのもほんの二、三度だけである。
物騒な二つ名、『炎蛇』をもつ男。
あのルイズ・フランソワーズと関わるようになってから、学院内では、さまざまな噂によってその二つ名も変化してきているらしい。
『邪炎のコルベール』だとか『毒蛇のコルベール』だとか、ひどいときには『蛇王炎殺のコルベール』とまでささやかれている。
そんな噂のせいで、彼を見るなり女子生徒たちが怯えて逃げ出してしまうことが、近頃の彼の悩みらしい。
そんな不気味きわまりない炎の中年教師に、自分は一目惚れでもされていたのだろうか?
どうしてジャン・コルベールが、白炎の男が確信をもって言うほどに、自分のことを気にかけているというのだろう?
そんな疑問は、次の瞬間に崩れ去ることになる。
「傑作! おお、これは傑作だ! その年になって、色恋に腑抜けているのか! ダングルテールの村で女子供も情け容赦なく焼きつくした、あの『炎蛇』が!」
白炎のメイジは、笑いながら叫び続けていた。うはははは……懐かしい、ああ懐かしいなあ!!
剣士アニエスの目から、たちまちのうちに、輝きが失われてゆく―――
ダングルテール―――かつて新教徒の隠れ住んでいた村であり、アカデミー実験小隊によって焼き尽くされ、今はもう地図に無い村。
アニエスの出身地である。
二十年前のとある村で起きた虐殺事件に、それぞれ因縁をもつ三人の男女が、ここで偶然にも、一同に会していたのだった。
―――
異世界<サンクチュアリ>、東方の森林地帯の地下都市に住むラズマ教徒たちは、長き歴史のなかで、一般人には理解もできないほどに独特なる神秘学にもとづき、文化と倫理とを発展させてきた。
彼らの教義によると、大宇宙を背負う聖竜トラグール(TragOul)は、『確定していない未来』の象徴でもある。
その巨大な竜が存在する限り、天界の神々や地獄の悪魔どもが何を企んでどんなことをしたって、未来のありようを決定してしまうことはできない。
ありとあらゆる存在は、<存在の偉大なる円環>のなかで、はるか永遠の時の向こうへと回帰してゆくのだ。
そう信じ続けている限り、ラズマの教えは大いなる喜びと、邪悪に対抗する技と、無限の心の力を与えてくれる。
ただし、一歩足を踏み外せば、その教えはときに人の心を<虚無主義>的なものへと容易に陥らせるワナともなりかねないのだという。
決定的な行動の選択をなすのは運命であって、自分自身ではない―――という諦観、責任逃れにも似た心のワナが、慣れぬものを待ち受けているのだ。
ひょっとすると、人々はこのような理解しようのない深淵の匂いを無意識のうちに嗅ぎ取って、ネクロマンサーを忌み嫌っているのかもしれない。
ラズマの聖職者も、運命の流れの一部を読み取れるからといって、必ずしも正しい選択肢を選び取れるわけではないのだ。
占いというものは必ずしも、人の選択の正しさや無謬(むびゅう)さを保証してくれるものではない。
さて―――
一般的に占いと呼ばれるものは、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することを指すらしい。
他方ルイズがやっているのは、より良き運命の流れを見出して、それに乗るための祈願なのだという。
判断と行動はあくまでも、人の心の力にゆだねられるのだそうな。
ルイズ・フランソワーズが普段より、自分の占いについて『厳密には占いではない』と言っていたのも、そういう事情のせいだった。
そして、現在荒れ果てたタルブの村にて、見習いネクロマンサー、ルイズ・フランソワーズは、極限まで追い詰められたひとりのちっぽけな少女である。
魔道士の男の甘い誘惑は、姫を助け国を守りたい少女にとっては、十分すぎるほどに『理にかなった』もののようである―――
さらに、以前より懸念していたこともあった―――
<サンクチュアリ世界>へと繋がる確実な手がかりは、ひょっとすると、この魔道士の仲間になることを置いて、他に無いのかもしれない。
この男を嫌悪し敵視する彼女にとっては、まったく想像したくもない可能性であったが、悲しいことに、それはなによりも現実的なひとつの手なのである。
ルイズの好き嫌いと、心を支えるラズマの教義。あるいは自然なる生と死とのバランス。
もう一方の天秤の皿のうえには、国の存亡と幼馴染の無事、そして大司教との約束を果たすための、サンクチュアリ世界への道。
「……ほんとに?」
そんな呟きが聞こえたので、ギーシュは耳を疑った。
「お、おいルイズ! な、何を言っているんだ!」
「……嘘じゃ、ないの?」
『少女よ、その男の戯言に耳を貸すな!』
白髪の少女は、まるでギーシュやラックダナンなど何処にも存在しないかのように、うつろな表情で、魔道士の男へと問いかける。
「ほんとに、あなたが……姫さまを、私を、……私の国を……助けてくれるの? 私の行きたいところへ、連れて行ってくれるの?」
杖を握っていないほうの、白い手袋をつけた手を顎にあてて、<サモナー>は不気味に首をかしげ、笑っていた。
「はははは、然り、然り。汝がそれを望むのなら、われは為そう。わが言に偽りなし、同胞には嘘をつかぬぞ」
「そう、私がお願いしたら、なぁんでも聞いてくれるんだ……」
ゼロのルイズもまた、唇の端を吊り上げてゆく。
『誇り高き少女よ、止せ。己を見失うな。もしそなたがその男の力を借りるというのならば、われはそなたを斬らねばならぬ』
電光はじける剣をかまえ、ガリアの騎士が悲しげな声色でそう言った。だが、少女は騎士へと一瞥もくれない。どうやら全く聞こえていないようだ。
ガリアの甲冑ガーゴイル軍団が槍を構えたので、ギーシュは慌ててワルキューレに命令を下し防御陣形を取らせた。
ギーシュ・ド・グラモンは想像する。
少女ルイズ・フランソワーズが、自分の目の前で剣を振り下ろされ、すっぱりと左右二つの部分に別れて、花のように血しぶきを散らせる様を。
あるいは自分に「ばいばい」と一言告げて、甘い飴玉に釣られる幼子のように、二度と会えないだろういずこかへと消えていってしまう様を。
いずれも、悲しすぎる結末にほかならない。
うくくく、と喉を鳴らし、少女は上ずった声で言葉を続ける―――
「私が望んだら、おじさま、何でも叶えてくださるのね! それなら私―――あなたについていくことにするわ!」
青銅のギーシュは、ひどい眩暈に襲われた。
彼は、ルイズという友人の持つひたむきさが好きだった。
彼女がこの指名手配犯、王女の宿敵<サモナー>におもねるなど、考えたくもないことだった。
だからこそ、そんなルイズの言葉は彼をうちのめし、あらゆる言葉を奪うほかなかった。
「今、気付いたの! あなたこそが、私を助けてくれるって! ひょっとすると私、あなたに会うために、ここに来たのかもしれないわ!」
ギーシュは悲しみに拳をにぎり、わなわなとふるわせていた。声がでない。もうやめてくれ、と叫びたくなった。
国を守るため、貴族としての誇りを保つため、果たしてルイズは今、本当に正しい選択をしているのだろうか。
そんな彼の問いに正しい答えを与えてくれるようなものなど、どこにも居ない。ひょっとすると、もう正しい答えなど、どうやっても存在しえないのかもしれない。
いっぽう、青衣の魔道士は、壊れたような笑い声をあげるルイズに合わせるかのように、同じく壊れたように笑っていた。
「そうか! はは、ははは、はは―――聞こう、聞こうではないか、まずは何を望む? 娘御よ」
「ウフフフ……ねえ、おじさま、私、あなたにひとつお願いがあるの! いいかしら?」
「良かろう、何なりと望むがよい!」
「ええ望むわ! ―――それはね、とてもとてもステキなことなのよ!!」
少女ルイズ・フランソワーズは、虚ろな笑顔で、明るく言った。
ギーシュはほんの少しだけ、違和感を感じる。どこか、様子がおかしい。だが、今の彼にそれを検証している余裕は無かった。
「あのね、私ね、さっきね! とおーってもイイ事、考えたの! ……こんなステキなことを思いつく私ってば、天才じゃないかしら、って思っちゃうくらいよ!」
あはははは、と少女は笑った。
ははははは、と魔道士も笑った。
二人の笑い声は、ただひたすら虚ろに、荒れ果てた村に響いていた。
ギーシュはもう、座り込んで泣き出してしまいたい衝動に駆られていた。崩れそうな両膝に力を込めて必死に立っていた。
帰ったらモンモランシーに何と言おうか、と少年は回らなくなりつつある頭で、ぼんやりと考えていた。
『……残念だ』
黒い甲冑の騎士の纏う呪いの空気が、ますますいびつなものへと変化していった。
はるか上空の雲の影、煙と熱気による光の揺らぎが、あたかもこの場の空間そのものをゆがませているようにも見せていた。
めらめらと燃えるファイア・ゴーレムが、のっそりと少女の右斜め前へと歩いてきた。
ゴーレムが、ぐっ―――と、拳を握ってみせた。
「見て見て! おじさま、騎士さま、ギーシュも、ハイここに注目ね! ほら見て……このゴーレムちゃんの手、とってもでっかいでしょう?」
あは、あはははは、と少女はおなかを押さえ、虚ろに笑っていた。
この少女、突然何を言い出すのだろう―――と、その場にいる誰もが疑問に思っていた。ますます様子がおかしい。
騎士も、ギーシュも、もはや魔道士の男さえもが、少女のまとう異様すぎる雰囲気に飲まれ、ただ呆気に取られたように立ち尽くしている。
「この炎のゴーレムちゃんのゲンコツをねっ、めらめらでっかいバーニング・ゲンコツをね……」
ルイズは、死んだ深海魚もかくやと言うほどの、完全に瞳孔の開ききった深い深い目で笑っていた。
ぶるぶるわなわなと細い身体を震わせて、ばっと大きく両手を広げ、干し首盾をぶらぶら揺らし、少女は続けて、言った―――
「―――おじさまのおしりにブチ込んで、グリグリかき回すのッ! そんでね、ああっ―――なんてステキなことかしら、あひいあひいって泣きわめいて貰うのよっ!!」
時が止まったかのようだった。
誰もが、硬直していた。黒い騎士の身につけた背嚢(はいのう)の紐が、ずるがしゃん、と音を立てて下がった。
ギーシュも魔道士の男も、口をあんぐりと開けていた。
ゼロのルイズの感極まったかのように上ずった言葉だけが、とめどなく溢れてゆく。
そんでね、そんでね、そんでね―――
「どんなに泣いて謝っても許したげないの! ああ、こんなステキなこと思いつくなんて、私ってば天才かもね! ……ねえおじさま、あなた生きていて楽しい? 生きていて楽しい?」
はるか遠くから降りそそぐかのような現実感を伴わない声で、ルイズはひたすら躁病のように笑い、喋りつづけていた。
「あはは、生きていて楽しいの? バッカじゃなあい? ねえねえ『自称<サモナー>』のおじさま、そんな風に生きていて本当に楽しいのかしら? うふっ、ウフフッ……」
わあは―――
きゃあっははっ―――!!
白髪の少女はどこか恍惚とした表情で、全身をびくんびくんと痙攣させつつも、まるで闇の世界を支配する女王のごとく、大いに笑っていた。
そしてこのとき、ギーシュ・ド・グラモンはようやく理解した。違和感の正体は、これだったのだ。
ああ、少女ルイズ・フランソワーズは、そう……
「アハハ、ハハ、ハハハッ―――死ねばいいのにッ!!!」
完全に、ブチ切れていたのだ―――
それは、まるで牙をむく猛獣のような、あまりにも壮絶な笑みとともに放たれた罵りの言葉であった。
間近で見ていたギーシュは、意識をフッ飛ばされそうになった。
その刹那、―――ゴオオッ!!
「……む!?」
魔道士の男の身体を、たちまち炎が包んだ―――<ファイア・ゴーレム>の纏う<ホーリー・ファイア>のオーラによる、自動発火攻撃。
<マナ・シールド>の力場がゆがむ。まったくのノンアクションで放たれた、開戦の狼煙であった。
「さあさ私にひれ伏して! 私に跪いて身も心もぜんぶ私のモノになって!! それが望みよ、ぜえーったいに逃がしたげないんだからッ!!」
瓦礫の下から、魔力をまとった白い骨の手が伸び、魔道士の足首をがしっ―――と掴んだ。
―――
一方、アルビオンの首都ロンディニウム。
ハヴィランド宮殿の一室にて、アンリエッタ王女はかつての想い人と、思いもよらぬ再会を遂げていた。
「ウェールズさま……」
ベッドに横たわっている金髪の彼は、ただの屍、というわけではないようだ。
旧アルビオン王国の王太子ウェールズ・テューダーは、ぴくりとも動かず、眠っているように返事をしない。
クロムウェルいわく、『仮死状態』なのだという。
「ニューカッスルにて発見されてより、王子殿下はずっとこの状態なのだそうです」
青い髪のガリアの王女が、アンリエッタにそう告げた。
王子の体は、医学的にみてまったくもって不思議な状態にあるという。まるで時が止まっているかのように、呼吸もせず、心臓すら動いていない。
なのに顔色は生きているかのようであり、一月以上の時が経過しても、まったくの腐敗も劣化もしていないのだという。
「……どういうことなのです?」
「アルビオン名うての水メイジたちも、どうしてこうなったのか、詳しい原因は解らないといいます」
水の系統魔法には、『人間を仮死状態にする魔法』がある。
戦場にて人が瀕死となったときに、必要な治療が間に合わない緊急時に、まれに使われる高度な魔法である。
レコン=キスタに所属する学者たちは、何者かが傷ついた王太子の身体に、その施術を行ったのではないかと当たりをつけたのだという。
しかし、そうなると、どれほど治療しても目覚めないというのは、おかしいにもほどがある。
「あなたもご存知のとおり、彼は旧王族とはいえ、魔法の実力も人望も然り、この世から失ってしまうにはあまりに惜しい方だ」
「わがガリア国の王も、彼の死はこの世界にとっての大いなる損失と考えているのです」
皇帝クロムウェルいわく、彼らはウェールズを目覚めさせようと、<虚無>をふくむ多種多様な治療を試したのだという。
それでもウェールズは蘇ることなく、ひたすらに死んだように眠り続けるだけ。
まるで、遠くない将来に自分を眠りから覚ましてくれるであろう、誰かを待っているかのようにして。
そう、彼はまるで眠っているかのよう。
なにかのきっかけさえあれば、目覚めるのだろうか―――
「アンリエッタ王女殿下、あなたをわが国へとお連れしたのは、他でもない……彼を治療するためなのだ。王子どののこの状態に、なにか心当たりはありませぬかな?」
クロムウェルはアンリエッタへと問うてきた。
実のところ王女には、大きな心当たりがある―――ルイズ・フランソワーズに与えられ、王女が手ずから彼に飲ませた、『黄金の霊薬』である。
彼女は想像してみる。あの薬が体内に留まっているせいで、ウェールズは死を免れたのではないだろうか、と。
死んだとばかり思っていた愛しい彼と、もう一度話すことができるとしたら……ああ、それはどれほど素晴らしいことなのだろうか。
「どうか……」
遠い目でアンリエッタは、弱々しげにつぶやく。
「……どうか、今しばらく……泣かせて、……ください、まし」
「む、これは失礼いたした」
ガリア王女とクロムウェルは、寝台より離れ、衛兵をつれ、部屋を出てゆく。
小さな部屋には、眠り続けるウェールズと、アンリエッタだけが残された。
レコン=キスタの皇帝やガリア王女の言ったことのうち、どこからどこまでが真実なのか、確かめる術はない。
目の前の王子が本当に生きているのかどうか、いつか蘇るのかどうかについても、アンリエッタには解らない。
ただ、めちゃくちゃにかき回された心のうちから、悲しみ、愛しさ、寂しさ、切なさ、かすかな希望、その他たくさんの感情があふれ出してきた。
王女は崩れ落ちるように彼の胸元へと顔を寄せ、彼の生きているかのように暖かい手を握り、声を押し殺して―――
「くっ、は……あっ……うううっ……」
がくがくと肩を振るわせ、泣き続けるのであった。
―――
キュルケ・フォン・ツェルプストーは、隣国ゲルマニアからの留学生である。
故郷に居れば、いつも家族から結婚を急かされる。なので、自由な恋愛を満喫したくて祖国を飛び出し、トリステインへと来ている。
そんな他国の人間、しかも女性である自分が、まさかトリステインを救うために命をかけることになるなど、編入当初のころには思ってもみなかったものである。
「『ファイアー・ボール』!! ―――わっとっと、きゃあっ!」
シルフィードの背より落ちそうになって、キュルケが悲鳴をあげた。放った火球が、<ウィル・オー・ウィスプ>の群れに着弾し、数匹まとめて吹き飛ばしてゆく。
反撃の電撃の帯がばりばりと宙を走り、シルフィードが射線上の空間より離脱する。
ばちばちと電光がかすめ、熱せられた空気がキュルケの長く赤い髪の毛の先っぽを少しだけ焦がし、いやな匂いを風の中に散らせていった。
『続け! ファイアーボール!』
『ファイアー・ボール!』
『ブレス一斉に放て、直後に離脱せよ!』
『次は私が引きつける、迅速な援護を頼む!』
ド ド ド ドォッ―――
伝統ある栄光のトリステイン竜騎士隊の隊員たちは、強烈な電撃魔法によって数騎を落とされてもなお、ひるまずに敵へと立ち向かってゆく。
先ほどまで彼らを包んでいた深い絶望は、もはや勝利への希望へと変化していた。
冷静だった雪風のタバサが、この恐ろしいモンスター<ウィスプ>たちの持つ、とある習性を直ちに見抜いていたのだった。
ときおり鬼火たちは姿を消し、別の場所へと現れる。しかしよく見ると、テレポートしている訳ではないようだ。
移動時にだけ姿を消し、攻撃時に姿を現す―――移動速度こそ、こうして空飛ぶ竜に追いつくほどに速い(Minion;Extra Fast)ようだが、ただ姿を消して移動しているだけであり、攻撃中に移動はできないらしい。
キュルケの放った標的を追尾する魔法、ファイアー・ボールの不自然な動きを見たところ、タバサはすぐに勝利に繋がる答えへと、たどり着くことができた。
この恐ろしい幻影のモンスターの最大の隙は、攻撃時にこそある。
なかば力押しの魔法の打ち合いを観察するうちに、やがてもうひとつの、最も決定的な情報を導き出すことに成功した。
―――『鬼火の群れは、一番近いところにいる目標を攻撃する』。
なお、敵に戦術的に優先して標的を選ぶほどの知性はないと来れば。
これらに気づき即座に隊長騎へと伝令できたことが、一方的にやられるだけの絶望的な状況から抜け出し、反撃するチャンスを作ったのである。
そして、鬼火たちは、異様なほどに火の魔法にたいして脆弱のようだった。
囮役が敵からの注意と攻撃を引き受け、火のメイジが攻撃するという連携が、シルフィードの背の二人と竜騎士隊のメイジたちとの間に、自然と生まれていた。
だが……
勝つための情報を得られたとはいえ、必ずしもそれを実行することが容易だという意味にはならない。
バ バ バ バ―――
「うぐっ、やられた! すまん、あとは―――」
『次は私が行く! 援護頼む! しくじったら屍は拾ってくれ!』
囮役を務めていた一騎の竜が羽を貫かれ、その背から騎士が飛び降りていった。
すぐさま他の騎士が飛び込み、敵の注意を引き、彼の戦線離脱を助ける。脱出した騎士は『フライ』を唱え、眼下の森へと降下してゆく。
つい先ほどまでなら、竜の背より離脱したメイジは、電光の集中砲火の的になるだけだった。だが、今はもうそうではない。
タルブ近郊の上空にて、彼ら彼女らは国のために友のために、皆が命を預けあい、迫り来る死の運命と戦っているのだった。
「きゅいきゅいっ!」
そして、いまや形勢は逆転しつつある。
どき、どき、どき、と心臓が鳴る。
(すごいわ……あたしも、タバサもシルフィードも、この人たちも、今、命を燃やして戦ってるの……!!)
キュルケは感激していた。
彼女は成り上がり国家ゲルマニアからの留学生であり、この国に住むものたちと比べてずっと、戦いと死とは身近にあるはずのものだった。
とはいえ、タバサやルイズと比べて彼女には、命を賭けた戦いの経験もそう多いわけではない。
本気の命のやり取りの経験も、せいぜい数えるほどしかない。貴族の戦いは大抵の場合、どちらかが降参するか杖を落とすことで決まるからだ。
だから、これほどまでに死が身近な状況、近くで人間がばたばたと死んでゆくという凄惨な状況に、慣れているはずもなかった。
(ああ、こんなの、はじめて……!)
これが戦場の空気というものなのだ―――それも、絶望に追い込まれてさえ誰一人前向きな心を失わないという意味で、限りなく理想に近いもの。
情熱と破壊を司る炎のメイジたる彼女である、心燃えぬはずがない。
覚悟を据え明日への情熱につつまれ、死の運命をたちまち乗り越えてゆく人間たち―――そんな強き力を間近で目撃し、自分も参加している今こそ、胸の奥高らかに鳴り響かぬはずがない。
共に戦う竜騎士隊―――先ほど出会ったばかりの、会話をかわしたばかりの、それでも確かにひとときの仲間だったメイジたちの死が、キュルケの心に火をつける。
タバサのことを守ってやりたいという気持ちが、その炎をますます燃えさからせる。
心を燃やせば燃やすほど、想えば想うほどに、彼女の魔法の威力ははるか高みへと登ってゆく。
もはや恐れは無い。
ド ド ド ド―――
落ちた仲間を犬死ににはさせぬとばかりに、一騎が飛びこみ、雷光の檻の隙間をかいくぐり踊るように宙を舞う。
炎メイジの攻撃が、竜のブレスが、凶悪な鬼火(ウィスプ)たちを片っ端から焼き払ってゆく。飛んでくる死の電撃の帯は、ひとつまたひとつ、確実に数を減らしていった。
さきほど一度落ちそうになってより、戦っている間じゅうずっと、キュルケはシルフィードの背より落下しないように、タバサと背中合わせにロープで身体を結びつけあい、両手で大きな杖を振るい続けていた。
背中越しに、密着したタバサの心臓の鼓動が、呼吸のリズムが、汗で湿ったシャツの衣ずれる感触までもが伝わってくる。
同じ気持ちなんだわ、とキュルケは思った。
(ああ……あたしたちは、今確かに、戦いの中に生きてる……ニューカッスルのときのルイズも、ガイコツたちも、こんな気持ちだったのかしら?)
ぶるっと肩をふるわせ、呪文を唱える。
「これで、ラスト! いっけえええ!」
―――ずどおおん!
やがて<鬼火>の最後の数匹を巻き込み、猛烈な爆風でこなみじんに打ち砕いたあと、キュルケは体中が小刻みに震えはじめた。
そして、目にはうっすらと涙が浮かんできた。
戦いで泣くなんて自分らしくない―――とも思ったが、この涙は今まで流した涙のうちでも、いちばん自分らしい涙のようにも思えていた。
勝った、嬉しい! 生き延びた!
あたしたち二人、生きていることが、こんなにも嬉しいなんて!
重く使い慣れぬ杖を強く強く握り締めていた手が、なかば固まってしまっており、指を引き剥がすのにすこし苦労する。
この期に及んで絶対に落としてはいけないというプレッシャーが、いつも気丈で本番に強いキュルケをして、そうさせていたらしい。
杖を背中にひもで吊るし、タバサを抱きしめる。
「やったわタバサ! あたしたちの勝利よ!! んっむー」
「……」
ともに死地を乗り越えた親友のおでこやほっぺたへと、何度もちゅうちゅうとキスをしてやると、タバサはもじもじと身をよじった。
キュルケは優しく微笑んで、青い髪の友人のおでこの汗と、ついた自分の口紅の跡を、そっとハンケチで拭ってやる。
思わず手を滑らせたとたん、先日買ったばかりのお気に入りの柄のハンケチは風にまぎれて、たちまち後方へと吹き飛んでいってしまった。
―――うおおおォオ!
トリステインの竜騎士隊のメイジたちも、もはやずいぶんと数を減らしてしまったが―――誰もが勝ち鬨の声をあげ、杖を振り上げて喜んでいた。
その後、それぞれの竜の背で、全員がまるで申し合わせたかのように、すっ、と胸に杖を抱いて目を閉じ、ほんのひと時、仲間の死を悼むのであった。
キュルケとタバサ、そして竜騎士隊のメイジたちの戦いは、まだ終わっていない。
むしろこれからが本番である。タルブへ行き、ルイズを守り、あの魔道士<サモナー>を討つのだ。
「……あれは」
キュルケがマナ・ポーションを取り出し、片手で鼻をつまんでぐいっと飲み込んで苦い表情をしていたところ。
タバサが、煙のたつタルブ方面に起きている異変を発見した。
「戦闘が始まっている……」
それもまた、目を疑うに充分な光景だった。
はるか天空より、まるで流れ星のように、村のある場所に向けて、いくつもいくつも燃え盛り尾を引く火の球が落ちてゆくのが見えたのである。
あそこでいったい、何が起こっているのだろう。
「急ぎましょう! きっとあそこにルイズが居るわ!」
「きゅいきゅい! きゅい!」
キュルケの叫びにタバサはおずおずと頷き、シルフィードが答えた。
―――
ジャン・コルベールは、なにも無策で、白炎のメンヌヴィルを周囲に誰も居ない広場へとおびき出したというわけではない。
隙さえあれば、『爆炎』と呼ばれる、必殺のトライアングル・スペルを放たんとしていたのだ。
それは空気中の水蒸気を油に<錬金>し、一定範囲内の酸素を燃焼しつくして敵を窒息死させるという、容赦なき殺人用の魔法である。
ところが、とうとうコルベールが禁を破る機会はやってこなかった。
単純に相手に隙が無かったことと、自動発火攻撃<ホーリー・ファイア>のほうが、こちらが呪文を練るよりもはるかに早かったのだ。
また、爆炎のスペルは、いちど放てば確実に相手を殺してしまう。
そして、近くに味方が居ては放つことができない。もし、コルベールが先ほど一時盲目状態にされておらず、いちはやく杖を拾っていたとしたら―――
メンヌヴィルの背後で不意打ちの機会を狙っていたアニエスまでも、<爆炎>の範囲へと巻き込んでしまっていたことだろう。
それは敵の肺の中の酸素を奪う呪文だ。したがって、デルフリンガーや火炎レジストによってさえ、ダメージの軽減は不可能であるように思われた。
あとほんの少しで、二十年前に自分が秘密裏に助けたダングルテール村最後の生き残りを、自分の手で殺してしまうところだった。
それだけでも、かつての部下メンヌヴィルに感謝すべきだろうか、とコルベールは思う。
複雑にからまりあった運命の流れというものは、なにがどう結果に影響するのか、まったくもって予測不可能なものである。
確かなことは、コルベールは完膚なきまでに敗北し、アニエスでは彼に勝てないだろう、ということ。
「おい、姉ちゃん、大丈夫か! あいつが来るぞ!」
コルベールを引き摺って逃げていたアニエスへと、背中のデルフリンガーが呼びかけた。
「……アニエスどの、すぐに……私を、置いて、逃げなさい……ミス・ヴァリエールたちと、合流するんだ……」
アニエスの体は、小刻みに震えていた。
たった今、自分の腕の中に居る、傷ついた炎のメイジ……助けようとした相手が、仇敵だったのである。
そして、彼をそんな目にあわせた盲目の傭兵もまた、長年追い続けてきた仇敵なのだと知って、深い深いショックを受けていた。
白炎のメンヌヴィルが、笑いながら、歩み寄ってくる。うはははは―――
「私を置いて……いきたまえ、アニエスどの……私はもう、だめだ」
コルベールが弱々しく言った。
剣士アニエスは、がくがくと震えだしてしまいそうな身体を、そして溢れそうな胸のうちを、強い意思でもって必死に押さえ込んでいた。
彼女はプロの剣士である。すぐに思考の冷静さを取り戻し、彼を引っ張って離脱する余裕などないことを、半ば以上理解していた。
では、彼を置いて逃げるべきなのだろうか、と考える。
この教師は、自分にとっての仇敵の一人のようである。
だが、彼はルイズ・フランソワーズやキュルケ・ツェルプストーに、ガリアのリュリュ嬢にだって、とてもとても好かれている男である。
今ここで彼を見捨てて生き延びたとしたら、自分は彼女たちに何と言うべきなのだろうか。
ボウッ―――パアン!
アニエスがコルベールへと飲まさんと、ベルトより取り出したヒーリング・ポーションの小瓶が、たちまち炎をあげて破裂した。
破片と炎を受けた剣士の手はグローブと火炎レジストのおかげで、傷も浅い。
白炎のメイジは、<ホーリー・ファイア>を異様なほどの精密さでもって、手足のように使いこなしているらしい。
彼は目が見えず、温度で周囲を感じ取ることが出来る。
彼は周囲の気配、殺気や敵意、そして攻撃や防御に関わる筋肉の動き一本一本までも読み取って、即座にオーラの炎で焼くことが出来るようだった。
もはやここまでくると、人間ワザではない。
「……逃げ……なさい」
「喋るな、傷にさわるぞ」
「……どう、して……」
どうしてなのだろう? アニエスは、自分が彼を置き去りにこの場より逃げるという選択をしていない理由を、自分でも理解できていなかった。
仲間であるミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストー、リュリュ嬢に免じて、というのが答えなのだろうか。
あるいは二人そろって生き延びることが出来たら、この男に問い詰めてやりたいことが沢山あるから……そんな理由もあるのかもしれない。
「さあ、待ちくたびれたぞ……話は終わったのか?」
二人のことをただならぬ仲だとばかり思い込んでいるらしいメンヌヴィルは、律儀にも待ってくれていたようであった。
アニエスは頭を回転させる。
片手で炎の剣の柄をぐっと握り締める。
心は決まっている……今はこの教師を助けよう、と。
―――だが、どうやって?
たとえ『ファイアーボール』を吸収しレジストしても、爆風の衝撃は物理的なものだ。
もしいちど剣を手からはじかれたら、あとは炎に全身を蹂躙され、黒焦げになるほかない。
「おい女、打って来い。まずはお前の両目を焼いてやろう。もがき苦しめ、俺とそこの隊長どのに、お前の焼ける匂いをたっぷりと嗅がせてくれ!」
伝説の傭兵は無情にも、休憩の終わりを宣言する。
二人とも助かる方法が存在しないことは、明らかだった。剣士はぐっと奥歯を噛む。
やはり手詰まりなのだろう。
自分ひとりなら、逃げ延びることは可能だろうと思われた。それでも、そうしたくないという気持ちが、胸いっぱいに溢れていた。
平民剣士のアニエスにも、強い意地と誇りがある。
それは、王女やルイズたちと触れ合うなかで、そしてここしばらく大きな任務に携わっているなかで培った、心の絆だ。
いっぽう復讐心というものは、悪魔どもが好んで喰らうような、何もかもを巻き込んで破滅へと向かう人間の負の感情の一種なのだという。
そう自覚したうえで、気持ちを裏返せば、過去の弱かった自分の心を乗り越え、選択したあらゆる行動を後押しするような意思の力ともなりうるのだという。
この二十年、復讐を夢見て乾いた人生を送ってきた彼女にとっても、出来ることなら後者のように、前向きでありたいと思っていた。
ここでひとり逃げたとしたら、自分を自分たらしめている何か大切なものを失い、自分の心のこれまでの成長を否定してしまうような―――
そんな気がしていたのだ。
ならば、せめてこのやりきれぬ気持ちを刃に乗せて、たとえ目を焼かれようと、一太刀でも―――と心を決めたときのことだった。
ときに、辛い運命への勝利というものは、くじけぬ者にたいし、あたかも天から降ってくるかのようにして、やってくるのだという。
ズド ドオッ―――!!
白炎のメンヌヴィルの全身を、突如虚空より現れた、強烈なる炎のかたまりが包んだ。アニエスは大きく目を見開いた。
その無属性の炎は、ありとあらゆるものを焼き尽くすような禍々しい虚無の色をしていた。
かつてアニエスもいちど身に受けたことのある、その凶悪な炎は、今や他でもない彼女にとっての、勝利の炎となっていたのであった。
―――
時はほんのすこしだけさかのぼる。
「オスマンだ! オスマンが出たぞ!」
傭兵の一人が、塔のてっぺんを指して叫んだ。
学院から出かけているはずの学院長オールド・オスマンが、敷地を見渡す塔の上、ばさばさとマントをひるがえし、そこに立っていた。
「メンヌヴィル隊長を呼べ! オスマンを見つけた!」
齢三百歳を越えるであろう老人が、自分の学校を見下ろして、その惨状に肩をすくめた。
頭には、不恰好な緑色の頭巾を被っている。
片手には、彼の身長と同じくらいに長い素朴な杖。
「まったく……面倒なことじゃのう……わしが留守にしたとたんに、学院のほうが攻められておるとは」
長い髪と長い髭の老人は、腰をとんとんと叩いて、ぶつぶつと文句を呟いた。
「白髪のガキが王宮へ行けと言うから行ってみれば、直ちに戻れとな……この年で馬車はきついというに……まあ、帰りは一瞬じゃったがのう」
どうやら彼は馬車で王宮に出頭してからフネでタルブへと向かうつもりが、到着してすぐに襲撃を伝えられ、慌てて学院へと魔法陣でとんぼ返りしてきたところらしい。
ぐるり、と学院の敷地内を見回して、苦々しげな表情をした。
「さあて、ちんけな賊どもめ、好き勝手に狼藉をはたらいてくれたもんじゃの……わしからのおしおきじゃ、たあんと喰らえい!」
赤銅色の素朴な杖、トリステインで彼しか使いこなせないであろう戦術兵器を、天高く振り上げ―――ぶん、と勢いよく振り下ろした。
キーワードを紡いだ。
『A P O C A L Y P S E(灼熱地獄の黙示録)』
この瞬間―――食堂を中心に、学院のそこかしこで、恐怖の王ディアブロの炎が炸裂する。ズ ド ド ド ド ド ド ド―――
実体をもたぬこの無属性の炎は、たとえ味方と敵が密着していてさえも、味方を傷つけることはない。大切な生徒たちの安全を守る、最適最上の魔法だ。
老人はひとかけらの容赦もなく、大きく杖を振り上げる―――「そうりゃ、もう一発!」 ド ド ド ド ドオッ!!!
学院を恐怖のどん底へと突き落としたトリステイン史上最大規模の人質事件は、この世に存在する何よりも深い恐怖の炎によって、あっさりと終幕を告げるのであった。
―――
アニエスは降って湧いた機を逃さず、炎の剣を振るって、白炎のメンヌヴィルを討ち取った。
生かして捕らえることは叶わなかった。黙示録の炎の蹂躙を受けたあとでもなお、<ホーリー・ファイア>の発動が止まらなかったからだ。
さすがに二発もの『アポカリプス』を受けた敵の隙は大きく、アニエスは素早く切り込み、一撃で決着をつけた。
こうして、アニエスは仇敵のひとりを討ったのだ。
大きく深呼吸をして胸に手を当て、はげしい鼓動を鎮めようとすると、体中に負った浅い火傷の痛みがどっと襲ってきた。
そして―――
盲目状態のとけたジャン・コルベールは、ポーションを飲み下したあと、治癒を待ちながら、アニエスへと問いかけていた。
「アニエスどの、きみのおかげで、ほんとうに助かった……しかし、どうして私を置いて逃げなかったのかね」
彼の言うとおり、あの場では彼を見捨てて離脱することが、最善の選択だったことであろう。
彼女にとっては、かつて彼女の住む村を焼き滅ぼした男を助ける義理も、なかったことであろう。
アニエスは数秒戸惑ったような表情をしたあと、ふっと息をついて、言った。
「そうだな……その面白い髪型に免じて、ということにしておこう」
コルベールはびくん、と震え、沈黙した。
彼の髪型は、確かに、この学院に住む他の誰よりもいちばん面白いものに成り果てていたようである。
「―――おい、おい、やべえぞあんたら! い、今すぐここから逃げろ! やべえのが落ちてくる! にに逃げろってえ!」
デルフリンガーが上ずった声で叫んだ。
「こいつぁ、ヘヴィすぎて、吸収できねえっつーの! 南無三!!」
直後、二人はそろって上を見上げた。そして目を丸くし、顔をひきつらせ、口をあんぐりと開けた。きゅうううん、と風を切る音が大きくなる。
この時、もはや逃げ場は無かった。
「うわあ……」―――と、二人は同時に、かすれた喉の奥から声を漏らすほかなかった。
空の彼方から飛来した、燃え盛る巨大な隕石が、二人をめがけて落下してくる。
ず、どおお、おおおん―――
ルーンワード『正義の手(Hands Of Justice)』の装備者が死亡した際に、一度きり発動する『擬似隕石落とし』の魔法―――スキルレベル48の『メテオ』であった。
そのダメージを数値に換算すると、ゆうに五千を越えるという。
―――
ごうごうと燃える炎の塊は、学院の広場だけではなく、トリステイン国内の別の場所、すなわちタルブの村にも降り注いでいる。
もちろん『正義の手』によるものではないので、こちらは一発きりではないし、その命を捧げた一発ほど強力な威力でもない。
だが、それこそ赤い雨のように落下してきては、あたりに大規模な火災を引き起こしている。
ずどーん! どーん!
先ほど<サモナー>が召喚したのは、黒衣をまとったミイラのモンスター、『ヴァンパイア』と呼ばれるアンデッドの一種であった。
そして、この惨状は、その魔物たちの放つ魔法『メテオ』によるものだ。
山羊の頭をした悪魔たちの軍団が、燃え盛る炎の中を突っ切って、ルイズたちへと迫ってくる。
「ああルイズ、これは何なんだ!」
現在、タルブの村があった場所は、呼び出された魔物軍団と、ガリアの騎士の引き連れてきたガーゴイルたちによる、激戦の場となっているのだ。
ルイズが死体よりスケルトンを作り、盾を構えさせて防御に回すと、付き添いの少年が叫ぶ。
「きみがやったのか! 何だそれは!」
「これはスケルトン、人間の骨で出来てるの。私たちのことを守ってくれる、勇敢な戦士よ」
「……な、なんてことだ、信じられないものばかり見ているよ!! ぼかぁもう、自分の目が信じられない!」
真っ青な顔をしたギーシュが、涙目で叫んだ。
昨日まで平和だったこの村は、もはやこの世のものとは思えぬ、地獄のような光景となり果ててしまっている。
なお、異世界の魔物たちとの激戦など、ふつう生涯に一度たりとて、見ることは叶わぬものだろう。
「……私のことは、信じてくれる?」
「むむむ、きみの何を信じよというのかね! ルイズ、今すぐ帰って二人で医者にかかろう! 僕は眼科に行く、きみは神経を診てもらうといい!」
青衣の魔道士は<テレポート>で拘束状態より離脱したあと、赤いポータルを開いて、そこからわらわらと山羊男(Goatmen)の群れとヴァンパイアどもを呼び出したのである。
空からはドラゴンたちが襲い掛かり、ヴァンパイアが杖を振り、いちめんに猛烈な炎の魔法を雨あられと降らせている。
以前ルイズが戦ったのとは別種らしい、赤い肌の山羊男(Fire Clan)どもは、いちめんの大火災のなかでも身体を焼かれずに、まったく問題なく戦えるようだった。
ずどーん! ずどどーん!
「「ひいええーっ!!」」と仲良く悲鳴をあげながら、ルイズとギーシュは必死に逃げまどうほかない。
『メテオ』の魔法によって召喚された擬似隕石は、タルブの村へ、そして草原やぶどう畑へと、つぎつぎと落下してはぼこんぼこんとクレーターをつくってゆく。
直撃をうけた大地の上にあるものは吹き飛ばされ、打ち砕かれ、焼き焦がされていった。
シエスタの生家を含む、素朴な家々の跡地は、もはや判別すらもつかない―――いったいどうなってしまったのかは、説明するまでもないだろう。
「ああお化けだよ! 動くガイコツだよ! 見たことも無い山羊の亜人の群れだ! おまけにでかい火の玉の雨だ! いったいこの村は今、どうなっているんだ!」
スケルトンの鉄の盾、そしてワルキューレの構える青銅の盾の影で、飛び散る火の粉と瓦礫に頭をかかえつつ、ギーシュがルイズへと問いかけた。
四方を炎で囲まれたら終わりである。頭上に直接『メテオ』の火の玉が落ちてきても終わりである。敵に囲まれたら終わりである。
ただの人間である二人は、火事の煙を多く吸い込むだけでも、危険に陥ってしまうことだろう。
「奴らは何者なんだ! そして、一番わけが解らないのはきみだよルイズ! きみはいったい何者なのかね!」
「あら? そんな風に私に正面きって訊ねてくる人、はじめてのような気もするわ、ウフフフ……あなたって勇敢なのね、でも、そんなに知りたいの?」
「むぐ……!!」
「勇敢なヒトね、本当に知りたいのかしら? ……ウフフフフ」
がきん、がきん―――と刃物を打ち合う音がひびく。魔法の炸裂する音、山羊の太いいななき声、甲冑のなる音。
そして、いつも唐突にはじまるルイズの笑い声。ギーシュにとっては、親しい友人であるはずの彼女もまた、悪夢のなかの住人のように見える。
『息苦しいから』と、ガイコツヘルメットの前面の覆いを引き上げているので、ギーシュからはルイズの整った顔だちが見える。
彼女の被っているそれ、本来はフルフェイスの兜であるが、前面の覆いを下げれば彼女もまた、異世界から来たモンスターの一種のようにしか見えなくなってしまうのだった。
可愛い女の子のためならなんとか頑張れる……この一念だけが、この場に不釣合いかもしれぬ実力の、ドットメイジの少年の体を突き動かしている。
「ま、まるで悪夢の中に居るみたいだ」
「あははは!! 気が合うわね、私も今そう思ってたところよ!」
「……って、笑ってる場合かね! きみが余裕そうだったから、何か策があるのかと期待してみたらコレだよ! さっきから逃げてばかりじゃあないか!」
体中煤まみれの少年少女は先ほどから、情けなく悲鳴をあげつつ、ひたすらにほうほうの呈で逃げ回り転げまわっている。
敵の使う『メテオ』の魔法は、発動してから実際に火の玉が落ちてくるまでにしばらくのタイムラグがある。
擬似隕石の落下目標の地面には、予兆として魔法の炎の円陣が出来る。それを見て避けていけば、おのずと直撃を回避することができる。
とはいえ、最初の<スケルタル・メイジ>たちとワルキューレ軍団のほとんどは、降り注ぐ隕石の一撃で、活躍の場もなく粉々に砕け散ってしまっていた。
残ったワルキューレたちは大きな盾を身につけてはいるが、しょせん青銅である。敵の強烈な魔法攻撃を防ぎきるのは難しい。
「やっぱり僕たちは逃げたほうが良いさ! 断言するよ、今すぐ逃げるべきだ! 情けなくて泣きたくなる! だって、反撃のひとつさえできていない!」
頼もしいファイア・ゴーレムが、スケルトンたちと連携し、敵の突撃を押しとどめ、瓦礫を拳ではじき、飛んでくる炎を吸収し、背後の二人をかろうじて守っていた。
魔道士<サモナー>は、騎士の鋭い攻撃と、ファイア・ゴーレムの纏う<ホーリー・ファイア>とを警戒しているのだろう、テレポートでルイズたちより離れて、上空を飛びまわる風竜の背へと戻っていた。
今はおそらく精神力を温存しているのだろう、攻撃は手下の竜や、地上の魔物たち任せである。
彼自身が上空から地上へと魔法を放つのは、ほんの時おりのことだ。
あの男がラ・ロシェール守備隊よりドラゴンを奪ったこと、また、ルイズへと直接に魔法攻撃を行ってこないことにも、理由があるのだろう。
前者は、ひょっとすると本気でアルビオン艦隊と戦うつもりがあって、その現れの行動なのかもしれない。
そして後者は、前回彼を痛い目に会わせた、魔法無効ゴーレムのようなこちらの策を警戒してのことだろうと思われる。
あるいは、ルイズを追い詰めて生かして捕らえ、拉致したり、本気で仲間にするつもりがあるのかもしれない。
だが、彼の攻撃のやり方からは、べつにルイズが死ぬならそれはそれでかまわない、という投げやりなスタンスが透けてみえてならない。
さて―――
空を飛べぬガリアの黒い騎士も、さすがに上空の敵へと手を出すことは難しいようだ。
まさか魔道士がこんな風にドラゴンをぞろぞろと引き連れてくるなどとは、歴戦の騎士たる彼にとっても、想定外の事態だったらしい。
なので彼は今、さきに地上を制圧し、魔物たちの湧き出る赤いポータルを占拠せんと、ガーゴイルたちを率いて、魔物の群れをばったばったと切り伏せている。
トリステインの少女ルイズ・フランソワーズと共に戦うことが、空飛ぶ<サモナー>に対する勝利への鍵―――ひょっとすると、そんな風に判断したからこそ、黒い騎士は彼女たちの参戦を許したのかもしれない。
ルイズは、そんな彼の期待に応えたいと、心より思う。
「べ、べつにただ逃げまわってるだけって訳じゃないからね! ……私だってきちんと戦ってるし、さっきから騎士さまたちの援護だってしてるんだから!」
ルイズは時おりネクロマンサーの杖を振っては、上空より襲いかかってくるドラゴンや魔物たちに呪いをかけ、敵集団を陰険にコントロールしているのだった。
たとえば、甲冑ガーゴイル軍団の攻撃目標に対しては『生命力吸収の呪(Life Tap)』、それ以外に対しては『視野狭窄』や『混乱』の呪いを振りまいている。
山羊の群れは同士討ちをはじめ、ヴァンパイアたちは視野狭窄状態となって、遠隔攻撃の手をとめ、ガーゴイルたちの接近を許す。
そして、ガーゴイルたちはいくら傷ついても<ライフ・タップ>の効果によって、敵を攻撃するたびに損傷が修復されてゆくのだった。
『生命力吸収の呪(ライフ・タップ)』―――それはルイズいわく、あたかも吸血鬼のように、『食事よりもずっとスマートにパワーを補給する方法』なのだそうな。
呪いによる強力な援護を受けたガリアの魔法人形軍は、勢いづいて、いまやぐいぐいと魔物たちを押し返している。
ルイズたちが魔物に追い詰められずに、こうして逃げ回っていられるのも、呪いによる魔法封じ、そして敵集団の分断や、かく乱のおかげなのだ。
ネクロマンサーは他力本願的な職業と呼ばれる―――混戦のなかでは何をやっているのか、傍目からはなかなかわかりにくいものだ。
なので、泣いたり笑ったり叫んだり、ちょこちょこと走り回ったりして忙しい……付き添うギーシュから見たルイズの印象は、そんなところである。
「さあ、ようやくこっちにも素敵な死体(ダンヤク)が出来た! ……うふふ、反撃するわ! 見てなさいギーシュ……『ロワー・レジスト(Lower Resist:属性レジスト低下の呪)』!!」
ガリアの甲冑ガーゴイル軍団と入り乱れて戦っている山羊男の一団へと、ルイズは呪いの火の粉を降らせた。
もしもここで『死体爆破』の技を使って魔物たちを吹き飛ばせば、ガーゴイルとはいえ貴重な味方戦力を巻き込んで、粉々に打ち砕いてしまうことになるだろう。
だが、ルイズはにやっと笑い、構わずに杖を高々とかかげ、高らかに呪文を唱える―――
「そーおれっ、かもしてあげるっ! ブチまけなさいっ―――『ポイズン・エクスプロージョン(Poison Explosion)』!!」
一体の山羊男の死体が青黒く変色し、むくむくむくと風船のようにふくらんでゆき―――やがて、ぼっすん、と鈍い音をたてて、破裂した。
形容しようの無いほどにおぞましいモノを直視してしまったギーシュは、みるみる顔を青くして「うぐぐ」と唸り、口元を押さえるほか無かった。
ああ、きみはどうして、『見てなさい』などと言ったのか!
それは、この大惨事に輪をかけるような、世にも奇妙な術であった。
ぶしゅううう! もくもくもくもく!!
ぼわわわわっ! ぼわあっ、ぼわわっ! ぶしゅううううっ―――!!
死体から緑色のガスが噴出し、騎士やガーゴイルや山羊の悪魔たちもろとも、あたりいちめんを包んでいった。
もはや説明するまでもない、強烈な毒性をふくむ霧である。
『何をする!!』
バイオテロに巻き込まれたガリアの騎士が、慌てたように叫んだ。
だが彼はすぐに、それが何たるかに気づいたらしい。生物でないガーゴイル、および甲冑の中身が入っていない彼には、いっさいの毒が効かない(Poison Immune)。
なので、敵味方入り乱れての大混戦においては、これこそが最善の援護なのかもしれない、と瞬時に理解する。
『すまない……少女よ、的確な援護を感謝する!』
新鮮な死体を瞬間的に発酵させ、危険極まりない毒ガスを調合し撒き散らす―――『死体毒爆破』、ラズマの聖なる御技、『骨・毒』系統のいち秘術。
呪いによって毒への抵抗力を下げられた魔物たちの肉体へと、猛毒は急速に侵食してゆく。弱った悪魔たちは次々と、ガーゴイルたちの槍に貫かれてゆく。
悪魔の死体の山ができ、ルイズは笑い、ギーシュはますます混乱し震えるほかない。
「ななな、なんだこれ! なんだこれ! だ、だだだ、大丈夫なのかね? ……って、うっわ、臭っ!!」
「大丈夫、ヒトには効かない毒だし、ましてやガーゴイルに効くわけもないじゃない……ってくさっ! な、なにこれいやだ、くっさあぁ!!」
すさまじい腐敗臭が、あたりに撒き散らされていた。
人間には効果のない、魔物だけに効くように調整された毒なのだが……どうやらルイズは、匂いのほうの制御を、間違ってしまったようである。
もはや山羊の悪魔たちもルイズたちも、敵味方そろって涙目になるほかない。
直撃をうけた味方が、匂いを知らぬガーゴイルばかりであることが、不幸中の幸いのようであった。
「うへえっ! 死ぬ、死んでしまうっ! くっ、なんて魔法だ!!」
「ごめ、に、逃げっ……けほけほ、けほっ……目がちくちく……ぜえ、ぜえ、ひいい、くしゅん、くしゅん!!」
ルイズとギーシュは鼻と口をおさえくしゃみや咳をしつつ、両目からだらだらと涙をながし、慌てて風上のほうへと退避するのであった。
不幸から出た幸運、この思い出したくも無い匂いによる一撃は、鼻の効く山羊男どもに、思わぬ効果的な打撃を与えたようでもあった。
だが、魔物たちは倒されても倒されても、ぞろぞろと赤い<ポータル>の奥から、吐き出されるかのようにしてやってくる。そして、地上戦力より厄介なものが、空に居る。
「っ……ルイズ危ない、臭いっ! う、上からドラゴンが来るぞぉ! って、臭すぎるっ、なんとかしたまえ!」
ルイズが先ほどのスキル、『ポイズン・エクスプロージョン』を実戦で使うのは、初めてのことであった。
このスキルの練習段階では、あのただでさえ不潔な悪魔ではなく、普通の動物であるネズミの死体を使っていたものだ。
そのときは大丈夫だったので、こうして術式の一部を変更し忘れた場合に、よもやこんな大惨事(バイオハザード)になるなどとは、思ってもみなかったのである。
「ご、ごご、ごめんねギーシュ、ちょっと失敗しちゃった! けほけほっ、こ、こここんなに臭くなっちゃうなんて、思わなかったのよお!」
「そ、そっちじゃない、ドラゴンのほうをなんとかしたまえと! 来てるから! 死ぬから! うっわ臭っ! ひどっ!」
「あ゙、あ゙ーーっ!! めんどくさあい!! もうやだあ!」
涙目ルイズは鼻をずびずびと鳴らし、喉もがらがらと叫びながら、なんとかファイア・ゴーレムを引き寄せて防御に回し、ネクロマンサーの杖をぶんっと突き上げた。
<ホーリー・ファイア>が風竜を焼き、吐きつけられたブレスを、たくましい炎の体が妨げる。
少女の手にした杖の先、緑色の宝石がびかびかと輝く―――
「こンのおっ……世界から憎まれちゃいなさいっ―――『誘引の呪(アトラクト:Attract)』!!」
戦場の上空を飛びまわるドラゴンの群れのうち、ルイズたちへの攻撃をしそこねてすぐそばを通過していった一匹へと、ルイズはすれちがいざまに呪いをかけた。
<誘引(アトラクト)の呪>とは、知性の低い対象を<世界の敵(Universal Target)>に認定するというものだ。
かけられた対象は混乱し、自分以外のあらゆるものが敵に見えるようになる。
それだけでなく、仲間たちからでさえ『殺害すべき敵』と問答無用で認定されてしまう、極悪きわまりない呪いであった。
ルイズの意趣返し……いや、ただの八つ当たりである。
―――があおう! ぴぎゃあぴぎゃあ!
飛び上がった一匹の不幸な風竜は、たちまち他の風竜たちに飛びかかられ、上空にて集団リンチにかけられることになった。
全身を噛みつかれ、ブレスを吐きかけられ、それでもなお狂ったドラゴンは、仲間たちへと攻撃するのを止めない。
慌てた<サモナー>は、竜たちへとふたたび操りの術をかけて同士打ちを止めさせようとしているようだが、どうやら不可能のようだった。
「あーははははっはっ! 見て見てギーシュ、ほらアレ寂しい子よ、味方がひとりも居ないの! イジメかっこわるいわ! アハハハ……あがっ! かっは……」
「あわわわわ、血が、血がっ! だ、大丈夫かね!?」
ルイズは目もうつろに、いきなり血を吐きだした。ギーシュは慌てるほかなかった。
短時間のうちに、煙だの毒だのと空気の悪い場所で大いに笑い叫びすぎたせいで、からからに乾燥しきって弱った喉が破れてしまったらしい。
彼女はただちに『回復ポーション』を飲み干し、喉を潤すとともに傷を治し、けほけほと咳をし……にやりと微笑んだ。
「あーあー、オッケー、治療したわ……ウフフフ、さあギーシュ、今からお空のアイツをひきずり落としにいくわよっ! ―――『コープス(死体)』……」
どおーん、と地響きをならし、空から一体の傷ついたドラゴンが落下してきた。
瀕死の竜の巨体の着弾地点、先の乱戦のあとに落ちていた山羊の悪魔の死体に向けて、杖を突きつけ、少女はタイミングを合わせて呪文を唱える。
かすかに見える勝利へとつなげてゆくための、次の一手だ。
「『エクスプロージョン(爆破)』!!」
―――ずどかーん!!
夢と希望の詰まったプレゼントボックスが開封される。
あたり一面に色とりどりの中身を撒き散らしてはじける、死体という名のびっくり箱。
壮絶な爆風が一帯の炎、数頭の山羊男を巻き込んで、ねじ伏せて、ちぎりとばしてゆく。
いくら生命力に溢れるドラゴンとはいえ、上空からの落下のダメージもあり、死体爆破の直撃をくらっては生命活動を停止せざるをえない。
一方ギーシュは、挙動不審にならざるをえない。
みるみる吐き気がこみあげてきたので、涙目で口を押さえ、ぷすうぷすうと詰まった鼻で呼吸しつつ、ひたすら貝のように口を閉ざすほかなかった。
「さあ、ひとりぼっちはもうオシマイよ、良かったわねドラゴンちゃん……きみに決めたわっ!」
べちゃべちゃと肉片や骨片を踏み、ぼろぼろとなったドラゴンの遺骸へと駆け寄ったルイズは、呼吸を整え、杖をかざして目をつぶり、ごにょごにょとスペルを唱え―――
口の端をつりあげて、宣言する。かっと目を見開く。
「ウフフ……あなたはわがしもべとして蘇るのよ! 始祖ラズマの御名において、あなたに祝福を。あなたの尊厳を取り戻すために、いまいちど機会を与えるわ!!」
ばあっ―――と振り下ろした。火の粉が宙を舞った。
「あなたに再び、生きることの喜びを、心燃やす炎とはずむ息を! 我が名はルイズ・フランソワーズ……死せるドラゴンよ、私にぃ、従えぇッ!」
大いなる宇宙、<存在の偉大なる円環>の優しいゆらぎが、この場この時において、ひとつの小さな奇跡の発動を承認する。
清らかな火の粉と聖なる霊気の光が、竜の死体にとりつくケガレをたちまち取り払い、タマシイの舞い降りる道を開いてゆく。
ラズマ死霊術の秘められし究極奥義、その名も……
「『リヴァイヴ(Revive:死者蘇生)』!!!」
どくん、どくん、どくん……母なる土、貪欲なる血肉と冷徹なる鉄とが結びつき、炎が突き動かす。
降り注ぐ光の粒、まばゆい光に包まれ、ドラゴンの死体の損壊が、たちまち修復されていった。
ギーシュは大きく目を見開き、額に手を当てて、うぐぐぐぐと唸り声をもらした。たったいま自分の見ている光景こそ、信じられないにもほどがある。
先ほど確かに絶命したはずのドラゴンは、体中に薄暗い影をまとってのっそりと起き上がり、翼を大きく広げ、首を振り上げ―――
ガアアオオウッ!!
高らかに、咆哮したのである。
それは、つい先ほどまで竜の受けていた、意に沿わぬ精神支配より解き放たれたことによる、歓喜の叫びのようでもあった。
そして死せる竜は、新たな主人ネクロマンサーへと敬意を表すかのように、あたかも女王の前にかしずく従者のごとく、地面へと長い首を降ろした。
ルイズはにやりと満足そうに笑ったあと、飛びつくかのようにして、ゾンビドラゴンの背中へとよじ登った。ギーシュに向けて、手を伸ばし叫んだ。
「乗って、ギーシュ!」
「ちょ……」
「いいから早くっ!」
ギーシュが慌ててルイズの手を取り、大きな背へとよじ登ると、死より蘇りしドラゴンは大きな翼をばさばさと上下させた。
二人を乗せて、力強く、タルブの大地から飛び立ってゆく。どおっ―――
「な、なななな、あわわわわ!!」
「行くわよ―――空へ!」
ずどん! ―――離陸したとたん、地表へと『メテオ』の魔法による擬似隕石が落下し、盛大なる炎をまきちらしていった。
もう少し離陸のタイミングが遅れていたならば、二人はあれの直撃を受けたか、あるいは炎に取り囲まれて、完全に逃げ場をなくしていたことであろう。
ばっさ、ばっさばっさ、と竜は力強く羽ばたき、どんどんと高度をあげてゆく。
「あははははは!! ねえギーシュ! 私たち、いま飛んでるわ! ほら、ほら見て、私のちからで飛んでるの!」
「そ、そうだね……は、ははは」
空へとあがり、新鮮な空気を吸い込んだことで、彼はようやく、ほんの少しだけ余裕を取り戻すことができていた。
はしゃぐルイズに、引きつった笑顔とやけくそに乾いた笑いで答えつつも、ギーシュ・ド・グラモンは思い出す。
少女ルイズ・フランソワーズは、メイジの家に生まれてこのかた、系統魔法どころか簡単なコモン・マジックさえも、使うことはできなかったものだ。
これまでの彼女は、どんなに努力しても、自力で空を飛ぶことなど不可能だった。
学院の授業の後、<フライ>や<レビテーション>で去ってゆく級友たちを寂しげに眺めつつ、『空を自由に飛びたいなあ』……なんて、ぽつりと呟いていた彼女の横顔が胸をよぎる。
「……嬉しいのかい?」
「うん! すごく嬉しい!」
少女は背後のギーシュへと振り返り、屈託のない笑顔をみせた。
「はは、そ、それはよかった……」
ギーシュは苦笑しつつも、思う。
―――ひょっとすると自分は今、彼女が願ってもやまなかった、『自力で空を飛んでみたい』というひとつのささやかな夢を叶えた、記念すべき瞬間に立ち会っているのかもしれない。
そう考えるとなんともまあ、コレはイイハナシだなあ……とギーシュはなかば以上現実逃避しつつも、しみじみと感じ入るほかない。
『自力』とは言えど、『山羊男の死骸を爆破してブチ殺したドラゴンの死体を、異教のワザで蘇生して従える』、などという理不尽極まりない方法を『自力』と呼べるのであれば、という条件付きではあるが。
成長の方向が間違っている? ああ、きっとそんな小さなことを気にしていてはいけないのだ―――と、ギーシュは冷や汗をながしつつも、自分に言い聞かせ続けていた。
今だけは、美少女とのドラゴン・タンデムの光栄にあずかろうではないか。
この美しく誇り高い異性の友のために、青銅の薔薇の杖に賭けて。
「なあ……正直に答えてくれたまえルイズ、王女殿下がかどわかされたというのは、本当の話なのか」
「……え、ええ……でもっ! 必ず助け出すわ! 枢機卿さまとも約束したし……今の私には、そのための策もあるの!」
全力で空へとのぼるゾンビ竜はぐんぐんと加速し、ルイズは「掴まって!」と言った。
ギーシュは、手綱を握るルイズの細い腰へとしがみつく。
少女の華奢な身体は、このまま力を込めたら、今にも折れてしまいそうだ。
それでも彼の腕の中にはたしかに、女性らしいかすかな柔らかさと、強い生命の鼓動が感じられていた。
「……ねえギーシュ、あなたは私を信じてくれる?」
「ああ、最初から信じていたとも! 信じていないわけがないよ!」
白くよれよれの髪の毛からは、ひょっとすると、いい匂いがするのかもしれないが……彼の嗅覚は先ほどの一撃で麻痺している。
いいや結局のところ、さっきのひどい腐敗臭がこびりついているというのがオチだろう、そんな想像をしてみて、ギーシュはすこしげんなりとした。
ギーシュは、もし今の自分たち二人を見たら、金髪の恋人モンモランシーはさぞかしやきもきすることだろう、と思う。
でも、思えば彼がルイズと親しくなってから、モンモランシー以外の女性への浮ついた気の起きる頻度も、かなり減ったものだった。
アルビオンの一件以来、多少なりとも『根拠のある自信』を身につけることができた、そのおかげなのだろう。
分をわきまえず、根拠の無い自信に振り回されていた以前の自分が、ひどく幼くも見えるほどだった。
なので現在、当初のすこしばかり不謹慎な気持ちはとうに消え去り、ギーシュは考える。
さっきから、これまでの常識からして全くもって信じられない出来事ばかりが起きており、そしておぞましい光景、あるいは奇跡のような光景をも見せられたものだ。
敵の苛烈な攻撃に追われ、ルイズの言動に振り回され、息を呑み、泣いて鼻をつまみ、手に汗を握ったものだった。
どうしてか一刻もはやく、モンモランシーの顔が見たくてたまらない。
きっと今夜は、つっけんどんながらも根は優しい恋人に、『あれは悪い夢だったのよ』と慰めてもらわないかぎり、神経が高ぶって眠れないことだろう。
それはともかく―――
どれほどに濃い存在感を放っていても、少女ルイズは、今にも宙に消えていってしまいそうなほどに儚くも感じられる。
こんなに華奢な女の子なのに……いったい彼女は、これから国のために姫のために、自分の持っているどれだけのものを犠牲にするつもりなのだろうか?
ならば自分も、ただ見ているだけではいけない。『女性に優しくあれ』、とグラモン家の血が命じている。
さあ思い返してみよ、さっきから自分は、彼女のそばに居ることを許されながらにして、ほとんど役に立っていないではないか。
せいぜい、ワルキューレの盾で瓦礫や火の粉をはじいたり、山羊男の突撃を押しとどめたり、その程度しかできなかった。
自分がどこまでやれるのかは不明だけれども、貴族として、男として、この少女を守ってやりたくもなるものだ。
それがきっと、さらわれた姫のためにも滅亡寸前の国のためにも、たとえどんなに遠回りをしても、最終的に愛するモンモランシーのためにもなるにちがいない、と思う。
そして今、彼の胸には、『コレは根拠のある自信だ』という確かな炎がともっていた。
さて―――
このドラゴンは生前、トリステインの港町の守備隊に所属していた一騎であり、幸いなことにヒトを背に乗せることに慣れているようだった。
とはいえ竜騎士としての訓練を受けたわけでもないルイズの操竜は、荒いことこのうえない。気を抜けば、たちまち落ちてしまいそうになる。
なるほど、万が一落ちたときに『フライ』や『レビテーション』を使えないルイズだからこそ、ギーシュがこうして付き添って居てやる必要があったのだろう。
ひょっとして、この高さから落ちて地面に激突したとしても、ルイズなら死なないのではないか……とも思うが、慌てて首を振って否定する。
「……ルイズ、きみは国から大いに信頼されているんだなあ。僕もトリステインのメイジとして、うらやましいと思うよ」
「ざ、残念だけど、そうでもないのよね……」
ルイズは複雑な感情のこめられているであろう、か細い声で答えた。
彼女のような一人の少女に国の命運を託すなど、国のトップにたつ大人としては、常識的に考えて、普通やってはいけないことのようにも思われる。
なのでマザリーニ枢機卿は、今のところルイズの行動については保険ととらえ、最小限度の期待をかけるに留まっているようだ。
彼は現在王宮にて、王女奪還作戦については、失敗を前提とした処理を行っているのだという。ルイズに残された猶予は、せいぜい良くて数日といったところが限度であろう。
「……今回、姫さまがさらわれたのだって、……結局、私のやったことのせいだし」
「な、なんだって!?」
そして、たとえ今回の危機を乗り越えたとしても―――
<ウェイ・ポイント>の一件のせいで、枢機卿やド・ゼッサール氏たちのルイズにたいする信用は、もはや地に落ちてしまっている可能性もある。
この戦いが終わった後、もし王女の身柄を取り返すことに成功したとして、そのあと……この子はいったいどうするつもりなのだろう?
ギーシュは嫌な想像を振り切って、慌てて話題を変える。
「まあ、それはともかく……さっき、あの不愉快な魔道士は『この国を救うために来た』なんて言ってたけど、本当のことかもしれないな」
ギーシュが前方を見やって、そう言った。
そこでは、レコン=キスタ艦隊のほうから飛んできたアルビオン竜騎士の軍団に、<サモナー>の竜たちが接敵している光景が見えた。
天下無双とよばれたアルビオンの竜騎士隊は、ただ<サモナー>の乗る竜へと近づくだけで動きがおかしくなり、陣形を乱されている。
<サモナー>はグローブのはまった右拳を天にかざし、彼へと近づく竜たちの背中からは、アルビオンの騎士たちが次々とゴミのようにふり落とされてゆく。
「見たまえ! 何なのだね、アレは……」
「……認めたくないけど……<ヴィンダールヴ>、ってやつかもしれないわ」
ルイズは、古い文献に載っていた『始祖の使い魔』についての情報を思い出していた。
『神の右手―――心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空』
魔道士の男の魂胆はいまだ不明のままだが、どうやら先ほど宣言したとおり、その竜たちを操って、本当にアルビオン艦隊と戦うつもりがあったようだ。
しかし、以前戦ったときと違って今回は、どうもあの男の行動目的が読めない。
ひょっとすると、これは他国の王家の<虚無の使い手>に、命令されてやっていることなのだろうか?
あの男が自分と同じ、始祖のルーンを身につけた者だとするのならば……さきほど『同胞』などと呼ばれたことにも、意味が通るのだ。
(主人はアルビオン王家の血を引くもの? それとも、やっぱり……ロマリアが……異世界の悪魔の影響に、汚染されているというの?)
白髪の少女は背筋を震わせ、ひとすじの汗をたらりと流す。
以前『ヨルダンの石』の身代わりとなってさらわれた一匹の<エコー>、義理堅く勇敢な彼が帰ってきたときに聞いた、いやな報告を思い出していた。
<虚無>とその使い魔が、それも自分たちの宗教の総本山が、魔の影響に堕している可能性がある。
なんとも皮肉な話である。666的な意味での獣(Beast)をあやつり、赤いポータル(拠点間移動用)の呪文で東西南北ひとっとびだ。
ラズマ教徒であるのと同時に、ブリミル教徒としての信心をも併せ持つ少女ルイズにとって、それはひどくおぞましいことのように感じられていた。
「ルイズ、確かめたいことがある。きみは、『あの男の力なら、アンリエッタ王女殿下を助け出せる』―――そう考えているのだね?」
「ええ、忌々しいけど、その通りよ……今はそれがいちばん確実な方法だと思うわ」
一方、ルイズ・フランソワーズはこの時、雲を掴むような『虚無』の可能性よりも、ずっと確実に未来へとつながるであろう、ひとつの『道』を見出していたようである。
自分たちの普段使っている青いポータルの術式は、拠点への帰還用にすぎない。
いちどひとつの拠点を設定してしまうと、旅先とそことの間でしか機能しないものだ。
だが、あの魔道士の使う赤いポータルは、たまに天使や上位悪魔たちも使う術式であり、一般普及版のものよりも上位の魔術のようだ。
パーティ編成に関係なく、より多人数で潜れるだけでなく、過去に設定したことのあるいくつもの拠点のなかから、自由に行き先を選べる便利なものらしい。
そしてあの男は、むかしアルビオン王党派に所属していたという事実がある。
つまり、浮遊大陸のど真ん中……すなわち囚われの王女の居場所の近くに、道を繋いでいないはずがない。
「よし、わかった! 今すぐ『あの男を捕まえて言うことを聞かせる』……それがきみの目的というわけだな!」
ギーシュはようやく、ルイズの取っていた不自然な行動の理由について納得がいったようで、うんうんと頷きながらそう言った。
だが一方、ルイズはきょとんとした表情を見せていた。
「はあ? 何言ってるのよギーシュ、『捕まえて言うことを聞かせる』ですって? 違うわ違うわ、そんなことするわけないじゃない」
やがて、みるみる口を弓のように吊り上げ、うっくっく、と喉を鳴らして笑った。
「やあね、そんな面倒なこと……残念だけど今の私には、あんなやつ捕まえる余裕なんてないのよ。だからね、だからね……ウフフフ……」
ギーシュはたちまち嫌な予感がして、背筋に冷や汗をつたわせた。
ルイズ・フランソワーズはふるふると武者震いしつつ、言った。
「―――『ブチ殺してから言うことを聞かせる』のよ!!!」
アハハハハハ!
どうやら絶好調のようである。
……それが本当に可能なことなのかどうかについては、ともかくとして、さて―――
「『恐怖』せよ(Terror)!!」
―――ぎゃあがあ、がああおう!!
ルイズは襲い掛かってくるドラゴンどもを、恐怖の呪いで追い散らし、<サモナー>の竜へと接近してゆく。
リヴァイヴの術で蘇ったドラゴンは、ネクロマンサーより霊気を供給されることで、通常の竜よりも力強く羽ばたき、かなりの速度を出せるようだ。
「さあて、一撃で決めるわ―――落ちなさい木っ端ッ! 『コンフューズ(混乱)』!!」
ドラゴン・ゾンビは、敵のドラゴンたちの妨害を見事にかいくぐり、射程距離まで近づくことができた。
ルイズが『イロのたいまつ』を振り、火の粉と霊気が宙を走り、敵集団に問答無用の呪術が決まった。
運命の流れへと直接に働きかける、ラズマ呪術を回避する方法というものは、ザカラムの聖騎士の纏う『浄化のオーラ』を除いてほぼ存在しない。存在しないのだ。
青い衣の魔道士は大きく目を見開き―――暴走したドラゴンの背よりたちまち振り落とされ、次の瞬間……があっ、と噛み付かれた。
ばちばち、とマナ・シールドの力場が展開されたが、自力で空を飛べないその男は、はるか地表めがけて落下してゆくほかない。
「やった!」
「ええ、やったわ! とどめを刺しに行きましょう!」
ギーシュとルイズは、ぱしっとハイタッチを交わした。
その直後、ルイズたちが地表より飛び立ってより、三分の時が経過する―――
「……ごめんなさいギーシュ、ひとつ大事なこと忘れてたわ……どうか怒らないでね」
「な、何かね?」
少女は頬をぽりぽりと掻いて、ひどく言いにくそうにしていた。
「……このリヴァイヴド・ドラゴンね、たった三分しか持たないのよ……マジごめん……」
「は?」
ああ、いったいどうなってしまうのだろう!!
奇跡の時間は、オルゴールのぜんまいが切れるかのように、終わりを告げる。
「いぃやあぁああぁーーっ!!」
「だっはああーっ!!! き、きみってやつは、ああ、きみってやつはぁ!!」
煙たなびくタルブの空……そこには喉もはりさけんばかりに絶叫しながら、パラシュート無しのスカイダイビングに挑む、ルイズとギーシュの姿が!!
―――
アニエスが意識をとりもどしたとき、その体中はかすかに痛んでいた。どうやら、打ち身のようだった。
気を失っているうちにポーションで治療されたのだろうか、しだいに痛みのひいてゆくのが解る。
そして、どうやら自分はたった今、誰かに背負われて、どこかを移動しているようだった。
「……」
「起きたかね」
男性の声が聞こえる。
自分を背負って歩いている人物は、ジャン・コルベールらしい。
彼もすでに治療を終えたのだろう、装備のせいで重たかろうアニエスを背負っていても、足取りはゆるぎない。
アニエスは、幼いころ、二十年前にも確かに味わったことのあるものと同じ、年上の男性の背中のぬくもりを感じていた。
その男の首筋には、火傷の跡があったはずだ。
いま自分を背負っているジャン・コルベールの首筋に、あのときと全くおなじ、火傷の跡があるのだろう。
彼こそが、アニエスの故郷を焼いた男であり、幼いアニエスの命を救った男なのだろう。
今回、自分は彼の命を助けた。これで昔の借りは返し、心に残るは、もはやどこにもやり場の無い復讐心だけだ。
「降ろしてくれ、歩ける」
コルベールの背より降りたアニエスは、辺りを見まわしてみた。
いっさいの明かりのない、真っ暗闇である。何一つ見えるものは無い。手を伸ばせば両手が壁に触れる。やけに細い通路のようだ。
「……ここは?」
「ここは、あれだ。学院の地下。あの白髪の娘っ子の掘った、地下迷宮だぜ」
デルフリンガーの声が聞こえる。どうやら、自分たちは魔法学院の地下に居るらしい。
そして、自分が気を失う直前のことを思い出そうとして、アニエスは首をかしげる。
火の玉が降ってくるところまでは覚えている。その後に何が起きたのか、どうして自分たち二人がこんな暗闇に居るのか、まったく想像もつかない。
「それにしてもおでれーた、さっきのは、絶体絶命だったなあ……よく助かったもんだよ」
デルフリンガーが少し感慨深げに言った。
「教えてくれ、……私たちは、どうやって助かったのだ?」
「ミスタ・グラモンの使い魔、ジャイアント・モールのヴェルダンデくんに、助けられたのだよ」
コルベールが答えた。それに続いて、はあ、と彼のため息が聞こえた。
「とつぜん地面に穴が開いて、私たちは転がり落ちた。全身を打ってしまったが、そのおかげで助かったのだ……しかし、落ちた先のこの通路は、ひどく入り組んでおってな」
先ほどの戦闘で杖を失ったせいで、コルベールは明かりを灯すこともできない。
アニエスは落下時の打ち所が悪かったらしく気を失い、コルベールは暗闇のなかで彼女へと薬を与えるために、ずいぶんと苦労したそうな。
―――手探りということは、からだのそこかしこをベタベタと触られてしまったのだろうか……とも思うが、今はそんなことを気にしている暇もない。
「迷ったのか」
「むむむ……さっきから空気の流れのやってくる方向に、こうして進んでは居るのだがね」
地下通路は予想外に広く、進んでも進んでも外に出られずにいたのだという。
なんともまあ、あの白髪の少女、学院側に隠れて、いつのまにこれほど無駄に広い迷宮を作っていたのだろうか。
というか、はっきり言って、いったい何のためにこんなものを作ったのだろう?
アニエスは呆れるほかなかった。そして、今更ながら自分たちの命の助かったことに安堵する。
ようやくめぐり合えた故郷の仇、炎蛇のコルベールに何か言わなければと思うのだが、なんだか気が抜けてしまい、言葉がうまく出てこない。
「おい姉ちゃん、二人助かったのは何よりだが、うかうかしてる暇はねえ。はやく娘っ子たちのところに行ってやろうぜ」
デルフリンガーが言った。
彼はアニエスに貸与されているとはいえ、ルイズ・フランソワーズの騎士である。アニエスの身を守れと主より命ぜられ、その任務を果たした。
今は主人の身が心配でたまらないという気持ちも、あるのだろう。
「……私のかばんに<ポータル>のスクロールがある。それで戻るぞ」
気持ちを切り替え、アニエスはそう言った。
あの<黙示録>の攻撃で、襲撃者たちは一掃されたと思われる。そして学院の危機が去ったとはいえ、今が国の緊急時であることに変わりはない。
なので、一刻も早く『幽霊屋敷』の裏庭へと戻らなければならないのだ。少女たちの戦場へ、デルフリンガーを連れて行ってやらなければならない。
優先順位というものがある。自分の仇敵だったらしいこの男に対する追及は、その後にすべきことなのだろう。
「むう……しかし」
コルベールが唸った。
「定員のせいでな、私はそれを利用できないのだよ」
「そうか……ならば、私は先に一人で戻る。あなたは自力で帰還しろ」
アニエスは力のこもっていない声でそっけなく言って、かばんをあさり、一本の巻き物を探り当てた。
「ミスタ」
「……」
「帰る前に、ひとつだけ、あなたに訊いておきたいことがある」
「何なりと、答えよう」
闇の中で姿こそ見えないが、空気を通して、コルベールの緊張が伝わってくるような気がした。
「知っていたのか? 私があの村の生き残りだと」
教師は数秒の沈黙のあと、低くしずかな声で答える。
「確信は無かったがね、そうではないかと思っていた……以前ミス・ヴァリエールより聞いた話に、思い当たるところがあったのだ」
ルイズ・フランソワーズいわく、ひとは大抵、背後に何者かの幽霊を引き連れているものだという。
「いつか、必ずきみに、名乗り出ようと思っていた……しかし、まだその時期ではないとも、思っていた。私には、やらなければならないことがあった」
コルベールとアニエスに取り憑くそれらは、ルイズがいままでに見てきたなかでも、とくにその数が多かったのだそうな。
それも、アニエスに憑いているものたちは、コルベールを見るとひどく悲しそうな色へと、その魂を染めるのだという。
「ここはひとまず、あずけておこう。話はあとだ。ジャン・コルベールどの、私が戦いを終えて帰ってきたら、そのときは……解っているな?」
「……ああ、私は逃げぬとも。どうか無事に戻ってきてくれたまえ、いつまでも待っている」
コルベールが重々しい声で答えた。
「あの子たちのことを、守ってやってくれ……どうか、頼む」
「……それは私の仕事だ、言われなくてもそうする」
アニエスは巻き物の封をちぎって、キーワードを唱えた。
「『門よ』!!」
しーん……
しかし何もおこらなかった。
暗闇のせいで、間違って『識別のスクロール』のほうを開いてしまったらしい。
しらけた空気が、教師の沈黙が、ひたすら気まずいことこのうえない。
「……」
「……何だい、しまらねえなあ」
「う、うるさい!」
デルフリンガーが茶化したので、アニエスは暗闇の中で羞恥に頬をそめ、慌てて別の巻き物を取り出すのであった。
―――
そのころ、タルブを脱出した難民の一団は、王都トリスタニアと港町ラ・ロシェールとをつなぐ街道にたどり着いていた。
ここまで来れば、被害はおよばないものと思われる。もう安心だろう。
アストン伯のところから来たメイジの隊長と、疾風のギトー、タルブの村長を含む大人の男たちが、これからどうするかを話し合っていた。
そして貴族の少女モンモランシーは、先ほどギトーよりネタ晴らしをされたことで、ルイズが村を焼いたことの真意を知った。
安堵するとともに、また別の大きな不安に飲み込まれそうになっていた。
無理もない。自分の恋人、青銅のギーシュが戻ってこないのだ。
どこへいったのだろうか?
村を襲った大災害に、巻き込まれてしまったのだろうか?
無事で居て欲しい。心配で心配でたまらない。
そして……とある可能性を思うと、ますます心配ごとが生まれてくる。
もし無事で居てくれたとしても……案外男気のある彼は、友人ルイズ・フランソワーズを守るために、あの場に残ったのかもしれないではないか。
モンモランシーのことを平気で他人任せにして、ルイズと二人きりで居るのかもしれない。
そうなると、ルイズは自分とした約束を破ったことになるのだろう。
やむを得ない事情もあるのだろう、とも思う。約束の内容には『なるべく』という留保もあるので、きちんとした理由があるのなら、許してやれないこともない。
でも、もしあの二人が、お互いに守り守られ、ともに危機を乗り越えることを通じて、心を深く結びつけ合ってしまったら……
(ああいやだ、いやだわ。どうして私こんなときに、そんなヘンなことを心配してるのよ! また私ってば、こんな風にぐだぐだと自分のことばかり……)
モンモランシーは道端の岩に力なく腰掛けて、ぽーん、と足元の石ころを蹴っ飛ばした。
ルイズやキュルケやタバサのように戦いもせず、自分ひとり安全なところで、いらない心配ばかり。そんな自分の性根が、ひたすら悲しかった。
(友達の命や国の存亡がかかっている時に、『許してやる』だの偉そうに、いったい私、何様のつもりなのかしらね)
もやもやとした気持ちが、心を満たす。
この気持ちのせいで、以前の自分は、国を揺るがすほどの大失敗をしたというのに……まだ成長できていないというのだろうか。
平民の友人、黒髪のシエスタは、そんな浮かない表情の貴族の友人のそばで、所在なげに立っていた。
「……ねえ、シエスタ」
「はい、何でしょう」
「『人を信じる』って、こんなにも大変なことなのね……」
シエスタは、きょとんとした表情を見せた。モンモランシーは淡々と続ける。
「私……自分でも、なんだか面倒くさい女だなあ、って解ってる。でもそうすると、ますますこの先やっていけるのかなあって、自信をもてなくなってしまうの」
金髪の少女モンモランシーは、ルイズ・フランソワーズのことを嫌いではない。
他人にはなかなか解らないだろう彼女の優しいところも、可愛いところも、良く知っていると思う。
むしろホレ薬の一件以来、あれこれと振り回されつつも、ここしばらくは確かな友愛の情を互いに育みつつあったようにも思う。
だから、よけいに悶々とやるせない気持ちも浮かんでくる。
モンモランシーは思う。
あの子にはギーシュ以外の、異性の友人が居ない。ましてや、これから先、彼女と親しくなってくれる異性とめぐり合える可能性など、あるのだろうか?
普段のルイズを見ているからこそ、『ありえない』としか結論できない。
「好きな四文字熟語はなあに」という話の流れで「ず、頭蓋骨陥没……?」と答えやがった、ときに『ゴア・ブル・デス』を平然と地で行く頭のネジの飛んだ少女。
ああ―――いったいどんな男性が、進んで彼女と親しくしたいと思うのだろう!
一方自分は、思っていたよりも独占欲の強い、自分勝手な人間のようであった。
ギーシュ・ド・グラモンは、多くの異性にちやほやされるのが大好き。可愛い子に想いを寄せられたら、すぐに二股でも三股でもかけることができるだろう。
今のところ、彼は、モンモランシーのことを『いちばん好きだ』と言ってくれている。
しかし彼にとってのナンバー・ワンでなくオンリー・ワンになりたい自分の気持ちが、本当に彼へと伝わっているのかどうか、まったく自信がもてないのだ。
たとえ伝わっていたとしても、自粛してもらえる保証もない。だからこその女の誓い、淑女協定だったというのに、ままならないものである。
万が一、本格的に、ルイズを含めた三角関係になってしまったら……ああ、最悪のヴィジョンしか思い浮かばないではないか!!
「もういっそ、ギーシュのこと諦めて、ルイズに譲っちゃおうかしら……そうすれば、こんなにやきもきしたり、ヘンに怯えたりする必要も無くなるのに」
ルイズはヴァリエール公爵家の令嬢であり、いっぽうのギーシュもまた、グラモン公爵家の子息。
普段よりあの二人は仲が良い。お互い信頼しあってもいるようだ。身分からしても問題はなく、ますますお似合いの二人のようにも思われる。
そしてモンモランシーは、これ以上情けない人間になりたくないし、自分自身のことを嫌いにもなりたくない、と思う。
「どうしてそんなこと言うんですか!」
シエスタは、がしっとモンモランシーの手を握り、しっかりと目を覗き込んでくる。
「ミス・モンモランシ、あなたは臆病者です!」
「そ、……そうね……」
「ミスタ・グラモンのことが大好きなのでしょう? 大事なのでしょう? 離したくないのでしょう? じゃあ迷うことないじゃないですか! やることは一つです!」
金髪の少女は、この黒髪の友人が自分のことを励ましてくれていることについて、純粋に嬉しいと思うのだが……
(や、やること!? ……って、や、やっぱり……)
真っ赤になるモンモランシー。
(……清楚にみえて、あんがいシエスタって、大胆なのね)
キスより先に進むことに、あこがれはないこともないが、まだまだ怖くてたまらない。
だいいち取り返しもつかなくなってしまう、……そして彼と一線を越えたうえで、それでもなお裏切られてしまったとしたら、二度と立ち直ることはできないだろうとも思う。
そんな風に思い悩み、なんだかんだと理由をつけて、未だにソレを先延ばしにしつづけている彼女である。
(シエスタの言うとおり、私は本当に臆病者よ……だけど、そういうことを『しなきゃいけないから、する』っていうのも、何だか違う気がするのに)
しかし、このときすでに、話の雲行きは斜め上の方向へとおかしくなっていたのだった……
「そう、やることは一つ! ミス・ヴァリエールを退治するんです!」
「……え?」
「まずは学院長をこちらに取り込むんです! 次にミスタ・ギトーとアニエスさん! 王宮から騎士を派遣していただきます、竜退治のプロや、吸血鬼退治の専門家をたくさん!」
ぐるぐると死んだような目で、熱弁するシエスタ。
モンモランシーは呆気に取られて、それを聞いているほかない。
「わ、わわわ、わたしも戦います、牛さえ連れて行けば勝てます! 一緒に、ミスタ・グラモンの命を守りましょう! みんなで決戦です! もう怖がっている暇なんてありません!」
ああそうか、とモンモランシーは納得がいった。不憫なこの子は、まだ先ほどの大惨事のネタ晴らしを受けていないのだ。
いや、すでにネタ晴らしを受けていたのかもしれないが……まったくもっていつものように、ヘンな風に解釈してしまったに違いない。
いずれにせよ、モンモランシーの悩みごとの解決のために、心の友シエスタは、ほんの欠片ほども役に立ってはくれなさそうであった。
(え、ハルマゲドン魔法学院……やだ、ソレ、ちょっと……)
モンモランシーは、炎に包まれる魔法学院、ばたばたと倒れる人間、アポカリプスなう、降り注ぐ隕石……そんな地獄のような光景を幻視した。
ちょうど学校で似たような経緯の人質事件が発生しており、あっさりと鎮圧されていたということを、まだこのときの彼女たちは知らないようだった。
…………
さて、思い出してみよう。
ルイズ・フランソワーズは、自分の占いの結果に従って、<虚無>の覚醒を促すために、『自分がいちばんピンチに追い込まれるであろう場所』に居座ったのであった。
しかし一言で『ピンチ』と言ってもいろいろな種類のあることに、先のテンパっていたルイズは気づいていないようだ。
いっさいの予想もしえない方向からやってくるからこそ、人は真のピンチへと追い込まれることになる。
さて、その結果、ルイズはまさに自分の占いのとおりに、大ピンチを経験することになるのかもしれない。
それはひょっとすると、ほかでもない人間関係的な意味においてだったり、……ああ、いったいどうなってしまうのだろう―――!!
//// 【次回:たとえば、きみがいるだけで……の巻……へと続く】