//// 15-1:【癒し系(後編)】
(省略されております:前編よりつづく)ック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。
イケメンとは彼のことを指して言う固有名詞なのだと、巷では噂のようである。二つ名は、『閃光』。
彼は栄誉あるトリステイン王宮衛士隊グリフォン隊の隊長という身分にありながら、他国のために働いている。
凄腕の工作員たる彼が、かつて司令部より受けていたミッションは、ふたつあった。
ひとつは、来るべきトリステイン侵攻戦を楽にするために、ゲルマニアとの軍事同盟を破棄させる工作を行う。
そのためには、アンリエッタがもののはずみでウェールズにあてて書いた、婚約を妨げる手紙を奪取することが、ぜひとも必要な……はずだった。
本当にその手紙は必要なのか?
と任務失敗中の彼は、イライラと考えている。
王女は手紙の危険性に気づき、幼馴染のルイズ・フランソワーズを使者にたて、アルビオン王党派のもとへ送るつもりのようであった。
だから彼は、その任務に乗じて、もうひとつの任務と、彼自身のとある目的を果たそうと考えていた……数日前までは。
彼に与えられていたふたつめの任務は、ウェールズ王太子を殺害せよ、とのこと。
放っておいても城が落ちれば死ぬだろう、どうして自分がわざわざトリステインから出向いて殺す必要があるんだろう?
と任務失敗中の彼は、イライラと考えている。
そして彼自身の目的とは―――婚約者、ルイズ・フランソワーズの身柄の確保であった。結局、めぐり合えずじまいだ。
彼はそのために、王女アンリエッタより、婚約者たるルイズ・フランソワーズの極秘任務への随行を命じられ……
共にアルビオンへと乗り込み、上記の目的すべてをいっぺんに果たしてしまおうと思っていたのであった。
それは、なんとも良いアイデアだと思われ、必ずうまくゆくはずだったのだが……
結局、彼は一度たりとも、港町ラ・ロシェールおよびそこまでの道中で、ルイズ・フランソワーズに接触することは出来なかった。
その代わり、彼が心底ウンザリするほど頻繁に接触してきたのは、目つきの悪い痩せぎすの男と、ハゲの中年教師だった。
むろん、彼はひどくイライラした。
なので、彼は思った。
もう少し、柔軟に考えてみるべきではないか―――そう、あの目つきの悪い男の言っていたように……
風のように自由に、頭を働かせるのだ。
今回のミッション、自分は何処で間違ったのか、要点を振り返ってみよう。
最初に自分は何をしたのか?
夜、ひとりルイズのもとへと出かけていたアンリエッタ王女へと、極秘任務を授けてもらいに行ったのであった。
あのとき、自分は魔法衛士隊の隊長として、王女から信用を受け、ルイズへの随行護衛任務を任された。
―――果たして、そんなことをする必要はあったのだろうか?
どうせ旅先で裏切るのだし、あの場には王女と自分の二人しか居なかった。王女とは永久におさらば、誰も証人はいない。
ならば、王女に任務を授けられていなくても、勝手にルイズについてゆき、会ったときに『王女から授けられた』と嘘をつけばよかったのだ。
あれさえなければ、ルイズとめぐり合えていたかもしれない。
彼は悔しがる。むしろ―――
最初から、あのときに―――王じ……おっと、大きな声では言えない―――『ぉぅι゛ょゅぅヵぃ』をしておけばよかったのだ。
あのときは護衛もつけず、夜中にたった一人で無防備に出歩いていたではないか。
彼は想像してみる―――
トリステインの象徴が崩れたぞ!
ゲルマニアとの同盟ってレベルじゃねーぞ!
たったいま国は大混乱だ!
あばばばば!
あれ、これってチャンスじゃね? そうじゃね?
よろしい、ならば戦争だ!
―――ほら、なんと簡単なことなのだろう!と彼は考える。
ああ、わざわざ婚約を妨げる手紙を奪取するためアルビオンまで行く必要など、何処にも無いだろうに。
と風のように自由に考えた彼は、もともとの任務を放り出し、王宮へと戻ってきていた。何気に、彼は自分の婚約者と波長が合っているようでもあった。
「きゅいきゅい! おにくうまうまーなのねー♪」
さあ、以前の彼には無かった、王女を護衛もつけずにひとりきりにするネタが、今の彼にはある。
「王女殿下」
「えーと……あなたは確か、ルイズさまの婚約者の、ワリオさま!」
「ワルドです……あなたに極秘の話があるのです、我が婚約者ルイズ・フランソワーズについての」
アンリエッタ王女へとそう耳打ちすると、たちまち彼女は不安そうな表情になる。
今の彼女は、『大事な幼馴染であるルイズに、任務の最中、何かがあったのだろうか』とさぞかし混乱していることだろう。
なぜか周囲の貴族たちから刺すような視線を感じるが、どうせもうこの国ともおさらばだ。
この少女を連れて行けば、<レコン・キスタ>では相当に高い地位を約束されるに違いない。
「ワルドさま……ルイズさまたちが、どうしたの? 何か大変なことが起きたのです?」
この子供のようにくるくると表情のかわる、いとも愛らしい王女をだますのは、すこしばかり心苦しいが―――
いっそのこと、<レコン・キスタ>にて高い地位となったあかつきには、俺の嫁にしてやろうか、と彼は考える。
「例の任務にかかわる、とても内密な話なのです……ぜひ、他人の居ない場所に」
そうささやきかけ、アンリエッタ王女を連れ出すワルドであった。
さて、その二人の背後を、まるで隠密やゴキブリのようにコソコソカサカサと追いかける誇り高きトリステイン貴族が四人ほど。
全員が、このイケメン!ギタギタに!出し汁!オーク鬼に振る舞いッ!という邪念を心の中でウォークライしている。彼らの罵りの語彙は、やけに貧弱のようであった。
月夜の王宮の庭へと、ワルドは王女を連れ出した。
「ルイズさまたちに、何があったのですか」
「その前に、こちらをどうぞ、王女殿下……ゲルマニア産の高級な牛肉、そのブランド名も『夢と希望』、100%使って作られた特性ジャーキーで御座います」
王女は顔の半分で不安そうな、もう半分で期待に溢れたなんとも複雑な表情をしながら、それをほお張った。
「おいひい!」
その無邪気な笑みに、ワルドは非常に心苦しくも思い、同時になんと愛らしい、と感じる。いや、これは<レコン・キスタ>のためなのだ。
スペル『眠りの雲』よりもずっと効果の長持ちする、竜すらも眠らせるであろう強力な睡眠薬が混入されている。
たちまちのうちに、王女は眠りの中へと落ちた。
「おなかいっぱい、幸せ……眠くなっちゃった……のね」
しめしめ、と彼は笑う。戦乱が激しくなれば、この周辺上空の飛行も厳しくなる。
だから、チャンスは今しかない……ただちにグリフォンを呼び―――
背後の茂みのなかで、誰かが、「よし、殺す」とつぶやいた―――それがワルドの命を救ったのかもしれない。
「『ギタギタ・エア・カッターッ』!!」
「『ギタギタ・ストーン・バレットッ』!!」
「『出し汁・ファイアー・ボールぅ』!!」
「『オーク鬼に振る舞い・ウォーター・スピアーぁあっ』!!」
とたん、彼はすさまじい勢いと猛烈なる殺気のこもった攻撃の嵐にさらされることとなった。
裏切った! イケメン!となにやら叫んでいる追っ手どもの攻撃を、風のスクウェアであり確かな実力のワルドは、慌てながらもどうにか凌いだ。
出会え出会え、王女がさらわれた! なんと! ワルドか! 彼奴め!! ええい王宮衛士隊から二重の意味での裏切り者が!!
ワルドは王女をかかえ、グリフォンに乗って、ひたすらに逃げた。彼がトリステイン王宮に戻ることは、二度とないだろう。
―――
彼はラ・ロシェールへと向かい、予約していたロサイスへと向かう貴族派の船に乗ろうと考える。
その旅路の途中……王女は忽然と、彼のもとから消えることになる。
風竜が一匹、きゅいきゅいと空を飛んでいるのを見て、彼は……まさか、王女が竜に変身する魔法を覚えている……そんなはずもないだろう、と疲れた頭で考えた。
ならば、グリフォンで飛行中に彼女を落としてしまったのだろうか……と、林や森や川や道中を探し回るも、見つからない。
追っ手から逃れるため数日間身を潜めていたところ、「誘拐されていたはずの王女がひょっこり帰ってきた」という噂を聞いた。
俺は、無能なのか―――
もはや、聖地が遠ざかったとか言っている場合ではない。
夢は、完全に、潰えた、と彼はヒゲ面を悔し涙でくしゃくしゃにしたという。
なにしろ任務も失敗、むしろ無視して投げ出してしまい、王女も誘拐しそこね……もう<レコン・キスタ>に戻るわけにも、トリステインに戻るわけにもいかない。
さあ、どこへ行こうか。
彼は、これからは風のように自由に、どこかへ旅にでも出ようか―――と考えるのであった。
―――
さて、王宮では、スクウェアメイジによる誘拐から自力かつ無傷で帰還した王女(本物)が、「うわ王女つよい」となかば英雄に祭り上げられ目を白黒させていた。
『癒し系王女伝説』に、さらなる一ページが刻まれた日であった。
//// 15-2:【負い目】
金髪の少女モンモランシーは、恋人のギーシュ・ド・グラモンと、ここ数日間顔を合わせることが出来ていない。
自分は彼に、あまりにひどい仕打ちをしてしまった、と思っている。
自分のせいで彼は、何も悪くないのに、惚れ薬を飲まされ、崇拝していた王女への狼藉をはたらかされ、ワインの瓶で頭をどつかれ、拘束されて地下へと監禁されたのだ。
正直、嫌われても仕方の無いことを自分はしてしまった、としか思えない。悲しいことだが、むしろ嫌って欲しいくらいだ。
ギーシュと遭遇するたび、彼は慌てて彼女へと話しかけようとするのだが、モンモランシーは顔をあわせる資格が無いと感じて、いつも逃げ出してしまう。
彼が部屋のドアの前までやって来ても、申し訳ないとは思いつつも、部屋に篭ってしまう。
胸のうちのトゲが、もはやどうすればよいのかわからず混乱している彼女を、責めている。
たとえ王女に対する罪はゆるされたとしても、彼に対する罪は、許されていない、と感じているのだ。
アルビオンに行ったルイズ・フランソワーズが何か大きな手柄をたてたらしく、そのおかげで王女本人の言によって、彼女たちの罪は不問ということになった。
解除薬の調合のために、モンモランシーはたしかに多くの苦労をしていたのだが―――心のなかの負い目は、とても強く残っている。
ちなみに夢と希望は、心の奥底のパンドラの箱へと、厳重に厳重に封印されている。
―――
先日、王宮へとひとり呼び出され、本物の王女と面会したモンモランシーは、ルイズの話をしてくれとお願いされた。
なので、モンモランシーは普段のルイズについての話や、今回の冒険の話を、たくさんたくさん語った。それはもう、面白おかしく。
すでにゼロのルイズ本人からは、王女へと洞窟の話をする許可を得ていたので、問題はなかった。
アンリエッタ王女は時に笑いながら、時に震えながら、モンモランシーの話を聞いていた。
カラフルでハッピーなところをどんなにソフトに表現しても、それでもクライマックスにさしかかると、二人は震えながら顔を青くしたものだ。
そして王女とモンモランシーは、「こいぬ、こいぬ」とひとしきり震え、やがて目じりに涙を貯めて笑ったという。
どんなに怖かったからといって、自分でも、『こいぬ』は無いと思ったのだ。それが二人のツボにはまり、いつしか二人は友人のように共に笑っていた。
それから、王女は―――
「あなたの大事な恋人を一時的とはいえ取ってしまって、ごめんなさいね」
とモンモランシーに告げた。
優しく愛嬌もあって、勇敢で頭も回る、とっても素敵な方じゃない―――大事にしなさい、と言われ、モンモランシーは泣き崩れた。
これは一時とはいえ同じ殿方を愛した私たち二人だけの女の秘密、内緒の話よ―――と王女はモンモランシーに向かって続ける。
自分は、想い人のウェールズと結ばれることができず、そして望まぬゲルマニア皇帝へと、身売りのようにして嫁がねばならない身である。
薬の効果とはいえ、彼女は顔のいい優しく愛嬌のある殿方に一途な想いでひたすら愛され、ちゅっちゅとされ、ここしばらく無かったほどにどきどきわくわくしたそうな。
当のモンモランシーが、そんな一途さを求めて高価かつ禁制の惚れ薬まで作ったほどだ、モンモランシーにも、その気持ちを理解できないこともなかった。
『幽霊屋敷』の地下牢で二人して監禁されていたとき、ギーシュは王女の王宮生活での愚痴や不満、望まぬ結婚にたいする悲しみの心情の吐露をよく聞いてやり、たっぷりと慰めてくれたのだという。
正気にもどったとき、かつて愛し合ったウェールズ王子にたいして、ひどく心苦しいと思ったが……それは直後に本人に会えたので、喜びに吹き飛ばされ、すぐに消えてしまった。
だからあなたが気に病むことは無い、と王女はちょっと汗をかいて耳たぶだけ真っ赤にしながら、済ました顔をとりつくろい、モンモランシーの耳元でこっそりと言った。
モンモランシーの愛するナンパ男ギーシュは、恐るべきことに、王女を攻略していたようだった。
なるほど、こんな畏れ多きこと他言できようはずもない。一生自分の胸だけにしまっておこう―――そうかたくかたく誓うモンモランシーであった。
「ごほん……とはいえ、私がひどい目にあったのも事実です……えー、王女として、これだけは言っておかなければなりません―――『惚れ薬、ダメ、絶対』、いいですね」
「はい」
もう頼まれたって二度と作りません、本当にごめんなさい、とモンモランシーは恐縮した。
さて―――アンリエッタ王女は、あの数日間に起きた出来事のなかで、これまでの人生観を大きく覆されたようだ。
「わたしは普通の女の子として生まれたかった、とずっと思っておりました……王族としての自覚もなく、機会さえあればすぐに逃げてしまうほどに、弱かったのです」
実際にウェールズ王子本人と会って話したことで、アンリエッタ王女は、彼の王族として戦う覚悟がどれほどまでに強いものであるかを、実感したのだという。
ウェールズは、他のものを見捨てて自分だけ逃げることは、王族として決して出来ないことだ、と言い、きみも王家に生まれた者として強く生きなさい、とアンリエッタへ告げた。
そんな決して結ばれることはできぬという現実を認めたとき、王子と王女との関係はただの恋愛を越えて、いつしか王族としての在り方、生き方についての師弟のように変化していたそうだ。
これから生きてゆくものに、何かを残す―――
親愛なるアンリエッタが、これからの人生を強く生きてゆくためだ、とウェールズは優しい笑顔を崩さず、言葉で無言の行動で、さぞかしたくさんのことを教えたのだろう。
「真に罪深かったのは、わたしだったのです……自分の心の弱さに、恐怖したの」
「え?」
「……あのとき―――ほら、モグラの穴から逃げて、ルイズが来たとき、わたしは……自分のせいでわたしの国がなくなる、恐ろしい幻影を見たのです」
わたしはそれを笑いながら見ていたのです、それが、いちばん恐ろしい―――
何もかも放り出して国から逃げる自分が、彼女にとって、なにより一番醜いものであり、怖いものだったのだろう。
いったん逃げてしまえば、大切な恋さえもきっと、ただの醜い言い訳へと成り下がってしまうのでしょう、と王女は、しゅんと下を向き、鼻をすすって、言葉をつづけた。
「今までのわたしは、王女失格でした―――あの数日間で、思い知らされました……王族としての覚悟が、どれほど大切であるかを」
二日のあいだ、王女はニューカッスルに滞在し、やがて<風のルビー>と<始祖のオルゴール>とを託され、ひとりそっと<タウン・ポータル>でトリステインに帰還したという。
そのときには既に、シルフィードが「ワリオさまに誘拐された」と学院に戻ってきていたので、では私が入れ替わりに、と王女は王宮へと戻った。
ワリオって誰のことだろう、と王女は首をひねったが、やがて王宮魔法衛士隊グリフォン隊のワルド子爵のことだということが判明した。
タバサの使い魔の秘密が、今回の事件に関わったキュルケ、アンリエッタ、モンモランシーに知られてしまったが、その全員が杖や命にかけて他言しないと誓った。
マザリーニ枢機卿ががっかりとした顔で「もうおじいちゃんとは呼んでくださらないのですか」と言ってきて、王女はとても驚いたという。
そんなわけで―――アンリエッタ王女は、国のため皆のため、ゲルマニアへと嫁ぐ運命を、勇気を持って笑って受け入れることにしたそうだ。
あの数日のうちで見たものや、死を統べる魔女のごときルイズと比べれば、成り上がりゲルマニアの皇帝なんて、これっぽっちも怖くない―――
でも、それまでの間は、楽しく過ごしましょう―――と、王女は笑いながら言った。
このあいだ王女は、シルフィードに頼んでもういちど入れ替わってもらい、お忍びでルイズやタバサ、キュルケと一緒に街に出てたっぷりと遊んだそうだ。
もうすぐ、アンリエッタの自室に<ウェイポイント>が完成するらしい。
そうすれば、婚姻までの期間のうち、退屈なときにはいつでも、友人たちのつどう『幽霊屋敷』へと、こっそり遊びに来られるようになるという。
王女は、それを今か今かと楽しみに待っている……
「王宮は息苦しく、とても退屈でした……ゲルマニアの皇帝と結婚すれば、もうどうなるかもわかりません。きっかけはどうあれ、今ほど幸せな時は、二度と来ないでしょう」
ひとりの王族たる運命に殉じようとする娘として、アンリエッタはそう言った。
ああ―――
あれだけの人生最大の危機、取り返しのつけようのない出来事が、なんとも丸く収まったものだ―――と、モンモランシーは、背筋に寒気を覚えるほどだった。
自分ひとりの足元だけを残して、世界すべてが崩れ去ってしまったのではないか、というような、なんともいえない気分になっていた。
まったく人生とは何が起こるかわからないものだ、と彼女はただ呆気にとられるほか無かった。
そのせいか、釈然としない気持ちが、残っている。
『王女に許してもらった』、『ルイズに助けてもらった』という感覚を強く感じているモンモランシーは、自分は責任を果たしきれていないと、アンリエッタ王女に頭をさげた。
じゃあ、と王女はしばし考えたあと―――
「わたしの結婚式で、詔(みことのり)を読み上げる巫女をやってください」
という爆弾発言を投下した。それはなんとも名誉ある役割ではあるが、逆から見ると―――
自作の恥ずかしいポエムを全世界からの偉い偉い来賓の前で朗読して、どうぞ恥ずかしさとプレッシャーにもだえ苦しんでくださいな、ということである。
事実そのように、アンリエッタはニコニコ笑顔で言ったそうな。この王女、鬼! 悪魔! ルイズ! とモンモランシーは戦慄した。
泡を食ったモンモランシーが、自分は何の手柄もたてていない、と言ったところ―――
あなたは魔物を退治して、ラグドリアン湖の水質汚染と水位上昇を食い止めたじゃないの、それは誇ってよいことよ、と返された。
そのうち、モンモランシーには学院長オスマン経由で、トリステインの秘宝『始祖の祈祷書』を渡されるという。
あらゆる外堀を埋められ、モンモランシーはただ口をあんぐりとあけたまま、頷くほかなかったという。
こうして、モンモランシーの、王女にたいする問題は大きく片付いた。だが、もうひとつの問題が残っている。
「はあぁ……」
憂鬱そうなため息をひとつつき、コルベールとともに仕事の話で王宮へと呼び出されていった、ギーシュのことを想う。
『数日中に大もうけのチャンスあり』というルイズによる占いを思い出す―――それは、どうやら今でも続いているらしい。
彼の運気は上々、ギーシュにとって、今回の事件は、なんと『大もうけのチャンス』のひとつだったのだ。
王女と枢機卿とのコネが出来たので、鉱山資源採掘用の炸薬、宝石、薬やら生活雑貨やらを、王宮に卸しているのだという。
いまやグラモン家が総力をあげて、ギーシュの働きをバックアップしはじめたそうだ。
王宮を通じて、貴族たちにも覚えやコネクションがひろがっており、将来の莫大な収益が軽々と予想できる。
ひょっとすると、今回の事件を通じて一番役得だったのは、彼だったのかもしれない。
ギーシュは、「王女を一度は落とした男」として自信と度胸をつけ、どんどん遠いところへ行ってしまう。
自分は、彼に相応しくない……
今までもナンパであった彼は、これから沢山の女性を愛し、自分のことなど忘れてしまうのだろう……
そうすれば、自分は今までよりもっと苦しくなるだろう……
ルイズ・フランソワーズの婚約者が、なんと裏切り者だったのだという。なので彼女も今やフリーの身だ。
ギーシュは自分より、彼女を取るのではないか……
ああ―――またこうやって、自分のことばかり心配してしまう。こんな気持ちも、また彼に対して非常に失礼なことなのではないか……
かといって、彼の要求どおり顔を合わせたとしても、自分は何と言えばよいのか……
モンモランシーは、ひとり憂鬱に、悶々としている。
ゼロのルイズからは、『痛かったり足腰立たなくなったりしたら飲んだらいいわ』と回復ポーションの瓶と、『スタミナ・ポーション』の封入された試験管を渡されたが―――いったいどうしろというのか!!
―――こんこん、とノックの音がひびいた。
「こんにちはミス・モンモランシ、私です、シエスタです」
またギーシュが来たのかと思ったら、違ったようだ。
この時間は彼女の休憩時間なので、よくこうやってモンモランシーの部屋に遊びに来るのである。
モンモランシーは彼女を部屋に迎え入れ、この平民の友人に、自分が首を吊るときに使った椅子へと座るよう薦めた。
この友人のおかげで、自分は今生きてここにいるのだ、と、感謝してもしきれないモンモランシーであった。
「ミス、これ……見てください」
二人でお茶を飲みながら、シエスタは、モンモランシーへと、柄のところにひとつの赤い宝石のカケラ(Chipped Ruby)のはまったフライパンを見せた。
どうやら、シエスタはそのフライパンを、ゼロのルイズから貰ったらしい。青い顔で腰の引けたシエスタは、それを両手で持って、ふるふると揺する。
「ほら……こう揺すっていたら、火にもかけていないのに、調理が出来るんです……!!」
何か変な呪いでもかかっているんでしょうか、と怯えるシエスタを、そんなわけないじゃない、とモンモランシーはなだめた。
洞窟で見たアレに比べれば……と、モンモランシーは危うく記憶の封印を解いてしまいそうになり、慌ててかぶりを振った。
二人はその場で、さっそく香草をバターでいためて、パンのかけらに塗って、お菓子として楽しんだ。
普通に火にかけたほうがずっと楽なのに、なんでこんなヘンな物を作るのよ、とモンモランシーは笑いをこらえるのが大変だった。
「それでは、私はそろそろ厨房の仕事のほうに行かないと」
「ええ、また明日ね、お仕事がんばってちょうだい」
しばし二人で談笑したあと、シエスタは礼をしてモンモランシーの部屋を辞していった。
あんな事件に巻き込んだのに、今でも友人をやってくれているとは、なんと良い子なのだろう、とモンモランシーはしみじみと感じ入る。
ふと、机の上に一本の薔薇のついたひとつの封筒を見つけた。
どうやら、シエスタがそっと置いていったものらしい。
それは、ギーシュからの手紙だった。
「まあ……」
なんとも、率直な想いのつづられた手紙であった。
直接相手のもとへ乗り込んで『愛してる』と繰り返したり、大きなバラの花束をいくつも置いていったり、そんな今までの彼と比べれば、どれほど粋な気持ちの伝え方であったろう。
「……あはっ、ほんと、ひどいわ」
全く気にしていないから、戻ってきておくれ、いつでも僕がいちばんに愛するのは君だ―――
「一番にじゃなくて、私だけを……愛して欲しいのに」
どんなに成長しても、これはずっと変わらないのかな、とモンモランシーはそんなギーシュのことをとても愛しく感じ、鼻をすすりつつ、鏡にむかって髪を整える。
やっぱり、勇気を出して、自分自身と―――そして彼と、きちんと向き合おう。
そろそろ帰ってくるであろう彼を迎えに行こう、そうして気持ちを打ち明けて、しっかりと謝ろう―――と、鏡の中の自分に笑って見せて―――やがて、部屋を出て行った。
部屋の天井の梁(はり)、タバサの<エア・カッター>で切断されひっかかったままのロープの切れ端が、ドアの閉まる風圧で、ゆらゆらと揺れていた。
『努力次第で、他人との間に、それこそ一生ものの強い絆を結ぶことができる』……というルイズの占いが静かに的中していたことに、モンモランシーは気づいていないようだ。
いつかそれを思い出して、ますます驚愕する日が、いずれ彼女にも来るのかもしれない。
//// 15-3:【この景色の中をずっと】
ある日の昼ごろ、ラグドリアン湖の岸辺に、三人の少女、一体のゴーレムの姿があった。
ルイズとタバサ、キュルケ、そしてデルフリンガー・ゴーレムである。
ルイズたちがここで魔物退治をした数日後、ちょうど入れ違いになるかたちで、タバサにもガリアより『水質汚染を食い止めよ』との任務が来たそうな。
そこで本日、ルイズはアンリエッタ王女からの依頼で、タバサはガリアの騎士として、<サモナー>の足跡をたどるため、ふたたびあの洞窟を訪れたのだ。
あたりをどんなに念入りに調査しても、<サモナー>の居住していた跡などは見つからなかった。
ここは拠点ではなく、どうやら召喚した魔物に水質を汚させていただけだったらしい。
「……居なかったわね」
「仕方ない」
「あーあ、のこのこ戻ってきてたら、今度こそアイツをこんがりと焼いてやろうと思ってたのに、つまんないわね」
洞窟から出たルイズたちは、湖畔を歩いている。ルイズは日傘をさして、タバサは大きな杖を片手に、キュルケはデルフリンガー・ゴーレムと並んで一歩後ろをついていく。
アンリエッタの言によると、褐色肌の魔道師<サモナー>は、一日拘束されたあと、精神力が回復したとたん、あっさりとニューカッスルから逃亡したらしい。
『ヒーリング(Healing)』と自分の傷を癒し、『フラッシュ(Flash)』という魔術で拘束をはじいてテレポート、杖と帽子を取り返しにいったん戻ってくるという余裕ぶりだったそうな。
彼は杖がなくとも魔法が使える、とキュルケはすでに伝えていたのだが、残念ながらその情報は活かされなかったらしい。
とはいえ、ルイズがニューカッスルにて『デュリエル』を倒してより、ハルケギニアの運命の流れのなかの、<恐怖>の感情のよどみは、相当に薄れていた。
再び<サモナー>が石を使って魔王を召喚しようと思っても、またあれと同じ程度の戦乱や、王族の身体や、大量の恐怖と絶望を演出し用意しなければならないことだろう。
それは、次の大きな戦乱が起こるまでの猶予があるということでもあり、ルイズたちにとっては、今のところ一応の安心をもたらすことでもある。
トリステイン王宮では現在、ゲルマニアとの同盟が成ったあとの相互不可侵条約の締結について、アルビオン貴族派特使との間で調整と根回しの最中だという。
なので、大きな戦乱の気配も、今のところ遠ざかりつつある―――
アンリエッタ王女は、あの褐色肌の男<サモナー>が次に何か行動を起こす前に先手を打たんと手がかりを求め、今回、ルイズへと調査任務を依頼したのであった。
勇敢なるウェールズの誇りを汚した、いずれトリステインのみならず、ハルケギニアに魔と混沌と害悪を撒き散らすであろう存在―――あの男を放っておく訳には、いかない。
では、はたして、魔王ディアブロを召喚することそれ自体が、魔道師<サモナー>の真の目的だったのか―――いや、どうやらそうでは無かったらしい。
『あの死人占い師の少女に伝えよ―――<宇宙で一番美しいもの>を見たくはないか……汝も道の探求者であるならば、われに着いてくるがよい、と』
<サモナー>はその場に居た王党派兵士にそう言い残して、はははとうつろに笑いながら赤いポータルを開き、いずこかへと去ったという。
アンリエッタよりその話を聞いたルイズは、驚き呆れ、背筋がぞっとするとともに、非常に不思議にも思うのであった。
どうやら<汚染された水の精霊の涙>の採取も、失敗したとはいえ魔王召喚も、その目的のために行っていたことだったようだ。
去り際の様子からかんがみるに、<サモナー>は失敗した魔王召喚からも、何らかの結果を得ていたものと思われる。
彼はたしか、尋問のさいに、『混沌が必要だ』と言っていた。なるほど、恐怖は薄れても混沌はいまだ残っており、彼は今後ますますそれを広げるつもりでいるようだ。
それらはすべて、<宇宙で一番美しいもの>を召喚するための布石なのだろうか? それは、魔に属するものなのだろうか―――?
あの男は今までも魔物をたくさん召喚してきたのだろうが、あんなに醜い魔を、それほどまでに美しく感じるものなのだろうか?
魔に魅入られたものの感覚は、本当にわからない。誰にとっても宇宙でいちばん美しいものが存在すると、あの男は本気で考えているのだろうか?
ルイズはそんな風に、春先よりあさっての方向へと進化しつつある自分の美的感覚を棚に上げつつも、あれこれと考えている―――
「宇宙でいちばん美しいもの、ねえ……」
キュルケがうーんと唸った。
「あたしかしら? 少なくともこの国の王女様よりは美しい自信はあるわよ」
「ちょっとキュルケ、いったいどっから来るのよ、その気持ち悪い自信は……」
ルイズははあーっと息をついた。そして、考えてみる。自分にとって宇宙でいちばん美しいものとはなんだろう―――
すぐに答えは出た。<存在の偉大なる円環(Great Circle of Being)>の、自分たちの生きるこの世界における、自然なバランスのとれた現れだ。
ほら、ただありのままに生きるだけで、世界はこんなにも美しい―――
「見て」
「……んあ!? ……あ、ええ……」
タバサが、ちょっと危ない表情で意識を浮遊させていたルイズの服のそでを、そっと引っ張った。
あわててよだれを拭きつつタバサの指差す方向を見ると、汚染が消えて静かな風にそよぐ湖面が、名所との噂にたがわず、宝石のように、きらきらと陽光を反射して輝いていた。
ルイズは一連の事件へと彼女を巻き込んでしまったことのわだかまりを、今も引きずっている。
たくさんたくさん助けてもらった礼を、気持ちを、まだこの小さな青い髪の少女へと、伝え切れていない。
それはルイズが裸で部屋へ来訪し迷惑をかけたあの日から、ずっとこの二人の間に、正常な関係が戻っていないということでもあった。
(……ちょっと、行くわよ)
(ん? ……おう、俺たちゃこれ以上は野暮だあな)
キュルケが苦笑しつつ、デルフリンガーをつれて、そそくさと離れていった。
苦労人同士のこの二人は、なんとも気が合うようである。
あとには、静かな風の吹く湖畔、白い髪のルイズと、青い髪のタバサ、二人の少女が残された。
「……」
しばし、静寂が舞い降りる。あたりには、やわらかな風のそよぐ音だけが満ちる。
前にここに来たときのように、もう、二人がその細い手をきゅっと握りあうようなことは、ない。
タバサのちいさな初恋は、もう、終わってしまっていた。
「そだ、部屋に行ったとき言おうと思ってたことなんだけど―――タバサ、使い魔品評会、優勝おめでとう……あなたのシルフィードは本当に素敵な娘だわ、とても助けてもらっ……」
なるべく明るい声を取り繕って、そう言いかけたルイズの言葉は、しだいに小さくなってゆき、やがて途切れる。
シルフィードの秘密が数人にばれてしまったのは、ルイズのせいだ。
また、二人の間に沈黙が下りる。ルイズはタバサへと何を言ってよいのか、もう解らない。
「……あのっ……」
「……」
ルイズは、それだけ言って、ぐっと言葉につまる。
やがて、静かに顔をうつむかせる。そして、しばらく、言葉を出せずにいた。握り締めたこぶしが、肩が、ただ震えていた。
二人とも動かずにじっと黙っているので、ただ湖面をゆらす風だけが、この世界のなかで唯一動いているもののようであった。
「……」
「……ごめんね」
「……」
「はじめてが、私なんかで、……本当にっ―――、…………ごめ、ん……ね」
ルイズがうつむいたまま、とぎれとぎれに、かすれた声で言った。タバサから、ルイズの表情は見えない。
タバサは、ただルイズのとなりに立って、いつもどおりの静かな表情で、黙っていた。
そして、眼鏡のレンズ越しの青い澄んだ目で、きらきら輝く湖面を、じっと眺め続けていた。
「綺麗だった」
ぽつりと、タバサが言った。
いったい何のことを言っているのだろうか、ルイズには解らない。
また、少し間をおいて、小さな唇が言葉をつむごうと、ひらかれた。
「決してわたしと一緒になれないあなたが、宇宙でいちばん綺麗に見えた」
その言葉をきいたとたん、ぐうっ―――と、ルイズの胸の奥を、押さえ切れないほどの切ない気持ちが、あふれださんばかりに駆け抜けていった。
やがて、じわり、ぽろぽろと、ルイズの目から、涙がこぼれおちていった。
「……ごめん、ね」
「幸せだったから」
ルイズは、ただ震えながら、ごめんねと繰り返すことしかできなかった。
湖を見つめるタバサの青い目からも、つっ―――と、涙がひとすじ、こぼれていった。
「はじめてが、あなたで良かった……あなたは、とても優しいから」
とうとうルイズは、日傘を取り落とし、顔を覆い、大きな声をあげて泣き出した。
私はちっとも、やさしくなんてないのに、とルイズは思った。
ルイズはずっと、他の二人と比べてタバサの症状は軽いものだとばかり、思いこんでいた。
でも、もしかするとあれが、人付き合いの不器用なこの子の、精一杯の愛情表現だったのかもしれない―――
そんな可能性に気づいたとたん、ルイズは、自分は何てことをしてしまったのだろう、と悲しくて悲しくてたまらなくなっていた。
「大丈夫」
タバサは杖を足元の砂の上に置き、ルイズのほうへ向くと、その小さな細い身体におずおずと腕を回し、泣いている少女の白い髪を、あやすようにそっと撫でてやった。
「安心して、わたしは大丈夫だから……楽しかった―――思い出を、ありがとう」
穏やかにそう言葉をつむぐタバサの腕の中で、ルイズは、この優しい友人へと伝えなければならないひとつの言葉を、泣きながら、少しずつ形にしていった。
そして、いままで溜め込んでいた気持ちをすべて、胸の中の想いを全部、その言葉に込めて―――
「―――あ、りがと……」
「そう、それでいい」
たとえ恋でなくとも、実を結ぶことがなくとも、互いを想いあう気持ちが伝わることは、あるという。
「わたしからも、ありがとう」
「……うん」
白い髪の少女はぐすぐすとしゃくりあげ、青い髪の少女はただ静かに目を伏せる。
水の国トリステインの象徴、永遠の湖ラグドリアンの美しい景色の中でずっと、二人の少女は寄り添って、涙を流しつづけていた。
輝く湖に宿る水の精霊だけが、実を結ぶことの無かったひとつの小さな初恋の、確かに在った意味を、はるか未来まで残さんとばかりに、じっと見守りつづけていた―――
―――……
……
「はあーあ……」
「どうした? 赤い髪の娘っ子」
同行者二人を残して遠くまで離れ、草の上に腰掛けていたキュルケが、吐息をもらした。
白銀と黒のゴーレム、インテリジェンス・ソードのデルフリンガーが、赤く長い髪のキュルケへと尋ねる。
キュルケは草を数本ぶちっと抜いて、放り投げて風にはらはらと舞わせたあと、両腕を枕に寝転がり、空を眺める。
「あたしの二つ名は『微熱』、今までたくさんの殿方と本気の恋をしてきたけど……あれには何て言ったらいいのかしらねえ、さっぱり解んないわ」
「……何も言うこたあねえさ……俺っちは剣だが、これでも長く生きてきたもんだ、いろいろ物を知っていると自負してたんだが……俺っちにも解んねえや」
白銀の装甲をかちゃかちゃと鳴らして、デルフリンガーも「おっと」とふらつきながら、あまり長くない足を曲げて、どすんと地面に腰掛けた。
黄金色に放射状にひろがる細い線のオーラの光が、くるくると草の上を回転していた。キュルケはそれを見て、綺麗ねえ、と目を細めた。
「ふふっ、あなたは誰かに―――たとえば美しい装飾のレイピアなんかに恋をしたりすることも、あるのかしら」
「よせやい、俺っちは剣の本分を忘れちゃいねえ、色恋の相談に乗ったこたあ昔にもあったが、俺っち自身が恋することなんてねぇや」
「でもちょうど今は、剣とはずいぶんかけ離れた格好してるじゃないの」
「ああ、まったく驚きだあ、こんなん初めての経験だしよう……自由に動けるようになる代わりに、そのあとしばらくはスクラップっつーのが玉に瑕だが」
ラズマ秘術の『アイアン・ゴーレム召喚』、その媒体となった金属製の武器や防具は、術を解かれ(アンサモン)ゴーレムを崩したとき、通常の場合スクラップとなる。
古き剣デルフリンガーには、ルイズが額のルーンを使って見出したことであるが、サンクチュアリのものよりも強力な『破壊不能(Indestructible)』の特性が備わっていたようだ。
ニューカッスルより帰還したあと、秘術を解かれ潰れてスクラップになったデルフリンガーは、これはあんまりだとしくしくと泣いていたが、ルイズが呆れた顔で言ったのだ。
『ねえ、あなたどうやって六千年も折れないで剣やってたのよ―――今までも魔法で姿かたちを変えていたんでしょう、頑張ればたぶん数日で元に戻れるわよ』
たぶんかよ! とデルフリンガーは戦慄したが、言われたとおり数日しくしく泣きながら剣に戻ろうと頑張っているうちに、なんとかスクラップから元の古びた剣の姿にもどることができた。
それもどうやら、あのとき<サモナー>より吸い取った、大量の精神力が残っていたおかげのようだった。
さて今回また<サモナー>がいるやも知れぬとアイアン・ゴーレムにされてしまったが、結局のところ、居なかった。意気込みは空回り、ただの成り損であった。
精神力が足りない(Not Enough Mana)……はて、もとの剣へと戻るのに、こんどはいったい何日かかることだろうか―――
ということで、苦労人デルフリンガーは使い手ですらない不本意な主に、ゴーレムにされてはスクラップになる、という想像するだに恐ろしい使い方を見出されていたのである。
でもこんな主に捕まってしまったからには仕方ない、使い手の身体を乗っ取ることもせずに自分で好きなように動けるのは、これはこれで……と甘んじて受けるデルフリンガーであった。
あなたも大変ねえ、とキュルケは嘆息する。
「長い人生、恋しないと損よ……こんどなにか買ってあげようか? あなたの恋人―――ほら、たとえば、ゲルマニアのシュペー公の鍛えた剣とか、素敵そうじゃない?」
「悪いが、あんなナマクラいらねえよ……こっちから願い下げだあ」
だいたい剣にオスもメスもねーよ、とデルフリンガーはかっかと笑った。装甲がかちゃかちゃと、楽しそうに鳴った。初めての自力での散歩は、彼にとって新鮮なもののようだ。
キュルケは、あたしもそろそろ、もっともっと燃え上がるような素敵な恋をしてみたいな、と思い―――二人の友人のような青い空と白い雲を見上げて、そっと微笑むのであった。
―――
そして―――
大泣きしていたルイズ・フランソワーズがようやく泣き止んで、落ち着いて、ハンケチで鼻をちーんとかんで、二人でそっと微笑みあったあと―――
「……あなたに、お願いがある」
青い髪の少女タバサは、じっとルイズを見つめ、なんどもなんども何かを言おうとして、言葉につまることを繰り返していた。
なにやらずいぶんと、迷っていたようだが―――やがて、静かに言った。
「母さまを―――助けて」
//// 15-4:【微熱と情熱】
トリステイン魔法学院の隅っこに、ゼロのルイズの住居である物置小屋、通称『幽霊屋敷』がある。
そこから少し離れたところに、教師ジャン・コルベールの研究室の掘っ立て小屋がある。
もともと彼は自室で研究を行っていたのだが、臭気と音に苦情が来て、外に研究施設を建てることとなったのだ。
じじつ、危険な実験は外でやったほうがよい。それを彼はここに越してきて以来、たまに痛感することがある。
なので、共同研究者であるゼロのルイズの作った地下ダンジョンに新しいポーション研究施設が完成したとき、換気は大丈夫なのか、とまず彼は心配した。
このあたりは学院の水道も繋がっておらず、ルイズの住居には井戸しかないので、水まわりについても、ずいぶんと居住性を心配したものだ。
一方、ルイズは風を起こすハルケギニア製のマジックアイテムを購入してきたらしく、それを活用して地下の換気設備を整えたらしい。
同様に水周りの設備も完成したそうで、ぼろぼろでおどろおどろしい外見の地上の『幽霊屋敷』よりも、もっと薄暗く恐ろしい雰囲気の地下室がいくつか出来た。
幽霊屋敷担当のメイドのシエスタは、今後ますます掃除が大変になるだろうと、皆に同情された。
というわけでモンモランシーが皆を代表して、ルイズへと文句を言った―――だが、それがいけなかった。
なら自力でやるわ、とルイズが『何者か』に掃除をさせていたのを目撃し、あのメイドは可哀想に、とうとう泡を吹いて気絶してしまったそうだ。
「見ていません! わわわ私は何も見ていません!!」という嘆き声がきこえ、丁度ルイズを訪ねてきていたコルベールも、すわ何事かと慌てたものだ。
コルベールには『何者か』の正体が解らず、バツのわるそうな顔をしていたルイズに尋ねても教えてもらえなかったので、ただ首をひねるばかりだ。
かつてギーシュと姫を拉致監禁していた地下牢はそのままにしてあり、地下への入り口のすぐそばにある。
律儀にも鉄格子のついているその地下牢の前を通りかかるたびに、中に誰かの白骨死体でも転がっているのではないかと、いつもシエスタはびくびくとしている。
あれもたしかに不気味だなあ、何とかならないものか、とコルベールは嘆息するしかない。
ルイズ・フランソワーズはここ最近、ひとつの薬を作ろうと、毎日毎日地下室に篭っているようだ。
根を詰めすぎなのではないか、とコルベールが言っても、彼女は大丈夫だと言うばかり。睡眠時間も削っているようで、授業に出ても居眠りばかりしているようだ。
話を聞けば、『黄金の霊薬(Golden Elixir)』という、古今東西あらゆる医学の常識を覆す代物らしい。
それについてコルベールの手伝えることは少ししかなく、彼はただ教師として、睡眠をしっかりとって、真面目に授業を受けなさいと言うほかなかった。
昨日はコルベールの研究室に、疾風のギトーが訪ねてきた。知り合いからペリカンの配達で酒を送られたのだが、私も妻も嗜まないので、是非貰ってくれと彼は言った。
先日二人揃って王宮に呼び出された際、あの一件の功労者として、二人はアンリエッタ王女およびマザリーニ枢機卿と面会し、王女より直々に褒賞を賜った。
ギトーはこれで生活も楽になる、と大喜びであった。彼は王女の指にはまった<風のルビー>を心底もの欲しそうな目で見ていたが、その場の誰もが空気を読んでスルーしたそうな。
コルベールは『戦に使わない』という枢機卿からの約束を得て、教え子のギーシュとともに、新型の炸薬を王宮へと売りつけることに成功していた。
現在、平民をあつめて取り扱い方法の講習を行っているそうで、トリステイン王国は近々新しい鉱山を開発する予定らしい。
たとえ不可侵条約が結ばれたとしても、いつか来るかもしれぬアルビオンの<レコン・キスタ>との戦も、国の財政が潤えば、比較的楽になることであろう。
さて、今日も彼は、炎の魔法の限界を己の情熱で破壊し突破せんと、薄気味悪い笑みを浮かべつつ、ピカピカと研究に励んでいる―――
「ミスタ、いらっしゃるの?」
「おお、ミス・ツェルプストー、私はここにおるぞ……おや、君たちはラグドリアン湖に行っていたのではないのかね」
「今は日帰りの時代ですわよ」
どうやら彼女たちは、ラグドリアン湖の近くにある、タバサの実家に寄ってきたらしい。
キュルケはお土産です、と特産だという新鮮なリンゴをいくつか差し入れに来たのだ。
二人は丁度よい、と炎の魔法で焼きリンゴを作り、それをお茶請けにティータイムを楽しんだ。
コルベールとキュルケは、これまでもあまり接点のなかった組み合わせだったが、会話にも、自然と花が咲いていた。
「……で、彼はこう言ったんですの、『笛を吹けばほら、ツボの中からにょきにょきと、ミスタ・コルベールの輝く頭が……』」
「むうう、こ、こわっぱどもが……好き勝手いいおってからに……!」
さて、コルベールは、アルビオンへの旅から帰ってから、なんとも今までに無かったような明るい表情で、活き活きと炎の魔法を使うようになったようだ。
そのたび、同じ火のメイジであるキュルケは、とても優しい笑顔で、この頭の薄い中年教師を見守るようになっていた。
二人の間にどんな関係が結ばれつつあるのか、本人たちも含め―――まだ誰も、知らないようである。
//// 15-5:【いいひと】
ある日のトリステイン魔法学院、午後の授業。
これは魔法ではなく教養の授業であり、ハルケギニアの歴史についてのものだった。
長かった本日の授業がすべて終わり、教師が退室したあと、退屈な勉学から開放された教室は、おしゃべりの渦に包まれる。
「……」
「……なに、どうしたの? タバサ」
「来て」
タバサに服の袖を引っ張られ、ルイズは慌てて抱えていた本や勉強道具を落とさないようしっかりと持ち直し、歩き出した。
二人が向かったのは、ちょうど談笑しながら教室から出て行こうとする、数人の女子のグループだ。
ゼロのルイズが近づいたので、ひっ、と息を呑む音が女子たちより聞こえる。
タバサはこの女子たちに用があるようだ。果たして何の用だろう? とルイズも女子たちも首をひねるしかない。
「ルイズ……友達」
タバサはただ、いつものような無表情で、女子たちに視線を向け、それだけ言った。
女子たちは、その怖いのがゼロのルイズだってことは十分すぎるほどに知っているわよ、といぶかしむばかり。
「そ、そう、あなたたち……と、とと友達に、なったのね―――ねえ大丈夫?」
「たっ、食べられちゃわ、ないようにね……油断しちゃだめよ」
「変な薬でも使われて、洗脳されちゃったの? まあなんて可哀想……!」
ルイズにとっては、いくら噂を気にしていないといっても、面と向かってさんざんな言われようだ。でも、ここで笑ったり怒ったりすれば、噂はもっとひどくなる。
『変な薬』のあたりに事実のかけらも混じっているので、ただへこんでうなだれるしかない。白い髪のひとふさが、ぷるぷると震えていた。
ところで、タバサの用事は今ので終わりだったらしい。
タバサはルイズを解放すると、来たときと同じように唐突に、静かにその場から去っていった。
―――いったい、今のは何だったのだろう?
ルイズも女子たちも、誰もがさっぱり理解できない。
微妙にしらけた空気で、タバサのどこか誇らしげな後姿を、呆然と見つめているほかなかった。
さて、どうやら彼女たちのうちで、タバサに『いい人できたら紹介して』と言った約束を覚えていたものは、誰一人としていなかったようである。
キュルケとモンモランシーの二人だけが、互いに目を丸くして顔を見合わせたあと、噴き出しそうな赤い顔で同時に机に突っ伏し、うーうー唸りながらいつまでも机をばしんばしんと叩きつづけていたそうな。
モンモランシーの恋人ギーシュは、ああまたいつものが始まったのかね、やれやれ、と微笑みつつ、そっと優しいため息をつくのであった。
//// 【アルビオン手紙編(了):次回、ルイズ殿、そこは三途の川でござる……!の巻……へと続く】