次元空間に昼夜は無いが、時間的には人によっては寝静まるくらいの時間帯になった頃。
アースラの一室で、陰鬱とする気持ちを抑えて体を休めていたシグナムとザフィーラは、唐突に立ち上がり扉の方を注視した。
油断なく見つめる二人の先で、外側から扉が開く。
開かれた扉の先には、仮面を付けた白い服の男が2人、立っていた。
男達の様相は、鏡映しのように瓜二つ。
その人物達の姿は、ヴィータの前に現れた者と全く違いはない。
その者達の足元には、シグナム達の見張りをしていたこの艦の武装局員が2人、倒れ伏していた。
争いの音は無かった。
更に彼らの片方の人物が手にしている物に、シグナム達は警戒と困惑の度合いを上げる。
その手には、管理局員が厳重に封印、保管している筈の闇の書とシグナムのデバイスであるレヴァンティンが握られていた。
一人は廊下の見張りも兼ねているのか、扉付近に佇んだまま、闇の書とレヴァンティンを持つ方の人物が前に出てくる。
「剣の騎士、盾の守護獣」
身構えるシグナム達の前に立ったその人物は、手に持つそれらを二人に向かって突き出した。
「受け取れ。主を連れて、脱出しろ」
しかしシグナム達は手を伸ばさない。
動かない守護者に、仮面の男は更に言葉を続ける。
「闇の書の主を匿う場所は、我々に用意がある」
目の前の男を睨みつけながら、ようやくシグナムが口を開く。
「貴様ら、何を考えている。何者だ」
「ふん、お前達にそのようなことを気にしている余裕があるのか?」
対する仮面の男は、シグナムの問いを嘲るように切り捨てる。
だがシグナムは、そんな仮面の男に嘲笑で返した。
「生憎だな。今の我々には、その行動の先に見える未来が無い」
「……くっ、守護騎士ともあろうものが、腑抜けたか!」
苛ついたような声が仮面の男から飛び出す。
両者の間の緊張感が高まり出したその時、唐突に仮面の男の持つ闇の書が光を放った。
《Reparatur Wolkenritter》
「何だ?」
仮面の男が困惑の声を上げる。
周囲に2つの、ベルカ式の魔法陣が展開される。
赤色の魔法陣と、緑色の魔法陣。それぞれの魔法陣から、ヴィータとシャマルの姿が現れた。
周囲が困惑している間に、ヴィータはレヴァンティンを、シャマルは闇の書を、仮面の男から取り上げる。
2人がそのままシグナムとザフィーラに対面するように移動すると、ヴィータはシグナムにレヴァンティンを突き出した。
ヴィータが口を開く。
「シグナムとザフィーラが何に絶望してるのか、こっちも大体分かってる。
その上で言う。はやてを助けるぞ」
シグナムは困惑と、そして期待と共にレヴァンティンをヴィータから受け取る。
「助ける方法が……?」
「あるわ」
ザフィーラの問いかけには、シャマルが答えた。
シャマルは闇の書を開くと、それを両手で支えてシグナム達に差し出す。
「情報を送るから、二人とも、闇の書の頁に手を置いて」
露わになった両の頁のそれぞれに、シグナムとザフィーラが手のひらを乗せる。
闇の書が淡い光を放ち、シグナム達も、同様に自身の魔力光を淡く纏う。
仮面の男たちは想定外の事態に困惑しながらも、自分達の思惑に近い展開に進みそうな空気を感じ取り、その様子を見守っていた。
――唐突に。
仮面の男達が、床から飛び出した無数の白い魔力刃に貫かれた。
「くっ!!?」
魔力刃自体にダメージは無い。
しかし、貫かれた部分が、空間毎縫い留められたように動けなくなる。
「あ゛あ゛っ!?」
「アリア!」
シグナム達の近くまで寄っていた仮面の人物が、背後から聞こえてきた仲間の苦悶の声に首だけで振り返る。
いつの間にか移動していたシグナムの手によって、扉近くに陣取っていた仮面の人物が魔力の蒐集を受けていた。
変身魔法によって化けていた仮面を被った男の姿が崩れ、猫耳と尻尾を携える女性の姿が露わになる。
そこにいたのは、ギル・グレアムの使い魔の片割れだった。
後回しにされた方の仮面の人物――リーゼロッテは歯噛みする。
何がどうしてそうなったのか分からずとも、最悪の展開になったことは分かった。
しかし拘束を解くことは叶わず、最早成すすべもなく。
リーゼアリアからの蒐集を終え、シグナムからシャマルに渡された闇の書によって、次は自分が餌食になるのを待つばかりであった。
闇の書をシャマルに渡した後、シグナムは開けられたままの扉から廊下の様子を伺う。
今シャマルに魔力を蒐集されている使い魔達がどれ程上手くやったのかは知らないが、いい加減限界だったのだろう。
艦内の異常に気付いた者、それに加えこの部屋での不穏な物音に気付いた者が集まってくる気配がした。
その者達が部屋の前に集う瞬間に、シグナムから合図を受けたザフィーラが動く。
「ぬおおおお! 『鋼の軛』!」
「なぁっ!?」
廊下のいたるところに展開される白色の魔法陣。
そこから飛び出した魔力の刃が、駆け付けた数名の局員を縫い留める。
手狭な空間は彼の独壇場だった。
シグナムは駆け付けた人物の一人に目を向ける。
彼女の視線の先には、物音を聞いて飛び出してきた、パジャマ姿の高町なのはの姿。
彼女にだけは、ザフィーラの刃は当たっていない。
シグナムは徐になのはに近づく。
「シグナムさん……?」
「騎士の風上にも置けぬ行動、罵ってくれて構わない」
「えっ……きゃあ!」
シグナムがなのはの腕を掴み、引き上げる。
唐突な乱暴に反応が出来なかったなのはを、シグナムがシャマルに突き出す。
突き出された先で、既にシャマルは闇の書を広げて待機していた。
《Absorption》
なのはの意識が、闇に落ちた。
なのはが目を開けると、そこは一面闇の空間だった。
不思議と、真っ暗で何も見えないという感じはしない。ただただ、闇が、どこまでも続いているような空間。
なのはは不思議に思う。
自分が、フェイトやさつきと同じように闇の書に吸収されたのは分かっていた。
しかし、聞いていた話とは周囲の様子がまるで違う。服装も、パジャマ姿のまま変わっている訳ではない。
なのはの前には、一人の若い女性の姿をした者が立っていた。
なのはの知る人物ではない。
輝くような白髪を腰より下まで伸ばし、釣り目の中の赤い瞳は、優しくなのはを見つめている。
「あなたは……?」
なのはがその女性に問う。
「私は、この魔導書の管理人格」
儚げな声で、女性が答える。
なのははその意味するところを、正確に捉えることができた。
「つまり……、闇の書、さん?」
「……そうだ」
若干言い淀む気配がありつつも、なのはの認識を女性は肯定する。
その肯定を聞いたなのはは勢い込んだ。
「あの、闇の書さんなら! お願いがあります!」
「……無理だ」
「えっ」
しかし、なのはがその内容を言う前に、管理人格はそれを否定した。
なのはの望みが何なのか、分かっていると言外に示し、管理人格はその続きを口にする。
「この魔導書に発生している致命的なバグは、既に私の制御できるものではなくなってしまっている。
今までも、わたしは、わたし自身が主を喰い殺していくのを見ていることしかできなかった」
「……っ」
管理人格の釈明に、なのはは息を呑む。
その内にあるのは、酷な願いをしようとしてしまったことへの申し訳なさと、事態の悪さを再認識したことによる失望。
しかし管理人格の言には続きがあった。
「だが、希望は見つかった。
今代の主は、救える可能性がある」
「……そのために、シグナムさん達は?」
なのはの言葉に、管理人格は頷きで返した。
「そのために、あなたには人質になってもらっている。すまない」
「……!」
「しかし、あなたをここに呼んだ目的はそれではない」
息を呑むなのはに、管理人格は続ける。
「高町なのは、あなたには感謝している」
身に覚えのない唐突な言葉に、なのはは困惑する。
「主の友人になってくれて、ありがとう」
「……はい」
しかし続く言葉に込められた万感の想いを感じて、なのははそれに、頷きを返した。
「主は、ずっと、一人だった。騎士達が目覚める前から、わたしはあの子を見ていた。
月村すずかと出会って、アリサ・バニングスとあなたに受け入れられて、主がどれ程救われたかを知っている」
管理人格の独白を、なのはは黙って聞く。
なのはには、目の前の女性がどのような気持ちではやてを見守っていたのかなんて、到底推し量ることはできなかったけれど。
自分がどれ程感謝しているのかを伝えたいという管理人格の気持ちは、伝わっていた。
「だから、礼をしたいと思った」
「お礼?」
なのはが首をかしげる。
目の前の存在からのお礼というものに、全く見当が付かなかった故に。
すると、周囲の空間が、淡く光り始める。
周辺が霞みがかり、何らかの景色が現れ始める。
次いで、管理人格の姿が、淡く透けていく。
なのはが慌てて何か行動を起こす前に、変化は終わった。
管理人格の姿は既に無い。
周囲の景色は、見知らぬ町に変わっていた。
一軒家が並ぶ、マンションやアパートがひしめいている訳ではない程度の、落ち着いた住宅街。
その道の真ん中に、なのはがポツンと、パジャマ姿のまま立っている状況だった。
「ここ……」
『弓塚さつきの記憶だ』
「……!」
思わず呟いたなのはの言葉に、虚空から管理人格の声が答える。
『私は、吸収した者にユメを見せることができる。
その者の望む、優しいユメを。
その者の、記憶を元にして』
それを聞いて、なのはは状況を理解した。
理解したとて、どうするべきなのかの判断が咄嗟にできる訳もない。
急いで身を隠すべきなのか、勝手に人の記憶を覗くなんてできないと、管理人格に訴えるべきなのか。
混乱する思考のまま、なのはは慌てて周囲を見渡して……自身の隣を横切る、その人物が目に留まった。
歳の頃はなのはの兄姉と同じくらいだろうか。茶色の髪を頭の後ろで二房に結ぶ、小顔にクリッとした目をした整った顔立ちの女性だった。
その女性は、真昼間にパジャマ姿で突っ立っているなのはの姿がまるで見えていないかのようになのはの横を通り過ぎた。
「綺麗な人」
普段から見目麗しい人物達に囲われて過ごしているなのはからついそのような感想が零れたのは、
なのはが普段触れ合っている人達を美しいと表現するならば、この女性は可愛らしいと表現する方がしっくりと来るその雰囲気からか。
『あれが、人間だった頃の弓塚さつきだ』
「……ええー!!?」
虚空から聞こえてきた解説に、なのはが驚愕の叫びを上げた。
なのははその世界では、他の者に認識されることはなかった。
人やモノに触れられることはなくすり抜け、空を飛ぶこともできた。
さつきの記憶であるため、さつきの周辺からは離れられなかったし、さつきから見えていない壁の向こうは真っ暗だったりした。
そんな空間で、なのははさつきの過去を目にする。
始めは、ただの女子高生だった。
とある男の子に振り向いて欲しくて努力していたら、いつの間にかクラスの人気者になっていた、そんな日常を生きる普通の女の子。
それが終わったのは、好奇心に負けて夜の街に繰り出した日のこと。
気になる男の子に関係する噂の正体を、もしかしたら確かめられるかも程度で起こしたその行動の結果は、突然襲ってきた人としての死だった。
なのはは、それを見ていた。
夜の街で目を覚まして、自分に何が起こったのかも分からないままに、体を襲う苦痛に悶える様も。
何も分からぬまま、吸血鬼としての衝動に負けて、人を惨殺してしまう様も。
あまりにも残酷な光景は、何が起こっているかは分かる程度に、管理人格が手を加えてはいたが。
なのはは、その光景から、目を逸らさなかった。
もう逃げないって、そう決めたから。
血を飲まないと体が痛くて、血を飲んでも体が受け付けないこともあって、人を殺す度に感覚が麻痺していって。
変わってしまった自分が怖くて、変わっていく心が怖くて、そんな現実を認めるのが怖くて、独りぼっちが寂しくて。
あの男の子なら分かってくれるかも知れないと、そんな希望を抱いて。
自分と同じになって欲しくて、その男の子を殺そうとして。
ころせなくて。
そして、生まれ育った場所から、逃げるように離れた。
吸血鬼を狩る人々から逃げ続け、魔に関わる人達と巡り合い。
タイムリミット付きではあっても人間の肉体という新しい入れ物を手に入れ、世界を移動させてもらって。
そして、海鳴へやって来た。
その記憶を、なのははさつきの傍らで、見続けた。
なのはの様子を見守っていた闇の書の管理人格が、ふと、目を閉じる。
「……外も終わった。
これだけの頁が集まれば、わたしも外で活動できる」
その体から、白く淡い魔力光が立ち上る。
アースラの中、八神はやてに割り当てられた病室に、守護騎士達は入っていく。
その姿は皆ボロボロで、纏う騎士服も穴が開いていたり千切れていたりと傷みが凄まじい。
明らかに激闘があったであろうその出で立ちだが、今現在アースラの中は随分と静かだ。
物音はしないこともない。ろくに動かない体で、それでも何とかしようともがいている局員が、まだどこかに居るようだった。
病室のベッドの上、先程までアースラ内で戦闘音や振動などが発生していたにも関わらず静かに眠っている八神はやての前に、守護騎士達は整列する。
シグナムが一歩、前に出た。
「申し訳ありません、我らが主。我らは、あなたとの誓いを果たせませんでした。
此度のことも、あなたは知れば止めていたでしょう。
我らの不義理を、お許しください」
シグナムが、伝わることのない謝罪を口にする。
物言わぬはやてを見つめながら、ヴィータが手を、ぎゅっと握った。
「これが上手くいったらさ、あたしたちもう、はやてに会えないんだよな」
ヴィータの口から、言うまいと思っていた筈の心の内が零れる。
ザフィーラが、隣に立つヴィータにちらりと視線を移し、再びはやてに向き直った。
「かの人形師が、どれ程の御仁かは計り知れぬが……。
主は死んだと闇の書が判断する可能性は、高いだろうな」
ザフィーラの言葉に、ヴィータは頷くことも返事を返すこともなかった。
ただ、背筋を伸ばして、しっかりとはやてに向き直る。
シャマルが、闇の書を携えて、前に出た。
彼女が掲げた闇の書が、ひとりでに浮かび、はやての胸の上で浮遊する。
《Einklang》
闇の書が輝き、はやてが光に包まれる。
光の中で、はやての体格が変わっていく。
脚も背丈も、髪も伸び、漆黒の騎士服を身に纏う。
姿の変わったはやてが目を開くと、その瞳は赤く染まっていた。
動かなかった筈の脚で医療施設の床に降り立ったその姿は、なのはが闇の書の中で邂逅した闇の書の管理人格のものだった。
「ユニゾンに問題はない。騎士達よ、よくやってくれた」
管理人格の声が、その口から発せられる。今はやての体を動かしているのは、闇の書の管理人格だ。
守護騎士達は頷きを返すと、無言で左右に別れて道を空けた。
管理人格がそこを通り先を進むと、守護騎士達もその後に続く。
一同が向かった先は、アースラのコントロールルームだった。
その部屋は、先程までの激闘で至るところが破損していた。
床には局員達が倒れ伏し、中には意識がある者もいるものの、その者達もリンカーコアを限界まで搾り取られ、身じろぎしかできないでいる。
コントロールルーム内を一望できる高台に、闇の書の管理人格は歩を進める。
「この艦の動力、借りるぞ」
管理人格が手を掲げると、ルーム内のモニターに一斉に光が灯り、機器が稼働する。
アースラが、揺れだした。
守護騎士達が入ってきた扉の向こうから、誰かが倒れるような物音が響いた。
守護騎士達が扉に向き直り、管理人格を護るように囲う。
扉の向こうで尻もちをついていたのは、弓塚さつきだった。
彼女は部屋の中の惨状を見て、目を丸くしている。
「これ……何が……」
揺れや物音によって見知らぬ場所で目を覚ましたさつきは、自分が眠っていた施設を包む異様な雰囲気に押されて、その部屋から外に出て出歩いていた。
力の入らない体を引きずって徘徊していた中、突然発生したひときわ大きな揺れによって倒れこんだ彼女は、コントロールルーム内の様子を目にする。
その部屋の惨状と、繰り広げられる異様な光景に、そして明らかに異常な揺れを発し続けている艦内に、さつきは呆然と声を上げていた。
そんなさつきを見て、闇の書の管理人格は一歩前に進み出る。
「わたしは、この魔導書の管理人格。
わたしはお前の記憶を知っている」
管理人格の言葉に、さつきは困惑を露わにした。
ただ、その手に持っている本が、自分にあの夢を見せた本だということは気付いた。
「弓塚さつき、我らの目的は、お前にとっても悪いことではない筈だ」
あからさまにこの惨状を起こした首謀者の言わんとすることを、理解できないさつき。
そんなさつきに、管理人格は自分達の目的を語る。
「我らはこれより、次元を越える。
弓塚さつき、お前が元居た世界へと」
「……無理だよ。
あなたたちの技術じゃ、多分」
さつきは管理人格の言葉に目を見開いたが、その表情はすぐに疲れたような笑いに変わった。
目の前の存在が、自分の記憶を持っていることは本当のようであると理解して、なのにそんなことも分かっていないのかと、諭すように。
しかし管理人格はそれに気分を悪くすることもなく、静かに首を振った。
「弓塚さつき、お前は思い違いをしている。
確かにわたしにとってかの世界の魔法体系は未知であったが、お前の記憶からでも分かることがある。
我らがこれより飛ぶのは、厳密にはお前が元居た世界ではない」
管理人格の言いたいことが分からないさつきが、眉を顰める。
そして続く言葉に、さつきの思考は停止した。
「今代の主の住む地球とは、別の次元の地球……。
そしてお前が元居た地球と、真に平行に在る次元世界」
さつきはぱちくりと目を見開き、頻繁に瞬きをし、必死に頭を働かせようとする。
目の前の女性が言っている内容は、つまり、自分の故郷の平行世界が、また別の場所にあると言っているかのようで。
「珍しいことではない。
世界や地域、種類が違えど、動物の構造が皆、似通っているように。
数多ある次元世界の中にも、地球と呼称される世界は無数に存在する」
続く言葉に、さつきはその解釈が間違っていないことを悟った。
悟って、ぽかんと口を開ける。
考えもしなかった可能性だった。
つまりは、平行世界移動と、次元世界移動。
X軸方面の移動と、Y軸方面の移動のように、原理の異なる2つの世界移動を行っていたのだという指摘。
確かにこの世界は、平行世界というには元の世界との差異がありすぎるとは思っていた。
その答えが、これだった。
相手の言いたいことを理解したさつきは、早鐘を打つ心臓を感じながら、しかしと、浮かんだ疑問を口にする。
「無数にあるなら、どうやって、どれが私の元居た世界の、平行世界だと……」
相手の目的は理解した。この惨状も、この揺れも、世界を移動するために行ったことだということも一旦呑み込んだ。
しかし、どうやって行き先を見つけるつもりなのかが、分からなかった。
さつきの疑問に、管理人格は遠くへと、アースラの壁の先、次元空間の先へと目を向けた。
「わたしの力は、願いの宝石程融通は利かないが。
それでも、道が、既に作られているのならば」
「既に……?」
揺れが、更に大きくなる。
揺れているのは、アースラ全体。
そう、管理人格が転送させようとしているのは、自分と守護者達だけではない。アースラそのもの。
アースラごと、次元を飛ぶつもりだった。
アースラ艦内での、設備を用いない転送は封じられているから、なら艦ごと転移させるなどというとんでもない理屈だけではない。
数ヵ月前に作られたその”道”を、無理矢理こじ開けて進むことになるから。
生身での次元跳躍は自殺行為でも、この艦があれば突き抜けられる公算は高い。
未だ理解できていないさつきに、あるいはこの会話を聞くことしかできないでいる管理局の人間に、分からなければ分からないままでいいと、管理人格は言葉を続ける。
「かの大魔導師の願いは、アルハザードへ旅立つことではない。
死者を蘇らせる術を持つ世界へ、降り立つことだ」
まさか、と、倒れ伏す管理局の人間の声が聞こえた。
この艦の長の声だった。
「願いの宝石は、機能として人の心を敏感に受け取る。
記憶や知識も、その要素の1つに違いはない」
さつきが、何かに気付いたように、息を呑んだ。
そして、蒐集した魔力とアースラの動力を用いての次元跳躍の魔法が、遂に発動する。
「ようやく、主を救える可能性を、見つけた……」
転移の光が、管理人格の声も呑み込んだ。
あとがき
※それで解決できるかは完全に別として、さっちんは式の魔眼については殆ど何も知りません。
次話で最終話になります。
闇の書の管理人格としか名前を表記する術がないことの厄介さよ。