//// 19-1:【ドラゴンスレイヤー料理人伝説、はじまるよー】
ガリアとロマリアの国境につらなる、火竜山脈。
常時溶岩流が湧き出し、蒸気熱気につつまれたここは、キュルケの相棒サラマンダーの出身地でもある。
ここには、その名のとおり、ハルケギニアでも有数の強大で恐ろしい野生生物、火竜(Fire Dragon)がたくさん生息している。
強い生命力にあふれ、猛烈な炎のブレスを吐く、それはそれは獰猛でおそろしい竜なのだという。
(まさか……いきなりドラゴンと戦えと……言うのか? 生身で竜と戦うなど無謀すぎる、六回ほど死ねと?)
何がなんだか解らないままに、白髪の少女の「チュートリアルよ」との一言で、こんなところにまで連れてこられた剣士アニエスは、唖然とするほかない。
昨日アニエスは<ウェイ・ポイント>という転移魔法陣の使い方を習い、利用登録を行った。
そのあとに開かれた<タウン・ポータル>という青いゲートをくぐれば、そこはどこかの山奥、荒れ果てた屋敷の中庭だった。
話を聞けば、トリステインからはるか遠く離れた、ガリアの地なのだという。
そのガリア山中二つ目の<ウェイ・ポイント>の登録を行えば、魔法の使えないアニエスでも、白髪の少女の住居からいつでもガリアに密入国転移できるようになるのだという。
王女の自室にある魔法陣でも同様のことを行えば、そこにもアニエスは自由に転移できるようになるのだそうだ。
また、アニエスにも使用できるマジックアイテム<タウン・ポータルのスクロール>とやらも、あとで譲ってもらえるそうである。
(いや、火竜に出会ったら即時あのポータルの巻物で逃げるのだろう、きっとそうにちがいない……でないと私の任務は、始まる前に終わってしまうだろう)
これら二種類の転移術を駆使し、トリステインじゅうを飛び回り、危険すぎる状況に出会えば即座に脱出し、王女のもとへと生きた情報を届ける―――
旅先からいつでも拠点『幽霊屋敷』と王女の自室とを往復でき、アイテムの補充から情報交換、活動費やお給金の受け取りまでもが自由自在だ。
神出鬼没かつ凶悪無比の魔道士<サモナー>に国をあげて対抗するためには、そこまでやらなければいけない。
(私は国のためにも王女殿下のためにも、自分のためにも、あらゆる最悪の状況から生還しなければならない)
それこそがトリステイン王女がアニエスに望んでいる、国家にとって重要な名誉ある任務なのである。
そして白髪の少女に連れてこられた今回のあまりに危険すぎる冒険が、いまや包丁人となり果てたアニエスにとっての予行演習なのだそうだ。
アニエスは額に汗を流す―――まさかいきなり最強種ファイアドラゴンが相手とは―――まったく想像の埒外(らちがい)も、良いところであった。
(火竜にこんがり美味しく料理される任務と、この包丁で人間をすぱすぱ美味しく料理する任務……さあ私アニエスよ答えられるか、なあどちらがマシだ?)
三人は<ウェイ・ポイント>のある山奥から風竜シルフィードの背に乗って飛び、いちど王宮に寄るためにリュティス近郊の森を経由していた。
そしてタバサがプチ・トロワで任務を受け取り、また竜に乗り、三人で長い間空を飛んで、目の前の火山のふもとまで来たのだが―――
「暑いし、きつそうだわ、……でも地道に登っていくしかないようね」
「仕方ない」
白い髪と青い髪、この二人の少女は、なんと珍味『極楽鳥のタマゴ』を取るためにわざわざ火竜どもの群生地に乗り込んでいこうというのだ。
今の季節はちょうど竜の繁殖期、巣へと近づくものは、みなブレスで丸焼きにされてしまう。
なので通常この付近に巣を作る鳥『極楽鳥のタマゴ』の採取は、こんな季節に行われることはなく、火竜のいない季節に行われるのだという。
「きゅいきゅい……」
「大丈夫、必ず戻ってくる……学院で待っていて」
心配そうな使い魔、シルフィードの鼻つらを撫で、タバサはそう言った。
空を飛んで直接極楽鳥の巣へと向かえば、途中で火竜の群れに包囲されかねない。
大きな風竜の姿で登っても竜に発見されかねない―――なので、タバサの使い魔のシルフィードは、<ポータル>で学院に戻ることとなった。
「……ねえタバサ、アニエスは信頼できるって、私の占いがそんなに信じられないの?」
「あなたの占いはいつも必ず、思わぬところで裏目に出る。だからわたしは慎重な行動をとらせてもらっている」
「うぐうっ! そ、そうね……確かにそうするべきだわ……」
ルイズはタバサにはっきりとそう断じられ、思わずヘンなうなり声をあげ、目を白黒とさせた。
二人に着いてきたアニエスは、なにやら自分のことを相談されているようだが、内容が解らず怪訝な顔をする。
この青い髪の少女には自分にたいし、なにか隠しておきたいことがあるのだろう―――と推測するが、踏み込んでよいものでもなかろう、と気にしない。
「ミス・タバサ、私は自分の分をわきまえている、なにも余計な詮索はしない、安心されよ」
「……」
いつも無表情のこの青い髪の少女の無愛想ともとれる態度に、アニエスはなかなか慣れることができない。
むろんそのとなりのいつも危なすぎる表情の、白い髪の少女の読めない行動にも、アニエスは、ぜったいに慣れることなどできそうにもない。
「剣士さん、私はあなたのこと信用してるわよ……もし、あなたが私や姫さまを裏切ったら―――」
「さ、さあ行かん、火竜どもを蹴散らし、ご、極楽鳥のタマゴだったな、百個か二百個くらい持ち帰ってやろうではないか!」
ともかく、登山である―――
「うふふふ、裏切ったらどうなるかしら、ウフフフフフ……」
忠義の士アニエスには、勿論最初から『最期』まで裏切るつもりなどカケラもないのだが……ああ、いったい―――どうなってしまうのか!!!
このときの剣士の彼女には、目の前の白髪の少女が、火竜と同じくらい危険きわまりないものに見えたのだという。
ここはひどく蒸し暑い、究極の食材『極楽鳥のタマゴ』を求め、でっかい包丁を背負って険しい山に挑む、強くくじけぬ心を持った料理人アニエスの、ぱっつりと可愛く切りそろえた前髪の下、額にながれる滝のような汗は、きっと暑さのせいにちがいない、ぜったいそうだ。
「ウフフフ―――さあ、帰りましょう!」
「えっ?」
ルイズの一言で、アニエスの『さくせん:あたってくだけろ』な意気込みすべては、いきなりくじかれる羽目になった。
//// 19-2:【ポケットの中のモンスター戦争】
タバサパーティの三人がごつごつした手袋の内側の指にはめている、赤い宝石のついた指輪は、火炎によるダメージを25%ほど軽減してくれるのだという。
でも、猛烈なる火竜のブレスの前には、ほとんど役にたたない代物であろう。一撃のブレスで四回死ねるのが三回になるだけだ。
そんな恐るべき火竜を「なるべく」避けながら、極楽鳥の巣のある場所をめざし、こそこそとじわじわと三人は山を登る。
「ここは暑い、暑すぎるわ……この指輪って蒸し暑さは軽減できないのよね……タバサが『チリング・アーマー(Chilling Armor)』使えたらいいのに」
「無いものは仕方ない」
15分ほど登っては休憩を繰り返す、タバサ、ルイズ、アニエス。少女ふたり、大人の女性ひとりの三人とも、服の中は上着から下着まで汗でぐちょぐちょ―――
とは言っても、溶岩流から飛んでくる火の粉や熱気、熱せられた鋭い岩肌から手や肌を守るために、三人はごつい手袋をはめフードのついた全身を覆うローブを着ている。
なので、服が肌にはりついて体のラインが浮き出たり透けたりして艶(あで)やかに見える―――などといったことは、ない。そう、ないのである。
(なるほど、あらかじめさまざまな攻略対象や攻略地点に合った装備を、拠点に準備しておけば、いつでも瞬時に取りに戻ることができるというわけか……)
理解力のあるアニエスは、ハルケギニアでは知ることすらできなかった『目からうろこ』の戦術に感心しきりであった。
これら対火山用の登山装備は、いったん<タウン・ポータル>で学院にまで戻って取ってきたものだ。
教師コルベールとやらが炎の魔法の実験でやけどしないために作り、ルイズたちにも用意してくれていたものだというが、むろん通気性はサウナのように最悪だ。
「おねがいタバサ、ひんやり、して……」
「……」
へなへなとした白髪の少女の力ないリクエストに、青い髪のトライアングル・メイジが応え、杖をかまえ呪文を唱える。
「……ん、んっ……うーっ、んあっ、タバサぁ……きもち、いいよぅ……」
「…………………………」
こんな風にときどき雪風のタバサが、自分自身も含め三人の身体を氷の魔法で冷やしてくれるのが、唯一の救いである。
杖のルーンワード<メモリー>の特殊効果と、持ってきたマナ・ポーションのおかげで、タバサの精神力にもずいぶんと余裕があるのだが―――
「―――くっ、また竜が来るぞ」
「ええっ、またなの? あぁー、鬱陶しいっ!」
荷物はこび、および周囲の油断なき警戒をまかされているアニエスが小声でそう言ったので、ルイズが額に汗し、『イロのたいまつ』を取り出す。
出来る限り竜の巣のなさそうなところを見つからないように避けて進んでいるのだが……なぜか先ほどから、何度も遭遇しているのだ。
全長15メイルはありそうな巨大なからだ、赤く輝く硬いうろこ、するどく太い爪と牙―――恐ろしい咆哮をあげながら三人へと襲いくる竜の口や鼻の穴からは、呼吸するだけでめらめらと炎がふきだしている。
「あーもう、しつこいわしつこいわ、『ディム・ビジョン(Dim Vision:視野狭窄の呪)―――!!!』」
ルイズが杖を振ると空中に火の粉が散り、とたん火竜はそそくさと逃げるこちらの姿を見失って、すぐそばを通り過ぎていく。
先ほどから何度も何度も、ずっとこのパターンを繰り返しているのだ。三匹ほどの火竜が入れ替わりたちかわりにやってくる。
いちど追い返そうと『テラー(恐怖)』の呪いをかけたが、逃げ出したあと戻ってきた竜はますます怒り狂い、三人は逃げるのにずいぶんと苦労したものである。
「うふふふ……あれ、ブチ殺していいかしら? ねえ、ねえタバサ、あの子今すぐブチ殺して三枚におろしていいかしら? いいわよね、いいって言ってちょうだい」
白髪のメイジは、静かに怒っている―――
神竜トラグールがラズマに見せた宇宙の理とやらは、ネクロマンサーを邪魔するものに、けっこう容赦ないらしい。
また、この火竜山脈に住む野生種の火竜どもは、去勢された飼育種とは桁違いに獰猛凶悪であり、ハルケギニア全土にちらばり、よく人や村や家畜を襲うのだという。
なのでガリアやロマリアでは数年に一度ほど間引きの竜退治も行われるのだが、それは軍隊の出動する国家事業であって、ときに多大なる犠牲を払うのだそうな。
だから個人での竜退治などは自殺行為もよいところ、むしろ『イーヴァルディの勇者』などの御伽噺の世界にしか存在しない。
かくして雪風のメイジは、静かに答える―――
「すぐに倒せるという保証はない、一匹倒すのにかかる時間や消耗を考えればやりすごすのが得策」
「そう、残念……」
どうやらこの冷静な青い髪の少女は、いまのところはまだパーティリーダーとして、白髪の危険きわまりない少女のストッパーとして、どうにか機能しているようだ。
だが剣士アニエスは別のことに驚愕している―――今、何と言った!? この少女たちは二人とも、本気で火竜を倒せると思っているのか!!
「待て、アレを倒すつもりなのか? ひょっとして何か策でもあるのか?」
「無いわ」
「おい、無謀すぎるぞ」
「だって、ここには新鮮な死体が無いし……」
なにやら焦点の合わぬ目をじーっと、アニエスへと向けている。
「わ、私に、その、死体に……なれ、と?」
「あはっ、そんな訳ないじゃない、うふふふふ……ただ、死体が欲しいなーって思っただけなのよ」
「ではなぜ、私を見るんだ!」
「だってあなた、とっても死体の才能がありそうなんですもの……ウフフ」
そうか、やはり私には死体の才能があるのだな……と、思わず納得してしまい、とうとう頭痛がしてきておでこを抑えるアニエスである。
仲間なんだからタメ口でいいわよと言われたせいか、窮地に追い込まれ慌てているせいか、相手が自分よりも年下のせいか、少しだけ発生しつつある仲間意識のせいか、けっこう口調もフランクになってしまう平民のアニエス、さあ彼女の明日はどっちだ。
いっぽう白髪の少女は、暑さでくらくらとしつつある頭を働かせて考えている。
「私が『火』のゴーレム(Fire Golem)を召喚できたら、あのブレスに対して無敵の壁役に回せるんでしょうけれど……残念ながら、まだお勉強中なのよ」
ちなみに、デルフリンガーはブレスを防げるはずもないのでお留守番である。
アニエスの銃やコルベール製作の爆薬や爆裂ポーション、オイル・ポーションなどの発火物は、引火して大惨事になる可能性が大きいので、今回は持ってきていない。
猛毒を使ったとしても吹き散らされるだろうし、その効果もあまり期待できない。
なにより、こちらには火竜を倒せるだけの大技がほとんど無い―――
「来た」
「あーもう……面倒くさいわね、ツェルプストーみたい」
タバサの一言に反応しルイズがしぶしぶ杖を構えたとき、アニエスは別方向からやってくるもう一匹の火竜を発見する。
「あっちからも来たぞ……いちばん大きな奴だ」
「三匹目も来た」
タバサがそう言った。状況は―――そう、もはやチェックメイトである。
今までは一匹一匹襲ってきていた獰猛かつ凶悪な火竜が、今度はなぜか三匹まとめて襲ってくるのだ―――
アニエスも、タバサも、顔色が悪い。ここはポータルでいちど撤退するべきなのではないか、と考えたが……なにか様子がおかしい。
―――きゃあーー!! たーすーけーてー!!
「……ねえタバサ、あれは何かしら」
「人が竜に追われている」
「なんだあれは、単身こんなところに来ているのか、なんと無謀な、……いや、私たちも人のことは言えぬだろうが」
火竜三匹に追われつつ山を転がるように降りてくる、ひとりのメイジらしき人物を、発見したのであった―――
「あら、火竜っていう名前のとっても優しいお友達を三匹も紹介してくれるみたいね……その筋のひと(MPK)かしら?」
「たぶん違う、あれは本気で逃げている。それにここに人が居ることは、ふつう想定外」
三人は息をころし身をひそめる。そして、つらなる火竜(Dragon Train)に追われ悲鳴を上げながら逃げ惑うメイジを、呆然と眺めているほかなかった。
悲鳴からすると、そのメイジは少女のようだった。
いまのところ三匹の火竜は、ルイズたちの姿が目に入らず、そちらの哀れなメイジを追いかけることに専念しているようだ。
かのメイジの『土』の魔法の腕は確からしく、よくもまああれだけ上手に逃げ回れるものだ。
そんな風にアニエスは思わず呆れながら、タバサとルイズに判断をあおぐために、視線を向ける。
「どうするんだ? 貴族の子女のようだぞ、あれを助けるのか、それともあれは運が悪かったと諦めるのか?」
さて、ルイズは、なにやら目をつぶり、なむなむとつぶやきながら手を合わせていた―――その様子は、このまま彼女を見捨てるつもり満々のようにも、見えたという。
「……だめ、方向を変えた―――こちらに来る……はち合わせる」
タバサが冷静にそう言った。アニエスは、ルイズへと問いかける。
「ミス・ヴァリエール、ここはあのメイジを助けてからすぐに<ポータル>とやらを使って、いちど出直すことを提案する」
ルイズは答えず、静かに手を合わせて、祈りの言葉をつぶやいている―――
アニエスは、ルイズがあの逃げているメイジや自分たちの死後のための祈りでもしているのだろうか―――とも思うが、今はそれどころではない。
そしてルイズが目を開けた。その瞳孔は、もう不必要なほどに、拡大していた―――
「さて、お祈り終わりっ、と―――あのね、二人ともちょっと聞いて、私ね、あのね……その、決めたんだけど……」
白髪の少女はもじもじとしながら、不気味に笑っている―――うふふふふ……
嫌な予感に襲われたアニエスとタバサの顔面は、たちまちのうちに、蒼白を通りこしていった。
「あのね、……うん!! 全部まとめてブチ殺すのよあいつら、そしてすっきりしましょう!」
ルイズは、どこかサワヤカさまで感じさせるような明るい口調で、そう言い放った。
なんとまあ、白髪の彼女の、たったいましていたお祈りとは―――まさに、これから襲い来る野生動物を返り討ちにして殺すことにたいする、祈りのようであった。
アニエスとタバサの内心は、こうである―――ああ、願わくばルイズの言う『あいつら』の中に、逃げていたあの少女メイジが含まれていないことを!!
「―――『骨の鎧(Bone Armor)』!!」
そしてルイズは防御術も展開し、あろうことか―――この最悪きわまりない状況で臨戦態勢を取っているのだ―――
状況はもはや、絶望的とかいうレベルをはるかに超越していた。いわば前門の火竜、後門のゼロのルイズである。
獰猛かつ凶悪な……いやか弱い少女ルイズ・フランソワーズが、今度は三匹まとめて襲ってくるか弱い……いや凶暴なる火竜どもを、迎え撃たんとしているのであった。
「うふふっ、さあっ! 二人ともガチ気合入れて戦闘準備してちょうだいっ!! ……ウフフフフフ、あはっ、あはははっ、アーッハッハッハ!!」
ルイズはとうとう恐ろしい火竜に発見されることも気にせず、大きな声で笑い始めてしまった。
戦闘準備とは言われたものの、すでに詰んでいるこの状況で、何をどうすればよいのか解らない―――
そんなアニエスはとりあえずひきつった笑顔で、血染めの巨大な包丁を意味も無く構えてみるほかなかった。
タバサはやれやれとひとつ大きくため息をついたあと、『エナジー・シールド』を展開した―――どうやら彼女はルイズのことを、心より信頼しているようでもあった。
確かに、本日この領域にいる火竜は三匹だけのようだ、ならばそれら全てを倒せば、自分たちは目的地へとたどりつけるのだろうが―――
「まず、お城をつくりましょうね、タバサお願いっ―――『クレイ・ゴーレム(Clay Golem)』!!」
「―――『水よ』」
ゼロのルイズは、土くれのゴーレムを召喚する―――即座にタバサが、それを魔法で水びたしにし、続いて、カチカチに凍らせる―――
そんな一連の作業を何度も繰り返し、たちまち三人の周囲には、ブレスの余波から身を守るためのちいさな凍土でできた砦が形成された。
二人の少女は、何度も同時に、ぐびぐびぐびとマナ・ポーションを飲み干し、二人同時にけふうと息をつく。
することのないアニエスは、互いに心の底から信頼しあっているのであろう、そんな二人の少女の見事なコンビネーションを、ただ呆然と見ているほかなかった。
―――グオオオオ!!
さて、火竜どもは、どこかに魔法で隠れたのであろうあの名も知らぬ少女メイジを探すのをあきらめ、ルイズたち三人の待ち受けるささやかな『雪風タバサ城』へと、興味の対象を移したようだ―――
たちまち牙をむき襲い来る三匹の巨大なドラゴンを前に、杖を握りしめるルイズは、とてもとてもご機嫌そうだった。
「さあさあ行くわよ、さあ行くわっ、あははっ! ねえタバサっ、行くわよっ、アレをヒキニクにするのよ、シエスタへのお土産に、持って帰ってあげるのよおっ!」
そしてルイズの杖が、振られた―――空を舞い散る火の粉、ドラゴンの頭上に走る光の線―――
「『TERROR(恐怖せよ)』!!―――さあ恐れなさい、畏れなさいチビりなさい! ビビって巣の中でぴいぴい震えてママに助けを求めなさあぁい! アハハハハハ!!」
人間にたいしてはほとんど効果が無いが、人間以外のもの、とくに弱肉強食の世界に生きる知性の低いものに対しては問答無用の効果を発揮する<呪い>である。
かけられた対象の心のうちから、生涯を通じても出会うことのできなそうな、最も恐ろしく見えるナニカの幻影を引き出す―――
これまでの百年以上の生涯を、地上空中の生物のなかの暴君として君臨しつづけた火竜にとって、初めて味わう絶大なる<恐怖>とは、さぞかし強烈なものであろう。
―――グアアアアオオォオオッ!!
最初に三人のもとへ到達しそうになった一匹が、徹底的なる『恐怖』の呪いを身体の芯へと叩き込まれ、ひどい幻覚に襲われる―――
最強種、あの獰猛きわまりないドラゴンが、怯えた咆哮をあげている。何も無い空中にむけて息もたえだえに、とぎれとぎれの業火のブレスを吐きちらす―――
あの恐ろしいファイアドラゴンが、たちまちのうちに突進の勢いをそがれ、翼を返して―――逃げてゆく。
(……何度見ても、慣れぬな、これは……まったくも常識外れな……)
アニエスが見るのは本日二度目だが―――それはなんとも目を疑うような、希少な光景であった。
『ドラゴンすらもビビらせる、それがルイズ・フランソワーズ』―――雪風のタバサは静かにぽつりとそんなことを、背後のアニエスへと語ったのだという。
かつてこの静かな青髪のメイジは白髪のメイジにたいし、『火竜よりも怖い』という感覚を抱いていたというが―――あながちそれは、間違いでもなかったようである。
「さあ次いくわよぉ、身体のでっかい、そんなステキなあなたに贈る『ディム・ビジョン(Dim Vision)』―――そして続けてぇ……そっちの小鳥ちゃんには『コンフューズ(Confuse)』!!」
強大なる敵の一団を、<呪い(Curse)>によって思うがままにコントロールする―――それこそがラズマ秘術三大系統のうちのひとつ、<呪>系統の真骨頂である。
ラズマの秘められし大いなる『暗黒の技』のひとつ、敵や場所の運命の流れを読み取り干渉し、何かを割り込ませる―――ああ、敵の身体の中へと流れ込み、ぞわぞわぞわっと取り憑いた、たちの悪い雑霊どもの、声にもならぬつぶやきが、敵の心に深い深い<混乱(Confuse)>をもたらす。
殺せぇ―――
殺せぇ―――
殺せぇ―――
それはぁ、敵だ、敵なのだ―――
殺さないとぉ、ほら、ほら、おまえ自身が、殺されるぅ―――
さあ見てみろよ、ここにいるぅ、おまえ以外の、ぜんぶが敵だ―――!!
おまえの仲間も同胞も親も兄弟も娘も息子も、今すぐさあ、皆殺しにしろぉ、さもないと、おまえ自身が殺されるのだあ―――!!
グガアアアアアア―――!!
またたくまに、獰猛なドラゴンが―――爪をむきだし、牙をむきだし、業火のブレスを撃ち―――
グオオッ―――ガアッ! ガアオウッ―――!!
同士討ちを、始めた。
視野を狭められた身体の大きなドラゴンは、混乱したドラゴンに襲われ―――反撃し、怒り狂い、互いのあらゆるものを切り裂く鋭い爪で、あらゆるものを噛み砕く牙で―――
ガアオオウ―――!!
二匹の巨大な竜は、ただただ互いの体を、ひたすらに傷つけ合うのであった。
牙で首もとに噛み付きあい、ブレスを打ち合い身を焼き焦がしあい、爪でうろこや翼を引き裂きあい―――
「わあっ、見てタバサ! すごいわ、殺しあってる! ドラゴンが本気で殺しあってるわ、なんて素敵なのかしら! ほら頑張れ、どっちも負けるな頑張れえーっ!」
すぐ近くの上空で、また山肌に降り立って繰り広げられる大迫力のモンスターバトルに、ルイズはもう満面の笑みで、子供のようにおおはしゃぎだった。
さあ、『恐怖』でいちど逃走させられた最初のドラゴンも戻ってきて、混乱中の竜がそっちにも襲い掛かり―――もはや、二対一、そして三つ巴の大乱闘に発展する。
やがて時間が経って<視野狭窄>や<混乱>の呪いも、解けていったようだが―――知性がきわめて低く獰猛で互いのライバル意識も強い火竜たちは、ルイズたち三人のことなどさっぱりと忘れてしまったかのように―――いったんはじめた戦いを、なかなかやめられないようだった。
「いけっ、そこで火炎放射よっ、炎のうずよっ! あれ、火竜相手には効果がいまいちね……なら、噛みつけっ、引っかけぇ―――さあ今よっ、追いうちっ!!」
ルイズはもはや感極まったように、陶酔しきった笑顔で、左手につかんだタバサの手をぶんぶんと上下に振り回し、右手の杖で上空の殺しあう竜たちを指してけらけらと笑う。
そこでは比較的身体の小さい竜二匹がいったん争いをやめて、暴れまわる比較的大きな竜を先に倒そうとしているようであった。もはや三匹とも、満身創痍だ。
「ねえタバサ、友情タッグとチャンピオン、どっちが勝つと思う? アニエスはどっち? あはははっ、どっちかしら、私はチャンピオンにモンモランシーを賭けるわよっ!」
ただ包丁を手に呆然としていたアニエスと、タバサの目が合った。
タバサは疲れきった表情で、そっと静かに首を横に振った―――こうなったらもう、したいようにさせるほかない、と言わんばかりに。
なるほど今回の冒険は大いに勉強になった、異世界サンクチュアリとやらの敵にはまず常識を捨ててかからなければならぬようだ、とアニエスは思った。
「何ぼんやりしてるのよ二人とも、さあ一緒に応援しましょう! いっせーのーせっ、頑張れーっ!!」
「がっ、頑張れーっ!」
「……」
はい、自分なりに頑張ったつもりだったのです―――
『私を見る雪風の少女の同情の視線が、その優しさが、怖かった』―――
と、後に帰還した剣士アニエスはこのときのことを、主君であるアンリエッタ王女に、そのように語ったのだという。
やがて―――
もはや体中もぼろぼろの弱りきった火竜たちのうち一匹が、ルイズたちの近くまで―――つまり『呪いの射程圏内』にやってくると―――
「さて、『TERROR(恐怖せよ)』―――ありがとう、とっても楽しかったわ!! 負けドラゴンちゃん、あなたは見逃してあげる、そろそろ尻尾をまいて自分の巣へとお帰りなさい」
ルイズは微笑みながら、<恐怖>の呪いをかけた。
火竜は文字通りに尻尾をまくようにして、ぼろぼろの翼をひろげ、はるか遠くへと飛び去った。きっと傷が癒えるまでは巣から遠く離れないことだろう。
さて上空では残った二匹の戦いにも、決着がついたようであった―――
―――ずどおおおおん!!
爆裂音―――どうやら一方の火竜の喉元の引き裂かれた燃料袋に、身体の大きいほうの竜の放ったブレスが引火したらしい。
ふたたび、どどどおん、と轟音―――ルイズたちの小さな氷の砦のすぐ近くの山肌に、息も絶え絶えの火竜の巨体が落下してきたのだ。
「ねえ見て二人とも、すごいわ! あれが伝説のチャンピオンね! ほら、私の予想のとおり!」
ルイズは勝ち残った身体の大きい竜、雄たけびをあげながら上空を旋回する巨体を指して、心底嬉しそうにそう言った。
かのサンクチュアリ世界にも、魔物の群れのなかにときおり<チャンピオン(Champion)>と呼ばれる、通常の二倍近く強力な個体が数匹存在するのだという。
タバサがそんな浮かれるルイズへと、冷静に事実を告げる。
「だめ……こっちに来る、手負い、相当に怒ってる」
「さあアニエス、タバサ、いったんここからお出かけよ」
たちまちルイズは、氷の砦から飛び出した。
アニエスとタバサも、それぞれの武器や杖を手に、慌ててルイズのあとを追った。
三人が岩肌をずぞぞぞと滑り降りるようにやってきたのは―――さきほど落下した、敗者の火竜の近くである。
その竜は、喉元の燃料袋が炸裂したせいでもはやブレスを吐くこともできず、ただぴくりぴくりと震えている。
もうこの火竜は、ここ火竜山脈のきびしい環境のなかで、生きてはいけないことだろう。
もし、この致命傷が治るとしても、またどこかで人や村を襲うようになる前に、一匹でも多く、倒せるときには倒しておくべきだ。
少なくとも野生の火竜の被害に悩まされている国、ガリアの騎士タバサには、余力があればそうする義務がある。
ルイズは、『イロのたいまつ』を振った。
「『アンプリファイ・ダメージ(ダメージ増幅)』……剣士さん、とどめをお願い」
「む、承った」
アニエスは『ブッチャーズ・ピューピル』を上段にかまえる。
火竜の、爆発のせいでいまにも千切れそうな首へと、刃渡り一メイルはありそうな血染めの刃が、振り下ろされる―――
ズバン―――!!
「ううおっとと!!」
このときのアニエスは、いままでの人生で出会ったこともないほどのあまりに良すぎる切れ味に、心底怖気を抱いたのだという。
手ごたえも殆どなく、まるで熱したバターを切るかのようにして竜の太い首を切断した物騒な包丁は、勢いあまって地面にすこしめり込んだ。
体勢を崩してしまい、えいっと力をこめて地面から刃を抜いたアニエスは、背筋に嫌な汗がつたう―――
「何だこの包丁……切れすぎる」
「ウフフフフ、とっても素敵な調理器具でしょう、気に入ってくれて良かったわ。ずっと大事に使ってちょうだい」
「……うっ、ご、ご遠慮しよう……」
一瞬でも返答を迷ってしまった自分が、なにかひどく危険なものに感じられてしまい、私はヘンタイじゃない、と落ちこむアニエスであった。
だが、今の状況、そんな暇はないのである―――
「伝説のチャンピオン」
タバサの一言が、二人の背筋を凍らせる。
油断はいけない―――そう、いちばん身体が大きく、いちばん獰猛で強くいちばん怒っていて手負いの火竜が、こちらを焼こうとやってくる。
巨大な身体が、三人の近くに降り立ち、猛烈なるブレスを吐かんと口をひらく―――
グオオオオ―――!!
「アニエス、私を抱えて、タバサについて走って! タバサ氷防壁全力全開! 行くわよ―――『アンプリファイ・ダメージ』!!」
「『氷壁(アイス・ウォール)』―――」
杖を振り火竜へと<呪い>をかけたルイズは、包丁を放り捨てたアニエスの腕におなかのところを抱えられ、その勢いに「むぎゅう」、と唸った。
どどおっ!! ―――間一髪、それまで三人の居た場所にすさまじい炎の吐息、柱のような業火が着弾する。
タバサの雪風の防壁、ルーンワード<メモリー>によって詠唱短縮され、練度の底上げされた強固なるそれが、熱風の余波を完全に防ぐ。
「けほけほっ……いい、いいわぁドラゴンちゃん、その位置が……とってもとおぉおってもイイわよ、最高よ!!」
「『空力盾(エア・シールド)』―――」
アニエスに抱えられたままのルイズが笑う。三人は岩陰へと滑り込み、タバサが障壁を張り―――
白髪の少女ルイズ・フランソワーズが、なんとも心底嬉しそうに、火竜へと『イロのたいまつ』を突き出した―――
「さあ今までの人生でも一番でっかいやつが行くわよぉ! タバサ風障壁全開私たちを守って! みんな、伏せてっ―――『コープス(Corpse:死体)』―――」
地上と空中の暴君、強大なるファイア・ドラゴンがブレスを吐かんと、目の前の小さなゴミクズどもを焼きはらわんと、牙の生えた口をひらく―――
自分の竜としての百年以上続いた生において、はじめて<恐怖>などという下劣な感情を与えた目の前の敵どもを、消し炭になるまで、焼き尽くすのだ―――
「―――『エクス―――プロージョン(Explosion:爆破)』!!!」
白髪の少女のそれは、死の宣告―――こうして火竜の願いは、果たされずに終わることとなる。
ラズマの殺戮秘技、『死体爆破』とは……新鮮な死体に詰まった断末魔の力の総量と、その圧縮開放の効率とによって、炸裂時の威力が決まるものなのだという。
そして断末魔の力の量とは、もともとその生物の持っていた生命力の強さと大きく連動して、増大するものなのだという。
ずぅ―――ど―――ど―――おっ――――――
さて、ハルケギニアにおいても有数の膨大な生命力に満ち溢れた種族、火竜の死体に詰まった断末魔の力とは、いったいいかほどのものであったろうか―――
物理的な衝撃として開放されるただでさえ筆舌につくしがたいそれが、『物理ダメージ増幅の呪い』をかけられた火竜にとって、いかほどの威力であったろうか―――
「……」
「…………っぐ……これ、は……」
「けほっ、けほっ……けほっ……」
少女二人、大人の女性ひとりのパーティは、山肌をすこし転がり落ちていた。
隠れていた岩までもが、吹き飛んでしまったのである。アニエスが先ほどの爆発のあった場所を眺めると、岩肌がえぐれ、浅いクレーターのようなものが出来ていた。
その周辺には、まるで黒い岩肌の山に突如として咲いた巨大な花のように、真っ赤な血や何かのリングが出来ている。
至近距離で直撃を受けた身体の大きい火竜は―――首や羽、腕や腹をごっそりと持っていかれ、まさにヒキニクのようになっていた。
そしてタバサの、アニエスの、そしてアニエスの腕の中のルイズの服は、まるで染料のバケツをぶつけられたかのように、竜の血で染まっていた。
「ルイズ」
「大丈夫、私が守ったし、あの『骨の鎧』とやらが発動したらしい、頭は打っていない。ただ衝撃で気を失っているだけだ……しかし、何なのだ一体、今のは……」
「……ルイズは大丈夫? わたしは守りきれなかった……頭を打っているかもしれない、治療しないと」
「ん? ああ、そうか、耳が……」
アニエスもタバサも鼓膜がきんきんと鳴っており、互いの声をうまく聞き取れないようであった。会話がかみあわない。
タバサが起き上がり手袋を外して、ずれた眼鏡をいったんはずし、べっとりとついた血のりを指でふきとってから自分の顔のただしい位置へと直す。
そしてとことこと力なく歩き、近くに転がっていたルイズの愛用の杖、『イロのたいまつ』を拾ってくる。
一応このパーティのリーダーであるタバサは、アニエスにルイズを運ぶように身振り手振りで示し、二人はさきほどの小さな氷の砦へと進んでいった。
回復ポーションの入っているアニエスの運んでいた背中の荷物は、あの場所に置いたままだったのだ。
タバサの所持していた小瓶は、今の衝撃と落下のせいで破損してしまったようであった。
「埋まっているな、私が探そう」
「……ルイズを起こす」
「ん、うう……」
アニエスがグローブをはめた手で、すこし前まで『タバサパーティの砦』だった場所につもる、もと『クレイ・ゴーレム』の凍土の瓦礫のなかから自分のかばんを発掘する。
中から回復ポーションを取り出し、ルイズも含めて全員で飲み干した。みなの怪我も治り、鼓膜も正常に戻ったようだ。
(本当にあの火竜を二匹も倒してしまうとは……ありえん、信じられん……なんともすさまじいものを見せてもらったものだ)
アニエスは、はあっ、とため息をついてから、白髪の少女ルイズ・フランソワーズを見た。
気絶から復帰したばかりのルイズは、ただぼーっと焦点の合わぬ目で空中と、自分の作った巨大で真っ赤な花とを、見つめていた。
「ルイズ」
「……」
「まだ痛む?」
「あっ、タバサ……」
白い髪の少女は、線の細い身体をぞくぞくと震わせながら、とても、恍惚とした表情をしていた―――
やがて唇をふるふると震わせ、その焦点の合っていない目には、じんわりと涙が浮かんでくる。そして、言った。
「あのね、すごかった……本当にすごかったわ、今の……最高だった……ドラゴンの死体を、爆破なんて……ああっ本当にっ、(ピー:聴取不能)、だったの……!!」
タバサとアニエスは、ただちにこの白髪の少女と、その危険すぎる感動を分かち合うことを諦めたのだという。
「どうしましょう今夜は眠れないかも」などと言われてしまっては、もはや『この自分たち、生来耳が聞こえぬ!』と後付け設定を捏造するほかない。
うつろで危なすぎる表情をしているルイズの、ぴく、ぴくと震える肩を、何を思ったかそーっと人差し指でつついてみようとしたタバサの手を、アニエスは「なにをする血迷ったか!」と慌ててとめて、咳払いをする。
「ごほん、余韻に浸っているところ悪いのだが―――ところで、あのドラゴンから逃亡中だった少女のメイジは、いったいどうなったのだ?」
「「あっ」」
そんなアニエスの一言で、竜の返り血に染まった白い髪の少女と青い髪の少女の二人は、思ったという―――ああ、いったいどうなってしまったのか!!
さて―――
かの少女メイジは、すこし下ったところで下半身だけ土に埋まり目を回しているところを、無事に発見することができたのだという。
優秀な土のメイジだったらしく、魔法で即席のトーチカを作ってドラゴンの視界から逃れていたのだが、さっきの爆発で埋まりかけて必死に這い出し、そこで力尽きたのだそうな。
//// 19-3:【ダイヤモンドよりも砕けない】
ブレスから逃げるさいに邪魔だとアニエスが放り捨てた肉切り包丁『ブッチャーズ・ピューピル』は、爆心地(グラウンド・ゼロ)付近で発見され回収された。
いっそのこと粉々になっていてくれれば―――ともアニエスは思ったが、まるで嫌がらせのようにして、『破壊不能』のそれにはかすり傷ひとつついていなかったそうな。
もはや『固定化』がどうとか言っているレベルではなかった。ナニカの怨念である。
どんなに手入れをしなくとも、寒気のするほどの切れ味とこびりついた血の落ちることのない、一生使える、全世界の人肉料理人垂涎(すいぜん)の包丁だ。
それはさておき―――ここは火竜山脈、爆心地の近くに張られたテントの中。
現在、ルイズはポータルで学院へと補給その他に向かっており、タバサとアニエスが、救助され治療された貴族の少女の、事情聴取の最中である。
補給と休憩とを終えたら登山を再開し、極楽鳥のタマゴ―――モンスターバトルとドラゴン花火の余波で粉々になっていなければの話だが―――を取りにいくつもりだ。
二匹倒して一匹を追い返したので、このあたりに火竜はいないのだろうが、また日がたてば別の火竜がやってくる可能性もある。
つまり、迅速に行動する必要があるのだが……
「あなたがあの、『合成代用肉』の発明家?」
「はい、そうです、本物みたいに美味しい肉を『錬金』で作りたいと願い、世界中の美食をもとめて修行の旅をしているのです」
あの火竜から逃げていた少女は、リュリュと名乗った。
貧乏だったタバサが以前よくシルフィードに与えていたあの『偽もの』の肉は、このほんの十七歳ほどの少女が考案したものなのだという。
貴族とちがってお金の無い平民たちにも、美味しいお肉をたっぷり食べてほしい、そんな気持ちがあったそうだ。
でも、安かろうまずかろうの評判どおり、『肉っぽいナニカ』までしか作ることが出来ず―――ならば真に美味しいものの感覚をつかもう、と旅に出たのだという。
「季節外れの『極楽鳥のタマゴ』は、誰もが食べたことの無い美味にちがいない―――そう思って、危険を承知で取りに来たのですが」
ふむ、自分たちと同じ目的とは、とアニエスは驚く。
だが、ここからリュリュは、もっと驚くべき事実を語り始めるのであった―――
「もっと上にのぼったあたり、極楽鳥の巣のちかくで、ほら穴を発見しまして……その中にいたメイジの男に、襲われて捕まって、三日ほど監禁されて……」
すわ何事か―――タバサとアニエスは、緊張をかくせない。
か弱い女性が監禁されたとき、されることと言えば―――そんな想像をし、表情のこわばった二人にリュリュは気づいたようだ。
「いいえ、からだに手は出されていません……むしろ忘れられていたみたいで、食事も与えられず、狭く真っ暗な部屋のなかでずっと放置されていました」
リュリュは、その間に予備の杖の魔法でなんとか穴を掘って脱出し、また見つかって必死に逃げる途中に、三匹の火竜にまで目をつけられてしまったのだという。
さて、こんな火竜だらけの山中で、そのメイジはいったい何をしているのだろうか―――と、タバサとアニエスは首をひねる。
だが、リュリュはますます恐るべきことを語り始める―――
「最初襲われたとき、私がゴーレムを出して身を守ろうとしたら、とつぜん男の姿が消えて、ゴーレムの背後に瞬間移動していたんです」
そして『フラッシュ』とかいうヘンな呪文(スペル)で、まぶしい光とともに、私のゴーレムは一撃で破壊されてしまいました―――
あんな恐ろしい魔法、見たことない―――
それを聞いたタバサとアニエスの二人の脳裏には、ひとりの男のことが浮かぶ―――そう、あの魔道士<サモナー>だ。
「どんな男?」
「ちょっと黒めの肌で……大きな杖を持っていて……さっき逃げるときにも、ファイアー・ボールをたくさん撃ってきました……本当、死ぬかと思った……」
そのファイアー・ボールには誘導性が無く、そして男が深追いもしてこなかったので、なんとかリュリュは逃げきることが出来たのだという。
もうタバサとアニエス、二人の緊張は大きくなる。まさか、こんなところで出会うとは―――
「助けていただき、食事をいただき、傷を治していただきまして―――本当にありがとうございます」
リュリュは、深々と礼をした。
タバサとアニエスは、顔を見合わせた。
「……タマゴを取ったら、調査」
「ミス・タバサ、失礼だが、そこから先は私に与えられた任務だ」
「あなたは危険を冒してわたしの用事についてきてくれた、一個借り」
冷静なタバサにそう返されると、ぐうの音も出ないアニエスであった。
「ただいま……あれ、どうしたの二人とも?」
学院へと戻っていたルイズが、補給を終えたらしい。四人分の着替えやらなんやらを、手にしている。
彼女は、先ほど土のゴーレムを使役し、巨大な火竜の死体をでっかい血染めの包丁でひどく不器用にうふふうふふと小分けして、お土産だと肉のかたまりや、記念品として首印やら骨やらウロコやらその他を、ポータルで『幽霊屋敷』へと運んでいたようだった。
それを見たシエスタの目が、何割くらい死ぬのか―――もはや、語るまでもなかろう。
さて―――
三人……いや、ひとり増えて四人となったタバサ・パーティは、当初の目的を達成することに成功した。
タバサ、ルイズ、アニエス、リュリュは、無事目的の『極楽鳥のタマゴ』を発見し、いくつも採取することができたのである。
あの爆発の正体や、途中で火竜にまったく出会わなかったことをリュリュは不思議がっていたが……事情を教えてはいない。
タマゴのほうはいったん学院を経由して、たった今あらたに出来た用事が片付き次第、山奥のウェイポイントからシルフィードで王宮へと運ぶこととなった。
かくして一同はリュリュに案内してもらって、例の魔道士の潜むというほら穴へとやってきたのだ。
あの魔道士が出たらあたしを呼んでちょうだい、と言っていたキュルケを連れてくることも考えたが―――
いくつも予定がつぶれて拗ねていたキュルケは本日、恋人かどうかは知らないが、誰かと一緒にどこかへ出かけているようだった。
アニエスが訪問した初日の昼に「街に行きましょう」と誘いにきたのが無駄になり、こんどは宝探しツアーまでもが延期になったので、仕方のないことだろう。
さて、ほら穴の前の一同は、今回は調査目的、様子だけでも見ておこう、という話だったのだが……
「うふふふ……ここがあの男の住処ね、たっぷりと痛めつけてあげるわ」
「だがよ山登りに戦いのあとだ、疲れてるんじゃねえのか? 無理すんなよ娘っ子、また出直すって手もあるぜ」
ルイズはやはり倒す気まんまんで、デルフリンガーを持ってきて、アニエスへと渡していた。
剣士であるアニエスは大喜びで肉切り包丁を返却しようとした。そして、まだ背負っておきなさいと言われて落ち込んでいた。
戦況を見て判断し、デルフリンガーをアイアン・ゴーレムにするほうが、単純にこちらの人数だって増えるのである。
「あのいつもかぶってるっていう、お気に入りのヘンテコな帽子を地面に叩きつけて、さんざん踏んづけてやるのが私の夢よ」
デルフリンガーとアニエス、そしてタバサは「なんと小さな夢か……」と呆れる。
だが、そんなルイズの一言に、リュリュだけが不思議そうな顔をしていた。
「帽子……ですか? あの男は、かぶっておりませんでしたが」
三人は首をひねる。
あれも強力な特殊効果のついた魔法の帽子だが……自分の部屋の中だ、かぶらないこともあるだろう……
タバサが、リュリュへと問いかける―――
「その男は青い服で、金色の杖を持っていた?」
「いえ、赤い服でした……紺色の長い柄で、先端に赤い宝石のようなもののついた杖を持っていました」
三人はますます首をひねる。
ニューカッスルでは、まるでトレードマークや制服のように、毎日同じあの金色の刺繍のはいった青い服を着ていたというが……
あの男も人間だ、着替えることも、装備を変えることもあるだろう……
「……この男か?」
アニエスは肌身離さず持っていたのをすっかり忘れていた、と取り出した<サモナー>の人相書きを見せた。
対火服のうちがわ、シャツのポケットにいれていたせいか、汗で濡れてしわしわになってしまっている。
「違います、もっと年をとっていて、白いあごひげを生やしていました」
とうとう三人の意気込みは完全にくじかれてしまった―――どうやら、別人のようだった。
「どのように殺されかけ、監禁されたのか話して」
「最初に話しかけたら、わしの研究の邪魔をするな、これをやるからさっさと帰れって……どうやっても封の開かないへんな巻物を投げつけられたんです」
タバサの問いにリュリュは肩を落とし、目に涙を浮かべながら答える。
こんな巻物より、きちんと読める、美味しい食べ物を『錬金』する方法の書物などがありましたら見せていただけませんか、と本棚に近寄ったら―――
「やはりきさまも、わしの貴重な資料や研究業績を狙うのか、殺してやる、って―――違います、って言ったのに攻撃されて、捕まって三日間、暗闇に……」
リュリュは、ひどく落ち込んでいるようだ。くすんくすんと泣いている。
たった十七歳の貴族の少女が、他人に監禁され、憎悪をぶつけられ殺されかけて、それが自分の不注意な行動のまねいた結果であるとき、落ち込まぬはずがない。
いっぽうガリアの騎士タバサには、その男について、<サモナー>ではなく別の、なにか思い当たるふしがあるらしい。
アニエスはふうっ、と大きく息をつき、ルイズへと問いかける。
「別人のようだがミス・ヴァリエール、異世界の魔法を研究している者はよくいるのか? 他国の問題のようだが、このような場合にも調査を続行するべきか?」
「初めてのケースよ、でも、どちらにせよ―――私は個人的な用事で……その人に……会わなきゃいけないわ」
一方、そう答えるルイズは緊張している。
相手は貴族の少女をいきなり殺しかけ拉致監禁した、危険な人物のようだ。
だが、ひょっとすると……その人物はルイズの人生の目的の、とある大きな約束を果たさんがための手がかりを、持っているのかもしれない。
司教の遺体を返却するために求めている、<サンクチュアリへの道>へのカギを握っているのかもしれないのだ―――
「指名手配の犯罪者の可能性が高い……交渉は、おそらく無理」
「うん、でも、駄目もとだとしても、……いちどだけ試させて欲しいの」
ルイズはタバサに、そう答えた。
//// 19-4:【魔道師ザール(Quest From DiabloⅠ:Zhar The Mad)】
洞窟のすこし奥、その部屋にいた初老の男は―――完全に、狂った人間の目をしていた。
ルイズが見たところ、その男はもうほとんど、いびつな魔の気配のうちにのみこまれつつもあるようだった。
「また来たのかごうつくばりめ、しかもうじゃうじゃと仲間をつれて……何もかもがわしの邪魔をする、わしを狂わせんばかりに妨害ばかり!」
部屋の中は、なにか魔法の研究をする部屋というにはあまりに空っぽで、いくつかの巻き物立てとひとつの本棚がある限り―――
深い狂気に囚われているのであろうその男へと、ルイズはひとまず対話を試みる。
この男を刺激するかもしれないリュリュは、「お礼に騎士さまのお仕事を手伝います」と付いてきてくれていたのだが、今は部屋の外に居てもらっている。
「待って、すこし話をしたらすぐに出て行きます、何も取らない……お願いします、どうか私の話を聞いて欲しいの……」
「話すことなど何も無い……もう巻き物もやらん、出て行け」
「あなたと取引をしたいのです、私は貴族です。対価として出せるかぎりのお金もその他の報酬も、支払う用意があります」
ルイズはただ切に、この誘拐犯へと下手に出て、対話と取引を持ちかけようとするほかない。
ようやく見つけた手がかり、<サモナー>と<ラックダナン>以外の、<サンクチュアリ>世界からの来訪者らしき人間である。
意味も無くたくさんの人を殺してきたのだろう、ひどい恨みの表情の幽霊が、この男に大勢取り憑いている。
だが震える足をこらえ、ルイズは大きく頭をさげる。
「出て行けと言っている、何度も何度も、邪魔をするなと言っているのが何故理解できん、お前らのせいでまったく研究が進まん」
「申し訳ありません、それではあなたが忙しくないときに、また伺わせてください……いつ予定が空いておりますか」
「―――二度と来るな! わしの、わしの研究を、資料を、奪いに、妨げに!」
果たして―――本当にこんな空っぽの部屋で、彼がなにかの魔法の研究をしているのかどうか―――それすらもルイズには、もはや定かではなかった。
「お願い、これだけ聞いたらすぐ帰ります、二度と来ません……<サンクチュアリ>に繋がっている道を、知りませんか! もし知っていたら……どうか教えて欲しいの!」
さて、返答は―――
「あぁがああっ―――<好奇心は猫を殺す>と知れ!!」
男は奇声をあげ、杖を振り上げた。
放たれたのは『ファイアー・ボール』ではなく『ファイア・ボルト(Fire Bolt)』―――下位魔術、炎の矢、である。
なるほど、ハルケギニアの人間が見ればサンクチュアリ魔術の火球状のマジックアローは、『ファイアー・ボール』のようにも見えなくはない。
それを詠唱も短く、矢継ぎばやに放つ男は、まるで火のトライアングル・メイジのようにも見える。
「……ごめん、無理だったみたい」
どうやらルイズは、踏み込みすぎたようであった―――
焦りすぎたのかとも自分を責めるが、目の前の狂った男性にたいし、やはり最初から話し合いの余地などまったく存在していなかったようである。
そして、魔道の探求者は往々にして、自分の目的以外のあらゆるものの犠牲をいとわないのだという。
彼らはときに深い狂気にのまれがちであり、何かおかしなものに偏執し、邪魔するあらゆるものにたいしいっさいの容赦をしないのだそうな。
三日間、捕らえたリュリュを、暗く狭い部屋に放り込んでいたというのも―――
忘れられていたと考えるよりも、リュリュには解らないであろう、何かの異端魔術の実験などの理由があったと考えるほうがずっとしっくりくる。
「いや、ここは私も手伝おう」
背負ったままの包丁の代わりにデルフリンガーを構えたアニエスが、魔法の矢を打ち払い吸収させる。
ルイズは沈んだ表情で『骨の鎧』を展開し、そっと後ろへさがり、タバサと並ぶ。タバサが男を杖頭で指し示し、ルイズに言った。
「ザール、二つ名は『狂人(The Mad)』―――貴族にたいする数件の殺人その他多数の容疑でガリアから指名手配中、デッドオアアライブ」
その魔道師の男はただただこちらに、狂ったように奇声をあげながら、ファイアボルトを放つばかりだ。
タバサが、雪風の魔法でそれをはじいてから、言葉を続ける。
「……交渉は駄目もと、落ち込む必要はない」
人の命の価値が低くなりがちな<サンクチュアリ>から来た、闇に心を飲まれて狂った人間が、故郷での流儀をハルケギニアでも行おうとすれば―――
たちまち指名手配の殺人犯と、なってしまうことであろう。
ガリアの民を守る騎士であるところのタバサは、無表情で続ける。
「その代わり、打倒または拘束する必要がある」
雪風の呪文が放たれる―――とたん不思議な音とともに男の姿は消え、別の場所にあらわれる。
その男は瞬間転移術も、たしかに使った―――だがそれはあの恐ろしい『テレポート』などではなく、『フェイジング(Phasing)』という下位魔術だったようだ。
目標地点を選べない、ただ敵の包囲網から逃れるための、短距離ランダムジャンプの転移である。
男は剣を構えたアニエスの目の前に出現してしまい、慌てたように杖をかまえた。閃光(Flash)―――アニエスを襲う強烈な電撃を、伝説の剣が吸収する。
「……魔法吸収、便利なものだな。私の任務のためにぜひとも欲しいと思うのだが」
「おうともよ、これであんたが<使い手>だったら最高なのになあ、姉ちゃん……ま、残念ながら頼んだって譲ってもらえねえとは思うがね」
アニエスはデルフリンガーを振るい、ルイズは男へと呪いをかけ、クレイ・ゴーレムを召喚し『ボーン・スピリット』を放ってアニエスを援護する。
男は高位の『マナ・シールド』を展開していたようだが、炎の矢を軽々とさばき斬りつけるアニエスの猛烈な剣技のまえに、あっけなく削られたようだ。
たちまちのうちに男は、意識を失って倒れ伏した。アニエスは杖を蹴り飛ばし、男に剣を突きつけながら、ルイズに問いかける。
「こいつをどうする? 意識を取り戻せば、杖が無くとも転移魔術とやらで逃げられるのだろう」
「そう、そこがやっかいなのよ……本当どうしましょう、今すぐ死んでもらったほうが……良いの、かしら……」
寂しそうな表情のルイズの力ないつぶやきは、どんどん音量も小さく、とぎれとぎれになってゆく。
他人の生死に関わる判断というものは、通常の場合、人の心へと大きい負担をかけがちなものである。
あらゆる敵を容赦なく殺すラズマ僧として多少成長してきたとはいえ、まだ彼女にも年相応の少女としての感性も幾分かは残っているらしい。
そしてこの男は、狂った指名手配犯とはいえ、ルイズの大切な目的のために重要な手がかりをもっているかもしれない人間である。
(でも、何かヘンな、嫌な予感みたいなものがするわ、頭のどっかにひっかかってるような―――)
下位ながらに<サンクチュアリ>の転移魔法を使える危険な殺人犯を、いつまでも拘束しつづけることは難しいものである。
なぜならハルケギニアのメイジの拘束方法は、単に『杖を取り上げて監禁する』ことしかないのだから。
いっぽう<サンクチュアリ>の世界では、シビアである―――見つけしだい即座に殺すのが、常なのだから。
「役人に突き出し、拘束に成功してもどのみち死罪―――暴れたら、いらない被害が増えるだけ」
「拘束して可能な限り情報をしぼりとり、精神力が回復する前に、とどめを刺すのが得策だろう」
タバサとアニエスは、疲れきったような声でそう言った。彼女たちもなかなか、シビアな世界で生きてきたようでもあった。
それは現実的な判断だが、ルイズはまだ諦めきれないようだった。もっと良い方法を必死に考えて、思い出す。
「そうだ、<サモナー>のときに考えた拘束方法なんだけど……スペルを唱えられないように、頑丈な口枷をはめてしまえばいいんだわ」
そう言ってルイズは焦点の合わない目で、倒れている男をもの欲しそうな目で見つめている。
「このおじさま、私のおうちの地下牢で飼っていいかしら? 毎日授業が終わったら、たっぷりと生かさず殺さずに可愛がってあげるのよ」
まさかこの少女、初老の狂人殺人犯をペットにしようと言うのか―――!!
もはやあきれ果てた表情のタバサへと、ルイズは『氷』の魔法で『口枷(くちかせ)』を作ってもらうように頼んだ。
今後の処遇はともかく、この男がハルケギニアの法で裁かれなければならないことは確かだ。今のところの拘束方法としては、悪くないアイデアである。
本格的な拘束具は、あとでリュリュに『錬金』で作ってもらえばよい。
静かにタバサは頷いて、杖をかまえて男へと近づき―――
「駄目、たぬき寝入り」
眼鏡の奥の、青い目を、見開いた。とたん―――
「『フェイジング(Phasing)』―――」
アニエスの手にしたデルフリンガーの切っ先のすぐそばの、男の白い口ひげが、かすかに上下に動く―――
どうやら精神力の回復速度のあがる装備かなにかをつけていて、反撃の機会をじっと狙っていたようであった。
びゅびゅん―――
不思議な音が響き、倒れていた男の姿が部屋の中から消え去った。
そして、この下位転移魔術は『テレポート』と異なり目標地点を選べないが、消費精神力もずっと少なく、壁すらも飛び越えることが出来るのだという。
石の中に融合してしまうようなことや、地面のないところに出るようなことも無いのだそうだ。
「くっ、何処へ行った?」
「たいへん、部屋から出ていったわ、リュリュは大丈夫? リュリュは今ひとりだわ、こっちに来て!」
「わ、わたしは大丈夫ですけど、みなさん大丈夫ですか? いったいどうしたんですか?」
慌てるアニエスとルイズ、そしてタバサのもとに、ドアの外に待機していたリュリュが杖をかまえながら駆け込んできた。
「あのおじさまが逃げたのよ……どこから来るかわかんないわ、私たちの近くにいてちょうだい」
「ええっ、そんなっ!」
「次はどんな手を打ってくるのか解らぬな」
「ここのように狭い場所では、避け切れない可能性がある……一時、退却」
四人と一体のゴーレムは、いったん洞窟から出て敵を迎えうたんと、出口にむけて、駆け出した―――
このとき四人が<タウン・ポータル>で即座に脱出しておけば、非常に痛い思いをせずに済んだのかもしれない。
だが、ここで迎撃という選択をしたことはのちのちのために、おそらく正しいことだったのだろう―――
運命の流れというものは非常に複雑にからまりあっており、なかなか正否の判断を行いえないものなのだという。
かくして火竜すら打倒した実績を誇る、この平均年齢も低い女性だらけのパーティは、たった一撃の魔法によって、壊滅寸前に追い込まれる―――
―――
出口の近くに、男が立っていた。
四人は、足を止め、杖をかまえ剣をかまえ、臨戦態勢を取った―――
「もう、許さん、許さん! わしの研究を狙う奴ラメ、ワシヲ狂わせる奴ラメ、こうなれば、ミナ、焼き尽くして、やろう―――」
狂った男は、一本の杖を持っていた―――
それは先ほどまで使っていた、赤い宝石のついた立派な杖ではなく―――
背のたけもあるほどの、赤銅色の、なんの装飾もついてない素朴な杖だった―――
(あれは―――まずいわ―――!!)
ルイズはとても嫌な嫌な予感に襲われ、相手の行動を阻止しようと―――『イロのたいまつ』をかまえ呪文を唱え始める。
魔に属するなにか強い力の気配を、男のもつその杖から感じたのだ。
使い魔の『タマちゃん』は先ほど炸裂させたばかり、復活するまで間に合わない、失敗魔法は射程外―――ならば―――
タバサも杖をかまえ、みなを守る空気の障壁を張ろうとする、アニエスが魔法を吸収するデルフリンガーをかまえる―――
リュリュが攻防一体の土の壁を展開せんと、スペルを詠唱しはじめる―――
「駄目! 『骨の(Bone)―――槍(Spear)』!!」
サンクチュアリのアイテムには、相応の技量や魔力を持つものであれば誰にでも使用できるように、魔術の封じられている物品が存在するのだという。
暗記魔法のかかった本(Book)や、ルイズもよく使う『タウン・ポータル』の巻き物(Scroll)のような、いちど使えば消えてしまう使い捨てのものも存在する。
そして、使い捨てではなく繰り返し利用可能なアイテムのなかでも、魔法使いの使う杖(Staff)というものは、そのような魔法を一定の使用回数分チャージしておくためにもっとも適した形状なのだという。
ルイズが杖を振り、あらゆる敵を一直線に貫くという神竜トラグールの爪(タロン)、小さく鋭い骨の槍『ボーン・スピアー』が放たれ―――男に迫る。
同時にばっ、と男の杖が振るわれる―――
杖にチャージされた魔術というものは―――『たとえ魔法を使うための精神力が、まったく残っていなかったとしても、使える』のであった。
ルイズは先ほどは比較的あっけなく倒されたこの男が、メイジたる貴族を実際に何人も殺害しているという事実を、甘く見てしまった、と後悔した。
なにかそうしうる切り札の存在を徹底的に疑うべきだったのだ、とも思うが―――もう、遅かった。
「―――『アポカリプス(黙示録:Apocalypse)』」
たった一撃の魔法、一瞬のうちに、虚無の色をした炎の魔法で―――
ルイズの『骨の鎧』がすべて粉々に砕け散った。
アニエスがとっさに構えた『魔法吸収無効:破壊不能』のデルフリンガーにめきめきとひびが入り、衝撃で手からはね飛ばされていった。
タバサの張った強固な風防壁と『エナジー・シールド』があっというまに突破された。
いちばん防御の薄いリュリュは―――あれだけ全身を焦がされ、それでも生き延びたことは奇跡だった―――と、のちに述べたのだという。
―――ドドドドッ!!!
四人の身体を、まるで人体発火現象のように、ルイズの失敗魔法にも似た、この世界に普通存在してはならない色の無属性の炎が、焼いた。
魔道師の杖には、ときに、人間が決して覚えることのできない術法―――たとえば魔王ディアブロの魔法などが、込められていることもあるのだという。
全身を焼かれた少女三人が、ばたばたと倒れた。
ルイズのゴーレムは、今の一撃に耐えたようだが、ルイズが制御を失ったせいかもはや動きを止め、崩れはじめていた。
そして、たった一人、高い生命力とど根性、盾となったデルフリンガーのおかげで<魔王の炎>に耐え抜いたアニエスだけが―――叫んだ。
「―――うああああっ!」
目の前の初老の男が、幼いころに自分の住んでいた村を焼き払った仇敵の炎のメイジであるかのように、見えたのだった。
火傷の激痛に歯をくいしばり、背中に背負ったままだった、破壊不能の肉切り包丁、『ブッチャーズ・ピューピル』を振りかぶり―――
包丁と呼ぶにはあまりに大きく分厚く重く、そして大雑把なソレで―――
次撃を放たんとばかりに、『骨の槍』の着弾によって落とした<黙示録の杖>を血だらけの手で拾い上げて構えていた、狂気の男の左半身を―――
ズバン―――!!
ずっぱりと、杖ごと、切り倒した。
まさか自分は本当にヘンタイなのだろうか、と、あとで思い返すたびに落ち込んでしまうほどの、背筋がぞくぞくとするような切れ味だったそうな。
『あのときの自分の感情が、今になっても理解できず、恐ろしいんだ』……と彼女は、のちに親しい友人となった一人の火のメイジの少女へと、語ったのだという。
//// 19-5:【Quest Completed】
ルイズたち四人のパーティを一撃で壊滅させた魔法『アポカリプス(黙示録)』は、一定圏内のすべての敵を、問答無用で攻撃するものなのだという。
魔法無効(Magic Immune)すら突破する特性を持ち、その代わり『ファイアー・ボール』などよりも殺傷力そのものは低いと、魔道の研究者は言うそうだ。
「……ルイズは?」
回復ポーションを取り出そうと、かばんをあさるアニエスの耳に、気絶から復帰したらしいタバサの声が聞こえた。
「全員、なんとか生きている……しかしリュリュ嬢のやけどがいちばんひどい。今、あのよく効く薬を探しているところだ」
火傷の激痛に顔をしかめ、立ち上がろうとして失敗し、それでもタバサはふらふらと、アニエスのそばに這うようにしてやってきた。
そしてタバサはアニエスの横に割り込んで、紫色の上級ポーションを取り出して、これを、と言った。
アニエスは、いちばん重症のリュリュにそれをまず飲ませた。彼女の火傷はみるみる軽いものになってゆく。
つづいてなんとか立ち上がった青い髪の少女は、もうひとつの紫色の小瓶を手に、本日絶賛二度目の気絶中のルイズのところへ向かう。
「おい、無理をするなミス・タバサ」
「……大丈夫」
人間は全身の皮膚の大部分が焼ければ、痛みのショックで死に至ることもあるのだという。
でもアニエスが診たところ、リュリュに次いでルイズもひどい火傷だが、致命傷には至らなかったようだ。
アイテムのなかにチャージされた魔術にもスキルレベルの高低というものがあり、今回放たれた『魔王の炎』が低レベルのものだったのは、不幸中の幸いだ。
とはいえ全員がひどい火傷を負ったことに変りはなく、頑丈だった耐火服もぼろぼろにやぶれ、あちこちから焦げた素肌がのぞいている。
「いた、いたい……」
「落ち着いて、大丈夫、もう痛くなくなる」
どうやら意識を取り戻したようだがぐったりとしている白髪の少女の上体を、片手で起こしささえてやりながら、その口もとへと小瓶をあてがってやる。
ルイズは紫色の液体を、こくりこくり、と喉を鳴らして飲んだ。そして、じっとやけどが治るのを待ちつつ、ぼーっとタバサを見ている。
「ありがと……タバサ、あなただって、ひどい火傷なのに」
「後でいい」
「よくないわ、辛そうだもの」
「大丈夫。わたしも今すぐに飲むから、心配しないで」
タバサは杖を振って『レビテーション』の魔法で、ルイズの体をリュリュとアニエスの近くへと運ぶ。
そして、火傷の応急処置は、『冷やす』ことだ。雪風と剣士の二人もポーションを飲んでから、タバサの魔法で全員の肌を冷やしつつ、回復を待った。
「あーあ、また油断しちゃった……ねえ、アニエス……あなたがいてくれて、本当に助かったわ」
「うむ、今後はお互い慎重にいこう」
ルイズとアニエスは、そう言って、苦笑しあったのだという。
やがて全員の治療が終わり、回収されたデルフリンガーも<キューブ>その他の方法で修復は可能とわかり、三人は安堵のため息をついた。
四人全員が服もぼろぼろの半裸状態、そして煤(すす)まみれだ。『火竜にやられた』と言えば、きっと誰もが信じることだろう。
「この子、どうしようかしら……私たちを手伝ってくれるってついてきたばっかりに、黒こげにされちゃったのよね」
「学院へ運ぶ」
「そうね、お持ち帰り」
少女リュリュは傷が治っても、なかなか気絶から目をさまさない。
なので学院にポータルでつれてゆき、治療の続きや目をさますまでの世話をすることになったのだという。
さて―――
サンクチュアリ世界へと繋がる道の手がかりとなりそうな人物を失い、少女ルイズはさぞや落ち込んでいる、かと思いきや―――
「はっ……そうだわ、あの、あ、あぽ、かり、つえっ……!」
ルイズは動けるようになったとたん、忍者のように迅速に行動を起こした。
こそこそと残像が見えそうな勢いで、まっぷたつの魔道師ザールの死体のそばに近寄って、あの赤銅色の杖をルート……いや、入手しようとしていた。
そして断片を手に、みるみるうちに残念そうな表情になる。これを修理することは、かなり頑張れば出来なくもないようだが……
「勿体無い……おじさま、無理やりな『リチャージ』を繰り返しすぎだわ、使用回数の上限もひどく減っちゃってる」
アニエスが「それを使えるのか」と問えば、装備するための技量や要求値が厳しすぎて、ルイズやタバサにも使えそうにもないのだという。
しかし、この恐ろしいアイテムがいつか敵の手に渡ってばんばん使用される前に、こちらが入手できたのは喜ぶべきことなのだそうな。
「……」
ルイズは二つに切れた<黙示録の杖>を手に、血だまりの中に斃(たお)れている魔道師の遺体を眺める。
そして、遺体から視線をはずし、すぐ目の前の中空に、まったく焦点の合っていない瞳をむけて―――
「おじさま……心配しないで、今、しっかり供養します。そのあとで……良い棺おけがあるの、それに入れて、お役人さんに渡します」
……ナニカがそこに、いるらしい。
「そうすれば……あなたの魂もこれ以上魔に食べられないし、あなたが殺してきた人たちもみんな、<存在の偉大なる円環>の流転の中で、行くべきところに逝けます」
ルイズが思うに、二つの世界の運命はときにしなやかに、ときにいびつにゆがんで割り込みあっているようであった。
魔道師ザールはもしこちらの世界に来ず、ずっと<サンクチュアリ>に居たとしても、同じような運命をたどったことだろう。
ゆがんだ運命というものは、往々にして不必要な悲しみや混沌を増大させがちなのだという。
さて、この男がこの世界へと召喚されたのか、事故で来たのか、自力でやってきたのか、それとも誰かに連れてこられたのかは、まだ解らない。
それについては、今後の調査が必要だろう。
「おやすみなさい(rest well.)」
ルイズは目を閉じて、かけてもらっていた『固定化』が剥がれ焦げ付いてしまった『イロのたいまつ』を振って、祈りの言葉をとなえ、火の粉で邪気を払い、供養を行った。
―――
続いて、この洞窟のどこかに杖の置いてあった隠し部屋が必ずあるはず……
と探していたところ、果たしてルイズたちは洞窟の一角に<ウェイポイント>の魔法陣を見つけたのであった。
「なるほど、ファイアドラゴンどもを門番に人のよりつかぬ場所に隠れ住まい、転移術で出入りしていたというわけか」
「あのおじさま、ただの引きこもりじゃなかったみたいね」
おそらく魔道師ザールが外へと悪さをしに行くとき、火竜の居ない季節のために備えているであろう他の隠れ家へゆくときに、これを使っていたのだろう。
一方ルイズたちは、これのおかげで、ここ狂人ザールの隠れ家を、また明日にでも調査しに来ることができるようになる。
そして―――
ああ、今日は本当に大変な一日だった―――と、疲れ果てた顔で一同はポータルをくぐり、学院へと帰還してきた。
でもタバサは、また後でシルフィードとともに、リュティスまでタマゴを届けに行かなければならないのである。
「まずはお風呂に入りましょう。アニエス、あなたも私たちと一緒に貴族用の浴場を使えばいいわ」
そんなルイズの誘いを、今度こそはアニエスも断りきれなかったのだという。
(そうか……いわゆるその、あれなんだ、頑張った自分へのご褒美というものなんだ、仕方の無いことだ……)
さて、ようやく意識を取り戻し治療も終わったリュリュも含めて、一同は貴族用の風呂へと向かう。
言葉で形容しがたい壮絶なる格好の一団の登場で、もはや貸し切りとなったお風呂で―――
だばだばの汗やら血やら黒こげの煤やらを洗い流し、あたたかく薫り高いお湯にゆっくりとつかって、休息を得たのだという。
「タバサ、私の杖もそうだけど、あなたの眼鏡も焦げ付いちゃったのね……直るまで宝探しはまた延期だわ」
「……残念、予備を用意しておけばよかった」
「あっ、良かったら私が修理いたしましょうか? これでも私、『錬金』は大の得意なのです!」
妙にテンションの高い土メイジ、リュリュの提案に、青い髪と白い髪の二人の少女は迷うことなく飛びついたのだそうな。
やがて極楽鳥のタマゴや火竜の肉の調理法の話になり、ルイズとリュリュとの間で会話にも花が咲いている。
「……ええっ、あなた、お肉を食べられないんですか?」
「そうなの、たくさん取ってきたあれは私が食べるためじゃなくて……いつもお世話になってる、シエスタっていうメイドの子へのお土産なのよ」
「ああ勿体無い、きっとあなたは人生の半分を損しています! 三日間の暗闇の中あの断食に耐えた私は、今なら特上の肉を錬金できそうなほどにお肉が食べたいのに!!」
と、リュリュは感極まったように言っていた。
気絶のおかげで今回の凄惨な場面をほとんど見ていないせいか、肉を食べることにまったく抵抗が無いようである。
火竜の肉は、極楽鳥のタマゴのように美食というほどでもないが、飼育種の長命さ希少さや野生種からの採取の危険さのせいで、一般的に流通していない。
ある意味で極楽鳥のタマゴよりも希少な、それだけなかなか手に入らない食材はさぞかし美味なものなのでしょう! と懲りない少女は拳をつきあげたという。
実のところ、彼女は当初の目的達成のための成長のタイミングを逃してしまっており、『極上の肉』の錬金にこの後も失敗しつづけることとなる―――
でもある日それが一転、思わぬ発見となる―――かもしれないが、それはまた別の話である。
「ミス・ヴァリエール、どうか薬を作ったそのミスタ・コルベールという方を、私にご紹介ください!」
「ええ、今日は出かけていらっしゃるみたいだから、帰ってきたらね」
少女リュリュは、ここが火竜山脈から遠く離れたトリステイン魔法学院であることに、そこそこ驚いていたが……
彼女は美食のほかにも、どうやら瀕死の状態から自分の命を救ったあの『良く効く薬』に興味津々で、『山をえぐり竜を倒した大爆発』だの『ガリアからトリステインまでの超長距離の瞬間移動』だの、そんな細かいことは全く気にもしていないようだった。
一方アニエスは―――
あの強烈な『風のあざみの夢花火』でヒキニクの山を作っておいて『ルイズ本人は肉を食べられない』ということを知って、心底呆れるほかなかった。
(はてさて、まさか剣士の私が包丁を振るって、火竜と人間、一日で両方を討ち取ることになるとは……まったく人生とは、先が見えぬものだ)
そして、剣士は暖かいお湯に肩までつかり、からだを癒しつつ―――
視線の先には、湯船のなかで身体を弛緩させふにゃふにゃ笑顔のルイズと、かすかに口元をほころばせるタバサ、死地から一転の安堵を得て満面の笑みのリュリュ……
自分が包丁を振り回したことによって得ることのできた、三人の少女の笑顔という結果を眺めながら、そっと微笑み、ため息をつく。
今回の冒険の報告をしたとき、主君アンリエッタ王女は、いったいどんな顔をするのだろう―――と、想像してみるのであった。
//// 【次回:騎士団長タバサ(?)……の巻、へと続く】