//// 14-1:【入城:タッチダウン】
ここは、浮遊大陸アルビオン。
王党派の本拠地、ニューカッスル。
アルビオン王国の王ジェームズ一世、その王太子ウェールズの旗印のもとに、ここへ集っている。
彼らはねばりづよく戦っており、敵はなかなか城を包囲することができないでいた。
王党派と敵対している貴族派<レコン・キスタ>は、<虚無>の使い手だというクロムウェル総司令のもとに集うものたちである。
事実、まるで<虚無>であるかのように、かの男は死人を蘇らせたり、奇跡を起こすのだそうだ。
<虚無>のメイジには、伝説の使い魔が授けられるのだという。
<神の左手>ガンダールヴ、あらゆる武器を使いこなし、千の兵に匹敵するのだという。
<神の右手>ヴィンダールヴ、あらゆる幻獣や魔獣を従え、あらゆる場所へと赴くのだという。
<神の頭脳>ミョズニトニルン、あらゆるマジックアイテムを使いこなすのだという。
もうひとつ、記すことすらはばかられる何かがいるらしいが、それについては語られていない。
「ガンダールヴだ……」
王党派の兵士のひとりが、遠い戦場を見て、ぽつりと言った。はて、とコルベールは首をかしげる。なぜそんな単語が、今出てくるのだろうか。
「見つかったらまずい、急いでこちらへ」
撤退途中の王党派の小隊と遭遇し、ギトーとコルベールは、ニューカッスル城まで同行することになっていた。
やがて激戦がはじまり、王党派の旗色はあきらかに悪く、ほうほうの呈で逃げ出している現状である。
我らはおそらくニューカッスルに篭城することになり、敵はそこに殲滅戦をしかけてくるのだろう、と兵士のひとりが語った。
「敵にガンダールヴが居るんだ、勝てっこない……だが、最後まで誇り高く戦って散るのみ、か」
「いや、我らにはウェールズ王太子がいる、サモナー殿もいる……彼らなら、ガンダールヴにだって勝てるだろう」
彼らは、そのように語り合うことで、士気を維持しているようだった。もっとも撤退戦だ、それほど効果はないだろうが。
(サモナー……だって?)
コルベールは、その単語に聞き覚えがあった。
ラ・ロシェールにて<ポータル>をひらき、いったん『幽霊屋敷』に戻ったときに、聞いた話だ。
彼の生徒であるキュルケ・フォン・ツェルプストーが、アルビオンから遠く離れたラグドリアン湖で、それらしき男に襲われたのだという。
そいつは、赤いポータルに飛び込んで消えたのだそうだ。
コルベールたちも、青いポータルを使って、なんども旅先から学院を一瞬で往復している。
つまり―――アルビオンまでも、一瞬でくることの出来る輩が、ここに居るのかもしれない。
「……ギトー君、どうやら、たとえ城に入ったとしても、安心のできる状況ではないようだ」
「ああ、ミスタ……たしかに、油断はできぬ」
二人は頷きあい、ひたすらに急いで歩みを進める。
(あれが、ガンダールヴだというのかね? ……なるほど、クロムウェルとやらの使い魔というわけか)
はるか遠目に戦場をのぞめば、黒い甲冑を身につけた騎士が、王党派陣に突入し、暴れまわっているのが見えた。
なるほど、あれは恐ろしい。銃弾も氷の矢も炎の矢も、巨大な盾にはばまれている。剣をふるたびに、血しぶきが舞っている。
一騎当千、とはよく言ったものである。
(なんと……むごい……あんなものが、始祖の使い魔の力だというのか)
コルベールは、ぐっと歯噛みしつつ、学院で今も必死に解除薬の調合を続けているであろう少女のことを想う。
彼女も、始祖の使い魔としての力を持っている。だが、あちらはなんと平和なことに役立つ能力なのだろうか。
コルベールは思う、彼女たちのために、たとえ微力だとしても、できるかぎり、力になってやりたいものだ。
『幽霊屋敷』に集うみなと引き合わせてくれたのは、あのルイズという小さな少女。
コルベールは、ギトーも自分と同じ気持ちなのだろうか、と想像してみるが、この疾風のメイジの考えていることはまさに風のようにつかみどころがない。
「なあそこのきみ、サモナー殿、とは何者なのかね」
「東方のロバ・アル・カリイエから来なされた魔道師の御方だ、われらが王子の賓客でもある」
コルベールの問いに、兵士はそう答えた。
いわく、王党派がここまで戦えたのは、最強のメイジ、彼のおかげだ。
彼がいるかぎり、我々は負けない、と。
(ふむ……なんにせよ、私たちの任務は『ニューカッスル城』に到達するまでだ、しかし、出来る限り慎重に行動せねば)
敵にであえばギトーは風のスペルを、コルベールは所持してきた『やさしい毒ヘビ君』を駆使し、戦場を城へと向かう。
嬉々として毒ガス砲を振り回す、頭とメガネの輝きも頼もしいコルベールを、王党派の兵士たちはなんともあぶないものを見る目で見ていたそうな。
「しまった、『ガンダールヴ』が来る……」
「……こっちに来るぞ、まずい、退路をつぶす気だ!」
兵士たちが慌てふためく。
禍々しい四本角の黒いフルフェイスメットの騎士―――『ガンダールヴ』と呼ばれている者が、血染めの剣をさげて、こちらを殺そうとやってくるのだ。
あれとやりあって無事で居られる戦力も気力も、おそらくこの小隊には無いだろう。
「よし、私が囮をやろう」
「ギトー君!」
疾風のメイジの一言に、コルベールは驚いた。
「ふっ、ミスタ・コルベール、私を誰だと思っている」
ギトーは不敵に笑い、杖をかまえ、呪文を唱え始めた。
「私が二つ名『疾風』、疾風のギトー! 風のスクウェアメイジだッ! ……ユビキタス・デル・ウインデ―――『風のユビキタス』―――風は『遍在』するッ!!」
巻き起こる風をまとったギトーの姿が、二つに分かれた。
それは魔法を使うことのできる、本体とまったく同じの、自立した分身を生み出すスクウェアスペルであった。
びしっ、とポーズを決めると、ギトーの分身は、こちらへと向かってくる『ガンダールヴ』を迎え撃たんと、『フライ』で空を飛んでいった。
「さあ、今のうちに城へ向かうのだ!」
小隊全員に、歓喜がひろがった。遠くで戦闘音がひびく。
コルベールたちは『ガンダールヴ』をやりすごし、一心不乱にニューカッスルへと走った。
「……むっ、必殺『神砂嵐』が破られた! なんという使い手!!」
途中でギトーが悔しそうにそう言っていた。
やがて―――
とうとう『ニューカッスル城』へとたどり着き、城門をくぐったギトーとコルベールは、いま王子は出かけているのだ、と言われ、困り果てていた。
夕方には帰るだろう、と言われ、与えられた部屋にてひたすらにじっと待っている。
遠くからは、砲撃の音が聞こえてくる。
なんとも戦場とは心のおちつかないものだな、とコルベールは昔のことを思い返していた。
//// 14-2:【悪魔みたいなものを召喚】
貴族派は、『ガンダールヴ』と呼ばれる黒い甲冑の騎士を先頭に、王党派の陣へとなだれこむ。その勢いは、とどまるところを知らない。
出陣していたウェールズ王太子も、とうとう撤退し、城の中へと戻ってきたようだ。
王党派の軍勢も、どんどんと城の中へと戻ってきている。これから彼らの軍は、篭城戦になるだろう。
自称トリステインの使者、コルベールとギトーの二人が、ようやくウェールズ王子と会えることになったのは、夕方にちかいころだった。
「……では、正式な使者であるところの、彼女を喚(よ)ぼうかね」
「うむ、我々の任務は、ここまでだ」
心底疲れた顔のギトーがそう言ってうなずき、懐から一本のスクロールを取り出し、コルベールに手渡した。
<タウン・ポータル>である。
それは旅先と出発点とを結ぶゲートを開く、サンクチュアリの魔法を封じ込めた、マジックアイテムであった。
寝不足で目をギラギラひからせ、目のしたにはくまができ、そんな二人の怪しすぎる人間が、何者かをここに呼び出す。
その光景を、事情を知らない人が見たならば、あたかも邪教の悪魔召喚の儀式をとり行っているようにも見えたことであろう。
「えー、おほん……さあ、『門よ』!!」
み゙ょわーーん……と音がして、二人の居た部屋に、青いゲートが現れる。
しばらくして、そこから、二人の少女が出てきた。
一人は、白い髪の少女。
もう一人は、青い髪の眼鏡をかけた少女だ。二人とも、戦場に似合わぬトリステイン魔法学院の制服を着ている。
「ミスタ・コルベール!!」
白い髪の少女は、コルベールに駆け寄ると、いきなりばっと抱きついた。
コルベールは体勢を崩しそうになり、目を点にしながらも、おっとっと、と彼女の体重を支える。
「ミスタ・ギトー!!」
つぎに、ギトーにも抱きつく。ギトーは、長く白い髪を、そっと撫でてやった。
離れてから、その少女は、目じりに涙をためながら、二人の男に向かって深々と礼をする。
「本当に……ここまで……本当に、ありがとうございました!!」
二人の怪しい男たちはがしっと肩を組んで、同時にだあっ、と拳をつきあげた。
大きな任務をやりとげた感慨と、襲い来る疲れにあふれた、それはそれは不気味に輝くような笑顔だったそうな。
―――
トリステインからの自称使者が四人に増えていたので、ニューカッスルの兵士たちはさぞや怪訝に思ったことであろう。
(だめだわ……非戦闘員を除いて、ほとんど兵士全員に、ひどい死相が出てる)
白髪のメイジ、ルイズ・フランソワーズは城内を歩く。隣にはタバサ、背後にギトーとコルベールがつづく。
コルベールが、タウン・ポータルを使えば皆を逃がせるのではないか、とルイズに問うた。
なるほど、だが無理だ、とルイズは思う。ポータルをくぐれる人数は、たったの8人(8ppl)が限度だ。
ウェイポイントという技術もあるが、落城までに作れそうにもないし、そもそも他の場所の履歴を持たない人間は転移できない。
それに―――
兵士たちには完全な死相が出ている。もし彼らを無理に逃がせば、運命の自然な流れを乱すこととなり、ひどく恐ろしいことが起きかねない。おそらく、戦乱がもっと広がることだろう。
非戦闘員には、見た限り死相が出ていない。放っておいても、無事に脱出できる可能性が高い。
かつてのタバサのように、放っておけば死相が出るだろう、というのと、すでに死相が出ている、というのの間には、このように決定的な違いがあるのだ。
ルイズは寂しげに首を振った。やがて、無表情になる。目の焦点が、しだいにずれてゆく。
コルベールはそうか、とつぶやいて、少女から目をそらした。
(そう、この人たち……みんな、あと数日のうちには死ぬんだ)
運命の流れは、ときに非情である。どうやっても逃れられない運命というものも、存在するようである。
そして、ゆがめられた運命というものは、不必要な悲しみと心の闇を増大させるばかりなのだという。
いっぽう、ラズマ聖職者にとって、生と死とはあくまでも等価なものである。
ルイズは思う―――それは、ただのあきらめなのだろうか?
いや、違う―――
ルイズは信じる。ネクロマンサーとして、生と死との平面に立つものとして、なにか大切なものを、掴みつつあるような気がしているのだ。
生だけでなく死すらもが、ひとびとの味方をしている、と感じる。そんな不思議な感情に顔を青くしながらも、ルイズは笑った。
そんな、ひどく薄気味悪い笑みをうかべたルイズを見たとたん、ニューカッスルのものたちは背筋に寒気を覚えたという。
さて、四人は杖をあずけ、身体検査をされ、敵意が無いことを示した。
使者として見栄えをよくしようと胸に詰め物をしていたことも、ついでに示してしまったが、あまり関係の無い話である。
そうしてルイズたちは、金髪のりりしい若者、ウェールズ王太子に会った。
戦を終えたばかりの彼も、疲れ果てているように見えた。ルイズは、その顔を見たとたん、針で貫かれるような、何かを感じた。
(……死相……だけじゃない……もっとひどい……なによ、これ!!)
王太子は<水のルビー>によって、ルイズたちが使者たることを確認してくれた。王子のもつ<風のルビー>との間に、魔法の虹がかかったのだ。
彼は怪しすぎる使者たちの登場に顔をひくつかせながらも、四人のここまでの旅路をねぎらった。実際に苦労したのは男二人だ、ルイズは申し訳なさで心がいっぱいになった。
そして、彼がアンリエッタからの親書を読んでいる最中、ルイズの感覚は、えもいわれぬものを掴んでゆく。
(逃れられない死の運命、だけじゃない……魔の気配……ゆがめられた運命が、この人に、まとわりついている……)
彼らが言うには、自分たちは死ぬことを覚悟しており、それが避けようの無いことだと知りつつ、誇りを胸に、なお戦っているそうだ。
でも、運命の流れをせき止めるような、なにかひどいことが、この人の身に起こる、とルイズには感じられた。そのあとは、どんな悲しいことになるか解らない。
「そうか……彼女は、結婚するのだね、あの愛らしい従妹は」
王子はとても寂しそうな顔をしていた。王家のものとしての運命が、彼と王女との仲を引き裂いたのだ。
いま彼女は別の金髪のヤローといちゃいちゃ愛を語り合ってますとは、口が裂けても言えないルイズであった。
解除薬の調合作業はもう、モンモランシーがひとりでも完成させることのできる段階だ。もうほんのあとすこしで、出来上がることだろう。
「わかった、今すぐに、あの手紙を返却しよう……自室にあるんだ、ついてきてくれ」
たったいま外では戦闘が行われている最中だし、申し訳ないが、あまりもてなすことはできない、と彼は言った。
居室へとやってきて、机の中の、小さな箱から取り出された<王女の恋文>を、ルイズは受け取った。それは何度も何度も読み返されたのか、ぼろぼろだった。
王子は、ルイズにそれを渡す前に一度ゆっくり読み返し、そっとその手紙にキスをした。よほど想いのつまった手紙だったに違いない。
「確かに、返却したよ」
「ありがとうございます、王太子殿下……使者ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、確かに、受け取りました」
さて―――これで、王女から託された任務は完了である。
ルイズたちはウェールズに、自力で帰ることを伝えた。
「私はこれから、ちょっと休まなくてはならない……神経が高ぶっていて、眠れそうにもないのだが……せめて、身体だけでも休めねば」
彼は、アンリエッタには『ウェールズは勇敢に戦って死んだ』と伝えてくれ、と笑いながら言った。
どうやら王女は、叶わぬことだとは解りきっていても、それでもなお亡命を促す一文を、親書の末尾へと付さずにはいられなかったらしい。
ウェールズは自分に従う者を決して見捨てないため、そしてもしどこかに亡命したりしてトリステインへと戦乱の火種をまかぬように、ここで果てるつもりなのだろう。
それを聞いて、ルイズはとあることを試してみようか、と決意した。
//// 14-3:【誘惑】
青い<タウン・ポータル>のゲートが、トリステイン魔法学院の敷地の隅っこ、『幽霊屋敷』の裏庭に開いている。
ルイズ、タバサ、コルベール、ギトーが、そこから出てきた。こっそりと、ニューカッスルを抜け出してきたのだ。
疲れきった顔のモンモランシーが、四人を出迎えた。たったいま、一人分の解除薬が完成したところだという。
ルイズとモンモランシーは、手を繋ぎあってぴょんぴょん飛び跳ね、そして抱き合って喜んだ。
ギトーとコルベールは、私たちはもう休ませてもらうよ、言った。
待機していたキュルケも含め、みんなで握手し、抱擁を交わしあったあと、教師たちはルイズに『あとは姫をよろしく』と言って、それぞれの部屋へと帰っていった。
ルイズはしっかりと頷いた。
「姫さま……任務、達成いたしました」
そしてルイズは、アンリエッタを地下から解放し、モンモランシーとタバサの見守るなか、解除薬を飲ませた。
完全に正気に戻ったアンリエッタ王女は、目をぱちくりとさせ、何が起きたのかよく解っていないようだった。だが、みるみる顔が赤くなってゆく。
惚れ薬の効いている間の行動は、記憶にのこるようである。ちゅっちゅっちゅも、いやんばかんも、アンアンも、くんかくんかも、その他なにもかも。
そして、ウェールズより返された、かつての恋文を渡されると、涙ぐんだ。
「わたしは、なんて罪深いことを……」
そう言って泣くアンリエッタにたいし、ルイズたちは平身低頭に頭を下げ、謝罪するほか無い。二人とも『ごめんなさい』と書いたハチマキを締めている。
「姫さま、すべて、私たちの責任です」
「どんな処罰でも受けます、美味しいお菓子も食べません」
ルイズもモンモランシーも土下座している。王女は苦笑いしながら、ふたりにそんなことはしないでちょうだい、と言った。お菓子は食べてもいいのよ、と。
「あれは……なかば私の不注意から生まれた不幸なめぐりあわせの事故で、あなたたちは精一杯、私の純潔を守ってくれたではないの」
薬が効いていたうちは、わたしもとても幸せでしたし……と言葉を続けてルイズたちの顔をひきつらせ―――
まあ、うやむやにはせず、あとで責任はきちんと取ってもらいますが……と告げ、ルイズたちを震えあがらせたあと、王女は言った。
「わたしのおともだち……あなたは無事、任務を果たして下さったようね、国を救っていただいたこと、心より感謝いたします」
ここで説明するまでもなく、行ったのはルイズではない。
ルイズは頬をひきつらせ額に汗を流したまま、その事情を述べた。教師の方たちに、魔法で連れて行ってもらったのです、と。
アンリエッタはみるみる目をまるくして、まあ、その方々に会ってみたいわ、と言った。疲れ果てて寝てしまわれました、というと残念そうな顔をした。
「やはり、ウェールズさまは、トリステインにはいらっしゃらないのね……亡命を望むことは……」
「姫さま、王太子さまは、死ぬおつもりです。実際に、死ぬでしょう……ですが、いまから会いに、行けます」
アンリエッタの言葉に、瞳孔の完全にひらいたルイズが、そう答えた。にやりと、だんだん口の端がつりあがっていった。
その言葉は、まるで悪魔のささやきのように、アンリエッタには聞こえたという。
事実、これから死ぬ人間に会わせ、叶わぬ一抹の希望を見せようとは、抜け出せぬたちの悪い悪夢への、悪魔の誘いなのかもしれない―――
―――
しばしの間、『幽霊屋敷』は静寂につつまれていた。
アンリエッタは、とても迷っているようであった。
「行きます!」
やがて、王女ははっきりとそう言った。
//// 14-4:【- D U R I E L -(From Diablo2 Act.2 Boss)】
戦乱のど真ん中、太陽も西へとずいぶん傾いたころ、ニューカッスル城へと繋がる<ポータル>を抜けて、ルイズは戻ってきた―――
アンリエッタ王女を、ウェールズの寝室へと放り込むために。
二人が、自分たちの心に、どのような結論を出すのか……それとも、ただ傷つくだけに終わるのか、ルイズには解らない。
これが正しい行動なのか正しくない行動なのかどうかはともかく、良い結果になってほしいと、ルイズはただ願うほかない。
「ウェールズさま!」
「……なんと、アンリエッタなのか……本当だ、夢みたいだ」
二人は手を取り合って再会を喜んでいた。もはや、二度と会えるはずがない、と思っていた二人だった。
立場がどうあろうと、たとえあとで悲しく思い出すことになろうとも、会いたかった人に会えて喜ばぬわけがない。
ルイズとタバサ、そしてついてきたキュルケは、二人を残して、そっと扉の外に出た。
―――ルイズ・フランソワーズは、背中に大きな剣を背負っていた。
コルベールにも、ギトーにも内緒で、彼女はここへとやってきたのだ。
運命のゆがみを修正し、アンリエッタの愛するウェールズの心を救わなければならない。
ルイズ・フランソワーズは、ひとりのネクロマンサーとして、ここに戻って来た。
「タバサ、いままで、本当にありがとう……でも、お願い、もう帰ってちょうだい」
タバサは静かに首をふった。
ルイズは、これ以上タバサを巻き込んでしまうことが、とても心苦しかった。タバサの分の解除薬も、あともうすこしで出来るはずだ。
城じゅうには、恐ろしい魔の気配が漂っている。なにか、とても恐ろしいことが起こるにちがいない。
「お願い、帰って」
「いや」
「危険だわ」
「心配」
ドドーン!! ドーン!!
大砲の音は、やけに激しくなっていた。ルイズは背筋を凍りつかせる。
彼女の予感は告げている―――王子の運命をゆがめるようなものと、ここアルビオンに大きな悲しみをもたらすなにかが―――来ている。
「……キュルケ、なんであんたまで来るのよ」
「ヴァリエールのことはともかく……悪い魔女にかどわかされたタバサを、放っておけるわけないじゃない」
キュルケはウインクしてそう言った。ルイズは、この女はここで帰れと言っても絶対に帰らぬだろう、ということを良く知っている。
きっとこの城には、おそらくあの魔道師<サモナー>がいるのだろう。いまは王党派の味方のようだが、よからぬことを、たくらんでいるのだろう。
それは、すぐさま、目に見える現実としてあらわれる―――
「なに……あ、れ……」
ふと、窓の外へ視線を向けたキュルケが、みるみる表情をこわばらせた。
ルイズたちも駆け寄り、それを見たとたんに、同じような表情になる。
なにか、巨大な怪物が、たった一体だけで戦場を蹂躙していた。
それが近づくだけで、あらゆるものが凍りついていた。
残忍そうにつりあげられた大きな口、鋭い牙がずらりと並ぶ。白い角が頭部と背中に生えている。
うじ虫のような下半身に五対の足、カマキリを太く筋肉質にしたかのような上半身。銅色の肌が、不潔そうな液体に西日を反射してぬらぬらと輝く。
それが、とても俊敏なうごきで、魔法や大砲や銃弾をはじき、貴族派の兵をたたき、王党派の兵をふみつぶし、ところかまわず暴れまわっていた。
ひとりそれと奮戦していた貴族派陣営の黒い甲冑の騎士も、全身を凍りつかせられて攻めあぐね、やがて撤退していった。
「大変だ、王子はおられるか!!」
ひとりのメイジが、息をきらせてやってきた。
部屋から出てきた王子は、彼がもってきた知らせを聞いて、顔に絶望の色をうかべた。
「サモナー殿が―――裏切りました! 陛下を殺害し、巨大な魔物を召喚して、敵味方かまわず殺し、暴れさせております!」
王子は真っ青な無表情で、ぼんやりと窓の外の光景をながめていた。信じていたものに裏切られたとき、ひとの心はもろくなるという。
ウェールズは知らせを伝えにきたメイジに、出ている軍をなるべく後退させるように、と力なく命じた。部下が去った後、ふらりと王子はよろめき、壁を背にする。
「これは……これは、きっと……私にたいする、始祖の罰なのだろうな」
そう言って、ウェールズは、不安そうに近づいてくるアンリエッタを、そっと手で制した。
「不審な行動をとっていたあの男の力を、魔のたぐいと気づかず―――ずっと魅せられていた私は……きっと、王族としての誇りさえ見失っていたのだろう」
劣勢の王党派がここまで持ったのは、あの魔道師が助けてくれていたからであった。
あの男に頼るほか、王党派が<レコン・キスタ>の大軍に対抗する方法は、無かった。
……彼が王党派をどうやって助けてくれていたのかは、王子本人も、知らない……どうやって?
簡単、ほら、今、窓の外に、見える。
あんな風な、巨大な、邪悪―――
あんなようなものを、おまえは、いままで、使っていたのだ―――
そんな非情な現実が、王子の心を打ち据えていた。
「私の愛らしい従妹、アンリエッタ、どうか、私のようにならないでおくれ」
王子は、ただ放心しながら、虚空をみつめ、そのように、か細くつぶやきつづけていた。アンリエッタ王女は口もとを押さえ、よろりよろりと王子へと近づこうとした。
ルイズ・フランソワーズは、そんな王子を見て、とてもとても嫌な予感に、襲われた。
―――人の心のバランスがもろくも崩れたとき、魔に属するものは、そこにつけこむものだという―――
「『テレキネシス(Telekinesis)』」
乾いた音がして、空間に静電気が走った。
青白い光をまとい、青い服と金色の杖の魔道師が、いつの間にかそこに現れていた。
なにか小さな宝石のカケラのようなものを、ウェールズの額へと打ち込んだ。それは発光し、ふっ、と吸い込まれるかのように、消えた。
一瞬のことだった。誰もが、動けなかった。
しまった―――
ルイズは、『テレポート(Teleport)』というサンクチュアリの瞬間移動魔術と、それを極めたものの恐ろしさに、このとき初めて気づいた。
だが、もう、遅かった。
「……う、ぐ」
「あ……―――ああっ、ウェールズさま!!」
額を押さえて膝を突き、苦悶の声をあげはじめたウェールズに、アンリエッタは泣き声のまじった声をあげてすがりついた。
キュルケがその男を見て、叫んだ―――「こいつよ!」
「ははははは」
褐色肌の男は、ただ笑った。それはあまりに人間的でない、奇妙な笑いだった。
「ヨルダンの石は崩れ去り、浮遊大陸には十分な恐怖と絶望がひろがった」
そして、ちらりと少女たちのほうを見て、続ける。
「―――<DIABLO>を知っているか、そこの死人占い師」
「知っているわ」
答えたのは、ルイズだ。両手をだらりと下げ、右手に緑色に発光する『イロのたいまつ』を握っている。
彼女は静かに怒っている―――
その目はこの世の何処でもないところを見据え、唇は薄くにやにやとほころんでいる。
『骨の鎧』の白く細い螺旋が、体の周囲をしずかに回転している―――
対する浅黒い肌の男は、全長二メイルはありそうな金色の杖をにぎり、反対側の手をあごに当てて、淡々とした言葉をつづける。
「博識な少女よ、われはあれを喚(よ)ぼうと思うのだが、如何(いかん)」
「却下よ」
ははははは
うふふふふ
あまりに不気味すぎる、ひとりの黒い男とひとりの白い少女の彼岸の笑い声が、その場に響いた。傾いた太陽が、城の廊下を不気味に染めていた。
展開についてゆけないキュルケは、そんな光景を、ただあっけにとられた表情で、見ているほかなかった。
「王子殿には、ただの恐怖の大王の写し身などではなく」
その男、金色のラインの入った青い服を着た魔道師は、少女を見て、言葉をつづける。
「―――本物の恐怖の権現<Uber-Diablo>をその身に降ろしてもらう」
「自分のほうから、地獄まで会いに行けばいいじゃない」
ははははは
うふふふふ
「邪魔はさせぬ」
「むしろお手伝いよ」
ははははは……はあーっはっはっはっは!! はははは!! あーっはっはっはっは!!
うふふふふ……アーッハハハハハ!! アハハハハ! アッハッハッハッハ!!
二人は、ひとしきり笑った。城中に響きそうな大きな大きな声で、笑った。
そして……ほぼ同時に、呪文を唱え始めた―――
『―――ライトニング(Lightning)』
男の杖に、電光がまとわりつく。キュルケは、それがいかに恐ろしいものであるかを良く知っていた。避けられないものであることも、すぐに解った。
『召喚―――鋼鉄のゴーレム(Iron Golem)!!』
対して、少女は―――
背中の剣を、鞘ごと床に放りなげた。
「私を守って、私の剣、私の騎士!! お願い―――<デルフリンガー>!!」
―――バリバリバリバリ!!
少女の願いの直後、強烈な雷光が、その場を照らす。キュルケは思わず、目をつぶっていた―――
しばしの静寂―――自分の身には、なにも起こっていない。
果たして、ルイズが今の一撃で丸焦げにされてしまったのだろうか、と思い、キュルケはおそるおそる目を開けた。
しゅうう…… しゅうう…… しゅうう……
ルイズは、相変わらずの状態で、無傷のままに立っていた。浅黒い肌の魔道師は、ひどく驚いたような目で、それを見ていた。
白髪の少女の身を守るかのように、その全身からほそい煙をあげつつ、立つ存在があった。
かつーん…… かつーん…… かつーん……
銀色に光り輝く身体、無骨なシルエット、黒いふちどり。
その片手は鋭い剣。太い足の元を回転する細い線のような、美しいオーラの光。
ラズマ秘術によって生み出された生ける鉄の塊―――『アイアン・ゴーレム』、ルイズ・フランソワーズの騎士。その名を、『デルフリンガー』という。
低く響く男性の声で、インテリジェンス・ソードの彼は、驚いたように喋り始める。
「おおお! 何だこりゃ! すげえ、思いどおりに動けらぁ! やべえ、力が―――力がみなぎってきやがるぜ!!」
「うふふふ、ねえデルりん、あいつ捕まえてちょうだい……さあっさと外のアレ、止めてもらわないといけないからっ!!」
剣の歓喜の声が響き、ルイズは口の端を思い切り吊り上げて笑った―――彼女には、勝算があった。
男の展開する『マナ・シールド』という魔術は、精神力を身代わりにダメージを吸収するものだ。ならば転移すらできないほどに、削り取ってしまえばいい―――
ルイズは『イロのたいまつ』をぐっ!と突き出し、男―――『サモナー』を捕らえるように、命じた。
「いっけぇええーーー!!!」
「合点だぁ!!」
―――ダアッ!!
大きく太く鈍重そうな鉄の塊が、風のように軽く、走った―――カカカチャカッ、と白銀と黒の装甲を鳴らして。
作られてから六千年、初めて得た本物の自分の身体と、あふれる生命が、剣の心を振るわせる。かつての使い手から得た戦闘技術が、それを高みへと押し上げる。
彼は背後にいる使い手ではない不本意な主を、今こそ自分の手で、守ってやりたいと思っていた。
ごつごつした太い右腕の拳を握り、左手と一体化した剣をかまえ、目前の敵を叩かんと、飛び掛った。
「電撃無効か……ならば、これにて―――『インフェルノ(Inferno)』」
くるりと回転する杖が男の前方、垂直に構えられ、敵を吹き飛ばし、鉄をもたちまち溶かすであろう、ひとをたちまち焼き尽くすであろう、猛烈な勢いの業炎が吹き出される。
なんて禍々しい、情熱のカケラもない炎だろうか、とキュルケは思った。
「はっ、んなもん効かねえっつの!!」
ゴオオオッーーー!!
ラズマの生命観において、生命とは『土』、『血肉』、『鉄』、『火』が結びついて成り立っているものなのだという。
土を使う『クレイ・ゴーレム』の上級に位置する、金属に生命を吹き込む秘術『アイアン・ゴーレム召喚』は、その媒体となったものの性質をコピーする。
そして、古きインテリジェンス・ソードのデルフリンガーには、対魔道師戦闘における、とある究極の特性が備わっていた。
その名も、『魔法吸収・無効』である―――
噴出される火炎のなかへ、ルイズの勇敢なる騎士は躊躇せず飛び込んでゆき、自らの身体で遮る。ばあっ、と対流を起こした空気がルイズの白い髪を舞わせる。
タバサの展開した障壁、<思い出の杖>で強化された雪風のヴェールが、熱風の余波から背後のものたちを守っていた。
「ふむ、ならば、『ストーン・カース(Stone Curse:石化呪)』―――」
男の杖が振られた―――それでも、鉄のゴーレムは、止まらない。
「―――うぐっ!!」
剣が振り下ろされ、ばちばちばちっ、と男の周囲に静電気の障壁が展開される。転移しようと振り上げた杖を、切り上げた左手の剣がガキッと音を立ててはじく。
太く巨大でたくましい鉄の右腕が、相手の精神力に直結する障壁の魔法を吸収しながら、斥力を放ち続ける障壁ごと、男を押さえつける。ぐうっ、ぐうっ―――!!
「オッケー、そのまま! いい、いいわよっ! あはっ、いいわ、アッハ、アーッハハハ!! そぉのままあぁ―――ひねり潰しなさいっ!」
ルイズは瞳孔を完全に開いて、高らかに笑った。
(あれ? ……捕まえるって言ってたわよね……私の聞き違いかしら?)
キュルケは冷や汗を流しつつ、ふとそんなことを思ったが、口には出さなかった。
やがて、べしっ、と何か骨の折れる音がして、<サモナー>との戦闘は、終わった。
―――
「ウェールズ王太子にかけている術をさっさと止めて、さもないとブチ殺すわ」
「不可能だ、召喚の術がかかり、そしてヨルダンの石がすべて砕けた今、彼はもうすぐ<UBER-DIABLO>になるほか無い」
拘束された『サモナー』を、ルイズは尋問していた。がしっ、と蹴りつけた。うぐ、とうめき声があがる。キュルケが炎で、ちりちりと焦がす。
隣の部屋にいるウェールズ王太子は、いまやなかば錯乱しつつ、怖い怖いと震え、アンリエッタにしがみついている。
『自分が自分で無くなる、助けてくれ、身体の中から何かが出てくる!!』と声をからして泣いていた。
あの誇り高き王子の心は、もはや完全に壊れてしまっていた。ルイズたちは、それを見るのがとても辛かった。
<サモナー>は淡々と話を続ける。
「彼が<DIABLO>になれば、その恐怖する心が扉となり、数多の魔物に実体をもたせて、この世へと降ろすだろう」
そうなれば、アルビオンどころかハルケギニアすべてが、魔の手に沈んでしまうだろう。
何のためにこんなことをしたのか、という問いには、男はただ『混沌が必要なのだ、汝も探求者ならば解るだろう』と繰り返し言うだけだった。
「もし止めたいなら、いまのうちに王子殿を殺すがいい……彼に流れ込む<恐怖>の奔流は、われにすら予想できぬ、いずこかの他の者へと向かうだろうがな」
はははは、と青衣の魔道師は笑った。
「……じゃあ先に、外で暴れている、あのでっかくて気持ち悪いのを止めてちょうだい」
「あれは、……『デュリエル』は止められぬ、御しようというつもりなど、当初よりない」
男は超然とした態度を崩さず、どこか浮世離れした会話を続けていた。ルイズはいったん尋問をきりあげて、隣の部屋へと向かった。
「アンリエッタ……私のアン、助けてくれ、怖いんだ……恐怖が、『恐怖が怖い』、私は無力だ、無力だ」
「ウェールズさま、私はここにおります、大丈夫です」
憔悴しきったアンリエッタが、王太子をなだめながら、ルイズに涙のあとのついた顔を向けた。
「ルイズ! ウェールズさまを、トリステインに連れて行きましょう! あなたなら、出来るんでしょう!」
そう問われたルイズは、何と答えればよいか解らず、うっと喉が詰まったような声を出した。ところが彼女にとっての助け舟は、意外なところからやってきた。
「駄目だアン、私はトリステインには行けない……もっと、もっと恐ろしいことに、きみを巻き込んでしまう……」
「そんな!」
ウェールズ王太子が、恐怖に怯える壊れきった心を押してまで、亡命を断ったのである。
ルイズは沈み込んだ表情で、ひとつの決意をかためる―――彼と彼女の心を、なんとしても救わなければならない。
魔王級のものを寄り代へと降ろす召喚の術は、いちど発動してしまえば、二度と元にはもどれぬものだという―――よほどの方法を、使わぬかぎり。
サモナーの拘束と尋問をタバサとキュルケに任せ、隣の部屋にタウン・ポータルを開いた。
ゴーレムを連れて転移する先は―――自分の住居、『幽霊屋敷』である。
部屋の中に入り、棺おけに向かって、ルイズは深々と頭を下げた。ぐっと唇をかみ、力なくふるふると肩を震わせながら、言った。
「司教さま、私の至らなさで……私の失態で、ご迷惑をおかけいたします……」
声が震え、目には、じわりと涙が浮かんでいる。いまの彼女はきっと、多重の借金を抱えて首が回らなくなったときのような気分に、なっているに違いない。
「……必ず、必ず……すぐに、絶対に、代わりのものを作って、必ずお返しいたします―――どうか、力を貸してください!!」
もはやこらえきれなくなり、ルイズは無力さと情けなさを痛感して、わあわあと泣いた。
泣きながら、プライベート・スタッシュより、ひとつの小瓶を取り出す。それは―――オリジナルの『黄金の霊薬』だ。
少女の身体のうちがわに潜むラズマの魂、『ボーン・スピリット』は、反対しなかった。ラズマの徒の作りしもの、今使わずに、いつそれを使うのだ、といわんばかりに。
ただ病気を治すためにではなく、死する定めのものの魂を、強大なる魔の呪縛、運命の歪みより解き放つ―――そのためにこそ霊薬は作られ、存在するのだから。
この誇り高い少女は作り方もすでに暗記しているし、近いうちに必ず製作中のものを完成させて、必ず司教へと返すことだろう。
ここで使わなければ、たとえヨルダンの石を使わずとも、かのカンデュラスのアルブレヒト王子のように、ウェールズは恐怖の王の写し身を、その身へと降ろしてしまうだろう。
骨の精霊は、少女の心を、あつくつめたく包み込み―――そっと痛みから守ってやるのであった。
「ルイズ、できたわ! ……はやく持っていって、飲ませて!」
モンモランシーが、最後の一人ぶん、雪風のタバサの分の解除薬を作り終え、ルイズへと手渡した。
そして、ルイズの涙に気づくと、きょとんとした顔をする。
「……なあに泣いてるのよ、ルイズ……あなたはいつもどおり、余裕ぶっこいて薄気味悪く笑ってなさいな、そうでないと他の人が安心できないわ」
モンモランシーは微笑んで、頬に手をのばし、そっと指でルイズの涙をぬぐってやるのであった。
彼女の顔ももはや、重なる疲れで少し不気味になりつつあるようだった。その表情はおどろおどろしい『幽霊屋敷』に、なんともよく馴染んでいた。
そして彼女はルイズの肩をぽんぽんと手のひらで叩いたあと、ふらふらばたん、とルイズがいつも使っているベッドへと倒れ込んで、すうすうと寝息を立てはじめてしまった。
―――
どおん―――どおん―――
ニューカッスルの外では、今なお、巨大な悪魔が暴れ続けていた。
そして、ウェールズ王太子は、今もなお内側から湧き出る恐怖に、苦しんでいた。
「姫さま……これを」
アンリエッタへと、ルイズは金色に輝く薬の入った小さなビンを渡した。
「また惚れ薬?」
「いいえ、これを飲ませれば、王太子殿下の壊れた心を、救うことができます」
ルイズは説明する。壊れた心も傷ついた身体も、呪いすらも、みんな一発で治す万能薬です―――そんな会話を偶然耳にした青い髪の少女の肩が、ぴくりぴくりと震えた。
ルイズは、隣の部屋へと入ってゆく。
魔道師<サモナー>は、ルイズの様子をみたとたん、ふむ、汝、なにか精神を癒す薬でも使うつもりか、と言った。
「無駄だ、ヨルダンの石が崩れた今、<UBER-DIABLO>の降臨は、たとえ伝説の『黄金の霊薬』を使おうとて、止められぬ」
この男の表情からは、何を考えているのか、さっぱり読み取れない。こんな状況でも、ときおり、ははは、はははと笑っている。
「へえ」
とルイズは、まったく無関心そうに返した。知らないわよそんなこと、と。
だが、しばし静寂がつづいたあと―――<サモナー>はとつぜん顔をこわばらせた。みるみるうちに態度に余裕がなくなり、その顔は真っ青になっていった。
「……術式が、ずれていく……何故だ? 消えた……あれでは写し身すらも、呼べぬ、いったい何をした死人占い師」
「知らないわよそんなこと」
「なんという失敗だ! こんなこと、『ヨルダンの石』が足りなかった、としか―――」
男はまさか、信じられないという表情でルイズを見て、言葉をつまらせ、黙ってしまった―――ルイズは、にいっ、と笑った。
「いいわ、だいたい見当つくから―――つまり、あなたはこう言いたいのね」
ルイズは口の端をつりあげ、焦点の定まらない開ききった眼で―――
男に向けて、言った。
「『石はどこだ』……知らないわよそんなこと……ウフフフフ」
うふふふふ……
……
トリステインの魔法学院にある、ゼロのルイズの住居である物置小屋―――通称『幽霊屋敷』の天井裏には、たまに古代幻獣『エコー』たちがたむろって居るそうな。
シルフィードと仲の良い彼らイタチのような生物は、先住魔法『変化』のエキスパートであり、トランプのカードにだって、指輪にだって、化けるのだという。
ルイズは『私が勝ち取ったのよ』と彼らの所有権を主張するが、彼ら自身はそれを否定している―――『借りはもう返した』と。
『黄金の霊薬』が無くなって一箇所ぽっかりと空間の開いたスタッシュの、底のほうの隅っこには、青く小さな石のはめこまれた指輪が、そっと仕舞いこんであるのだという。
―――
「わたしのおともだち、ルイズ……しばらく見ないうちに、ずいぶんと変わってしまったのね」
アンリエッタは、ルイズを呼び出して、静かに言った。
手紙を持って帰ってきてくれて、自分を王子と再会させてくれて、貴重な薬を使って王子の心を救ってくれて、恐るべきたくらみを防ぎ、あの魔道師を捕らえてくれて、感謝してもしきれない、と。
「そして、あなたは系統魔法ではない、とても不思議な術やアイテムを使うようね」
ルイズは静かに、聞いている―――
「外で暴れているあの恐ろしい怪物を、どうにかするための方法を―――ひょっとして、あなたは持っているのではありませんか?」
王女は、幼馴染の少女の、隠している真実と怯え迷っている心を、見抜いた。そして、言葉を続ける―――
幼馴染の友人としては、自分の不注意からこうむったことで、あなたを責めるつもりなど全くありません。
何も考えていなかったおろかな私の書いた手紙が、あの事態の原因なのですから。
あなたはとても素敵な友人たち、そして良い教師たちにかこまれているようで、なんとも羨ましいものです。
非公式な任務でしたが、あの任務を手助けして国を救ってくださった、ご友人や教師の方がたのご恩にも、いずれ報いましょう。
あなたにも、私はウェールズさまの分まで、いずれ個人的にお礼をしなければなりません―――
でも―――
「トリステイン貴族である以上、たとえ不本意な事故であっても、いかなる理由目的があろうとも、王女の身を害し拉致監禁して王国を危険にさらした責は、どこかで取らねばならない―――」
ルイズにとって、それもまた事実だった。
ラズマ聖職者として、および自分の失態で悪化した事態への自責の念から行ってきたことで、国に対する自分の責が晴れたと考えることは、どうしても出来なかった。
そんなルイズを見て、王女は続ける。
そうでしたら―――それにつけこむようで、心苦しいのですが、これをもって、わだかまりをすべて清算する機会といたしましょう。
「あれはこの世界に居てはならぬもの。アルビオンのみならず、放っておけばいずれトリステイン、ハルケギニア中にまで害を与える存在です」
王女は命令を下す。
持てる技をつかい、あれを打ち倒せ。
そうすればあなた、そしてあなたと共に状況改善に尽力した者、およびあの少年の行為はすべて不問に処し、私一人の胸にしまい、あなたにはしかるべき恩賞を与えましょう、と。
「はい、王女殿下―――その任務、私にお任せ下さい」
この瞬間、ルイズ・フランソワーズの、トリステイン貴族としての誇り、ネクロマンサーとしての使命、そして友人を守りたいひとりの少女としての心が、ひとつの運命の流れに乗った。
その強い強い運命の奔流は、この少女に、ネクロマンシーを学んでから今までずっと、どうしても怖くて怖くて出来なかったことを、やろうと決意させるに十分なものだった。
―――
風の大陸アルビオン、夕焼けの戦場。
すこし強めの風に混じって、声にならない声がきこえる―――それは色であったり、表情であったり、温度であったりするそうだ。
『このままでは、死んでも死にきれない』
『あれを打ち倒す力を、我らに与えてくれ』
白い髪のルイズ・フランソワーズは、恐ろしい怪物の暴れている戦場へと、歩みを進めた。彼女は、ひとりでは、ない。
白銀と黒のデルフリンガー・ゴーレム、そして赤い髪のキュルケと青い髪のタバサが、彼女を守るように付き添っている。
タバサはすでに、惚れ薬の解除薬を飲んでいた。なのに、「本心から誓った」、とそれだけ言ったので、なら私も、とキュルケも行くことにしたのだそうな。
キュルケは『ルイズが今から何をやっても、行った先で何が起こっても、口外しない』という約束を、微笑みながら、とうとう受け入れた。
その三人と一体のゴーレムの後ろに、霊薬によって正気と健康を取り戻した王子ウェールズと、王女アンリエッタが続く。
二人は、ひとりとひとりの王族として、これからの戦いを見届けるためについてゆく、と言ったのである。二人も、杖に誓って見たものを口外しない、と約束した。
目下では、王党派の兵士、貴族派の兵士たちが、巨大な一体のバケモノを相手にできず、叩き潰され、泡を食って撤退してゆく―――もはやここは、戦争どころではないようだ。
そして―――あたりには、たくさんの躯(むくろ)が転がっている。
『さあ少女よ』
『王のもとに』
『友のもとに』
『われらをみちびいてくれ』
一行は、ちいさな丘の上に立っている。ここからなら、目下で暴れまわるあの巨大な一体の凶暴な悪魔『デュリエル』の進路を、一望できるのである。
白い髪を風に舞わせている少女、ルイズ・フランソワーズは、すこし青ざめた顔で笑った。その細い細い体中から、青白い霊気が、うっすらと立ちのぼった。
彼女の着ているトリステイン魔法学院の制服が、アルビオンの強い風にあおられて、ばさばさとスカートを翻した。
『われらが無念、彼奴に』
『このアルビオンにかつて生き、笑い、泣き、惑い、散りたわれわれの誇りを、もう一度取り戻すために』
ルイズは、緑色の宝石の杖、ネクロマンサーの杖を振る。火の粉が、運命の流れへと、小さな渦をつくる―――いくつも、いくつも、いくつも。
そんなルイズの手を、タバサが握っている。タバサの肩に、キュルケがそっと手を置いた。
後ろでは、アンリエッタとウェールズが、しっかりと見守っていた。万が一にもこの二人の身に危険が及ばないようにと、鉄の騎士デルフリンガーが、ガードに立っている。
これから行う、小さな人間たちの大きな戦いに、この場に存在する生ける者と死せる者、みなの心がひとつの方向を向いているようであった。
『ぶつけさせてくれ』
『もう一度、チャンスをくれ』
『われらが躯(むくろ)、思う存分使うがよい』
ルイズはゆっくりと、深呼吸をする。そして―――
レイズ・スケルトン―――おいで、戦場に倒れた戦士たち。さあ、共に戦いましょう―――
とても穏やかに、そう宣言した。
この日、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、初めてヒトの躯(むくろ)を媒介に、持てるラズマの秘術を行使した―――
彼女がネクロマンサーとして、大きく成長した日である。
『友のために』
『王のために』
『恋人のために』
『わが子のために』
まるで高らかに声を張り上げているかのように、かしゃり、かしゃりと音を立てて、いくつも白銀の骨格をさらす、スケルトンが立ち上がった。
ルイズの呼び出した骨の軍団は、かぶとをかぶり、その手には生前使っていた、おのおのの愛用の武器を持っている。
武器の刻印には、王党派のマークも、貴族派のマークもみられた。
ざっ、と骸骨たちは一斉にそれらを捧げ、戦場の礼をとった。
それは禍々しくも恐ろしく、力強く、どこか美しいものだ、と見ているものが思わず感心するほどの、なんとも颯爽たるいでたちだった。
『杖にかけて』
『剣にかけて』
『勝利を誓う』
死や恐怖はときに、ひとに美しさを感じさせるものである。ルイズの心のうちを、とても優しく心強いなにかが満たしていった。
ラズマ死霊術の粋を初めて目にしたキュルケ、そしてウェールズとアンリエッタの心にも、それはただ不気味で恐ろしいだけでなく―――
きっとどこかしら、大いなる愛に満ちているもののように、映っていることであろう。
『王子よ、王女よ、われらかつて人だったものとしての誇りと、約束されし勝利とを捧ぐ』
暴れ続ける、醜い虫のような巨大な悪魔へと向かって―――ルイズは力強く杖を突き出す。
ラズマのネクロマンサー、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールがスケルトン軍団に告ぐ―――
「全軍―――前進っ!!」
『『アイ・アイ・サー(Aye Aye Sir)!』』
おのおのの武器をかかげ、骨だけの死者たちの行軍が始まった。
この巨悪をいまここで倒しておかなければ、アルビオン全土は、さぞや早いうちに荒廃し、滅びてしまうことだろう。
彼らの故郷で、沢山の人が死ぬだろう。運命の流れはもっと大きくゆがみ、ひとびとはますます泣くだろう。混乱と恐怖とが広がり、もっとおそろしい魔を呼ぶだろう。
スケルトンたちは全部で六体―――あの悪魔の巨体と戦うには、あまりにも心もとない、ちっぽけな軍団だ。
その骨しかない白い手に大事そうに抱えられた得物も、あの巨体には、通用するはずがない。それが大砲をはじく表皮を、突き破れるはずがない。
さて、敵はこちらに、目をつけたようだ―――
一体ずつ、一体ずつ、死から蘇りし骨の戦士たちが、かしゃりかしゃりと、巨大な悪魔の目の前へと、進んでいった。
―――そして、当然のようにスケルトンたちは、無力にも、たちまちのうちにビシリ、ビシリと身体を凍りつかせ、その動きを鈍らせていった。
夕日の丘で、ルイズは少し青い顔のまま、口の端を吊り上げて笑った。夕日を浴びて、昏い昏い目が、敵を力強く見据えていた。
だんだんと、目の前の巨大な悪魔の姿が、いままでのようにひどく恐ろしいものには見えなくなっていったのだ。
『強い少女よ』
『これは勝利が約束され、喜びに満ちた戦い、さあ、共に笑おうではないか』
『我々は不死(アンデッド)、我々は死なない、ただ誇りを胸に、前へと進む、そなたらもそうあれ』
かの悪魔は、不浄なる凍結(Unholy Freeze)のオーラを纏っている。近づくものは、みな凍ってしまう。
死者の軍団(Burning Dead)は、あたかもその骨に宿る魂を轟々と燃やしているかのように、じっくりと一歩ずつぴきぴきと音を立て、身を砕きながら進んでゆく。
「『―――アイアン・メイデン(Iron Maiden)』!!!」
ルイズの杖から、火の粉が散った。彼女は笑った。
丘の下の大きな悪魔へと、この場の運命の流れとよどみに割り込み、強力な呪いをかけるのだ。ようやく使いこなせるようになった、中級の呪いだ。
それは、他人に負わせた体の痛みが、倍以上になって当人へと返る呪術―――ラズマ死霊術の<呪>系統、『物理ダメージ反射』の秘技であった。
カタカタ、カタカタ、とスケルトンたちが笑う。そうだ、いいぞ、よくやった、と。
「ふふっ……よーし、根比べになるわ、さあみんなっ、あの気色悪いヤツに―――やり返せ! 私たちは絶ぇっ対に、負けないって……思い知らせて、やるのよっ!!」
目の前にいる巨大で恐ろしい悪魔は、かまのような豪腕を獰猛に振り回すだけ―――ならば、こちらは大量の死体を得たネクロマンサー、勝てない道理など、存在しない。
丘を降りていったスケルトンが凍りつき、動きを止め、振りぬかれた巨大な悪魔の豪腕に砕かれるたびに―――悪魔自身が苦悶の声をあげていく。
死者の軍団がカタカタと笑いながら凍りつき、敵に踏み潰され粉々に砕け散るたびに―――銃弾も魔法も通さぬ悪魔の体に、ヒビや亀裂が入ってゆく。
ルイズは何度もマナ・ポーションを飲み干し、大きな声で笑い、足を踏ん張って呪いを維持し、次の躯から、そしてまた次の躯から、スケルトンを呼んでいった。
「キュルケ、歌って!」
「へ? ……あたしが? 何で」
「お願い!」
「……ま、いいけど……ゲルマニアの歌でいい? へたっぴだけど」
「ありがとう! ……これで、まだまだ行けるわっ!!」
それは、成りあがりの国とよばれるゲルマニアの、野卑で奔放な歌であった。
人の心の暖かさがユーモラスにつづられた歌詞の、明るくのびのびとした独唱が、太陽の沈んでゆく戦場に響いた。
どうやらトリステインの王女も、アルビオンの王子も、ガリアのもと王女も、古き剣のゴーレムも、おもに平民たちの間で歌われる、その有名な歌を知っていたようである。
彼ら、彼女らは、苦笑しつつも、それぞれ口ずさんだり、鼻歌であわせたり、足でたんたんとリズムを取ったりしていた。
白い骨どもの笑い声が、カタカタ、カタカタとそれに乗る―――いいぞ、われらにこそ相応しい、と言わんばかりに。
いままで戦場に渦巻いていた、あの巨大な悪魔にたいする恐怖の感情のよどみは、まるで霧が晴れるかのように、すっぱりと薄れてゆくのであった。
『次は、われらがいこう』
『その次はわれらだ、もうすこしだ、こころをつよくもて、耐えろ』
『まだいけるか少女よ』
『栄光あれ』
そして―――
―――ぐらっ、どどぉおおーん!!
日が暮れて、あたりに骨のかけらが山のように、花のように雪のようにつもるころ、戦いは終わった。
身の毛のよだつような音をたてて巨体が崩れ、腐った匂いのする黄色や緑色の液体と、いもむしたちを振りまいて―――とうとう悪魔は、倒れた。
『少女よ、出会えたことを、感謝する』
『また会えることを願う』
『感謝を』
『人のこころに、栄光あれ』
『栄光あれ』
あは、ははっ―――
ルイズは、疲れた顔で笑った。目じりには、涙が浮かんでいた。
はあっ、と安堵の息をついたあと、ふらふらとタバサとキュルケにしがみついた。
どうやら、緊張の糸が切れ、足に力が入らなくなってしまったようであった。
「みんな、ありがとう―――! また会いましょう!! <存在の偉大なる円環>がある限り、絶対にわたしたち、また会えるわっ!!」
感謝の言葉が、空に響いた。くたーっと力の抜けた身体で、空に向けてゆらゆらと手を振った。
ルイズの二人の友人は、静かに微笑んで、戦いを終えた少女を迎え入れた。ルイズは、二人の友人にも、ありがとうと言った。
白の国アルビオン大陸に吹く強い風が、強い想いの残り香を、はるか夜空の果て、天高くへと運び去っていった。
アルビオンの王子とトリステインの王女が、杖を胸に、じっと黙祷を捧げていた。
このときの、歴史に伝えられぬ戦いのあった場所―――この小さな丘は、アルビオンにおけるすべての戦乱が終わったのちに、『白の丘』と名づけられることになる。
誰かが植えた白い花の、いつまでも咲き乱れる、それはそれは美しい場所となったのだそうな。
//// 14-5:【Quest Completed】
ルイズは、思いっきり泣いたり笑ったりしたあと、ポーションでたぷんたぷんのお腹をかかえ、慌ててお花を摘みにいったという。
敬礼していた大勢の幽霊たちが、いっせいに反対側を向いたそうな。
//// 【次回、小さな恋の歌(アルビオン手紙編エピローグ)へと続く】