ゼロの死人占い師
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この日、ゼロのルイズが召喚したものは、とても奇妙なものだった。
少女によって召喚されたソレによって、その場に居た誰もが度肝を抜かれた。
「この宇宙で最も高潔な魂よ、神聖で強力な使い魔よ、我が導きに応えなさい!!」
トリステイン魔法学院近くの草原、毎年春に行なわれる使い魔召喚の儀式で、魔法の使えない貴族の少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、計16回の失敗の末、ソレを召喚した。
「きゃあああああああ!!!」
土煙の晴れたとたん、草原に大きな悲鳴が響き渡る。
「……な、なんだあれは!?」
「人? ……いや、死体だ!!」
呼び出された者……いや、それはもはや『者』とはよべない『モノ』であった。
茶褐色に乾いた顔、水分を失いよれよれになった銀色の髪。
骨でできた黒い兜、髑髏の杖、毒々しい装飾品、見たこともない金属の重厚な鎧をつけた――人間の死体、だった。
死んでから何十年、いや何百年も経過したであろう埃だらけのソレは、動く気配もなく草原のど真ん中に倒れていた。
「ゼロのルイズがミイラを召喚した!!」
儀式を見守っていた生徒のひとりが、ソレを認識して、上ずった声で叫んだ。
「うわああ、気持ち悪い!!」
「異教徒のメイジのミイラだ、呪われるぞ!! 幽霊が出るぞ!!」
「な……なによこれ……」
呼び出した者――ゼロのルイズ――は、顔面を蒼白にし、へたりと座り込んでしまった。
髪の薄い中年教師コルベールは、内心の動揺を抑えたまま少女に歩み寄り、放心する彼女へと声をかける。
「ミス・ヴァリエール」
「……」
少女はただ呆然とするのみで、返答はない。
「大丈夫ですか、ミス・ヴァリエール!! 気をしっかり持ってください」
コルベールは、横たわるミイラからルイズにあさっての方向を向かせ、その震えるちいさな背中をさすった。
春の召喚の儀式、今回のケースほどのインパクトのあるものは史上初だが、例年それなりのアクシデントはあった。
なので、コルベールにとっては慣れたものである。
テキパキと具合をみて、少女を介抱し、気付けのブランデーを含ませた。
「ミ、ミミミミ、ミスタ・コルベール………」
しばらくして、どうにかしてルイズはかすれた声を搾り出す。
春の使い魔召喚の儀式は、そのメイジの実力を計り、系統を決める大事なものである。
だからこそ、ルイズはこれまでになく意気込んでいた。
予想外の儀式の結果のせいで、ルイズの内心は、恐怖、驚愕、その他の感情が暴走し、頭の中は真っ白になっていく……
なにより、恐ろしい。
死体が、ミイラが恐ろしい、窪んだ暗い眼窩が、むき出しの歯が―――
(やあ、お嬢ちゃん……)
そんな言葉は、ルイズの想像の中のものである。もちろん死体はぴくりとも動かない。
ルイズは『この死体が動き出し、自分を襲うのではないか』と想像し、さらなる恐怖に駆られた。
「ミス・ヴァリエール、落ち着いてゆっくりと呼吸してください、大丈夫です」
コルベールの言葉は耳に入らない。恐怖で暴走したルイズの思考は、ドツボへと嵌ってゆく。
―――何で死体? どうして? 人並みに魔法を使えるようになりたいと血の滲む努力をした結果がこれ?
自分は一生魔法を使えないのではないか、このままでは留年し、退学になるのではないか―――
お母様は、エレオノール姉さまは何て言うのだろうか―――
ルイズがもし『生きている』使い魔を呼び出していたのであれば。
たとえば平民の少年などを召喚したのであったのならば、彼女は怒り狂ってその少年に八つ当たりしたり、『自分の魔法が成功した』と少しは喜びを感じたりするような、いわば多少の余裕は残されていたのかもしれない。
だが、呼び出されたソレは少年などではなく、あまりに異質なモノだった。物言わぬ干からびた、不気味このうえない死体なのである。
か弱い少女に、余裕などあるはずもない。
ハルケギニア六千年の歴史のうち、誰もが召喚したことのないもの、あまりに不気味な、異教徒のミイラ。
怒りや情けなさ、恥ずかしさや落胆、そういった感情はあっというまに少女の心から消し飛ばされてしまっていた。
いやだいやだいやだいやだ、こわいこわいこわいこわいこわい―――
真っ白な頭で、緊張の針を振り切ってしまったルイズは、その場にいた誰もが驚きドン退きするような行動に出る。
「い、い、いいいい五つの力を司るペンタゴン、っ……ここここの者に祝福を、あああ与え!! わ、わが使い魔とな、せぇ……」
何と、死体にコントラクト・サーヴァントをしようとしだしたのである。
呪文を唱え、死体に口付ける。ギャラリーから『うえぇっ……』と悲鳴があがるが、ルイズの耳には入らない。
―――うん、パサパサしてる。
唇に伝わる感触で、ルイズは自分のしている行為を正しく認識する。
そのあまりのおぞましさに、全身の血が引いていく。
こわいこわいこわい、きもちわるいきもちわるいきもちわるい―――
相手は無情にも、まごうことなき死体である。
コントラクト・サーヴァントの魔法は、やはり何の目に見える効果も起こさなかった。
「ふうぅ……」
バタン。
ここまで意識が持ったのは、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが強く誇り高き少女であったからである。
普段の彼女であればこのように取り乱すことはない、だが彼女が今日の神聖な儀式にかけていた気負いは計り知れないものであった。
だから、からっぽの勇気を振り絞り、せめて外面だけでも勇ましくあらんと行動に出たのである。
空回りの結果、貧血と過呼吸で少女は意識を手放し、むきだしの土のうえに倒れてしまった。
「いかん! ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、手伝ってください! 彼女を医務室に……それから、大至急オールド・オスマンを呼んできてください」
「は、はい、解りました」
「……」
応急処置を行いながら、教師は近くにいた生徒に指示を出す。
コルベールに名前を呼ばれた二人の少女がルイズにレビテーションの魔法をかける。
赤い髪の少女キュルケと、ふるふると恐怖に震えながらキュルケの後ろに隠れていた青い髪の少女タバサ。
タバサが呼び出したばかりの風竜にルイズを乗せて、二人は一目散に学院へと飛んでいった。
よほど怖かったのであろう。
「生徒の皆さんも、教室に戻ってください、今日の残りの授業は自習にします」
教師のはっきりとした言葉をうけて、わいわい騒いでいた生徒達は『フライ』の魔法を使い、三々五々学院に帰ってゆく。
コルベールは生徒たちを見送ってからため息をつき、草原のど真ん中に放り出されたままの物体へと振り向く。
「……ふむ?」
コルベールは、ソレをよく観察して見る。
すると、ミイラ化した死体の装備している品はそのどれもが精巧で強力そうな、これまで見たことのない技術で作られているであろう、しかも一級品以上の、伝説級のものに見受けられる。
砂や埃やカビで覆われていても、多少のキズこそあれど、それらの装備は長い長い年月を経て、劣化のひとつもしていないように見えた。
よほど丁重な『固定化』でもかけられているのだろうか?
「……むむむ」
コルベールは先ほどのルイズの言葉『神聖で強力な使い魔よ!!』というものを思い出してみる。
すると、遺体はどことなく、神聖な雰囲気を発散させているようにも見えた。王族、聖職者のトップ、あるいは―――英雄のような。
その装備品それぞれには、見たこともなく読めもしないルーンが掘り込まれている。
「素晴らしい、いずれも強力な魔力を秘めている……高名なマジックアイテムに違いない……」
コルベールは嘆息しつつ、遺体の持ち物を検分している。
「どうしたもんかの、ミスタ・コルベール」
学院長オールド・オスマンがやってきて、コルベールのとなりに立った。どうやら、生徒たちから事情は聞いているらしい。
齢三百歳を越えるであろうオスマンならば、これらのアイテムが何なのか解るかもしれない。
だが、まずは生徒が第一だ。コルベールは気持ちを切り替え、複雑な表情で切り出す。
「ミス・ヴァリエールのサモン・サーヴァントは、呼び出されたのが死体とはいえ、成功したと見るべきでしょうか? 私としては……ミス・ヴァリエールには、再びチャンスを与えてやりたいと思うのですが……」
「ヴァリエール嬢の進退はさておき、ふむ、ちょっと調べてみようかの」
オスマンは杖を振り、ディテクト・マジックを唱えた。すると、みるみるそのひげ面がひきつり、驚愕の表情に包まれてゆく。
「どうしました? オールド・オスマン」
「……こ、こりゃ……信じられん。とんでもない量の魔力を感じるぞい……」
コルベールの思ったとおり、オスマンもこの死体とその装備に興味を持ったようであった。
「これらのマジック・アイテムは、オールド・オスマンもご存知ありませんか?」
「いや、知らぬが……装備品の話ではない、このミイラ自体が、ワシにも計り知れぬほどの魔力を秘めておるのじゃ」
「なんと! ……いやしかし、もしコレが生きていれば、我々にとっては危険な敵となったかもしれないですな」
オスマンは険しい顔をして、コルベールは安堵する。
この呼び出されたモノが、もし生きていて、生徒たちへと危害を加えたら……と想像し、彼ですらも内心慄いていたのであった。
「もしかして動き出したり……なんて」
「ハハハこやつめ」
乾いた声で笑う二人だが、目は笑っていない。二人とも、遠くを見ている。額には冷や汗がキラリと光る。
死人が立ち上がって動き出すなど、悪夢である。見たくもない。怪談物語の中だけで充分だ。
「しかしこれは一体、何なんじゃの? どうしてこんなものが、学院に」
「さあ、私に聞かれましても……」
教師二人は嘆息する。ルイズのこと、死体のこと、マジックアイテムのこと、この先どうなるのやら、二人には想像もつかない。
「それにしても困ったのう……とはいえこんな結果はあまりに忍びない、ヴァリエール嬢にはもういちど召喚の儀式を試させるべきかね?」
「そうですね、場合によっては特例として再召喚も許可するべきかと思います……」
二人は遺体を『錬金』の魔法による即席で作った棺桶にいれ、『レビテート(浮遊)』の魔法で運びつつ、学院へと戻る。
ミイラを召喚するという前代未聞のことをやらかした、可哀相な少女に対する処遇を話し合いながら。
学園へと帰っていった二人は、この後に起こるものを見逃すことになる。
――フワン
二人が去ったあとしばらくして、死体の召喚があった例の場所から、白い光の玉が飛び出す。
それは上空でくるりと旋回すると、まるで目的のものを発見したかのように、学院のほうへと一直線に飛んでいった……
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赤い髪のグラマラスな少女キュルケは、複雑な表情で、ベッドに眠る『宿敵』の少女、ルイズ・フランソワーズを眺めている。
キュルケは目の前に眠る、これまで血の滲むような努力をしても報われてこなかった少女のことが、不憫でならない。
サモン・サーヴァントおよびコントラクト・サーヴァントに失敗したとなれば、魔法学院を留年したり退学させられたりすることもありうるからだ。
「……ルイズ、このくらいのことでへこたれないでよね」
ヴァリエール家はトリステインでも指折りの優れたメイジの家系である。
ゲルマニアとの国境線を挟んだツェルプストー家の娘であるキュルケとしては、生涯のライバル候補に脱落してほしくはない。
落胆した様子のキュルケの隣には、無表情で椅子に腰掛け、本を読んでいる青い髪の少女、タバサがいる。
「そうだ、そのうちあのミイラも生き返るかもしれないし!!」
「……っ!!」
タバサはキュルケによるその言葉に反応し、ビクンと震え、手にした本を取り落とした。
キュルケは親友に不用意なことを言ってしまったと、すこし反省する。
「ごめんタバサ、冗談よ!! そんなことあるわけないわ」
「……そう、あるわけない」
雪風のタバサは、幽霊話が大の苦手であった。キュルケはぷるぷると震えるタバサに、ばつが悪そうな顔をして謝った。
タバサはキュルケの方向に、睨むように顔を向けた――
――無表情だったタバサの目は見開かれ、顔はこわばっている。
キュルケは嘆息し、ますます反省する。
「そんなにショックだったの? ごめんねタバサ……」
「違う、ううう、う、う、後ろ……」
タバサの顔は血の気が引き、額には汗がにじんでいる。
「どうしたの?」
キュルケの記憶によれば、タバサは滅多に取り乱すこともない。
そんなタバサの尋常ならざるようすに、キュルケは怪訝な顔をして、背後を振り返った。
――フワン
いままで何の気配もなかったそこには、真っ白な炎。燃えるような、白い光の玉。
キュルケは叫び声をあげた。
「きゃあああ!! な、な、何コレ!?」
髑髏のヒトダマ。あまりに禍々しい雰囲気をまとうそれは、音もなくこちらへと近づいてくる。タバサは白目をむいて気絶した。崩れ落ちるタバサを抱きとめ、キュルケは慌ててヒトダマから距離をとって魔法の杖をかまえる。
「ルイズ、危ないわ!! 起きて!!」
キュルケが叫ぶが、ヒトダマは静かに二人の横を通過し、寝ているルイズを襲った。
ヒトダマは一瞬まばゆいばかりの光をはなち、ルイズの体のなかへと吸い込まれていった。
とたん眠っているルイズの表情が、苦痛をうけているように歪んだ。
「何てこと、ルイズ! ……え、これは、まさか……コントラクト・サーヴァントの」
脂汗のつたうルイズの額が光を放ち、その光が見たことのない文字をかたち取り、少女の額へと使い魔のルーンを刻んでゆく。
「ああぁぁあぁああぁぁぁあああっ!!」
眠っていたルイズがとつぜん目をカッと見開き、ビクンと飛び起きると、苦しむようにのた打ち回った。
「ルイズ!」
動転したキュルケは、それを見ていることしかできなかった。
―――どうしよう、このままではルイズが死んでしまうかもしれない。
キュルケの顔面も、すでに蒼白を通り越している。その両手の中のタバサの重さと熱だけが、ここが現実であると主張していた。
うっ、とひとつ呻いたあと、ルイズは再び気絶して、ベッドの上で動かなくなった。
「大変!!」
我に返ったキュルケが、恐怖に気絶しているタバサを空いているベッドに横たえると、あわてて先生を呼びにいった。
――数分後、
「ルイズ!! そ、それって……」
「ミス・ヴァリエール!!」
――治療担当のメイジとコルベールを引き連れて戻ってきたキュルケが見たものは
「……キュルケ、ミスタ・コルベール……私は……」
苦痛のせいだろうか、それともなにか他人には計り知れぬほどの恐怖を味わったのだろうか
「私は……いえ、私の、コントラクト・サーヴァントは……成功です、成功しましたわ」
ベッドに起き上がり、焦点の合わぬ目でぶつぶつとつぶやきながらキュルケとコルベールのほうを見ている、
自慢だった長い髪――桃色の美しい髪――が見る影もなく、
『真っ白』に―――なった、ルイズの姿だった。
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空。 太陽。 雲。
大地。
森。
湖。
湿地。
砂漠。
ルイズは夢を見ていた。
現実の時間では一時間にも満たぬ間のことだが……夢の中でルイズは、計り知れぬほどの膨大な時間を過ごしていた。
ルイズの知る世界……ハルケギニアにおける常識とは異なる、たった一つしかない月が、太陽と幾度となく入れ替わり、大地を照らしていた。
雨が降り、風が吹き、星が瞬き、日が照りすさんだ。
生き物が生まれ、捕食しあい、死に、再び生まれ、愛し合い、進化してゆく。
ルイズはときに女性であり、ときに男性であり、鳥や虫や魚、動物や木や花であった。
そこで生まれ、泣き、笑い、苦しみ、喜び、学んで働いて結婚をして子をなし、戦って痛みと快楽を感じ、幾度も死んで生まれ変わった。
ルイズは全であり個であり、ルイズたちは飛び、走り、泳ぎ、群れ、つがい、鳴き、求め合い、食って食われあった。
いくつもの宇宙が幾度となく生まれ、消滅し、互いに飲み込みあい、広がっていった。
そこには喜びと悲しみ、苦痛と慈しみ、秩序と混沌、そして生と死の、恐るべきほどの大きさをもつ、存在の円環があった。
ルイズはあまりにちっぽけであった。
でも、ルイズに一切の不安は無かった。巨大な存在の円環のなかには、ルイズの居場所がきちんとあったからだ。
(私、ここにいてもいいんだ)
そこは、とても心地よかった。
(帰って来い)
(どこに?)
(飲まれるぞ)
声が聞こえる。
宇宙の最後のひとかけらが灰になるほどの時間が経ったと思われたころ、呼びかけられたルイズの意識は、次第にはっきりとしてゆく。
「ふむ……汝、環の一端を知覚しておるか……少々危ういが、見所のあるものよ」
その声が聴こえたとき、ルイズはひとつしかない月の下、夜の草原に立っていた。
「ここは?」
「サンクチュアリ(Sanctuary)……汝が名は何と言う? 客人の少女よ」
目の前には白銀の長い髪、漆黒の目をした男性が立っている。黒い見慣れぬ服装に身を包んだその男性……
顔には深い掘りが刻まれ、その年齢は推し量ることができない。
骨で出来たおどろおどろしい鎧をまとい、短い髑髏の杖を持っている。メイジだろうか。
「わたしはルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あなたはだれ?」
「我はラズマが大司教、トラン=オウル……死して六千年、ラズマを守り続ける英霊なり」
司教を名乗る老人は、低くしわがれた声でルイズに答えた。
「ラズマ? きいたことがないわ……それは何ですの?」
「はるか太古より、宇宙のことわりに仕えし聖なる氏族、魔術集団のひとつだ」
深く響く、別の声がした。
ルイズの問いに答えた声は目の前の老人からのものではなく、差し込む光とともに背後より聴こえてきた。ルイズが振り返ると、そこには光り輝く大きな人影があった。
背丈3メイルを越えるその人影は、金色の鎧をまとっており、その顔は暗くてよく見えない。
背には羽、そこから光で出来た透き通る六対の大きな翼が伸びる。
「私はティラエル、大天使ティラエル(Archangel Tyrael)」
「まあ、天使さま!!」
ルイズの目の前に、天使が現れた。ハルケギニアでも古い物語の中にしか居ない、偉大なる存在だ。
驚いて目を見張るルイズに、ティラエルは天空の星々より降り注ぐような深く重い声で語りかける。
「君に問う。ハルケギニアの少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ、ラズマの英雄トラン=オウルの骸をサンクチュアリより運び去り、己が異世界へと持ち去りしは君に相違ないな」
ルイズは直感的に理解する。―――彼らは私がサモン・サーヴァントで召喚した、あの死体のことを言っている!!!
「そ……それは」
英霊と大天使の視線のなか、ルイズは自分がひどくいけないことをしたのかと思い、顔が真っ青になってしまう。
ルイズの胸中に貴族の誇りはあれど、相手は平民の少年などではなく、強力なメイジの英霊と、畏れ多き大天使さまである。
貴族の少女などより、はるかに格の高い相手だ。
それどころか、存在そのものの格が違う。
ガクガクと震えながら、ルイズは釈明する。肺に残る空気を全て搾り出すかのように、かすれる声で事情を説明した。
トリステイン魔法学校のこと、使い魔召喚のこと、そこで呼び出されたものは、自分にとってさえも予想外であったこと。
召喚される使い魔候補を、メイジは選ぶことができないこと。
「も、も、申し訳ありません……天使さま、司教さま、お許しください」
ルイズはひざを突き、頭を下げ、必死に自分のしでかしたことを謝罪した。
「ふむ……君の事情は理解した……そう恐縮するでない、客人の少女よ……これは事故であり、君に咎はない」
「三千世界何処の地に埋もれようと、存在の偉大なる環(Great Circle Of Being)にはわずかなる乱れもない」
天使と司教、二人がそう言うのを聴いて、ルイズは心の底から安堵した。
「だが、問題がいくつかある」
天使が言ったその一言に、ルイズは再びその体を硬直させた。
「ひとつに、トラン=オウルの骸とその秘宝の守護を失ったラズマをいかにして守るか」
「我は六千年前に死して後、自らの骸をもって、ラズマの地下都市を守護する結界の要となしていた」
天使と司教がそう言った瞬間、ルイズは巨大な地下のドームの中にいた。
広大な地下のドーム、輝く天井の下、突如結界が途切れ、人々が入り込んでくる魔物に襲われ慌てふためいている。
これが、ルイズがしでかしたことである。
ああ、やっぱり私はとんでもないことをしてしまった……と、ルイズは畏れ慄く。
「また、トラン=オウルの身に付けし秘宝は、ラズマの聖職者にとってはこの上なく強力な武器であった」
「ひとたび邪悪は去った、しかしそれは悪夢(Nightmare)でしかなかった…これより地獄(Hell)の扉が開かれる」
――ルイズは地獄を見た。
ルイズはトリストラムと呼ばれる街の修道院の地下のダンジョンを、深く深く潜っていった。
ルイズはごろごろと転がる死体、狂ってゆく人々、阿鼻叫喚の殺戮を見た。
ルイズは草原を、森を、朽ち果てた修道院を旅した。
ルイズは砂漠を、オアシスを、星々の光る聖域を、英雄の眠る墓を旅した。
ルイズは港を、ジャングルを、沼地を、腐敗した街と寺院を旅した。
――ルイズは業火燃えさかる地獄を見た。
ルイズは雪と氷に閉ざされた大きな山脈における人と魔との大きな戦争を見た。
「ひ、ひ、ひえええっ……」
そのすべての場所でルイズは、無限に湧き出す異形の怪物を、恐るべき邪悪を見た。
スクウェアメイジをはるかに越えるであろう実力を持つあまたの英雄たちが邪悪に挑み、ばたばたと骸を晒していった。
「―――きゃあああああああ!!!!」
ルイズはそれをただ『見ただけ』で、幾度も身を引き裂かれるほどの恐怖を味わった。
はらわたを生きたまま貪り食われたような怖気が全身に走った。
それは恐怖と憎悪、破壊の化身であった。
あんなのがもしハルケギニアにいたら、トリステインのみならずハルケギニアを丸ごと10度滅ぼしておつりがくるだろう。
「憎悪の王メフィスト、破壊の王バール、恐怖の王ディアブロ……忌むべき三つの邪悪」
「我がサンクチュアリの世界で、我らは生と死とのバランスを乱す『アレ』らを相手に、明日の見えぬ戦いを続けている」
ルイズは恐怖と瘴気に襲われ、何度も痙攣し、嘔吐した。凄まじいストレスのせいか、胃液には血が混じっていた。歯を食いしばり、拳を握り、ルイズはそれに耐えた。
天使と司祭はルイズが落ち着くのを待ってから、ふたたび声をかけた。
「少女よ、君に咎はないといえ、ラズマの英霊とその骸を呼び出せしはおそらく君の運命であり、ゆえに神格となりし始祖、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリが求めしことに君は従わねばならぬだろう」
「そなたには理由が何であれ、運命に立ち向かうべき責任があるのだ……そのために、そなたの為したことの一端を、まずは知るがよい」
「……はい、天使さま、司教さま」
ルイズは涙を拭き、恐縮し、過失にせよ自らが為したことの結果と、その重大さを受け入れた。
「少女ルイズよ、君が望んでいたのは『魔法を使うこと』、『誇り高くあること』、『使い魔をもつこと』であったな」
「は、はい…私は魔法学校で学び、一人前のメイジ、トリステインの貴族とならなければなりません」
「あれを見よ」
「……ああ何てこと!!! も、も、申し訳ありません、司教さま!!」
ティラエルがトラン=オウルの額を指差した、そこに刻まれていたのは果たして、使い魔のルーンであった。
なんと畏れ多いことであろうか。しかしトラン=オウルは気にするような顔もせず、慌てるルイズを手で制し、話かける。
「サモン・サーヴァントという術式は、運命……すなわち宇宙のことわりへと呼びかけるものときく。なれば我が骸を呼び出せしは、そなた、あるいはそなたが世界のうちに、我が骸を必要とする何がしかがあるに違いない」
「え??」
大司教トラン=オウルは、低く優しさを秘めた声でルイズへと語りかける。
「我は宇宙のことわりには逆らわぬ、時が時であれば、そなたの使い魔として働く運命をも受け入れたことであったろう―――とはいえ我はサンクチュアリの英霊であり、今のサンクチュアリが我を必要としていることは必定である。ならばルイズ・フランソワーズよ、我はそなたの使い魔となってやることはできぬ」
ルイズは呆然とする。が、続く言葉にふたたび緊張を余儀なくされる。
「ゆえに我は、ブリミルがルーンの術式をそなたに返却し、別なる使い魔と力とをそなたに授けよう……大天使よ、それでよいか」
「うむ、英霊よ、そなたの判断に乗ろう。そして異世界の少女よ……君の世界の問題に、我らは直接干渉するわけにはいかぬ。ルイズ・フランソワーズよ、ゆえに君の世界の始祖、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリが求めに応じ、君に知識と技、道具を与えることにしよう。代わりに君の生涯をかけて、ラズマの英霊トラン=オウルの骸と身に付けし秘宝とを、サンクチュアリへと返却してほしい」
ルイズにとっては是非もない申し出であった。
「は、はい!! 始祖とわが貴族の名、杖にかけて誓います!!」
「よかろう、その誓いが果たされんことを……誓いが果たされるとき、我らと君とは再び出会うだろう」
ティラエルが手を翳すと、トラン=オウルの額からルーンが剥がれて宙に浮く。
トラン=オウルが呪文を唱え、手にした杖を振ると、彼の手元に光に燃える髑髏のヒトダマが浮かび上がる。
「これは『ボーン・スピリット』……ラズマの秘術にて呼び出されし、精霊化したラズマの徒、霊魂の結晶なり。敵と味方を判断する知性をもち、ときに自動追尾し、敵から生命力を奪い取って、自らの主のものとすることが出来る。そなたの体内に潜ませておくゆえ、用に合わせて召喚し、使役するがよい」
使い魔が貰える―――その事実を認識し、ルイズは喜びに顔を輝かせた。
「あ、ありがとうございます!!」
「ラズマが極めしネクロマンサーの秘術、そなたが学び、自らの力とすることを大司教トラン=オウルの名において許そう……よき運命を見出さんことを」
「では、また会おう……英雄の資質をもつ少女よ、努力と研鑽をおこたらず、おのが運命を切り開くのだ」
司祭と天使の姿が消え去る。
ヒトダマがいずこかへ飛び去り、宙に浮いていたルーンがルイズへと飛んできて、無防備な額へと突き刺さった。
瞬間、激痛が体中に走る……視界がぐるぐると回る。
「ああぁぁあぁああぁぁぁあああっ!!」
医務室のベッドの上で、ルイズは覚醒した。
目を見開いて、脂汗を流し、全身をさいなむ熱と激痛にもだえ苦しみ、のたうちまわった。
「ルイズ!! 大丈夫!?」
キュルケの声が聴こえるが、返事をしている余裕はなかった。
しばらく苦しんだあと、再び気を失い、目覚め、視界がはっきりしてきたとき、まず目に入ったのは向かいのベッドの青い髪の少女であった。
あれは確か、タバサという名前。いつもキュルケと一緒に居る少女。眠っている、どうしたのだろうか? キュルケはどこだろうか?
「あ……髪が…」
続いて目に入ったのは、自分の髪の毛であった。母譲りの自慢のピンクブロンドのそれは、見る影もなく真っ白になってしまっている。
無理もない、ルイズは先ほど、夢でホンモノの地獄を覗いてきたのだ。ルイズは淡白にその事実を受け入れた―――仕方ない、これは私のしでかしたことの罰として受け止めよう。
「そうだ、使い魔……私、使い魔をもらったんだわ」
自分の体のなかにソレがいる。ルイズ自身の感覚がそう告げている。
喜びと期待と確信を胸に、ルイズは目を瞑り、開く。
――出て来い!そう命じたとたん、ルイズの手のひらのうえにソレが現われる。白いガイコツの炎だ。
果てしない熱さと冷たさを感じるが、自分の手は、燃えても凍っても傷ついてもいない。
虚無をたたえた髑髏の、深い深い空洞の眼窩から、白く美しい炎が湧き立つようにちろちろと溢れる。
「これが……私の使い魔……」
それは幾度もの浄化を経たであろう、精霊となった人の魂。白くまぶしい光を放つそれは、ルイズにとっては素直に綺麗なものだと思えた。
しばらくそれを眺めた後、人の気配を感じ、ボーン・スピリットを体内へと再び収納した。
同時に医務室の扉がひらかれ、キュルケとコルベール、水のメイジであろう医者の格好をした人物が入ってくる。
「ルイズ!! そ、それって……」
「ミス・ヴァリエール!!」
キュルケとコルベールの顔がこわばる。どうしたのだろうか? 何を驚いているのだろうか?
―――ああ、なんだ髪の毛のことか。そんなことどうでもいい、とりあえず目下の私の問題、進級に関することを伝えなければ。
「……キュルケ、ミスタ・コルベール……私は……」
異世界の大天使さまよりとんでもない大役を仰せつかってしまいました……いや、そうじゃない。告げるべきことは、生まれて初めて、自分の魔法が成功したという事実。
「私は……いえ、私の、コントラクト・サーヴァントは……成功です、成功しましたわ」
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